【五行 武僧】籠王
マスター名:昴響
シナリオ形態: ショート
EX
難易度: やや難
参加人数: 9人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/01/21 15:38



■オープニング本文

●八咫烏を奉ずる
 年末――希儀の探索がひと段落つき、多勢の開拓者が天儀に戻り始めていた。
 彼ら開拓者の多くは神楽の都に住まいを確保しているが、一部の者は天儀各地それぞれの故郷や地元へと帰っていく。中でも、武僧らの多くは元々東房出身者で、属していた寺のこともあり、年末年始を寺で過ごさんと東房へ里帰りする者も少なくない。
 そうして彼らは天にその姿を見る。
「いつ見ても立派なものよ……」
 空に浮かぶ八咫烏。その雄大な姿は、古えより伝わる精霊の御魂を想起させ、仰ぎ見る者に自然と畏敬の念を抱かせる。そんな八咫烏も、今は管轄は東房より開拓者ギルドに移され、内部の整備が進められつつあった。


●五行の現在
 そうして新年を迎え、五行が誇る陰陽寮の一つ朱雀寮の三年生が朝廷からの依頼という名目で西域の魔の森へ調査に向かって数日。
 五行王の右腕と名高い矢戸田平蔵は苛立ちを隠せない様子で白虎寮の門を行き来していた。
 建替え中という理由で長期に渡り休寮している白虎寮に寮生がいないのは当然の事ながら、修繕しているはずの職人の姿も皆無。道は数多の雑草に占領され、寮内全域が不気味としか表現出来ない沈黙に支配されていた。
 そんな白虎寮の前を行き来する平蔵の本音はと言えば、入れるものなら今すぐにでも乗り込み、もう何日も此処に引き籠っている五行王――架茂天禅を引っ張り出してきたいのだ。
(「この国で勝手な事をさせるな」だと!? そう思うならとっとと自分で出て来いってんだ!)
 平蔵は地団太を踏む勢いで更に往復を繰り返す。
 西域の魔の森にあるらしい神殿から、其処にあるらしい神器を取って来いという何とも奇妙な朝廷からの命令。あまりにも奇妙過ぎていっそ断ってしまいたかった五行国だが、そうなれば朝廷自ら魔の森に乗り込む。そう推測した結果「この国で勝手な事をさせるな」と王が言うから朱雀寮の寮生達が危険を承知で請け負うしかなかった。
 その事が平蔵には何より腹立たしい。
(寮生を政の犠牲にするつもりか……それでなくとも青龍寮の寮生達をないがしろにしているというのに!)
 青龍寮に入学するも諸々の事情ゆえに朱雀、玄武の二寮に移籍した者も少なくはないが、青龍寮では架茂王自らが教鞭を取っていた事もあり、その復帰を心待ちにして留年を続けている者もまた少なくないのである。
 そんな彼らの気持ちをどう考えているのか、……国王が白虎寮に引き籠ったという話を聞いたとき、平蔵はかつてないほどの怒りを覚えたのだった。
(一体何を考えているんだ……!)
 臣下として、その無責任な行動を非難する気持ちと。
 ……親友として、どうしてしまったのかという悲しみと。
(とにかく話をしなければ何も始まらん)
 だからこそ、こうして白虎寮の前を行き来して五行王が現れるのを待っているのだ。何せ此処、金行を司る、四神が白虎を奉る白虎寮は四寮の中でも特に曲者が揃うと言われており、寮内の各所には数々の『罠』が張り巡らされているのだ。
 学生とはいえ彼らの研究は部外秘扱いのものが多く、それらの情報を守るための策は幾つあっても多すぎるという事はない。
 ましてやどんな事情があれ五行王自らが引き籠っている寮内だ。
 平蔵ほどの身体能力の持ち主であれば即戦闘不能とはならないだろうが、道案内も無しに足を踏み入れるのは無謀だと理解しないわけにはいかなかった。
(せめて誰か道案内をしてくれる奴でもいれば……)
 誰かいないかと必死に記憶を探るが、長期に渡って休寮しているため在学生などいるはずがなく、卒業生は各地で就職。呼んだからと言ってすぐに来られるわけがなく――。
(いや、待て。確かあの面白い奴が……白虎寮に所属していたんじゃなかったか……?)
 ふと思い出した幼さを残す面影に平蔵はひらめいた。
 あいつだ、と。
 道案内を頼むべく彼が手紙を出した相手、それはかつて白虎寮に所属していた陰陽師の少女、その名を朱真という――……。


●呼び出し
「……誰だよ、矢戸田平蔵って」
 ギルドへ呼び出された朱真(iz0004)は、支給品のエプロンドレスを突っ返しながら盛大に顔を顰めた。
 職員の男は慌てたように手を振る。
「ち、ちょっと、朱真さん、そんな大きな声で! 矢戸田様は五行王の側近ですよ! 五行軍(警邏隊)総指揮官です」
「五行王の、側近……?? なんでそんな奴が俺を……」
 ますます胡散臭そうな顔をした朱真だったが、ふと記憶に引っ掛かるものがあり――そして、『あ!』と呟いた。
 朱真は以前、五行の白虎寮に所属していたことがある。性分に合わないと飛び出した所でもあるし、他人にそれを言ったことはない。
 ただ、在籍中に一度、平蔵と武術の手合わせをしたことがあったのだ。
 朱真自身は言われるまで忘れていたが、陰陽師らしからぬ彼女のことを、平蔵には物珍しい者として記憶に残っていたのだろう。
「まあ、行ってみるか。……うめ、五行へ行くぞ!」


「よう、久しいな! お、ちょっと成長したな」
 平蔵は朱真を見ると気さくに手をあげ、少し女の匂いの出てきた彼女をしげしげと眺める。
「どうでもいいだろ、そんなこと。なんで俺を呼んだ」
 朱真は少し顔を赤らめながら鼻を鳴らした。平蔵もそれ以上彼女をからかうことはせず、すぐ面を引き締める。
 事情を聴いた朱真は、んー、と考えた。
「つまり、その白虎寮を俺が案内して、寮内の罠をかいくぐって引き籠った王様を引っ張り出せってこと?」
「そうだ」
 平蔵は頷く。
「案内はいいけど、助っ人がいるな。どんな罠がどれだけあるかなんて、俺も知らないからな。それこそ木乃伊取りが木乃伊になりかねない」
 朱真の言葉に平蔵はうむ、と頷く――彼女は少し考え、提案した。
「なあ。ここは陰陽寮で極秘事項も山とある場所なのはわかってるけど、陰陽師だけで行くよりは他クラスの奴が居た方が早く行ける気もするんだ。だから他の連中が足を踏み入れることを許可してもらえないか? あんたエライんだろ、何とかならないか?」
 朱真のあけすけな物言いに呆れながらも平蔵はしばらく考え、
「いいだろう。他のやかましい連中は俺がなんとかしてやる。とりあえず開拓者を集めてくれ。白虎寮には勿論、俺も行くからな」
 獰猛な笑みをちらりと覗かせた。
 ……王に一言もの申したいのは、なにも青龍寮生だけではないようだった。


■参加者一覧
俳沢折々(ia0401
18歳・女・陰
安達 圭介(ia5082
27歳・男・巫
鈴木 透子(ia5664
13歳・女・陰
ヴィクトリア(ia9070
42歳・女・サ
フレイア(ib0257
28歳・女・魔
成田 光紀(ib1846
19歳・男・陰
羽喰 琥珀(ib3263
12歳・男・志
天青院 愛生(ib9800
20歳・女・武
佐藤 仁八(ic0168
34歳・男・志


■リプレイ本文


「へ〜ここが白虎寮かー。アヤカシでも居そう〜」
 羽喰琥珀(ib3263)はそう言って、珍しそうに門の中を覗き込んだ。
「朱真殿、矢戸田殿。この度は宜しくお願い致します」
 武僧らしく合掌して挨拶したのは天青院愛生(ib9800)。
「よろしく頼む」
 朱真と並んで立っていた平蔵が頷いた。
「青龍寮の鈴木透子です。……呼んで頂いてありがとうございます」
 透子(ia5664)はそう名乗り、平蔵に向かって一礼した。
「青龍寮生か……そういえばもう一人いたな。天禅を引っ張り出したら、しっかり文句を言ってやれ」
 平蔵はにやりと笑ってみせたが、透子は生真面目な表情で首を振る。
「あ……いえ。本当に感謝しています。それに、王様は悪い事をしているのではないと思います。……何かの研究をしているのだと思います」
「まあ、何かの研究ってのは間違いないんだがな……」
 平蔵は苦笑して溜息をつく。
 透子はその研究についてこう述べた。
 八咫烏に関わりある事――瘴気と精霊力について――で、朱雀寮への依頼の出し方や朝廷への対応などから、研究に横槍を入れられること、また他人が関わることを嫌ったため一人占めするつもりではないか――。
「……一人占めってより、まあ、一人で研究するのが好きな奴だがな……」
 平蔵は苦笑を深くする。どのみち本人に聞かねばわからないことだ。
 そして、歩いてくる二人の人物を見て『お?』と声をあげた。
「お久しぶりですわ……三年ぶりかしら?」
 フレイア(ib0257)は艶やかに微笑む。安達圭介(ia5082)も微笑んで、ぺこりと一礼した。
 フレイアと圭介は三年前、平蔵の依頼で五行王とは面識があった。平蔵は軽く手をあげ笑う。
「おお。いつぞやぶりだな。元気そうでなによりだ」

 もう一人の青龍寮生、成田光紀(ib1846)は同寮生からの直訴をもって参加した。
 門の中――鬱蒼と茂る原っぱの向こうに見える白虎寮を眺めている。
(多忙の事とは理解しているが、青龍寮を放るのはまだしも、政まで放ってこのような場所に籠もるとはな……否、これらに繋がる何かがあっての事かもしれんが。はて……どのようなモノを見、探しているのか……しかし、面白そうな処だ。聞く通りなら退屈はするまい)
 同じ陰陽師であり、天禅の為人を多少なりとも知っていれば今回の引き籠りにも何かしらの理由があることは見当がつくが、当然そうでないものもいる。
「大事な生徒ほったらかして引き籠りたあ手前勝手な王さんだねえ。真っ当に仕事してもらわねえとな」
 佐藤仁八(ic0168)が至極尤もなことを言えば、ヴィクトリア(ia9070)も大きく頷いた。
「まったくさね。急な情勢でお役人勢が大変なのに、それらを束ねるお頭たる王様が引き籠ってるなんざ、本当に困り事なのさね」
 そんな二人の言葉に尤もだと思いつつ、天禅と面識のある圭介は困ったように笑いながら、少し弁護にまわる。
「以前お会いしたときとお変わりないようでなにより……なんですかね……。とにかく、一筋縄ではいかない方ではありますが、筋の通ったお話は聞いて下さる方でした。まずは何とかしてお会いせねば……」
 フレイアもまた小さく頷き、くすりと笑った。
「没頭するタイプですけれど、意味の無いことはされない方です。今回の引き籠りもそういうコトでしょうから、用が終わればでてくるでしょう」
「……まあ、そう言ってもらえりゃ、親友としても立つ瀬があるが。とはいえ、そこの二人の言い分てのが、大勢の意見でもあるからな」
 平蔵は微苦笑を浮かべながら、仁八とヴィクトリアへ目を向ける。
(……なんとなく王様はみんなから嫌われているんだと思ってたけど……矢戸田様のような方が近くにいるんなら、そんなに心配することもない、かな。……うん、それが分かっただけでも十分な収穫)
 会話を見守っていた俳沢折々(ia0401)は、どことなくほっとしたような微笑を浮かべた。
「平蔵君。架茂王の衣類で無くなっているものはあるかしら? 着替えを用意したいのです」
 フレイアの言に、平蔵は珍妙な顔をした。
「……たぶん、着の身着のまま、食い物だけ持って入ってるはずだが……。ひょっとしたら一回くらいはこっそり風呂へ入って着替えたかもしれんがな。寝食忘れる奴だからなあ……」
「ふふ。相変わらずのようで微笑ましい」
 フレイアはそう言って笑う。
 これを微笑ましく思える彼女の懐の深さに感心するやら呆れるやらの人々の心情はともかく。
「なあなあ、朱真がここに居た時はどういった罠があったんだ? 術の罠だけか?」
 琥珀がそう言うと、朱真は懐から古い折り畳まれた紙を出した。
「寮の見取り図があった。新入生用だけど」
「なんだと?! なぜそれを早く言わんのだ!」
 平蔵が目を剥いて朱真に言う。彼女はむっとして言い返した。
「しょうがないだろ。うめの鞄の底にあったのを今朝見つけたんだから! ……ちょっ……やめろ、平蔵! 離せ!」
 平蔵は口をへの字に曲げて朱真の頭を引き寄せると、わしゃわしゃとかき回した。

 見取り図は、罠を知らない新入生がうっかりはまってしまわないようにという上級生の親心――というより、罠をかけなおすのが面倒なので、というのが本音なのだろうが――によって毎年作成されていたらしい。
 当時、罠は『地縛霊』ほか、現在の陰陽師たちが使用しているものが数多くあった。
「地縛霊等が設置型だが、それら以外の術者抜きに罠として設置とは聞かぬ話だが」
 光紀が笏を口元に寄せながら首を傾げる。
 『地縛霊』にしたとて、設置時間は半刻だ。
「そうだな。長期間の設置に耐える術ってのは、たぶんどこの寮でも研究してるだろうけど……設置された罠の中にそういうのがいくつかあると聞いたことはあるよ、当時の寮長に。ホントに効いてるのかどうかは知らないけどな」
 朱真の言葉に光紀は興味深そうな顔をした。
「ほう。……設置まで含めての式であるのか、又は、術媒体を設置し、何かに反応し式で成立するのか……?」
「俺に訊くな」
 独り言なのか尋ねているのか判然としなかったが、朱真はとりあえず言っておいた。
 
 四階建ての寮の一階部分の左半分が食堂や風呂・便所など。右半分が研究室で占められている。二階にいたってはすべての部屋が研究室だ。
「こっちの研究室側は物置が入口だった。三階四階の寮生の個室への階段は、二階の研究室群をすっとばして上がってる」
 地図を差しながら朱真が説明する。覗き込んでいた平蔵が辟易したように言った。
「なんだ。じゃあ二階の研究室へは一階のどこかからしか行けんのか」
「うん。うっかり入られて研究物を盗まれるのも困るけど、研究中のモノを壊されるのは困るからだってさ。王様がいるのは一階から入れない、一階奥の研究室だろうと思う……当時の筆頭教授の部屋だ。この部屋はなんか抜け道があるらしいし……それと、琥珀が言うように、罠は術だけじゃない――俺も地図見て思い出したクチだけどな。」
 地図には物理的な罠を示す×印がいたるところにあり、それ以上に術罠の印がびっしりと書き込まれていた。
「ある意味、化け物屋敷そのままさねえ」
 ヴィクトリアの言に否やを唱える者はない。
「……でも、いいか? これは俺が寮に入ったときのものだ。それから数年たってる。一切が変わっている可能性が高いことは頭に入れといてくれ。……今、王様が籠ってんなら、尚更だ」
 地図から顔を起こした朱真に、開拓者たちはしっかりと頷いた。



「先行される班の方の治療は私が担います。……後方まで戻っていただくことになりますが」
「助かる。一応、治療符はあるけど一人じゃ間に合わないかもしれないしな」
 愛生の申し出に朱真がにこりと笑った。
 白虎寮の門の中に入る――かつては道だった上にも草が伸び、一見しただけではそれとわからない。
 仁八が呟く。
「罠の目的にゃ足止め殺傷と追っ払うのと、二つあらあな。『引き籠りてえ』てえんなら家来を殺すよりゃ、偽の標識だの、家具で隠した扉だので傷付けず気付かせず追っ払おうとすんじゃあねえか」
 朱真はふと手を止め、ゆっくりと振り返った。
「……ならわざわざ此処に籠もる必要はない。そもそも白虎寮の罠は対『外敵』を主眼に置かれてる。矢が飛んできたっておかしくはない」
 ぅおい! と誰かの声――開拓者と平蔵は思わず左右に分かれた。朱真が慌てたように言う。
「待て! それ以上さがるなよ。落とし穴!」
 一瞬、緊張とともにぴたりと動きを止める面々。
 『心眼』を使用する琥珀と仁八、そして圭介は『術視「弐」』を発動させ、入口を探る。アヤカシも人の気配も感じられず、術がかけられた形跡もない。
 朱真は戸に身を隠すように開けた――とたん、
 ヒュッ! ヒュッ!
 甲高い音とともに銀の光が立て続けに走り、ざくりと地に突き立った。
「飛び剣かよ……」
「わー……」
 琥珀と圭介が地に落ちた短剣を見て呟く。
 中を覗くと絡繰り人形が一体、ぽつねんと佇んでいた。
 『背水心』とともに寮内に飛び込んだヴィクトリアは、斧を振るい人形の両腕を落とした。
 朱真は符を構え、他の攻撃を警戒したが何事もなく、ゆっくりと手を下す。
 平蔵がぼそりと言った。
「白虎寮の罠は身内だろうが余所者だろうが、ここを脅かす者に対して仕掛けられてるってことだな……だから、何年も手が付けられず、あいつもここを選んだんだろうさ」


 中は暗く、右手側は階段への通路が右奥に伸びるほかは漆喰の厚い壁だった。通路を挟んで左にある食堂の玻璃窓はすべて板で覆われている。
 フレイアと光紀、朱真と平蔵が用意したカンテラに火を灯す。
 朱真は「物置」と札のかけられた部屋の戸をそっと開ける。折々の『人魂』と透子の『夜光虫』が中を確認するが、そこは掃除道具などが置かれているだけだった。
 雑然とした物置部屋に見えたが、朱真が一つの道具棚の扉をあけ、箒などを取り出す。中で何やらごそごそしていたかと思うと、不意に埃臭い風がふわりと流れてきた。
「……よし。皆、こっちへ」
 朱真が棚の中から手招きした。
 道具棚を抜けた先は細い廊下が伸び、左右に分かれているが、朱真はそちらには目もくれず、向かいの部屋の扉に手を掛けた。少しだけ開けられた隙間から再び『人魂』と『夜光虫』が入っていく。
 『人魂』を通して視ていた折々が息を呑んだ。
「これは……? 魔法陣のような……?」
 琥珀とヴィクトリアが朱真のカンテラを頼りに、部屋へ足を踏み入れる――そしてぎょっとしたように立ち止まった。
 部屋の真ん中、直径三尺の円に何か文様のようなものが描きつけられ、等間隔に床に突き立てられた宝珠の短剣が、中心に置かれた箱を囲んでいる。その円の外で不気味にゆらゆらと揺れるヤジロベエ……
「……これ、まだあったのか……」
 どこか感慨深そうな声音で朱真が言った。光紀が目で尋ねてくる。
「寮長の話だと、その箱の中にはアヤカシになる寸前の瘴気だかアヤカシが入ってるんだってさ。突き立ってる周りの短剣は精霊力の込められたもので、瘴気と精霊力を計る実験だとか言ってたけど」
「……この短剣を抜くと、均衡が崩れてアヤカシが出てくるとでも?」
 面白そうに問う光紀に、朱真は『そう言ってたけど、真偽はわからない』と肩を竦める。後方班の折々、透子も興味深そうにそれを覗きに来た。
「何しろ、寮長が入寮する前からあったそうだから」
「ほう」
「何が出てくるかわからないものは、触らない方がいいわね」
 フレイアの言に朱真が大きく頷く。
 部屋の中には薄汚れた人形だの、黒い染みの着いた着物の切れ端だの、何に使うのかわからない道具だの、怪しいモノだらけだ。
 朱真は部屋の奥に行き、天井をじっと見つめ――溜息をついた。
「やっぱり梯子は取られてるか……」
「ここから行くのか? 荒縄は持ってるぜ?」
 朱真の隣で天井板を見上げていた琥珀が言うと、後ろから愛生も荒縄を持ってきた。
 ヴィクトリアが斧で天井板を突き外す。光紀が『人魂』を、透子が『夜光虫』を飛ばした。
「……っと!」
 光紀が声をあげ、驚いたように目を見開いた。
「地縛霊……? にしては、すぐ消えたが……」
 もう一度確認し、カンテラと縄二本を手にした琥珀が仁八に肩車され、上へ侵入する。縄を括り付けられそうな柱を探しているのか、明かりがゆらゆらと揺れていた。
「琥珀、あまり動きまわらねぇようにな」
「おー」
 仁八に琥珀の声が返る。
(朱雀は通ってるから当然として、玄武にも入ったことがあるけど、白虎はまた趣が違うね。同じ五行の、性質を同じくする寮でも、ずいぶん雰囲気が異なるのが面白いなあ……)
 そんなことを考えながら辺りを見回していた折々は、前を歩く平蔵が大きく傾いたように見えた。
「あっ、矢戸田様!」
「おっ!」
 折々と平蔵の声、同時にバキバキという音が響いた。
 腐っていたらしい床板を踏み抜いた平蔵の足元から、黒い瘴気が吹き上がり、平蔵に牙を剥く。彼が刀を抜く前に、愛生が『霊戟破』で弾き飛ばし、光紀の放った『魂喰』が消滅させた。
「いまのは式か……?」
「大丈夫ですか、矢戸田様!?」
 圭介が言いながら手を差し伸べる。
「ああ。すまん」
 平蔵は床下から足を引き抜いた。軽い切傷で出血している。
 圭介の『神風恩寵』で傷を治してもらい、礼を言ったあと、平蔵は床下を覗き込んだ。
「ふむ……壺を踏み割ってしまったらしい。……誰かのヘソクリか?」
 冗談交じりに言いながら、彼は割れた壺を掴み出した。が。
 灯に照らされたのは金銭ではなく、干からびた蟇蛙……。
「うげ……」
「……ほんとに古代の術を研究してたのか……」
 朱真が辟易したように呟く。
 超古代の術の一つで、怨念の強いモノを相食ませ、勝ち残ったものを式として使うのだというが……。
「この手の呪術は、術が破られると術者に跳ね返ると聞いたことがあるが……」
 光紀がぼそりと言う――どんな意図あってのものか知る者はなく――彼らはむっつりと黙り込んだ。
 そこへ、
「おーい。何やってんだよー?」
 天井から琥珀が覗いた。

 全員が二階へと上がる。
 フレイアが持ってきた鞠を部屋へ転がすが、何事もなく、それは一つの箪笥にあたって止まった。
「真ん中は何もないようですわね」
 隣室へ行くための扉付近の『地縛霊』に折々の『人魂』がぶつかる。だがそれは、光紀が言ったように不気味な影が立ち上り、すぐ消えた。
 あるいは、それは式同士がぶつかった故で、実際に人間が射程に入るとどうなるのかはわからない。
 だが、あきらかに新しく仕掛けられた『地縛霊』とは違う。
「長期的な罠として成功しかけているのか……? 一体どうやって?」
「特殊な符でも開発していたのでしょうか?」
「それとも式か何か複合的に使って……?」
 興味深そうに呟く光紀や透子、折々を促し、朱真はそっと扉を開いた。
「……! 危ない!」
 全神経を研ぎ澄ましていたヴィクトリアが、異様な音を耳にしたと同時に斧を振るい叩き落とすが、飛んできた矢の一本が彼女の腕を切り裂いて行った。
 更に飛んできた数本を、琥珀の『居合』がまとめて叩き折る。
 扉の向こう、非常に古典的ではあるが仕掛け弓が設置されていた。
 愛生が『浄境』でヴィクトリアを治療する間にも、前方班は先へ進んでいった。

 陰陽師の式は『心眼』では捉えられない。それでも仁八は部屋の入口では『心眼』で警戒しつつ、槌で床や壁を突いて罠の有無を確かめながら進んだ。白墨で床だの壁だのに印をつけ、手元の手帳にも書きこんでいく。
 ――まさか、二階に落とし穴はあるまいが、壁の向こうが部屋や廊下とは断言できず……油断はできない。
 殿を務めていた折々は、仲間たちが朱真の先導通りに進んでいることを確認しながら進む――複数職混合なら本来入り込んではいけない場所まで踏み込める突破力はある。だが、見てしまった、では済まないものが陰陽寮の暗部には存在する。彼女は仲間がそれらに触れることがないよう注意を払っていた。
 圭介が『術視』で警戒を促したのは次の部屋だった。
「もう、どれがというより、どれも、です……ううん……これ解術できるかどうか……」
「じゃあ人魂をぶつけて相殺してみましょうか」
「いや。それは連鎖反応を引き起こすやもしれん」
 頭を抱える圭介に折々が言う。それへ光紀が首を振った。
 おそらくどれか一つでも術が発動すれば一斉に何某かの術が引き起こされるようになっているのだろう。一つ二つなら陰陽師たちの研究の一助になるだろうが、術の媒体となっているであろう器物は、ざっと見ただけでも二十は存在する――これでは危険が大きすぎた。
「ではいっそ壁を作ってしまいましょう」
 フレイアが『アイアンウォール』を提案した。
 魔法詠唱のあと、圭介が術の塊だと評した箪笥群の前に鉄の壁が立った。反対側の箪笥群の前には透子が『結界呪符「黒」』を出現させ、彼らは部屋の真ん中にできた細い通路を進む。
「まったく……とんだカラクリ屋敷だな……」
 平蔵がうんざりした声をあげた。

 その部屋は一階へと通じる穴があり、その斜向かいに奥の研究室へとつながる狭い通路がある。これは一階から三階へ通じる階段の裏側に造られたものだ。引き戸で仕切られたそこを慎重に進み、全員が移った。
 フレイアが鞠を転がし、床に仕掛けられた罠がないことを確認した。
 ふいに、別の方向から家鳴りのような、ミシリという音がする。
 『心眼「集」』を発動していた琥珀が一体の存在を感知した。
「いた! 下の一番奥の部屋だ!」
 その時、部屋の奥に奇妙な形でぶら下がっていた人形が、何の振動によってかぷつりと糸が切れ宝珠のついた短剣に突き立った。
 ボン! という爆音が響き、人形が炸裂した。
「わっ!」
 思わず腕で顔を庇ったのは前方班の面々。
 爆発の衝撃が引き金となったのか、短剣の傍にあった別の人形の目が怪しい光を放ち、巨大な黒い蛇のような式が口から吐き出された。
 琥珀が『居合』で真っ二つに、ヴィクトリアの斧が更に分断すると、蛇は瘴気となって霧散した。
 また、爆風で弾き飛ばされた竹筒から飛び出た黒いケモノが後方班に襲い掛かる。
 仁八の『フェイント』でケモノが一瞬ひるむ、すかさず『巌流』で横殴りに吹っ飛ばしたのを、平蔵が叩き切った。
 その爆発の影響で割れた漆器から黒い液体が流れ、空気に触れた途端、蒸発とともに目と鼻に強烈な刺激が襲い掛かった。
「いかん、毒か! 皆、出ろ!」
 平蔵が叫び、鼻と口をふさぐと部屋から出るよう促す。
 狭い階段裏の通路を慌て戻り、引き戸を閉める。
 あちら側からでなければ天禅のいる部屋に行けないのだが……どうするか、と朱真が考え込む。
「……ん〜焙烙玉で壁を吹っ飛ばすか?」
 琥珀のあっけらかんとした言葉に、本気で頷きそうになったとき――

『何をしている』

 恐ろしく不機嫌そうな男の声がかかった。
 一斉に振り返った彼らの前にいたのは、爛々と目を光らせた巨大な白狐。
「――っ!」
 愛生が放った『烈風撃』をふわりと躱す白狐。
 得物に手を掛けた開拓者たちを平蔵が制止した。
「まて! 天禅の声だ! どこだ、天禅」

『下だ。……まったく、めちゃくちゃにしおって……』

 語尾にぶつくさと文句を混じえつつ白狐が言った――ように見えた。
「なあ、式って喋ったっけ?」
「……どうだったろう?」
 琥珀が傍にいた朱真に訊く。もっぱら体術が主の彼女は首を傾げた。



 彼らがやっとのことで外に――階下の廊下に戻ってきたときには、壮絶な仏頂面の五行王・架茂天禅が立っていた。
「天禅……」
 平蔵が怒りを含みつつもほっとしたように呟く。
 仁八がずい、と前に出た。
「おうおうおう、王さんよ、修身斉家治国平天下てえ言葉を知らねえのか。どんだけ御立派な御用事がおありだか知らねえが、天下だ国家だとえらそうな話をする前にな、手前に振り回された生徒やら家来やらに頭下げて謝れってんだ」
 天禅はじろりと彼を見たが口は開かない。
 仁八は全部言ってしまえと、続けた。
「王さんてのぁ国の道標だ。それが嘘をつくだの隠れるだのしたら、家来が有能でも何を信じりゃいいか解らねえ、烏合の衆になんじゃねえか。まともな道標も無しにここへ来た俺達よりもな、まともな道標の無え家来達ぁもっと困ってんだ。解ったかこのトンチキめ!」
「人を上手く使えば最小の時間で好奇心は満たせるだろ? 大量の情報を臣下に調べさせたり、そういった指示は王にしか出来ないことだ。わざわざ籠もるのは時間が無駄じゃねーか? 偉い奴にしか出来ないやり方あんのに、なんで他の奴と同じ事しかしねーんだ?」
 仁八から琥珀に目をやった天禅は、不機嫌そうな声音のまま全く関係のないことを言った。
「これは誰のだ」
 手にしていた鞠を袖から出す。
「私のですわ、架茂王。お久しぶりです。お元気そうでなによりですわ」
「……いつかの女か」
 天禅はフレイアへ鞠を放って寄越した。
「拾ってくださってありがとうございます」
 微笑むフレイアを一瞥した後、天禅は平蔵はじめ、開拓者らをじろりと見渡す――平蔵はどうやら、寮生や開拓者たちの言い分を止める気はないようだった。
「言いたいことはそれだけか」
「いいえ! あ……お久しぶりです。安達圭介です。お忘れかもしれませんが……」
「……覚えている」
 圭介がぺこりと頭を下げるのへ、天禅はぶっきらぼうに応える。
「あの……架茂王様は何故ここに籠もられたのですか? もし、何かをお探しであるとか、調べられているというのであれば何か私達に手伝えることありませんか。部外者に手伝えないなら、陰陽寮所属の開拓者に声をかけていただく方が効率的かと思います」
 圭介の言葉に乗じるように、透子が言った。
「青龍寮の鈴木透子です。ここで瘴気と精霊力に関する研究の一端を見せていただけたことに感謝します。……どうか、王様の研究に青龍寮生も協力させて下さい」
 青龍寮、と訊いて天禅の眉がかすかに動いた――だが、彼はますます口を引き結んでしまう。
「う〜ん……う〜〜〜ん。こういうこと言っていいのかわからないけど……折角の機会だから思い切って言う! あの、王様! もっと周りを頼ってください! 頼る人がいないのなら、わたしがそれになります! ……今はまだどこの馬の骨と思われてもしょうがないけど、俳沢折々という名前は覚えておいて損はないです!」
 そばかすの頬を赤くして叫ぶように言った少女を、天禅は唖然としたように瞠目し――じろりと見る。
 怒られると思ったか、折々は平蔵の後ろにびゃっと隠れた。
「……大層な口を叩く……平蔵、何を笑っている」
 不機嫌そうに言った天禅は、親友をきつく睨みつけるが、平蔵はにやにや笑って堪えた様子はない。
「……嬢ちゃん、あれは照れてるだけだ。気にするな」
 平蔵の影から天禅を覗き見ている折々に、彼は大きな声でこっそり言った。
「誰が照れているだと?」
 ますます不機嫌そうに眉根を寄せた天禅だったが、進み出てきた愛生に目を留めた。
「東房武僧、天青院と申します。失念しておりましたが、お腹は減っておられませんか? 宜しければどうぞ」
 合掌して挨拶した愛生は「雪だるま饅頭」を差し出す。
 食い物を粗末にしては罰があたるというのが天禅の信条である(らしい)。束の間、饅頭を見つめていた天禅は「もらう」と言って手を伸ばした。平蔵が黙って竹水筒を渡してやる。
 愛生は静かに続けた。
「王が調べておられるのは……朝廷より依頼のあった神器についてではございませんでしょうか? ……これは私の予想の域を出ませんが、その神器……八咫烏の操縦に関わる物なのでは? 起動してそのまま、操作する事も出来ぬと……あの様な大きな物がただ浮かぶのみとは考えにくく、八咫烏に関わる血族が未だ続いているのであれば、それに関わる遺物が有ってもおかしくございません」
 黙って饅頭を食べていた天禅は、水を飲んで喉を潤すと「ふん」と鼻を鳴らした。

「……八咫烏など知ったことか。私の標的は、東の大アヤカシだけだ」

 その、洩らされた言葉に――
 場が一瞬、静寂に包まれた。
「なん、だと……?」
 平蔵が血相を変える。
「東の……」
「大アヤカシ……?」
 さすがに開拓者たちも愕然として天禅を見つめた。
「待て、天禅! 一体だれが……」
「封陣院の分室長から内々に相談された……尤も」
 詰め寄る平蔵にぼそりと言った天禅は、あと一口残っている饅頭を見、愛生にちらりと目を向ける。
「朝廷側の事情は、そう『かも』しれん」
 天禅なりの饅頭への礼らしい――愛生は軽く一礼した。

 他の研究ならいざしらず……
 対、大アヤカシ――なればこそ、現在存在する陰陽師の頂点に立つ『陰陽師たる』この男にしか術は見いだせぬ。また、これを悪戯に外部へ洩らすわけにはいかぬと――。
 ゆえに天禅は平蔵にも言わず白虎寮に籠もったのだ。

「その研究はもうお済みですの? ……五行の新年はどのようなものかしら?」
 天禅の着替えを差し出しながらフレイアが艶然と微笑み、誘うような視線を向ける。
 だが――天禅は眉を顰め、ぼそりと応えた。
「五行の新年? ……どことも変わらぬ」
 どうやら三年前と変わらないらしい、フレイアは「ふふ」と笑いながら天禅を見つめる。
 注がれる視線に居心地の悪さを感じたか、天禅は饅頭を食べ終えると、平蔵に水筒を押し付け、
「あと一両日待て」
 そう言って踵を返す。
「架茂王、どうか青龍寮の開講を! 我々も術の開発に携わりたい!」
 その背に、光紀が強い意志を込めて言った。
 それは彼だけではなく、青龍寮生全員の願い――。
 天禅は足を止め、肩越しに振り向く。しばしの沈黙のあと、応えた。
「考えておく……」


 そして。
 約束通り、架茂天禅は二日後、白虎寮から出てきた。