|
■オープニング本文 ● 「雪、雪、この辺りにも温泉あったよね?」 「あったっけー?」 「あったよ、ほらあの美肌の湯って評判の‥‥」 「あーうん、なんかあった気がするー」 自宅の居間で佐保(さほ)家の姉妹、朱音(あやね)と雪花(ゆきか)が地図を広げて真面目な顔で相談中。そんな娘達の姿を台所から興味深そうに見ていた母親はくすりと肩を竦めると夕食の支度に戻った。 もう間もなく陽も暮れようという時間帯。 数日前から依頼の為に家を空けている佐保家の大黒柱、宗克(むねかつ)が戻る予定日まで後数日となったこの日、姉妹は予ねてより計画していた湯巡り甘味紀行を実行すべく作戦の詰めに取り掛かっていた。些細な事がきっかけで仲違いした父娘。あれからすぐ、タイミングを見計らったかのように長期間の依頼に出発してしまった父親の帰りを、姉妹は仲直りのきっかけにしたいと考えていたのである。 「んー。でも朱音ちゃん、この温泉は好評過ぎていっつもお客さんいっぱいだって話だよー?」 「それは却下っ」 自分で挙げたものの、人が多過ぎてはのんびり出来ないという理由で候補から外す事、これで何箇所目だろうか。 姉妹としてはたくさんの開拓者達を誘う事で自分達だけでは考えもつかない甘味を持ち寄ってもらおうとしているのだから、現地で遭遇する他人は少なければ少ないほど好ましい。 「どっかないかなぁ‥‥」 「う〜ん‥‥」 右にかくーり、左にかくーり、姉妹揃って首を傾げること三〇秒。 「よし、イオちゃんに聞いてこよう」 姉妹は開拓者ギルドに駆け込んだ。 ● 姉妹がギルドを訪れると、馴染みの職員・高村伊織(iz0087/たかむらいおり)は巫女装束姿の開拓者と楽しげに話しをしている最中だった。 「‥‥あれ?」 その巫女装束の少女に目を細め、不意に声を上げたのは雪花。 「穂邑ちゃんだ!?」 「え?」 そうして反応して見せたのは朱音と伊織と、名前を呼ばれた穂邑(iz0002)本人。 「わあっ、雪花ちゃんだ!」 「どーしたのー、すごい久し振りだー!」 「だよねっ、さっき神楽に戻って来たばかりだもん! うわぁ、早速雪花に会えて嬉しいよ!」 同じ年頃の少女達は両手を重ね合わせてきゃっきゃと飛び跳ねる。何度か依頼で一緒になった経験が有った以上に年齢の近い女の子同士は話も合うらしく、自然、新密度は増すらしい。少女二人がお互いの近況報告などし合っている間に、突然の賑やかしに目を瞬かせていた伊織は苦笑を漏らす事で気を取り直すと、朱音を呼んで来訪の理由を訪ねた。 「今日はどうしたの?」 「ぁ、うん! 実はね、あんまり人気のない温泉を何処か知らないかなぁと思って」 「人気の無い温泉?」 聞き返す伊織に朱音は自分達姉妹の計画を詳細に説明する。 「形としてはね、開拓者達の慰労会みたいにしたいの」 だから出来れば自分達以外の客があまり居ない場所で、気心の知れた仲間達とゆったり、のんびり、甘味と一緒という点に重きをおきつつ、日頃の疲れを癒す一時が過ごせればと朱音は言う。 「‥‥また贅沢な注文ねぇ」 伊織は笑う。 「開拓者を大勢誘いたいのは、まだお父さんと仲直りしていないからかしら?」 「うっ」 事情を知っている伊織の追及に朱音は素直に言葉を詰まらせる。そんな反応が可愛いと思うから、伊織も出来るだけ少女達の理想に合った温泉が無いかと記憶を辿ってみた。 と、そんな二人の話を聞くとも無しに聞いていて、思い当たる場所があったのは穂邑。 「それなら石鏡に一箇所知っているよ?」 「え?」 穂邑の言葉に姉妹と伊織は顔を上げる。 「人里離れているから普通の人には行けないんだけど、ほら、開拓者には龍が居るでしょう? 山の中に宿屋さんがあって、そこの女将さんが「日頃頑張っている開拓者専用」って決めて営業しているの。そこは温泉が一つしかないんだけど、すっごい広くてね。朝は女性、昼は男性、夜は混浴って決まっていて」 開拓者が居ない時には猿や熊、狼が利用しているとかいないとか。 「龍も入りたきゃ入っていいわよーなんて笑顔で言っちゃう女将さんなんだ♪」 穂邑はとても楽しそうに語る。 「其処なら予め連絡しておけば貸切も可能なんじゃないかな?」 「‥‥っ」 姉妹は拳を握る。 嬉しくて体が震えた。 「ありがとー穂邑ちゃん! 穂邑ちゃんも一緒に行こう!」 「え? あたしも良いの?」 「もっちろんだよ!」 こうして決まった湯巡り甘味紀行、朋友と一緒に石鏡の秘湯(?)へ行こう計画。 ギルドの掲示板に一枚の依頼書が張り出されたのは、それから間もなくの事だった。 |
■参加者一覧 / 天津疾也(ia0019) / 北條 黯羽(ia0072) / 櫻庭 貴臣(ia0077) / 神凪 蒼司(ia0122) / 犬神・彼方(ia0218) / 羅喉丸(ia0347) / 真亡・雫(ia0432) / 奈々月纏(ia0456) / 橘 琉璃(ia0472) / 那木 照日(ia0623) / 柚乃(ia0638) / 鷹来 雪(ia0736) / 久万 玄斎(ia0759) / 虚祁 祀(ia0870) / 巳斗(ia0966) / 天宮 蓮華(ia0992) / 奈々月琉央(ia1012) / 天河 ふしぎ(ia1037) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 巴 渓(ia1334) / 喪越(ia1670) / 花流(ia1849) / ルオウ(ia2445) / 喜屋武(ia2651) / 平野 拾(ia3527) / シエラ・ダグラス(ia4429) / 瀬崎 静乃(ia4468) / フェルル=グライフ(ia4572) / 倉城 紬(ia5229) / ペケ(ia5365) / 設楽 万理(ia5443) / 菊池 志郎(ia5584) / からす(ia6525) / 谷 松之助(ia7271) / カルナック・イクス(ia9047) / ジェシュファ・ロッズ(ia9087) / リーナ・クライン(ia9109) / 守紗 刄久郎(ia9521) / ベルトロイド・ロッズ(ia9729) / フェンリエッタ(ib0018) / アレン・シュタイナー(ib0038) / ルシール・フルフラット(ib0072) / ヴェニー・ブリッド(ib0077) / 尾上 葵(ib0143) |
■リプレイ本文 ――龍達が空を行く。 ● 「なぁんで自分の龍を連れて来ないの!?」 遥か上空、朱音が声を張り上げる背後で彼女の龍に同乗している巴 渓は屈託のない笑顔を零す。 「そう堅苦しい事言うなよ!」 「堅苦しいとかじゃなく‥‥ってドコ触ってんの!?」 しっかり捕まっていなければ落ちる危険があるため腰にしっかりと手を回されるのは仕方ないが、朱音も年頃の少女。ぎゅっとされれば狼狽するし、同時に娘の叫びを聞いて前方を塞いだのは奥方を同乗させている少女の父親、宗克だ。 「てめぇ俺の娘の何処を触りやがった!?」 鬼の如き形相で詰め寄れば龍達の翼が接触し掛けて朱音の龍が慌てる。 「きゃっ」 「うぉっ」 父娘の龍同士、最悪の事態は免れるけれど渓は更に朱音にしがみ付かざるを得なくて。 「きゃああっ、ちょ、ちょっと!?」 「てめぇさっさと離れやがれ!!」 上空で無理難題を押し付ける父親に頬を引き攣らせた渓。 「あのなぁ!」 体勢を立て直して胸を張る。さらしに鎧では抱き付かれても判らないだろうがそこには立派な膨らみ。 「俺は女だぞ!!」 「――」 宣言に父娘は目を瞠り。 「はああぁ!?」 揃って素っ頓狂な声を上げた。 そんな家族に、やはり背後に龍を同伴しなかった設楽 万理を乗せた雪花が声を上げて笑う。 「父ちゃんも朱音ちゃんもおかしー」 「家でもいつも賑やかそうね」 「うん!」 そんな家族が大好きだという気持ちが如実に伝わって来る少女の声音に万理も表情を綻ばせた。この家族の仲直りが目的と聞いていたが、気付けばあっさりと仲直りしてしまっているらしい。 「とても素敵ね」 「ありがとー。後は一緒に来てくれた姉ちゃん達にも楽しんで貰えたら良いなー」 「そうね」 のんびりとした雪花の言葉に応じるように、視線を四方に巡らせた万理は空を駆る四十頭以上の龍の姿に我知らず吐息を零す。 その光景は、あまりにも壮観だった。 「見事だね」 穏やかに微笑むからすが自分を乗せて飛ぶ鬼鴉の背を撫でて言うように。 「行き先が秘湯じゃなかったらきっと大騒ぎよね〜」 ヴェニー・ブリッドが意味深な笑いを交えながら呟くように、石鏡へ移動する龍の群は神楽の都に暮らす人々の間でその日一日を賑わす話題となるのだった。 ● 龍を駆ることおよそ半日。 到着した秘湯は此処まで飛んで来た龍を休ませる場所を確保している事もあって上空から見れば一目で其処と判る場所だった。 「さぁ、降りようか」 続々と仲間が降下していくのを見てカルナック・イクスが相棒に声を掛けると、同じく下降を始めていた開拓者と目が合った。喜屋武だ。 「お互い相棒には苦労させているな」 「ああ」 相手の苦笑交じりの言葉にカルナックも頷く。如何せん恵まれた体格をした男二人。相棒の様子を見れば自分を此処まで運んで来るのに相当の体力を消耗している事が伺えて、それは偶々彼らの話し声が聞こえたシエラ・ダグラスにも判った。 「今回の温泉で日頃の労をねぎらいましょう」 そう言う彼女も相棒に羽を伸ばして貰うつもりで参加した。 「楽しみですね、温泉も甘味も」 微笑みかけると男達は顔を見合わせる。 「残念ながら、甘味に関しては詳しく無くてな」 喜屋武が言えばカルナックも。 「俺もあまり研究していない分野だから力になれないかもしれない」 「研究ですか?」 シエラが興味深そうに聞き返す――そんな遣り取りをしながら降り立つ地上では先に到着した開拓者達の声が上がっていた。 「温泉! 甘いもの! 楽しみですねー! よもぎっ」 ぎゅっと龍の首に抱き付いて満面の笑みを零す拾や、出迎えに来てくれた女将に礼儀正しく挨拶から始める羅喉丸。 「やっほー。朱音ちゃんに雪花ちゃん、二人とも元気だったー?」 姉妹の姿を見つけたリーナ・クラインがそう声を掛けて歩み寄ると、二人と面識のある開拓者が続々と集まり始めた。 「お酒に合う甘味って聞いて来た人ですよね」 「うん! 真夢紀さん、あの時は力になってくれてありがとう!」 朱音は礼野 真夢紀の手を取って礼を言い、櫻庭 貴臣と神凪 蒼司はあの日と同じく二人並んで姉妹と再会の言葉を交わす。そして「雪ちゃんとは初めましてですね♪」と姉妹に白野威 雪を紹介した天宮 蓮華と巳斗が並べばまるで冬の森に綻ぶ花三輪。 「うむうむ、目の保養じゃの」とにんまり呟く好々爺・久万 玄斎には、ようやく休む体勢に入れた相棒・壮一郎が豪快に鼻を鳴らして呆れ顔だ。 そんな中で佐保家の大黒柱・宗克は以前に依頼で一緒した事がある那木 照日と虚祁 祀に気付いた。 「あの時は世話になったな! 相変わらず仲が良さそうで何よりだ!」 若いモンは良いとからかわれた二人は顔を見合わせて微笑い合うなど、面識が有る者同士は気兼ねなく声を掛け合い、一方初対面同士は自己紹介から始める。 「俺はサムライの琉央。よろしくな」 「巫女の穂邑です、此方こそよろしくお願いします」 「柚乃も、巫女‥‥よろしくね‥‥」 そう言って歩み寄って来た静謐な雰囲気の少女に穂邑は目を瞬かせる。 「とってもお綺麗な方なのです‥‥っ、まるで深い海の底に聳え立つジルベリアのお城のようなのです‥‥っ」 両手を重ねてうっとりと比喩する少女には琉央が失笑。 「穂邑は面白い例え方をするな。ジルベリアにも行った事があるのか」 「ないんです、残念ながらっ」 拳を握ってきぱっと即答、それで今の例えかと琉央が楽しげに笑えば柚乃の表情も綻ぶ。 「‥‥穂邑さん‥‥面白い‥‥」 「面白い、ですか‥‥っ?」 そう言われるような事をした覚えのない穂邑が困った顔になると、周りにも笑い声が広がり皆が一つの楽しさを共有する。 「温泉と甘味、二つ揃えば最高だが笑顔も加われば無敵だぁねぇ♪」 犬神・彼方が満足そうに語ると隣に寄り添う北條 黯羽も頷き、女将が同意する。 「皆様の笑顔が私共にとりましても何よりの喜び。お帰りになるその時まで皆様の笑顔が曇る事の無きよう努めさせて頂きます。――さぁどうぞ、お部屋へご案内致します」 女将と数人の中居が開拓者達の荷を預かろうと手を伸ばし順に館内へ。だが、その流れに逆らうようにジェシュファ・ロッズの相棒の影に隠れていたのがルオウだ。 (うー‥‥琉央の兄貴楽しそうだな‥‥) どことなく悲しげな目で、何かを堪えているような様子の彼に、ジェシュファとベルトロイド・ロッズはよく似た顔を見合わせた。往路は二人でベルトロイドの相棒の背に乗り、ジェシュファの相棒の背はルオウに貸した双子は生来の性格もあってすっかり彼と親しんでいた。 「大丈夫?」 ジェシュファに声を掛けられたルオウはハッとして我に返り「全っ然平気だ!」と豪語。しかしその脇をスッと通った尾上 葵。 「目が赤いぞ」 「っ!」 実際に目が赤いのを確認したわけでもなければ、からかうつもりも無かったのだが、言われたルオウは即反応。 「うっせぇ、俺は泣いてなんかないぞ! 全っ然平気なんだからなーー!!」 素直と言えばあまりに素直。判り易過ぎる反応に葵は虚を突かれ、双子も声を立てて笑う。 「俺達も行くぞ!」 ベルトロイドがルオウの背を叩いて促せば、その脇ではルオウの相棒、猫又の雪が目を細めて一つ鳴き。 「‥‥まぁ、のんびりとするさね」 アレン・シュタイナーが静かに呟いた。 ● 夕餉の時間までの自由行動。開拓者達は思い思いに時を過ごすが、温泉の利用時間が男性は昼、夜は混浴、女性が朝と聞けばほとんどの男性陣が温泉に直行したのは自然な流れで。 「おーこの広さ俺サマ級♪」 どぼーんと飛び込み湯柱を上げた喪越は湯に浸かって「う゛あ゛〜」と満足気に唸る。そもそも温泉行きを希望したのは彼の相棒・鎧阿だったが、その彼は背中に咲いた草花を森の動物達に好かれてしまっただけでなく、湯に浸かれば花が枯れるのではという指摘にいじけてしまったとか何とか。となれば喪越が楽しまなければ損である。が、直後に上がったのは批難の声。 「温泉に飛び込むな!」 喪越の湯柱のせいで頭から湯を被ったベルトロイドが喚く隣ではジェシュファが何が起きたのか判別出来ずに目を瞬かせている。 「チチッチアミーゴ♪ 温泉入るならこれぞ正しき入り方yo!」 「そんなわけあるかっ」 「で、でもベルトー、喪越さんは僕達よりずっと年上なんだし、僕達の知らない温泉の入り方だって」 「あるわけないだろーっ!?」 同じ湯に浸かりながら何となく双子の苦労を感じ取る一同。しかしと仰げば空には清々しい青色が広がっている。 「いや〜極楽極楽〜」 守紗 刄久郎の台詞は恐らくその場の全員の気持ちを代弁したものだったろう。 「先生と一緒に温泉なんて、嬉しいです。招いて下さった方々に感謝ですね」 湯殿の外周にいつも世話になってばかりの駿龍・隠逸と並び、その傷だらけの身体を洗いながら告げる菊池 志郎には橘 琉璃が難しい顔。 (良い湯ですねえ‥‥自分も紫樹の様子を見に行かないと‥‥) 自分の傍からあまり離れようとしない相棒が今頃どんなに心細い思いをしているかと思うとあまりのんびりもしていられない気がする琉璃だ。龍も入れるくらい大きな温泉と聞いて来たが、其れもどこまでが真実かと尋ねた羅喉丸に女将は笑ってこう答えた。曰く「龍が入りたがるのでしたらどうぞ御遠慮無く。ですが湯が汚れては困りますから先に洗って差上げて下さいね」と。 つまりはそう言うことである。 「せっかくの温泉だ。頑鉄、おまえも入るか」 羅喉丸の問い掛けに頑鉄は長い首を巡らせてしばし思案顔、その内にゆっくりと左右に首を振る。自分の巨体を相棒に洗わせるのは気の毒とでも思ったのだろうか。代わりにその場で翼を一扇ぎ。 「!」 故意に起こされた突風に男達は驚くが、風に巻き上げられた湯は空から落ちる温かな雨となる。 「くーっ」 顔を洗い、手櫛で髪を弄れば全員が水も滴る良い男。 「なかなか粋な事をしてくれる」 喜屋武が笑みと共に呟く傍らでは、自分達の頭上にも等しく降り注いだ温水に目を細める龍達の姿。 「これなら我も剛を此処まで連れて来てやるべきだったか」 谷 松之助の呟きに「まったくですね」と琉璃が苦笑する。対して相棒を連れて来ていた双子は大喜びだ。 「よし、俺はパビェーダの背中を流してやるぞ!」 「僕もヴェーチェルの背中を流してあげたいな」 我先にと湯殿を飛び出す子供達に大人達は笑った。 「若さと言うのは良いのぅ、わしなど此処で酒も飲めれば文句はないんじゃが」 「ははっ、違いない」 玄斎に刄久郎が応じ、葵が頷く。 「ならば夜にでも一杯やるか」 「お、いいのぅ」 「だが不埒な真似をすれば遠慮なく斬るぞ?」 「ほっほっほっ」 意味深に笑む葵に好々爺は陽気に笑う。どちらも何処まで本気なのか。――と、そこに聞こえて来る賑やかな声。 「温泉ってホカホカして気持ち良いよね。みんながどんな甘味を持って来るかも楽しみ‥‥って、べっ別に僕、甘い物とか好きなわけじゃ、無いんだからなっ!」 「良いと思うよ、甘い物が好きでも。僕は大福が好物だし」 「そ、そうか?」 「ええ」 天河 ふしぎと真亡・雫がそんな話をしながら近付いて来る。双方細身で華奢な体格。龍の積載量を考えた結果、雫ならばふしぎの龍に同乗出来るだろうと話が纏った事もあり、道中すっかり親しんだ様子の二人は‥‥何と言うか。 「そっか、ならまずは温泉から楽しもう!」 ふしぎが納得して上着に手を掛けた瞬間、何故か温泉の方から慌しい水音が連鎖する。何事かと見遣れば湯に浸かっていた男達の半数が彼らに背を向けていた。 「なっ‥‥」 目を瞠るふしぎと、空笑いを零す雫。 「待て! 何で背中を向けるっ? 変な期待するな、僕は男だっ!!」 ふしぎが喚くも其れは全員が承知している事実で今更だ。‥‥そう。誰もが判っている事だが仕方あるまい。何せこの二人、どうにも可愛過ぎるのだから。 ● 温泉に入れない女性陣も夕餉の時間までは自由行動、自然と数人の集まりが出来て各々で盛り上がる。 「ペケ、混浴に初挑戦です!」 「まぁ‥‥ペケさんは混浴に‥‥」 中でもペケやフェンリエッタのグループは温泉の話題で盛り上がっていた。 「星見湯には惹かれるけど‥‥混浴は‥‥」 思案していたフェンリッタは、しかし左右に首を振る。 「ダメ、絶対ダメ」 どんな時でも淑女云々と独白の世界に入り込んでしまったフェンリッタに、ルシール・フルフラットは苦笑を交えて口を開く。 「私も出来れば殿方とご一緒するのは控えたく‥‥しかしながら綺麗な星を仰ぎ見ながら入る温泉には格別の良さがあり、故に入るならば夜に入りたいと思うのです」 「良いですよね、星見湯」 ぽつりと同意を示す瀬崎 静乃はちらりと傍に座る倉城 紬を見遣った。と、同時にその視線を感じ取った紬は目を瞬かせた後で両手を前に。 「いえっ、私は混浴は謹んで遠慮させて頂きますから‥‥!」 手と首が一緒になって左右に振れる様からは相当焦っている事が見て取れて、静乃やルシールも決して無理強いはしない。 「ええ。タイミングが合えば朝は御一緒しましょう」 「は、はい‥‥っ」 真っ赤な顔を俯かせながら応じる紬へ。 「私も朝にだけ入浴するつもりでいますし」と起伏のない声音ながらも気遣う言葉を掛ける花流や、微笑ましそうに見守るフェルル=グライフ。 「私は皆さんと一緒に入浴という経験がほとんど無いから、そういう意味ではとても緊張するけれど、ずっと働き詰めだったし息抜きには丁度良いかな」 「うん! 温泉はいいですよねぇ‥‥でもひろいとしては、ばんごはんのあとの甘味も楽しみなのですっ」 声に出して頷く拾と、無言で頷く柚乃。 「そういえば‥‥朱音さんや、穂邑さんは、何処に行かれたのでしょう‥‥?」 小首を傾げて周囲を見渡すも目の届く範囲に姿は見えず、ならば何処かと言うと、実は真夢紀やリーナと森を散歩中だった。 「甘いけれどほろ苦くて、流水にさらさないと、とてもじゃないですけど食べられませんから」 真夢紀が指して言うのは今宵の夕餉のために彼女が持参して来た夏蜜柑。今回のためにわざわざ実家に立ち寄って収穫して来てくれたのだと言う。 「やや厚めに切った夏蜜柑の皮を砂糖と一緒にしばらく煮込み、一昼夜乾燥させたものをちぃ姉様が甘口の酒や果実酒を飲む時に摘まんでいたのを思い出しまして」 「それって、皮を?」 恐る恐る聞き返してくる朱音に真夢紀は頷く。 「じゃあ実はー?」 「大抵はほぐして皮と一緒に煮込みます」 雪花の質問にはそう返答。前回この姉妹と関るきっかけになったのが「酒に合う甘味」だった事を真夢紀は忘れていなかったのだ。最も、今回は煮込んでいる時間が無いから夏蜜柑をそのまま食べられるよう冷やすべく川に向かって歩いていたわけで、同行者の中にはリーナの姿もある。 「でも、あれだけの開拓者が二人のために集まってくれたなんてびっくりだねー」 「ほんとだよ! 流石にこんなに集まってくれたのは嬉し過ぎる予想外だったもん!」 「だよー」 大きく頷く姉妹に穂邑も楽しそうに笑った。 と、不意に森の奥から聞こえて来る声。少女達は顔を見合わせると、誰ともなしに其方へ歩を進めた。そうして見つけたのはアレンが傍らに相棒を休ませながら剣を振る姿だった。 「おー、こんな所に来てまで修行を忘れないなんて、兄ちゃん騎士だねー」 間延びした声音ながらも素直に感動しているらしい雪花の声を受け、アレンも手を止めて少女達を見遣る。その拍子に白銀色の髪がさらりと揺れる様には穂邑が「ほぅ‥‥」と感嘆の吐息。 「‥‥なんだ、生粋のジルベリア人が珍しいか?」 すぐ傍にもいるだろうにとリーナを指し示せば穂邑はこくこくと二度頷く。 「女性の綺麗はきゃっきゃっしたくなるんですけど、綺麗な男性には魅入ってしまうものなのですっ」 「そ、そうか」 「まぁ」 力説されて反応に詰まったアレンと、楽しそうに笑うリーナ。その内にアレンの視線は真夢紀が持つ夏蜜柑に移り「‥‥林檎も甘味に入るのか」と問わせた。 「林檎?」 「ああ。甘味持参と聞いていたのでな。何にしようか考えて林檎にしたんだが」 「あは♪ 勿論だよ!」 姉妹は笑う。その気持ちが何よりも嬉しかったから。 ● 「ではでは皆様、御手を拝借!」 朱音の音頭に開拓者達が手に持ち掲げる盃の数々。大宴会場、椿の間にずらりと並んだのは旬の食材をふんだんに取り揃えた饗宴の膳。 「今日は皆で思いっきり楽しんで! 明日からは心機一転、開拓者仕事に精を出そうね! かんぱ〜いっ!!」 「「「乾杯!!」」」 大広間に響く全員の声が宴の始まりを告げた。 刺身に煮物、焼き物、蒸し物、そして甘味。旅館の料理長らの好意で幾つもの大皿に見た目麗しく並べられたそれらは全て開拓者達が持ち寄ったものだ。 「黯羽がみたらし団子なぁら、俺は三色団子ってぇな。こう、甘くて素朴というかぁなんというか‥‥シンプルな甘味って感じでぇ好きだぁねぇ♪」 「へぇ? 東西南北広しと言えど俺のみたらしに敵う甘味があるものか?」 不敵に笑い合う黯羽と彼方が持ち寄った団子の横には、柚乃、志郎が持ち寄った団子も並び、それらの一つを手に取って唐突に歌い出したのは喪越。 「うーふーふーふーふー」 ぎょっとなる少女達に「ヘィ、YO!」とウィンク一つ。 「こんなのをご存知かな? てれれれってれ〜♪ いきなり団子〜!」 反応皆無で目を瞠る朱音達に得意気に説明を始める彼は、輪切りしたサツマイモに餡子を乗せると、小麦粉を練った生地で包んで中央に用意されていた包子用の蒸し器の中へぽんと放る。 「しばらく待ったら完成さ☆ ちなみに団子の正しい食べ方はこれを‥‥こう!」 「あ!」 蒸し器の中から取り出したばかりの包子を掌の先端に乗せ、その手前を逆の出て叩き勢いで飛んだ団子を口でキャッチするという説明をする喪越だ、が。 「うむ、美味である――って、熱ィィッ!?」 「喪越さん‥‥」 ほろりと涙ぐむ少女達。 「ほら」と後方から冷えた酒を出してやるのは葵だった。 他にも大福や練り切り、桜餅などが並ぶ皿を前に貴臣と蒼司がどれから食そうか迷いつつも目で甘味を楽しむ傍で、甘味が無かったからと持参した甘酒を仲間達に瞬時に飲み干された羅喉丸は豆菓子や黒糖を口に運ぶ。 「甘さ控えめですので男性の方も食べ易いと思います」 「ああ、確かに」 豆菓子を持ち寄ったのは蓮華の説明に納得する羅喉丸。佐保家の大黒柱も先ほどから手が止まらない様子で姉妹に食べ過ぎだと叱られているが、それでも互いに笑顔だから親娘はすっかり仲直りしたのだと思う。 「蓮華ちゃんのお菓子、大人気で嬉しいですね‥‥」 呟いた雪が見遣る先にはつい先程まで確かに巳斗が居たはずなのだが、今は無人。辺りを見渡せばジルベリアの菓子が並べられた皿の前に陣取っている友人の姿があった。 コンポートにタルト、ハルヴァー、カステラ、ブリヌイ、ケーキにパイ、クッキー。ほぼジルベリア出身者の手作りで揃えられた皿に彩りを加えているのは適量散らされているドライフルーツ。 「どれもとても美味しいのです‥‥っ、美味しくて幸せなのです‥‥っ」 正に嬉し泣きという表現がぴったりな巳斗の様子には雪と蓮華が顔を見合わせて微笑み合った。 「紬さんの梅の果肉を使ったお菓子もとても美味しいです」 静乃の言葉に「ありがとうございます」とはにかむ紬。 「葛餅です。黒蜜でどうぞ」 「おや、かたじけない」 花流が持参した葛餅を受け取ったからすは、ならば御礼にとお茶を一つ。そんなからすは甘味も提供しており、こちらはチョコレートを多少加えたどら焼きの改造版である。甘味の中には口直しも兼ねた林檎やぽんかん、夏蜜柑。 そして栗のシロップ漬け。 「なるほど、これがカルナックさんの研究した成果ですね」 シエラがまじまじと甘味を見つめながら言う台詞にカルナックは失笑する。 「研究成果と言われるのも些か気恥ずかしいが、渋皮を剥いたりシロップの濃度を徐々に変えたりする手間が楽しくてね」 保存も利くし便利で美味しいと語る彼に勧められて一粒を口に。 「美味しい、です」 シエラのその言葉は何よりの労いだった。 楽しい宴の時間は皿の上から甘味が消える勢いに負けず劣らずあっという間に過ぎていく。凄まじい量に全部食べ切れるのだろうかという琉璃の懸念が幸いにも杞憂に終わろうとしている中、自分のために考えて作ってくれた祀の手作り羊羹最中を堪能していた照日は彼女に耳元で囁かれた。 「‥‥皆が食べている間に、温泉、行こうか?」 「っ‥‥う、うん」 二人はこっそりと宴会場を抜け出した――。 夜闇に瞬く満天の星。 祀が特別な姿で背中を流してくれると言うからしばらく一人で湯に浸かっていた照日だが、だんだんと鼓動が早まるのを自覚せずにはいられない。 「あわわ‥‥どきどきします‥‥」 更に首まで沈んで、吐息が湯面を泡立たせる‥‥と、其処に。 「照日」 「! ‥‥――」 呼び掛けられてどきっとし、深呼吸を一つ。ゆっくりと振り返った照日が其処に見たのは巫女袴姿の恋人だった。 「わ‥‥その衣装‥‥」 「うん‥‥着てるの見たいって言ってたから‥‥似合う、かな?」 「っ‥‥」 照日は何度も頷く。言葉が声にならないからせめて気持ちだけは伝わるようにと何度も、何度も。 「‥‥っ‥‥とっても、似合うよ‥‥」 ようやくそう告げられたなら祀がはにかむ。それはとても嬉しそうに。 「背中、流すよ」 「え‥‥でも‥‥」 「ね?」 お願いと言われれば照日に否はない。それでも遠慮がちに湯から上がり背中を向ければ、不思議と緊張感が増す。見えないからこそだろうか。背中に彼女を感じるたび、照日は言いようの無い甘い痺れに襲われるのだった。 ● 食事を終え、混浴になった星下の温泉は賑やかだ。 「みーくん、雪ちゃん、あそこのお星様達を繋げたらまん丸のお饅頭みたいに見えませんか?」 「うん、見えるね!」 蓮華と巳斗が笑顔で言い合う内容に、雪は静かに微笑む。混浴には抵抗もあったが親友二人と一緒である事、蓮華が湯着を用意してくれた事、更には相棒の龍達が他の皆から見えぬよう壁になってくれている事もあって雪の胸中はとても穏やかだった。 そんな龍達の向こうからは、特に二次会が始まって以降笑い声が絶えない。 「では次の質問で〜す♪ 貴方がグッと来る異性の仕草は?」 ヴェニーが堂々と一糸纏わぬ裸身を晒すなど、この状況に男達は焦ったものだが、からすやペケと続く女性陣がいたって普通。 シエラに至っては、むしろ一番の危険人物になりそうで気にし過ぎる方が妙と気を取り直す事にした男性陣だ、が。 「いやはや、昨今の娘御は成長したもんじゃのう」 笑顔を崩さない玄斎の場合は如何なものか。 「‥‥その発言は取り締まるべきか?」 「やるなら手伝うが」 「ほっほっほっ、楽しい時には素直に楽しむが吉じゃ。ほれ」 葵、琉央と些か低めの声での発言に好々爺は屈託無く笑うと二人に酒を勧め、これは素直に受ける若者達。それでも相手の発言の裏を読まずにはいられない。 「食えないじいさんだな」 「お互い様じゃ」 「だよね! 葵には初めて会ったけど、二人とも何か底知れないものを感じるよ」 ふしぎに妙なところで同意されて苦笑する青年達は、からすが近付いてくる事に気付いてそっと視線を逸らした。男としての礼儀である。 「どうぞ、一献」 「おお、ありがたいのう」 玄斎に酌をした彼女は、続いて葵や琉央にも。 「ふむ、なかなかの紳士だな」 「‥‥その褒められ方も微妙だな」 「まったくだ」 そうして笑いが起きる。 「ではまたまた次の質問だよ〜♪」 ヴェニーの陽気な声が上がり、其方からも笑い声が響き渡り、しかし一人沈んでいたのはルオウだ。 (‥‥兄貴‥‥) 一緒に来る予定だと聞いていた兄の恋人が急用で来られなくなったと知った時、もしかしたら話し掛ける機会を得られたのかもしれないと思ったけれど、結局は変わらない。 「うー‥‥」 ぶくぶくと顔の半分まで湯に浸かった少年は、ふと相棒の瞳が自分を見ている事に気付いた。 「! なんだよ別に拗ねてなんかないっての!」 『寂しいなら寂しいと素直に言えば良いのに』 相棒に言われて笑われる。 「からかうなよ、おまえ生意気だぞ!」 バシャバシャと湯面を叩きながら苦情申し立てる少年に、猫又はやっぱり楽しげに笑うのだった。 「‥‥男の人達が視線を外すのは、やっぱりこの傷痕が目立つからかな‥‥?」 腹部に残る大きな傷痕を両手でさすりながら呟くペケに。 「それは違うと思いますが‥‥」と応じたシエラはチラと男性陣の方を見ては慌てて顔を背ける。 (はぁぁあ‥‥み、見ちゃ駄目です見ちゃ‥‥) 自身に言い聞かせつつも、無意識に視線が――。 (ダメダメダメダメ‥‥っ) 己の葛藤と戦うシエラ、とうとう息まで荒くなって来た。そんな彼女に「大丈夫ですか?」と声を掛けたのは、蓮華から湯着が有る事を聞き、それを着て戻って来たルシール。相棒のシャルルマーニュも一緒だ。 「苦しくなって来たのなら上がられた方が‥‥」 「そ、そうですね‥‥」 些か動揺しつつ、シエラ。 その時だった。 ――‥‥ 静かな音楽が聴こえて来る。 風に乗り、木々を揺らす穏やかな旋律はまるで子守唄のように優しく、ルシールは相棒を振り返って微笑った。音楽が大好きな彼が嬉しそうに瞳を細めていたからだ。 同じように、雫が一緒に湯に浸かっていた人妖の刻無も表情を綻ばせる。 「マスター。夜空を楽しむ、判った気がします」 「そう?」 「はい‥‥とっても綺麗、です」 「ん。そうだね」 一つ一つ、ゆっくりと成長していく相棒が頼もしく、また愛しいと思う雫。 「‥‥綺麗だな‥‥」 温泉の隅、ふしぎが夜空を見上げて呟いたその一言が今一番この場に相応しい言葉だったかもしれない。 「‥‥先生、聞こえますか?」 志郎の問い掛けに隠逸は静かに鳴く。聴こえて来る旋律の邪魔をしないよう、静かに。温かな格好をしての夜の散歩途中、彼らは足を止めて何処からともなく届く音色に耳を澄ます。 ラフォーレリュート。 音色の源はフェンリエッタ。 「よもぎ、おいしいですか?」 拾は彼の頭上から問い掛ける。甘いものが大好きで、自分を姉のように慕ってくれる龍の子は今とても幸せそうで、それが嬉しい。 「あ‥‥」 不意に、リュートの音色に重なった龍の声。 その響きは森を包み込むように広がるそれはフェンリエッタの龍キーランヴェルだ。 「‥‥こういう夜も良いですね」 琉璃の言葉に鳴く紫樹の声も旋律に乗る。 「剛よ、美味いか?」 松之助の問い掛けに頷く剛も、鳴く。 「龍達の合唱ってか?」 からかうように言う渓に朱音が「しぃっ」と人差し指を唇の前に立てた。 宴会場に残っていた刄久郎、アレン、そして穂邑の動きも止まり、外から聴こえて来る美しい音色に耳を澄ます。 「あ‥‥」 不意に穂邑が気付いた、空から舞い降り始めた白い結晶。 「‥‥雪か」 「これはまた風流だなぁ」 アレンが言い、刄久郎が微笑いながら盃を傾ける。 「温泉に、雪に、龍達の歌声‥‥うさぎさんも一緒で、とても素敵ですね」 笑う穂邑の視線は、アレンが器用に切っていた林檎にあった。赤い皮が兎の耳を模したそれを、アレンは穂邑の手に乗せる。 「せっかくだ、俺達も雪見風呂といこうか」 「お、いいねぇ」 アレンの提案に刄久郎が賛同する。勿論穂邑や、姉妹も。 またこれから人が増えようという温泉の隅で静かに湯を楽しんでいた貴臣と蒼司は、不意にどちらともなく視線を重ねた。 楽の音が影響したのかもしれない。 紡がれる呟きは常では言えぬ思い。 「出来れば、ずっと変わらぬ関係でいたいもの、だな‥‥」 「‥‥変わらないよ」 蒼司の言葉に貴臣が応じる。 年齢と共に変わってしまったものは沢山あるけれど、二人が従兄弟同士であるという事実は変わらない。その事実一つで、これからも信じられるものがある限り。 「きっと、変わらないんだ」 誓えると思った。 この、美しい夜になら。 ● 翌朝、外は一面真っ白で。 フェルルは浴衣の上に半纏を羽織ってもまだ寒い外気に体を縮めながら温泉へ向かう。 「この時間なら‥‥きっと誰も居ないのではないかと‥‥」 人前で肌を晒す事に慣れていない少女は、例え相手が同性でも緊張を強いられる。脱衣場から温泉の中を見渡し、誰も居ない事を確認してから温泉へ。 「‥‥っ、寒い、です」 それでも体を洗わねば湯に浸かっては失礼と思えばこそ、寒さに耐えた。 そうしていざ入浴という段階になって初めて気付く、湯気の向こうの人影。 「わわわ、上がりますねっ!」 慌てて足を引き脱衣場に戻ろうとするフェルルを、影の主は「何故?」と呼び止める。 「遠慮せずに入れば良いわ。とても気持ち良いもの」 「‥‥そのお声は、花流さん‥‥?」 「ええ」 淡々と応じる彼女は「それに」と湯気の向こうを指し示す。 「他にも先客はいるし」 誰だろうと目を凝らしてみれば雪がいた。とは言え焦点が定まっているのかも心配になるくらいぼぅっとしており、フェルルは不安を覚えた。 「雪さん‥‥?」 「きっと低血圧なのね」 「そういうことですか‥‥」 花流の言葉に納得したフェルルは、同時に寒くて体が震えた事で自分の状況を思い出す。 「っと、で、では、お邪魔しますね」 そっと足を差し入れ、全身浸かれば程好い温もりと心地良さに包まれる。 「わぁ‥‥」 フェルルは顔を綻ばせた。 朝風呂に浸かりに来る開拓者は次第に増え、近眼でめがねを外すと周りが見えなくなる紬の手を引いた静乃がやって来たのは朝靄も晴れた頃。 「大丈夫ですか?」 「え、ええ‥‥ご迷惑をお掛けします」 「迷惑なんかじゃありませんよ」 こうして役に立てる事が嬉しいのだと告げた静乃は、一緒に来た相棒にも微笑みかける。そうして、二人でお互いに背中を流し合い、湯船に。ツンデレの相棒は溜息を吐いて仕方無さそうにしながらも、紬と静乃が二人で会話し始めると無理矢理其の間に首を挟むなど、可愛らしい一面を覗かせていた。 「心身癒されるね‥‥雪もシンシン‥‥」 「ふっ」 柚乃の呟きには万理が笑う。 「今の、もしかして洒落かしら」 「‥‥?」 どうやら無意識だったら柚乃が小首を傾げると「ごめんなさいね」と万理は手を重ねる。それにしてもと思うのは相棒、忍犬の吉良だ。機会があれば一緒に温泉に浸かる事も考えていたのだが、どうやら温泉の湯は彼には熱過ぎたらしい。 「あんなに嫌がらなくても良いのにね?」 「??」 同意を求められてもよく判らない柚乃だったが、どちらも気にしないのは性格故。だから彼方の戯言も気にならない。 「いいねぇいいねぇ、眼福ってもんだぁねえ♪」 女の子の柔肌、白い肌。いつもは隠れている細い首筋や鎖骨のラインも今は髪を結い上げているおかげで惜しげなく晒されていて――。 「‥‥ちょいと旦那」 「おぅ?」 耳を引っ張られて強引に視線を戻された彼方の至近距離には怖い顔をした黯羽。 「幾ら俺があしらっているからって、妻の目の前で他の女に見惚れそうなのはどうかと思うぜ?」 頬を膨らまして言ってやれば、彼方はそんな彼女の反応すらも楽しんでいる様子。 「拗ねるなぁよ、黯羽」 「ふんっ」 楽しまれてしまっては黯羽だって素直に折れたり出来ないだろう。 「いいんだよ、別に。そんな事になれば旦那と俺の龍に後で陽性の愚痴を零してやるだけだから」 ね、と言いたげに彼方を睨むのは黯羽だけでなく相棒の黒狗もだ。 この二人にそう来られては流石の彼方にも勝目はなく。 「もうそんな目でみるなあぁもう悪かったって! お前らが一番だってぇばー!」 「!」 湯の中に黯羽を押し倒さんばかりの勢いで抱き締める彼方。 「ん、やっぱこの触り心地が最高だぁねえ」 満足げな彼方に眉を吊り上げる黯羽は、けれど頬が赤く染まっていた。 甘味と温泉、戦いの日々の合間のささやかな小休止。 今日という日が良き思い出となれたなら、いま正に迫り来ようとしている戦もきっと乗り越えられるだろう――‥‥。 |