明日も天気に――
マスター名:月原みなみ
シナリオ形態: ショート
EX
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2015/04/11 04:41



■オープニング本文

 ● 尊き日々

 戦は起こり、開拓者達の血と涙の果てに終結し、一つの『答え』が示された。
 それは決して終わりではなく、むしろ始まりの光り。

 此処が新たな出発地点。


 ***

 春、だ。
 風は花の匂いをふわりと広げ、暖かな日差しは包まれているように感じるほど優しい。
 そろそろ名所と呼ばれる場所では桜が咲き誇り、花を見ながらの楽しい宴会が催される時期だ。
 かと言って遊んでばかりいられないのが開拓者達で、ギルドの依頼掲示板には相変わらず対アヤカシの救援依頼が張り出されているし、一方、街を歩けば商人達の陽気な客引きの声が聞こえ、子供達の元気な笑い声が往来に響き渡る。
 決して平和だけが世界を覆っているわけではない。
 しかしこの代わり映えのない日常の姿が、開拓者達にとっては――。
 

 ――……ああ、よかった……

 守る事が出来て良かった。
 帰って来られて良かった。
 そう思える事が、良かった。

 皆が日々を生きていく。
 今日のため。
 明日のため、未来のため。


「さて……、今日は何をしようか」――。



■参加者一覧
北條 黯羽(ia0072
25歳・女・陰
柚乃(ia0638
17歳・女・巫
リエット・ネーヴ(ia8814
14歳・女・シ
ルシール・フルフラット(ib0072
20歳・女・騎
アイリス・M・エゴロフ(ib0247
20歳・女・吟
ケロリーナ(ib2037
15歳・女・巫
ヘイズ(ib6536
20歳・男・陰
ウルスラ・ラウ(ic0909
19歳・女・魔


■リプレイ本文

 ●北條 黯羽(ia0072

 五行、結陣。
 一族への挨拶を済ませた黯羽が立ち寄ったのは商いで賑わう大通りだ。
 商魂逞しい店子達の客引きの声に誘われて中を覗き、あれこれと勧められるも「あいつのイメージじゃねェしなぁ」と頭を掻いては「悪い」と一言投げて店を後にする事、既に四度目。
 それでも楽しそうなのは、待ってくれている人達に土産を買って帰りたいと思うからだ。
 と、その時。
 周囲を物色していた黯羽の足に何かがぶつかり、下を向いた直後に今にも泣きそうな子供の目線とぶつかった。
「……ふぇ……っ」
「笛?」
「ふぇ……うぇぇっ、おかあちゃああああああ!」
 あぁつまり迷子か、と。
 大泣きする子供の様子からそれを察した黯羽は、まず周りを確認した。
 これだけ大きな声で泣いていれば親が気付くかもしれないし、親でなくても顔見知りの誰かが声を掛けに来るかもしれないからだ。だが、そんな素振りを見せる者は誰一人なく、心配そうな顔を浮かべてはいるものの口を挟むべからずと言わんばかりの――。
(俺が母親だと思われてンのかね……)
 子供は泣き続けているし、親らしき人影も見当たらないし、このまま放っておくわけにもいかないから。
「よし、坊主、名前は?」
「! わ、わぁっ、たかい! たかい!」
 突然の抱っこに驚いて泣き止んだ子供は、黯羽の肩に乗せられた事で見えた景色に涙も忘れてはしゃぎ始めた。
「すごいっ、たかい!」
「怖くないか?」
「こわくない!」
「上等」
 黯羽は口の端で笑うと、再度「名前は?」と問いかけた。
「へーた!」
「へーたか。歳は?」
「とし?」
「あー……いくつだ? 何歳、か」
「三歳!」と言いつつ指は四本立っている。とりあえずそのくらいの幼子だ。
「お母ちゃんと何処ではぐ……いなくなったか判るか? きっと心配してンぜ?」
 判らないと言うように首を振った幼子は、小さな声で「おかあちゃん、さみしい」と呟きながら黯羽の頭に抱き着いた。
 其処から伝わるのは温もりばかりではなく、子供特有の小刻みな心音――。
(あったけェな……)
 ずっと触れていたくなる心地良さに酔いそうになりながらも、黯羽は幼子を肩車したまま歩き出した。
 とにもかくにも親を探さねばなるまい。
 何処ではぐれたかも判らないなら猶更だ。
「おかあちゃん、どこーっ?」と幼子に声を出させながら黯羽は周りを注意深く観察する。
 幼子の体力を考えても、そう離れた場所から一人でやって来たとは考え難く、親も近くにいるはずなのだ。
 人の動き、空気の流れ、子供を探して慌てているだろう気配。
「……お。お母ちゃんってあの人か?」
「おかあちゃん!!」
 青い顔で走り回っている女を指差せば幼子は大声を上げた。
 必死の呼び声に気付いて走って来る母親に挨拶を済ませ、幼子を肩から降ろせば親探しは無事完了。
「もう一人になンなよ?」
 ぽん、と小さな頭を撫でてやる、と。
「うん! ありがとう、やさしいこね!」
「こ?」
「す、すみませんっ、私がいつもそうやって褒めるので……っ」
 なるほど親の真似をしているのかと納得する黯羽に、幼子は続ける。
「おねえちゃんはひとりでだいじょうぶ?」
「ああ。俺も家族ンところに帰るから一人じゃねェし」
「そっか、じょーとーだね!」
 上等、と。
 こんな短い間ですら黯羽の言葉を真似てしまう子供の吸収力に驚かされて、……微笑ましくて。

 遠ざかる母子の背中を見送りながら煙草を吹かした。
 紫煙を燻らせながら、先ほどの温もりを思い出して浮かぶ笑み。
「子供、か」
 近い内に自分も……とは思う。
 だが、今は。
「さて……さっさと土産を選んで帰ンぜ、な?」
 誰にとも聞かれぬ言葉を空に投げかけた黯羽の、家路を行く足取りは、いつもよりほんの少しだけ緩やかだった――。


 ●柚乃(ia0638

 用意するのは招待状。
 歴史の一区切りに「お疲れ様でした」と、今後の親交を込めての「よろしくお願いします」を伝えたくて、お花見を計画したのが柚乃だった。
 一枚、一枚を手書きで作り、送る相手は穂邑であったり、石鏡の双子王・布刀玉と香香背だったり、……友人と想える相手、皆に。
 此方で日時を指定してしまっては参加出来ない人もいるだろうからと、個別に会いに行く手間も惜しまない柚乃の丁寧な文面に心温まらない者はなく、……しかし、一部に首を傾げる者も。
『必須項目:変装』
 変装が必須とはこれ如何に。

 ***

「いったい何を始めようというのかと思ったが」
 呆れたような、けれど決して否定するわけではない声音でそんな事を言うのは【なーさん】こと武帝だ。
 処は遭都、御所。
 樹齢数十年の桜が満開だ。
 さすがに遠出は出来ないが桜なら庭に咲いている、それでも構わなければ遊びに来いと返事が来たので、多少の手続きと待ち時間を経て現在に至る。
 そのため他の友人達と一緒というわけにもいかず、美しい春の景色に、武帝との一対一。
 柚乃はほんの少しだけ残念そうな表情で「お花見に、野良もふら様もお呼びしたかったのです……っ」と両手の拳を握り絞めた。
「野良もふら……野良であろうとなかろうと、もふらはもふら。あれのどこが良いというのか」
 解せぬといった様子の武帝に、柚乃は力説する。
 曰く、もふら様は正義だと!
 しばらく黙って聞いていた武帝は、最後に「……好みは自由だな」と低く応じた。
 残念ながら柚乃の情熱は伝わっても、もふら様の可愛さは理解してもらえなかったようだ。
 無論、武帝ももふらが精霊であり大切な存在だという事は判っているのだが。
(確かに個人の好みは自由なのです……)
 柚乃も自らにそう言い聞かせ、武帝をもふら好きにする事は諦めた。
 そうして話題を変えるように出したのは穂邑の名前。
「一週間くらい前には、穂邑ちゃんと、布刀玉クンと、香香背ちゃんと……他にもたくさんのお友達の皆さんとお花見をしたんです。石鏡の桜の名所で、とっても綺麗で、皆で美味しいものをたくさん食べて、歌ったり、踊ったり、とっても楽しかったのです♪ 野良もふら様も来てくれて、香香背ちゃんともふもふを満喫したのですよ!」
「そうか。皆が息災のようでなによりだ」
「来年はなーさんも一緒に過ごせると嬉しいです」
「一緒に、か……」
 どこか諦念に似た吐息と共に呟かれた言葉に、柚乃の胸は痛んだ。
「やっぱり……そう簡単に御所を抜け出すわけにもいきません……よね?」
「そうだな」
「でも、いつかきっとご一緒出来るって、……みんなで一緒にお花見を出来る日を、信じたいです。この間の、お忍び歩きの時の成果を穂邑ちゃん達にも見せないと、ですし。食べたいもの、欲しいものは自分で買いましょう♪」
 待っているだけでは何も得られない――そう暗に告げる柚乃に、武帝は。
「……ああ、そうだな……それは、悪くないかもしれないな」
 相変わらずの仏頂面で、けれど、優しい応えだった。


 ●リエット・ネーヴ(ia8814

 リエットは、もう何時間も其処に座っていた。
 神楽の都を一望出来そうな、高い、高い木のてっぺん。辛うじて体重を支えてくれる枝は風が吹くたびに苦しそうな声を上げていたが、優れたシノビである彼女にとってはどこ吹く風。
 まるで主の帰りを待ち続ける犬のように、其処に座り続けていた。
 地上に比べれば随分と強い風にアホ毛を遊ばれながら、それでも少女は、……ただ、静かに。

 ――……今日は、何をしよう。

 眉ひとつ動かす事のない、自らへの問い掛け。
 昨日は何をしたのだったか。
 その前は?
 じゃあ、明日は。
 
 ――……何を、しようかな。

 もう一度呟いて都の端から端までをゆっくりと見渡した。
 眼下に広がる光景はどこまでも平穏そのもので気持ちが良く、お陽様に温められた家の屋根に大の字になって寝転がるのもいいかもしれない、と思った。
 都に点在する、野良猫達の拠点に顔を出して夜の集会まで一緒に遊ぶのも楽しそうだ。
 ついでに野良猫達の食糧調達に協力して、分け前もとい今日の晩御飯になりそうなものを貰っても良いだろう。

 猫から?
 うん、そうだじぇ!
 だって猫達は家族だもんね〜♪

 ほとんど無表情だった少女に、久方ぶりの笑みが浮かぶ。
 太陽で温まった毛に顔を埋めて眠れたらどんなに幸せかと、そんな事を想像したせいだろうか。
 ……それでも少女は、其処を動かなかった。


 今日は何をしようか。
 ふわりと髪に舞い降りたのは一羽の蝶々。
 上昇気流に乗ってこのような高さまで連れて来られてしまったのだろうか。
 行き場に悩んでいるようにも見える蝶々の姿に、リエットは異国を思い描く。
 五行や石鏡、いっそ天儀を飛び出してジルベリアへ。
 いつかの日の旅行に備えるなら、アル=カマルや陽州といった外国にまで足を延ばして新しい寝床を探して歩くのもいいかもしれない。
 そうして旅をするのなら、元気な姿を見せに実家に帰るのだって、きっと。


 今日は何をしようかなと悩むのは、したい事がないからじゃない。
 したい事が。
 やりたい事が多過ぎて纏まらないから、ただ考えているだけで時間が過ぎてしまうんだ。

 ――……それなら!

 何を思いついたのかリエットは唐突に立ち上がった。
 驚いたらしい蝶々が反射的にふわりと舞い上がり、後は風の向くまま気の向くまま。
 流れに身を任せて。

「そぉー……れっ!」

 空を蹴り上げるように放ったのは、靴。
 靴が落ちた先を見て行く場所を決めよう。
 だからその前に、今日は従伯母か相棒のからくり、おとーさんと一緒に過ごそう。
 急ぎはしない。
 未来は、これからもずっと続いていくのだから――。


 ●ルシール・フルフラット(ib0072

 ジルベリアのとある地方で、ルシールは村の住民達から話を聞いていた。
 この日は開拓者ギルドまで馬車を使っても三日は掛かるだろう山村だったが、彼女の行動範囲は更に広い。
 辺境の地まで単身、龍を駆り、田畑の様子はどうか、周辺でアヤカシ被害に遭った者はいないか等を確認し、対処出来る物は対処し、かといって自らを過信するわけでもなくギルドに依頼した方が良いと判断すれば村人の代わりにギルドまで走る。
 ルシールは騎士としてでも、開拓者としてでもなく、一人の人間として、己の心に正直に生きる道を選んでいた。
 それは中央に届き難い助けの声を拾うため。
 一人でも多くの人々の幸せを守るため。
 何故ならば彼女は――。
「そういえばこの道は……」
 随分とご無沙汰してしまった知人の農場がこの先だと気付いたルシールは、少し考えてから其方に向かう事にした。
 寄り道にはなるが、気付いてしまう無性にレディカ夫人の顔が見たくなってしまったから。

 ***

 ルシールが訪ねるや否や、レディカ夫人は歓喜の表情でルシールを抱き締めた。
「まぁまぁまぁ……っ、お会い出来て嬉しいわ!」
 顔を見ては抱き締め、また顔を見ては抱き締め……という大歓迎を受けたルシールだったが、長い付き合いは伊達ではない。
「夫人もお元気そうで何よりです」と道すがら買い集めていた地方の名産品の幾つかをお土産にし、旅の話でも……と、しばしお茶の時間を楽しむ事にするのだった。

 夫人は開拓者達の激戦の経緯を一般人よりは詳しく知っていたようで、ルシールが生きて会いに来た事を一番に喜んだ。
 いろんな事があった、と思い出話に花を咲かせ、あの人は元気か、その人はどうしているか……と共通の友人達の近況で盛り上がる。
 ルシールの現在の活動の話も勿論だ。
 彼女が伝える事柄の一つ一つを、レディカ夫人はまるで心躍る物語のように目を輝かせて聞いていた。
「騎士を志し故郷を離れて、気付けば五年……旅立つ時にはまだ言葉もあやふやだった末の妹も、今ではすっかり本の虫になっていて、随分時が経ったように思えますが、……私は、少しは成長出来たでしょうか」
「まぁ……」
 ルシールの独り言とも問い掛けとも取れる言葉に、夫人は目を丸くする。
 しかしすぐに笑みを浮かべ「そうね、自分では気付き難いわね」と、出会った頃を懐かしむように目を眇めた。
「初めてお会いした頃は可愛らしいお嬢さんだったけれど、今は……そうね、語られる言葉の一つ一つに『今』が見えるわ」
「今、ですか」
「ええ。今の貴女が」
 それは言葉が持つ重みだったり、信頼性だったり、……人間性だったり。
「とても魅力的よ。大人の女性の顔をするかと思えば凛々しくて……そうね、心配事があるとすれば貴女に釣り合う男性がこの国にどれだけいるか、かしら」
「っ」
 お茶を零しそうになるルシールに、悪戯っぽく笑う夫人。
「あなたの幸せを願っているわ」
 そうして向けられる笑顔の、愛情深さ。


 夫人の農場を後にしたルシールは、あの日の傭兵達の墓を訪ねた。
 例え花が散ろうとも新たな緑が芽吹くことを願い、夫人から貰い受けた桜の一枝を添えて語り掛ける。
「私はこれからも、その必要ある限り剣を振るって行くでしょう」
 幸せを願ってくれる人が居るこの身だから、騎士としてでも、開拓者としてでもなく、一人の人間として、己の心に正直に生きる道を選んだのだ。
 それは中央に届き難い助けの声を拾う事。
 一人でも多くの人々の幸せを守る事。
 ええ、何故ならば。
「私はこの国を、そして其処に生きる人々を、愛していますから♪」
 そうして浮かべる笑顔に、桜が揺れた。
 励ますように、慈しむように。
 風に、抱き締めてもらえるように。
 ルシールは行く。
 自らが選んだ生き方を――。


 ●アイリス・M・エゴロフ(ib0247

 ジルベリアにはまだ雪が残り、桜の咲く春には遠いけれど、早咲きの花達は山を鮮やかに彩っている。
 ――……春の花は桜だけじゃないし、……その、桜が咲いてからもう一度花見をしに来れば、二人で過ごす時間も増えるかな、と。
 花見に誘った彼は赤い顔でそう答え、彼も自分と過ごす時間を増やそうと考えてくれている事をアイリスが知った瞬間だった。

 そうして迎えた花見当日。
 里を出て向かうのは更に山の奥。
 里の者だけが知る桜の名所だ。
「イリス、手を」
 まだ冬の眠りから覚めていない木々の幹に手を掛け、もう一方の手でアイリスの手を引き、抱き寄せる。
「背中を押すから、そのまま登れる?」
「ええ、でもアイザックは……」
「大丈夫、行って」
 言われた通りに坂道の途中に点在する足場まで登り切ったアイリスは、アイザックに手を貸そうと振り返った、が。
「!」
 ふわりと香る彼の匂いと、視界を覆った彼の胸元。
「大丈夫?」
「ええ……いま、自力で登ったの?」
「もちろん」
 当然と言わんばかりの笑顔に驚かされるが、同時に嬉しくもある。
 そんな日々が積み重なり、知らなかった相手を知り、今日も大好きな貴方の傍にいる。
「アイザックは、たまに、本当に、これ以上ないっていうくらい逞しく見えるわ」
「たまに?」
「だって里の皆と一緒にいる時の貴方は、少し……ううん、大分、頼りないわ」
「それはっ、……言い返せないけど」
「認めちゃダメじゃない」
 くすくすと笑うアイリスは、情けないと落ち込むアイザックの腕を取った。
 仲間達に弄られて情けない顔をしている彼だけれど、その周りでは誰もが笑顔でいる事を彼女は知っている。
「ね、アイザック。貴方はいま、幸せ?」
「……それは、もう」
「!」
 唐突にアイリスの体が宙に浮き、お姫様抱っこをされていると気付いた時にはアイザックは走り出していた。
 そのまま全速力で目的地――脚力だけで崖と言っても過言ではない坂道を駆け上った先の、唐突に開けた平地へ。
 周囲を見渡せばたくさんの蕾が膨らみ始めている桜の木々。
 タンポポをはじめとする春の花達が地面を彩り、木々の合間にはジルベリアの大地が遠く見渡せて――。
「……大丈夫?」
「だっ、だいっ、だいじょ……大丈夫……!」
 イリスを下ろした後で呼吸荒く座り込んでいる彼の全く大丈夫じゃない様子に、しかし笑いがこみあげて来る。
「もぉっ。そんな無茶しなくていいのに!」
 バカね、と愛おしさいっぱいに笑い掛ければ、アイザックは言う。
「情けない男だけど、イリスを笑わせるためなら頑張れる」
 息も切れ切れの告白に、アイリスは目を丸くした後でもう一度繰り返した。
「もう……バカね」
 汗の滲む額に触れて、キスをして。


 手作りのお弁当、大好きな人と過ごす時間。
 二人きりの花見はとても充実したものとなり、夜には心地良い疲労感が二人を包んでいた。
 そんな夜、彼に寄り添うようにして眠るアイリスは何気なく呟く。
「……いつ出来るかしらね?」
「いつ、って?」
 まったく判っていない風に目を瞬かせる彼へ、アイリスはほんのりと頬を染めた。どうして判らないのかしらと八つ当たりっぽい事を胸中に呟きつつ、その耳元に口を寄せて告げるのは。
「私達の子供」
 途端に真っ赤になる彼。
 鈍いのは罪である。
「私は、アイザックに似た男の子がいいな」と、からかう流れで続けた言葉は、しかし思いのほか男を刺激したようで。
 ギシッ……とベッドが軋み、気付けば間近に彼の顔。
「イリスが望むなら、俺はいつだって……」
「……でも、筋肉痛は?」
「っ……!」
「無理しないで」
「けど……言ったろ。情けなくたって、君を幸せにするためなら頑張れるって」
 見つめ合う内に自然と距離は狭まり、口付けた。
「……じゃあ、一緒に願いましょうか。幸せの輪が広がりますように、って」
 二人で手を繋いで出来る輪に、もう一人加われば、その輪は年月と共にどんどん広がっていく。
 それが私達の未来。
 この手は決して離さない――。


 ●ケロリーナ(ib2037

「穂邑おねえさま〜〜♪」
 てけてけてけっと駆け寄って抱き着くケロリーナに、穂邑はただただ大喜び。
「ケロリーナさんご無沙汰してましたですのこんにちはなのです……!」
 ぎゅぅっと抱き返されて、ケロリーナも満面の笑顔。
 更に、穂邑と一緒に出迎えてくれている彼女の居候先の女主人・藤子を見つけて嬉しさは倍増した。
「穂邑おねえさま、藤子おばさま、ご一緒に花見は如何ですの〜? せっかくの素敵なお天気ですし、お弁当を持って、川沿いの桜の下で一緒に食べるですの〜。いま橋を渡ってきたらとっても綺麗だったですの〜♪」
「まぁ、それは素敵なお話ね」
「はいっ、喜んでご一緒します!」
 二人が快諾した事で、ケロリーナは早速お弁当を作るべく藤子の家の台所を借りる事にした。
 ただし、
(そぉいえばゼロおじさまが穂邑おねえさまのお料理はもごもごって言ってたけど、どうなのかしら?)と懸念事項もあったわけで。
 実際、包丁を握る穂邑の顔は緊張で強張っている。
 これはちゃんと教えてあげなければならないだろうか……と見ていると、緊張はしていても手元の危なっかしさはほとんど感じられず、むしろ慣れていると言ってもいい。
「穂邑おねえさま、お料理はなさるんですの?」
「え? あ、はい、最近は藤子さんに教えて頂いて食べられるものを作れるようになってきた……気が、します」
 自信はなさそうな返答だったが、その後ろから「大丈夫、ちゃんと食べられるわよ」と藤子。
 ケロリーナは少し考えた後ではっとした。
「判りましたですの、穂邑おねえさまは花嫁修業をなさっているですの〜♪」
「! いたぁっ!」
 直後の流血騒ぎである。
 合掌。


 結果的にケロリーナと藤子が大半を作ったお弁当は、見た目も楽しい見事な花見弁当となった。
 それを持って、三人で満開の桜の木の下へ――今が旬なだけあってどこも混んでいたが、三人でお弁当を食べる場所は充分にあった。
 全員でお行儀よく座り、手を合わせて「いただきます」。
 途端に感動の声を上げたのは穂邑だった。
「とっても美味しいのです……!」
『まぁ、悪くないし。って、痛いし!』
 相棒の双子の狛犬・阿業が可愛くない言い方をすれば、隣の吽海が生意気だと言わんばかりに尾で叩く。
 そんな二匹に『貴方達は変わらないわね……』と呆れた声を掛けるのは同じく相棒の羽妖精・誓だ。
 お弁当を食べるのは三人ではない。穂邑の相棒たちも揃って、それはとても賑やかなひとときとなり……。
「そういえば、穂邑おねえさまは何か悩んでいるんですの?」
「? どうしてですか?」
 きょとんと聞き返されて、ケロリーナもきょとんとしてしまう。
 何故と問われても何となくとしか言えない。
 ……なんとなく、穂邑が悩んでいる気がしただけで。
「ん〜〜〜よく判らないのですけれど、幸せになるですの」
「幸せ、ですか?」
「穂邑おねえさまが幸せだと、皆も幸せな気がするですの〜♪」
「……ふっ、ふふ……っ、ケロリーナさんてば……」
 一頻り楽しそうに笑った穂邑は、最後に嬉しそうに微笑んだ。
「では、ケロリーナさんもきっと幸せになってくださいね。約束です」
 そうして、指切りをした。


 帰り際、ケロリーナは唐突に思いついて手紙を書こうと言いだした。
 ケロリーナと穂邑の共通の友人達――ジルベリアの傭兵達に手紙を書こう、と。
 数日後に彼らの手元に届く手紙には、押し花にした桜を飾った手作りの指輪が二つずつ同封されている。
 彼らの幸せを願うメッセージと一緒に――。


 ●ヘイズ(ib6536

 その日、ヘイズは穂邑が暮らす家まであと十歩という位置で立ち止まり、一歩進んでは頭を抱えて一歩下がるというのを繰り返していた。
「〜〜〜〜あぁくそっ」
 ガシガシと頭を掻き乱して、回れ右。
 そのままどこかへ走り去ってしまった、……と思いきや、五分程で元の場所に帰還。
 手には一輪の真っ赤なチューリップが握られていた。
「……………………よしっ」
 深呼吸を二度繰り返して、気合を入れて。
 覚悟を決めて。
 十歩の距離を縮めていざ行かん――。
『おまえ、さっきから何をしているし』
「!!」
 頭上からの声に口から心臓が飛び出そうなほど驚いて其方を仰ぎ見れば、塀の上から自分を覗き込んでいる狛犬の阿業の顔。
 その横には無言でじーっと此方を見ている吽海がいる。
 更には。
『うちの穂邑に何か用かしら?』と仁王立ちで睨んでくる羽妖精。
「よ、よう、元気か?」
 笑顔を取り繕って声を掛けるが、三匹の表情たるや警戒心満載で笑いも乾くと言うもの。
 しかし天はヘイズを見捨てない。
 家の方から「誓さーん、阿業さーん、吽海さーん」と彼らを探す穂邑の声がし――。
「ぇ、あ、ヘイズさん?」
「よ、よう。元気か?」
「元気です……けど……」
 穂邑は三匹の相棒達に視線を移し、再度ヘイズを見る。
「大丈夫、ですか?」
「あー……そうだな。もしよかったら、ちっと歩かないか? 暖かくなってきたし散歩にはいいだろう」
『もちろん私達も一緒よね?』
 ずずいっと迫って来る羽妖精に、しかし今回はヘイズも負けず、穂邑にも「お留守番していてくださいっ」と強く言い聞かされては反論のしようがない。
 かくしてヘイズは背中に突き刺さるような視線を感じつつも、穂邑と二人きりの時間を勝ち取るのだった。


 他愛のない話をしながら、二人は桜が美しい川沿いの道を歩く。
 近頃は開拓者の仕事をしているのか、だとか。
 懐かしい友人と一緒にどこどこに遊びに行った、だとか。
 そんな話はもちろん楽しかったのだけれど、どちらともなく口数が減り、会話が途切れたのはお互いに何かしら考える事があったからだろう。
 ヘイズは持ったままのチューリップを見つめ、これまでの色々な思いを胸中に過らせる事で改めて意を決した。
 此処が決め所だ。
「……穂邑は、さ。これからどーすんだ?」
「これから、ですか?」
「護大との決着も付いたし、もう神代の力とやらに振り回される事もないだろ。穂邑にだってやりたい事はあるだろうし、それって何なのかなって思ってさ」
 穂邑は難しい顔で考え込んでしまったが、ヘイズは黙って彼女の答えを待っていた。
 しばらくして顔を上げた少女は、少し緊張した面持ちで「……いろいろな場所に行ってみたいです」と告げた。
「旅って事か?」
「そんな大事じゃなくて……私がしたいのって、たぶん旅行です。この世界のことが大好きだけど、知らない事がたくさんあるから……いろんな場所に行って、いろんな体験をして、この世界の事を学びたいな、って。でも藤子さんや、お友達と長くお別れするのは寂しいですし、違う国に行くのも、お友達と一緒の方が楽しいかなって……考え方が甘いでしょうか……?」
「いいや、穂邑らしーよ」
 ヘイズはくすりと笑い、真っ直ぐに彼女を見つめ。
「それに、それ俺にも手伝えそうだ」
「え……」
「穂邑、これ」
 手にしていた赤いチューリップを差し出し、受け取ろうと延ばされた彼女の手を、引いた。
「! ヘイズさん……っ?!」
 そうしてその場に跪くと、手の甲に口付ける。
 みるみる内に真っ赤になる少女は、ずっと見てきた――神代の徴を顕現させる以前から一緒にいた少女そのもの。
「穂邑、俺は君が好きだ」
 歌い手を名乗りながら一世一代の告白がありきたりな台詞では情けない限りだが、しかしこれが気持ちを伝えるには最も相応しい言葉。
 誰よりも直向きで、頑張り屋で、泣き虫な君をこれからも見つめていきたいから。
「俺と、結婚を前提に付き合って欲しい」
「――」
 目を丸くして固まってしまった穂邑からの返答を、ヘイズは辛抱強く待っていた。
 そうして数分が経った頃、真っ赤な顔を俯かせて穂邑は告げる。
「ぁ、あの……私にはまだ、好きとか、け、結婚とかよく判らなくて、お付き合いするっていうのも、その……っ、で、でも! ヘイズさんと一緒の旅行は楽しいだろうなって思います!」
 一息に言い切った少女が潤んだ瞳で「今はそれじゃダメですか……っ?」と問えば、ヘイズに否のあるはずがなく。
「いいよ。一緒に旅行に行こう」
 そうして互いの事を知り、互いへの想いが育まれていけば、それは。
 ……その可能性は、穂邑の笑顔が光りの先に導くに違いない。

 此処からがスタート。
 ヘイズの新たな戦い――相手は穂邑の相棒達だ――が、始まるのだ。


 ●ウルスラ・ラウ(ic0909

 遭都、御所。
「……おまえも物好きだな」と、どこか呆れた響きを伴った言葉が自分を訪ねてきたウルスラへの、武帝の最初の一言だった。
 それで他にも訪問者があったのだろうと察したウルスラは「良かったね」と笑む。
「なーさんは人気者なんだよ。自分の好きに行動出来ない立場ってのも大変だし、たまには息抜きも必要でしょ」
 だから武帝の友を自負する者達は自分と話す事で気分転換になってくれればと彼を訪ねるわけで、ウルスラが『人気者』とからかうような台詞に、武帝はむすっとした表情のまま「……よく判らぬが……まぁいい」と低く呟く。
 その反応すらも、こうして武帝と開拓者が接するようになった最初を知っている者には嬉しくて――。

 御所の庭園に咲き誇る見事な桜の大樹を眺めながら、他愛のない話をする。
 きちんと食事は取っているのか、だとか。
 何か楽しい事は見つかったか、だとか。
「あたしは彫師の仕事が趣味みたいなもんだよね」
「彫師?」
「そう。これ」
 己の腕に描かれたタトゥーを指し示すと、武帝はそれをじっと見た後で「……彫るのか」と呟いた。
 一体どう「彫る」想像をしたのか難しい表情の彼にウルスラは笑う。
「これからさ、あたしは開拓者辞めて、彫師の仕事をメインにやっていこうかなって思ってる。ジルベリアに帰ろうか悩んだんだけど、神楽の都に店を開くことにしたよ。開拓者は自由な人間が多いし、需要も多いかなってね」
「……需要があるのか」
「たぶん? なーさんもタトゥー入れたくなったらいつでも言って。友人だしタダでやってあげるよ」
「……さすがに断る」
「そう?」
 確かに国のトップがタトゥーは拙いかなと内心で納得していたウルスラに、武帝はしばらくの沈黙を経た後で、一言。
「……痛くはないのか、それは」
「――」
 真顔で聞くのがそれか、と。
 ウルスラは思わず声を上げて笑ってしまう。
「何がおかしい」
「ごめん、さすがに失礼だとは思うけど……うん、まぁ、確かに少し痛いかな」
「やはりな」
「痛くなかったら彫る?」
「彫らぬ」
 むすっとした即答に再び笑いがこみあげてきた。

 変わったな、と思う。
 武帝は本当に人間らしくなった。
 自分も仕事や勉強優先で、友人関係というのは正直よく判らないけれど、友人としてこうして過ごす時間が今後もあればいいな、と。
 自分から来るばかりではなく、呼んでくれることがあったらいい、……そんな事を考えていると、不意に武帝から声が掛かる。
「……開拓者を辞めると言ったか」
「辞めるよ。ああ。だから去年の食事会で約束した、ギルド経由の誘拐はもう出来なくなるけど、依頼じゃなくて、息抜きしたくなったら気軽に呼んでよ。あたしも、なーさんに会いたくなったらまた来るから、時間作ってよね」
 これからは武帝だけでなく『なーさん』の世界も広がっていくはずで、彼はこれからもどんどん変わっていくだろう。
 そんな彼をこれからも見て行きたいし、話を聞かせて欲しい――そんな思いを込めた言葉に、武帝は。
「開拓者を辞めるならば私個人の護衛として雇う事も考えたが……彫師の店を開くなら仕方ないな」
「――」
 そうして見せられた表情の、如何とも説明のし難い、……本気か冗談かも区別のつかない“慣れない意地悪”。
 更には此処で収拾をつける術すら彼は知らないのだ、そんな経験などないのだから。
「……」
「……」
 何ともいえない沈黙に、気まずそうな雰囲気。
「……ほんっと……これだから……」
 もう笑うしかないとは、まさにこの事。


 近い将来――遠い未来。
 君はどんな風に過ごしているのだろうか――……。