大自然に言祝ぐは君がため
マスター名:月原みなみ
シナリオ形態: イベント
危険
難易度: 普通
参加人数: 19人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/07/14 21:54



■オープニング本文

 ●

 その日、天儀――神楽の都の開拓者ギルドに張り出された一枚の張り紙、一枚の依頼書。
 其処に記されていた依頼人の名前は、見る人によってはとても懐かしい人物――アイザック・エゴロフ(iz0184)。
 張り紙に書かれている内容はこうだ。

『ジルベリアの某所で農場を経営している夫人が、結婚式を挙げたい開拓者のために庭を提供します。
 料理等の準備は各自で用意して頂く事になりますが、場所の提供だけで構わなければこの機会に如何でしょうか?』

 一方の依頼書にはこうある。
『暁の副長イーゴリが、エーヴァと結婚します。
 レディカ夫人の農場でガーデンパーティを催す事になったので、もしよければパーティの盛り上げに協力して頂けないでしょうか?
 よろしくお願いします。』

 暁とは、ジルベリアの某地域に本拠地を置く傭兵団の通称であり、その頭はスタニスワフ・マチェク(iz0105)。そして副長を務めるのが依頼書に名の挙がっているイーゴリだ。結婚相手のエーヴァとはもう付き合い始めて十年近いという間柄で、仲間内では陽気な盛り上がりと共に「ようやくか!」という冷やかしの声が絶えないらしい。
 そんな二人の結婚式を、親交の深いレディカ夫人の農場で行う事にしたのは、もちろん夫人の厚意があってのものだったが、それ以上に考えたのは某事件を命がけで共闘した開拓者達にこの事を知らせないのは非礼に値するという事。
 そして、会場がレディカ夫人の農場ならば、もしかしたら彼らも来易いのではないか、と。
 大切な仲間の、大事な門出だから、大好きな人達にも祝ってもらえたら……それが依頼人であるアイザックの願いであり、口には出さないけれど新郎新婦の思いでもあったのだ。
 さて、そんな事情でレディカ夫人の農場の一角を結婚式会場として整え、綺麗に飾り付けたわけだが、これを一回限りで片付けてしまうのは勿体ない。この時期に式を挙げたいと考えているカップルがもしいるなら如何だろうか――それをどうして開拓者に告知するかといえば、農場主は開拓者と呼ばれる人々が大好きだからである。

 この季節のジルベリアは、梅雨もなくカラッと晴れた気持ちの良い日が多い。
 天儀に比べて開花時期が遅れる花々は春夏の種が一斉に咲き誇り、雲一つない青空に精いっぱい伸び行く姿は新たな門出を迎える二人に相応しい光景を演出してくれるだろう。
 めでたき善き日を、大自然と共に過ごすのは如何だろうか……?


■参加者一覧
/ フェルル=グライフ(ia4572) / リューリャ・ドラッケン(ia8037) / 霧先 時雨(ia9845) / 尾花 紫乃(ia9951) / ユリア・ソル(ia9996) / フラウ・ノート(ib0009) / フェンリエッタ(ib0018) / エルディン・バウアー(ib0066) / ルシール・フルフラット(ib0072) / ヘスティア・V・D(ib0161) / リディエール(ib0241) / アイリス・M・エゴロフ(ib0247) / ファリルローゼ(ib0401) / ニクス・ソル(ib0444) / 風和 律(ib0749) / 尾花 朔(ib1268) / アルマ・ムリフェイン(ib3629) / レジーナ・シュタイネル(ib3707) / ウルシュテッド(ib5445


■リプレイ本文


 開拓者ギルドの、依頼掲示板の前。
 依頼主の欄にアイザックの名前が綴られた紙面を見つめるリディエールの表情は、其処に必ず参列するだろう人物を思い浮かべると切なげに揺れた。
 結ばれる二人を祝福する気持ちはこんなにも大きいのに、出席して、もしあの人と顔を合わせてしまったら笑っていられる自信は、……ない。
(お祝いの席にそれでは申し訳ありませんから)
 自嘲気味な笑みを、肩から胸元へ流れ落ちた白銀色の長い髪が隠す。
 それはまるで、彼女が気持ちを切り替えるための時間を守る繭のように――。

 しばらくして普段の表情を取り戻したリディエールが依頼書に静かな微笑みを残して踵を返すと、其処に待ち人の姿があった。
 偶然というにはあまりにも間が良すぎる。
「もしかして、……待たせてしまいましたか?」
 何を、とは言わないリディエールに相手――ヘスティア・ヴォルフは素知らぬ顔で肩を竦めた。
「あたしはいま来たところだよ」
 不自然なほど自然な態度。
 リディエールは笑みを零す。
「ありがとうございます……今のは、面倒なお願いを聞いて下さった事へのお礼、ですよ?」
 悪戯っ子のような声音にヘスティアも「それしか礼を言われる覚えはないよ」と笑う。そうして手渡されたのは両手で抱えて丁度良いくらいのバスケットだ。
 ヘスティアが中身を確認すると、約束していた『品』の他にも、青いリボンで束ねられた白百合の花が三つと、髪飾りにもブローチにも出来そうな青いリボンの装飾品、此方も三つ。その青はすべて露草で染め上げ、リディエール自ら仕立てたものだという。
「それをエーヴァさん、イリスさん、……それから、ロゼさんに渡して下さい」
「ロゼ?」
「きっと式に参加されると思うので……お顔が判らない時は、アイザックさんに聞いて頂ければ」
「判った。任せておきな」
 リディエールの声音から何を察したか、ヘスティアはそれ以上は何も言わずにバスケットの蓋を閉めた。
「突然の頼みだったのに協力してくれて感謝するよ」
「いえ。式に集まられた皆様に精霊の加護と水の祝福がありますように」
 祈りの言葉と共に結婚式の会場となるジルベリアへ発つヘスティアを見送り、リディエールは今一度呟いた。
「……皆さんの歩む先に、暁の光りと幸福が降り注ぎますように」――。



 ジルベリアのとある場所――とある墓を前にして、アルマ・ムリフェインは満面の笑顔。
「イーゴリちゃんがエーヴァちゃんと結婚するんだって」
 ゆるゆるの頬に、弾む声音。
「あと、これはきっとまだ知らないよね? ふふっ、たぶんアイちゃんも結婚しちゃうよ。お相手はイリスちゃん、知っているよね? 歌がとっても上手な女の子。お友達がサプライズを仕掛けるんだって」
 どきどき、わくわく。その瞬間を思い描きながら鼻歌を奏で始めた。
 胡坐をかくような恰好で、ゆらゆらと左右に揺れながら紡ぐ幸せの旋律。
「〜〜♪ ……ふふ、こんなに嬉しいものなんだね」
 彼らの幸せが、こんなにも――。
「アルマ、さん?」
 不意に呼び掛けられて背後を確かめれば、花束を抱え、赤いドレスを身に纏ったルシール・フルフラットが佇んでいた。
「やっぱりアルマさん」
「ルシールちゃん!」
 ぴょんと立ち上がった友人と久し振りの言葉を交わし、その墓に眠る傭兵達に花を捧げる。
 特にその中の一人、ショーンには心の内で語り掛け……。
(……新婚さん達の幸せも借りて、今日は笑った顔を見せられたらな、って)
 開拓者達はそれぞれに今は亡き傭兵達と心の内で会話し、もう間もなく約束の時間。
「貴方達の分まで彼らをお祝いして、めいっっぱい冷やかしてくるからね!」
「それは、お手柔らかに……?」
 イーゴリとアイザックの為にそう言ってみたルシールだったが、アルマはそれにも満面の笑顔だった。



 結婚式会場となるレディカ夫人の元には朝早くから何人もの開拓者の姿があった。
 厨房で慌ただしくしているフェルル=グライフは当初から予定されていたイーゴリ、エーヴァの結婚式のために料理の手伝いをするつもりだったが、ユリア・ヴァルの提案によって結婚式を挙げるカップルがもう一組増えたのだ。
 正確にはこれから増える予定で、フェルルは是非うまくいって欲しいと祈りながら尾花朔と泉宮 紫乃が準備するケーキを見つめていた。
 一方の会場ではフラウ・ノートが設営準備に取り掛かっていた傭兵達に「信じらんない!」と怒っていた。
「結婚式よねっ? 結婚式なんでしょ!?」
「俺らは酒が入れば……」
「女の子にとったら人生の一大イベントだって判ってるのん!?」
 傭兵の、傭兵らしい言い分にフラウ、大爆発。
 農場で使い古した木箱を積み重ねただけとしか見えないテーブルセッティングにがっくりと肩を落とした彼女は、しかし其処からが凄まじかった。
 何せこちらには紫乃が準備してくれたテーブルクロスや、飾るための花はもちろんレースペーパーや白いリボンなども持参済みなのだ。傭兵達にも手伝わせてセッティングのやり直し。
 しかもレディカ夫人に相談に行ってみれば美しい銀の食器類がきちんと用意されており、傭兵達に「どうしてこれを用意しないの」と問えば「酒が入れば……」という返答で、フラウは二度爆発したのだった。

 会場でそんな大騒ぎが起きているとはつゆ知らず、花嫁の控室に挨拶に来たのは、ユリアから式開始の三時間も前に来るよう呼び出されていたイリスである。
「来たわね、イーちゃん♪」という幼馴染の意味深な表情に狼狽えるイリスを、今日の主役となるはずのエーヴァが微笑ましく見つめている。と、今度は扉の向こうが騒がしくなり、勢いよく開け放たれた扉の向こうに居たのは――。
「アイザック?」
「! イリスさんっ?」
 今日初めて顔を合わせた恋人達――イリスとアイザックに、ここからがサプライズの始まり。
「さぁ、これが何か判るかしら?」
 ユリアの器用な手捌きによって、室内に柔らかく波打つ真っ白なプリンセスドレスの裾。そのモチーフはアイリスの花――そう、イリスの。
「ほれ、こっちも出来てるぜ」とイーゴリがユリアに手渡したのは、彼が腰ベルトに差してアイザックの目から隠していたオーバルブーケだ。もう間もなく太陽が昇ろうという時分――『暁』をイメージした花束は、傭兵達が探して来た花々で作ったのだと後に語られるのだが、何にせよこれだけお膳立てされてしまえば彼女達が何を計画しているのか判らないはずがなく、イリスとアイザックは……。
「……あの」
 しばらくの静寂の後、口を開いたのはアイザック。
「俺は傭兵です。ボスの判断一つで明日の命も知れない身で……貴女に永遠の愛は誓えても、必ず貴女の元に帰ると約束は出来ません。それでも――」
 尚も続くかに思えたアイザックの言葉を、その口元に寄せられたイリスの指先が遮る。
 彼女は、微笑んでいた。
「約束は出来なくても……帰って来るために最大限の努力はしてくれるでしょう?」
「勿論です」
「だったら私達開拓者も同じよ。アヤカシとの戦は益々激化していて、私も明日にはどうなるか判らない……それでも守るべき人々のために戦う事は止められない」
「……同じですね」
「ええ、同じ」、
 二人は頷いて笑顔を見せ合う。
 同じなら、この人の元へ帰ろうという想いが互いを護り合う――そう信じ、アイザックはイリスの手を取った。
「俺と結婚してください、イリス……貴女を愛しています」
 求婚に言葉より早く応えたのは、イリスの瞳から零れ落ちた一滴の涙。
「ごめんなさい、でも、嬉しくて……っ。ありがとう。私の心は、貴方と共に……愛しています」
「……っ」
 こちらも感極まったアイザックがイリスを抱き締めた。そんな二人に仲間達からは祝福の声が上がり、……そこで気付く。
「あ、れ……? ユリアさんがドレスを準備しているって事はこれから式を?」
「俺と一緒じゃ不服か?」
「ち、違いますよ! ですが今日の主役はお二人なのに」
「いいの。むしろ大歓迎よ。イリスさんのお祝いに参列するお友達のお陰で飲み会みたいだった会場がちゃんとした式場になっているんだもの」
「これで今日の野郎どもの標的はおまえに決定だ!」
「それなら……いえ、でもイリスさんには祝って欲しいご友人もたくさんいるでしょうし今日の今日で式をするのは……え? お友達のお陰で会場が……なんですって?」
 エーヴァの言葉から状況を推察したアイザックに、ユリア。
「ええ、もう全員集まってるから大丈夫よ♪」
 もし式が行われない時にはどうなっていたのか想像……しようとして、恐ろしい予感しかしないため中断する。
 それに――。
「ユリアったら……」
 困ったように、けれど心からの感謝を込めたイリスの泣き笑いの顔を見ていたら、今日という日を最高の一日にする為に頭を使うべきだと思ったから。
「さぁさぁ花嫁の準備を始めるんだから男共は出て行って頂戴♪」
 そう言ってアイザックとイーゴリを控室から追い出したユリアは、改めてイリスを抱き締めた。
「おめでとう、イーちゃん。とびきり素敵な花嫁さんにしてあげるわ♪」


 ●
 イリスとアイザックの結婚式が決定したという報告があってから十分後。
 諸事情で早めに到着していたエルディン・バウアーが、ほくほくした笑顔を浮かべながら式場準備の手伝いをしているスタニスワフ・マチェクに声を掛けた。
「この度はおめでとうございます、良い日になりそうですね」
「あぁ、ありがとう……と俺が言うのも妙な話だが」
 そう言いつつも嬉しそうな傭兵団の長に、エルディンは「こういう時は素直に喜ぶのが一番ですよ」と微笑んだ。
「まったく……君たち開拓者と関わるようになってから俺達の人生は予想外の方向に進んでばかりだよ」
「ですが、だからこそ面白い……違いますか?」
 にっこりと微笑む相手にスタニスワフが肩を竦めれば、エルディンは。
「イリス殿とアイザック殿の結婚、一人のジルベリア人として、また神に仕える聖職者として嬉しく思いますよ」
 聖職者……その言葉の意味するところを察してか、二人の間には沈黙の帳が下りた。
 しかしそれも僅かの間の事。
 スタニスワフは、それこそ何でもない事のように告げた。
「君が式を執り行ってくれればエーヴァは喜んだだろう。生憎、此処には部外者も立ち入るから頼む事は出来ないけれど」
 式場となるのは親しい夫人の農場であり、労働者など出入りする者が少なくない。傭兵団の仲間達だけ、信頼出来る開拓者達だけであれば口外の心配は皆無と言えるだろうが、万が一の危険も見落としてはならないのがジルベリア帝国内における神教徒だ。
 そんな懸念を、エルディンもまた理解しているから微笑みを絶やすことなく応じる。
「例え帝国の世でも、平和と幸せを願う想いに教義の有無は関係ありません。今日は一人の友人として二組の幸せを祈ろうと思います。――いつの日か、この国で聖職者として結婚式を執り行える日が来る事を願わずにはいられませんが」
「ああ」
 それはフェイカーに纏わる忌まわしき事件を、共に解決へと導いたからこそ通じる想いと、紡がれた願い。
 静かに微笑うスタニスワフと別れて後、エルディンは自分が神教徒の聖職者だという事を彼に明かすと伝えた際のアイザックの言葉を思い出した。
「俺達ザリアーは傭兵ばかりではなくて……いろいろと事情があって帝国から身を隠していた人達も集まっての、一つの家族なんです」
 だから貴方が素性を明かしてもボスはきっと普通に応じるだけですよ、と。
(ええ、そうですね)
 スタニスワフの父親は大帝の右腕とも言われた人物だという。
 かつては神教徒弾圧の先陣を切って数多の血を流したとも……だからこそスタニスワフは暁の傭兵となり、身の内にたくさんの『家族』を護って現在に至る。
(すべての民が自然に生きられる世を信じましょう)
 神父は胸の内に呟き、微笑んだ。


 エルディンが控室に到着すると、中にはすっかり準備を整えたエーヴァと、完了まであと一歩のイリス、それを手伝うユリア、そしてレジーナ・シュタイネルの姿があった。
 彼と同じく到着したばかりのレジーナは、ユリアによって美しい花嫁へと変貌していく親友を、涙を浮かべながら祝福していた。
「おめでとうございます……っ、本当に、おめでとうございます……!」
 イリスとアイザック、二人の積み重ねた時間がこうして形になった事。
 親友が幸せで在る事が、レジーナには自分の事のように……否、自分の事よりも嬉しかったのだ。
「もう泣かないって、ずっと前に決めたのに……嬉しい時は、どうしても涙が止まらなくて……っ」
「レジーナ……っ」
 花嫁衣装が崩れるのも構わずに親友を抱き締めたイリスはもらい泣きしてしまいそうだったが、其処に新たな来訪者があった。
 所用で遅れていたヘスティアが到着したのだ。
「よ、遅くなったな……と、綺麗だぜ、イリス」
 純白の衣装に身を包んだイリスに目を眇めて、ヘスティア。
「さすがはユリア、完璧だ」
「当たり前よ、任せなさい♪」
 気心の知れた幼馴染達は言葉の合間に目配せし、次いでレジーナ、エルディンとも目線で確かめ合った。
 これこそ花嫁となるイリスに必要な最後のアイテム。
「『サムシング・フォー』をご存知ですか?」
 花嫁の幸せを願って友人達が揃える四つの品――エルディンは自分が用意した品を差し出した。
「私からは『青いもの』――こちらをイリス殿へ」
 そうして手渡されたのは青いガーター飾り。中央の花も水を連想させるような透き通った青色だ。
「私からは『新しいもの』です」
 レジーナからは花嫁が着用する純白の長手袋が手渡された。その袖口はアイリスを模ったレースに縁取られていた。
「あたしからは『古いもの』だ。そしてこっち……『借りたもの』はリディエールから」
 祖母から貰ったというイヤリングは、元はヴァルキリーズリングという指輪だったらしいとヘスティアは笑う。
 ほのかに緑色に光る宝石が純白のドレスをなお美しく輝かせるだろう。
 そしてリディエールから借りたのは簪「ローレル」。
「式に参列出来なくてすまないってさ。それと、これも預かったぜ。エーヴァ、あんたにもね」
 二人の花嫁に手渡される白百合の花束からは、遠くから幸せを祈ってくれる友人の思いが十分に伝わってきた。
「リディエールさん……ありがとうございます……っ」
 白百合に顔を埋めて感謝の言葉を紡ぐイリスがまた涙を浮かべている事に気付いて、ユリアは「ほらイーちゃん」とサムシング・フォーを身に着けるよう促す。
「これで準備が終わったらいよいよ、ね?」
 ユリアのウインクに、イリスはこくこくと何度も頷き、そして幼馴染達を、親友を、順番に見つめて深々と頭を下げた。
「みんな……本当にありがとう……っ」


 ●
 定刻に開始された結婚式は、傭兵団の慣わしに則って長たるスタニスワフがイーゴリとエーヴァの婚姻を認めるという儀式から始まり、集まった全ての仲間が剣を、弓を、銃を――己の半身とも言える武具を掲げて二人を祝福した。中には新郎姿のアイザックも居り、その姿をイリスは少し離れた処から見つめていた。
 そんな彼女の傍らにはニクス。
 イリスをアイザックに託す父親代わりを務めるためだ。
(イリスが結婚か……)
 恋しい相手を見つめる横顔が見慣れた幼馴染のものとは異なり、ニクスの胸中に湧き上がるのは複雑な……寂しさ。
(父親役なんて引き受けたせいか)
 ニクスは苦笑交じりに内心で呟く。
 少なくない幼馴染達の中、イリスと最も付き合いが古いのが自分だ。この役回りも適任だとは思ったけれど、いざ碌に知らない相手に彼女を託すのかと思えば感傷的にもなろうというもの。
「ニクスさん、そろそろですけど、……準備いいですか?」
「ああ」
 ブライドメイドを務めるレジーナに遠慮がちに声を掛けられたニクスは頷き返すと、さすがに緊張した面持ちのイリスと顔を合わせ、……微笑う。
「行くか」
 こくんと頷く彼女の手を腕に乗せ、二人は大草原を歩き始めた。
 一歩を踏み出す度に鼻先をくすぐる草の匂いが懐かしい日々を思い出させる。
 二人の歩む道を、見守るような笑顔と拍手で包む幼馴染達の姿が、なおも鮮明に様々な出来事を連想させた。
(あぁ……何だろう……)
 不思議な感覚に、イリスがニクスを見上げれば、彼もまた同じ気持ちだったのかイリスを見下ろしていた。
 此処にいる皆と過ごしてきた時間を一歩一歩積み重ねて向かうは、道の先で待ってくれている彼の元――。
(……イリスの選んだ相手だ。間違いもあるまい)
 自らに言い聞かせて、ニクスは。
「あとは、任せた」
 イリスの手を自分の腕からアイザックの手に託した。
 相手の真っ直ぐで力強い眼差しと、躊躇のない応えに満足して一歩退く。
(幸せにな、イリス……)
 ニクスは願う。
 寄り添う二人に幸あれ、と。


 厳かな雰囲気の中、レジーナの先導で会場中央に用意された舞台に上がった二人は、友人達に丁寧に一礼した後でお互いに向き合った。
 暁をイメージしたオーバルブーケを持つイリスの手がアイザックの手に包まれて、額と額がそっと触れ合い、宣誓。
「イリスさん、貴女を幸せにする事をこの場に集まってくれた全ての家族、友人達に誓います」
「アイザック……貴方を幸せにする事を、この場に集まってくれた全ての家族、友人達に誓います」
 二人の宣誓を先刻と同様にスタニスワフが認め、しかし先程と違うのは純白のリングピローをレジーナに渡した事。
 そこで曇りない輝きを放つ二つのシルバーリングは、イリスとアイザックのために用意された結婚指輪だ。
「ボス……」
「ユリアに用意するよう言われてね」
 スタニスワフと、少し離れた場所で満足そうに頷いているユリアを交互に見遣った新郎新婦は、同じ事を思ったはずだ。本当にまったく敵わない、と。
 レジーナも幸せそうな笑みを浮かべたまま、それを二人に。
「指輪の交換を、お願いします」
 ブライドメイドに促され、リングを互いに互いの左手薬指に。
「幸せになりましょう、一緒に」
「はい……っ」
 イリスの返答があるや否や、傭兵達が己の武具を掲げて二人の婚姻を祝い、次いで祝福の言葉と笑顔が溢れた。
 すぐ傍にいたレジーナも二人を祝う。
「私、見ていますから……きちんと、二人でお幸せになってくださいねっ」
「約束します」
「本当にありがとう……っ」
 イリスは心からの感謝と喜びを胸に親友を抱き締めた。
「おめでとう!」
「おめでとうございます!」
 朔の提案で特別に作られたキャンディーシャワーが、舞台を降りて仲間達の元へ向かう二人に降り注ぐ。
「結婚おめでとう♪ 二人で一緒に幸せになりなさいね。私の大事な幼馴染で、大切な義妹さん」
 ユリアはイリスをぎゅうっと抱き締めた後で、目線だけをアイザックに。
「今日からアイザックは私の義理の弟って事ね」
「ユリアさんがお姉さんだと心強い気がします」
 幸せいっぱいの笑顔を浮かべるアイザックに、ユリアもにっこり笑った……が。
 トンと近くのテーブルに用意されていた食器類を指で弾くと、銀のナイフが跳ねあがってユリアの手に着地。
「イーちゃんを泣かせたら許さないわよ?」
 これまたにっこり、ナイフの先端をチラつかせながらの笑顔で脅せばアイザックは固まり。
「まぁそういうこった」
 そんなアイザックに追い打ちをかけるように、彼の背後から首に腕を回してきたのはヘスティア。
「幸せにしねぇと許さないぜ?」
 腹部に拳を当てられたアイザックは「もちろんですっ、お約束します!」と青い顔。
 そんな彼を励ますように「とうとうゴールインですね、美人の嫁さんを貰ってこの果報者が!」とエルディンが冷やかしの声を投げれば辺りには楽しげな笑い声が広がっていった。



 カナッペ、フィンガーサンドイッチ、小ぶりな焼き菓子――元々準備されていた肉の丸焼きや巨大魚の塩焼きといった、品も何もあったものではない豪快な料理とは対照的な、立食に相応しい食べやすいメニューの数々は紫乃とフェルルの手作りだ。
 白ワインのサングリア、アイスティー、そういった飲料の水面には巫女の術によって作られた花入りの氷が浮かべられ。
 二組の新郎新婦の為に紫乃と朔が準備した二つのウエディングケーキには白薔薇の砂糖漬けと飾り切りしたフルーツ。
 これにはエーヴァをはじめとする傭兵団側の女性陣すっかり見惚れてしまい、準備に勤しんでくれた開拓者達の元には「自分の式にもこういう料理を!」と切望する未婚の女たちが押しかけていた。
 一方、質問攻めにあう紫乃と朔を、少し離れた場所から見つめてくすりと笑うイリスの傍には、夫となったアイザックと、竜哉、霧先 時雨、フラウがいた。
 しかも時雨の腕の中にはまだ幼い女の子。
 母娘揃いの水色のドレスが可愛いとイリスが言えば、時雨は「当然よ♪」と娘自慢。終いには「子供は可愛いわよ?」とウインクされて新婚夫婦は顔を赤らめた。
「そういえば、フラウのところは?」
「え。ぁ。あたしっ?」
 唐突に話を振られたフラウは真っ赤になって一歩後退。
「あたしの事はいいのよ、主役はイリスんだもの」
「でも、……近いでしょう?」
 遠慮がちに、けれど幼馴染の幸せを願うイリスの言葉にフラウは躊躇いながらも「う……ま、まあ、改めて告白されて、指輪は貰ったけど……式はまだで……そ、そうだジュース取ってくる!」と、途中まで白状しながらも、恥ずかしさも限界とばかりに消え去った。
 その逃げ足の速い事と言ったらイリスと時雨が顔を見合わせて吹き出すほどだ。
 そうして時雨が、エーヴァにもお祝いを言いに行くと告げて離れると、竜哉が「しっかしまあ、まさかこういう形になるとは思わなかったよ。ほんと」とアイザックの顔をまじまじと見る。けれどそれ以上は何も言わずに二人を祝福した。
「なんにせよ、おめでとう」
 これから先の事を考えれば何があるかなんて判らないことは二人もきっと判っている。
 だからこそ忘れないで欲しい事。
「此処にいる人達は君達を祝福している。君達の幸せを願っている。それを忘れないで二人で生きていってほしい」
 真摯な眼差しをイリスとアイザックも真っ直ぐに受け止め、そしてイリスは。
「竜哉さんも、幸せになってくださいね?」
 少なからず祈るような言葉に、竜哉はただ静かに微笑み。
「ああ、でも、三人目以降の家族を増やすのは頑張ってね?」
 ポンと肩を叩かれて、思わず吹き出すアイザック。
 新婚夫婦はそう冷やかされるのがお約束だ。


 仲間達に冷やかされながらも幸せな笑顔が絶えない二人を、女性陣の質問攻めから解放された朔と紫乃も見守っている。
 紫乃は微笑む。
「幸せな日です……本当に、とても」
「そうですね」
 朔もまた微笑み、どちらともなく互いの温もりに触れ合う。
 聞こえる鼓動、感じる愛しさ……こんな幸せが、大切な幼馴染にも訪れたのなら。
「……イリスさんが選んだ方ですもの。きっと大丈夫ですよね」
「ええ」
 朔は躊躇なく頷き、そして。
「万が一の時には私達がお仕置きをくれてやりましょう」
 さらりとそんな事を言い放つ朔に紫乃は目を瞬かせ、けれどすぐに「そうですね」と笑うのだった。


「アイザックは幸せと同時に多くの敵を作ったのかい?」
「あら、イーちゃんを泣かせない限りは心強い味方よ? ね、レジーナ」
「はい」
 くすくすと楽しげなスタニスワフに応じるのは、やはり楽しげなユリアとレジーナ。
 サプライズを仕掛けて見事に成功させた彼女達は、幸せそうな二人を見る事でようやく任務完了、肩の荷が下りた気分だった。
 それもあり、ユリアは悪戯っぽく笑うとスタニスワフの額を指で軽く弾く。
「さぁ。色男もそろそろ身仕舞かしら?」
 その問いには意味深な笑みで応じる傭兵に、ユリアは肩を竦めた。
「悲しみも喜びも共に歩める人が居るのは幸せよ。幸運を臆病で逃がさないで」
「臆病、ね……」
 ふっと表情を変えた彼に、レジーナが見せたのは和やかな微笑み。
「どうか、お幸せに」
「……ありがとう、レジーナ」
 そうして三人、優しい笑みを交し合った。



 もう一組の新郎新婦、エーヴァとイーゴリの周りでも開拓者達が賑やかだった。
 その最たるはアルマ。
「イーゴリちゃん、エーヴァちゃん! おめでと! 綺麗だね!」と祝福の言葉までは普通だったのだが「ね、ね、プロポーズの言葉は? 秘密?」とゆるゆるの表情でイーゴリの周りをくるくるし出すと、イーゴリの顔が真っ赤になり。
「どわぁぁぁっ、なんで俺だよっ、アイザックだろ!? この場合はアイザックがメインだろ!?」
「だってアイちゃんは公開プロポーズだった、って。ね、エルディンちゃん」
「ええ、びしっと男らしく決めていたそうですよ」
「ね?」
「ね? じゃねぇっ!」
「イーゴリちゃん男らしくなーい」
「男らしくないぞー♪」
「ぞー♪」
 アルマが全力で冷やかし、霧先母娘が悪乗り。
 ルシールが「似た者母娘ですね」としみじみと呟けば「せっかくの祝いの席なんですし惚気全開で来て欲しいですよねぇ」とエルディン。
 イーゴリは堪らずに「助けて下さいよ!」とボスに泣きつくが、助けてくれるはずがなかった。
「みんな祝ってくれているんだから有難い事だよ、……で、エーヴァ。プロポーズの言葉は何だったんだい?」
「え、あ。ボスに言われたら仕方ないですよね。実は……」
「ぐぁああああああ!!」
 副長、壊れる。

 一方では賑わう仲間達の姿や声に風和 律が失笑する。
「まったく……しばらく会わなくても変わらないな」
「ええ。ですが、……懐かしい、です」
 ルシールが静かに笑いながら呟いた。
 フェイカーの件以来、傭兵達と会う機会のなかったルシールは勿論、騎士としての職務に専念するため開拓者業を休んでいた律にとっても、祝いの席に集まった全員が懐かしい顔触れだ。
(懐かしい、か)
 心の内に反芻し、そう感じられる程度に落ち着いている自分自身が驚きだと苦い笑みを零す律。そんな友人の姿から何を感じ取ったのか、ルシールは続ける。
「さきほどレディカ夫人にも挨拶をして来ました。たまたまレジーナさんとも一緒になって、彼女も、夫人も、お元気そうでしたよ」
「そうか。それを聞いて安心した……自分も挨拶に行かなければな」
「きっとお二人とも喜びます」
 開拓者同士というよりも、騎士同士という表現の方が似合う凛とした雰囲気を醸し出している二人だったが、不意に勢いよく倒れ込んできた人影に驚かされる。
 精神的な攻撃によって疲労困憊しているイーゴリだ。
「……大丈夫か?」
 心配になって水を差し出せば「お、おう、感謝する……」と一気にそれを飲み干す本日の主役……のはずの男。
 律とルシールは「大変だな」と無言の視線で会話し、そして。
「副長さん、ご結婚おめでとうございます」
「結婚、おめでとう。託されたものに相応しく生きて来られたか、生きていけるかは道半ばだが……せめて今回は顔を出したくてな。気の利いた台詞を言えるような機知もまだ勉強中ですまないが……」
「いやいやいやいやっ」
 イーゴリが全力で首を振る。
「それでいいっ、祝いの気持ちだけで十分だ、だからあれを何とかしてくれっ」
「あれ?」
 彼が指差す方を見遣れば、ゆるゆる顔のアルマがにっこり。
「イーゴリちゃん、まだプロポーズの言葉を聞いてないよ」
「それは、だから、ほらっ、あぁっ、なっ、なんとかしてくれっ」
 懇願にも近いイーゴリの訴えに律とルシールは顔を見合わせ、しかしルシールは何を思ったのかイーゴリを後ろから羽交い絞めにしてみる。
「ほわっ!?」
「ルシール?」
 驚くイーゴリと律に、ルシールは少し考えた後でぽつりと。
「なんとなく、それを聞きたい人達が他にもいる気がして」
「他!? 他って誰!?」
「ルシールちゃん協力感謝! さぁイーゴリちゃん白状しないとこちょこちょの刑だよーー♪」
「うぎゃぁぁぁはっはっははははははぁ!」
 響き渡る絶叫、続く大笑いに、しかし傭兵仲間からの救いの手はない。
 開拓者達には知る由がなかったけれど「もしも彼らが生きていたら限界までイーゴリで遊んだに違いない」と。
 彼らの記憶が開拓者達の心にも残ってくれている事が、傭兵達には。
「うひゃひゃひゃひゃひゃ!! も、もう止め……っ!」
 笑い声も掠れようかという段階に来て、イーゴリがばたつかせた手足がすぐ傍にあったテーブルの脚を折った。
「!」
「きゃぁっ!」
「うあっ」
 ばしゃーん!!
「……」
 しばしの沈黙を経て「大丈夫かい?」と声を掛けたのはスタニスワフ。其処にはテーブルの上にあった氷入りの水を頭から被って水浸しになったアルマとルシール、イーゴリ、そして律がいた。
「ご、ごめんね律ちゃん……!」
「すみません律さん、調子に乗り過ぎてしまいました……!」
「うぉい、謝るのは律にか!? ってか俺が謝るべきだろすまない律……!」
 三者三様の謝罪にびしょ濡れの髪を掻き上げた律は、しかし、笑う。
「夏で良かったな、きっとすぐに乾く……しかし、全員揃って酷い恰好だ」
 くすくす、ふふっ、あははははっ。
 次第に広がる笑い声の合間に「水も滴るイイ女だよ」とスタニスワフが茶化す。
「イーゴリがごめんなさいね。……でも、もう無理だと思っていた、見たかった遣り取りが見れて、とても嬉しいの。ありがとう」
 そう告げてルシールに手を差し出したのは、エーヴァ。
「いつか私達に子供が生まれたら会いに来てね。男の子なら名前はショーンにするつもりだから」
「――……」
「その赤いドレス、とても似合っているのに着替えるのは惜しいわね。どうしようかしら」
「こ、このままで大丈夫です。律さんが言う通り、すぐに乾くでしょうから」
 そう応じたルシールが見せた笑顔。
 心からの、笑顔。
「ありがとうございます」
 感謝の言葉は手を差し出してくれたエーヴァへ。
 そして、この命をくれた彼へ――。



 式は終盤に差し仕掛かり、イーゴリとエーヴァ、二人の結婚を祝う贈り物にと催されたのがフェンリエッタ、フェルル、アルマによる楽曲と舞だった。
 フェルルの舞。
 アルマの演奏。
 そして、フェンリエッタの歌。

 ――幾星霜の冬を越え 兆す春を共に祝う
 ――培いし真心と手と手 携え 片翼の人は永久に契る
 ――暁の空のもと 一対の翼を広げ今 飛び立とう

 この地の精霊に、夫婦となった二人の幸せが永遠に続くことを祈ると共に、彼らを祝福する皆の笑顔に包まれることを願う舞。
 優しい傭兵団の皆にとって今日という日が最高の一日となるよう祈る歌声。
 彼女達の姿を……フェンリエッタの姿を、ただ一心に見つめていたのはファリルローゼだ。
 祈るように握られた手には青いリボンで束ねられた白百合がある。
 リディエールから贈られたこの花束を見たとき、自分はスタニスワフときちんと向き合わなければと思った。
 その覚悟に嘘偽りはないのだが、……今はただ妹の事が心配でならず、目を離す事が出来なかった。
(フェン……!)
 彼女の笑顔が続くことを。
 歌声が最後の最後まで辺りに響くことを。
 その真心がこの場にいる皆に届くことを、ただ一心に祈り続けていたのだ。
 そんなファリルローゼを少し離れた場所で見つめていたのはスタニスワフ。そして、ウルシュテッドだ。
 ウルシュテッドは姪を見つめる男の瞳に一つの答えを得つつも、あえてその肩を掴む。
「よう、色男。俺は間怠い事が嫌いでね。……ロゼをどうするつもりだい」
 低音の問い掛けに傭兵は静かな視線を向けた。
 それはまるでウルシュテッドの問い掛けの真意を逆に問うようで、しばらくの沈黙が続き、……先に折れたのはスタニスワフ。
「……どうしたいかを答えるのは簡単だよ。だが……」
 その後に続くのだろう言葉を、ウルシュテッドは先刻と同様にその瞳から察した。
 だから告げる。
「……亡き義兄から託された大切な娘だ。結婚も幸せも当人次第だが……頼むから不幸にはさせないでくれ。あの子らが苦しむのはもう、見たくないんだ」
「……フェンは……」
 言いかけて、けれど再び言葉を切るスタニスワフ。
 二度沈黙が周囲を支配し、やがてスタニスワフは告白する。ずっと押し込んできた言葉を。
「……懺悔だと思って聞いてくれ。俺にはね、ずっと以前からフェンに言いたくて、けれど言えずに押し隠してきた言葉がある……『死にたくなったら俺のところにおいで、殺してあげるから』と」
 思わず肩を掴む手に力を込めたウルシュテッドだったが、スタニスワフは自嘲気味に笑った。
「俺は臆病で弱い人間なんだ。君の想いと比べるべくもないが……あの子らが苦しむのを見ていたくはなかった」
 だからそんなにも辛いなら自分の手で、と。
 しかし言葉には出来ず。
 ならば彼女を苦しめる元凶を絶ってやろうかとも考えたが、それすら姉妹を苦しめるだけだと判るから行動に移せず。
「苦しむフェンに何もしてやれないのに生きて欲しいと酷な願いを抱き続けた……そんな男でも、ロゼの愛を求める事は許されるだろうか」
「……」
 ウルシュテッドは心の内で反芻する。
 臆病で弱いと己を評した男の言葉。
 そして、彼を慕い、共に在る多くの命達。
「その問い掛けは卑怯だな」
 ウルシュテッドは複雑な笑みを零す。
 信じるに足る男が其処に在った。

 楽曲を終えて舞台を下りたフェンリエッタを、ファリルローゼが抱き締めていた。
 頬が痛くなるまで笑顔で居続けた彼女の弱くも強い愛を。
 脆くも懸命な命を。
 精いっぱい、抱き締めていた。



 その日の夜。
 ファリルローゼが立っていたのはとある場所――共に戦った傭兵達が眠る土地だった。
「せっかく来たのだし」とフェンリエッタとフェルルに誘われた事もあり、墓参りのつもりで来たというのに、何故か自分だけ着替えさせられて白薔薇をモチーフにした肌触りの良いワンピース姿。リディエールから贈られた白百合の花束が驚くほど似合う装いだ。
 更には現地に着いてみると妹と友人の姿は何処かに消え失せ、代わりに居たのは。
「……マチェ……あ、いや……スターシャ……?」
「あぁ……さすがフェン達の見立てだね。綺麗だよ」
「!」
 真っ直ぐな褒め言葉に、夜闇にも判るほど赤くなってしまうファリルローゼの頬。
「おいで」と差し出された手を、彼女は恐る恐る握り返した。

 そんな二人の姿を少し離れた岩陰から見守るフェンリエッタとフェルルは、ぎゅっと互いの手を握りしめ。
「ロゼさん、ファイトですっ。マチェクさん、ここで決めないと男がすたりますよ」
 小声で応援するフェルルとは対照的に、フェンリエッタは微かな笑みを浮かべるだけ。
 叔父の話を聞いた限り、あの二人は大丈夫だ。
 言うべきことは何もなく、……フェンリエッタは愛用の懐中時計を両手で包み込んだ。

 何の事情も知らないファリルローゼは、緊張した面持ちながらも今日という日を喜んでいた。
「アイザックは良かったな……暁の皆と共に門出を祝えること、彼らの幸せそうな笑顔を見られたこと……もう、それだけで私は幸せだ」
「ああ。彼らも君達に祝福されて本当に良かったと感じているだろう。ありがとう……だが」
 そこで一息入れると、スタニスワフはいつもと違う真面目な顔でファリルローゼを見つめた。
「今度は俺と二人で彼らに祝われてくれるかい?」
「……え?」
 瞬時に理解出来なかった言葉を、彼は言い直す。
「俺の妻になって欲しい」
「――……ぇ、あ……」
 あまりにも突然の求婚に驚いて固まってしまったファリルローゼだったが、時間と共に理解が追い付くと、どうやっても止められない涙が零れ落ちた。
「ま、待ってくれ。だって私は、嫉妬深いし料理は下手だし可愛げもなければ妹が何よりも大事で」
「知っている。それに、俺を好いてくれていることもね」
「……! じ、自分で言うのか……!?」
「自信があるからさ。伊達に君を見てきたわけじゃないよ、ロゼ」
 真っ赤になる彼女へ、スタニスワフは重ねて告げる。
「愛している。……妻になってくれるね?」
 恥ずかしがりやで意地っ張りなファリルローゼから拒否権を奪うような。
 自分を好いている事をずっと隠そうとして来た彼女から逃げ道を奪うような、意地の悪い言い回しだ。
 だからこそファリルローゼは本音で応える事しか出来ない――。

 頷く姿を。
 堰を切ったように溢れ出る想いの言葉を、彼女を愛する者達は喜びと共に見守った。
 ふわりと灯った光り……その光源を知るウルシュテッドは、安堵の息を吐きながら空を見上げた。
 輝いているのはフェンリエッタの懐中時計――懐中光籠の明かりだ。
 いまこの瞬間にその明かりを灯すフェンリエッタの気持ちを思うと、ウルシュテッドの胸中には様々な思いが去来する。
(一つを手放し、一つは託し……この手はもう……)
 自分自身の新しい家族を守る為の手になっていくだろう。
(娘を持つ男親ってのは損な役回りだよ……義兄上)
 星空に瞳を伏せて彼は祈る。
 大切な家族達の幸せを――光りを――希望を、心から祈り続けた。