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■オープニング本文 ● 五行国最高学府、陰陽寮。 その青龍寮寮長こと菅沢あきら(iz0316)は弾むような足取りで寮生が待つ教室へ向かっていた。彼がご機嫌な理由はただ一つ――青龍寮生達が開発を目指している陰陽術『人魂』の上位術に、完成の目途が立ってきたからである。 寮生達は試行錯誤し、実験と失敗を繰り返しながら確実にそれの実現に向かっていた。 視覚と聴覚を共有する『人魂』に、さらに術者の言葉を話させる事で離れた位置にいる仲間や救出対象との会話を可能にしようという新たな術は、声帯を持たない虫や鳥などに言葉を発せさせるというところで難攻していたが、寮生達は目の付け所が良かったのだ。 本来であれば話せないはずの動物、例えば相棒の猫又などが人語を話せるという非常識を当たり前に受け止めているという矛盾に気付き、自分達が人魂として象る蝶や天道虫など、何気なく触れていた命への知識を深めていく事の重要性を知った。 離れた場所に声を届けるという事象を糸電話や風信機に準えてイメージし、腹話術という、口を動かすことなく人形や動物が喋っているように見せかける芸のコツを会得した者もいた。 それに、既存の他の術式を流用して練力を供給し続ける事で人魂の発動時間を延長させられないだろうかという画期的な意見も出た。 術そのものが完成したわけでも、成功した例もまだ無いが、それが遠からず訪れる事を菅沢は確信している。 (あとは術の名前を決めるなどしてイメージ力を補強出来れば……きっと……!) 寮生達が成功させた新しい術は、菅沢が審査した後で国の研究機関に報告。 其処で更に研究・審査された後で合格となれば、すべての陰陽師が使えるよう術として完成する事になる。 菅沢は寮生達が今日も実験を繰り返しているであろう教室へと急ぐ。 完成まで、あと一歩だ。 |
■参加者一覧
胡蝶(ia1199)
19歳・女・陰
樹咲 未久(ia5571)
25歳・男・陰
宿奈 芳純(ia9695)
25歳・男・陰
无(ib1198)
18歳・男・陰
成田 光紀(ib1846)
19歳・男・陰
晴雨萌楽(ib1999)
18歳・女・ジ |
■リプレイ本文 ● 授業開始まではまだ時間があるのに……と、既に実験と検証を開始して賑わいでいる教室の様子を耳にしながら心の内で呟いた宿奈 芳純(ia9695)は、よほど親しい相手でなければ気付かないだろう静かな笑みを口元に湛えた。 新たな陰陽術――従来の人魂が術者と共有する視覚、聴覚に、更に『言葉』を発せさせる――の開発に向けた授業を開始して早半年。完成まであと一歩だと講師兼寮長の菅沢は言うけれど、……これがなかなか難しい。 (まずは気持ちを落ち着け、冷静に、ただまっすぐに万物と向き合いましょう) 持参した岩清水を、何かの儀式のように優美な所作で木製の盥に流し入れた芳純は、次いでその水を手で掬った。 手の中で揺蕩う水面を煌めく陽の光りに翳す姿は恭しく、ゆっくりと口元へ運ぶと音もなく喉を潤す。 「……水は命、生命の源」 紡がれる言葉は己に言い聞かせる呪いのように響き、彼の背を押した。 賑やかな教室へ、今日こそ『答え』を手に入れるために。 ● 教室の中央、寮友達に囲まれた中心で胡蝶(ia1199)が組み立てていく術式は他でもない、彼女達が全力で開発中の人魂の上位術である。 従来の人魂発動条件に、既存の陰陽術の中からそれらしい術式を流用するなどの手法も駆使し、蝶々の一種であるオオムラサキを象る人魂から声を発すべく、その成功を強くイメージする。 「……っ」 そのために、今までにない長い時間を生きた蝶々の観察に費やした。 絵に描き起こしてより身近な存在に感じようと試みた。 翅の文様の一筋一筋から、胴を覆う細かな毛の一本一本にまで注意を向けて見つめ続けた姿と、眼前の人魂が象った姿を己自身に重ねて、言葉を。 「くぅ……っ」 『グゥ……ッ』 お、と无(ib1198)が身を乗り出した。 胡蝶が漏らした苦悶の声が人魂から聞こえた気がしたからだ。 「もう一息だよ胡蝶!」 モユラ(ib1999)も拳を握って応援し、励まされた胡蝶は更に人魂に意識を集中させようと気合を入れ――。 「……惜しいところまで来ているのにこんな事を言うのは心苦しいのですが」 樹咲 未久(ia5571)が咳払いの後で言う。 「胡蝶さん、呼吸をしてください」 「え」 「! ちょっ、胡蝶!」 未久に指摘された事で無呼吸に気付いた胡蝶だったが、頭が理解するより前に大きく息を吸ってしまった為、視界がぐらりと揺れて転倒……仕掛けたが、モユラが瞬時に手を伸ばして支える。 「大丈夫!? うわぁもうごめんっ、あたい達が応援のつもりで煽りまくったせいだよね!?」 「違……、大丈、夫……」 モユラの手を借りて立ち上がる胡蝶の顔色が、数秒前までの真っ赤なものから自然な肌色へと戻るのを確認して、无も安堵の息を一つ。 「少し夢中になり過ぎたようで。大丈夫ですか」 「ええ……」 无の気遣う言葉には笑みも浮かべて応じ、それでもくらくらする頭を、手の平で二、三度小突いた。 「もう少し早く言うべきでしたね」と此方も申し訳なさそうな未久の言葉の後には「樹咲さんが気付いてくれて良かったのですよ」と芳純。これには監督責任のある講師・菅沢も恐縮しながら「ありがとうございます」と頭を下げた。 「私まで胡蝶さんの術が成功しそうだと思ったらはしゃいでしまって……本当にすみません」 皆で謝り合う教室内。 その一つ一つに「大丈夫」「いいえ」と応じていた胡蝶も終いには可笑しくなって笑い出した。 「本当に大丈夫よ。気付かせてくれて感謝するわ、未久。ありがとう」 「どういたしまして、ですよ」 そう言って未久も穏やかに微笑んだ。 十分程度の休憩を取ろうという話になり、お茶を用意して卓を囲んだ彼らだったが、其処での会話もやはりというべきか開発中の術についてだ。 「さっきの胡蝶さんの術式に『はしゃいでしまった』という事は、寮長から見ても合格点に近かったと見て良さそうですかね」 「そうですね」 无の問い掛けに菅沢は頷く。 「個人的にはもう一押し必要だと考えていますが、先ほどの胡蝶さんの術式の完成度は高かったと思いますよ」 「ふむ、完成には近づいているけれど、まだもう一押しですか」 これだけ時間を掛けて実験、検証し続けてもまだもう一押しとか、まるで雲をつかむような話だなと肩に乗る尾無狐にごちる无を見て、菅沢はくすりと、口元に手を寄せた。 「私としては、何故まだ『そこ』に気付かないのかが不思議ですが」 「そこ?」 「ええ、そこです」 聞き返すモユラにも意味深な笑みで応じるのみの講師に対し、彼女は大仰な溜息を吐いた。 「これも勉強の為と思って山で虫とか鼠とか鳥とか捕まえまくったケド、よく判んないままでサ。難しいね」 なかなかどうして野性味溢れる発言に仲間達からも「さすがです」と笑みが毀れた。 菅沢も笑んだ後で「では」と続ける。 「以前にも聞いた質問ですが、人魂から知り得るものが、人魂本体から見える場所、聞こえる範囲に限られるのは何故だと思いますか?」 「私が人魂となり『生きている』からでしょうか」 即答は芳純。 これまで何気なく触れていた術。 人魂という、自分とは別の器。そこにどれだけ確実なイメージで同調出来るかが成功への鍵ではないだろうかというのが彼の答えであり、菅沢は「そうですね」と応じた。 「私たち陰陽師は、こういう術式が『ある』からとこれを用い、深く考える事無く効果を得ます。ですが新しい術式を完成させるにあたっては、その考えていない部分を突き詰めて形にしなければなりません。今回の人魂に関して言うならば、人魂を通して当たり前のように見ている、聞いている現実を、これが術式であるという事実に基づいて検証する事が必要であり、皆さんはその大部分において既に合格しています。実際、胡蝶さんの先ほどの挑戦では組み立てた術式で人魂に声を発せさせる第一歩は果たしたと判断しても良いでしょう」 「術式を維持するのに精いっぱいで言葉にはならなかったけれど」 まったく満足していない胡蝶の反応に、皆の発言一つ一つを胸中で反芻していた无が首を捻った。 「……声、出てましたよね?」 「ええ、出ていましたよ」 確認に、是の応え。 術式は正しい、成功は見えている。 必要なもう一押し。 自分達が気付いていない事とは何なのか――。 「人魂はもう一人の自分……」 ぽつりと独り言のように呟いたのは未久。 「感覚の共有……、共有……?」 一言一言を噛みしめるように口にしていた未久は、何に気付いたのか人魂を発動して――不意に、笑い出す。 指先に止まる天道虫は、術者の思うとおりに動き、見聞きする言わば分身だから。 「ああ、なるほど。そういう事でしたか」 「え?」 「未久?」 「これも『無意識に受け入れていた非常識』ですね?」 怪訝な顔をする仲間達に頷きながら菅沢に確かめた未久は、今度こそ講師の満面の笑みを受け取った。 その反応を見た寮生達は次々に己の人魂を発動し、未久がしていたように向かい合う。 「……あ」 无が気付いた。 「! ああっ!?」 「――……なるほど」 モユラが声を上げ、芳純は静かに瞳を伏せ、胡蝶は。 「どうして気付かなかったのかしら……私達はこんなところでも無意識の切り替えをしていたんだわ」 感覚を共有しているのなら、人魂を発動しているいま、自分が見える景色は人魂が見ているもの――自分の姿になるはずだ。だが、いま自分達が見つめているのは人魂の姿……それは、自分自身が見ている景色だ。 これまで何度も実験を繰り返してきながら、なぜ誰一人この事に気付かなかったのか。 それは人魂の術式を研究し尽くした彼らが、無意識にそれを成し遂げてしまっていたからに他ならない。 「人魂という陰陽術を改良するならば、皆さんは人魂の術式を正しく理解しなければなりません。そして正しく理解した今、人魂という既存の術式に『離れた相手との会話を可能にしたい』という術式を組み込むにあたって必要になるものは何か……もう説明は不要ですね?」 陰陽師は離れた場所を探索するという意思を以て人魂を放つ事により、その視界を得る。 寮生達は頷き合うと、胡蝶、モユラ、无の三人がその場に残り、未久と芳純が隣の部屋へ移動した。 直接的には相手の姿が確認出来ない環境を設け、胡蝶と未久がそれぞれに新たな人魂を発動し、隣の部屋へ移動させた。視界と音の世界が切り替わる。 相手の姿を捉える。 そうして、緊張の瞬間。 「……未久?」 『……未久?』 重なった二つの、胡蝶の声。 「……聞こえます、ね」 『……聞こえます、ね』 確認する未久の声音に滲む達成感。 「……っ、やった……!」 モユラが強く両手の拳を握りしめ、芳純が深呼吸を一つ。 そして无は「なるほど、それで腹話術ですか」と納得した顔を見せた。 「人魂を発動する場合の多くは自分達の存在を気付かれたくない時なのに、術者が声を発さなければ人魂が喋れないのでは相手に気付かれてしまう……かと言って人魂に声帯を付与するイメージで術式を組み立ててきた以上は術者が喋る事が前提……」 「その通りです」 菅沢が頷く。 「尤も、皆さんが完成させたこの術式を五行屈指の陰陽師達が検証、精査し、世の多くの陰陽師達が使えるよう調整した後には、そのあたりも何とかなるかもしれませんが、それはやってみなければ判りませんからね。ともあれ、まずはこれで最初の術開発は終りょ……」 「いいえ、まだよ」 講師の言葉を遮るように言い放ったのは胡蝶。 「まだ人魂の効果時間の延長方法が定まっていないもの」 「だよネ」 「ついでに発動までの時間も短縮出来れば尚良しかな」 モユラに続いてさらりと新たなる課題を提示する无に、菅沢は目を瞬かせた。 「え、えっと……長い時間を掛けてようやく希望の術が完成したというのに……随分と、その……やる気が満ちていますね?」 「当たり前でしょう、今だからこそよ」 「この流れでいけば何でも出来そうです」 胡蝶と未久の言葉に、全員が無言の同意を示す。 これには菅沢も絶句し、……けれど「判りました」と口元に笑みを浮かべた。 「では、とことんやり尽くしましょう。最後の最後、完成した術が皆さんだけでなく世の陰陽師達が使えるようになった時に、悔いがないように」 ● 本当は、術の開発が巧くいっても、いかなくても良かったんだ……人魂の改良版に、更なる利便性を付与せんと熱い論議を交わす仲間達の姿に、モユラはこっそりと胸の内で呟いた。 彼女にとって重要なのは研究の結果ではなく、いま、この瞬間。 仲間達と論議しているこの場所だったからだ。 (これが、あたいが此処に残った意味……) 改めてその事に気付くと、胸の内に火が灯ったように熱くなる。 彼らとこうして過ごす時間が大切だと感じるからこそ、術が完成して良かった、と。 此処から更にやってやろうという気持ちになれた。 「この間」 胡蝶から穏やかな声が上がる。 「『青龍寮入寮式』の事を思い出してね。埋め札っていう、好きな事を書いた札、憶えてるかしら」 「そういえばそんな事もありましたね」 自分は何を書いたかなと思い出そうとする仲間達に微笑み返しながら胡蝶は続けた。 「私は二つ、片方は空欄にしたの。あの頃は目標も特になかったから。……もう一つには『ここにある全ての願いが叶いますように』って書いてあった」 一緒に埋め札をした仲間達の願いが叶いますように――その願いに、胡蝶は自分の願いを新たに添えてきたのだと言う。 「なんて書いてきたんですか?」 未久の問い掛けに胡蝶は笑って「『皆で一緒に卒業する』って書いてきたわ」と告げた。 トクン、とモユラの鼓動が跳ねる。 「後出しだけど、四年分の願掛けも込めたし、もう一頑張りしましょう」 「もっちろん!」 身を乗り出して応じるモユラに、男性陣も頷く。 「此処まで来たらとことんですよ」 「次は何をしましょうね」 気の早い話に、傍で聞いていた菅沢は「次の研究も大事ですが、まずは今回の術を国に申請するためにも術の名前を決めてくださいね」と。 「ああそうでした、どうします?」 飄々と応じる无に、芳純。 「そうですね……」 しばらく考えた彼は、自分が授業に参加する前に行った動作を思い出した。 「では、産魂(むすび)はどうでしょう。同じ音で掬び……掬うというむすぶと読むのですが、この意味を持たせるのです。体の中に魂を入れ、万物を形成・発展させる働きの事を『水を掬ぶ』というのです」 故に掬びは産魂、命の連続性、誕生を意味するものだと彼は語った。 「術を『結び』つける為の願掛けの様なものですが、……ご判断はお任せします」 「とてもいい響きだと思うけれど、少し判り難いかしら。私達は芳純から直接その意味を聞けたけれど、他の陰陽師達は知らないで使う事になるだろうし」 胡蝶が難しい表情で感想を述べたところで「では」と挙手したのは未久だ。 「単純明快に『言魂(ことだま)』はどうですか? 古来より言葉に宿ると信じられた力の事を言霊と呼びますし、今回は人魂に言葉を宿らせたという事で『言魂』に」 「うん、いいんじゃないカナ」 「私も賛成です」 モユラ、无が賛同し、胡蝶が気遣うように芳純に目を向ければ彼も静かに頷き返す。 「そうしましょう」 「じゃあ、決まりね」 教室に揃う青龍寮生達の笑顔に、菅沢も心からの笑顔を浮かべるのだった。 こうして胡蝶発案の新術式は『言魂』の名で国の機関に申請された。 効果時間の延長等、試せる限りの実験を繰り返して付与した特殊効果がどう国に判断されるかはまだ判らないが、これだけは確実だ。 世の陰陽師が、青龍寮生達が生み出した新術式を使うようになるのはもう間もなくの事である――……。 |