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■オープニング本文 ● その日、五行国陰陽寮が一つ、青龍寮に講師として新たに招かれた菅沢あきら(iz0316)は五行王・架茂天禅(iz0021)に謁見していた。 今後の青龍寮に関しての方針を確認するためであり、諸々ありながらも青龍寮生として在籍し続けてきた生徒達の心情を慮るため、その要望や現時点での不安などを王に伝え、回答を得るためだ。 「寮生達は、他の寮生に比べれば知識も技術も心許ないかもしれないが卒業に向けて諦めるつもりはないという意気込みを聞かせてくれましたし、面白くなれば良いという個性的な話をしてくれた子もいました」 命の次に大事と言っても過言ではない眼鏡の位置をそっと直しながら、あきらは笑顔で五行王にそう語ると「二、三確認したい事がございます」と続けた。 五行王は「なんだ」と低く応じる。 「まずは先日の……お恥ずかしながら、私が寮生達に助けられた一件。あの時に不在だった仲間達がいたようで、その子達が今後の授業に参加出来るのかどうか、心配している寮生がおりました。私としては盗賊に攫われるなど予定外もいいところ……恐れながら王は私が到着する日時をお忘れになっていたようですし、不在だった寮生に対し罰則が発生する事は無いと考えますが、如何でしょうか?」 「無論。おまえの判断に任せる」 「ありがとうございます。では龍花を失くした者に関しては如何でしょうか?」 「……?」 五行王は眉根を寄せる。 龍花というのは青龍寮へ入寮した際に渡される、入学許可証。それは陰陽寮生にとってとても重要な品だ。それを失くすという意味を彼は訝しむ。 「退寮し、返却した者や、悪気なく紛失した者が再入学を望むなどであれば個別に対応する事は可能だろうが、某所でくず鉄にしたなどであれば問題外だな」 「それは、同感ですね。他の寮の方々にも示しがつきません」 あきらは困ったように笑った。 「では新たに私が講師として教壇に立つことで、いわゆる進級の際の教材配布については如何でしょうか?」 「……これまでろくに授業も行わずにいた青龍寮だ。進級というのも些か……」 五行王が言葉を濁すのは、青龍寮生を卒業させたいという気持ちと、他の寮生達の進級の苦労を知ればこその葛藤ゆえ。 五行王は考えを纏めんと深い息を吐いた。 「私の元には、卒業を望む声が届く一方、青龍寮を使い続けたいという声も届く……しかし卒業させぬでは陰陽寮の意味がなく、他寮の生徒達とて納得すまい。故に青龍寮の廃寮を決め、卒業後の寮生達の進路次第では青龍寮を違った形で利用していくという選択もあろうかと考えたが……」 口下手で不器用な王の思惑は、なかなか他の者に伝わらないのが実情だ。 そういう意味でも五行王は悩んでいる。 彼は彼なりに、いろいろと考えてはいるのだ。実にならぬだけで。 (尤も、それが王であられるこの御方にとっては致命的なのでしょうが……) あきらは内心に呟いて苦く笑む。 実を言えば、そんな王を支える一柱になれるならと今回の講師としての招待を受けた彼だ。 「では進級……ではなく、私が講師となるにあたって行う授業に必要と判断する教材があれば配布を検討するという事でよろしいですか?」 「ああ」 「承知しました。――まずは人魂の改良型の開発を希望するという話でしたが、進捗状況は如何程に?」 「ゼロからの出発だと考えてよい。従来の人魂は恐らく全員が発動出来る。視覚と聴覚以外に触覚も共有したい、人魂に術者の言葉を話させたいというのが希望だ。講義の進め方についてはおまえに任せる」 「……判りました。私も初めての事で寮生達に迷惑を掛けてしまいそうですが、精進致します」 「頼む」 ――そんな遣り取りを最後に王の御前を辞したあきらは、青龍寮に戻る道を歩きながら思案する。 「……ふむ、やっぱり最初は親睦を深める必要があるでしょうか」 自分を助け出してくれた寮生達、一人一人の顔を思い浮かべると、それぞれに個性があり、己の意思があり、生き方があり、信じるものがあると察せられた。 単純に講師は自分だと上からものを言うような授業では彼らの成果に繋がっていかない事も察せられた。 で、あれば。 出来れば、今後一緒に研究開発を進めていく寮生達の事を知りたいし、自分の事も知って欲しいと考えたあきらは、青龍寮に戻ったその足で、掲示板に一枚の紙を張り出した。 曰く、親睦会を開きますのでご参加下さいというもの。 「自分の歓迎会を自分で催すようで気恥ずかしいですが……いえいえ、これが最初の一歩です」 あきらは自分を鼓舞するように胸元を叩くと、その日を楽しみに自室へと戻るのだった。 |
■参加者一覧
カンタータ(ia0489)
16歳・女・陰
胡蝶(ia1199)
19歳・女・陰
樹咲 未久(ia5571)
25歳・男・陰
鈴木 透子(ia5664)
13歳・女・陰
宿奈 芳純(ia9695)
25歳・男・陰
无(ib1198)
18歳・男・陰
成田 光紀(ib1846)
19歳・男・陰
晴雨萌楽(ib1999)
18歳・女・ジ |
■リプレイ本文 ● 菅沢あきらは自ら計画した親睦会の時間に、予定の教室に向かったが、そこで彼を迎えたのはカンタータ(ia0489)一人きり。 一抹の不安を覚えながらも「他の皆さんは……?」と問えば、カンタータはぺこりとお辞儀する。 改めての自己紹介と、先日の騒動の詫びや感謝、そして。 「今日の親睦会ですが場所を変更させて下さい、皆さん待っていますからー」 そうして背中を押されるがまま到着したのは食堂だ。 「さぁどうぞー」 カンタータが開けた扉をくぐると同時、食堂内にいた寮生達が次々と起立する。 「これは……」 「話だけでは間が保たなくなるかもしれませんから、食事を用意したんですよ」 无(ib1198)が言い、樹咲 未久(ia5571)が頷く。 「以前に王様が来られた時も歓迎会で有志が料理を振る舞いましたから、青龍寮の歓迎会らしくて良いと思いまして」 「初めての寮生もいますから自己紹介から始めましょう。その間に料理を並べてしまいます」 宿奈 芳純(ia9695)はそう言うと厨房に姿を消す。 どうやら出来たてを並べようと言う配慮らしく、その後を「私は自己紹介も終わりましたし手伝いますよー」とカンタータが追い、あきらは寮生一人一人を順に見渡した。 そうして初対面だと気付いたのが――。 「胡蝶(ia1199)です。先生は……菅沢先生と呼ぶのが良いのかしら」 「胡蝶さんですか、素敵なお名前ですね。呼び方に拘りはありませんから、菅沢でも、あきらでも、呼びやすい方で呼んでください。そうそう、必然的に青龍寮の寮長という立場も引き継ぐ事になったようなので、寮長でも構いません」 そうなのかという反応が其々から聞こえる中、胡蝶は続ける。 「先日は迎えに同行出来ず、すみませんでした」 「いいえ。さっきもカンタータさんに言いましたが、元はと言えば五行王から皆さんに私の事が伝わっていなかったと聞いていますし、気に病まないで下さいね」 「ありがとうございます」 ぺこりと頭を下げた胡蝶は、しかし少し考えた後で「失礼ですけど……」と遠慮がちに続ける。 「随分とお若く見えますね」 「ふふ、よく言われます。これでも三十路なんですが、初対面の方にはいつも子ども扱いされてしまいます。都合が良い時にはそのまま子供のフリをするんですよ。あ、もちろん皆さんには講師として認めてもらえるよう精一杯大人ぶります」 悪戯っぽく微笑む講師に胡蝶の肩の力もようやく抜け、寮生達の自己紹介が続く。 鈴木 透子(ia5664)、成田 光紀(ib1846)、モユラ(ib1999)。 料理の準備をし終えた芳純が最後に改めて名乗り、あきらもまた改めて一人一人の顔を見つめ挨拶するのだった。 ● 光紀の厚意で酒も種類豊富に用意されていたのだが、一先ず今後の話をする間は酒類は控えようと言う意見で纏まり、皆の手元には湯呑が一つずつ。中身はもちろんお茶だ。 そして卓に並べられた数々の料理は寮生達がそれぞれに調理した力作揃い。 「ああ、この和え物は美味しいですね」 あきらが言うと、作成者の芳純は「光栄です」と微笑う。 豆腐とわかめ、茹でた小松菜を芳純独自の分量の醤油と酢で合え、クコの実を砕いて細かくしたものをふりかけた一品だ。 更に青梗菜と湯葉と人参の炒め物にはみじん切りにした生姜と、干しエビを加え、敢えて言いはしないが、あきらの視力回復を考慮した内容になっていた。 无は豚の角煮を。 モユラは大根の煮つけを。 そしてカンタータはジルベリア風のボルシチ(紅汁)とパンプーシュカ(蕎麦粉や小麦粉で出来た小さめの揚げパン)を大量に準備しており、更には――。 「私が作ったお菓子は食事が終わった頃に出しますね」と未久が微笑んだ、その瞬間。 「??」 周囲の空気が微妙に凍りついた事にあきらは気付き、未久は気付かない。 「何か?」 「いえ……まぁ、とりあえず今後の話をしませんか」 あははと无が笑い、硬めのパンとジャムの瓶詰、蜂蜜など甘いもの担当の胡蝶が何とも言えない表情を浮かべつつも話を進める事に。 「研究課題の候補になっている人魂の改良を提案したのは私です」 「そうでしたか。他の皆さんも、まずは人魂の改良にあたる事については異論無しでしょうか」 確認するあきらに、一同は是と返す。 中でも懐かしい思い出を語ったのは未久。 「実は義弟達に人魂を披露したのが陰陽師への初めの一歩でしたので、私にとって人魂は思い入れのある術です。故に、その人魂の改良開発にはとても興味が湧いています」 それに、と思い出すのはつい先日の、あきらを盗賊連中から救い出さんとした事件の事。 人魂の動きで救出に来た事を知らせようとして失敗した経緯から、動きや書を確認出来ない相手に此方の動きを伝える方法として、人魂に術者の言葉を発せさせるという挑戦はとても重要だと実感したのだ。 「なるほど。他に挑戦してみたい研究はありますか?」 「人魂の追加改良という意味でなら、声の強弱も出来るようになると良いですね」 あきらの問い掛けに未久が言葉を重ね、无が。 「触覚も共有出来ると良いなと思いますね」 以前に人魂で物を動かした経験があり、その際の感想として触覚も欲しいと考えたという。 更に胡蝶が。 「以前、架茂王が大鷹の人魂を使っているのを見た事があるわ。あれは明らかに人魂の限界とされる大きさを超えていたし……人魂については、まだ私達が知らない技術とかあるように思うの」 「なるほど」 寮生達の考えを、あきらは興味深そうに、そしてとても楽しそうに聞き、そして一つずつ答えていく。 「まずは五行王が大鷹の人魂を使っていた件ですが、それは五行王ほどの力の持ち主だから出来る事だとお答えします。あの方は性格にこそ問題はあれど、陰陽師としての実力は五行髄一と言って過言ではありません」 その返答に複雑な表情を浮かべた者も数名在ったが、特に発言はなく、あきらの講釈は続く。 「人魂に必要なのは、まずは想像力だと考えてみてください。この世に存在する生き物の姿を象った人魂と視覚と聴覚が共有出来るのは何故か――それは、皆さんの周りに存在する生物もまた当たり前のように視覚、聴覚を有している事を『知っている』から。言い換えれば、あえて意識せずとも、そういうものだという概念が、陰陽師の人魂に視覚と聴覚を共有させるのです。そう考えれば、術者の声を発せさせる、触覚を共有する――これらの実現は決して不可能ではありません」 講師の断言に、寮生達の胸中に湧いてくる期待と、自信。 「ですから次回からはこの実現に向けて本格的な授業を……と思いますが、どう進めるのが良いでしょう?」 「実験と結果確認を多く行えるのであれば、遠足も歓迎ですよ」 无が言い、胡蝶も。 「後は、これまで陰陽寮を卒業した先輩の残した記録や、資料を見る事が出来ると良いと思うわ。それらの資料に人魂の研究をしたものが残されていれば重要な意見になるでしょうし」 「最もですね。閲覧の許可を申請してみましょう」 うんうんと一同が頷く中、次いで口を開いたのは透子。 「人魂に楽器の音も流せたらすごいことになりそうだと思ったのですが、ちょっと無理そうですね」 声を発せさせるのは術者と人魂の声帯を共有させるというイメージを確定させる事で可能性が得られると考えると、声帯以外からの音を伝えるのは非常に困難だろう。 「残念です」と応じる透子に、けれど面白い意見ですと返した講師は、 「詳細はこれから検討しますが、次の授業は一月の半ばくらいを予定しておいて下さい」 一同が今後の予定として彼の考えをそれぞれに記憶する中、 「すみませーん」と手を挙げたのはカンタータ。 「他に研究したい内容ということで、瘴気の核を投入して魔の森などで宝珠が作れないでしょうかー?」 「瘴気の核を投入して宝珠を、ですか?」 驚いた顔をする講師にカンタータは続ける。 「以前……いつだったか詳細には思い出せないのですけれどー、遺跡の瘴気溜まりに外部から侵入したアヤカシが圧殺させて粗製の宝珠になったらしいのを見た気がするのですー」 あきらは何度も目を瞬かせた。 「これが再現出来ると瘴気を減らせて宝珠を得られる画期的な方法になり得ると考えているのですがーどうでしょうー?」 困惑した様子で頭を掻くあきらは、必死に自分の知識、記憶をフル回転させていたが、答えになりそうなものがまるで見つからない。 「すみませんが、それは初めて聞く内容で……ですが、実際にあった事だとすれば前代未聞ですし……もし詳細を思い出せるようでしたら教えてください。私も一陰陽師としてその現象にはとても興味があります。記録などがあるなら是非確認してみたいです」 「わかりましたー」 きちんと答えられない事を繰り返し詫びる講師に、しかしカンタータは普段通りの反応。決して急がず、慌てず、思い出せたら伝えようと思うだけだ。 「他には、どうでしょう?」 個々の意見を確かめるようにゆっくりと周りを見渡す講師は、ふと透子に視線を止めた。何かを言いたそうな、けれど躊躇うような素振り。 「透子さん。もしよければどうぞ?」 微笑む講師に、透子は更に迷った後で顔を上げた。 「あの、無茶を承知で……ジルベリアに青龍寮の支部を作れませんか?」 「支部……ジルベリアに、ですか?」 驚くあきらに透子は言い募った。 「動機は私情です。無茶苦茶な事を言っている自覚もあります。ですが……もしもジルベリアに支部が出来れば、もしかしたら、……此処には居ない仲間が、戻って来てくれるかもしれなくて」 過去にジルベリアではこういう事件もあって、と言葉を選びながら慎重に伝えられる思いに、あきらは応えたいと思う。……けれど。 「ジルベリアも五行も一つの国です。その事件に際し、あちらから正式な要請があれば検討出来るでしょうが、此方からそれを提案する事は、まず有り得ません」 「そうですか……」 「……失った信頼を取り戻すのは容易ではありません。ですが、……私は皆さんと一緒に、青龍寮に入って良かったと思って頂ける未来を手にして貰えるよう全力を尽くします。その結果を得るまでの過程が、もしも去ってしまった方々の心に響けば……もしかしたら、戻って来てくれる事もあるかもしれません。――その方々と会う機会があれば伝えてみてください。いつでもお待ちしていますと」 「はい……」 「皆さんも、今までの過去ゆえに今後の不安を抱えていらっしゃると思います。ですが私は決してこの場を放棄しません。約束します。……しばらくは様子見でも構いませんので、付いて来て下さいね」 改めて頭を下げる彼に、寮生達は各々の反応。 その中で未久が言う。 「我々は他寮の方々と比べれば、何もかもが未熟でしょう。しかし、この青龍寮で卒業を――青龍寮生として何かを成し遂げたいと思っています。ご指導よろしくお願いします」 「あたいは、今の自分達が他寮の人達に劣ってるなんて微塵も思ってないけどね」 続くモユラは、熱い想いを真っ直ぐに語って聞かせた。 「センセ……あたい、死ぬ気で勉強するよ。本当に、その意味さえあるのなら命だって惜しまない。だからこそ祈ってます。……貴方があたいの期待に応えてくれる人だって」 モユラの言葉に、あきらは大きく頷いて見せたのだった。 現時点での寮生達の要望、意見を聞き終えたところで親睦会の席には酒が用意され、未久がデザートを取って来ると言って厨房に姿を消す。 数名が一時的に動きを止めたり、无がこっそりと胃薬を用意するなどしていたが、あきらにはそれよりも気になる事があった。 皆が様々な言葉を綴る中で一度も声を発さなかった光紀である。 あきらが何かないのかと問うてみれば、光紀は微かに笑い、肩を竦める。 「言いたい事は皆が言ったさ。今後が面白くなるのであれば俺から何か言う必要もない」 「ふむ……では、今後は面白くなりそうでしょうか?」 「さて、ね。とりあえず酒の一杯くらいは注いでやっても良いかと言う気にはなったが」 「光栄です」 嬉しそうに笑う講師の猪口に酒を注ぐ。見た目は子供のような講師だが酒はイケる口らしい。尤も、好みは甘口という見た目通りだったが。 さて无の質問で青龍寮に在籍していた頃のあきらの話を聞いていた彼らの席に、背に何かを隠した未久が戻って来た。 「お待たせしました、私が秘蔵の調味料で作ったお菓子です」 きょとんとするあきらの前に差し出された菓子、それは。 「何故か溶けてしまったんですが」 「え、っと……あの、ふ、フルーツケーキって、溶けるんですか……?」 未久が持つ皿の上の残骸……否、食材を見る限り恐らくフルーツケーキなのだ。……が。 「以前に義弟が作ってくれたのを見たまんま作ったのですが、おかしいですねぇ。まぁ味は変わらないでしょうから、どうぞ」 にこっと微笑まれれば、親睦会という席である以上はそのケーキも自分のために作ってくれたわけで、あきらに断る事は出来ない。 「大丈夫ですよ、何かあればフォローします」 无達に背中を押され、切り分けられたそれを恐る恐る口に運んだあきら。 「……っ。ぉ。ぁ……っ、ふぉ……!」 「揚げパンでも食べますかー?」 口直しにとカンタータが差し出したそれを、あきらは勢いで手に取り迷わず口へ。 そして、――声にならない叫びをあげる。 「あ。当たってしまいましたかー?」 「……当たるって何に」 胡蝶の問い掛けに「実は三つだけ当たりを作ってあったんですよー」とカンタータ。 それは当たりというよりも……と思いつつもあえて口にせず、ジャムがたっぷりと塗られたスコーンを「食べる?」と差し出してみた胡蝶だが、反応は、無い。 「おかしいですねぇ」 のほほんと首を傾げる未久と、当然の結果だなぁと思いつつも黙って酒を口に運ぶ芳純、光紀。 「胃薬……を、とりあえず胃に入れた方が良いでしょうか?」 「反応ないね……おーい、センセー?」 真顔で悩む无と、あきらの眼前で手を振ってみるモユラ。 彼は完全に固まっていた。 その胸中、 (あぁ……綺麗な花が見えます……私は楽園に招かれたのですね) 食堂の各所にさりげなく飾られた、芳純の真摯な内面を現すかのような美しい生け花は、どうやらあきらを迷わず楽園に連れて行ってくれたようだ……。 ● 透子は賑やかな食堂を一人抜け出し、とある場所に来ていた。 いつも『彼女』がいた場所――青龍寮の存続を一番に望んでいた人、……だけれど。 「やっぱりいないです」 空っぽの場所。 その光景は、まるで自分の心を絵にしたようで。 「……拘るつもりなんてなかったのに」 青龍寮はただ学ぶためだけの場所だったはずなのに、今は。 「……一人で食べても、味がしないのです」 食堂の賑やかな雰囲気と、透子の胸に感じる、鈍い痛み。 心の声は、いつかあの人に届くだろうか……――。 |