【神代】声なき声の行方
マスター名:月原みなみ
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 普通
参加人数: 25人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/03/28 23:22



■オープニング本文

 ●

 薄っすらと雪化粧の施された街路を、浪志組の隊士らが進む。
 穂邑の暗殺未遂に端を発する衝突の緊張は、開拓者たちの素早い動きにより、現場レベルでの手打ちが早々に取りまとめられた。
 現場での衝突を抑え、方々を駆け回り、その中から五行を根城とする大アヤカシ「生成姫」の影に気付き、あるいは、一部の開拓者は大胆にも御所に忍び込み、武帝の真意を問いただしもした。
 穂邑(iz0002)は今、長屋で静かに傷が癒えるのを待っている――。


 ●

 ……いや、残念ながら静かにではなかった。
「兄様の馬鹿ぁぁぁぁぁぁ!」
「っと」
『俺達を投げるなだし!』
 勢いに任せて肩乗りサイズの狛犬・阿業と吽海を『兄様』と慕うゼロ(iz0003)に投げつけた穂邑は、直後に二匹をしっかりと受け止めたゼロの胸に飛び込み、何度も何度も彼を叩いた。
「どうして止めてくれなかったんですかっ、御所になんて、そんな……っ、皆に何かあったら……!」
 穂邑の瞳から大粒の涙がぼろぼろと零れ落ち、間に挟まれて動けない狛犬達の毛を濡らす。
 どんっどんっと胸を打っていた拳がだんだんと弱くなり、次第に縋り付くようにして地に落ちた。
「穂邑……」
 ゼロも視線の高さを合わせるように膝を折る。
 必死に声を抑えながら泣き続ける少女の顔は、もう、ぐしゃぐしゃだった。
「……傷に障るぞ」
 抱き締め、震える背中をぽんぽんと叩いてやると、穂邑は浅い呼吸を何度も繰り返した後でようやく言葉を発する。
「朱真ちゃん達、だけじゃ、ないです……っ、みんな……皆……っ、私がこんな怪我をしたばっかりに……」
「それは違うぜ」
 宥めるような笑い声を滲ませてゼロは言う。
「五行の大アヤカシ『生成姫』の関与だって疑われてんだ。アヤカシが天儀の平穏を脅かそうとするなら、それを全力で阻止する。それが俺達開拓者だろう。……まぁ、御所はやり過ぎだったかもしれないが」
「ぅっ……」
「いいじゃねぇか、全員無事に戻って来たんだ」
「兄様のばかぁ……っ」
「馬鹿馬鹿言うんじゃねぇ」
 ぽん、ぽん、と一定のリズムで背中を叩く事で少女の気持ちは落ち着かせながら、ゼロは思う。
 興奮させてしまったのは反省すべきだが、これまでずっと抑え込んで来たであろう感情を爆発させる事は、必要な事。
 その証拠に今の姿はとても自然だ。
 ゼロは安堵の息を吐く。
(もう、大丈夫だな)
 朱真達が御所に乗り込んで掴んだ事実――『皇后の徴』がでっち上げだった事、八咫烏で高位精霊の憑代になった際に全身に浮かび上がった『徴』が神代かもしれないこと――を穂邑本人に伝えるか否か、朱真はゼロに任せたが、ゼロは迷わず本人に伝えた。
 穂邑が自分の身に降りかかった現実と向き合える強さを持っている事を知っていたからだ。
「あぁ、そういやぁ朱真から伝言だ……『穂邑が、あの生きてんのか死んでのかわかんないような奴の嫁になるのは、俺は反対だ』だとさ」
 その言葉に穂邑は微笑った。
「……お嫁になんか、いきません。だって、時間を掛けて、素敵な恋をするって、お友達と約束したんです」
 脳裏を過るたくさんの友人達の顔。
 開拓者仲間。
 交わした約束は一つではなく、それら全てが今の穂邑を支えてくれている――……。


 ●

 それからしばらくして、大アヤカシ『生成姫』もまた穂邑を狙っている事なども鑑みて、現時点で最も強固かつ安全だろうと判じられた八咫烏で穂邑を保護する事が決まった。
 八咫烏は人間側で制御が可能になった事もあり、今は開拓者長屋から徒歩で半日、神楽の都南方の港に停泊しているという。
 また、八咫烏への移動を敵に気取られぬよう「穂邑の移送だ」と大々的に周知した影武者の移送が既に実行に移されている。
 となれば穂邑に否は無かった。
「この作戦には私が同行する」
 そう言って自己紹介するのは浪士組の副長、柳生有希(iz0259)。
「穂邑さんの移動は陸路を使う。敵に悟られては意味がないため目立たぬよう少人数での移動としたいが、万が一の事があれば戦力も必要だし、体調が万全でない君を守るにも人数が必要だ。そのため協力してくれる者達との相談になるが、おそらく数組に分けて距離を取りながら移動する事になるだろう」
 どうか、と視線で問われた穂邑はすぐに「お任せします」と頷いた。
 その表情は何かを吹っ切ったように清々しい。
 有希は内心でほっと息を吐くと、話を続けた。
「同行する者は開拓者から募ろうと思う。浪士組では落ち着かないだろう」
「そんな事はありませんが……お気遣いありがとうございます」
 深々と頭を下げる穂邑に、移動に関しての説明が続く。
 基本的には徒歩になるが体調が芳しくない穂邑には籠が用意されており、開拓者は二人一組でこれを担ぐ事になる。
 なるべく人気の多い街道を一般人らしく通過していく事が望ましいため、姉妹や家族を港まで送る籠屋に扮するなど、作戦に関しては協力してくれる開拓者次第だ、とも。
「まずは相談が先だが、出発までそう時間もない。君もいつでも出発出来るよう準備をしておいてくれ」
「判りました」
「では」
 その相談のために有希が退室し、部屋に一人になった穂邑は静かな息を吐いた。
 と、その時だ。
 ふと何かが聞こえた気がして顔を上げた。
「……声……?」


 何かが、呼んでいた。


■参加者一覧
/ 柊沢 霞澄(ia0067) / 北條 黯羽(ia0072) / 朝比奈 空(ia0086) / 羅喉丸(ia0347) / 柚乃(ia0638) / 鳳・陽媛(ia0920) / 礼野 真夢紀(ia1144) / キース・グレイン(ia1248) / 水月(ia2566) / 村雨 紫狼(ia9073) / 月代 憐慈(ia9157) / 劫光(ia9510) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / フィン・ファルスト(ib0979) / 无(ib1198) / ケロリーナ(ib2037) / コニー・ブルクミュラー(ib6030) / ヘイズ(ib6536) / バロネーシュ・ロンコワ(ib6645) / 一之瀬 戦(ib8291) / 弥十花緑(ib9750) / 至苑(ib9811) / 桃李 泉華(ic0104) / 津田とも(ic0154) / カルツ=白夜=コーラル(ic0360


■リプレイ本文


「声、か……」
 細かな雪が舞い散る空の下、ヘイズ(ib6536)は拳を握りしめた。
 以前にも「声を聞いた」と穂邑が言っていた時の事を思い出す。その時には、今はすっかり懐いている二匹の狛犬を過去の約束から解放する力となり、それ以前にも精霊絡みで諸々あった事は彼も知っている。
 あの少女に特殊な力がある事は疑いようがないだろう、……けれど。
「だから……なんだよ?」
 握る拳が震える。
 冷えた唇に血が滲む。
 ヘイズは空を仰いだ。
「……絶対守ってやっからよ」
 一人呟き、歩き出した。



 薄らと雪化粧した神楽の都。
 行き交う人々の吐息は白く色づき、頬や手など冷気に晒された肌は赤く色づく。
「今日も冷えるねぇ」と開拓者長屋からほど近い茶屋の店主に声を掛けられた北條 黯羽(ia0072)は女巡礼姿で、
「あぁ全くだ」と簡素に応じ、出された湯呑に手を伸ばした。
 口元に運ぶと、ほんのり薫るのは梅の匂い。
「安っぽい店構えにしちゃ美味い茶を出すね」
「ははっ。姐さんは口の悪い美人さんだ」
 店主が陽気に応じる。
「そんな恰好をしているからどこの巫女さんかと思ったが」
「この口が災いして暇を出されちまってさ」
 そんな話をしている内に、開拓者長屋から一具の駕籠が出発した。
 駕籠に乗った少女の顔は市女笠で隠れて見えないが、膝には口を閉ざしたケモノ、狛犬の吽海がちょこんと座っているのが判り、更に駕籠から少し離れて後ろを付いていく少女――肩に白い子猿を乗せた友人の桃李 泉華(ic0104)を認める。
「ごちそうさん」
 相手の返事を待つ事無く黯羽は動き出した。
 足取りはゆっくりと。しかし決して駕籠を見失わない距離を保ちながら。


 同時刻、長屋のとある棟の前には一具の駕籠が止まっており、傍では劫光(ia9510)と一之瀬 戦(ib8291)が駕籠舁の格好で「どっちが前だ」「俺が後ろだ」と相談していた。
 彼らが駕籠に乗せるのは今回の警護対象、穂邑本人。
 彼女は正面の屋内にいた。
「コニーさんは大丈夫でしょうか……っ」
 先に、自分に扮した柚乃(ia0638)を乗せて出発した駕籠、その持ち手となったコニー・ブルクミュラー(ib6030)を案じる少女に、柊沢 霞澄(ia0067)は何度か躊躇いながらも「……きっと、平気、です……」と話し掛けた。
 カルツ=白夜=コーラル(ic0360)と組んだコニーは、確かに最初の一歩を踏み出すまでは苦労していたが、ちゃんと担いで出発したのだ。彼も立派な志体持ち、心配する事は無いだろう。
 穂邑は頷き返した。
「そう、ですねっ。心配する方がコニーさんに失礼です!」
 自身に言い聞かせるように呟き、拳を握る少女に、出発を前にして会いに来ていた友人達が思い思いの表情を浮かべる。
 アルーシュ・リトナ(ib0119)の微笑はとても安堵したものだったし、弥十花緑(ib9750)の眼差しも温かい。
 月代 憐慈(ia9157)は面白そうに喉を鳴らしながら、胸中では(不思議なもんだな……)と呟いていた。
(嬢ちゃんみたいな普通の娘に神代ねぇ)
 八咫烏での儀式調査――花緑や霞澄達と共に現地に赴いていた彼は、数日前には朱真(iz0004)と共に御所に乗り込んで『儀式調査が単なる時間稼ぎだろう事』、更には『穂邑に現れた徴が神代だろう事』も帝本人の口から聞いていた。
(調査が時間稼ぎだったって聞いた時には脱力したもんだが、まぁお互いに無事で何より、か)
 この先に何が起きるのかを見て行こう、そう思う。
 持ち前の好奇心ゆえであり、……守る為。
(面白い事象に巡り合わせてくれた礼くらいはしないとな)
 くくっ……と微かに震える喉元には、もしかすると熱い本音が隠れているのかもしれなかった。
「では私達もそろそろ出発しましょうか」
 穂邑本人の護衛に就く朝比奈 空(ia0086)の言葉を受け、鳳・陽媛(ia0920)が穂邑の頭に笠を被せた。
 それは先に出発した柚乃と、最後に出発する霞澄と揃いの市女笠。
 誰が本物かを判り難くするための作戦の一つ。
「絶対に守りますからね」
 陽媛の力強い言葉に頷くも複雑な感情を隠しきれない穂邑に、アルーシュはそっと歩み寄ると、その繊細な指先で少女の手を包み込んだ。
「難しいとは思いますが、どうか気に病まず、心と体を大事にしてください」
 今はまだ包帯に隠れた首筋の傷。
 決して目で見る事は出来ない心の傷。
 どちらをも労わって欲しいとアルーシュは願う。
 そのためには――。
「笑顔が一番のお薬ですよ」
「――……」
 アルーシュが微笑む。
 ハッとして周りを見渡した穂邑の瞳に映る、たくさんの優しい笑顔。
 香澄は言う。
「私は、ただ……友達のために、自分が出来る事をしたい……それだけです……同じ、ですよね……?」
「……はいっ」
 大きく頷く。
 二度、三度。
 ヘイズがその頭を優しく撫でる。
「皆そうだ。大好きな友達のために何かしたい、そんだけなんだから、気に病むなよ」
「ありがとうございます……っ」
 穂邑も精一杯の笑顔で応えた。


「劫光さん、一之瀬さん、準備良いですか?」
 穂邑の準備が整ったのを確認し、彼女本人の護衛を志願したフィン・ファルスト(ib0979)が駕籠を担ぐ二人に声を掛けた。
「おう」とすぐに応えがあり、フィン、空、陽媛の三人に囲まれるようにして長屋から駕籠へ移動する穂邑。
 その腕には狛犬の阿業がおとなしく抱っこされている。
「俺達も予定通りに長屋を出る。また八咫烏でな」
 霞澄の駕籠の護衛に就くヘイズが陽気に声を掛ければ穂邑は笑顔で頷き、羅喉丸(ia0347)は天気を確認するように空を見上げて「……先に出発した駕籠の道行も上々のようだ」と呟いた。
 それにつられるように空を見上げようとした穂邑だったが、その視界に不意に影が差す。
 花緑の掌だ。
「ぁ……あっ、そ、そうでしたっ。ごめんなさいっ」
「いえ……」
 くすくすと周りから零れる笑い声に押されるようにして駕籠に乗り込んだ穂邑。と、その膝にどんっと置かれた幾つかの雑貨。
 香水瓶、岩清水、菱餅、守刀――。
「一之瀬さん……?」
「お前が死んだら元も子もねぇかんな。いざとなったら自分の身くれぇ其れで護りな」
 ぽふりと頭を撫でられてきょとんとした少女の後方から駕籠持ちの相棒、劫光の「おいおい」と呆れた声。
「縁起でもない事を言うな」
「フンッ」
「だ、大丈夫ですよぉ、私達がちゃんと守るんですからっ」
 また穂邑が不安になっては大変だと慌てた陽媛が元気付けようとするも、本人は戦が寄越した雑貨を手に取って思案顔。
「香水瓶で、匂いを偽造……とかです?」
「少し失礼しますね」
 アルーシュが瓶の蓋を開け、掌で風を起こし匂いを確かめた。
 そして、……微笑む。
「ジャスミンですね」
「じゃ、じゃす……?」
「ジャスミンの香りには気持ちを落ち着かせてくれる効能があるんですよ」
「気持ちを落ち着かせてくれる……」
 穂邑の復唱に、周りの沈黙。
 その内に視線が一つ、また一つと戦に注がれて――。
「「「へー……?」」」
「ンだよ」
「優しい色男さんだねぇ」
「うっせぇ、行くぞ」
 ヘイズの軽口も流すようにいなして出発を促す戦。
「そんじゃまぁ行きますか」
 劫光は相棒とタイミングを合わせて駕籠を担ぎ、その周囲を空、陽媛、フィンが護衛して出発となった。
「大丈夫、絶対守り抜くから!」
 フィンの、その言葉は、穂邑との約束。
 そして彼女自身の駕籠を、自らの力で護れない霞澄や、仲間達への約束。


 霞澄と、彼女を乗せた駕籠を護衛するヘイズ、羅喉丸、花緑、アルーシュ、至苑(ib9811)がそれを見送り、此方もいよいよ出発の準備に取り掛かる。
 駕籠を持つのは羅喉丸と花緑。
 三番目にして最後の駕籠だ。
「……八咫烏。精霊さん」
 武僧である花緑は空を仰ぎ、願う。
「彼女達に加護と導きを――」



 穂邑本人を乗せた駕籠が長屋を出発した頃、柚乃を乗せた駕籠は順調に予定通りの道を進んでいた。
 駕籠を担ぐのはコニーとカルツ。
 その周りを警護するのはバロネーシュ・ロンコワ(ib6645)、と礼野 真夢紀(ia1144)、村雨 紫狼(ia9073)。
 更に少し離れて道行を見守る桃季と黯羽、……だけではない。
 穂邑を見送った後で単身移動を開始した憐慈が先回りして移動経路の安全を確認しているように、三つの駕籠それぞれの状況を互いに連絡し合う仲間がいた。
 水月(ia2566)、无(ib1198)、ケロリーナ(ib2037)、津田とも(ic0154)らは相棒を伴い危険と思われる場所の安全確保に努め、それらを空から巡回していたのがキース・グレイン(ia1248)――穂邑の出発を前に空を仰いだ羅喉丸が確認した相手であり、穂邑の視線を花緑が遮った理由――だ。
 相棒の甲龍・グレイブと共に、上空から地上の仲間達の死角を潰す役目を担う。
「……神代だろうが何だろうが、穂邑は穂邑だ」
 それだけが自分の真実。

 三つ目の駕籠の出発から二時間。
 道行は順調だった。



 柚乃を乗せて最初に出発した駕籠は道程も半分を越え、特に問題と呼べるような事態に陥る事もなく海の見える街道に差し掛かっていた。
 駕籠の中、市女笠を深く被った柚乃の表情は全く見えなかったが、もふもふの吽海をもふる細い指先の動きを見るに、感触を楽しんでいるのは間違いないだろう。
「乗り心地はどうですか?」
 すぐ隣を歩く真夢紀の声に、こくりと頷く。
 それを背中で聞いていたカルツは「それは何より」と薄く笑った後で、駕籠の後ろを任せるコニーに視線を送る。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫、ですっ」
 歩調に合せて大きく弾む応え。
 無理をしているのは明らかだ。
「少し休みましょうか」
「いえっ」
 真夢紀の提案に、しかし即答するコニー。
「このっ、ままっ、いきっ、ましっ、ょっ」
 もしも自分のために一つ目の駕籠が休憩に入れば、それは上空を旋回しているキースや、適度な距離を保って追随している黯羽から後続の仲間達に伝えられ、本物の穂邑が八咫烏に到着する時間が遅れるという事態に直結する。
 それだけは決して許されないと、コニー自身が強く感じているからだ。
(穂邑さんは、僕達の大切な友達です……! もう、絶対に傷つけさせはしません……!)
 強い想いが彼を奮起させるのだ。
 と、不意に真夢紀の袖を引いた柚乃の手。
「? どうしました?」
「……少し酔ったみたい」
「止めてください」
「えっ、あ……」
「端に寄ろう」
 真夢紀の制止の声にコニーは一瞬戸惑ったが、カルツの誘導に従い道の端に寄った。
 駕籠が降ろされると、心なしか慌てたように下りて道の向こうに広がる木々の合間に屈む柚乃。
 真夢紀と、紫狼が後を追った。
「少し休憩ですね。……失礼」
 バロネーシュはそう言うと隊列を離れて近くの茶屋に姿を消し、その背と、屈んだままの柚乃を交互に見つめたコニーは俯いた。
「……すみません……」
「酔ったのはお嬢さんだろ」
 カルツの返答に、コニーは答えられずに唇を噛み締めた。と、不意に冷たい布が肩に当てられ、驚いて顔を上げる。
 そこには温かな表情をを浮かべたバロネーシュが茶屋から戻って来ていた。
「せっかくの休憩です、冷やしておいた方がいいでしょう」
 コニーは目を瞠った後で再び俯いたが、……しばしの沈黙を経て冷えた布を直に肩に当てた。
「……ありがとうございます」
「どういたしまして。先は長いですからね」
「頼りにしてるんだ、多少の痛みに負けたりするなよ?」
「はいっ」
 コニーの応えにバロネーシュとカルツは穏やかな笑みを浮かべていた。


 一方、木々の合間に屈んだ柚乃は、
「大丈夫かぁ?」と声を掛けて来る紫狼に「しっ」と口元に指を立てる。
「私は平気です……でも、少しこのままで……」
「柚乃さんは優しいです」
「真夢紀ちゃんが直ぐに察してくれて助かったの……」
 少女達は小声で微笑み合う。
「穂邑ちゃんを一刻も早く安全な八咫烏に送るのは大事……でも、誰かが傷付けば、穂邑ちゃんが悲しむから……」
 柚乃の言葉に、彼女の腕の中の吽海が微かな息を漏らした。
 そこに確かな嬉しさが滲んでいる様に感じられたのは、きっと柚乃の思い過ごしではなく、彼女の言葉は紫狼を納得させた。
「なるほどな。自分の事で他人が巻き込まれる事の方があの子には辛そうだもんな」
 うんうんと大きく頷き、何かしら理解したらしい紫狼は決意を新たにしたように意気込んだ。
「――しゃぁねぇ! 俺やみんなだってムカついてんだ、とっとと全員無事に終わらせなきゃな」
「そ、そうですね」
 紫狼の勢いに若干気圧されそうになる少女達だったが、穂邑のために全員が何事もなく八咫烏に到着する事が大事だとは伝わったらしく、それで充分だと思う。
「そろそろ、行きましょうか……」
 真夢紀の手を借りて立ち上がった柚乃は駕籠に戻る。
 ほんの僅かの休憩は、けれど彼らの心を確かに近づけた。



 とりあえず問題解決かな、と。
 桃季は同伴したからくり達と他愛ない会話をしながら後方から追跡中の黯羽に身振りで合図を送る。
 駕籠は無事に出発。
 異常なし、と。
(……にしても)
 瘴索結界を保持する桃李が注意深く周囲を探れば、異様なほど低級のアヤカシが活性化しているのが判る。
 穂邑を狙っているわけでは無いのが明らかだから、積極的に攻撃しようとは思わないけれど
(これも生成姫が動き出した故やろか……)
 強大な瘴気に呼応するように――その証拠に五行ではアヤカシによる事件が多発していると聞く。
(低級言うても放置は出来んなぁ)
 此処は神楽の都と港を繋ぐ街道。常に一般の人々が往来るす場所。
 見て見ぬふりは、出来ない。
 桃季はからくり達に目配せした。
「ひゆちゃんもひづっちゃんもお散歩ひっさしぶりやなぁ♪ とと、あかんあかん、そないにしたら危ないやろー?」
 落ちていた枝を拾おうとする陽閖の手を止める風を装って、その指先で弾いたのは砂煙のようなアヤカシ。
 もしも一般の人々の足に絡まろうものなら、怪我では済まない危険がある。
 一つ目の駕籠は港まであと僅か。
 しかし気の抜けぬ道程だった。


 桃季が穂邑を狙うわけではないアヤカシを、しかし放置も出来ぬと狩り始めた頃、黯羽や憐慈も駕籠を見失わない範囲でアヤカシ退治に勤しんでいた。
 道端に漂うだけのものでも、いつ人間相手に牙を剥くか知れない。それを放置出来るほど誰もドライに出来ていないのだ。
 一刻も早く穂邑を八咫烏に送る――その任務の為に敢えて見て見ぬふりをしなければならない仲間の為にもと、彼らは悪意を絶っていく。
「やれやれ、アヤカシだけならまだいいですよ」
 无は相棒のナイと共に低級アヤカシを一瞬にして瘴気に還して後、駕籠が行く先を見つめて一人ごちる。
「人の形をした敵が相手になるのに比べれば、ですが」
 そう。
 彼らが最も警戒しているのは人の姿をした敵――大アヤカシ生成姫の『子供』と呼ばれる人間達であり、若年層とすれ違う際には一際緊張感が増す。
 今回の穂邑移送に関して作戦を詰めたものの、自身は駕籠から離れて周囲の警戒に回ったともも、その度に高所から銃を構えていた。
 キースと同じく、上空から仲間の死角を潰す役目を自らに課したともにとって、滑空艇の宙船号は無くてはならない相棒だった。


 穂邑の到着を、港に先回りして待っていたのはケロリーナ。
 ムスタシュイルで反応を感知出来る範囲を見定め、最も適当な場所で一般人を装って休憩中のフリをしながら、その胸の内には様々な感情が渦を巻いていた。
(けろりーなにも何かできないかと思って来たですの〜)
 大怪我をして、それでも戦い続けると決めた友人のために、何か出来る事を。
 自分に出来る事を、精一杯に。
 その内にからくりのコレットが柚乃を乗せた一つ目の駕籠が接近している事を知らせてくれた。
(ありがとうですの〜。こちらも問題なしですの、そのまま八咫烏に乗って下さいですの〜)
 密かに決めていた合図で、相棒に言伝を頼む。
 どうやら一つ目の駕籠は、何の問題も無く八咫烏に到着出来そうだった。



 二つ目の駕籠もまた、港まで四分の三の距離を過ぎていたが、穂邑の傍に寄り添うように警護していたフィンは小首を傾げていた。
 先ほどから彼女の纏う空気が固くなったままだったからだ。
「……穂邑さん、どうかした?」
「え……」
 小声での問い掛けに、少女は慌てたように「いえっ、なんでもないのですっ」と応じる。
 すると近くにいた陽媛がフィンに耳打ちした。
「心配なのですよ、きっと。他の駕籠に乗っている柚乃さんや霞澄さん、それに、自分の事を守ろうとしてくれている皆が」
「あー……そっか」
 聞くまでもなかったかと己の問い掛けを後悔しそうになるフィンだったが、ふと思い立って再び問い掛けてみる。
「そういえば穂邑さんて料理は得意なの?」
「――料理、ですか?」
「そう。もし得意なら今度教えて欲しいなぁって。どうも巧くいかないんだよね」
「え、と……えとっ、料理は、私も得意じゃなくて……っ」
「もしよろしければ私が今度お教えしますよ♪」
 陽媛が名乗りを上げる。
「どんなお料理が作りたいんですか?」
「どんな……うーん」
「……美味しいものがいいです」
 悩むフィンに先んじて穂邑がそう応じた。
「生成姫の一件が落ち着いたら、皆さんに感謝の気持ちを込めて食べて貰えるような、美味しいお料理ですっ」
「うん、それいいかも」
 フィンが頷くと、陽媛は「判りました」と笑顔で応じた。
「その時はビシバシ教えますからね♪」
「よろしくお願いします!」
「楽しみですねっ」
 そうして笑顔を覗かせる穂邑に、黙って聞いているだけだった空や、劫光、戦の表情も和む。
 ……ただ、その後のお料理教室でどんな料理が出来上がるかは、誰も予想出来ない。


 聞こえて来る賑やかな声に、水月は安堵の息を漏らす。
(穂邑さんが辛くない様に……が、第一)
 水月は相棒のねこさんと共に歩きながら、彼女が乗った駕籠を付かず離れず見守っていた。
 ねこさんは駕籠の後をつけて来る不審者がいないか注視し、水月は前方の不審者を警戒する。
 ――此方も、特に問題なく港に到着しそうだった。



 霞澄を乗せた三つ目の駕籠もまた港まであと僅かの距離を残し、何事もなく進んでいた。
「……拍子抜けと言うのは不適切か。何事も無く済みそうで良かったと思うべきだろうな」
「恐らく酒天童子さんの囮作戦が功を奏したんやと……」
 駕籠を担ぎながらの羅喉丸と花緑の会話を、霞澄もほっとして聞いていた。
 無論、まだ油断は出来ないが上空を行き来しているキースからも異常事態発生の知らせは届いていない。自分達の道行と同じく仲間の駕籠も無事であるなら、それが何よりの結果だろう。
 ――と、不意に前方から妙な気配を感じて六人は一斉に警戒を強めた。
 その一変した空気に、前方から近付いていた若者が顔色を変えて回れ右。そのまま逃げるように走り去る。
「……なんやったのか……」
 花緑の疑問に「掏摸か何かかもしれないな」と羅喉丸。
「お金を持っていそうだと思ったのかもしれませんね」
 アルーシュが苦い笑みを零しつつ「大丈夫ですよ」と霞澄に声を掛ける。
 と、至苑。
「私達から金品を掏ろうなんて……未遂で済んで安心しました」
 にっこりと告げて、それきり。
 何となく背筋に冷たいものが流れたのは、果たして気のせいだっただろうか……?



「無事到着、か」
 ヘイズの声と共に霞澄を乗せた三つ目の駕籠が港に到着するや否や、八咫烏から駆け出して来ようとした穂邑は間一髪で陽媛達に抱き止められた。
「外に姿を見せちゃダメですよっ」
「あ、そ、そうでしたっ。ごめんなさいですよ……!」
 真っ赤になって謝る穂邑に、陽媛と共に彼女を抑えた劫光が喉を鳴らす。
「まぁ、もう大丈夫だろうとは思うが念のため、な」
「はい……っ」
 そんな遣り取りを耳にして、霞澄の手を引きながら八咫烏に乗り込むアルーシュ達もまた安堵の笑みを浮かべた。
「其方も無事だったようだな」
「ああ。あっけないくらいさ」
 最初に到着した柚乃の駕籠を担いでいたカルツの出迎えに、羅喉丸はそう嘯く。
「とにかく皆さんがご無事で良かったです……!」
 穂邑の心からの言葉に友人達は笑顔を浮かべる。
 ともあれ三つの駕籠をそれぞれに警護し八咫烏まで到着した開拓者達。その中に、ちゃっかり合流しているのが无である。
 せっかくの機会なら八咫烏を拝んでおこうという事のようだ。


 八咫烏内部。
 彼らに休憩所として用意された一室で、茶やお菓子を傍らに談笑する一同。
「コニーさん、お体大丈夫ですかっ?」
「だ、大丈夫、で……す……っ」
 肩から背中に掛けて、少し動かすだけでも激痛が走るため、部屋の隅で蹲るようにしていたコニー。
「筋肉痛、かなぁ……?」
「回復術は効くでしょうか……?」
 柚乃、霞澄が労わりの眼差しを向ける一方、
「筋肉痛が直ぐに出るなんて若い証拠さ」とは駕籠持ちの相棒だったカルツの言葉。
「そういうこった、喜べ喜べ」
「うぁぁっ、あっ……!」
「あわわわっコニーさん!?」
 劫光にばんっと背中を叩かれた瞬間、悲鳴を上げて固まってしまったコニー。
 穂邑は心配するが、単なる筋肉痛だと知っていればこそ仲間達の表情は楽し気だった。
 と、其処に声を掛けて来たのは空だった。何処からか戻って来た彼女は穂邑の傍に膝を折ると、静かな表情で告げた。
「穂邑さんにお渡ししたい子がいるのです」
「子、ですか?」
 皆の視線が其方に注がれ、きょとんと聞き返す穂邑に穏やかな表情で応じた空は、背後に隠れていた「子」を穂邑の前へ移動するよう促す。
 ふよふよと宙に浮く五〇センチ程の小柄な体格。
 背中には鳥のような翼。
「――……羽妖精、さん?」
 穂邑は目を真ん丸にして、その愛らしい姿を見つめた。
 羽妖精は自然を象徴する精霊であり、象徴する自然に合わせて肌や髪の色、性格に差が生じると言われているが、空が連れて来た羽妖精は薄い橙色――春の少し霞んだ夕暮のような、とても温かで優しい色を帯びている。
 あまりの可愛さに見惚れている穂邑へ、空は告げた。
「この子を穂邑さんの傍に置いて頂けませんか?」
「えっ!?」
 思わず大声で聞き返してしまい、慌てて口元を抑えた穂邑だったが驚きと動揺は抑え切れない。
「でもっ、でもっ、羽妖精さんは本当に巡り合える機会がものすごく稀でっ。空さんと一緒にいるということは空さんを好かれたから一緒にいるということでっ、それにっ、それにっ、阿業さんと吽海さんがいるのでっ、それまで一緒にいてくれた相棒さん達とも、その、お、お別れしたばっかりで……っ」
 食費云々の事情はおいておくにしても、今現在の自らの事情などを踏まえ移動時に頼りになる炎龍以外の相棒と泣く泣く別れたばかりの穂邑が涙を堪えて訴えるのを、空は「だからこそ」と受け止めた。
「私が常に穂邑さんの傍にいられるわけではありませんし、……それを歯痒く思っているのは、私だけではないでしょう」
 傍で二人の遣り取りを見守っていた数人が表情を変えた。
 同意であり、……照れ隠しもあり。
 告げられぬ思いを押し隠したままこの場は空に任せる。
「阿業さんと吽海さんがいますから無用の心配かもしれませんが、それでも……穂邑さんに覚えておいて欲しいのです。貴女の無事を祈る者が居る事を」
「空さん……」
「この子を抱き締める時には思い出して下さい。私達の事を」
 何処にいても。
 どんな状況でも。

 ……『神代』という徴が、どんな未来を呼び寄せても――。

「私達は穂邑さんが大切です。大事な友人です」
「……っ」
 思わず零れ落ちた大粒の涙は、胸に重く圧し掛かる不安を空の言葉が抱き締めてくれたから。
 心を軽くしてくれたから。
 羽妖精は、その涙を小さな指先で掬った。
「……そばにいる。うつほと約束した。いまから、ほむらがあいぼう」
「妖精さん……」
「なまえ、ちょうだい?」
「……はい……っ」
 はい、と頷き。
 ぎゅっと抱きしめた。
 小柄な体躯からは春のように優しい温もりが感じられて、それはきっと、友人達の気持ちと同じ。
 穂邑は約束する。
 例えどんな状況に陥っても皆の事を忘れない。
 絶対に皆の処に戻ってくる。


 穂邑は羽妖精の名前を考えた。
 そもそも名前を考えるのが得意ではない為、かなりの時間を費やしたものの、最終的にはとても純粋なものに決めた。
 その名を『誓(ちかい)』と――。