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■オープニング本文 ● スタニスワフ・マチェク(iz0105)がジルベリア帝国の第四皇女ディアーナ・ロドニカから手紙を受け取ったのは、首都ジェレゾに降り積もる白銀の結晶もいよいよ根雪となり本格的な冬の到来を確信した十二月某日。 肌を刺すような冷気のせいで頬を真っ赤にしたディワンディは配達の人から預かったそれをボスに手渡すも、傍から離れようとしない。 好奇心いっぱいに輝いた瞳は「どんな内容か」を知りたくてうずうずしている。 「気になるかい?」 「当然だよっ、帝国からの手紙が楽しかった事なんてないし!」 ……つまり、今度はどんな厄介事を背負わされるのか気になって仕方がないのである。スタニスワフは楽しげに笑いながら「なら確認してみよう」と封を切る。 その間に、ディワンディの声で何かあった事に気付いた傭兵達が次々と彼らの周りに集まり始めていた。 第四皇女からの手紙は、傭兵達だけでなく開拓者ギルド及び一部の開拓者にも届けられていた。 どちらにも第四皇女邸で一足早いクリスマスパーティを催すとあり、ギルドにおいては「皇帝陛下もいらっしゃるので会場の警護」という旨の募集がされ、直接手紙が届いた開拓者には「フェイカー討伐への助力に感謝しパーティへ招待致したく」と綴られていた。 パーティーには貴族も多数招待されているため参加は正装が必須で、立食形式。楽団を招いてのダンスパーティも行われるので事前にパートナーに声を掛けておくと良いだろう。 ギルドにおいて「警護」の任務を負うべく参加する開拓者も同様、あからさまな警護では場の雰囲気を損なうので「参加がてらの警護」を行ってもらいたいそうだ。 ――そんな依頼書がギルドの掲示板に張り出された頃、件の主催者、第四皇女ことディアーナは側近兼親衛隊隊長のキリール・クリモワと共に保安庁長官としての執務に当たっていたのだが、不意に「……集まってくれるかしら」と小さな呟きを漏らした。 キリールにはそれが何を指しているのかすぐに察せられ、独り言だと判るから聞かなかったフリをする。 フェイカーという名の赤い石のペンダントを模したアヤカシを斃して帝国の危機を救ってくれた開拓者達を相手に暴言を吐いたのは記憶に新しく、その事を彼女がずっと気に病んでいる事をキリールは知っていたからだ。 そうしてしばらくはそのまま無言の時間が過ぎる。 執務のためにペンを走らせる音だけが室内に響き、――……気付けば空には厚い雪雲。白い結晶がひらひらと花びらのように舞い降りていた。 「そう、いえば」 ふとキリールが口を切る。 「結局、開拓者達への招待状に褒賞の授与の件は知らせなかったんですか?」 「……ええ、知らせてないわ」 「何故ですか」 意外そうな顔でキリールは続ける。 「皇女からの褒賞――ましてやフェイカーにトドメを刺した娘と、危険を顧みず憑代となった娘には皇帝陛下からの褒賞が授与されるのですよ? その事を知らせれば喜んで皆集まるでしょうに」 「はぁぁぁぁ」 親衛隊隊長に、皇女は冷たい視線を向けて深い溜息。 「帝国騎士の貴方ならそうでしょうけれど、開拓者が褒賞を授与すると聞いて単純に喜ぶと思う? 陛下からの褒賞授与だって、前以て知らせてしまえば「自分だけの功績じゃない」と辞退されるに決まっているじゃないの」 「ああ成程……」 「ほんっと開拓者を判ってないわね!」 びしっと言われて思わず噴き出したキリールを、皇女はキッと睨み付ける。 ともあれ皇女も皇女なりに、開拓者を知ったと言う事なのだろう。 ただ、その授与の件を皇女はスタニスワフには手紙で伝えてあった。開拓者が褒賞を望んで欲するとは思い難い。けれどこれがせめてもの帝国からの感謝の印であればこそ、なるべく彼の戦に関わってくれた開拓者達に参加してもらえるよう、傭兵達からも声を掛けて欲しかったから。 「――……なるほどね」 手紙を読み終えて、スタニスワフはくすくすと笑う。 「とりあえずアイザック、おまえはすぐに彼女に手紙を書いて、ダンスパーティーのパートナーになって欲しいと伝えるんだね。断られたら、仕方ないから俺が一緒に踊ってあげるよ」 「怖い事言わないで下さいっ」 既に緊張した面持ちのアイザック・エゴロフ(iz0184)が、両手に紙とペンを持って声を上げる。言われるまでも無く彼女に手紙を出すつもりだったようだ。 「そういうボスはどうするんですか?」と声を掛けたのは副隊長のイーゴリ。 「? とりあえずは皇女殿のため彼らに手紙でも書こうか」 「いえそうではなくごにょごにょ」 言い淀む副隊長と、彼に倣うように周りの面々もごほごほちらちら。 スタニスワフは困ったような笑みで、肩を竦め。 「まぁ一曲相手をするくらいなら、ね」 そう嘯く表情はいつになく複雑そうだった。 |
■参加者一覧 / 柚乃(ia0638) / 氷海 威(ia1004) / 劉 厳靖(ia2423) / フェルル=グライフ(ia4572) / 各務原 義視(ia4917) / カジャ・ハイダル(ia9018) / 劫光(ia9510) / 霧先 時雨(ia9845) / ジルベール・ダリエ(ia9952) / ユリア・ソル(ia9996) / フェンリエッタ(ib0018) / エルディン・バウアー(ib0066) / ルシール・フルフラット(ib0072) / リディエール(ib0241) / アイリス・M・エゴロフ(ib0247) / フレイア(ib0257) / ジークリンデ(ib0258) / ファリルローゼ(ib0401) / 風和 律(ib0749) / フィン・ファルスト(ib0979) / アルマ・ムリフェイン(ib3629) / カメリア(ib5405) / 各務原 光(ib5427) / ウルシュテッド(ib5445) / 緋那岐(ib5664) / ケイウス=アルカーム(ib7387) / ゼス=R=御凪(ib8732) |
■リプレイ本文 ● 後方の自分を気にしながら皇女邸へ向かう友人達に精一杯の笑顔を見せるも、フェンリエッタはその場から動かなかった。 門番が不思議そうな表情で「貴女も皇女の招待客では?」と問うと、彼女はほんの微かに表情を動かして手にしていた包を門番に手渡した。 「どうかこれを皇女にお渡し下さい」 一礼して踵を返すフェンリエッタに門番は戸惑うが、そのまま遠ざかる背中に声を掛けるのも躊躇われたらしく、隣の仲間に声を掛けて邸内に消えて行った。 皇女邸から遠ざかるフェンリエッタには、その後の事など知る由はない。 ただ、一度だけ立ち止まって邸を振り返ると、深々と一礼した。 (私にはあの御言葉で充分です) それ以上のものなど、何も。 皇女邸、応接室に通されたカメリアは友人から預かった手紙を皇女に手渡した。 本来であれば今日、皇帝陛下からの褒賞を授与されるはずだった開拓者からの、手紙。 全文に目を通した皇女は一度だけ短い息を吐くと「判ったわ。ありがとう」と告げる。 「もしよければ、この手紙を届けてくれた貴女も招待したいのだけれど」 「いいえ、私はこれで失礼させて頂きます」 カメリアは穏やかに告げると、一礼して扉へ向かう。 が、不意に立ち止まると皇女に向き直った。 「――貴方達が傭兵団や開拓者を試すように、貴方達もまた全ての者から見られ試されている、ですね」 静かな笑みを残して今度こそ部屋を辞すカメリアに、皇女はただ静かな息を吐き出した。 その後、親衛隊隊長のキリール・クリモワから時間になった事を知らされた皇女は、別室で待機している皇帝陛下を呼びに向かうため移動し、廊下で数人の開拓者達と顔を合わせる事になった。 フェルル=グライフ、ジルベール、ファリルローゼ、アルマ・ムリフェイン、ウルシュテッド。 そこに門番をしていた騎士が現れて「招待客の一人から預かった」と言う包を皇女に手渡し、彼女はその場で中を確認する。 包まれていたのは手作りと判るクリスマスリース。 それが誰の手によるものなのか、その場にいた開拓者は全員が判っていた。 胸の内に生じた衝動を何とか抑え込みながらフェルルは言う。 「無礼を承知でお伺いします。此度の招待……パーティーへの参加だけの事では、ない……違いますか?」 友の言葉を後押しするように皆の視線が皇女に集中し、皇女はそれを真っ直ぐに受け止めながら浅い息を吐き出した。 「ええ。パーティの前に貴方達への褒賞授与式が行われる。特に貴女には皇帝陛下からの金剛褒賞が授与されるわ。拒否は認めない、必ず受け取りなさい」 「御言葉ですが」 強い命令口調に、しかし退けぬとフェルルは言葉を重ねる。 「もしもフェイカーの憑代となった事を評価して頂けたのなら、あの行為は私の親友や、明日を求め戦い続けた皆さんがいたからこそ、私もその力を信じて為せた事。私よりも」 「判っているわ、だから貴女が受け取りなさい」 誰しもが大きな戸惑いを抱える中、アルマは一人その拳を強く握り締めた。 ● 皇女邸、大広間。 時刻はもう間もなく陽が沈む頃。 クリスマスらしい煌びやかな装飾と、豪華な料理が所狭しと並べられた二十以上の卓と、煌びやかな装飾品で着飾った大勢の来賓の中に、開拓者。 皇族邸など居心地が悪くて仕方のない青年。 タダ飯、タダ酒にご満悦な志士は、しかし胸元に光る騎士鉄勲章が周囲の貴族達の興味を引いていた。 そんな中で傭兵達が近付いたのはアルマ達の卓だった。周りには劫光やイリス達、長きに渡り共に戦い続けて来た仲間達の姿もある。 全員が正装という見慣れない外見ながら――特にファリルローゼは諸事情から男性物の正装姿だと言うのに、その事を話題に出来る余裕は誰一人なかった。 「君も沈んだ顔をしているね」 指摘されたリディエールは、更に顔を曇らせる。 「いま、私達が呼ばれたのは褒賞の授与の為だと聞いて」 「なるほどね」 「――……御存知だったんですか?」 「皇女から聞いていたからね」 言うが早いか会場内には派手な音楽が鳴り響き、ジルベリア帝国の王、ガラドルフ大帝が第四皇女ディアーナ・ロドニカの手を引きながら姿を現した。 会場全体から鳴り響く拍手喝采と、楽団の入場曲。 しばらく続いた喧騒を経て、今日の主催者たるディアーナからの挨拶、陛下からの御言葉があり、その最後に彼女は告げた。 「今年こうして無事にクリスマスを迎える事が出来たのは、帝国の危機を救わんと死力を尽くしてくれた開拓者達の存在があったからに他なりません。帝国は彼らの功績を讃え褒賞の授与を決定すると共に、パーティ開催の前に授与式の開式を宣言します。――まずは命の危険を顧みず敵の正体を暴き出した巫女、フェルル=グライフには皇帝陛下より金剛褒賞が授与されます」 瞬間の大歓声。 音で世界が埋もれていく錯覚と、眩暈。数多の賞賛の声。 「フェルル=グライフ、前へ」 強い語調で命じる皇族を前に、仲間達は「これは拷問だ」と拳を震わせた。 ……だが、その賞賛の嵐の中で不思議と響くアルマの声。 「受け取ろう、フェルルちゃん。あれは使えると思う」 痛い。 残酷な言葉、……だけれど。 「気付いたんだね」 傭兵の言葉にアルマは頷く。 「友達の笑顔を守る為なら何でも利用するって、決めたから」 アイザックは唇を噛み締め、友人の細い肩に手を置いた。 ――フェルルは金剛褒賞を受け取る。 次いで名を呼ばれた劉 厳靖からが受け取るのは蒼玉褒賞――皇女ディアーナ・ロドニカから個人的に贈られるもの。 劫光、エルディン・バウアー、ルシール・フルフラット、リディエール――。 「受け取るべきはフェンリエッタさんと、もうお一人……」 此処にはいない仲間。 いればフェルルと共に金剛褒賞を受け取ったであろう泰拳士。 「お二人がいない場で私が褒賞を頂くなんて」 「神教徒達に語った言葉に嘘が無いなら受け取っておいで」 傭兵の厳しい語調に気圧されるようにリディエールもまた褒賞を受け、フレイア、ジークリンデ、ファリルローゼ、風和 律、アルマ・ムリフェイン、そして最後に緋那岐が呼ばれた。 「俺も?」 皇族相手でも普段と変わらない態度が会場内に緊張を強いたが、本人はなんのその。表情こそ微妙だったがアルマと入れ違いで壇上に上がっていく。 仲間達の輪に戻って来たアルマは。 「僕達は帝国の未来を変えたいと願った。これは、その報いだね」 「ああ。未来を変えたいという思いを皇族に伝えた、それで君達の戦いは終わったのかい? フェイカーは斃したんだから後は帝国が何とかしろと投げ出すかい? だったら君達は何故いまなお戦い続けているのか」 もがき苦しみながら、自らの無力を嘆きながら。 それでも必死に前へ進もうとしているのは、何故。 「君達の想い、言葉、……それはとても真っ直ぐだ。歩幅は僅かであろうとも帝国に奇跡と呼ぶに相応しい一歩を踏み出させ、更に帝国から逃げる事しか出来なかった神教徒達には向き合う勇気を抱かせた」 未来は変わるかもしれない、その可能性を見い出させた開拓者達の想いは嘘偽りの無い強さだ。 だが、それだけでは止められない相手がいるのもまた事実。 その存在を何とかしない限り、例え帝国が変わろうとしても戦が起きる未来からは逃れられないだろう。 開拓者達は戦を止めたいと願った。 だから皇女はこれを贈ろうと決めた。 名誉などではない。 これは報い。 これは――。 「君達に授与されたのが帝国からの褒賞ではなく、皇帝陛下と、そして皇女からの個人的な褒賞だった意味を考えてごらん。それを何とするかは君達次第だ」 ● 「んー……俺自身は貰う謂われは無いと思うんだけどー」 厳靖やエルディン達と同じ卓を囲みながら、共にパーティーに参加した妹の柚乃と一緒に豪勢なジルベリア料理を皿に取り分けていた緋那岐は、しかし難しい顔で胸元に輝く褒賞を見つめ、呟いた。 これにワインを仰ぎながら豪快に笑うのは厳靖。 「貰えるもんは貰っておけ。何か使える事もあるだろう」 「あちらの皆さんは辛そうですが」 エルディン自身も辛そうな顔をしているのを見て、厳靖は「気にすんな」と笑顔。 「悩むのは若い証拠だ、いいじゃねぇか。これを利用して自分の益に出来るなんて考え方はあの連中には似合わねぇ。まぁ、アルマはもう気付いていたみたいだが」 授与の時の表情を見れば判ると厳靖は続ける。 「皇帝陛下の褒賞なんざ使い方次第で相当の力になる。アルマ達には強い味方になるだろう」 「それをフェルル殿だけに渡すんですから、帝国はやはり怖い所ですね」 酒を楽しむというよりも強引に喉に押し流すような、エルディンには珍しい飲み方をするのもそれ故。 「目に見える功績がなきゃ渡せんからこそ意味があるんだ、仕方ない。まぁ覚悟を試されているってこった」 「ね♪」 スッと卓の料理に手を伸ばしたのは、夫のカジャ・ハイダルと共に参加していた霧先 時雨だ。 その顔を見てエルディンは気付く。 「そういえば時雨殿に授与が無かったのは手違いでしょうか」 「フェイカーとの最終決戦、何処に居たか言えないからでしょうね。彼もそうよ」 時雨に促されて視線を転じた先には氷海 威。 あの時に神教徒達を守るべく動いていた二人が存在を帝国に認識されていないのは致し方なく、二人とも承知していたようだ。 「自分にこのような式典が場違いであるのは重々承知しているのですが、せめて皆様にお祝いの言葉を差し上げたく」 そしてそうする事でフェイカーが確かに斃された事を実感したいのかもしれなく。 「誠におめでとうございました。これも皆様の尽力があってこそ――さては噂に聞く御方と、面識も無いのに助っ人に押し掛け、誠に申し訳ありませんでした」 「神教徒達に心配が無いと判っていればこそ前衛が全力で戦えたんだ、感謝してる」 「そうそう」 厳靖、時雨の言葉に威は再度深々と頭を下げた。 大人達の遣り取りに、緋那岐は再び褒賞を見つめ。 「断るのも失礼、か」 「ん、そう思う」 柚乃も微笑むので、緋那岐も素直にこれを受け取っておくことにする。もしかしたら、いつかこれが誰かを救う力になるかもしれないし、と。 褒賞を授与された開拓者達の輪から少し離れて、ケイウス=アルカームは隣に並んで立つ友人、ゼス=M=ヘロージオへ「あいつら本当にすごい」と興奮した口調で言い続けていた。 「ジルベリアの褒賞はよく判んないけど凄い事なんだろう?」 「ああ。特に皇帝陛下からの金剛褒賞の授与などそうある事では無いな」 「はぁぁっ、すっごいなぁ!」 何度も繰り返すケイウスに、ゼスは小さく笑う。その内に給仕達が新しい料理を運んで来た事に気付いた。 授与式が終わった事で、スープなどの温かな料理も並べられ始めたのだ。 「料理を楽しみにしていたんだろう。冷めない内にどうだ」 「おお勿論! あ、あれは? あっちも美味そう!」 ジルベリアが故郷の友人ゼスに説明を求める姿はとても愛らしく、それが彼女には居心地の良さに繋がる。 (不思議だ、な) それは、とても不思議な感覚。 「んーどうしよう、何か話しかけ難い雰囲気だし……」 フィン・ファルストも会場で初めて褒賞の授与式が行われる事を知ったわけだが、そこで友人達が表彰される姿を見て嬉しかった。 かつてのヴァイツァウの乱で故郷をフェイカーに滅ぼされかねなかった恐怖は記憶に新しく、奴が生き延びていた事、友人達が戦い続けている事、そしていま奴が斃され、その功績を讃えられて帝国から褒賞が贈られた友人達の姿を見て、まるで自分が褒められた気持ちになるくらい本当に嬉しかったのだ。だが、本人達は何故かお祝いを言えるような雰囲気ではなく、とりあえず今は本来の目的である警護に専念しようと決めたフィン。 「始まったばかりだし機会はまたあるよね、きっと」 そして此方もギルドを通して警護の依頼を受けた二人。 各務原 義視と八条 光は依頼主の要望通り正装姿で会場入りしたわけだが、光はと言えばドレスの裾がひらひらするのも、装飾品で体のあちこちが重く感じるのも、特にハイヒールで一歩進むのも気を遣わねばならないという状態のせいか、顔付きが若干怖い。 「まったく、何故こんな……」 ぶつぶつと文句を言っている恋人に、しかし義視は。 「綺麗だね」 左手を差し出し、無言の眼差しで「手を」と促す。 光は、何故か怖い顔で「ん」と彼の手に右手を置いた。 恋人同士はそれらしくが今回の警備の条件。それらしく行動せねばならないのだ。……なんていうのは、建前で。 光も年頃の乙女であればドレスが嬉しくないわけがない。 結われた髪、全身を飾る装飾品、普段とは異なる化粧――まるで別人のように変身した自分の姿に心ときめかないわけがなかった。 そんな自分の隣には恋人の姿。 頬が赤くなるのはチークのせいだと言いながら、重なる掌から伝わる温もりは嘘の付けないわくわく感。 (可愛いなぁ) それを言葉には出せないから心の中で呟く義視。 可愛い、綺麗、愛しい、触れたい――。 「あ」 「……あ」 話し掛けようとして其方を向いた光と、無意識に頬に口づけようとしていた義視。 二人の間はほぼゼロ距離。 「ちゃんと仕事しろ」 「す、すみま……痛い、痛い痛い痛いですよ光……っ」 義視の足の甲にはヒールの踵跡がくっきりと残りそうだ。 ● 立食形式のパーティー会場の時間は賑やかに過ぎていく。 もう間もなくダンスも始まるらしく、楽団の面々が音の調整などしているところへ開拓者の中でも指折りの奏者である柚乃と、歌姫イリスが加わった。 もしよろしければ、と参加を希望した彼女達を、楽団は歓迎したのだ。 最初の一音は柚乃の横笛。 天儀の遠き春を待つ独奏が会場内を風のように吹き抜けていく。 それまで賑やかに談笑していた多くの貴族達が柚乃の笛の音にうっとりと聞き惚れる中、一つ、二つと異なる音が重なりゆく。 管楽、弦楽、打楽――、ジルベリアの厳しい冬を懸命に生き行く力強い旋律と、天儀の春に恋焦がれる繊細な旋律が絶妙な力加減でもって会場全体を呑みこんでいくのだ。 そうして誰しもが音楽に聴き入り声を発しなくなった頃、追い駆けっこのように大広間を包み込んでいた音楽が不意に途切れた。 一瞬の沈黙。 しかし誰かが声を、拍手をする前に響く、独唱。 ゆっくりと紡がれる詩と共にイリスの両腕が前方へ延ばされると、細く白い両腕に艶やかな長い髪がさらりと揺れて、見る者に感嘆の息を漏れさせる。 美しかったのだ、とても。 そうして声が途切れ、再び一瞬の沈黙が広がった後に起きたのは楽団員のカウントダウン。 ゼロの合図で全ての楽器が一斉に音を弾けさせた。 陽気なクリスマスソング。 イリスの歌声も先ほどまでの透明感溢れるものから一転、その笑顔によく似合う明るいものに変わっていた。 自然と湧き起る手拍子。 会場内にもまた楽しげな会話が戻って来る。 そんな会場の一角、先ほどから厳靖やエルディンが占領している卓に今はユリア(ia9996)とアイザックが合流しており、その会話の中心といえば――。 「イリス殿は本当にお美しいですねぇ」 どきっ。 「うかうかしてっと他に取られるな」 ぐさっ。 「そろそろ男気を見せて貰わなくちゃね、当たって砕けなさいな」 「砕けるの前提ですかっ?」 赤くなったり青くなったりと忙しないアイザックの反論に、ユリアは「それくらいの気概が必要って事よ」と更に発破を掛ける。 「判っています。歌が終わったら、……もう、次の機会なんて待ちません」 強い決意の表情に周囲の面々は満足顔だ。 「しっかり決めて来るのよ!」 「うわっ」 時雨に背中を叩かれて卓に突っ伏しそうになるアイザックを見て、劫光も。 「今までを見る限り大丈夫だろ、しっかりやんな」 「は、はいっ」 皆に背中を押され、励まされていよいよ決戦の時を迎えようとしている若者に、エルディンは言う。 「イリス殿とうまくいくよう祈っています。可能なら私の教会で祝福したいですね」 教会という二文字に傭兵はとても複雑そうな笑みを返した。 同じ頃。 ファリルローゼ、アルマ、ウルシュテッドの三人にダンスを申し込まれた皇女は険しい顔をしていた。ファリルローゼが男装しているのも皇女と踊るためだったらしい。 「ご迷惑、ですか?」 「っ……」 必殺、アルマの上目使い。 これをされて無下に出来る相手などいるわけがなかった。皇女も無論その例に漏れず、わざとらしい咳払いを一つした後で「物好きね」と。 突き放す物言いに三人はそれぞれに表情を変えた。 「えっと、ね。まずはこれ、希儀の遺跡の石なんだ。開拓者らしいお土産かな、って。それと感謝の気持ちを伝えたくて、……いろいろ、ありがとうございます」 「俺からも、俺と、此処には参加出来なかった姪からの礼を。貴方の心を伝えてくれた事に感謝している」 男二人から告げられる感謝に目を瞠った皇女は、次いでファリルローゼに視線を転じた。 「……まさか貴女も礼を言うのではないでしょうね」 「私は……」 言い掛けて、しばし考え。 ファリルローゼは深呼吸を一つしてから告げる。 「貴女は皇族にも心があると仰られた。ならばその心が望む未来を、お聞かせ願えればと」 真っ直ぐなその視線に皇女はしばらく黙ったままだったが、不意に拳をファリルローゼに付き付けた。 その中には何かが握られており。 「蒼玉褒賞……?」 「貴女の妹の分よ」 驚く三人に皇女は言う。 「それの意味なんて勝手に想像すればいいわ。――それで構わないと思えるだけの信頼をくれたのは貴女達だもの」 ファリルローゼは「妹の分」と渡された蒼玉褒賞を見つめる。 アルマも、ウルシュテッドも、皇女の言葉を己の胸の内で噛み締める。 そうして、……改めて皇女にダンスを申し込んだ。 ● まだたくさんの料理を乗せている卓が広間の端に寄せられ、中央には何組もの男女のペアが互いの手を取りながらその時を待っていたが、歌い終えたイリスへの拍手喝采は誰一人惜しまなかった。 「ありがとうございました」 ぺこりと一礼して壇上から降りたイリスへ、数人の若い男性貴族が我先にと近寄っては「是非ダンスの相手を」と声を上げ始めた。 強引に伸びて来る手が「嫌だ」と思う。 生理的なものではなく、……そうではなくて。 (この手が、もしも――) 胸中に見え隠れする感情に戸惑いながらも拒もうとした貴族の手を、不意に「失礼」という声と共に横から掴んだのは、アイザック。 「すみませんが彼女は私と約束してくれていますので」 言いながら掴んだ手を押し戻すと、今度はイリスの手を引いてその場から足早に遠ざかる。 立ち止まったのは広間から中庭に出た後だった。 「すみません、勝手に約束なんて言って連れ出してしまって……腕、痛く無かったですか?」 「ええ、大丈夫」 アイザックの謝罪に、イリスは笑顔で応じた。 その頬が微かに赤いのは冬の冷気のせいなのか、それとも――。 自分の胸元に置いた手に普段以上にはっきりと伝わる鼓動。 彼は言う。 「約束はしていませんでしたが、……一緒に踊ってくれますか?」 差し出された手に自然と笑みが毀れて。 「……喜んで」 彼の手に自分の手を重ねた。 邸内から聞こえて来る音楽に合わせてステップを踏む。 三拍子のワルツ、軽やかに、弾むように。 うっすらと雪が積もった庭に二人だけの足跡が刻まれてゆく。 それを見つめながら、アイザックは静かに告げた。 「――イリスさん。俺は、貴女が好きです」 「――……アイザック」 「貴女が、好きです」 足が止まり、繰り返された想いを告げる言葉にイリスは。 「 」 耳元に囁く。 そうして彼を抱き締めた。 「よくやったわ!」 小声で、ガッツポーズも控えめなユリアと。 「おー」 「おぉ……」 同じ音ながら調子が微妙に異なるキリールとルシール。マチェクはただ静かに微笑っていた。 運が良いのか悪いのか、イリスとアイザックが足を止めたのは大広間から直接出られる中庭で、二人の斜め頭上には広めのバルコニーがあった。 そこで顔を揃えたのがユリアとマチェク、キリール、そしてルシール。 (ど、どうして私まで此処に……!!)と混乱しそうな少女の災難は、せっかくの機会だから話でも……と声を掛けたキリールが、マチェクの様子に気付いて彼を追い駆けてしまった事だろう。 かくしてユリアは肩を竦め。 「さぁ可愛い部下はしっかり結果を出したのに、団長サンは相変わらず八方美人で女の子を泣かせているのかしら?」 「手厳しいね」 「不器用に優しいのも程々にしておきなさいね。女の恨みは怖いわよ?」 「判っているよ」 手の甲を軽く抓られても傭兵の表情はそれほど変わらず、ユリアは呆れた笑みを零しつつその手を握った。 「まぁいいわ、刺されたらお墓参りくらいしてあげる。親切で美人な元愛人とダンスを踊ってくれるわね?」 「喜んで」 くすくすと互いに楽しげな笑みを零し、下の二人に気付かれぬようキリールとルシールに目配せして邸内に戻る二人。 「愛人?」 「えっ、えっと……どうなんでしょう?」 キリールに聞き返されて、ルシールは何故か赤くなってしまった。 ただ、思うのだ。 (スタニスさんも……素直になれたら良いのに) 背負うものの多さ故にそうもいかないのは、判るけれど。 それでも。 「乙女はしたたかなんですよ……?」 くすっ、と。 思わず声に乗せてしまった呟きを、キリールはどう思ったのか。 「なんだってアイツの周りにはイイ女が集まるかね」と、ルシールの頭をぽふりとした手はとても優しかった。 曲がダンス曲に変わる中、ゼスは周りを眺めながら懐かしい空気だなと思う。 (やはりジルベリアは嫌いではない) あまりいい思い出の無い閉鎖的空間ではあるけれど、懐かしむという感覚が自分の中にある事は純粋に嬉しかった。 それに、何より。 「これも美味しいね」 アル=カマル出身故に見慣れない肉料理を頬張りながらあどけない笑顔を見せてくれる友人が傍に居る事が、嬉しい。 「ケイウス、顔に何かついているようだが?」 「顔?」 聞き返しながら指で口の右端を触り、はっとしてハンカチを取り出し周りを拭う。案の定、ハンカチは甘辛いソースの赤茶色に染まってしまった。 あちゃー……と恥ずかしがる風のケイウスに小さく笑うと、問う。 「せっかくだ。俺と一曲踊ってくれるか?」 途端、ケイウスの耳がピンと立ったように見えたのは恐らく錯覚ではあるまい。 「うん、踊ろう! あ、でもダンスパーティは初めてだし、踊りもあんまり巧くないけど」 「問題ない、リードは任せろ。……但し足は踏んでくれるなよ?」 「頑張るよ!」 気合充分のケイウスは、いざ踊るべく会場の中央に進み出ると周りの雰囲気に呑まれたのか表情が強張った。 「心配ない、背筋を伸ばして視線は私に」 「う、うんっ」 それでも目線は下、パートナーの足を踏むまいと必死。そんなケイウスを見ていると、ゼスは心の内側にたくさんの感情が生きている事を実感する。 (不思議だな……おまえといると、気が楽だ……これからもお前を親友と思って良いのだろうか) そんな不安が心に微かな影を落とす。 広間の中央にはカジャと時雨の姿もあった。 少し目立ち始めたお腹を庇うようにして、ゆっくりと、音楽に合わせてステップを踏んでいく。 「こけたらシャレにならんからな、せめて俺の足を踏むくらいにしてくれよ」 「カジャこそ私の足を踏まないでよ」 くすくすっと、お互いの笑顔を見つめ合える時間が持てる事が幸せだと思う。 (そういえば、一昨年もこんな風に踊ったっけ) 今日みたいに、正装を持っていないカジャを時雨の趣味であれこれ着飾らせて踊っていたあの日には想像もしなかった今日と言う日。 (左手薬指には指輪。一生懸命に生きようとしている命を守るお腹……なんだか、すごく感慨深い) 一人、そんな思いに耽っていると、不意に体が止まり、肩からカジャの上着を掛けられた。 「具合でも悪いのか? 暖かくしてろ」 「……そうじゃないんだけど、でも、ありがとう」 はにかむように笑いながら上着の前を合わせる。 カジャも笑った。 「来年はちびと三人だからさ。今年はまだ二人の時間を優先しといてくれ」 甘えるような言葉と、啄むような軽いキスに、時雨も呆れたフリで肩を竦める。 「でも、そうね……この先も…もっとこうして、時を重ねて行きたいわね」 カジャの胸に顔を埋め、お腹に手を添える。 (……あなたにも聞こえるかしら、パパの鼓動。私の鼓動……) 元気に生まれて来てくれる日を待っている。 ● 「あんな怖そうなお姫さんと踊るやなんて度胸あるなぁ」 皇女と一曲踊って戻って来たウルシュテッドを、ジルベールはそんな密やかな声で迎えた、ウルシュテッドと、彼と一緒に戻って来たファリルローゼは小さく笑う。 「皇女も俺達と同じ、心ある人だよ」 「ええ」 晴れ晴れとしたファリルローゼの様子から、彼女が知りたかった事も知れたのだろうと察したジルベールは、微笑った。 「そっか、ほんならあの約束を果たそうか……と思ったんやけど」 この場に必要なもう一人の人物、スタニスワフ・マチェクの姿を探せば広場の中央でユリアと楽しそうに踊っている。 ジルベールとウルシュテッドの視線は、自然ファリルローゼに向かい――。 「な、何か取って来るわっ」 顔を真っ赤にし、逃げるように料理が所狭しと並ぶ卓の方へ行ってしまう娘に二人は笑う。 「可愛いなぁ」 「ああ」 くすくすと笑い合い、その内にウルシュテッドは告げる。 「ジル……ロゼとフェンのために……ありがとうな」 唐突な言葉に瞬き一つ。 「なに言ってん。彼女らの一生懸命な様子見てたら、自然に俺も出来ることないかなって気になるねん。怪我の一つや二つくらい」 ぎゅっ、と不意の抱擁。 「テッド?」 突然の事に動揺するジルベ―ルよりも周囲の婦女子達の反応の方が面白かったのは、恐らく気のせいではない。 間近で重なる相手の視線から思惑を知ったジルベールはその背に腕を回し。 「酔うたんか? 二人で風に当たりに行こか?」と、背中に「きゃぁきゃぁ♪」という意味深な悲鳴を聞きながら広間を後にした。 会場から一人、また一人と密やかに開拓者の姿が消える。 「あぁフェルル殿から金剛褒賞授与に至った経緯などお聞きしたかったのに」という呟きを通りすがりに耳にしたスタニスワフは会場を見渡し、フェルルに加えてウルシュテッド、ジルベール、それにアルマも今まさに広間を出て行こうとしている事に気付いた。 そして――。 「ほら、しっかりしなさい」 ユリアに背を叩かれる。 「嘘つきな唇に真実を乗せる時なんじゃないの?」 「……さて、どうかな」 苦い笑みを零す傭兵にユリアはウィンク一つ。 「ダンス、楽しかったわ」と彼の背を押した。 フェルルは褒賞の件で貴族達から話を聞かれるのを避ける為、早々に会場から姿を消し、とある場所で友人達を待っていた。 しばらくしてウルシュテッドとジルベールが合流。 アルマもやって来る。 「フェンさんとこ行くんやろ? あの子が腹減ってたらあかんからな」とジルベールが差し出したのは袋に入れられたフルーツ。 「じゃあ……」 アルマが行こうと言い掛けた矢先「待って」と声が掛かった。振り返れば息を切らせて走って来るファリルローゼの姿。 「私、もっ、一緒に、行くわ」 「いいのかい?」 「ええ。マチェクが、アルマが外に行くのを見たと教えてくれて」 「……ロゼちゃんは、フェンちゃんに預かったものもあるしね」 アルマに言われて、強く頷く。 そうして四人はジルベールに見送られて大切な人の元へ急ぐ――。 その姿をフィンも見ていた。 邸を後にしようと走る友人達の背中に一瞬の躊躇が生じるも、いま言わなければダメだと己を奮い立たせて声を張り上げた。 「ぁ……アルマくん! フェルルさん!」 驚いたように振り返る二人が此方に戻って来るような事にならないよう、フィンは大声で言葉を重ねる。 「あのねっ、……ありがとう!!」 突然の感謝に、二人の目が丸くなったのが判った。 だからフィンは笑顔になって、もう一度叫ぶ。 「フェイカーを斃してくれて、ありがとう! 褒賞の授与、おめでとう!!」 感謝と、祝辞と。 その言葉をアルマとフェルルは驚いた顔で受け止めて、そして、泣き笑いの表情で返す。 「……ありがとうフィンちゃん! また今度、ゆっくり話そうねっ!」 大きく手を振って「約束」をした。 ● 宴も闌、食事にダンス、もちろん酒も振る舞われているため良い感じに酔いが回れば人は賑やかになるもの。 だんだんと最初の硬質な雰囲気から和やかなものへ移り変わる中、皇帝陛下も退場された事で箍が外れた人物が、此処にも居た。 「本当はね、フェイカーに利用されてもおかしくないのは私だと思います」 だんっ、と酒を飲み干したばかりのゴブレットを力任せに卓に戻すエルディン。 「私はずっと自分に嘘をついているんです。今も、これからも。反体制こそ唱えませんが全く恨まないなんて無理でしょう、今こうしている間にも我が同胞が苦しい思いをしているというのに!」 「ああそうだな、色々あるわな、まぁ飲め飲め!」 言いながら更に酒を勧める厳靖。普段のエルディンなら酒を飲み交わすにはいい相手なのだが、今日は状況が状況なだけに難しかったようだ。 にしても絡み酒とは扱いに困るわけで。 かといって周囲にはカップルばかりが目立ち、此処に招き寄せるのは良心が咎める。 (仕方ねぇ、酔い潰れるまで付き合うか) そうして更にエルディンに酒を注ぐ厳靖だった。 フレイアとジークリンデは皇女と共に、ジルベリアに存在する魔の森や、其処に存在するであろうアヤカシに関してどこまで把握しているのか、といった話で難しい顔を付き合せていた。 「各庁が必死で情報を集め対応に苦慮しているわ。……そう遠くない未来、大規模な掃討作戦が実行される可能性はあるでしょうね」 予感、予兆……なんと表現するのが正しいかは判らない。 しかしフレイアとジークリンデは、その時が確かに遠くない事を感じていた。 律は一人、壁際で落ち着かなかった。 正装で来いというからパーティに相応しいドレス姿で来たまでは良かったが、仲間達は口を揃えて「綺麗!」「可愛い!」と褒めちぎってくるし、ダンスに誘ってくる男共はしつこいし。 (視力がゼロなのか? いや、恐らく乱視なのだろう。あれは物が歪んで見えると聞いた事があるしな) 歪むの意味が些か異なるような気もするが、律にしてみれば自分なんぞを誘う連中の気が知れないのだから仕方ない。 (まったく……落ち着かん) 胸元に飾られた蒼玉褒賞。 自分にその資格があるのかも疑わしいから、なおさら。 (フェイカーが斃されたとはいえ……あの戦いでは目立ったことも出来なかったし、な。 もし、納得いく戦いが出来ていれば、違う心境になれたのだろうか) 実感、充実感、そういったものが、もしかしたら。 警護のため、会場内を見渡す視界の端に映ったスタニスワフの姿に、胸には鈍い痛み。更に辺りを見渡して友人――リディエールの姿を探せば、どうやら彼女もスタニスワフが一人でいる事に気付いたらしかった。 緊張した面持ちながら一歩ずつ彼に近付いている。 (……諦めないで欲しい、な) 自分は騎士として、あの男に恥じない強さと魂を手に入れる。 必ず。 心の中で己自身にそう誓った律は、リディエールがスタニスワフに声を掛けたのを見届けて会場を後にした。 ただ、静かに。 リディエールはスタニスワフを誘い、手に手を重ねて踊る。 ひらりと揺れるドレスの裾。 軽やかに、優雅に流れるワルツの旋律に隠れるように、リディエールはぽつりと呟いた。 「……私は、貴方の信を得るには、まだ足りないでしょうか」 「どうしたんだい、急に」 穏やかな笑みで聞き返されて、リディエールはほんの少しだけ躊躇った。 けれど今しか聞けないと思うから慎重に言葉を選ぶ。 「教えて、頂けませんか? 貴方は何のために「生きる」のか……」 あの日からずっと考えて来て、彼の事を何も知らないのだと改めて痛感した。フェイカーとの戦いを通してはずっと離れていたのだから仕方ないとはいえ、そこで諦めてしまうなら、それ迄でしかないのではないか、と。 「……教えては頂けませんか?」 真っ直ぐに見上げて来る視線にスタニスワフはしばし沈黙を保ち、やがて、外へ行こうとリディエールを促した。 庭で二人きりになって、スタニスワフは答える。 自分が生きる理由は暁の傭兵達のためだと。 「実を言うとね、今日、君達がどういう思いで褒賞を受け取るのか……その答え次第では今後君達と関わるのを止めようと思っていたんだ」 「え……」 「この戦いで、俺は何に代えても守ると決めた家族を開拓者のために死なせてしまったからね」 「!」 「彼らの死は君には関係ない。だが彼らにとって開拓者は開拓者なんだよ。君達と関わる限り、俺は君達が願う未来を信じ、守りたいと思う。だが彼らがそれをどう思うか……」 そこで言葉を切り、スタニスワフは、微笑った。 「今回の事で開拓者を今後も信じようと決めた。君の事も信じているよ、リディエール。他の開拓者達と同様に。だが愛するという意味でなら……」 言い掛けて、スタニスワフは何かを思い出したように言葉を呑みこんだ。 そうして改めて告げる。 「愛せそうな女性がいるんだ、君ではなく。……すまない」 「……いいえ……」 リディエールは首を振る。 そうして精一杯、笑った。 「お聞き出来て良かった、です」 ダンスももう終わりになろうかという頃になって。 「ほら、何事も無く済みそうだし、最後に少しくらい踊らない? ほら、行こっ」 「……まぁ、少しくらいならお付き合いしますよ」 素っ気なく応じる光は、しかしその胸中ではどきどきしていた。 はっきりいってダンスは付け焼刃である。 話を聞いただけで実際に踊った事など皆無に等しい。だが、それでも何とかなるのは意外に義視のリードがまともだったからで。 少なからず驚きながら顔を見上げれば、此方が顔を隠したくなるような幸せそうな表情で自分を見ている。 「……なんですか」 「ん。幸せだなって」 「簡単な人ですね」 「うん。でも、幸せだよ」 互いの手を取り、息遣いを感じながら、こうして笑顔で言葉を交わせる。 いつだって出来そうな簡単なこと。 だが、それもこの相手がいてこその、幸せ。 光は溜息一つ。 「……今日は、ありがとうございます、楽しかったですよ」 笑顔の唇に不意のキス。 「……っ、光、今夜は」 「調子に乗らないで下さい」 「っ!」 さっきと同じ場所にヒールの踵が突き刺さった。 最初はゼスにリードされていたケイウスも、次第にステップの踏み方に慣れて来ると男性らしくリードする側になっていた。 「こういうパーティもいいね、すごく楽しいよ!」 音楽よりも若干早いテンポで回るのはアル=カマルのリズム感覚で、優雅さよりも軽快さを。 大人びた時間よりも笑顔を、君に。 「ゼス、楽しい?」 一緒に過ごしたこの時間が、良い思い出になったなら――そう願う彼に、ゼスは頷く。 「おまえのおかげだ、ケイウス」 こんなに楽しいパーティは、自分も初めてだから。 「私は……おまえが今まで俺に寄せてくれたのと同等の信頼を、これからのケイウス=アルカームに寄せることを此処に誓う」 「え……」 ケイウスは足を止めてゼスを見つめ、その反応にゼスは表情を曇らせた。 「迷惑、か」 「え? やっ、そうじゃなくて!」 がしっと細い肩を掴んで彼は言う。 「また一緒にいろんな思い出を作れるかな、楽しい思い出!」 「ああ……、ああ、きっと」 ――そうしてケイウスの見せた笑顔が、ゼスに未来を信じさせるのだ。 ● 数時間後。 宴が終わって招待客達の帰宅も済んですっかり静まり返ってしまった皇女邸へ続く道の、仄かな街燈の下。 「おかえり」 優しい声に驚いて顔を上げれば、其処には予想通りの人物――穏やかに微笑む暁の傭兵の姿があった。 その顔を見ていると、胸が軋んで。 自分のものではない蒼玉褒賞を握る手が震えた。 それが渡せなかったら戻っておいで、と。そう言われていたのだ。 「……泣くんだ。ごめん、と。一緒に受け取れなくてごめんと……フェンの分もあるのだと私が言えば、あの子は断れない……それでは、……違う……っ」 苦しさ故か言葉の選び方が危ういファリルローゼを、スタニスワフはそっと抱き締めた。 普段なら慌てふためくだろうに、今は苦しさの方が勝るようで、ただ静かに腕の中で涙を落とす。 「……ロゼ。フェンの蒼玉褒賞は俺に預からせてくれるかい?」 「え……?」 「伝えて欲しい。これを受け取る覚悟が出来たら取りにおいで、と」 その言葉に託された想いを察して、熱い涙が傭兵の胸に染みた。 諦めてはならないと思った。 「君達は帝国の未来を変えていけるよ、必ず。――俺はそう信じている」 理想も、願いも、祈りも、決して――……。 |