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■オープニング本文 死者を出す事は無く、またフェイカーの戦力を確実に削ぎ落したはずの激戦を経て、奴は姿を晦ました。 各地で奴ではないかと疑いたくなる話は耳に入ってたが、何の確証も得られないまま、帝国側も、傭兵達も、次の一手を打てずに日々は過ぎ、あれから二ヶ月――。 ● その夜、町外れの川沿いの道を一人で歩いていたのは傭兵団の自称見習い自称剣士ディワンディ。 日中の豪雨を忘れさせまいとするかのような厚い雲に覆われた空には星一つ見当たらず、無論月の光りも届かない。 それがまるで自分の心の中を移されている気がして、少年は泣きそうになっていた。 「ボスも皆も難しい顔で黙りこくっちゃうしさ……そりゃ、俺じゃ何も出来ないかもだけど……」 ディワンディは、自分も傭兵団の一人でありたいと願うからこそ無力な己が歯痒いのだ。 行くあてもなく、ただ何となく歩き始めた橋の上。胸中に募る苛立ちから、無意識に足下の石を蹴飛ばしていた。 少年の足と比べると半分くらいの大きさの石は、そのまま橋から下方に落ちた。 「ぁ……」 そこは川だ。 夕方までの雨で水嵩が増して危険になっており、近付く者などそうはいないはず。それでなくてもこのような時間なのだ。 まさか下に人など居るまいと思いつつも慌てて欄干から身を乗り出し確認した少年は、瞬間的に体を元に戻して隠れた。 直後の石の落下音。 と、同時。 「何者か!」 鋭い声が飛び、覚束なくも必死に逃げようとする足音がそれに続く。 「! お待ちなさいっ!!」 「いやぁぁぁっ!!」 どちらも女の声だ。 ディワンディにとっては見知らぬ他人。しかし少年は確かに見てしまったのだ、その一方の女の胸で輝いた赤い石。 その禍々しさを――。 「……っ」 少年は戸惑ったが、それもほんの一瞬。 上着を脱ぐと橋から下へ飛び降りた。 「待ておまえ!」 「!?」 突然の声に振り返った女――赤い石を胸元に輝かせたシェリーヌは、しかし唐突に視界を遮られた。 「この……っ」 「……っ!」 無我夢中で袖部分を女の首に巻きつけ、蹴り倒す。 (人間違いだったらごめん!) 胸中でそう叫びながら走り出すと、必死で逃げようとするも足が動いていない女にすぐに追いつき、その腕を掴んだ。 「こっち!」 「えぇっ!?」 相手の驚きの声にも今は胸中でのみ詫び、強引に二人一緒に川に飛び込んだ! 「えぇぇ!?」 「口も目も閉じてて!!」 その言葉も最後まで相手に届いていたかは疑わしいが、シェリーヌが巻き付けられた上着を振り払って突然の闖入者を確かめようとした時には、其処には誰の姿も無く。 「おのれ……どうやらガキのようだったが……小賢しい……!」 わなわなと震える手を固く握り締める事しか出来なかった。 数分後、ディワンディは自分が助けた形になった女性と共に川を流されながら、ここぞと言う場所を狙い定めていた。 (俺だって伊達に傭兵団の一員を名乗ってるわけじゃない! いざって時の退路くらいちゃんと頭に入ってンだ!) だから後は、その場所に辿り着いた時に、この急な流れに逆らって岸に辿り着けるかという……。 (あ、あれ……姉ちゃん……?) 腕はしっかりと掴んでいたが、その相手は完璧に気を失っていて。 「うそ……え、あ、ど、あーーーーー!」 激流に掻き消されるディワンディの悲鳴――……狙い定めていた場所というのが傭兵団のアジトに最も近い場所で、尚且つ作戦会議の合間の休憩で数名の傭兵が外に出ていたのが幸いし、少年達は辛うじて地上に引き上げられたのだった。 ● 川から引き上げられた娘が着替えを終え、温かなミルクでようやくそれまでの緊張を僅かに解したところで、傭兵団の長スタニスワフ・マチェクは穏やかな笑みと共に声を掛けた。 「うちの子がすまなかったね」 「ぇ、あ、いえ……」 暖かなカップを包み込む手に力を込めた娘は、スタニスワフの顔を見上げた途端に固まった。 微動だにしなくなり、……数秒。 「ぁ、あ……っ、そ、そんな事は……、ない、です。ありがとうございました……」 真っ赤になった顔を隠すように俯くと、それきり口を噤んでしまった。その流れを周りで見ていた傭兵達は一様に(またか……)と胸中で呟く。 ともあれ、スタニスワフがあと二回くらい微笑めば彼女の口も滑らかになるだろうと予想される。 傭兵達は、実を言うと彼女から話を聞きたいという衝動を抑えるのに苦労しているのだ。 ディワンディからは先に話を聞いており、もしも彼女を襲っていた女が本当に紅い石のペンダント――フェイカーを所有するシェリーヌだったならば、彼女には襲われる『理由』があるはずなのだ。 それが判れば、……きっと、今度こそ奴を誘き出せる。 娘はカレンと名乗った。年齢は十八。父親を迎えに行く途中で変な人に絡まれていたのをディワンディに助けて貰ったと話したが、どうして絡まれたのかという質問には口を噤んでしまう。 決してそれだけは言いたくないという思いが見て取れて、スタニスワフはもしかしてと思う。 「アイザック、あれを」 「はい」 傍に控えていた彼にそう指示を出すと、アイザックも同じ事を考えていたのだろう。すぐに頷くと、隣の部屋で厳重に保管してあった一冊の本――神教徒の秘術を扱うために必須の聖書をカレンの前に差し出した。 と、相手の反応は予想通り。 「これは……、っ! まさか皆さんは神教徒の……っ?」 「教徒ではないよ」 スタニスワフは応じる。 「だが、神教徒に害を及ぼすつもりもない。もしも神教徒であるという事で、今宵その女に襲われたのだとすれば、俺達は全力で君を――君達を護るよ」 暁の傭兵の言葉を受け、大きな瞳を涙で潤ませたカレンは勢いよく立ち上がると深々と頭を下げた。 「お願いします……っ、どうか皆を助けて下さい! もう四人も殺されているの! このままじゃ他の人達も……父も殺されてしまいます!!」 曰く、既に四人の神教徒が行方不明になっており教会からは単独行動を控えるよう言われていたのだが、医師である父が急患で出てしまい、帰りが遅くなったために迎えに出たところで襲われたと。 彼女は行方不明になっていた教徒四人を既に殺しており、カレンに向かって「おまえは五人目だ」とはっきり言ったそうだ。 フェイカーの言う事ならば、恐らく真実。 既に四人が犠牲になってしまっている――。 「……それにしても、フェイカーはなんだって神教徒ばかり狙うのか」 副長イーゴリの疑問は皆が抱いているものだったが、それは本人に聞くしかない。むしろ帝都ジェレゾ内部にも神教徒の集会場があったこと、其処が既にフェイカーに知れている事が問題だ。 「だが、今度こそ確実に奴を誘き出せるのは確かだろう」 スタニスワフは言う。 「開拓者にも連絡を取り、人数が揃い次第、作戦開始だ。……心配ではあるが本人の希望だ、カレンには囮になってもらう」――。 |
■参加者一覧 / 玖堂 柚李葉(ia0859) / 天宮 蓮華(ia0992) / 氷海 威(ia1004) / 劉 厳靖(ia2423) / 秋桜(ia2482) / フェルル=グライフ(ia4572) / 和奏(ia8807) / 劫光(ia9510) / 霧先 時雨(ia9845) / ジルベール・ダリエ(ia9952) / フェンリエッタ(ib0018) / エルディン・バウアー(ib0066) / ルシール・フルフラット(ib0072) / リディエール(ib0241) / アイリス・M・エゴロフ(ib0247) / フレイア(ib0257) / ジークリンデ(ib0258) / トカキ=ウィンメルト(ib0323) / ファリルローゼ(ib0401) / 風和 律(ib0749) / アルマ・ムリフェイン(ib3629) / レジーナ・シュタイネル(ib3707) / ウルシュテッド(ib5445) / 緋那岐(ib5664) |
■リプレイ本文 ● 明朝六時。 スタニスワフの呼び掛けに応じてくれた開拓者達と手を組み、動き出した一行は、細心の注意を払いながら「自然に」日常の風景を呼び戻していった。 傭兵団に匿われていたカレンには劫光(ia9510)とディワンディが付き添い、今夜の集会があるまでは外出しない方が無難という傭兵達の言葉を受けて待機している彼女が退屈しないよう話し相手をするなどし、一方で彼女から聞いたジェレゾ内の神教徒を護衛すべく傭兵達が各地に散る。その傭兵達とは別行動で異変を察知すべく行動を開始したジルベール(ia9952)とウルシュテッド(ib5445)。 また、カレンから都内の神教徒達の中心的人物の所在を聞き、接触したエルディン・バウアー(ib0066)は信徒達に「今夜集会を開く。集会後は速やかに帰宅を」と伝えてもらえるよう頼み、リディエール(ib0241)、ジークリンデ(ib0258)と手分けし各所にムスタシュイルを仕掛けていった。 術の効果は一日。 今日で終わるか否か現時点では誰にも解らないが、……少なくともこの作戦が奴を――赤い石のペンダント、フェイカーとの最終決戦になる事だけは間違いない。 今度こそ打ち取らなければ更なる犠牲を生み出してしまう事は誰もが察していた。 そのための時間なら、例え待つだけであろうと何時間でも費やすつもりだったのだ。 「これは、……呼子笛?」 「武天の呼子笛です」 アイザックの手にそれを乗せ、佐伯柚李葉はそう言い添えた。 巨勢王の求めによって特別に作られた笛は音が届く距離も通常の倍以上だ。 「何かあったら吹いて下さい」 「何かって……あ、そうか」 柚季葉が巫女だと気付き深く考えずにうなずいたアイザックだったが、そうして見返した相手の真摯な瞳にどきりとする。 「必ず……必ず、呼んで下さい」 誰の命も決して失われないようにという想いを込めた言葉に、若き傭兵は少し考えた後で柔らかな笑みを零した。 「必ず呼びます。……大丈夫ですよ、傭兵は命に汚くないと務まらないんです。特にうちのボスの下では、ね」 「……はい」 その言葉でようやく安心したのか、柚季葉の表情にも和らぎが戻った直後。 にやにやと笑いながら口を挟んできたのは傭兵仲間のニコライ。 「つーかオマエ、イリスちゃんに何も言わずには死ねないよなぁ」 「!」 いきなり何をと言い返す間もなく仲間のセリフは本人にも聞こえていて、案の定、イリスは目を瞬かせていた。 「あら……アイザック、私に何か話があるなら今でも」 「今、は、困るというか……っ」 「じゃあいつなら?」 顔の赤いアイザックにスッと顔を寄せるイリス。ニコライも脇をつついてくるし、何故か柚季葉の表情にも期待が見て取れて、この状況にはさすがのアイザックも腹を括らねば男失格と知る。 「こ、今夜の、フェイカー討伐が成功したら、その時には……!」 若き傭兵の決死の覚悟に、しかし周りの反応は――。 「ワフ隊長、ワフ隊長、アイちゃんが変なフラグ立てちゃった!」 「変なフラグ?」 「まぁあれで死なないなら儲けもんだ」 焦りか期待か迷う賑やかしのアルマと、くくっと喉を鳴らす厳靖の話を不思議そうに聞いていたスタニスワフだったが、詳細を聞けばなるほどと得心する。 ここぞという時に決まらないのも彼らしいだろう。 それに、と傭兵が視線を移した先に佇んでいたのは見るからに貧相な出で立ちの、しかし可愛らしい容姿を隠し切れていない少女……否、少年。 緋那岐(ib5664)だ。 本人も傭兵の視線を感じたらしくハッと顔を上げ、更に相手の表情から何を考えているのか察した様子でぎろりと一睨み。 傭兵はくすりと肩を竦めるのだった。 ● 昼を過ぎ、日暮れを迎え、それでもジェレゾの街には普段通りの穏やかな時間が流れていた。 魔術師達が仕掛けたムスタシュイルがアヤカシを感知する事は無く、街に潜む神教徒達が襲われる事も無く、ただ待つだけの数時間。 かと言って、誰の胸中にも焦りはなかった。 「……子供達が笑っています」と、神教徒達が集まる集会場からやや離れた宿の一室から外を眺めていたルシール・フルフラット(ib0072)が呟けば、行動を共にしている風和 律(ib0749)は視線だけで応じる。 聞こえて来る笑い声。 他愛ない会話。 不安など何一つ無いのだろう無邪気な子供達の姿を見ていると、この何でもない時間の流れを守らねばならないと改めて思わされる。 そのためにも奴を倒す。 今は、ただそれだけだ。 天宮 蓮華(ia0992)、フェルル=グライフ(ia4572)、フェンリエッタ(ib0018)、ファリルローゼ(ib0401)で一組。 氷海 威(ia1004)、霧先 時雨(ia9845)で一組。 フレイア(ib0257)、ジークリンデで一組。 柚季葉、イリス、レジーナ・シュタイネル(ib3707)で一組――と言った具合に、警護対象の神教徒も含め決して単独行動は取らないよう全員が心掛ける中で、リディエールはハッとして周囲を見渡した。 近くに仲間が誰もいない。 「これだから本当に……」 ムスタシュイルが感知するかもしれない対象に意識を傾け過ぎたのか、仲間の移動に気付かなかったのは失態だった。それを自覚すると同時に、自分がこれまでどれだけ役に立って来たのかを顧みると胸の内に苦いものが広がり、思わず思考の渦に捕われそうになるが、今はまず仲間を見付けて行動を共にしなければと頭を振った。 「これではいけませんね……」 行動が目立たないよう、さりげなく周囲から仲間を見つけ出そうとするが、見つからない。 (誰か……) 誰もいない。 ひとり。 (……私は……) リディエールの足が止まった。 何もない自分の手のひらに注がれる視線がいつしか翳り、胸中には不安が広がる。 (……この手でも、守れるでしょうか。神教会の方々、暁の人達、大切な仲間達……それから、あの人も……) 脳裏を過る面影に、刺されるような痛みを覚える。 (騎士ではなくても……) 戦うための剣を持てないなら。 この身を、盾にしても――。 「リディエール?」 「っ……」 不意の呼び掛けにハッとして振り返れば、驚くほどの至近距離で青い瞳に見つめられていた。 それが判ってもまだ思考が回復しないリディエールに、彼の――スタニスワフの同行者であるアイザックが小首を傾げる。 「大丈夫ですか、リディエールさん。誰かと一緒じゃないんですか?」 穏やかで優しい問い掛けに、リディエールはようやく声を出す事を思い出した。 「ぁ……その、はぐれて、しまって」 「え、大丈夫ですか? 気持ち悪かったりとか、精神的に攻撃された感じはありませんか?」 「ええ、……たぶん……」 歯切れの悪い返答を訝しむアイザックだったが、ともあれ誰か探して来ると言って二人の傍から離れていった。それでは彼が一人になるのではと危惧するも、少し離れた場所にいた傭兵の二人組が後に続く。 「俺達の心配は無用だよ」 「そう、ですね……」 スタニスワフの探るような視線から顔を背けると、彼は笑ったらしかった。 そして、言う。 「『生かすは万の愛、生きるは一の愛』――君はどういう意味に取る?」 「え……」 思い掛けない質問に顔を上げれば傭兵は笑みを強めて続けた。 「一人で不安になったら考えてみるといい。……まぁ、もう仲間とはぐれなければ問題ないだろうが」 言っている間に前方にはイリス達の姿が見え、リディエールが何かを言う前にスタニスワフの姿は消えていた。 「……生かすは万の愛、生きるは一の愛……」 繰り返す声は虚空を彷徨うように響いた。 夜九時。 一時間後に始まる予定の集会に参加するため、カレンがディワンディと共に傭兵団の元を離れ、外を歩き始めた。 少し離れて護衛につく劫光や、傭兵達。 カレン達が先日襲われた川沿いの道に辿り着いたところで一人の傭兵が呟いた。 「……思ったんだが、カレンが狙われる特別な理由が無くたって、シェリーヌの顔を見てるってのは大きいよな」 「そりゃそうだろう、だから囮になるんだし」 「ってことは、他の教徒達と接触する前の方が危なくないか?」 そもそも行方不明扱いの四人が既に死亡している事も、その犯人がシェリーヌである事も、知っているのはカレンだけ。 だからこその囮――。 「しまっ……!」 劫光が放つ人魂が異変を感知するも、既に遅い。 「やっと現れたわね」 橋の欄干に佇む細身のシルエット――シェリーヌ、その胸元には赤い石が煌々と輝いている。 フェイカーだ。 ● 突如として現れたフェイカーに、劫光と二人の傭兵がカレンを庇うように飛び出した。 「ディワンディ、ボスを呼んで来い!」 「急げ!!」 「う、うんっ」 突然の乱入者にフェイカーは僅かに目を瞠ったが、すぐに状況を察したらしく薄く微笑んだ。 「そう……その女の気配が絶たれたから一度は死んだのかと思ったけれど、また貴方達の仕業だったの……くすっ……くすくす……くくくくっ」 女は喉を震わせ、舐めるように劫光を、カレンを、そして傭兵達を見まわす。 「そう……でもあの男を呼びに行かせたって事は、作戦を誤ったのかしら。此処に居るのは貴方達だけって事ね? ふふふふっ、死体が四つ増えたら、貴方のお仲間はどんな顔をするのかしら」 劫光にスッと近付きながら見せる妖艶な笑み。 「きっと絶望してくれるわね?」 「っ、簡単に殺せると思うな……!」 劫光は素早く印を切り九字護法陣を成すと、カレンの背を押して逃がす事を試みる。直後には傭兵達が劫光とフェイカーの間に入り壁となるが、一〇メートルと逃げられぬ内に不快な甲高い音と激しい頭痛が彼らを襲った。 「ぐっ……!!」 「あああぁっ……!!」 膝をつき苦しむ四人に一歩一歩近付いていくフェイカー。 「やっぱり最初は開拓者からかしら。傭兵達も憎らしいけれど、いろいろとやってくれたものね……?」 「くっ……!!」 直後、劫光に振り下ろされた拳。 直接的なダメージは抑えられたが掛けていた九字護法陣は破壊された。 「っ……」 劫光は襲い掛かる痛みに耐えながら再び護法陣を張る。 フェイカーは再び笑った。 「本当に無駄な事を続けるのね……最後にはみんな死んで終わるのに。守ろうとしているもの全部、私が壊してあげるのに。……くだらない抵抗で、よくもまぁここまで私を手古摺らせてくれたわ……いいえ、手古摺らせたなんて言ったら、勘違いさせちゃうわね。……そう、余計な手間を増やされた程度だけれど」 「がはっ……!」 腹部に強烈な蹴りを喰らった事で再び護法陣が破壊される。更には三度陣を生成しようとした手を踏み潰されて、劫光からは苦悶の叫びが上がった。 「いい? 私の手駒を幾つか潰したくらいでいい気にならないでね? 私には幾らだって手駒を増やせるの、あの子達みたいに」 あの子達、と後方を顎で示すフェイカー、……だが、そこには何もない。 女の表情が僅かに変化する。 戸惑いの色が滲む。 「なに……?」 思わず零した呟きに、応え。 「あぁ、もしかして呼ぼうとしたのはあの屍人達か」 「……おまえに殺されたあの人達は、やっと眠れたんだ。その眠りの邪魔は、もうさせない……っ」 フェイカーは今度こそ驚きに目を見開いた。 幾らなんでも援軍が来るのが早過ぎる。 その困惑が目に見えたのか、笑ったのは――厳靖。その隣に佇み、共に四人の屍人を解放したばかりの沈痛な表情を切り替えようとしていたのはアルマ。 そして。 「劉ちゃんがへそ曲がりさんで良かったよ」 「俺の曲がり方なんぞ其処の団長殿に比べれば甘いよなぁ?」 「さて、どう答えたものか悩ましい限りだが」 続いて現れたのはスタニスワフとアイザック。 「劫光さん、お二人も、まだ戦えますよね!」 「っ……あ、当たり前だ!」 「任せろ……!」 アイザックの気遣う声を受け、劫光も、傭兵達も笑って見せる。 「援軍が来るまで持ち堪えるとしようか」 「んまぁ、個人的に怨みはねぇんだが。逃がすわけにもいかねぇんでなぁ」 厳靖のその言葉が合図であったかのようにアルマが放つファナティック・ファンファーレ。 フェイカーの表情が歪んでいた。 ● 厳靖、アルマ、劫光、スタニスワフを含め傭兵四人。 七人対フェイカーの攻防は一進一退だった。 カレンの護衛を二人の傭兵に任せ、あわよくば強烈な一撃を見舞ってやろうと思うも、寸でのところでフェイカーの見えない術が放たれ、厳靖達を強烈な痛みが襲うのだ。 しかし後衛に徹していたアルマがその痛みに襲われなかった事で、一〇メートル以上離れた場所にいれば敵の術から逃れられることが判明してからは、戦い方が変わった。 傭兵達が追い込み、厳靖の瞬風波が放たれ、劫光とアルマがフェイカーの逃げ道を阻む。 決定的なダメージを与えるには至らずとも、敵を追い詰め始めたのは確かだった。 そして援軍の到着。 「みんな僕より前に出ないで!」 「そこから撃て!!」 アルマが檄を飛ばし、厳靖が指示を出す。そしてフェイカーの周囲で膝を付く傭兵達の姿から事情を察した仲間達の行動は早かった。 「アイシスケイラル!!」 「「ララド=メ・デリタ!」」 エルディン、ジークリンデ、フレイアら魔術師による僅か数瞬の猛追は、ただ一点、シェリーヌの胸元に輝くフェイカーを貫いた! 「きゃああああああああ!!!!」 迸る絶叫。 続く凄まじい破砕音。 瘴気なのか、それとも灰と化したのか。 最後にどんな表情も残す事無く消え去ったシェリーヌの体から落ちた赤い石のペンダントは、地面に叩き付けられて粉々に砕け散った。 斃せたのか。 これで長きに渡り皆の心を苛み続けた元凶は絶たれたのかという思いは確かに胸の内に広がり始めていたけれど、誰一人として声を上げる事が出来ない。 聞こえて来るのは荒い吐息。 脱力したように膝を折って座り込む傭兵達の衣擦れの音。 「っ……」 喜びの色など誰の面にも浮かんではおらず、ただその視線を地面に散らばる赤い石の破片に注ぎ続ける。 …………本当に。 ――……本当に、これで終わったのか……? 誰もが抱く疑問に、しかし正しく答えられる者はない。 それでも、このまま固まっている訳にはいかないのだと自らを奮い立たせた者が数名――フェルルもその中の一人だった。 「ぁ……」 固い表情で立ち上がり、中でも大き目の石の破片に近付いていく彼女に気付き、慌てて後を追ったのはフェンリエッタと蓮華。 二人はこの夜の戦闘に先駆けてフェルルから一つの頼み事をされていたからだ。 「待っ……アヤカシは死んだら瘴気になって消えるはずだろ? まだ破片が残ってるって事はフェイカーがまだ生きてるって事じゃないのか?」 緋那岐が早口に指摘する。 周りからはその通りだと言わんばかりに再び戦闘態勢を取る者もいた。 だがフェルルの決意は変わらない。 それでも構わないのだ。 「後は頼みます」 フェルルはフェンリエッタに破邪の剣を預けると、目的の欠片の傍に膝を折る。 精神統一の為のしばしの沈黙を誰もが固唾を飲んで見守っていた。 発動される術は『走馬灯』。 アヤカシ相手に効果が無いのは百も承知だったが、物質という他に類を見ない姿を得たフェイカー相手ならば何らかの情報が得られるのではないか。仮に砕け散った赤い石がまだ『生きている』としても、自分が新たな憑依体になる事でフェイカーの目的を知る事が出来るのではないか。 そう考えれば、これを機会として生かす事がフェルルの選択。 「……いきます」 静かな声と共にフェルルの指先が破片に伸び、フェンリエッタは彼女の剣を構えてその時に備える。 砕け散ったフェイカーの片鱗に人間の心が触れた刹那、――闇は暴走した。 ● ワタシハシナヌ! 私ハ死ナヌ! 怨ハ死ナヌ!!!! 四方八方に散らばる赤い石の破片がどす黒い瘴気を纏い宙に浮く。 それらの全てから発せられる二重、三重の声無き声が地響きとなって全ての命を呑みこまんとした。 「くっ……!」 「やっぱり生きてたな……!」 ルシール、律は剣を、緋那岐は符を構え最も近い位置に浮かぶ欠片を滅するべく動いた。 「フェルルさん!!」 膝を折った体勢のまま後ろに倒れたフェルルを抱き止めた蓮華が彼女の名を叫ぶ。すぐさま回復術を施すも、破片に全身を切り刻まれたように無数の箇所から血を流していたフェルルはすぐには意識を取り戻せない。 術の失敗による負傷か、それともフェイカーによる攻撃か判断し難い状況ながらもフェンリエッタが必死に親友の名を叫び続けていたが、力無く投げ出された手を握った途端に息が止まった。 意識がないはずのフェルルの手が、赤い石の欠片をしっかりと握り締めていたからだ。 「フェル……フェルルッ……くぁっ!!」 「フェン!!」 唐突に払いのけられたフェンリエッタをファリルローゼが抱き止めたが、目の前の光景には己の目を疑わずにはいられなかった。 異変を察し、欠片の破壊を続けていた仲間達も動きを止める。 「フェルル……」 「フェルルさん……!」 虚ろに見開かれた彼女の瞳が、赤く光っていた。 『……居心地の悪い体ですね。もっと私に相応しい体はないものでしょうか』 彼女のものとはとても思えぬ声が語り、赤い瞳が周囲を探る。 その視線がフェンリエッタで止まった。 『いるじゃありませんか、とっても心地良さそうな器が』 「……!」 アジュール姉妹が息を呑む間にも、フェルルの赤い瞳は周囲を見渡す。 『あ、貴方でも良さそうです。それに貴方でも』 律を指差し、リディエールに微笑み掛け。 『貴方も昔は良い感じだったのに、今はとっても嫌な感じですね』 ルシールにはそう言い放った。 何を以てして居心地の良し悪しを判断するのか判らぬ者、漠然と感じ取る者、それぞれの感情を、それすら心地良さ気に微笑む彼女は、もはやフェルルではなく――。 『どうですか? 貴方達の内の誰か一人で構いません。私の器になってくれるなら、この体は無傷でお返ししましょう』 「……っ」 律は相手を見据え、リディエールは顔を歪めた。 ファリルローゼは表情を失ったフェンリエッタを抱き締めた。……強く、強く抱き締めた。 フェルルは――フェイカーは微笑う。 まるで少しだけ時間をあげようと言うかのように喋り始めた。 『神教徒達が一カ所に集まっているみたいですねっ。今日は集会の予定なんて無かったはずですけど、これも貴方達の仕業ですか?』 今度こそ全員がハッとする。 フェイカーは既に集会場に行った後なのか。否、魔術師達により仕掛けられた数十ヶ所ものムスタシュイルはアヤカシの侵入を一度も感知しなかった。 「……まさか、神教徒の動きが判るんですか……?」 そんなわけがないと思いつつも問い掛けたトカキへの返答は、是。 『判るんですよ、神教徒の動きなら何だって』 「どうして……何故おまえはそこまで神教徒に拘るんだ……っ」 ルシールの問い掛けには、怪しい笑みが返り、そうして告げられた言葉は。 『だって、私は神教徒の石なんですもの』 もしかしたらと予想していた者もゼロではない。 だがこうして明かされた事実に、誰よりも耳を疑ったのは同じ神教徒だろう。 「何故……」 エルディンは力なく左右に首を振る。 「貴方も神教徒だと言うなら、何故こうまで同志を苦しめねばならないのですか……」 『同志だからですよ』 フェイカーは微笑む。 『帝国軍に侵略され、殺されていったたくさんの神教徒達……私は皆さんの恨みや、憎しみ、悲しみ、そしていつ帝国軍に粛清されるかもしれないと怯える恐怖で強くなれるんですもの』 フェイカーの目的は帝国の崩壊。 そのための糧に、神教徒達ほど相応しい存在があるだろうか。 『ずっとずーっと昔にロンバルールさんが私を祭壇から解放してくれたんですよ。私はよく判らないんですが、強い宝石だって封印されていたみたいで。私を解放したら村を助けてくれるって信じてたんですね。結局はみんな死んじゃったんですけど。……ふふっ、あの時の絶望感は、本当にとっても心地良くて、美味しかったです』 にっこりと微笑むフェイカーに対し、誰もが言葉を失くしていた。 『だから、神教徒達を苦しめるのが帝国なら、お返しに帝国を崩壊させてあげるんです。そのための力を神教徒達から貰うのは当然ですよねっ』 「……神教徒は……私達は帝国の崩壊なんて望んでいません……っ」 リディエールが震えた声を押し出すもフェイカーに微笑むばかり。 『それは帝国に粛清される恐怖を知らないからですねっ♪』 そう、だろうか。 例えば帝国の放った火矢が故郷を焼き尽くす劫火となったなら。 例えば目の前で親愛なる家族を、友を殺されたら、それでも自分は帝国を恨まずにいられるだろうか……? 想像するだけで胸が軋むのを確かに感じながら、しかしトカキは言った。 「御託はもう結構ですよ。少なくとも今の俺は、帝国のやり様よりも貴方の御託に胸焼けがしましたから」 「ほぉ、巧いこと言うねぇ」 厳靖が口笛を鳴らし、アルマは真っ直ぐに敵を見返す。 「約束をしてるんだ。今度こそ僕達でおまえの命運を尽きさせるって。――赤い悪夢は、終わりにしよう」 誰との約束かを明かさずとも仲間達には伝わる、それが答えだ。 「ええ……フェルルさんの姿でそのような言葉を語られるのも不愉快です」 リディエールも意を決す。 仲間達が次々と戦闘態勢を整えていく中で、フェンリエッタにも躊躇は無く、妹の変化にファリルローゼもまた覚悟を決めた。 「……信じている」 仲間を信じる心。 皆の、明日を願う心。 「悪意に屈さない確かなこの心こそ、おまえが仕掛けた負の連鎖を断ち切る力になると、信じている!」 フェルルと約束したのだ、此処で終わらせると。 そして彼女は信じてくれた、約束が必ず守られる事を。 「悪意で踏み躙り失わせたあまりに多くの人々の命、想い、すべて! 今こそ浄めの炎を受けよフェイカー!!」 フェルルから預かった剣で、彼女の想いをも込めて、その手中に輝く石を狙う。そんな妹の邪魔をせんとする欠片をファリルローゼは全力で粉砕し、叫ぶ。 「禍つ悪意を残らず打ち砕け!!」 今度こそ最後――これが、最後の戦い。 「神教徒に固執するあまり、此処に留まったのが敗因です」 ジークリンデの言葉にフレイアの術が重なる。 ララド=メ・デリタ。 灰色の光りが赤い石の欠片を次々と呑みこみ抹消していく。 瘴気を纏う赤い石が何を囁こうと惑わされる者はもういない。 誰の力にも迷いはない。 「見事に結実したな」 フェイカーの死角となる位置で、ウルシュテッドは誇らし気だった。 「すべて貴様が彼女らに蒔いた種だ、その身で思い知れ」 「よう成長したなぁ」 いつでも対象――フェルルの手中の石を狙える体勢ながら、今にも涙を零しそうな雰囲気のジルベール。 そしてその脇には機を伺うレジーナ、イリス、そして柚季葉。 「フェルルを救えるかどうかも懸かって来る。君達も決して迷うな」 「はいっ」 レジーナとイリス、イリスと柚季葉が互いの手を握り、その一瞬を待つ。 神教徒達が集まる集会場で彼らの警護に付いていたのは時雨と威だ。 ディワンディから話を聞き、ほとんどの仲間が現地に駆け付けたが、此方の安全が確保されたわけではない。 万が一の時のためにも戦力を残しておくべきだと考えたからだ。 そして何よりも、事情を知った神教徒達の不安を取り除く事も此処に残った二人の大事な役目だった。 「大丈夫。私達の仲間は絶対に信頼を裏切らない。安心して待っていて」 そう告げる時雨の言葉にも、頷く威の表情にも、不安の色は微かにも存在しなかった。 剣士達の刃もまた迷う事無く欠片に叩き込まれ、フェイカーはその時、確かに狼狽した。 『仕方ないですね、ではこの器はこのまま頂いてしまいますっ』 「させない!」 フェンリエッタの剣がフェルルに憑いたであろう瘴気のみを斬らんと振り下ろされ、回避しようとしたフェイカーを阻んだのは、歌。 『!?』 そして放たれた矢が――ジルベールの矢が、フェルルの手から石を撃ち落とした。 これが最後の機会。 イリスの歌声に押されて――仲間達の姿に、存在に、信頼に押されて、レジーナは全力の拳を最後の欠片に叩き付けた。 ――…………!!!! 声にならない声が。 叫びが。 ……驚愕が。 それは無音の嵐。 赤い悪夢の終焉。 フェイカーの最期だった――。 |