迎撃 〜躙り寄る悪意
マスター名:月原みなみ
シナリオ形態: イベント
危険
難易度: 難しい
参加人数: 29人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/06/29 17:46



■オープニング本文


 皇女主催のサロンが催される三日前。
 スタニスワフ・マチェク(iz0105)とアイザック・エゴロフ(iz0184)は第四皇女親衛隊隊長のキリール・クリモワと接触していたのだ、が。
「サロンの開催は構わないが、恐らくフェイカーは誘き出せないだろう」
「は?」
 スタニスワフの唐突な発言にキリールとアイザックは目を瞬かせる。
「誘き出せないのにサロンの開催をこの時期に決めたってのか?」
「誘き出せる可能性はあっただろうね。ただ、既に奴には開拓者が関わっている事を知られている節がある。夢魔の支配下にあるマチェク邸に入ったのだから仕方ないさ」
 もしもマチェク邸に関わらず、今回のサロン開催に至れば……と、敢えて口にはせずとも同席している二人には伝わったのだろう。
「しかしスタニスワフよ、開拓者がマチェク邸に関わったのはおまえの父親を助ける為だろう?」
「そうですよボス! 生きている人達を守ろうと必死になってくれているのに……っ」
「俺達の最終目的はフェイカーだ」
「そっ……それは、そうですが……」
 いつになく淡々とした口調のボスに言葉を詰まらせたアイザック。そんな遣り取りを見ていて、キリールは肩で息をする。
「そういった遣り取りは後でやってくれ。スタニスワフの言う通り俺達の目的はフェイカーだしな。有益な話をするとしよう」
 ――そうして、微妙な空気の中で進められる作戦会議。
「フェイカー以外にも夢魔や屍人の存在が確認されている。更に奴にはアヤカシの群れにジェレゾの街を襲わせる事も可能だ」
「それなら、俺達に任せてください」
 アイザックの力強い言葉にキリールは眉を寄せた。
「任せろとはどういう意味だ? 何百、何千というアヤカシの群れが来るかもしれないのにおまえ達傭兵団だけでどうにか出来ると?」
「詳細は語れません。ですが、必ず抑えてみせます」
 決して目を逸らす事無く繰り返す青年に対しキリールは更に表情を険しくした。
「おい……判ってないなら教えてやる。今回のこの作戦は俺達帝国軍、おまえ達傭兵団、そして開拓者達が協力し合わなければ勝利は難しい。詳細の語れない作戦なんぞで俺達を納得させられると思っているのか?」
「判っています。ですが、これだけはお話しするわけにはいきません」
 アイザックは繰り返す。
 キリールは更に眉間の皺を深くしてマチェクを見遣った。何とか言えと言ってやるつもりだったのだが、そうして目に映った傭兵団長の意味深な表情には疑問が湧き、……そうして件の報告に思い当たる。
「そういえば部下から知らせが入っていたな。件の神教徒の隠れ里だが、魔の森に相当近い場所だったにも関わらずアヤカシに襲撃された形跡がなかった、と。一体どんな幸運の持ち主がいたのかと思ったが」
 傭兵達に変化はない。
 キリールは溜息一つ。帝国軍には傭兵団が神教徒と関わったという確たる証拠がなく、傭兵団も証拠を握られるほど間抜けではないだろう。
 結局、こんな事を続けても時間の無駄でしかないのだ。
「まぁいい」と一息吐くと、作戦を纏め上げる。
 結論として、アイザックが「ここから先にはアヤカシの群れを侵入させません」と断言して描いた、皇女の邸を中心とした地図上の円より外に傭兵団の半数と、帝国軍が配置される事になった。
「ただし、外部から来るアヤカシは防げても内部にいるアヤカシを追い出す事は出来ません。中でアヤカシを発生させられれば、それは内側で対処しなければなりません」
「墓場にも警備を付け、城下で人が死ぬような事態も回避させろって事だな」
 更に打ち合わせは続き、皇女のサロンが行われるためジェレゾの街の警備という名目で開拓者ギルドにも募集を掛けようという話になる。人手があるに越した事は無い。
「今回のサロンには皇帝陛下も参加される事になっているからな。その点を鑑みればギルドに依頼を出す事も不自然ではなくなるし、フェイカーの呼び水になるかもしれん」
「南部の彼らにも招待状は届いているはずだが、返答は?」
「今回は都合がつかず欠席するという連絡が入っている。警戒されているのかどうかは判らんが、まぁ、簡単に尻尾を掴ませる連中でもないだろう」
「なるほど」
 スタニスワフがくすりと笑い、不意に彼らを包んだ沈黙。
 キリールは同席する二人を順に見遣り、問う。
「……フェイカーは来るか?」
 静かな問いに傭兵達はしばし無言のままだったが「さて、ね」と返すスタニスワフ。アイザックも「判りません」と硬い表情で、しかし続ける。
「サロンに姿を現すかどうかは判りません。ただ、何かしらの動きを見せる事は確実だと」
「その根拠は?」
「俺達が足掻くのをフェイカーは楽しんでいるからです」
 傭兵は断言する。
 例えフェイカー自身が動かずとも、自分を誘き出そうとする開拓者達を、傭兵団を、奴は必ず精神的に弄びに来るだろう。
 力試しをするように、戦いを挑んでくるだろう。
 例えば前回に開拓者が煮え湯を飲まされた夢魔で。
 ……例えば、仲間の亡骸で。
「フェイカーが討てずとも、今回の、この勝負。俺達には挑む意義があるんです」
 アイザックの言葉に、スタニスワフの表情も変わる。
 彼らのその姿がキリールにも確信を持たせた。

 フェイカーは現れずとも、必ず動く。
 その意味を改めて思い知る。



「開拓者の皆さんには、傭兵団と帝国軍がアヤカシの群れに対応すると伝えるだけにします。追及されてしまうと、……あの里の神父様の気持ちを無駄にしてしまうので……」
「それを彼らが素直に受け入れるとは思えないけれどね」
 アイザックの言葉に、スタニスワフは微笑う。
 ボスの言う事は勿論承知している、それでもアイザックには譲れないものがあった。
「……ボス。俺は、開拓者の皆さんの気持ち……強さ、優しさは勿論ですけど、悩んだり、泣いたり、……弱さだったり、例えば、大馬鹿が付くくらいの正直さだったり、そういうのはとても尊いものだと思うんです」
 例えばあの隠れ里の神父は、開拓者達が『結界』について知りたいと言えばあっさり教えてくれただろう。開拓者は自分達の恩人、単純に彼らの疑問を解消するためなら否は無かったはずだ。
 だが開拓者は正直に知りたい理由を語った。
 フェイカーを斃す事、それを持って帝国軍と関わる事――神教徒の秘中の秘を開拓者が知る事は、彼らが罪人である証を与える事に繋がってしまうのだ。
「開拓者の皆さんの正直さ、素直さ……そういう事が、例えば情報を得るには不向きであったとしても、味方を……仲間を、増やしていく事に繋がるんだと思うんです」
 だから、と言い掛けた言葉をアイザックは呑み込んだ。
 スタニスワフの表情が彼らしくない変化を見せたから。

 ……だから、ボス。
 開拓者の皆さんがボスのお父さんを助けようと動いてくれている事も、きっと――……。


■参加者一覧
/ 玖堂 柚李葉(ia0859) / 霧葉紫蓮(ia0982) / 天宮 蓮華(ia0992) / 氷海 威(ia1004) / 劉 厳靖(ia2423) / 秋桜(ia2482) / フェルル=グライフ(ia4572) / 和奏(ia8807) / 劫光(ia9510) / 霧先 時雨(ia9845) / ジルベール・ダリエ(ia9952) / フェンリエッタ(ib0018) / エルディン・バウアー(ib0066) / ルシール・フルフラット(ib0072) / リディエール(ib0241) / アイリス・M・エゴロフ(ib0247) / フレイア(ib0257) / ジークリンデ(ib0258) / トカキ=ウィンメルト(ib0323) / ファリルローゼ(ib0401) / フィン・ファルスト(ib0979) / アルベール(ib2061) / アルマ・ムリフェイン(ib3629) / レジーナ・シュタイネル(ib3707) / 長谷部 円秀 (ib4529) / ウルシュテッド(ib5445) / 緋那岐(ib5664) / ミレーヌ・ラ・トゥール(ib6000) / 宵星(ib6077


■リプレイ本文


 サロン会場である第四皇女ディアーナ・ロドニカ邸。
 まだ二十代前半の若さながら保安省長官をも務める女主人は、これから催される会の為に身支度を整えながら、今日何度目かになる溜息を吐き出す。
「フェイカーを誘き出す手段も整わないままサロンを催すだなんて……でも仕方ないわね、アルトゥールの体調を慮れば早めに行動して彼をアヤカシの呪から解き放たなければならないのだもの……えぇそれは判るわ」
 独り言を長々続けて、また溜息。
「だ・か・ら・っ・て・!」
 フェイカーを誘き出せる確信もないままにサロンが催される事にいまだ完全には理解を示せずにいる皇女は、先程から同じ事を何回も繰り返しており、部屋の外に控えている親衛隊隊長のキリール・クリモワや、彼と共に皇女の様子を伺っていた緋那岐(ib5664)、劉 厳靖(ia2423)は笑い声を殺すのに必死だった。
「なるほど、あれが噂の皇女さまか」
「な、不安になるだろ?」
 こそこそと言い合う二人の声が聞こえていたとは思えないが、急に中から「何か言ったかしら!?」と刺々しい声。
「何でもありませんよ」とキリールが応じるが、室内のピリピリとした空気が変わる事は無かった。
 それに再び声を殺して笑う男三人……否。
「しっかし、おまえさんは女装も似合うなぁ」
「嬉しくねぇっ」
 くくっと喉を鳴らす厳靖の皮肉に、緋那岐こと初々しい侍女に変装したナギは思いっきり顔を顰めて言い返した。


 そんな遣り取りがされている皇女邸周辺にはいつになく多くの帝国騎士団が巡回を繰り返しており、外出している人々に「しばらく家から出ないように」指示を出す。
 そんな光景が何度も見られる通りを抜けた先、かつて皇帝の右腕と謳われたアルトゥール・マチェクの邸には当家の娘、ポリーナ・マチェクを囲む開拓者達の姿があった。
「貴女も充分にお綺麗です。後は自信を持たれるのがよろしいかと」
 アルベール(ib2061)の言葉を受けて、それこそ最大の難関だと青い顔をするポリーナのすぐ傍には、彼女と共にサロンに参加するフェンリエッタ(ib0018)、フェルル=グライフ(ia4572)が社交界に相応しい装いで並び立っており、ファリルローゼ(ib0401)はそんな妹の姿に心から感動すると同時に、心から不安になっていた。
「サロンで悪い男が近付いてこないとも限らないわ……一緒に行けたら良いのだけれど……」
「お姉様ったら……私は大丈夫だから、今は卿をお願い」
「ええ……ええ、そうね」
「フェンリエッタさんは私が守りますから」
「ああ、よろしく頼む」
 フェルルにはキリッと応じる姉に、フェンリエッタは困ったような笑みを覗かせたが、姉の普段と変わらない態度には頑なになっていた心が解れる気がしていた。
 彼女達の他にもジークリンデ(ib0258)、ルシール・フルフラット(ib0072)、天宮 蓮華(ia0992)と集まっていたのだが、これに怪訝な顔をして見せたのが時を同じくして仕事に赴こうとしていたヴラディーミル、ロスティスラーフ兄弟だ。
「ポリーナさんが不在の間、私達が卿のお相手をさせて頂こうと思いまして」
 ルシールがそう説明すると兄弟はまだ怪しんでいたが、ようやく快復方向にある父親を疲れさせるなと言い残し邸を後にする。
「……お父様を、どうかよろしくお願いします」
 深々と頭を下げてそう告げるポリーナに「大丈夫」と応じる開拓者達。
「ポリーナさんにも危険が迫らないとは限りません。くれぐれもお気をつけて」
 ジークリンデの言葉に小さく頷き、彼女もまた皇女邸に向かうべく邸を後にする――ただ一度だけ視線を邸の奥に注ぐも、誰に何を言うでもなく。


 そして、ポリーナが視線を注いだ先に集まっていたのがまた別の開拓者達と、スタニスワフ・マチェクだ。
 マチェク家の末娘がフェンリエッタ達と共に邸を離れるのを確認し、此方でレジーナ・シュタイネル(ib3707)から現状確認を行っていたイリス(ib0247)と佐伯 柚李葉(ia0859)もまた強い決意と共に移動を開始する。
「皆の心が揃う事を祈り、行動しましょう。これ以上は傷付く人の出ない様に」
 そう言い残したイリスの言葉は、その場に残る彼らの心に強く響く。
 師弟関係にある長谷部 円秀(ib4529)とレジーナ。友人同士のウルシュテッド(ib5445)とジルベール(ia9952)。
 ウルシュテッドはアジュール姉妹の叔父にもあたるなど、それぞれの繋がりが疑心暗鬼になり易い現状においては重要な意味を持つだろう。
 だが――。
「それでは私はウラディミール殿を追います」
 そう言い残して秋桜(ia2482)が仲間達から離れた。単独行動はしないようにと皆が気を配る中で、敢えて単独行動を取る道を選んだのだ。
「……良いのかい?」
 ウルシュテッドはそう問い、何かを言い掛けたレジーナは唇を噛み締め、スタニスワフは肩を竦めた。
「それを彼女が選んだのなら仕方ないさ」
 どこか冷めた物言いをする傭兵にジルベールは小首を傾げ、円秀はレジーナを一瞥する。だが、結局は誰も何も言わず、スタニスワフの案内でマチェク邸への侵入を果たすのだった。


 同時刻、皇女邸周辺の大通りにはアルマ・ムリフェイン(ib3629)と霧先 時雨(ia9845)、そして彼女に襟首を掴まれたエルディン・バウアー(ib0066)の姿があった。
「皇族とはあまり関わりたくないのですけれどね……」
「そんな理由で怖気づいてどうすんのよ!」
 立場上、皇族――それも神教会監督庁の長官でもある第四皇女とは極力お近付きになりたくないエルディンだが、時雨の言う事も尤もだという思いも勿論あった。
 フェイカーを斃すと志したのは自分の意志。
 その為にも、ここは決して避けて通れない道。
 エルディンは深呼吸を一つして気を取り直すと、今はまだ清々しい青空が広がる頭上を仰ぎ見た。
 一方の時雨は、ふと気付いたようにアルマに話し掛ける。
「そういえばアイザックは何処に行ったの?」
「アイちゃんならザリアーの皆とジェレゾの街を襲うかもしれないアヤカシを抑えるからって、街の外で待機しているはずだよ」
「ふぅん? まぁ、それならいいけど」
 どこか納得し難い雰囲気を醸し出す時雨に曖昧な笑みを返すアルマ自身、アイザックの言動には思うところが多々あった。
 だが、何も言わない。
 本当なら他の誰よりもザリアーの彼らこそが『此方側』に居たいだろう事をアルマは知っているから。



 午前十時。
 サロン開場に先駆けて配置に着いた魔術師達が、真っ先に会場に施したのがムスタシュイルだった。
 外はエルディン、内側はリディエール(ib0241)とフレイア(ib0257)が分担して広げた侵入者を感知する術は、相手がアヤカシであれば確実に術者にその事を伝えるだろう。
(これで最悪の事態が未然に防げるのであれば……)
 リディエールは祈るような気持ちで呟く。
 一方、フレイアは三匹の金魚が泳いでいる水槽を隣室に用意していた。万が一のために必要と考えたからだが、何も知らずに水中を揺蕩う金魚達を見つめる彼女の瞳に浮かぶのは、実行せず済むようにという願い。
 更に、会場には一般客に扮した劫光(ia9510)、トカキ=ウィンメルト(ib0323)、フィン・ファルスト(ib0979)が紛れ込む手筈が整っていた。
 出入り口には今日の主催である皇女が立って客の一人一人を出迎えると共に言葉を交わし、そのすぐ後ろには厳靖や緋那岐を含む親衛隊。
 武器をそれぞれ仲間に預け、普段からは想像出来ない正装に身を包んだ劫光やトカキの姿は厳靖の笑いを誘い、それに対しトカキが嫌な顔をして見せればますます楽しげに喉を鳴らす。
 そんな、和やかな雰囲気を醸し出す会場内。
「……さぁ時間だ」
 キリールの声に、一瞬にして開拓者達の表情が変わった。
 開場を知らせる鈴の音が広い空間に響き渡ったかと思うと、重厚な扉がゆっくりと開かれた。
 其処には既に到着し、開場を待っていた貴婦人達の姿。
 中にはイリスや柚李葉の姿も見られる。
「いよいよですね」
 フェルルの言葉に息を呑むポリーナ。
 フェンリエッタは穏やかに微笑むと、彼女に少し屈むように頼んで、その髪にヘアピンを刺した。小さな星々が彫り込まれた銀色の輝き。
「大丈夫、繋がっているわ」
 よく見ればフェンリエッタの髪にも揃いの輝きがあった。
「さぁ、行きましょう」
「……はいっ」
 この人達を信じると決めた――マチェク家の末子はそう心に言い聞かせると、二人に促されて会場入りを果たすのだった。



「……そろそろ始まる頃だな」
 マチェク邸から窓の向こうを見つめて呟いたのはファリルローゼだ。その方角の先に第四皇女の邸がある。
 今現在、彼女はジークリンデ、蓮華、ルシール、アルベールと共にアルトゥール卿とその妻ナターシャの護衛に付いていた。
 それも本来の卿の寝室ではなく、普段は客間として使っている部屋で、だ。
 移動の際に夫妻への説明を端的に済ませるつもりだったが、流石はかつて皇帝の右腕と謳われた英傑だけあってアルトゥールの理解は早く、妻の不安を煽らないよう気遣いながら開拓者に全て任せると言い切った。
「……皇女様も……皇帝陛下にも、何事もなく済めば良いが……」
 寝台の上、以前に比べれば随分としっかりした声を出すアルトゥールに、ルシールは真っ直ぐな視線を向けて頷く。
「私達の仲間が大勢駆け付けてくれています。きっと、大丈夫です」
 ルシールの言葉を受けて瞳を伏せるアルトゥールを見て、ナターシャはくすっと小さく笑う。
 アルベールが思わず「何か?」と問い掛けると、ナターシャはますます面白そうにしながらジークリンデ、蓮華、ファリルローゼ、そしてルシールを見遣った。
「主人が照れているのが可愛くて」
 言うなと渋い顔をする彼に、妻は更に言う。
「それに、こんなに綺麗な御嬢さん達の前で寝間着姿で寝ていなければいけないのも不本意なのよ。幾つになっても女性の前では良い恰好をしたがるんだから」
「人を子供みたいに言うな」
「あら、本当の事じゃありませんか」
 言い合う夫婦の姿は、その内容に似合わずとても幸せそうで、聞いている開拓者達の方が笑みを誘われてしまう程だ。
「お元気になられて、本当に良かった」
 ファリルローゼが告げると、夫妻は穏やかに微笑んで「君達のおかげだ」と返すと、その視線を扉の方へ向けた。
 否、その先に見ているのは本来の自分の寝室――其処に控えているもう一組の仲間達と共にいる、息子の姿だ。
 ナターシャは言う。
「まさかスラーヴァが……ね、あなた」
「ああ……」
 意味ありげな遣り取りをする二人は開拓者達の視線を感じ、苦く笑う。
 応えたのはアルトゥール。
「スターシャは私を恨んでいるとばかり思っていたから、まさか今こうして傍にいるとは思えなくてね。……いや、あの子は例え私を恨んでいても『敵』と見なした相手を斃す為なら駆け付けるだろうが」
「恨んで……?」
「私はひどい父親だったんだよ」
 聞き返したアルベールは、彼の返答に己の言葉を悔いそうになったが、次ぐジークリンデの言葉が話の流れを変えてくれた。
「御夫婦で、スタニスワフさんの愛称が異なるのですね」
 スターシャとスラーヴァ。それは僅かな違いだったが、息子の愛称が異なるというのは珍しいように思えたのだ。
 その指摘に微笑んだのはナターシャの方。
「スターシャと呼んで良いのは主人だけなんですって。あの子がまだ小さい頃に、そう決めたの」
「マチェ……スタニスワフが、ですか?」
 聞き返したのは、あの日、あの場所で、自分をその呼称で呼んでほしいと頼まれたファリルローゼだ。
 ナターシャは続ける。
「そうよ。あの子にとって父親は特別だったのね。だから、この人だけの特別な呼び方が欲しかったみたい」
 あの傭兵にとって『父親』がどう特別な存在だったのか正確に知る術はない。また、それほど特別だった父親をどうして恨むようになったのかも夫妻は語らない。
 ただ一つ言えるのは『家族の死』に泣けなかった彼が、父親にだけ許したと言う愛称を呼ばせた事実。
(……マチェクは父上を恨んでなどいない……)
 ファリルローゼは確信する。
 ならば、あの物言いの真意は?
 彼の本音は何処にある?
 脳裏を過る一抹の不安に、ファリルローゼは友人に呼びかけた。
「蓮華、一つ頼みたいんだが」――。


 スッと、不意にスタニスワフの顔を上げる動作に意識を傾けたのは共にアルトゥール卿の寝室に待機していたレジーナだ。
「どうかしました、か……?」
「……何でもないよ」
 相変わらずの淡々とした物言いで再び顔を伏せた彼に、ジルベール。
「マチェクさんは随分と不機嫌やなぁ。もしかして女の子の日か? なぁんてそんな事あるわけないかぁ」
 あはははは……――しーん。
「……俺アホや」
「よしよし」
 ウルシュテッドが落ち込む友人を励ますも雰囲気が緩和する事はなく、黙って成り行きを見守っていた円秀は硬い表情のレジーナを見つめる。
 少女はスタニスワフの微かにも動かない表情をじっと見据えていた。
 続く沈黙の中で、心の内側には数多の感情が渦を巻いていただろう。それでも平静を保ち彼女は問う。
「……そんなに、私達が卿を助けようとする事が、許せませんか……?」
 反応は無い。
 それでもレジーナは続ける。
「これ以上、喪えない。貴方にどう思われても私達は卿を助ける。だから「私達の為」に、貴方の全力を貸して下さい」
 直向きに。
 ただ、まっすぐに。
 決して逸らされない少女の視線を、スタニスワフはようやく正面から受け止めた。だが返す言葉は。
「そこまで言うのなら、君達の為に力を貸せる舞台を整えてくれないか? 今の君達を見ていると、本気でフェイカーを斃したいと考えているのかも疑わしいよ」
 嘲笑にも似た笑いを交えた言葉にジルベールが不快感を露わにする。
「本気で言うてるんか……?」
「これが冗談だとでも?」
 淡々とした態度はジルベールの怒りを更に煽り、同時に、……全員に抱かせる違和感。
 円秀は言う。
「優秀な傭兵団の長だとレジーナから聞いていましたが、買い被りだったようで」
「その通りだよ。君も彼女の師を名乗るなら人を見る目くらい養わせるべきだったね」
「スタニスワフさん……」
「……もう、出て行ってくれ」
 低く言い放ったのはウルシュテッド。
「君の顔を見ていたら手が出そうだ……取り返しがつかなくなる前に落ち着きたい」
「賢明な判断だ」
 あくまでも余裕の表情を崩さないまま、スタニスワフはたった一人で部屋を出て行ってしまった。
 しばらくはそのまま誰一人身動きを取れなかった……否、取らなかった開拓者達。
 聴覚を強化していたウルシュテッドに別室の蓮華から声が届いたのはその時だった。



 その異変に最初に気付いたのは町中を巡回していた開拓者達だった。
「なんだ、この違和感は……」
 霧葉紫蓮(ia0982)が小首を捻る様子に、氷海 威(ia1004)と狼 宵星(ib6077)も周囲を見渡す。
「瘴気……でしょうか?」
「それにしては、弱すぎる気が……」
 更には別行動を取っていたミレーヌ・ラ・トゥール(ib6000)と穂邑(iz0002)の二人組も肌に伝わって来る気持ちの悪い感覚に首を捻っていた。
「なんなんだ、一体……」
 平静を装うも青い顔をしているミレーヌの隣で、穂邑は試しに瘴索結界を発動するが特に感じられるアヤカシの気配は無く。
「……なんだ、あれは」
 それに気付いたのはほんの偶然。
 空の向こうには不気味で巨大な黒い塊が蠢いていた。

 同時刻、ジェレゾの街の外周で警備を行っていた帝国軍の兵士は信じられない光景を目の当たりにして言葉を失っていた。
 目の前には数千に及ぶアヤカシの群れが上空を覆っているのだが、まるで見えない壁が聳え立っているかの如く、ただの一匹も此方側に攻めて来ないのである。
「な……何が起きているんだ……?」
「わ、判らんが、いつでも迎え撃つ準備だけはしておけ……!!」
 帝国軍はそれぞれに武器を構え、アヤカシの動きを注視する。

 見えない『何か』にアヤカシの群れが行く手を遮られるという光景に多くの者が驚愕を露わにする中で、ただ一人、ガーゴイルの背に騎乗しながら目を見開いて愕然としている女がいた。
 皇女主催のサロンをアヤカシの群れに襲わせようとしたのに、それが叶わない。
 自分を罠に掛けようなんて浅はかな人間共を嘲笑してやるつもりだったのに、自分の思い通りに事が運ばない事実に、女は顔を真っ赤にしていた。
「開拓者があの術を得たと言うの……? いいえ、そんなわけがない。あの里の人間共が開拓者をみすみす危険に晒すような真似するはずがない……!」
 その術を開拓者が知る事は、つまり開拓者が神教徒と通じ帝国に反旗を翻す事と同意。それを彼らに救われた信者達が良しとするはずがない。
 ならば。
「またおまえ達か……!」
 あの傭兵達ならばやりかねないと察した彼女は、術を行使する傭兵を見つけ出して殺そうと考えた。
 だが、その矢先に彼女は見つけてしまったのだ。ジェレゾの街を移動していたマチェク家の二男ヴラディーミルを。
 そして彼を警護するように忍んで尾行していた開拓者、秋桜を。
 女は気付く。
 自分にはまだこのガーゴイルがいる。
 あの屍人もいる。
 術を行使している傭兵を探し出すなんて面倒をせずとも、もっと簡単な手段を見付けた事に――。



 サロン会場から上空に群がるアヤカシの姿を確認する事は出来なかったが、代わりに奇妙な事が起きていた。
 開始早々皇帝陛下の登場に硬直していた場の雰囲気もいつしか和らぎ、貴族達の談笑が始まって小一時間が経った頃だ。
 ムスタシュイルを仕掛けていた術者達が先ほどから絶え間なくアヤカシの侵入を感知しているのだが、姿がまるで見えないのだ。
 異変を感じ取ったエルディンと、時雨、そしてフィン達の武器を預かっていたアルマも皇女邸に戻って来ていた。
(どういう事……!)
 夢魔が姿を消して現れたのかと危惧し、懸念を知らされた開拓者達が警戒を強めた直後。
「痛い!」
「っ」
 複数カ所から上がる一般客の声。
「失礼」と劫光が痛がる女性の手を取ると、赤く腫れているその部分に一センチ程度の小さな虫がいる事に気付いた。
 鉄喰蟲――開拓者であれば指先で潰せる程度の弱過ぎるアヤカシだったが、今は状況が違う。
「確か鉄喰蟲は群れを成すアヤカシのはずだが、奴め、数を動かせないのか……?」
「だとしても小さな敵はかえって厄介です……!」
 劫光とリディエールがそう言葉を交わす間にも、あちらこちらから「痛いっ」「何!?」と動揺が広がっていく。
 ポリーナは顔を青くしながらフェンリエッタの袖を引いた。
「これだけの人数がパニックを起こしては大変です、何とかしないと……!」
 焦った口調は、しかしすぐに途切れる。
 彼女達が既に対処している事に気付いたからだ。
 瘴索結界を発動する柚季葉とフェルルの指示に従い、さりげなさを装って対処する仲間達。
 蟲だけでなく鼠型のアヤカシも紛れ込んでいたが、どちらにせよ開拓者には武器を使うまでもない相手だ。
「むしろこんな小細工をして来る事が妙……動揺すれば、それこそ奴の思う壺だわ」
「は、はい……っ」
 フェンリエッタの言葉にポリーナが冷静さを取り戻した頃、陰で動き出していたのはパトルーシュ・コンスタンチンだった。
 蟲に咬まれて騒ぐ貴婦人達に視線が集まる中、彼が白い粉を料理に振り掛けようとしたのを、彼をずっと監視していたトカキは見逃さなかった。
「少し隣の部屋まで付き合って貰いますよ」
「……っ」
 蒼白になる男の手から包紙を奪い取り、隣室に控えていたフレイアに手渡すと、彼女は用意していた金魚鉢にその中の粉をほんの少量散りばめた。
 それから僅か数秒、あれほど元気に泳いでいた金魚は――。
「毒、ですね。一体この会場の誰を狙ったのでしょうか?」
「!? そんなバカな! 少し腹を壊すだけだと」
「誰に頼まれたんですか」
 トカキの追及に男は言葉を飲み込み。
「その口ぶりですと、この毒も誰かに手渡されたようですね」
 フレイアの丁寧な、しかし威圧的な問い掛けにパトルーシュは何度も左右に首を振った。
「そんなわけがない……っ、このサロンに集まる誰を殺そうとなんて……そんなバカな……っ」
 彼の混乱の原因を何となく察するトカキ達がいる部屋に、異変に気付いたフェルルがフェンリエッタ、ポリーナと共に入室し、術視を発動。しかし結果はシロで、彼は彼自身の意思で行動している事が明らかになった。
 それを知らされたフレイアは吐息を零す。
「シェリーヌ……いえ、貴方の恋人であるケイトという女性は、アヤカシです」
「!?」
「彼女に何と言われてこの粉を料理に振り掛けようとしたのですか? このままでは、貴方は皇帝陛下への暗殺未遂で捕えられますが」
「ちが……っ! 誰がそのような恐れ多い事を!! 私はただ、今回のサロンはアヤカシに狙われている、小さな騒ぎが起きた隙にこの粉を料理に掛けろと言われただけだ! そうしたら大勢が腹を壊してサロンは閉会する、そうすれば誰もアヤカシに狙われないと……! サロンが続けばアヤカシの大群が攻めて来るからと彼女が言うから!」
「貴方は、彼女のその言葉を信じたのですか?」
「ああそうさ! 彼女の占いは当たる! 彼女が言った通りに神教徒の隠れ里だってあったんだ、彼女は本物だ!!」
 パトルーシュは声を荒げ、何度も繰り返す。
「彼女の言う通りにしていれば俺は出世出来るんだ……今回だって皇帝陛下をお守りするために……っ、彼女がアヤカシだなんてそんな事はない……!!」
 相当混乱している男を見遣り、次いで仲間の顔を互いに見遣る開拓者達。
「アヤカシの大群というのは自身で攻め込ませるという意味でしょうね。操り人形では周囲の人間に怪しまれて自分の存在が明るみに出ると考えればこそ、色仕掛けと『占い』で自然に信じさせたんだと思いますよ」
 トカキが呆れたように肩を竦めて言う。
「この方も騙されて……?」
 恐る恐る問うポリーナに小さく頷き返したフェンリエッタは、一人一人を見つめて問い掛けた。
「そのアヤカシの大群はアイザックさん達に任せられると思いますが……此方を大群に攻め込ませるつもりでいたなら――」
 そして、それが叶わなくなった今なら。
「フェイカーは、どう出ると思いますか……?」




 ――……全てを手に入れる力なんて無いのに……
 ――……傷つくと判っていて、彼女達はどうしてそれを望むのか……

 イライラ……
 ……イライラ……少し、思い知らせた方が良いんじゃないのかな……?


「あぁ……そうかもしれないな」
 一人、マチェク邸の中庭でスタニスワフは呟いていた。心の内側に響く声無き声に応じるように、ぼぅっとした様子で佇む姿は、まるで抜け殻。
 それでも彼は呟き続ける。
 体の奥底から湧出る黒い感情に浸食され、青い瞳は虚ろになり、声無き声には愉悦の色が滲む。

 ――……そう、判らせてあげましょう……
 ――……貴方のその剣で切り刻んで……
 ――……血色の絶望に浸して喰っぎゃああああああああ!!!!

「!!」
 脳内を破壊しかねない絶叫が内側に迸り、その衝撃に傭兵は膝を付いた。
 割れそうに痛む頭を抑えながら耐える視界の端に、邸の壁を瞬脚で疾走する円秀の姿。そしてその先には今正にレジーナの旋蹴落を脳天に喰らい窓から外へ落下する夢魔の姿――。
「ハアアアァァッ!!」
 レジーナもまた窓から飛び降りて追撃。逃げようとするも円秀に行く手を阻まれた夢魔は、落下の重力をも味方にしたレジーナの蹴りで地に叩き付けられた。
 嫌な方向に湾曲した夢魔の体が再び起き上がる事を警戒し臨戦態勢を崩さない泰拳士達と、そんな彼らを見つめる傭兵の肩を叩いたウルシュテッド。
 すぐ傍では、やはり夢魔に向けて弓を構えるジルベールの姿があった。
「平気かい?」
 ウルシュテッドの言葉に、まだ痛みを残すも薄く笑い返すスタニスワフ。
 その意味深な笑い方に男達は呆れた。
「マチェクさん、謀ったな?」
「俺が夢魔に唆されるなんてフェイカー垂涎の展開だろう? これで誘き出せればと思ったんだが」
 その言葉の意味するところを察し、それぞれに表情を変える開拓者達。つまりこの傭兵は、フェイカーを誘き出すためなら自分達の敵にも回ろうと言うのだ。
 それは「そうなれば開拓者がフェイカーを斃せると信じている」とも言い換えられるが、最悪の事態が絶対に無いとは言い切れないわけで、そんな心の声が当人にも聞こえたのか傭兵はくすくすと楽し気だ。
「腕の一、二本は覚悟していたけれど死ぬ気などさらさらないよ。第一、俺が操られたら君達が何とかしてくれるだろう?」
 開いた口が塞がらないとはこの事だろうかと思う男二人。
「……とりあえず今の発言は姪達には内緒にしておくよ」
 ウルシュテッドがそう言いながら上方を仰ぐと、三階の窓から此方を見守る姪――ファリルローゼの姿が見えた。
 同じ部屋で卿夫妻を守る蓮華の瘴索結界と、常に彼女からの連絡を受け取れるよう超越聴覚を発動していた彼だから取れた連携によって、まずは一つ。
 レジーナの最後の一撃により、夢魔は滅せられたのだった。


 結果として、これで終わりになる予感がその場の全員にあった。
 フェイカーを誘き出す効果的な策は無かったし、辺りには静けさが漂っていたからだ。だが――。

「そんなに会いたいと思われて幸せね、私は」

 突如として頭上から降り注いだ女の声に全員が空を仰ぎ見た。
 瘴索結界の射程範囲を遥かに超えた上空で、両翼の微細な動きで絶妙なバランスを維持し制止しているガーゴイルの、背上。
 姿は見えないが疑いようがない。
「フェイカー……!!」



 先手必勝とは言うが空中の敵に効果的な手段は限られ、更に敵は嘲笑を交えて何かを地上に放り投げて来た。
 人、だ。
 それが仲間の秋桜――四肢は力なく投げ出され、一目で重傷と判る状態だと気付いた直後、女は更にもう一人を放った。
「!!」
 二人――秋桜と、マチェク家の二男にして現当主のヴラディーミル。二人の体はほぼ同じ場所、ウルシュテッド、ジルベール、スタニスワフが揃う地点に落下して来たため、自然男三人が二人を受け止める形になったが、その刹那、危ないと叫んだのは邸内の仲間達。
「……っ!?」
「ガハッ……!!」
 血を吐いたのは、秋桜。
 更に鋭い痛みを感じて膝を折ったのは彼女を受け止めようとしたジルベール――ヴラディーミルが握る剣が秋桜を貫き、切っ先はジルベールの腕まで届いていたからだ。
「ああああっ!!」
 咄嗟に行動しようとする開拓者達の耳を劈く秋桜の絶叫。
 相手の痛みなどまるで意に介さないヴラディーミルが力任せに剣を引き抜きウルシュテッドに襲い掛かったのだ。
 援護すべく動いたレジーナ、円秀は、しかし上空のガーゴイルが放つ怪音波に襲われて動きを鈍らせた。
 ヴラディーミルを止めようと動くウルシュテッドの聴覚に蓮華の緊迫した声が届く。
 彼を操っているのは夢魔の魅了。
 夢魔は、もう一体。
 一階東の窓辺――!
「ジル、一階東の窓! 弓が引けるかっ」
 ジルベールが痛みに耐えて弓を構えたと同時、蓮華からは夢魔が移動していると伝えられる。
 姿が見えない、的が定まらない。
 更には彼女達のいる部屋から尋常でない破砕音が響いた。
 何事かと目を見開くが、割れた窓から粉塵が放たれるのが見えるだけで状況は窺い知れない。
「夢魔に動くな言うてくれんかな……!」
 ジルベールの無茶な要求も、ヴラディーミルの相手さえしていなければ応える事が可能なのに、と。
 人手の足りなさに歯噛みした、その時だ。
「遅くなりました!」
 言い放つと同時全身に光りを帯びて発動するアムルリープ。眠りに誘われたヴラディーミルが膝から崩れ落ちた。
「何とか間に合いましたね」と状況にそぐわぬ笑顔を浮かべるのはエルディン。
「勝手にお邪魔しちゃってごめんねっ、でも緊急事態だし許してくれる……よね?」と銀色の耳を揺らすアルマ。
「さぁ此処からが本番よ」と脚線美を露わに一歩前進した時雨。
「私達は中の皆さんを援護に向かいます」
 そう言い残し、邸内に向かって走り出したのはイリスとリディエール、そして柚李葉だ。
 願ってもない援軍の到着に開拓者の表情には余裕が戻り、ガーゴイルの背上に立つ女――シェリーヌの表情は、引き攣っていた。

 この時、サロン会場に新たな襲撃が無いとも限らない事を踏まえ、半数をポリーナ、パトルーシュと共に残し、半数がマチェク邸へ移動して来ていたのだ。
 スタニスワフは、重傷を負い自分の腕の中でぐったりとしている秋桜に声を掛ける。
「そのまま意識を手放したら死んでしまうよ? 俺に抱かれて死にたいというなら、そのまま眠ってくれて構わないが」
「……っ、そ……れ、だけ、は……死んでも、御免被りまする……!」
 よっぽど嫌らしく、必死に言い返して来る秋桜。
 声は声になっていないし、呼吸一つするのも辛そうだったが、それでも生きている事に安堵し、傍に来てくれていたフェルルに彼女を預け、フェンリエッタと共に戦線へ。
 今度こそフェイカーを討つために。



 時を同じくして粉塵に覆われたその部屋で、ファリルローゼと蓮華は卿夫妻を庇いながら見守っていた。
 ルシールと、屍人と化した彼――傭兵達の奪われた家族を取り戻すための、戦いを。
 しかしその最中にジークリンデから掛かる声。
「蓮華さん、もう一体の夢魔の位置が判りますか?」
 巫女はそう問われて瘴索結界の感知能力を最大限生かす。
「! その壁の向こうです!」
「やはり邪魔をしに来ましたか」
 言うが早いか美しき魔術師が帯びた光りは聖なる矢となって壁に放たれ、しかし建物を壊す事無くその裏を移動していた夢魔に降り注いだ。
 姿は見えずとも迸る絶叫に、別方向から駆け付けようとしていたイリス達が気付き、トドメを刺さんと剣を抜く。
「援護をお願いしますっ」
「お任せください」
「今度こそ逃がしません……っ」
 柚李葉の瘴索結界が姿の見えない敵の位置を把握、直後にリディエールの雷撃が敵を射抜いた。
 再度の絶叫は、その姿をも開拓者達の視界に捉えさせた。
「これで終わりです……!」
 イリスはこれまでのたくさんの思いを胸に構えた剣を振り抜いた。
 もはや叫ぶ声も力無く、アヤカシは瘴気と化し掻き消され――。
「ショーンさん……」
 リディエールはその名を呼ぶ。
 残された相手は、彼、唯一人。
 流石は元手練れのシノビ、その動きは俊敏で、屍人とはとても思えぬ体術で攻撃を仕掛けて来た。
 対して彼の体を、出来ればそのまま取り戻したいと考えるルシールの攻撃には決定力が足りず何度も膝を付きそうになっていた。
 もしもあの傭兵にこんな姿を見られれば、分不相応な望みだと笑うだろう。願うばかりで力が伴わないのは駄々を捏ねるのと一緒だと――。
「それでも……約束、したんです……っ」
 そしてそれは、自分一人の約束では無く。
「聖なる矢よ彼を救え……!!」
 ジークリンデ、アルベールの放つホーリーアローが屍人の足を貫き、態勢を崩させた。そこに生じた一瞬の隙をルシールは逃さない。
 躊躇わない。
「はあああぁ……っ……!!」
 高まる力は剣に宿り、全力の一撃を屍人に叩きつけた。
 聖堂騎士剣。
 どうかその身を犯す瘴気だけを滅ぼせと、祈る。
 誰もが呼吸すら忘れて見入る光景に生じた一筋の瘴気は彼の身体から立ち上り、いつしか風に吹かれて霧散した。
 だが、彼の体はそのまま。
 瘴気は失せ、動かぬ亡骸が其処に横たわっていた。
 すぐには誰も動けず、口を開く事も出来なかったけれど、……それでも、彼は確かに帰って来た。
「あぁ……」
 しばらくしてようやく声を振り絞ったリディエールは、だが、それと同時に顔色を変えて叫ぶ。
「壁から離れて下さい!!」
 何事かと問う間も無かった。
 気付いた時にはガーゴイルの巨体が邸を破壊して突っ込んで来たのだ。
「!!」
 蓮華とファリルローゼ、ジークリンデは卿夫妻を庇った。
 ルシールとアルベールはショーンの遺体を庇った。
 何とかその場に踏み止まるも、粉塵の晴れた場所でリディエール、イリス、柚李葉が見たのは、瓦礫に埋もれる仲間達の姿だった。



 フェイカーの人心を惑わす術は中庭全域に及び開拓者達に襲い掛かったが、抵抗力の高い彼らはそれぞれに正気を保ち、しかしガーゴイルが放つ怪音波が引き起こす激しい頭痛は如何ともし難い。
 それでも開拓者は優勢だった。
 上空の敵を相手に同じ空で戦う術は無くとも攻撃する手段はあったし、勝てるという予感を抱くほどの確かな手応えを誰もが感じていたのだ。
 だからエルディンは問うた。
 どうして神教徒を帝国軍に粛清させるような真似をしたのか、と。
「彼らがあなたに何をしたと言うのですか!」
 もしかすると何十年も昔から神教徒を弾圧させていたのかもしれないという可能性に気付いていた神父の言葉に、しかしフェイカーの応えは「何も」という余りにも残酷なもの。
「神教徒への弾圧は、帝国への恨み、憎しみ、そして悲しみの感情を生み出すのに都合が良かっただけのこと。前にも言ったでしょう? 私は死体が大好きなの。そして、負の感情は瘴気ととても相性が良いわ」
 ヴラディーミルと秋桜を庇うフェルルを背後に庇いながら、フェンリエッタは奥歯を噛み締めた。
 アルマも「そんな事のために……っ」と、脳裏にあの里の人々の姿を思い浮かべて顔を歪める。
 この手で今すぐに斃したい――その思いに拳を握りしめながら、それでも攻撃に移れないのは自力では動けぬ二人、秋桜とヴラディーミルを避難させなければならなかったから。敵の攻撃は、その二人にも容赦なく襲い掛かっているのだ。
「早く行くんだ!」
 ウルシュテッドに急かされて、アルマはヴラディーミルを。フェルルが秋桜を背負い、フェンリエッタが殿に付いて邸内に向かって走る。
「逃がすと思う?」と襲い掛かるフェイカーを他の全員で食い止めた。
 勝てる――倒せる。
 そんな未来は確かに近付いていた、はずだった。
 だが、己を凌駕する開拓者に対してフェイカーの怒りが頂点に達した事。そしてガーゴイルの存在が、彼女を猛らせた。
「邸の中が安全だとは限らないのよ……!!」
 シェリーヌの咆哮とも取れる怒声にガーゴイルが怪音波を放出。
 その影響を受けて動きを鈍らせたウルシュテッド、ジルベールは、直後に激しい痛みと、浮遊感を覚えた。鉤爪に腹を貫かれ上空に攫われた――そう自覚した次の瞬間、視界に飛び込んで来たのは窓越しのファリルローゼ達――。
「危ない!!」
 叫びと、激しい衝撃音が重なった直後に起きたのは崩落――ガーゴイルは自滅覚悟で開拓者共々マチェク邸に突っ込んだのだ。
 誰の名を叫べば良いのかも分からなかったレジーナの、真横。
 ガーゴイルの背から下りていたシェリーヌが笑う。
 振り上がる剣。
 咄嗟に身を翻そうとした彼女を庇うように左右から攻撃を仕掛けたのは円秀とスタニスワフ。
 傭兵は更に声を荒げる。
「エルディン、時雨、あの部屋に行ってくれ! ショーンの体や、この家の人間を庇っているだろう彼女達が無事だとは思えない!」
「もう死んでいるかもしれないわね」
 微笑むシェリーヌの言葉を否定出来る根拠など何一つ無く、二人は邸内に向かって駆け出した。
 フェイカー対泰拳士二人と、傭兵。
 剣と拳。
 技と技。
 絶対に斃すという強い思いで仕掛けるも、シェリーヌの体をどれほど傷つけようと彼女がダメージを受ける事はなく、疲労する事もない。
 胸元に輝く赤いペンダントを狙いたくとも、易々と狙わせてくれる相手でもなかった。
 全力で戦い続ける此方側が先に疲弊するのは当然の事。
 ほんの一瞬の差でシェリーヌの剣がレジーナの肩から背中を切り裂いた。
 流れ落ちた血に足を滑らせ、しまったと思うよりも早く彼女の視界を覆った赤は、傭兵の――。
「……っ!!」
 シェリーヌが笑う。
 やっぱり人間如きが私に敵うはずがないと。
「死になさい?」
 トドメを、と。
 仕掛けてくるフェイカーと二人の間に割って入った円秀。
「……私達を殺したいのはやまやまでしょうが、そろそろ退いた方が良いのでは? ガーゴイルを失った今、十人、二十人を相手に逃げられるとまで開拓者を見縊ってはいないでしょう」
 眉根を寄せたシェリーヌは、しかしこの時、複数の気配がマチェク邸に接近している事に気が付いた。
 アヤカシの群れも呼べない今、円秀の言う事は一理あった。
「……フン。まぁ良いわ」
 次々と近付いてくる足音――巡回していた警備からマチェク邸の騒ぎを聞き付けて皇女邸から移動してくる開拓者達を確認し、シェリーヌは自らの足でその場から走り去った。
 円秀は深く息を吐き、レジーナと、彼女を庇って倒れたスタニスワフを見やり、無残に破壊されたマチェク邸……そこで始まろうとしている救出作業に歯軋りした。

 開拓者達は夢魔を斃し、ショーンの遺体を取り戻し、ガーゴイルも滅した。
 その戦果は確かなものだったけれど、赤い石のペンダントは、遠かった――……。