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■オープニング本文 ● 花梨、山吹、蓮華草。木通に苧環、君子蘭。 春紫苑が道端で愛らしい姿を見せるようになると、頭上には桜の花が咲き誇り、青い空も、無色の大気も、どこかうっすらとピンク色に染まって見えた。 そんな春らしく気持ちの良い昼下がり。 穂邑(iz0002)は居候している十和田藤子宅の居間で数種類の装飾品を床に並べて百面相。 振袖、簪、紐輪。 そして居間の棚の上、花瓶に綺麗に生けられて室内を甘い匂いに満たすのは、両腕で抱き締めても抱えきれないくらいたくさんの薔薇の花束だ。 実は今月の初め、4月1日は穂邑の誕生日だったのである。 (どうしましょうどうしましょう! お礼を言いたいのですけれどこんなに素敵な贈り物ばかり、ただ「ありがとうございます」とお伝えするだけじゃ私の気持ちがおさまらないのですっっ) きっとこれらを彼女に贈った友人達は、穂邑が喜んでくれたならそれで満足してくれる。 それは判っていても、穂邑本人がどうしてもそれでは足りないのだ。 贈り物を前に顔がゆるゆるになったり、幸せに浸ってぼぅっとしてみたり、どうしましょうどうしましょうと頭を抱えてみたり。 そんな少女にお茶を差し出した藤子は「今日も悩んでいるのね」とほんの少しだけ呆れた笑み。 「早くお礼を言わなければ、もう一週間も経ってしまいましたよ?」 「そ、そうなのですっ。そうなのですけれど……っ」 顔を青くして、けれど直後には落ち込んだように俯いて。 「本当に、たくさんの方にお祝いのお手紙を頂いたのです。こうして贈り物まで頂いてしまって……でも、私はどうお礼をしたら良いのか……」 そうして黙り込んでしまった少女に、藤子はしばらく考える。 「まぁ。もしかして贈り物をくれたのは穂邑ちゃんの『いい人』なのかしら」 「?? 皆さんとっても『良い人』なのですっ。あ、えっと……とっても素敵なお友達で……お友達……」 友人という響きに照れたらしく両手で頬を覆う少女。 まだまだ愛情より友情が嬉しいお年頃だ。 そんな少女にくすりと笑って、藤子は自慢の庭に目をやった。 川沿いの桜並木ほどではないけれど、庭桜や花海棠は見事に花開き春の到来を告げている。 「そう、だわ。そうよ穂邑ちゃん、うちでお花見をしましょう」 「お花見、です?」 「ええ。お友達を招待して、穂邑ちゃんがおもてなしするのよ? お料理やお菓子を作って」 「私、お料理は得意じゃないですよ?」 「それでも最近は随分上達したじゃない。お誕生日を迎えて、一つ大きくなった穂邑ちゃんの成長が垣間見えたら、お祝いしてくれたお友達も嬉しいのじゃないかしら」 「なるほど……!」 そういう事ならば頑張れるかもしれないと思った穂邑は、けれど。 「でもでも、お花見するならもっとたくさんのお友達をお呼びしたいです! たくさんの方々と、春をお祝いしたいです!」 穂邑の希望を、藤子が拒む理由はなかった。 かくして開拓者ギルドに張り出された一枚の『招待状』。 招待主は穂邑。 面識の有無は関係無し。 開拓者長屋の花邸、十和田藤子宅で一緒にお花見をしませんか? |
■参加者一覧 / 朝比奈 空(ia0086) / 水鏡 絵梨乃(ia0191) / 柚乃(ia0638) / 佐上 久野都(ia0826) / 酒々井 統真(ia0893) / 鳳・陽媛(ia0920) / 天河 ふしぎ(ia1037) / キース・グレイン(ia1248) / フェルル=グライフ(ia4572) / 各務原 義視(ia4917) / からす(ia6525) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / 琥龍 蒼羅(ib0214) / 明王院 未楡(ib0349) / 无(ib1198) / ケロリーナ(ib2037) / 遠野 凪沙(ib5179) / 各務原 光(ib5427) / 緋那岐(ib5664) / ヴァレリー・クルーゼ(ib6023) / サイラス・グリフィン(ib6024) / コニー・ブルクミュラー(ib6030) / 宵星(ib6077) / 泡雪(ib6239) / ヘイズ(ib6536) |
■リプレイ本文 ● ヴァレリー・クルーゼ宅の台所からは黒い煙が上がっていた。ただ、換気のために窓を開ければ煙はすぐに消えたし、苦い残り香も気にならなくなる。 「見た目は少々悪いかもしれんが、これは成功だろう」 怪しい光を放つ眼鏡の奥で真剣そのものの表情を浮かべているヴァレリーは、手元の弁当箱を風呂敷で包むと、それを抱えて台所を出る。彼は弟子のサイラス・グリフィン、コニー・ブルクミュラーと一緒に穂邑が主催する花見に参加する。彼が作っていたのは、その差し入れだったのだ。 同じ頃、フェルル=グライフに見守られながら台所に立っていたのは酒々井 統真である。 作っているのは桜餅。基本的には単純作業、……の、はずなのだが。 「あっ」 フェルルの声に、桜の葉に伸びていた統真の指が止まる。 「そっか。先に餡だな……」 泰拳士の無骨な手が、飴細工を扱うように桜餅を握る。 (フェルルが作るように巧くはいかないだろうが、まぁこれも気持ちがこもってればっつー事で……) 統真がそんな事を思いながら一つ一つと仕上げていく姿に、……ちょっとだけ。 ほんのちょっとだけ意地悪がしたくなるフェルル。 統真に顔を近づけると、その耳元にぽつり。 「たまには私の事も考えてくださいね?」 「!」 ぐしゃっ、と。 桜餅が一つお陀仏に。 そしてその頃の花見会場、開拓者長屋の十和田藤子宅の庭には、同じ開拓者長屋の住人であり穂邑の友人キース・グレインが既に到着しており、藤子に指示を仰ぎながら会場設営を手伝っていた。 「キースさん、こっちもお願いして良いですかっ? 本当にすみません、自分でしなきゃいけないのに」 「頼られるのは悪くない。それに」 答えながら懐を探り、取り出したのは一つのお守り。 「遅くなったが……誕生日、おめでとう」 手渡されたのは「心と心のつながりは決して消える事は無い」と書きつけてある『絆』のお守りだった。 「また一年、良いものにしていけるといいな」 「……っ、ありがとうございます!」 穂邑の満面の笑顔に、キースの表情も心なしか優しく和み、――そうして来客を迎える時が来る。 ● 「穂邑さぁん! 今日はお招きありがとうございますよぅ♪」 「陽媛さんっ、ようこそいらっしゃいましたなのですよ!」 はぎゅっと抱き合う穂邑と鳳・陽媛の姿を、彼女と同行して来た佐上 久野都は微笑と共に眺めている。既に一度面識はあったのだが、それも緊張を強いられる依頼での事だったからと改めて紹介された久野都は、陽媛の義兄。 「どうかこの先も仲良くしてやって下さい」 「そんなっ、私の方がお願いしたいくらいで……っ」 わたわたと手を振る穂邑は、陽媛から以前聞いた話を思い出して彼女の手をぎゅっと握る。 「とっても素敵なお兄様ですねっ」 そう告げると、陽媛はとても嬉しそうに微笑んだ。 陽媛と久野都が庭に落ち着いた後、穂邑の招待状を見た開拓者達が続々と集まって来た。途中で一緒になったらしい明王院 未楡と大きな荷物を持ったケロリーナが「台所を……お借りしてもよろしいでしょ〜か?」「穂邑おねえさまはしばらく台所入室禁止ですの〜☆」と話した事から、主催らしく入口でお迎えする事になった穂邑だったが――。 「こんにちは、穂邑。今日はお誘いありがとう……遅くなっちゃったけど誕生日おめでとう!」 天河 ふしぎはそう言いながら椀を差し出すと、その上に被せてあった布を勢いよく取り払った。 「全然知らなくてこんな事しか出来なかったんだけど、卵焼きを焼いて来てみたから、良かったら。最近まともに作れるようになったんだぞっ!」 「わぁっ……!」 作り立ての温もりある湯気に甘味たっぷりの出汁の匂い。 「すごく美味しそうなのです……っ」 今にも食べ出しそうな勢いの穂邑だったが、更なる来客によって何とか理性が保たれる。庭に向かったふしぎと入れ替わるように到着したからす、水鏡 絵梨乃、泡雪、ヘイズ。依頼などで何度も顔を合わせている馴染みの友人達からは祝いの言葉を贈られ、无、遠野 凪沙ら初対面の相手が聞こえて来る会話から「それは知らずに……」と申し訳なさそうな顔をされてしまうと「そんな事ないのです!」と全力否定。 必死な穂邑の様子にヘイズは笑った。 「ははっ。そうそう、このお嬢ちゃんはそんな事は気にしないさ。せっかくの花見だし一緒に楽しもうぜ?」 「そうですね……よろしくお願いします。そして遅くなりましたが、おめでとうございます」 「はうっ、ありがとうございます!」 凪沙が丁寧に一礼すると、穂邑も深々とお辞儀。 ヘイズが更に笑った。 「そうだな、俺からも改めて、――誕生日おめでとう。そして此度の宴へのご招待、感謝するぜお嬢ちゃん」 すっと身を屈めて穂邑の手を取り、その甲に口付け――。 「きゃわぁっ!?」 「……なんてな?」 寸止めにも関わらず真っ赤になって叫んでしまった穂邑に、ヘイズは満足そうに微笑み、その視界に映っていると思うだけで更に恥ずかしくなってしまう少女。 「うぅっ、やっぱりまだまだ成長が足りないので、……す?」 不意の感触に真っ赤な顔を上げた穂邑は、真顔で自分の頭を撫でる无に目をぱちくり。 なでなで、なでなで。 「ぁ、あの……」 「ああ、失礼。ですが可愛いものは何となく撫でたくなりますよね」 「かわ……」 ぼんっ、と火を噴く勢いでますます真っ赤になる少女を年上の男達が微笑ましく見守る光景を、少し離れたところから眺めていた朝比奈 空は「確かに可愛らしいですね」と頷いていた。 ● 穂邑が空との挨拶代わりの抱擁にきゃっきゃしている所に統真とフェルルが到着し、緋那岐と柚乃兄妹、各務原 義視と八条 光夫婦、更にヴァレリー、サイラス、コニー師弟が到着。十和田家の庭は二十名近い開拓者を迎えて活気に満ち溢れていた。 そんな中で狼 宵星が穂邑に誕生日祝いの言葉を贈っているのを聞いていた琥龍 蒼羅は「前以て誕生日と知っていれば何か用意して来たのだが」と、穂邑にとっては今日何度目かになる呟きを漏らし、せめてこれが気持ちになればと差し出したのは手のひらに丁度良い大きさの木箱。 「桜の花弁の砂糖漬けを作って来たんだ。以前とある依頼で作り方を聞いたのでな」 「開けてみて良いのですかっ?」 「勿論」 蒼羅が頷くのを見て、穂邑はゆっくりと木箱の蓋を持ち上げた。 中には黒い器があり、その中央に五枚の砂糖漬けの花弁が、桜そのままに飾られていた。 「わぁっ、綺麗ですね……っ!」 「花見に招待してくれた礼のつもりだったんだが、喜んで貰えたなら何よりだ」 「ありがとうございます、ありがとうございますっ」 木箱ごとぎゅっと抱き締めて何度も礼を言う穂邑に微かに笑った蒼羅。すると傍で二人の遣り取りを見聞きしていた宵星も。 「あの、私もお菓子を作って来ました……これ、召し上がってください」 一口サイズの桜餡のパイがたくさん詰め込まれた包みを、穂邑は笑顔で受け取る。 「ありがとうございます、皆さんで頂きますねっ」 「これもよかったらどうぞ」 「多めに作って来たからね」 横から風呂敷に包まれたお重を差し出した光と義視。 更にはからすとサイラスが酒を差し入れ、これに合うチーズをどうぞとコニー。たくさんの差し入れを抱えて両腕が塞がった穂邑が、これを下に置こうと縁側に移動した、その時だった。 「お久しぶりです、穂邑さん」 「!」 懐かしい声に顔を上げた穂邑は声の主を知って目を見開いた。 「ぁ……アルーシュ、さん……?」 「はい。本当に、ご無沙汰してしまいました」 最後に会った時と変わらない優しい微笑みを浮かべたアルーシュ・リトナは、穂邑の傍に歩み寄ると膝を追って少女を仰ぐ。 「お顔をよく見せてくださいね。――少し大人びて綺麗になって……良いお顔です。遅ればせながらお誕生日のお祝いも……お誕生日おめでとうございます。素敵な一年でありますように」 言葉と共に差し出した可愛らしい包みの中には春らしい桜の刺繍が施された割烹着。 「わっ、あ、えっと」 急いで両腕に抱えた差し入れの数々を縁側に下ろし、いま着ている無地の割烹着を脱いで着替える。 胸元の桜の花。 一つ年を重ねた君に。 「似合いますか……?」 不安そうな少女にアルーシュは頷く。 「とってもお似合いですよ」 「っ……ありがとうございます!」 またこうして再会出来た事が嬉しくて抱き着く少女をアルーシュも笑顔で受け止めた。そしてこのタイミングで台所から庭に戻って来たケロリーナが抱えていたのは、どのようにして作ったのか直径五〇センチはありそうな巨大なザッハトルテ。未楡が持参したチョコレートでコーティングし、クッキーで飾り付けられたそれに立てられた十五本の蝋燭。クリームで書かれた『お誕生おめでとう』の文字。 「未楡おねえさまのおかげですごいのが出来たですの〜☆ みんなでいっしょにお祝いですの〜♪」 「お口に……合えば良いのですが」 たおやかに微笑む未楡と、蝋燭に火を付けたくてうずうずしている様子のケロリーナ。 「お祝い、しましょうか」 アルーシュに促され、それでも戸惑いながら周囲を見渡した穂邑は、皆が優しい表情で待っているらしい事を知る。 「っっっ……皆さん、優し過ぎるのです……っ」 嬉しくて、本当に嬉しくて、穂邑の瞳から零れ落ちたのは幸せな涙。 「だから放っておけないのですよ」 空は言いながら穂邑の手を取り、彼女もまたアルーシュとの再会を喜び、ケロリーナはケーキを庭の中央に運んだ。 ヘイズがピアノを弾く。 アルーシュやフェルルが歌う。 誕生日おめでとう。 十五本の蝋燭の灯を、穂邑は全力の一息で吹き消した。 ● 十和田家の庭は開拓者長屋の花邸とも言われており、一年を通して四季折々の花が常に人々の目を楽しませているが、春の庭は格別。特に今日は、穂邑が貰った誕生日プレゼント――振袖、簪、紐輪、薔薇の花束。其処に柚乃から贈られた穂邑の似顔絵と、藤子と穂邑を模した二体のちま人形。そして統真とフェルルから贈られた桜餅も加わり、いつにも増して華やかである。 各々が思い思いの場所に茣蓙を敷いた庭の端、樹齢二十年ほどの桜の樹をはじめ花梨、山吹、蓮華草。地面には春紫苑や菫が満足そうに風に揺れ、ふしぎや宵星、光、義視達が差し入れた弁当と並べられた穂邑作の巻き寿司と春野菜の煮物の匂いは開拓者達の胃袋を刺激していた。 「そういえば菫って食べられるんだよ」 桜の樹の下、茣蓙を敷いて嫁の膝枕で花見中の義視の言葉に、そういう事にはあまり興味のない光は「へぇ」と愛想のない反応。それでも彼は構わない。 「葉は天ぷらやおひたし、花は酢の物。今度作って欲しいな」 「面倒くさい」 「そう言わずに」 くすくすと笑う夫に些かムッとする嫁。 「そんなに食べたいなら摘んできますよ、きっと生でも美味しいでしょう」 「光の手料理が食べたいんだよ」 「いま目の前にあるのは何なんでしょうね。飾りですか」 「だって食べさせてくれないじゃない」 「起き上って食べれば良いでしょう」 「こんなに気持ちの良い膝枕から離れるなんて勿体無さ過ぎて」 真顔でそんな事を言ってのける夫に言葉を詰まらせて、光は頭を掻く。不機嫌そうな表情の裏の気持ちを察した義視はますます楽し気。 「だからね、ほら。あーん」 口を開けて待つ彼に、いっそ地面の土でも食わせてやろうかと考える光だったが、結局のところ、好きな訳で。 「……しょうがないなぁもう……」 ぶつぶつと言いつつも偶にはこういうのも悪くないと思う光だった。――と、そんな熱々の二人をなるべく視界に入れないよう努力しながらも顔が赤い穂邑だったが、ケロリーナと未楡が作ってくれたザッハトルテを食べた途端に笑顔になる。 「とっても美味しいのです……っ」 その言葉にケーキを作った二人は大満足。 「皆さんもどうぞですの〜☆」 ケロリーナが周りの友人達にも声を掛ければ、真っ先に行動したのは泡雪だ。ケーキを等しく人数分に分け、用意してあった皿に乗せて配膳。お盆も無いのに七皿を一度に運ぶ手技は見事と言う他無く、すっかり任せきりの穂邑が落ち込みそうになった、その時。 「この春野菜の煮物はとても美味しいですよ」 弾かれるように顔を上げた少女に、更に。 「以前はお米を研ぐのも大変そうでしたのに、成長されましたね」 「うむ、確かに美味い……」 「本当ですかっ?」 ヴァレリーにも褒められてようやく穂邑に笑顔が戻る。 「穂邑君がこれだけ作れるのは藤子さんの指導のお陰かね?」 「はいっ、見た目が悪くて味が美味しくなくても、藤子さんは必ず食べて悪い所を教えて下さるのです!」 「なるほど、藤子さんは穂邑君の良い師なのだな」 そう言いながら自身も師として弟子を持つヴァレリーは、持参していた荷物を抱え直すと、それを包んでいる風呂敷を丁寧に外して、重箱を穂邑の前に。 「しかし見た目が悪くとも美味い料理というのはあるのだ」 ヴァレリーがどうだと言わんばかりの表情で開けた重箱の中身を覗き込んで、サイラスの眉間には深い縦皺が刻まれる。 何故なら其処には黒い塊が並んでいたからだ。 「……先生、これは何ですか?」 「見て判らぬか。出汁巻き玉子と鰆の照り焼きだ」 「…………ちなみに味見とかしました?」 「ふん、料理ごとき私にかかれば赤子の手を捻るようなものだ」 「先生が作られたんですかっ?」 話を聞いているだけだったコニーが、つまり目の前にあるものが師の手作り料理だと理解して目を輝かせた。 「穂邑さんのために先生が手作りを……僕は感動しました!」 「私も感動です、早速頂きますねっ」 「では穂邑さんが召し上がられたら僕も」 「そんなっ。一緒に頂きましょう、二人で食べた方がもっと美味しいです!」 「そ、そうですか?」 「あ、俺も俺も」 食べ物と聞いて手を伸ばしてきた緋那岐。若い三人をサイラスは何とも言えない顔で見遣り、箸が黒い塊を摘まみ口元に持っていくのを見て、……穂邑と緋那岐の手を止める。 「え?」 目をぱちくりする緋那岐、穂邑と、何の疑いもせず食べたコニー。決して彼を犠牲にしたわけではない、サイラスの腕は二本しかないのだから仕方がない。 直後。 「んっ、美味……っ……し…グフッ、ゲホゴホッ」 「コニーさん!」 茣蓙の外側に四つん這いになって咽るコニーに穂邑は駆け寄り、弟子の反応に納得がいかないらしいヴァレリーは自らそれをぱくり。 しばしの無言。 「……ぐっ……ッホ……ンぐホッ」 師匠もまた盛大に咽始め、サイラスは大きな溜息。藤子はくすくすと楽し気にしながら、黒い塊の表面を箸で削り始めた。 「きっと火力が強過ぎたのね。中がまだ生なのだわ。表面を削って少し手直ししたら美味しく頂けると思いますし、少し御節介をしてもよろしいかしら」 「た、頼みます……っ」 恐らく口の中が灰のようなもので大変な事になっているのだろう。ヴァレリーはそう応じ、泡雪が運んで来た水をありがたく受け取り。 「符水って腹痛に効くのかな」と師と弟弟子、二人の数時間後を心配するサイラスと、しばらくすると美味しい料理が増える事に純粋な楽しみを見付ける緋那岐だった。 ● 「穂邑おねえさまは小さい頃どんな子だったですの〜?」 「小さい頃、ですか?」 「柚乃も気になる……」 穂邑を中心に囲むようにして花見を楽しんでいた少女達の間から、そんな会話が聞こえて来る。 「んー……よく覚えていないのです。あ、でも石鏡で巫女をしてました!」 その答えに、穂邑の過去に片鱗程度とはいえ触れた空やキース、陽媛、アルーシュは目を細める。 「でも、年齢は十五歳なんだね……蝋燭、十五本だった」 「ってかエイプリルフールに誕生日だったのか。ともかくおめでとうだけどな!」 柚乃と、やはり食べ続けている緋那岐が言うと、穂邑は「実はそれもよく判らないのですが、たぶんそれくらいなのです!」と妙な断言の仕方である。 「では、酒はどうだい?」と、不意に声を掛けて来たのはその場で串団子を作っていた、からす。酒飲み達のために春の銘酒を差し入れた彼女は、せっかくの祝い事なら主役たる穂邑にも美味しい酒をと考えたらしい。 「これを機に初挑戦と言うのは」 「えとっ、えとっ」 興味はある、が、判らず戸惑う少女に空は「無理はしない方が」と言い、絵梨乃は「何事も経験さ」と笑う。 「そ、そうですね。何事も経験なのです!」 ぐっと拳を握りしめて、からすから勧められたのはさっぱりした味の桃色の酒「桜火」。 「口に合うと良いのだが」 どうだろうと不安になりつつ、まずは一口。 友人達の視線を集める中で、穂邑はもう一口飲んでみる。一口。更に一口。 「……穂邑さん、大丈夫ですか?」 心配になった空が声を掛ければ、少女は至って平常通りの様子で「はい」と。 「美味しいかも、です」 「へぇ。そりゃ酒豪の才能が有るかもな」 統真が笑い「それなら俺からも祝いの一杯だ」と、追加。 「そういう事なら……」と空も控えめな一杯を。 絵梨乃、フェルル、アルーシュ、ふしぎと順番に注いでも穂邑の様子は特に変わらず、強いて言えば笑い声が大きくなっている気はしたが、笑い酒なら悪くなかろうと誰もが考えていた。 花見の席は盛り上がる。 各々の楽しい時間。 「何を……描いているの……?」 「わっ……!」 柚乃に声を掛けられて慌ててスケッチブックを隠した宵星だったが、きょとんとした表情でじぃっと見られている事に耐えかねて「実は……」と隠したスケッチブックを胸の前に。 「お庭が、とても綺麗なので……あっ、兄や、私達の面倒を見てくれてる人……か、家族に、見せてあげたくて……」 時々言葉を選び直すように首を振る少女の仕草に、柚乃は何となく自分の面影を重ねていた。だから宵星の隣に座る。 「うん……とっても、綺麗なお庭……とても素敵で、だから今回、兄様も誘ってみたの」 その緋那岐は一生懸命に花見の席に揃った料理を食べている。 統真とフェルルが作ったという桜餅を全部食べそうな勢いで穂邑と追いかけっこを始めているのは、もしかすると穂邑が酔っぱらっているせいかもしれない。 「最近……一緒にいる時間が少なくて……今日も入れ替わったら面白いかなって思ったのに、却下されちゃって……」 ぐすっと泣きそうな声を出す少女に、宵星は「でも」と柔らかな言葉を紡ぐ。 「……一緒にいる時間が減っても、一緒に……遊んでくれなくても、兄妹は、やっぱり兄妹です……」 だから大丈夫ですよ、と。 その言葉に柚乃は「……うん」と微笑み返した。 「どうしたんだい?」 義妹の視線に微笑を湛えて応じた久野都に、陽媛は「なんでもないの♪」と、とても幸せそうな笑顔で言う。同時に彼の猪口に酒が入っていない事に気付いてお酌。 「さ、どうぞ」 「ありがとう」 猪口に酒が注がれている間に、ふわりと吹いた風が陽媛の髪を揺らし、そこに小さなピンク色の花びらが落ちた。 「……良い場所を見付けてくれたね、ありがとう。せっかくの機会なら穂邑さんと一緒にいたかっただろうに」 陽媛は少し考えてから「そんな事はないの」と。直接は言い難いけれど、こうして貴方を見ていられることが幸せだと。お酒を飲んでいる兄さんはとても素敵だから、と。 言葉には、もう、出来なくても。 「桜も綺麗だけれど、水仙の花も、とても綺麗」 「そうだね」 義兄妹は笑みを交わし、久野都は懐から柘植の櫛を取り出すと、それで少女の髪を梳く。 「花弁が付いていたので、ね」 そしてその櫛を、陽媛の手に。 「二月に貰ったチョコレートのお返しだよ」 「兄さん……」 陽媛は笑う。 精一杯の気持ちを込めて、微笑った。 ● 「む……これはまた変わった味がするな」 蒼羅の感心した呟きに「だろ?」と得意そうなヘイズは、凪沙と无にも同じものを注いだ猪口を手渡す。と、先に味見していたキースはピンと来た。 「これ、塩か」 「正解」 ヘイズは指を鳴らす。 「ちょっと甘めの酒に塩を足してやると、味が引き締まるんだ」 「なるほど、結構美味しいですね」 「ますます酒が進みそうだ」 凪沙や无からも好評価で満足顔のヘイズは、だが。 「とととっ、お嬢ちゃんにはまだちょっと早いような気がするぜぇ?」 猪口を取られて不満顔なのは、穂邑。 そんな彼女をキースがひょいと抱え上げた。 「さすがに飲み過ぎだぞ」 「飲んでませんよぅ、ちょこっとです、お猪口だけにちょこっと♪」 キースが反応に詰まり、アルーシュは微苦笑で水を差し出す。 「少しお休みしましょう?」 「なんだかとっても楽しいのですー!」 「楽しいのは素敵な事ですね」 「はい♪」 笑顔で返事をするもアルーシュの腕に顔を擦り付ける穂邑。それは、まるで赤ん坊が眠たいと意思表示する仕草に似ていた。 「うっちゃん。そろそろ穂邑がまずいかも」 「そのようですね」 一緒に酒を酌み交わしていた絵梨乃の指摘に、空は立ち上がって穂邑の肩を叩く。 「穂邑さん、少し」 「空さん!」 ぎゅぅっと抱き着いて、満面の笑顔。 「一緒に踊りましょう! ヘイズさん音楽お願いしますっ」 「ですが」 「大丈夫なのですよ♪」 笑って見せる姿が妙に切実そうに見えて、空は「仕方ありませんね」と。 「……まぁ、お嬢ちゃんの頼みとあらば断わるわけにはいかないねぇ」 ヘイズも仕方ないと言いたげに鍵盤を弾き鳴らす。 穂邑は空だけでなくコニーやふしぎも誘い、蒼羅や柚乃は音楽も賑やかな方が良いならと得意の楽器を構え、アルーシュが歌えば穂邑はますます楽しそうだった。 そんな少女に、強引に連れ出されたコニーは息を切らしながら話し掛ける。 「あのっ、色々と、本当に色々と、お世話になったから、次は、ちゃんと、プレゼントを用意しておきます! 楽しみに、して、いて、下さい、ね……っ?」 言われた穂邑は目をぱちくりした後で、その言葉の意味をしっかりと反芻。 満面の笑顔が、コニーへの返事だった。 「こういう花見も良いですね」 凪沙が微笑い、无が頷く。 ただ、動けばそれだけ酔いも早く回る訳で、穂邑が眠ってしまうまでそう時間は掛からなかった。 ● 赤い顔、空の膝枕で眠ってしまった穂邑に笑いながら近づいたのは絵梨乃。 「起きている時じゃ遠慮して受け取ってくれないかもしれないからね」 言いながら少女の耳に付けたのは金剛石の耳飾りだ。それを付けるだけで少女が妙に大人びて見えるのは、宝石が持つ不思議な力のせいだろう。 「誕生日おめでとう」 挨拶程度の軽いキスを頬に残し「あとはうっちゃんに任せるよ」と自分の席に戻った絵梨乃は、メイドの仕事を終えた泡雪が一人でお酒を飲み始めているのに気付いた。 「もしかして嫉妬したかい?」 「何のお話でございましょうか」 普段と変わらぬ相手に見えて、絵梨乃には判る些細な変化。 だから彼女は。 「そうかい? 今日一日頑張ったご褒美を上げようかと思ったんだけど」 「ご褒美ですか?」 「そう、例えば……」 泡雪の大好きなお酒を自らの口に含んで、接近。 「きゃっ」 口移しすると見せかけて唇を濡らすだけの軽いキス。 「絵梨乃様っ」 「ボク達のお花見はこれからだ」 そう、恋人達の時間はこれから。 統真もまたフェルルを呼び、せっかくだから二人で川沿いの桜を見て来ようと話す。穂邑が眠ってしまった今、彼らが二人きりの時間を遠慮する理由などないのだから。 ● 「眠ってしまったのね」 ヴァレリーの鰆の照り焼きと出し巻き玉子に少し手を加えたものと、追加の料理を運んで来た藤子は、庭の光景に楽しげな笑みを零しながら席に着いた。 「どうかしら。皆さんのお口に合えば良いのですけれど」 差し出された照り焼きを、緊張した面持ちで口にするヴァレリー。 「美味い……」 無意識に毀れた呟きに藤子は「良かった」と微笑んだ。 「……その、料理というのは、人に習う方が上達するものだろか……?」 「え?」 相手と目を合わせるのが憚れて顔を背けてしまったヴァレリーだったが、その仕草が彼の本音を代弁しているも同然。藤子は微笑んで言う。 「これからはいつでも遊びにいらして下さいね。若い子との暮らしは楽しいけれど、同じ世代のお友達と過ごす時間も大切。一緒にお料理をしたり、お茶を飲んだりして下さいな。お友達だなんて、気を悪くされたら申し訳ないけれど」 「うむ……、またお邪魔させてもらおう」 そんな会話を何気なく耳にして静かに微笑んでいたサイラスは、後で藤子に花を二輪貰おうと思う。 一輪は自分の母に。 一輪は、今は亡き師の妻に。 今年の春もこうして皆で迎えられている感謝を彼の人達に伝えたくて。 春のお花見。 四月のこの日から、十和田家の居間には一枚の絵が飾られるようになる。宵星が描いた、たくさんの笑顔の絵。 それは皆の大切な思い出――。 |