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■オープニング本文 ● 闇の声 ――‥‥ククク‥‥ ――‥‥‥‥クククッ‥‥そうまでして我を追ってくるならば‥‥ 少し遊んでやろうか、と。 闇に潜む昏い声――。 ● 男と女 ほのかに明りが灯る寝室で一組の男女が睦んでいた。 女はしなやかな体をくねらせて男に絡み、寝台の軋む音に二人の甘い熱を帯びた声が重なる。夜毎繰り返される行為は、しかし男を飽きさせぬばかりか更に女への渇望を深くし、その瞳に狂気に似た貪欲さを滲ませるほどだった。 二人きりの時間を邪魔する者はない。 あるとすれば夜を終わらせる朝の訪れのみ。 だから朝日は嫌いだと女が悲しげに表情を曇らせれば、男はその肩を抱きながら「それも間もなく怖くはなくなる」と告げる。 女は、男の胸に顔を埋めた。 「‥‥本当に?」 「ああ。以前から言っていただろう。私はこのような地方領主で終わる器ではないと」 「中央に行くことが決まったの?」 「いや。だが、もうすぐだ」 思わず顔を上げて問うて来る女に、男は力強く言い切った。 「私の出世の足掛かりを見つけたのだ‥‥奴らを‥‥いや、あの傭兵団の団長の首だけでも持っていけば皇帝陛下も私の功績を認めて下さる」 「‥‥傭兵?」 女は眉根を寄せた。 「一介の傭兵を皇帝陛下に差し出すくらいで?」 「奴はただの傭兵ではないからな」 かつて『ヴァイツァウの乱』で敵方に与しながら今だ生き長らえている連中。乱の首謀者であったコンラート・ヴァイツァウはアヤカシに操られており、その証拠(自白)と共にコンラートの身柄を帝国に引き渡した事で、些少の罰則程度で済んだと聞くが、皇帝陛下がそれで納得しているとは考え難い。 何より、彼ら傭兵団の成立ちを知れば今だってその壊滅を望んでいるはずなのだ。 「奴の首さえ取れば‥‥ククク‥‥」 「‥‥一体どんな傭兵なの‥‥?」 僅かな不安を滲ませた女に、男は笑う。 「心配するな。それに、こうして二人で過ごせる貴重な時間に他の男の話などしたくはない」 言い、女の唇を自分のそれで覆う。 啄ばむような口付けは次第に深く重なり、互いの体を刺激し合いながら、‥‥男の胸中には野心が芽生えていた。 出世し、中央に行けば自分の顔も広がる。 有力者と親しくなり、様々な手を使い、いずれはこの女を養女とさせて自分の嫁として迎え入れる。現状の町娘という立場である彼女を迎え入れても自分の出世には役立たないどころか足枷になり兼ねないが、良家の子女となれば話は別。朝になれば女と離れなければならない事を寂しく思うほど彼女を愛している気持ちは本物だったが、上を目指すならば結婚も計画の内でなければならないのだ。 (俺は伸し上がる‥‥!) 自分自身に言い聞かすように放たれる心の声。 まだしばらくは朝の来ないその部屋には、‥‥月明かりに反射する赤い輝きが揺れていた。 ● 舞い込んだ依頼 「仕事?」 聞き返したスタニスワフ・マチェク(iz0105)の言葉に呼応するように周囲からどよめきとも取れるざわめきが上がった。 其処はマチェクが率いる傭兵団『ザリアー』が集まる家屋。中には副団長のイーゴリやアイザックも含め三十人前後の男達がいた。 「‥‥俺達に領主様が依頼を?」 確認の意味も込めて相手の発言を繰り返すマチェクに、相手こと領主の執事だと自らの立場を明かした初老の男性は穏やかな笑みを浮かべて頷いた。 「つい先日、そちらのアイザックさんに領主邸の裏に現れたホルワウの群を討伐して頂きまして」 男性は言いながらアイザックを見遣り、丁寧な一礼。アイザックも慌てて頭を下げた後で「確かにその通りだ」という無言の視線をボスに向けた。 マチェクは重ねて問う。 「つまり、その時のアイザックの働きを信用して今回の依頼を俺達に、という事ですか」 「左様でございます」 相手はやはり丁寧に応じた。彼が話すにはこうだ。領主が治める地域の東の端にヴェレッタという町があるのだが、その近郊に帝国への反乱分子が集まっているという噂がある。領主も頭を抱えているのだが自分達帝国側の人間が動けば警戒されるのは必至。だから代わりに調査してもらいたい、と。 「大変失礼かとは思いましたが我が主は皆様の事情も調べておりまして、昨年のヴァイツァウの乱以降、傭兵としてのお仕事がし難くなられていると」 マチェクが応じるより早く、仕事の無い日々に苦悩していた男達がボスの背後で激しく頷いている。 執事は複雑そうに微笑む。 「今回の依頼の結果次第では今後の皆様が傭兵職に困らないよう手を貸したいと我が主も申しておりますし、‥‥如何でしょう?」 受けましょう、受けてくれという無言の圧力を背中に感じながら、マチェクは意味深に笑む。 「話は判りました。アイザックが領主様のお力になれた事で今回の依頼を‥‥という事なら、喜んでお引き受けしましょう」 ワッ‥‥と部屋が歓声に沸く、が。 「ただ」 マチェクは続ける。 「領主様がどう思われていようとも、我々が帝国に睨まれている団である事に変わりはない。その方が反乱分子を調べるのには有利だというのは最もな考えだが、‥‥そう簡単に我々を信頼して、領主様御自身が帝国に睨まれる事までご承知済みなのだろうか」 後方の歓声が一瞬にして止み、次いで広がるのは緊張感。 執事は目を瞬かせた後で「‥‥さすがでございます」と息を吐く。 「実は、皆様とは別に、開拓者ギルドにも依頼を出してございます。開拓者への依頼は、‥‥『傭兵団の皆様の監視』という内容です」 一度は帝国を敵に回した傭兵団を雇う以上、領主側が保身の意味も込めて第三者の監視を必要とするのは至極当然な流れだ。 「‥‥お気を悪くされましたか」 恐縮そうに問いかける執事に、後方の団員達は憤慨した様子だったが、マチェクだけは違った。 「いや、ようやく納得がいきましたよ」 薄く笑う、その表情は普段の彼らしい余裕を含んだもの。 「そういう事ならば領主様からのこの依頼、引き受けましょう」 ざわめく仲間達に囲まれて、マチェクの真意は何処にあったのか。 ● 開拓者ギルドの依頼より 依頼主はジルベリア東方、ザーヴァック領の領主シルヴァン・ヴィディット。 領内の東端にあるヴェレッタという町に帝国への反乱分子が集まっているという噂が流れており、これの確認のために傭兵団ザリアー(団長スタニスワフ・マチェク)を派遣する。しかしザリアーには過去に帝国に反旗を翻した過去があり、その点が反乱分子の捜索には有利に働くだろうが、領主側が全面的に彼らを信頼するのは様々な危険が伴うため、第三者の開拓者達に彼らの監視を頼みたいというのが依頼内容だ。 万が一、彼らが反乱分子と結託するなど領主側を裏切る行為に走った場合には、開拓者諸君に傭兵団ザリアーの壊滅――ひいては傭兵団を率いるスタニスワフ・マチェクへの制裁を求めるものとする――。 |
■参加者一覧
秋桜(ia2482)
17歳・女・シ
フェンリエッタ(ib0018)
18歳・女・シ
ルシール・フルフラット(ib0072)
20歳・女・騎
フレイア(ib0257)
28歳・女・魔
ファリルローゼ(ib0401)
19歳・女・騎
風和 律(ib0749)
21歳・女・騎
レジーナ・シュタイネル(ib3707)
19歳・女・泰
緋那岐(ib5664)
17歳・男・陰 |
■リプレイ本文 ● 傭兵団ザリアーの監視について確認したい事があるから領主との面会を望むと申し出た彼女達に、領主シルヴァン・ヴィディットは思いのほか簡単に会う事を了承した。 ただし全員というわけにはいかず、フェンリエッタ(ib0018)、フレイア(ib0257)の二名が応接間に通された。 領主を前に、フェンリエッタが口を切る。 「今回の依頼――傭兵団ザリアーへの監視についてですが、領主様はどのような形での監視を望まれているのでしょうか」 眉間に皺を刻む領主に、フェンリエッタは続ける。 「叛乱の意思有という噂が出ているヴェレッタの町はとても長閑な土地だと聞いています。そのような所に複数の団体が短期間に訪れたとあれば現地の人々が怪しむ恐れもあります。つきましては私達が傭兵団と同行し、傍から監視する事を許可して頂けないでしょうか」 彼女の言葉を聞き終えた領主は、軽い息を吐き出した。 「傍で監視せず、どのように監視するつもりだったんだ?」 その口調は呆れていた。 「傭兵団に開拓者の監視が付く事は伝えてある。それを承知したうえで私からの依頼を受けたんだ。傍に張り付き、くれぐれも連中が帝国に反旗を翻すような事にならないよう監視してくれ」 「‥‥承知しました」 些か釈然としないものを感じながらも礼に則って応じるフェンリエッタだが、その胸中には疑惑が渦を巻いていた。先行してヴェレッタへ向かっている風和 律(ib0749)が出発前に彼女達に零した呟き――わざわざ「信用出来ない傭兵団」に叛乱の噂の真偽調査を依頼した上で、更にその監視を開拓者に依頼するなど不自然過ぎるというのが、今回の領主からの依頼を受けた彼女達全員の本音だったからだ。 一方で、そのような疑惑を持たれる事を領主もまた自覚していたのだろう。 彼は笑う。 「一つ誤解の無いように伝えておくが、君達に監視を頼んだからといって私が傭兵団を信用していないわけではないよ。詳しく話すつもりはないが、先日のホルワウ討伐に参加してくれたアイザックという名の青年が傭兵団の一員だとこの執事から聞いた時に、それ以前にも傭兵団には助けられている事を思い出した。当時は連中を報酬欲しさの野蛮人だと非難したが、あのような態度を取った私を傭兵はまた助けてくれたんだ。流石に仕事を回してやりたいという気にさせられるさ」 だが、と。 領主は昨年の乱で傭兵団が敵側に付いた事実を引き合いに出し、自分が助けられたからという理由で彼らを信じるのは、自分に対する帝国の心証を悪くしかねない。だからこそ第三者の協力が必要なのだと語る。 「君達が傭兵団は信頼に足る事を証明してくれれば私達も帝国にその旨を報告し、安心して仕事を回せるというわけだ。‥‥先日のホルワウ退治、君達も参加してくれていたようだが」 二人を順に見遣り、笑う。 「傭兵団とは以前から縁があるからといって、監視業務に私情を挟んだりはしないだろうね?」 「‥‥そのような事は、決して」 フェンリエッタは努めて冷静に応じた。 領主が傭兵団と自分達の関係を事前に調査しているかもしれないという事は予想していたからだ。 「ならば話は済んだだろう。監視の方を頼むよ」 領主は言い終えるや否や立ち上がり、部屋を去る。その背中からはこれ以上の話は無用だという感情が見て取れた。 その背を見送った後、フェンリエッタも静かな足取りで応接間を後にし、フレイアも続こうとしたが、領主のために用意したティーセットを片付け始める執事に気付き、足を止めた。 「‥‥一つお聞きしたいのですが」 「はい」 「貴方は傭兵団ザリアーの出自をご存じなのでしょうか」 「さて‥‥詳しくは存じませぬが‥‥」 執事が言い掛けた、その時。 「それを知ってどうする?」 不意に掛かる声は、いつ戻って来たのか領主本人。 「君達の役目は監視であって傭兵団の過去を探る事ではないはずだが」 「‥‥ですがヴェレッタの町に傭兵団の縁者がいないとも限りません」 村の歴史、傭兵団の歴史を辿る事で見えて来る真実もあるはずと言葉を重ねれば領主は鼻で笑い飛ばした。 「それを仲間のいないところで密かに尋ねるか」 皮肉に似た響きを伴う領主に、しかしフレイアは表情を変えない。 だからこそ、か。 領主は言う。 「ザリアーの基は帝国が殺せと命じた罪無き民を救った心優しい傭兵達さ。それを知ればこそ、なおさら彼らには仕事が出来るようになって欲しいと思うよ」 割愛するにも程がある、ともすれば帝国を非難しているとも取れる発言を笑顔で言い放った領主に、フレイアの疑惑は募った。 その頃、外で二人の戻りを待っていた秋桜(ia2482)、ルシール・フルフラット(ib0072)、ファリルローゼ(ib0401)、レジーナ・シュタイネル(ib3707)、緋那岐(ib5664)の五人は、監視の依頼を請け負った開拓者達と合流するため領主に呼ばれていた傭兵団ザリアーの面々――スタニスワフ・マチェクと顔を合わせていた。 これに真っ先に嫌そうな顔をしたのは秋桜。 マチェクを最初に笑わせたのも彼女だった。 「まさか仔猫ちゃんにまで監視されるとはね」 「仔猫ではありませぬっ。そもそも何故にスタニスワフ殿が此方にお出でなのですか!」 「それで責められるのは心外だね。監視する開拓者とは顔見知りのようだし、顔を合わせておいた方が良いだろうと領主殿が気を遣って下さったんだよ」 傭兵団だけで現地へ向かえば、監視者が付くまでの間に不穏な行動をされても判らないと最もな理由を付けてはいたが、その真意が何処にあるのかは不明だ。 「今回はよろしく、マチェクのおっさん」 「おっさんと呼ばれるのは久々だな。此方こそよろしく」 マチェクは緋那岐に楽しげに笑い掛け、その視線をルシールへ。そして、正門を出てくるフェンリエッタとフレイアへ。 「‥‥君達で七人。領主殿は八名の開拓者を雇ったと言っていたが、もう一人は‥‥律、かな」 既に目的地へ発っている仲間の名前を言い当てられ、僅かに表情を変化させる事で肯定の意を示した開拓者達。 マチェクは軽く笑んだ。 どことなく苦い、‥‥仕方ないと諦めたような、そんな表情。 「とりあえず出発するとしようか」 団員を促して馬を駆る彼の、そんな態度に何かを感じ取る者もいれば、ただ「どうしたのか」と不安を募らせる者もいたが、開拓者達はそれぞれの馬や龍に騎乗し傭兵団の後を追った。 ● 領主に顔見知りだとバレている以上、他人を装っても意味は無いし、ザリアーへの入団を希望する見習いに扮するというなら尚の事、他人行儀な接し方は不自然なだけだという傭兵の言葉を受け、すっかり普段の雰囲気を醸し出す一行だったが、それでも受けた依頼は依頼だ。中立の立場で傭兵団の監視と、現地で起きている噂の真実を確かめるのが開拓者の仕事ならば、当初の予定通り秋桜はシノビの技能を生かして姿を隠しながらの監視を開始したし、レジーナと緋那岐は龍で先行。同じヴェレッタを訪れては住民に不審がられるからと旅人を装って近隣の町に向かった。 律も、既に現地へ到着済み。 そのためマチェクを含め『三人』の傭兵達の傍にはファリルローゼとフェンリエッタ姉妹、ルシール、そしてフレイアの四人が同行していた。 何人の傭兵が来るのか、実際に会うまで開拓者達は知らなかったが、自分達よりも人数が少ないのは、監視する側としては助かると言うべきか。 「同行される傭兵団の方はあちらの二名だけ、ですか?」 「そうだよ」 マチェクは頷く。 「大勢を連れて行っては、それこそヴェレッタの人々を驚かせてしまうからね」 言い、髪の毛の無い巨漢がニコライ、癖のある長い髪を一つに結わえた細身の青年がトーデンだと紹介する。 「トーデンは志体持ちで、弓使いだ。ニコライは剣使い‥‥ああ、俺も志体持ちで剣使いだと自己紹介した方が良かったかな」 「まぁ」 くすくすと笑うフェンリエッタの傍で、ファリルローゼが「今更だ」と苦笑いの表情になるも和やかな空気が変化する事は無く、その流れでルシールは問い掛けた。 マチェクが率いる傭兵団ザリアー。 東方を拠点にしているという話は以前から聞いていたが、マチェクは南方出身だと言うし、傭兵団には少なからず志体持ちも存在する。いまひとつ想像し難い彼ら傭兵団の成り立ちを気にしているのは、彼女だけではなかった。 「スタニスさんは、どういう経緯で傭兵団のボスに?」 ルシールの問い掛けに真っ先に反応したのはトーデン。ニコライと顔を見合わせた後で、何も言わずボスに意味深な視線を注ぐ。 「どういう経緯で、ね」 そのマチェクは薄く笑いながら肩を竦めると、傍の姉妹を一瞥。 「ロゼ、フェンリエッタ、君達も知りたいかい?」 そんな問い掛けには姉妹が顔を見合わせ、穏やかに笑い合った。 「いいえ、謎めいていた方が‥‥素敵、ですし」 「それに、それはきっとマチェクと傭兵団の彼らとの大切な思い出なのだろう?」 姉妹の言葉に頬を緩めたのはトーデン達だ。彼らの素直な反応にマチェクは笑った。 「すまないね、ルシール。どうやら彼らは『俺達だけの秘密』にしたいらしい」 「そうですか‥‥残念です」 ルシールも傭兵達の子供のような反応を見れば仕方ないと諦めたらしく、‥‥フレイアが穏やかな笑みを崩す事も無かった。 そんな、終始和やかな雰囲気で目的地ヴェレッタの町まで辿り着いた彼らは、馬を下り、町を歩き始めてすぐに村人に呼び止められた。 「マチェクさん!?」 ただ、その呼び止め方には開拓者達だけでなく傭兵達も目を見開く。 表情が変わらなかったのはただ一人、呼ばれたマチェク本人だけだ。 「何だい何だい、来るなら来るって前以て知らせてくれれば良かったのに!」 声を掛けて来たのは恰幅のいい五十代と思われる女性だ。家事の最中なのか頭には三角布、前掛けを巻いた肉付きの良いお腹には大きなタライが抱えられており、中には大量の野菜が盛られている。 「いやぁしっかし相変わらずイイ男だね! 顔が見られて嬉しいよ‥‥っと、そっちの人達は?」 「俺の仲間だよ」 「ああ、そうかい! 今日はいつもの若いお兄さんと一緒じゃないんだね? ‥‥にしても、そんな美人さんばっかり連れて来られちゃ村の娘達が可哀相じゃないか! あっははは!」 バシバシとマチェクの背を叩く女性の態度はとても親し気で、自然で。 だからこそマチェク以外の全員が完全に言葉を失くしていた。彼は、以前からこの女性と交流があるのだろうか‥‥? 「ところで」 周囲の困惑に気付きながら、マチェクは女性との会話を続ける。 「『あれ』は問題無いかい?」 「あぁ‥‥って‥‥」 頷いてすぐ、初対面の人間が周囲に多い事に気付いて口籠る女性。マチェクに「仲間」と言われても易々と聞かせられない何かが『あれ』なのだろうと全員が察する。 マチェクは言う。 「構わないよ。彼女達の口の堅さは俺が保障するから」 「そうかい? まぁあんたがそう言うならねぇ。とりあえず町長の所に顔をお出しよ、四六時中全員で一緒に行動するわけでもないんだろう? だったら町長を通してその子らの事も伝えておかなきゃ、マチェクさんのお仲間を余所者扱いしちゃあ、うちの連中が後で腰抜かすからね」 「ああ、そうしよう‥‥せっかくだし町長の家まで少し話さないかい? せっかく会えたのにこれでサヨナラは惜しい」 「あっははは! こんなオバサン口説いてどうするのさ! 村の娘達に恨まれたらどうしてくれるんだいっ?」 台詞に反して嬉しそうな女性。 マチェクはトーデン達に目配せした後で開拓者達に向き直ると、浮かれている女性には聞こえないよう小声で話し掛ける。 「俺の監視は秋桜に任せて、君達は村の様子を見ておいで。俺の監視以外に例の噂の真偽を確かめるのも依頼の内だろう?」 「ええ‥‥」 「また後で、ね」 軽く手を上げて此処からの別行動を宣言するマチェクには異論を認めさせない強さがあり、彼が誰であるのか知っているらしい女性の前で、彼の言葉に逆らうのは関係を疑われる要因にもなりかねない。 姿を現さない秋桜が張り付いてくれているのは確かだ。 ならば、と。 開拓者達は多くの疑問を抱えながらもそれぞれの行動に移った。 ● その頃、先行してヴェレッタの町に到着していた律は周囲から注がれる人々の冷たい視線に晒されていた。 到着して最初に感じたのは長閑な町だな、という事。 春に向かう土地の大半を覆う田畑は泥に塗れた少量の雪の塊で些か汚く見えるけれど、水を引いている川に点在する蛙の卵や、泳ぐ魚は環境が良い証だし、納屋から聞こえて来る牛や馬の声ものんびりとしており緊張感がまるで感じられない。 空に向かって育まれた木々の枝は芽吹こうとしている。 こんな土地に、本当に叛乱を狙う者達が集うだろうか。 武器や人を集めるのも難しいし、目立つだろうと思いつつ、まずは今夜の寝床を確保しようと訪ねた宿屋で最初の村人と言葉を交わす事になった律は、相手の反応を見るべく敢えて剣を誇示して見せたところで、知ったのだ。 村人が『騎士』を煙たがっている事を。 宿屋の主人が言い放った言葉、それは「あんた騎士かい? こんな辺鄙な土地に何の用で来たんだい? 観光? 肝心な時に役に立たんで結構な御身分だな」と。 何があったのかを聞こうにも「騎士に話す事などない」と一蹴され、宿泊代金だけ前払いで取られたきり無視である。 食事を取るため食堂に入れば、ドンッと勢いよく置かれた水はゴブレットから飛び出して卓を水浸しにするし、料理の味もいまいち‥‥だったのは、元からかもしれないが。 そして道を歩けばあからさまに距離を取る態度。騎士を見て「カッコイイ!」と興奮し近付こうとする子供を慌てて制した母親に至っては「あれは悪い人なの、近付いてはダメよ」と、こうである。 長閑ではあるが、騎士に――恐らくは帝国に良くない感情を抱いているのは間違いなさそうな村の人々。とりあえずこの事だけでも伝えようと、律はそろそろ到着しているであろう仲間の姿を探して歩き、同じく町で情報を集めていたルシールと遭遇、この数時間で思い知った「騎士」への感情を、一先ずの情報として渡すのだった。 一方で、龍を近くの森に待機させて別の村に到着していたレジーナと緋那岐。 「ジルベリアの文化なら天儀で触れたことはあるけど、来るのは初めてなんだよな。へー」と天儀の農村とは雰囲気の異なる村の様子に興味津々の緋那岐に、レジーナは心なしか和まされていた。 「おや見慣れない顔だね、旅の途中かい?」と道端で露店を開いている女性に声を掛けられれば笑顔で頷き。 「何も無い所だけれど、楽しんでお行きよ」と渡された季節の果物はとても甘く美味しく。 「これが観光なら良かったんだけどなー」 「そう、ですね‥‥」 残念そうな緋那岐の言葉にそう返すレジーナだったが、叛乱を目論んでいるような雰囲気が皆無の町の様子には、本当にただの観光で済んでしまいそうな気がして来た。 だが、露店が並ぶ街道を抜けた先に開けた、田畑と思われる土地が広がる場所を目にした二人は思わず足を止めた。 春を迎えようとしている今時期、雪解けが終われば種植えのために土地をならすのが本来の姿であるはずなのに、いま二人が目にしている田畑は、まるで荒地。 獣の大群と思しき足跡が土地を荒し、水路を破壊し、漂う異臭は何故か。田畑の先にある残骸は、恐らく収穫した食物を冬の間保管するための小屋だったのだろうが、今は単なる瓦礫の山。 「ひどい‥‥」 口元を覆うレジーナの隣で、緋那岐の表情も強張っていた。 そんな二人に、通り掛かった農夫が声を掛ける。 「おや、旅のお人かい?」 「ぇ‥‥ええ‥‥あの、最近、アヤカシに襲われたり、しました、か?」 レジーナの問い掛けに小首を傾げた農夫は、しかし目の前の光景に「ああ」と思う。 「そうそう、確かに酷い夜だったよ。ホルワウの群れが村を襲ってなぁ。だが、幸い死者は出んかったし、越冬のために貯蓄していた作物が少し被害を受けただけだ。田畑は荒らされたが‥‥ほれ、向こうの方から順に耕し直している真っ最中さ」 「そう、ですか‥‥」 死者がいなかったと聞いて安堵するレジーナと緋那岐だったが、しかし続く農夫の言葉には耳を疑った。 「それもこれも、あの赤い髪の傭兵さんのおかげさ」 「‥‥え?」 「マチェクさんと言ったかな。傭兵団の頭さんらしいが、あの人が偶然にも通りかかってくれなければどうなっていたか‥‥」 二人は顔を見合わせると、頷きあう。 気持ちは一つ。 「おじいさん、その話‥‥詳しく、聞かせて下さい」 マチェクが町長に「仲間と共に訪ねてきた事」を伝えたのが功を奏したのか、広場で楽を奏でるフェンリエッタの周りには自然と人が集まって来ていた。 初めて見る顔というのも興味を引く対象としては充分だっただろうが、それ以上に、あのマチェクが連れて来た女性というのが人を呼び集めたのだ。 「やぁ見事な演奏だ! 久々に音楽を聞いて気持ちよくなったよ」 「お姉ちゃん素敵、とっても綺麗な音楽」 演奏を終えて男衆や子供達の喝采を浴びるフェンリエッタは「ありがとう」と人々に微笑み掛けながら、まだ陽も高い時分からこうして人々と笑い合える環境に、呟く。 「この辺りは平和ね。アヤカシも物騒な話も無さそう‥‥御領主のお陰かしら?」 その直後、人々の間には緊張が走り、空気が強張り、訝しむ視線が注がれる。 「‥‥あんた、本当にマチェクさんのお仲間かい?」 傍にいた男に警戒心を露わに問われて戸惑うフェンリエッタ。傍にいたファリルローゼが彼女を庇うように口を挟む。 「すまない。私達はマチェクの仲間とは言っても見習いの段階で、詳しい話は聞いていないんだ。それに彼はあまり他人の悪口を言わないだろう? 悪い噂ほど無暗に広げないようにする男だから」 務めて冷静に語るファリルローゼの言葉に「なるほど」と男は存外素直に頷いた。 「そうだよな、疑ってすまなかった‥‥うん、マチェクさんが仲間だって言うんだから疑う必要なんかないよな」 頭を下げる男に「気にしないでくれ」と返すファリルローゼだったが、ふと相手の表情がにやけている事に気付き。 「‥‥御嬢さん、見習いとは言えマチェクさんの事をよく判っているようだ。よっぽど好きなんだなぁ」 「なっ‥‥!」 唐突な台詞に息を呑めば、直後に後方から群がってくる女達。 「待ちなさいよっ、私達だってそれくらい判るわ!」 「そうよそうよっ貴女だけじゃないわ!」 「ま、待てっ、私は別にマチェクの事など‥‥!」 「ふふっ、お姉様ったらお顔が真っ赤」 「フェン!?」 目の色を変えた女性陣に囲まれて動揺しているファリルローゼの態度が、強張った広場の雰囲気を一瞬にして和らげていく。 「可愛い御嬢さんだ」 「あんな姉さんがいると毎日楽しいだろう」と無邪気な男衆。 フェンリエッタは胸中で姉に謝りながら、これは好機だと男達に問い掛ける。 「姉が言う通り、私達はマチェクさんと行動するようになってからまだ日が浅くて‥‥皆さんから見たマチェクさんの事を教えて貰えますか?」 「ああ、喜んで」 「あの人は俺達の命の恩人だからな」 ヴェレッタの人々は、まるで英雄の物語を語るように興奮した調子で彼と関わるようになった経緯を話し始めた。 事の始まりはヴェレッタ近郊の町がアヤカシに襲われた夜。 たまたま其処を通りかかったマチェクが仲間と共にアヤカシを退治してくれたおかげで、ただの一人も犠牲にならず済んだという。 聞けば周辺ではアヤカシが活性化しており、この二ヶ月で三度もアヤカシの群れが周辺を襲い、被害は甚大。今年の税を軽減して欲しいと領主に嘆願しても聞き入れて貰えないばかりか、自分達で開拓者でも雇ってアヤカシが来ないよう考えればいいと吐き捨てられたそうだ。 人々の我慢も限界に達しようとしていた、そんな時。 アヤカシを退治したマチェクは、その後も仲間を連れて度々周辺の村を訪れ、農作業を手伝ったり、アヤカシが近付いていないかを見て回り、怪我人の治療をし、男達には武器の扱い方を教え、アヤカシに怯える毎日だった女子供には笑顔を取り戻させた。 マチェクは命の恩人だと村人達は口を揃える。 だから、マチェクが手を貸して欲しいと言うなら領主を斃す為に立ち上がる事も辞さない。 数日間を費やしてヴェレッタ周辺の村総てを回って集めた情報の結論が、それだった。 「つまり叛乱を起こそうとしているのはザリアー‥‥スタニスさんだ、という事ですか」 主に秋桜を経由して齎された、レジーナ、緋那岐、律からの情報も統合した結論を口にするルシールだが、その声音には明らかな疑惑の響きが伴う。 マチェクの声一つで叛乱を起こそうという人々は周辺の村々を合わせて二千人強。武器は傭兵団が調達し、この町――近郊全ての村を一つの円で囲むと、その中央に位置するからという理由で選ばれたヴェレッタの町長宅の倉庫に保管されている事まで話して聞かせてくれた。 彼女達をすっかりマチェクの仲間だと信じて、だ。 まさかと誰もが思うも口には出せない。 律も、レジーナと緋那岐も、それぞれに情報収集を続けているが「マチェクが首謀者」である裏付けになる話しか集められず、更に問題なのはマチェクも彼が連れて来た部下も村人達の話を決して否定しない事。 「君達の判断に任せるよ」と、それだけである。 状況はザリアーにとって限りなく不利。 「出来過ぎだ」と彼女達は思うけれど、それを覆せる材料がゼロでは――。 「‥‥休みましょうか」 フェンリエッタが言う。 領主邸から馬での移動を経て、それから毎日ずっと情報収集に動き回っての話し合い。疲れた頭でこれ以上の事を考えても良案は思い浮かばないし、それなら早めに休んで体力と気力を回復させよう、と。 アヤカシの襲撃だっていつ起きるかしれないのだ。 「そうですね」 ルシールとファリルローゼにも異論はない。 「では、また明日」 そうして立ち上がったフレイアとルシールは、姉妹に割り当てられたその部屋を後にした。 ● 深夜、龍を待機させていた森の中で一晩を過ごす事にしたレジーナはシュロッセの体に凭れながら手の中の銀の砂時計を見つめていた。 (彼は‥‥何に巻き込まれようとしているんだろう‥‥) 何かが動いている事は間違いなく、自分達が調べた限り、その黒幕はザリアーであり、マチェクだ。 (でも‥‥誰かがそう『見せてる』可能性もある‥‥) 近隣の村がアヤカシに襲われている、アヤカシが活性化している事は確かで、‥‥少なくともその糸を引いているのは傭兵達ではない、はず。 (誰かの『悪意』になんか‥‥躍らされたり、しない‥‥) 砂時計をぎゅっと握り締めて表情を硬くする少女を気遣うように小さく嘶くシュロッセ。 ハッとすると同時に聴こえて来るのは緋那岐の寝息。 まだ春には早い夜の森の冷え込みは相当だったが、火を焚き、多めの毛布に包まれば眠れない事は無いし、彼女にも緋那岐にも相棒の体温が暖かい。 レジーナは口元を和ませて頷くと、龍に寄り添うようにして毛布の中に潜り込んだ。 一方、ヴェレッタの町でベッドのある部屋を割り当てられた姉妹は、眠ろうとは言ったものの眠れぬ時間を過ごしていた。 傭兵団が何らかの陰謀に巻き込まれようとしているとしか思えない、それがこの依頼を見た最初の印象だったが、まさか本当に彼らが反乱分子に――そう仕立てようとする事態が起きているとは、‥‥考えたくなかった。 (マチェクとの約束を果たす時が来た、と‥‥そういう事か) ファリルローゼは耳朶で揺れる耳飾りに触れながら胸中に思う。例え状況が傭兵団にとって不利なものばかりであったとしても、信じるものは変わらない。 彼らに降りかかる火の粉は消し去るまで。 (‥‥この手で守ってみせる) 彼を、ではなく。 彼らを。 「‥‥お姉様?」 暗がりの中で呼ばれて横を向けば、自分と同じく眠れない様子の妹と目が合った。心配そうな彼女の視線にファリルローゼは微笑い、窓から差し込む淡い月の光に目を細めた。 「‥‥コンラートのように‥‥何も出来ないままマチェクを失いたくないわ」 独り言のように紡がれる言葉を、フェンリエッタは聴く。 姉が見つめる窓の外を同じように仰いで。 「彼への誓いを必ず果たして、暁の皆と居る時の彼の笑顔を、守りたいの」 少女は無言で頷く。 静かに、けれど、力強く。 真実を暴くには時間が必要だ。 信じられるものの協力が、必要。 焦るなと自身に言い聞かせる。 大事な局面だからこそ、慎重に見極めねば。 仲間が眠れぬ時間を過ごしている頃、フレイアは一人、外にいた。 ベンチに座り、動かす手が書いているのは一通の手紙だ。部屋で書けば同室のルシールの睡眠を邪魔してしまうかもしれないと気遣って外に出たのだが、そんな彼女を見付けたのが、マチェクだった。 「一人で何をしているんだい?」 普段通りの表情。 状況は限りなく彼らに不利であるはずなのに、その態度は相変わらず。 「マチェク君こそこんな時間に外で何をされているのでしょう。秋桜さんに監視されていては村の娘さん達と遊ぶ事も出来ないでしょうに」 シノビの技である「完徹」で寝ずに監視されていることをそう揶揄すれば、マチェクは「まったくだよ」と肩を竦め、フレイアが書いている手紙を覗き込んだ。 そして、眉を潜める。 「まさかとは思うが、それを誰に送るつもりだい?」 「見ての通りですわ」 フレイアも相変わらずの穏やかな笑みで応じる。 「マチェク君達の記録を残し、レディカ夫人にお送りする事で貴方達の行動に関した公正な証拠を残すのです」 その言葉に、マチェクは。 「夜に出歩いて正解だったよ」と、その手紙をフレイアの手元から引き抜いた。 「今更と思うかもしれないが夫人を巻き込まないでくれるかい? 『ファリルローゼ』達ならそう言うと思うが、‥‥これは君の独断か」 フレイアは静かに微笑み、マチェクは息を吐く。 「これは俺の方で処分しておく。‥‥いいね?」 「‥‥仕方ありませんね」 フレイアもまた軽い息を吐くと、ルシールが眠る部屋へ戻った――。 同時刻。 秋桜は木の上から見える窓の向こう、優雅に読書中のマチェクを監視していた。町長に部屋を割り当てられ、開拓者達と「また明日」と別れて以降『一度も外へ出ていない』彼を訪ねたのは傭兵団の仲間だけであり、その会話も、盗み聞く限り他愛のない世間話。マチェクに口止めでもされたのか、町で集めた情報に関する話はただの一言も出ては来なかった。 (どういうつもりなのでしょうな、まったく!) そんな秋桜の心の声を聞きでもしたのか、または夜風に当たりたくなったのか、窓を開けたマチェクは樹上にいる秋桜を見付けて手を振る。 (!) 実に腹立たしい笑顔だ。 秋桜は手早く懐の帳面を取り出すと、一枚破って筆を滑らせ、紙飛行機を折って飛ばす。 コントロールは抜群。見事マチェクの部屋に飛び込んだそれを彼が開けば、書いてあったのは『暇』の一文字。 部屋で彼は肩を震わせ、再度彼女を振り返ると口だけを動かす。 『む り を す る な』 (誰のせいだとお思いか!?) 内心で怒る秋桜は、正直、苛立っていた。 自分達にも領主が放ったと思われる監視が付いている事に気付いてからは、尚更に。 ● 気付けば誘われていた眠りの中、ルシールは彼の姿を追い駆けていた。 領主邸で顔を合わせた時に見せられた、仕方ないと諦めたような彼の表情。 それは呆れているのにも近かった。 彼の心の声が、聞こえた気がした。 (それでも‥‥っ) ギルドで赤いペンダントを探して欲しいというレディカ夫人からの依頼を見かけた時には酷く嫌な予感がした。一方でマチェクを監視しろという依頼を見付け、‥‥その依頼主が領主だと知った時には、彼があえて渦中に身を投じたのだと判った。 自分を囮にすることで相手の動きを誘う、彼はそういう人だ、と。 そんな彼を知らない誰かに任せる事など出来ないから。 (貴方に何と思われようと‥‥!) 一緒に依頼を受けた彼女達と同じような信頼を得られていないのは判っている。それでも自分は彼を信じている。 (惚れた男を信じて何が悪い!) 叫ぶ少女に、追っていた彼が振り返った。 夢の中、不敵に微笑む彼は言う。 「赤いペンダントを追う事で救える命があっただろうに、君は惚れた男を優先したわけだ」 「それが開拓者の選択かい?」 「‥‥それが、騎士の選択かい?」 ――‥‥!! 少女の呼吸が止まった。 冷水を頭から浴びせられたような、急激な冷えが全身を襲う。 「 ‥‥さん‥‥!」 誰かの、声がする。 「ルシールさん!」 「!?」 ハッとして飛び起きたルシールは、同時に激しい眩暈と咳に苦しむ事になり、その背を優しく撫でるのは同室にいた‥‥否、いま外から戻って来たフレイアだった。 「‥‥っ」 悪夢を見たのだと、判る。 だが、何が起きたのかは判らなかった。 (私は‥‥いま、死に掛けた‥‥?) ● 同じような夢で、近郊の村で単独行動を取っていた律が死に掛け、偶然の不審火で宿の主人に叩き起こされていた事を仲間が知るのは、律から話を聞いた後の事。 更に、それから二日後にはレディカ夫人の農場が夜盗に襲われ、夫人を含む十数名の負傷者と、二名の死亡者が出た。 マチェクが農場に潜り込ませていた、傭兵団員二名が――。 『自分』が裏で糸を引いている証拠を掴まれる心配は無いという自信があればこそ――全てをマチェクに背負わせられると確信しているからこそ、悪意は闇に蠢く――‥‥。 |