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■開拓者活動絵巻 |
■オープニング本文 ● 「まだ言わなくて良いと言ったのに」 「す、すみません‥‥っ」 傭兵団の仲間が集まるその席で、困ったような笑みを覗かせるスタニスワフ・マチェク(iz0105)に対しアイザック・エゴロフ(iz0184)が小さくなって謝罪するばかり。もはや謝る以外に言葉が無かった。 首都ジェレゾ近郊の質屋でアイザックが『赤いペンダント』を目撃してからそろそろ一月、いまだ行方が判らないそれを傭兵団はマチェクの指示のもと探索して歩いていた。アヤカシの混成軍に村を襲われたという青年にも詳しい話を聞いて来たが、赤いペンダント以外の特徴はまるで頭の中に霞が掛かったように思い出せないと言うし、謎と疑惑は深まるものの探索は正直手詰まりという状況だ。 そんな中で、アイザックが共に依頼を受けた開拓者達にかつての『ヴァイツァウの乱』で帝国側に没収されたはずの、ロンバルールの赤いペンダントが流出したかもしれないと話してしまったのは、‥‥果たして吉と出るか凶と出るか。 「まぁ、いつまでも隠しておける話ではないからな。仕方ないさ」 「すみません‥‥」 やはり謝罪の言葉を口にして小さくなるアイザック。 そんな青年の背後から「ボス」と声を掛けて来たのは副団長のイーゴリ。 「レディカ夫人から手紙ですよ」 「夫人から?」 「ディワンディが預かって来たそうです」 ジェレゾに程近いジルベリア東部の土地で広大な農場を経営するレディカ夫人には団員達に仕事を回して貰っているという点でも随分と世話になっており、ディワンディには彼女の農場に食糧の調達などで度々赴いて貰っているのだが、夫人には時々妙な事を思い付く癖(?)があり。 「また何か計画されたか」 マチェクは苦笑しつつ預かって来たという手紙の封を切った。 ● 二日後、マチェクはレディカ夫人に指定された廃屋の前に佇んでいた。 三年前に此処で一人暮らししていた婦人が亡くなって以降、引き取り手もなく寂びれていく一方の建物は壁一面に枯れた蔦が絡みつき、周りは雪に埋もれて判り難いものの誰が捨てたか不明の廃棄物が山になっている。 屋内は比較的原型を留めているらしく壁や床に穴が開いていると言う事はなく、引き取り手が無いというだけあって、婦人が亡くなられた頃のまま残る家具一式。二階に三部屋、一階に二部屋ある寝室は掃除をすれば充分に眠れるだろうし、一階の居間や水回りも使うのに難は無さそうだ。 「‥‥で?」 「ええ」 聞き返すマチェクに、夫人はにっこり。 「この家屋の片付け・補修、加えて暮らすのに不備が無いか実際に体験して下さいなという依頼を開拓者ギルドに出して来ましたの♪」 「それは、依頼を受けた開拓者に任せて良いのでは?」 「あら嫌ですわ、それでは何も面白くないじゃありませんの」 夫人は至極真面目に言い切った。 「片付けに補修、それに暮らすのに支障が無いかどうかの確認という依頼自体は、次にこの家を買う予定の私の知人からの頼みですわ。けれど、よく考えて御覧なさいな。一つ屋根の下で一晩一緒に過ごすというシチュエーション! 心が躍りませんこと?」 ずずいっと詰め寄ってくる夫人に諸手を上げる傭兵団のボス。 熱い瞳で語られては何を言っても無駄な事くらい既に学習済みだ。 「せっかく隊長さんのお名前も依頼書に記載してもらって来たのですから、楽しんで下さいな」 ――それは「楽しませて下さいな」の間違いではないだろうかと思いつつ、こうして廃屋同然の家屋の補修・片付け・実際に寝泊まりしての実地調査にマチェクも参加する事となったのである。 |
■参加者一覧
フェンリエッタ(ib0018)
18歳・女・シ
ルシール・フルフラット(ib0072)
20歳・女・騎
リディエール(ib0241)
19歳・女・魔
フレイア(ib0257)
28歳・女・魔
風和 律(ib0749)
21歳・女・騎
アルマ・ムリフェイン(ib3629)
17歳・男・吟
レジーナ・シュタイネル(ib3707)
19歳・女・泰
ミレーヌ・ラ・トゥール(ib6000)
13歳・女・騎 |
■リプレイ本文 ● 端的に言えば廃屋同前の家屋を修繕して二泊三日のお泊り会をして欲しいというのが今回の依頼だったわけだが、依頼を受けた以上は完璧にこなすのが開拓者。 というわけで埃を吸い込まないよう口元を布で覆い、長い髪は一つに纏め、エプロン装着。袖を襷掛けで固定した一同は早速それぞれの持ち場に移動した。 そんな中で居間の暖炉の前に集まっていた四人。 「どうだい?」 声を掛けるマチェクに答えるのは、燃やした紙を火ばさみで煙突の真下に運んでいたフェンリエッタ(ib0018)。 「このままじゃ煙が全部室内に流れて来そうですね‥‥」 「なら、俺が屋根から煙突に入って煤払いをするから、アルマ、君には中から暖炉の掃除を頼めるかな」 「もちろんっ」 アルマ・ムリフェイン(ib3629)が笑顔で頷くと、フェンリエッタも笑顔で「お願いします」と声を掛ける。 「私達はお二人が真っ黒になっても良いように、お風呂掃除を頑張りますから」 「此処の浴室は広いから掃除も大変だよ」 「皆で協力すれば、きっとあっという間に終わるでしょうし‥‥それに、大勢でお風呂に入るのも楽しそう」 「おや、それはお誘いと受け取っても良いのかな?」 「ダメに決まっているだろう!」 マチェクの悪乗りに即却下の声を上げたのは、フェンリエッタの姉、ファリルローゼだ。 今回の依頼に向けて妙に楽しそうな妹の様子が気になって付いて来てみれば、案の定。こうなったらマチェクが大事な妹に悪さをしないよう目を光らせると宣言した彼女は、早速その役目を果たそうとしたのだが、彼女の反応を見越していた二人は楽しげに笑うばかり。 そんな彼らに「賑やかですね」と声を掛けて来たのは、これからレディカ夫人の農場から今回の宿泊に必要な物品を借りに向かうリディエール(ib0241)。彼女の傍にはレジーナ・シュタイネル(ib3707)と風和 律(ib0749)の姿もあった。 「夫人の所へ行くのかい?」 「ええ‥‥」 マチェクの問いに応じるリディエールの視線が無意識に逸れるも、それを指摘する者はなく。 「しかし、まさか律までこういう依頼を受けてくれるとはね‥‥そんなに俺とお泊まり会がしたかったかい?」 「か、勘違いするな!」 何度も言うようだが今回の依頼は廃屋修繕とは名ばかりの、メインは皆で過ごす夜の時間。その事を揶揄する傭兵に、律の眦が吊り上る。 「私がこの依頼を受けたのは貴様が不届きな真似をしないよう見張る必要があると感じたからだ。不埒な行いをしようものなら問答無用で切り捨ててやる」 「その時には私も手伝おう」 律に同意し、大きく頷くファリルローゼ。 マチェクは笑う。 「そんなに俺は信用が無いかな」 「間違いがあるはずなんて無いのに」 「フェン‥‥どうしてそこまでマチェクを信用して‥‥」 「だって、ね?」 「だよ」 フェンリエッタとマチェクが楽しげな笑みを交わせば、拳を震わせる女騎士達。一方で、彼女達の大人な会話に小首を傾げていたレジーナは、リディエールが一人先に外へ出た事に気付いた。 「ぁ、えと‥‥行って、来ます‥‥」 「気を付けていっておいで」 そう見送る傭兵に、少女ははにかんだ笑みで応えるのだった。 同時刻、家屋では各寝室の掃除が始まっていた。 レジーナと同室のルシール・フルフラット(ib0072)、律と同室のミレーヌ・ラ・トゥール(ib6000)が各部屋の窓を開け放ち、ベッドに敷かれたままだった布団を静かに剥ぎ取っていた。口元には布を当てているというのに飛散する埃に咽てしまうなど、先行きが思い遣られる状態に辟易としつつも、埃塗れの布団を『廃棄』として袋に詰めて外へ出し、上から下へ順序良く室内の埃落としに取り掛かるルシール。 やらねば終わらないのだから手を止める時間が勿体ないと言わんばかりの勢いだ。 一方のミレーヌは埃が原因で目に涙まで滲ませながら、心の中では今頃煙突に潜っているであろう傭兵に毒づいていた。 廃屋の修繕と調査、楽過ぎる仕事内容を騎士が受けるべきものではないと感じながら、それでもわざわざ請けてしまった原因は、あの男! (何で出張って来るのよ!) 依頼書にスタニスワフ・マチェクの名前が無ければこんな依頼は受けなかった。 そんな事を本人に言えば「そこまで俺に恋焦がれてくれているとはね」なんてふざけた事を言って来るのは明白――その想像だけでミレーヌの胸中には怒りが渦を巻く。 (絶対に許さない‥‥!!) 冷静に見れば少女の勝手な鬱憤を傭兵が一方的に被っているだけなのだが、其処は男の「日頃の行いがものを言う」と言う事らしい。 そしてリディエールと同室になるフレイア(ib0257)は、部屋の掃除に先んじて家屋の全室を確認。更には屋外も歩いて周辺の状況を見て回っていた。 無人の館といえば幽霊か、密会場所として後ろ暗い誰かが内緒で利用しているというのが定番だ。彼女としては以前に依頼で同行した騎士の青年――実際には傭兵団の一員であったアイザックのボスがこの依頼に参加するというから興味を惹かれて参加してみる事にしたものの、集まった少女達には何やら様々な事情がある様子。 初心な少女達と色男。 楽しい『お泊まり会』にするためにも懸念事項は早々に片付けておいた方が良いと考えたのだ。 (周辺に不審な足跡も噂話もありませんでしたし、問題は無さそうですね) そうと判れば後は屋内の掃除に専念するのみと、気持ちも新たに屋内へ戻るフレイアだった。 ● 真っ先に綺麗に拭かれた居間のテーブルの上には、フェンリエッタとレジーナが持参したキャンディボックスが置かれていた。 キャンディだけではない。 皆が慌ただしく動き回る中でも昼食を抜かずに済むよう、一口サイズに作られたサンドイッチ、ウィンナー、揚げ物類はリディエールが持参したものだったし、暖炉が使えるようになったらその火で炙って食べようと言う思いを込めてレジーナが手作りし、袋に詰めて来たのはマシュマロ。 フェンリエッタ直筆の「疲れたら一休み」と書かれたメッセージカード。 少女達の温かな心遣いが黙々と作業を進める仲間達を励ます。 各寝室から使えないと判断した物を運び出した後は、天井から壁、窓枠、今後も使えそうな家具という具合に上から下へ埃を落とし、床は茶殻を撒いてから掃くと効率的だというリディエールの生活の知恵も活かしながら清掃作業はどんどん進められていった。 水拭き、乾拭き、消臭作業。 各自、寝室掃除が終われば居間や台所といった共有スペースに移動して更なる掃除。 『志体持ちの開拓者だから』というのも大きいだろうが、何年も廃屋同然だった家屋は驚くべき速さで以前の姿を取り戻そうとしていた。 ● その日の夕食はルシールが得意だというシチューと、レジーナ、リディエールが手伝ったメインの肉料理にパンとサラダが食卓を彩る。一日で台所がどれくらい使えるようになるかが不明だった為、複雑ではない献立にした甲斐もあって、味も量も満足のいく、それでいて体の温まる食事になった。 ただ、初日だと言う事、清掃・修理日程に期限が有る事なども重なり、進められる所まで進めてしまおうと張り切った結果、夕食の時間が遅くなってしまった。 そのため今夜は早めにお風呂で温まり、休もうと言う話になる。 「あ、じゃあこれ! どうぞっ」 女性陣から先に風呂を使う事が決まると、アルマが差し出したのは『桜の花湯』という入浴剤だ。この家屋の浴室は、ジルベリアには珍しく湯船が備え付けられているもので、一日中掃除で酷使した体を湯船でゆっくり休めて欲しいというアルマの心遣いに、女性陣は心から感謝した。 「桜のお湯‥‥」 レジーナが嬉しそうに頬を緩め、代表してそれを受け取る。 「ありがとうございます、アルマさん」 「喜んでもらえて良かった! ‥‥で、ワフ隊長は。ね」 「ん?」 聞き返してくる彼の腕に、腕を絡めて。 ソファに並んで座って、拘束。 「アルマ?」 「‥‥だって、ほら」 はっきりとは言い難そうにしているアルマに、一人、また一人と笑い出す女性陣。一方で腕を絡められたマチェクは、理由を正しく察しながらも面白そうに「なるほど?」と。 「アルマがそんなに俺と触れ合いたがっていたとは、‥‥気付かなくて悪い事をした」 「え。‥‥えっ?」 あっさりとソファに押し倒されるアルマ。響く悲鳴。 助けるべきかと迷うリディエールやレジーナ、ルシール、ファリルローゼに「大丈夫、あの二人は仲良しだもの」と楽しんでいるフェンリエッタとフレイア。 対してわなわなと拳を震わせていたのはミレーヌだ。 「見境なくちゃらちゃらとしているのは女相手だけかと思えば男までも‥‥!」 「おや、知らなかったのかい?」 「ちょっ、ワフちゃ‥‥!?」 完全に面白がって嘯くマチェクと、その下から必死に逃げ出そうとするアルマ。 「お願いミレーヌちゃんっ、助けてっ!」 「――!!」 ミレーヌ『ちゃん』と、その呼び方に少女の額に十字が浮かび――。 「馴れ馴れしく呼ぶなーー!!!!」 「きゃーっ!」 アルマが叫ぶ。 狭い部屋で剣を振り回す騎士の少女からは、掃除、修繕した部屋の物品を壊すかもしれないという可能性が完全に排除され、繰り広げられる大乱闘。 「‥‥くだらない」 律は軽い溜息を吐くと、剣を片手に浴室の前を陣取る。やはり女性陣の身の安全は自分が守らなければならないと結論付けたらしかった。 ● 結局、暴れるミレーヌはルシールとファリルローゼに取り押さえられ、宥められながら風呂場に連れて行かれた。 湯で温まれば少しは落ち着いたらしく、体が冷めぬ内に眠った方が良いと諭されて寝室に向かう途中、フェンリエッタが手渡したのは暖炉の火で熱した拳大の石を布で包んだものだった。 これを布団の足元に入れて置くだけで温もりが随分と違う。 火があるのは居間だけだし、まだ春には早いジルベリアの夜を凌ぐにはとても効果的な道具なのだ。 ほっこりとする温もりに、更に和んで寝室に戻ったミレーヌは、‥‥だがしかし、寝間着を出そうとして固まった。 (‥‥迂闊だったわ) 荷物の中に納まっているのは立派なネグリジェ。 普段、男装をしている身としては女性用の衣類に身を包んだ姿を他人に見せるのは抵抗があるわけで。 同室の律は最後に風呂に入ると言っていたから、まだしばらくは戻って来ないだろうが‥‥。 (くっ‥‥) ともかくこれを着て寝るわけにはいかないと結論付けたミレーヌは、ネグリジェを鞄の中に押し戻し、肌着姿のままで毛布に包まる。 寒い、けれど。 布に包まれた石を抱き締めればそれも緩和され、日中に掃除を頑張った分だけ心地良い眠りが少女を夢の世界へと誘った。 風呂上りに素直に寝入る少女がいれば、同室になった相手との会話に花を咲かせる二人もいる。レジーナとルシールがそうだった。 同じ年齢、同じ身長、大人びた外見。 更には兄弟が多いという共通点まで持つ二人は、機会があればゆっくり語り合ってみたいと思っていたのだ。 「すぐ下の弟とは何度か会っていますよね」 ルシールが言う。 自分の弟妹は皆とっても優しい子で、姉として嬉しく思う。ただ一人、たまに依頼で顔を合わせるすぐ下の弟だけは困った所もあるけれど、と自分と似た面差しの少年を思い浮かべてガクッと枕に顔を埋めるルシールに、レジーナは微笑う。 困ったように言うけれど、その様子からは可愛がっている事もちゃんと伝わって来たからだ。 「私は、姉が一人‥‥兄が五人、いて」 今度は自分の番と、レジーナは語る。 「上の兄、が‥‥誰より好きで‥‥小さい頃から、何でも兄の真似を‥‥」 そうして見せる、腕に刻まれた入墨。 「これも、真似して‥‥でも今は‥‥」 ふと少女の声の調子が変わった。 ルシールはじぃっと少女の顔を見る。 「あ‥‥えと‥‥」 その視線に気付いたらしく、今度はレジーナが朱色に染まった顔を枕に埋めた。 しばらく続く、静寂の時間。 ‥‥静かだけれど感じる、誰かの気配。 「家の中の、たくさんの人の気配‥‥懐かしくて、嬉しい、です」 ぽそっと紡がれるそんな言葉に、ルシールも頷いた。 「そうですね」 目を閉じれば感じられる人の気配は、懐かしい夜を思い出させた。 ● 一人、また一人と眠りにつく夜。 全員の寝室の、二台のベッドの間に置かれたサイドテーブルには金木犀のポプリが置かれていた。それはリディエールが、廃屋特有の匂いが就寝する皆の妨げにならないよう考えて用意して来たものだったが、更にその下――ポプリを置いた、かぎ針編みのモチーフを繋げた敷物はファリルローゼが手作りしたものだ。 彼女達の心遣いが、今日まで無人だった廃屋に温かみを宿らせるから不思議なもので、それに触れるマチェクの表情も心なしか穏やかに見える、‥‥と、同室のアルマは思った。 そうして「‥‥うんっ」と体を起こすと、鞄に入れて来た葡萄酒とヴォトカを取り出して傭兵の前に。 「‥‥飲まない?」 問うた彼に、相手は微笑う。 「なら居間で飲もうか。布団を汚しでもしたら夫人に何を妄想されるか判ったものじゃないからね」 「う、確かに‥‥っ」 そうして二人、居間に戻れば室内は微かに燃えている暖炉の火で、まだ暖かった。何かつまみになる物を作ろうと言って台所に立つマチェクの姿を、ソファに腰かけてぼんやりと眺めていたアルマは、無言で居るのも妙な気がして話し掛ける。 「‥‥ワフ隊長、いつもより意地悪だったのは僕があんまりアイちゃんって言うから寂し‥‥」 先刻の押し倒された件を思い出しながら話し掛けて、相手のにやりとした笑顔に慌てて首を振る。 「って言うのは冗談! 全然冗談っ」 左右に振る首と連動する銀色の尻尾。 ただ、否定はしてもやはりいつもと違うと感じる心までは否定出来なくて。 それが何なのかも定かではないけれど。 「‥‥ワフちゃん、大丈夫?」 「ん?」 「女の子は、鋭いよ?」 何気ないアルマの言葉にマチェクは一瞬だけ真顔で見返して来たけれど、それは本当に一瞬のこと。 「流石は吟遊詩人と言うべきかな――アルマ、君の言葉はまるで音楽のようだよ」 「え?」 どういう意味かと尋ねてもマチェクは教えてくれない。ただ、その笑顔が好意的なものである事は確かだった。 ――そうして闇に沈む家。 マチェクも、アルマと飲んだ酒が良い具合に効いて眠っていたが、ふとした拍子に扉の向こうの人の気配に気付いた。 時間は判らないが、窓から見上げる月の位置で朝がそう遠くない事を知るも起床には早過ぎる。 一体誰がと思いつつ足音を忍ばせて扉に手を掛けた。 その頃、居間の暖炉の前に居たのはフェンリエッタだった。 どうしても眠れず、朝が近いなら皆のために火を熾しておこうと此処まで来たが、これから燃え盛ろうという小さな種火を見ていると、眠れぬ原因でもある嫌な予感が胸中に募る。 (アヤカシが絡んでいた皇帝陛下の暗殺未遂事件‥‥あった事になっている) とある人物からの依頼を受けた自分達が確かに未然に防いだはず、の。 (‥‥国の中枢にも動きがある‥‥) 更には先日の、アイザックから聞かされた『赤いペンダント』の事。 (あの時、ロンバルールは瘴気に還らなかった‥‥もしも本体がペンダントとして存在しているのだとしたら‥‥) その本体は、これからどのような行動に出るのだろう。 疑われている事を知れば身を隠す? だが、もしもそれの望みがあの乱の時と同じく帝国を血に染める事であれば、利用出来るものは利用するだろう。 例えば、あの乱で結果的に自分を裏切る事になった傭兵団――。 「‥‥マチェクさんは、どうお考えなのでしょう、ね?」 「さて、それはどういう質問なのかな」 「!」 不意に背後から声を掛けられ、驚いて振り返れば部屋の扉を閉めて歩み寄って来るマチェク本人。 「おはよう。随分早いが、体は冷えてはいないかい?」 「ええ、それは大丈夫で‥‥」 そもそも自分は火の前に居るからと言い掛けたが、それより早く、マチェクは羽織っていたガウンを肩に掛けて来た。 「‥‥俺が何を考えているのか、聡い君には想像が付いているかもしれないが、‥‥今はまだ、話せる事は何も無いよ」 それが正しく自分の疑問への答えだと気付き、フェンリエッタは彼の顔を見上げた。その真っ直ぐな視線にマチェクは頷く。 「ただ、これだけは約束しよう。確証を得て、君達の協力が必要だと感じた時には頼らせてもらう。傭兵団だけで先走る事はしない」 「マチェクさん‥‥」 「ありがとう」 「――」 感謝の言葉に目を瞠ったフェンリエッタは、‥‥けれど、微笑う。 「ありがとう」は自分の台詞。 そして、きっと。 「‥‥フェン」 廊下から聞こえる呼び声に振り返ればファリルローゼが立っていた。 「目が覚めたら隣にいないから心配したけれど‥‥大丈夫そうね」 「お姉様‥‥」 何も聞かずに自分を抱き締めてくれる姉の、腕の温もり。 「火は俺が見ているから、もう少し寝ておいで」 マチェクの温かな言葉には、そうさせるという意味を込めてファリルローゼが頷く。 「一つ、聞かせてくれないか」 言いながら、その視線が往復するのは彼と腕の中の妹。 「‥‥君にとって、傭兵団はどんな存在なんだ?」 一つの質問に三人の視線が重なり、マチェクは吐息のように微笑う。 「さて、‥‥どんな表現が適切か悩むところだが、今そうして君が抱き締めている存在に近い、かな」 一つの言葉では言い表せない大切な――その答えが全てだった。 ● その後、最初に起きて来たのはフレイアだった。彼女が一日の長だと自負し焼いたパンと、アルマ、マチェクが作った男の卵料理で朝食を取ってから再開される掃除と、本格的な修繕作業。 特に家屋の周りに散乱している廃棄物の清掃は一日中外での作業になった。 相応の酷な作業に、(こんなの騎士の仕事じゃないっ)と半ば拗ねた様子で廃棄物を剣で叩き壊すなどしていたミレーヌだったが、休憩中にルシールが配った甘酒や、リディエールが用意してくれた昼食に気力、体力を回復させながら、陽が落ちる前には家屋の周りも大分見られるようになっていた。 後は明日、出発前に全員で後片付をすれば問題なく依頼は完遂出来るだろうと判断された頃、屋内から漂ってくるのは空腹に染み入るソースの匂い。 屋内で作業をしていたリディエールやフレイアが夕食の支度を済ませてくれていたのだ。 全員揃っての食事は、昨日に比べて心にゆとりがある分だけ楽しい時間となり、食事が済んでからも会話が弾んで席を立とうとする者はいなかった。 そんな中で、この機会を逃せば渡せなくなると判断したルシールがマチェクに差し出したのが手作りのクッキーだった。 「少し遅くなりましたけれど‥‥バレンタインの一月後にはお返しをする、という習慣も、ある所にはあるそうですから」 「お礼を貰えるような事をした覚えはないのだけれど、ね」 素直に受け取りつつも、どこか複雑そうな笑みを浮かべるのは彼なりの「自覚」があるからなのか。 手作りの味を「美味しい」とマチェクが言えば、いっそう和む居間の雰囲気。 リディエールは席を立つと、他の皆には内緒で夫人に頼んでいた牛乳とチョコレートを使って全員分のホットチョコレートを用意した。 甘い香りが緊張をも和らげてくれる事を願い、切り出すのは、‥‥アイザックの事。 「その後、お元気ですか‥‥?」 リディエールが決して目を合わせようとせずに問い掛ければ、マチェクは「何の事かな」と意味深に笑うだけ。 これには居間の雰囲気が微妙に強張った。 これまでの二日間でマチェクの人柄をそれなりに把握したフレイアは、まったく傭兵団員の気苦労が目に浮かぶようだと思いつつ、リディエールの問いを補足しつつ繰り返す。 「先日、アイザック君と依頼をご一緒させて頂いたのですけれど、‥‥赤いペンダントの件を私達に話した事で随分を気落ちされていた様子。その後はどうなのでしょう」 フレイアの言葉に一瞬にして室内に走る緊張。 赤いペンダント。 その単語に目を瞠った者も少なくない。 フレイアは言葉を重ねる。 「去年のジルベリア南部で起きたヴァイツァウの乱――あの際にロンバルールが所持し、いま巷に流出したと考えられるペンダントの行方は掴めたのでしょうか? 帝国に保管されているはずのものが質屋を通じて盗賊の手に渡り、行方不明――そんな貴重な情報を、傭兵団で独占してしまうのは如何なものかと思いますが」 「マチェク、それは本当かっ?」 律が食って掛かるも、当の本人は涼しい顔のまま。 「落ち着けと言っても難しいだろうけれど、情報を独占するつもりはないよ。確証の無い事を言い触らす趣味は無い、というだけの話さ」 「しかしっ」 「だから今も、その件で君達に語る事は何一つ無い」 「だが‥‥っ」 律が食い下がるも、マチェクから情報を引き出す材料を持たない己を自覚して唇を噛み締めるしかなく、また、早朝のやり取りから得るものがあったフェンリエッタは沈黙を守るだけ。 状況が巧く呑み込めずにいるミレーヌや、ヴァイツァウの乱を知りつつも赤いペンダントの事は初耳だったレジーナやアルマ。 動揺の広がる室内に、マチェクは軽い息を吐く。 「さっきも言ったが、確証のない話をするつもりはない。‥‥ただ、何らかの確証を得さえすれば、君達の協力を仰ぐ事もあるよ」 それきりマチェクは口を閉ざした。 開拓者達は何も聞けない。 傭兵団を率いる彼の態度は、それほど強固だった。 ● 夕食後の一時で眠れない夜を過ごす事になった者も少なくなかったのだろう。マチェクは隣のベッドからアルマの姿が消えている事に気付いて外に出た。 其処で聴こえて来たのはフルートと竪琴の二重奏。 アルマと、恐らくはフェンリエッタだ。彼女は今夜も眠る事が出来ず、外でアルマと意気投合したのだろう。 しばらく管弦の二重奏に聞き入っていると、不意に雪を踏みしめる足音が聞こえて来る。 「おや」 顔を上げれば、夜着の上にガウンを羽織ったリディエールの姿が。 彼女もこの音楽に惹かれて外に出て、彼に気付いたらしかった。 「‥‥御邪魔、してしまいましたか」 「いや。一人で聴くには勿体ないと感じていたところだよ」 マチェクの返しに安堵したのか、リディエールは表情を和らげると彼の隣に立ち止まった。瞳を伏せ、耳を澄ませれば世界を包み込むような銀の音。 優しくて、祈りに似ていて。 何気なく見上げたマチェクの横顔も穏やかに見えたから、リディエールは今ならばと思う。 「あの‥‥」 「ん?」 「お茶会の時は、嫌な事を思い出させてしまったようで‥‥ごめんなさい」 「嫌な事?」 リディエールの謝罪にマチェクは何の事かと疑問に思うが、お茶会の、その後の買い物の際の出来事かと思い当たる。 そして、それを気にしていたからこそ、今回の依頼で顔を合わせて以降、自分を避けるようにしていたのだろう。 「謝ってどうかなる事ではありませんけれど‥‥ずっと引っ掛かっていたので」 リディエールはどこか寂しそうに微笑むと、静かに頭を下げた。 「それでは、おやすみなさい」 すっ、と‥‥風が流れるような動きで踵を返して立ち去ろうとするリディエールの背に、マチェクは考える。 そうして、呼び止めた。 「リディエール。君に一つだけ本音で語ろうか」 「え‥‥」 「俺は基本的に他人を――特に女性は信頼しないんだ」 振り返り目を丸くする彼女に、彼は微笑った。 「命を、という話も‥‥まぁ理由の一つにはなるけれど、信頼していない相手は所詮他人だ。何処で何をしていても、俺の言動で傷付いたとしても、全く気にならないし‥‥他人の言動に一喜一憂するのも無駄でしかない。だから君も、些細な事を気に病む必要は無いんだよ」 酷い事を普段通りの笑顔であっさりと言い放つ傭兵に、リディエールの胸中に募る思いは、‥‥怒りに近い。 「‥‥本気で言っているんですか‥‥?」 その言葉を、彼は他の少女達の前でも口にするのだろうか。稚い恋心を大切にしているレジーナや、ルシール。 彼女達の前でも‥‥? そんなリディエールの心中を雰囲気から察したのか、マチェクは言い切った。 「本気だよ」 と、直後。 マチェクに歩み寄ったリディエールは、彼の頬を平手で叩く。 「最低、です」 与えた衝撃よりも、手の平に残る熱に痛みを感じて顔を歪める彼女に、マチェクは。 「‥‥自分の感情よりも人の気持ち。怒るのも他人のため。‥‥たまには君自身の本心を曝け出してくれれば少しは信頼してみようかという気になるんだが、ね」 「――っ!」 試された? そう察すると同時にリディエールは踵を返して屋内に駆け込んでいた。 「‥‥っ」 本心を曝け出せ、なんて。 そんなこと――。 「‥‥で、君達はいつまで覗いているつもりだい?」 「わっ、ぁ、たっ」 リディエールが去った屋外、マチェクが声を掛ければ彼の背後から慌てて態勢を立て直そうとする二人分の動作音。 くすくすと笑いながら其方に近付けば、建物の角を曲がった壁際にぴたりとくっついているアルマとフェンリエッタの姿があった。 「わ、ワフちゃん‥‥気付いてた‥‥?」 「音楽が聞こえなくなったからね」 ばつの悪そうな顔を見合わせた二人は、揃ってマチェクに複雑な視線を寄越す。 だから彼は。 「何か聞きたい事があるなら今の内だよ?」 「!」 ぴょんと真っ先に反応したのはアルマの尻尾。 「ワフちゃ‥‥ワフちゃんっ、女の子信じないって、本当‥‥?」 何故か泣きそうになっているアルマに困った笑みを見せつつ「本当だよ」と返せば、フェンリエッタが「でも」と口を開く。 「マチェクさん‥‥信頼している女性もいるでしょう?」 「例えば?」 聞き返すと、二人は顔を見合わせて、同時に、一言。 「律ちゃん(さん)」と声を揃えた。 マチェクは笑った。 「確かに、あそこまで頑なに『騎士』でいられると疑う余地が無いな」 「それにフェンちゃんの事も、だよね?」 アルマの確認にマチェクは静かに微笑った。 以前に「マチェクさんは誰の事も受け入れないから誰にでも優しい」と本人に向かって言い切りながら、それでもなお純粋に慕ってくれている彼女の存在が嬉しいと思えた、‥‥思わせてくれた事に、感謝している。だからマチェクは、幾度も傷つき、挫折を味わい、それでも懸命に立ち上がろうとしている少女が笑顔でいられる事を祈り続ける。 「お姉様の事も、信じて貰えると良いのだけれど」 そんな彼女の言葉にマチェクは微笑った。 「今度ロゼに聞いてごらん」 「え?」 「ロゼだけが俺にし続けてくれている事があるけれど、それが何か判るかい、と」 「――」 「それって‥‥」 驚いた様子の二人にマチェクは笑みを深めた。 「教えないよ」と、楽しげに。 信じられない、というわけではない。 マチェクにとっての「他人」は有益か有害か、その他か。その三種に分けられるというだけの話だ。 彼が抱えているのは自分一人の命ではなく、百余名の仲間の命。 彼が率いる傭兵団の誇り。 それ故に基本的に「他人」を受け入れる必要が無いというだけで、心揺す振られる事があれば信頼を寄せて心開く事もあるし、近頃は相手が幼過ぎて信じたり疑ったりする以前の関係も生じている。 その事を、‥‥本人達も恐らく気付いているだろう。 想いを告げた今も変わらず接してくれる彼の態度を嬉しく思う反面、悔しくも思うレジーナがそうであるように。 月を相手に悪意から人を守りたいとぼやくルシールが、夜の闇に心を彷徨わせたように。 (自分が恥ずかしい‥‥っ) 布団の中、髪を掻き乱す律の胸中を占めるのは後悔と自責の念。 ロンバルールのペンダントが絡んだ事件に気付きもせず、人を守る騎士だのと声高に叫んで見せていた自分を思い出すと、堪らなかった。 あの盗賊退治の依頼の時、逃げようとしていた一人をアイザックが捕えたと聞いた時に覚えた違和感――倒したと言う割にアイザックが浮かない表情をしていたのは、きっとマチェクが手を貸していたからだ。 それ以前に、盗賊の一人が肩を射抜かれていた事もそう考えれば辻褄が合うから。 (‥‥本当に、馬鹿馬鹿しい‥‥) 律はベッドの脇に置いた鞄を――その中に入っている衣装を見つめるも、そう呟くと同時に頭から布団を被って視界を閉ざした。 自分の愚かさが、許せなかった。 陽が昇れば最終日。 各自が家屋修繕依頼の仕上げを済ませ、フェンリエッタが纏めた、自分達では手に余る部分の修繕リストをレディカ夫人に手渡せば束の間の休息は終わりを告げる。 ‥‥その後は何処へ続くのだろうか。 一つの終わりは新たな始まり。 ならばこの先にある始まりは――‥‥。 |