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■オープニング本文 ●二月の十和田家の庭は 花韮、山茱萸、沈丁花。 蕗に菜の花、福寿草。 開拓者が多く暮らす事から開拓者長屋と呼ばれる居住区の一角に佇む、日々季節の花が咲き誇る十和田家は、今日も先月から咲き始めた梅と藪椿が見頃を迎えて華やかさを増していた。 家主の名は十和田藤子。 藤の美しい季節に生まれたから藤子と名付けられた彼女は御年七〇歳。数年前に最愛の夫を亡くして以降はたった一人でこの家に暮らしているが、彼女が育てる花の美しさは長屋でも評判で、客足の絶える事がなかった。 穂邑(iz0002)もその内の一人。 昨年の五月に開拓者達の協力を得て藤子の誕生日を祝って以降も頻繁に此処を訪れては、花とお茶とお菓子と、のんびりとした会話を楽しんでいた。 「今年は藤の花も咲いてくれるでしょか」 「そうねぇ。今年はまだ難しいかもしれないけれど、きっと来年、再来年には綺麗な花を咲かせてくれますよ」 開拓者達が設えてくれた新しい藤棚に、やはり開拓者達が植えてくれた藤の苗。あの頃に比べれば随分と枝も伸びて藤らしくなったけれど、花が咲くには未熟。だからこそ、また咲いてくれるようになるまで元気でいなければと語る藤子の笑顔が、穂邑にはとても嬉しかった。 陽が傾き、風が冷たさを帯び始めた頃、そろそろ帰らなければと立ち上がった穂邑。 「また遊びに来ます!」 「ええ、いつでも来て頂戴。待っているわ」 そう告げ穏やかに笑う藤子に少女も笑い返すけれど、ふと気付いた。 彼女が座る縁側、その後方に広がる室内がしんと静まり返っている事。藤子は、此処にずっと一人でいるのだと。 ●穂邑の懸念 それから数日、穂邑はずっと考えていた。 石鏡であんな事があった直後に連れて来られた神楽の都。置いて行かれた開拓者長屋で、何者かも知れなかった自分と同居してくれた兄様――ゼロ(iz0003)も結婚して新しい部屋に越してしまい、以来、穂邑は思い出がたくさん詰まった長屋の部屋に一人で暮らして来た。 その間に少女の胸中を度々過ったのは「寂しい」という感情だ。 大切な誰かと暮らす日々の楽しさを知ってしまった後に、同じ場所で一人過ごす時間は孤独に近く、夜中に目覚めれば陽が昇るまでが酷く長く感じられた。 そんな時間を彼女も‥‥、藤子も感じているのかと思うと、切なくなる。 最愛の旦那様を失くして数年が経つと言っていたけれど、この寂しさは時の流れが緩和してくれるものだろうか。 「‥‥いいえっ、こんなところで悩んでいても仕方がありませんっ!」 穂邑は意を決して立ち上がると、十和田家に向かって走り出した。 ●そして始まるお引越し 穂邑はそれまで暮らしていた長屋から十和田藤子の家へ引っ越しする事にした。 勿論そうと決めるまでには色々とあったものの、藤子自身、自分の年齢等を考えればこれからの事に不安はあったわけで。 「私も開拓者ですっ。依頼を受ければ依頼料が頂けますから御家賃半分出せますし!」 「お花大好きですからお手入れもお手伝いしますっ」 「か、家事は‥‥っ、け、決して得意な方ではないですけれど、頑張って覚えますので教えてくださいっ!」 必死にそう訴えて来る少女の気持ちを拒む事は出来なかった。 そこで二人は開拓者ギルドに依頼を出す事にした。 内容は穂邑が現在住んでいる長屋から藤子の長屋への、引っ越しの手伝いだ。 二軒の長屋は約一五〇メートル程の距離があり、箪笥が一竿と布団一式、穂邑の衣装が風呂敷一〇包程と、もふらのぬいぐるみが三十個。その他の卓や台所用品等、ゼロと穂邑が同居していた頃に使っていた各種道具は処分する事になる。 また、藤子の家では部屋への家具入れも手伝ってもらう事になるだろう。 「それでですねっ、お引越しが終わった後には皆さんと梅の花を見ながら引っ越しのお祝いをしようと思うのです!」 「引っ越しのお祝い?」 「はいっ」 顔馴染みのギルド職員、高村伊織(iz0087)に聞き返された穂邑は満面の笑顔で告げる。 「お引越しの後には引っ越し蕎麦を皆さんに振る舞うのですって! 開拓者長屋に住んでいる皆さんはもちろん、お友達も呼んであげましょうって藤子さんが♪」 「なるほど」 くすくすと楽しげに笑う伊織は「判ったわ」と少女からの依頼書を受け取る。 「伊織さんも、もしお時間あったらいらして下さいっ」 「そうね、仕事が早く終わったらお邪魔させてもらおうかしら」 「是非です♪ それにそれに‥‥」 穂邑は言いながら一通の手紙を取り出した。宛先はジルベリアらしいが――。 「先日のクリスマスパーティーのお礼に、あの赤髪の傭兵さんもお呼びしようと思うのですっ。お忙しかったら無理強いは出来ないのですけれど、住む場所が変わったら、それをお知らせするのも礼儀なのですよね?」 それも藤子に習ったのだろう。これからの新生活を思い描き興奮しているらしい少女の笑顔があまりにも無邪気で、伊織は笑う。 「頑張ってね」 「はい!」 そうして、引っ越しのお手伝いを募集する依頼書が張り出され――その片隅には「穂邑のお友達の皆様へ 引っ越します!」のメッセージが添えられていた。 |
■参加者一覧 / 朝比奈 空(ia0086) / 無月 幻十郎(ia0102) / 酒々井 統真(ia0893) / キース・グレイン(ia1248) / 喪越(ia1670) / からす(ia6525) / 神咲 六花(ia8361) / リーディア(ia9818) / フェンリエッタ(ib0018) / ルシール・フルフラット(ib0072) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / 琥龍 蒼羅(ib0214) / ミシェル・ユーハイム(ib0318) / ファリルローゼ(ib0401) / 燕 一華(ib0718) / 蓮 神音(ib2662) / ライディン・L・C(ib3557) / アルマ・ムリフェイン(ib3629) / レジーナ・シュタイネル(ib3707) / 八十島・千景(ib5000) / ミレーヌ・ラ・トゥール(ib6000) / ヴァレリー・クルーゼ(ib6023) / サイラス・グリフィン(ib6024) / コニー・ブルクミュラー(ib6030) / 山奈 康平(ib6047) |
■リプレイ本文 ● 「よし、行くぞ」 「せー‥‥の!」 酒々井 統真(ia0893)、琥龍 蒼羅(ib0214)、喪越(ia1670)、山奈 康平(ib6047)が穂邑の部屋で使われていた大きな箪笥を持ち上げた。胴体には朝比奈 空(ia0086)の提案で布団が巻かれ、その角も床などを傷つけないよう当て布が施されている。 箪笥は四人の男達に抱えられて、ゆっくりと少女の部屋から居間へ。 そして土間へ。 外で荷車を準備していた八十島・千景(ib5000)が、後ろ向きに進んでいる喪越に声を掛けた。 「足元に気を付けてください」 「おぅ千景セニョリータ、君の愛は受け取った!」 「愛?」 聞き返したのは、からす(ia6525)と一緒に土間の台所部分で片付け作業を進めていた穂邑だ。 愛、ともう一度繰り返した後で「あ!」と思いつく。 「喪越さんと千景さんは愛を語り合う仲なのですねっ?」 「あらあら」 少女の盛大な勘違いに、千景が面白そうに笑う。 喪越も「チチッ」と箪笥から左手を離して人差し指を立てながら舌を鳴らせば、力の均衡が崩れて傾く箪笥。 「おいっ‥‥!」 「くっ‥‥!」 統真と蒼羅、康平が低く呻くが本人は気にしない。 「良いかい穂邑セニョリータ、俺の愛は空より広く儀の地底よりも深い。つまり俺様に注がれた愛には須らく応える、それが俺流! 穂邑セニョリータも俺と愛を語り合ってみようか♪」 「え、えぇっ!?」 「何でも良いからしっかり持て!」 箪笥の向こうから姿の見えない統真が叫ぶ。開拓者といえど木製の七段箪笥を運ぶにはやはり人手が重要だ。喪越が左手を元に戻す事で傾きを戻した箪笥を、とにかく荷車までと移動を再開する四人。 「あ、愛って‥‥そんな大勢の方と語るものなのです??」 どきまぎしながら言う穂邑に、にっこりと笑う千景。 「愛は人の数だけあるんですよ」 「――」 人の数といえば数千、数万‥‥完全に混乱した穂邑の肩を、からすが憐れむように優しく叩いた。 男衆が箪笥を荷車に乗せている間、穂邑が自分で風呂敷に纏めた衣類の包を空やフェンリエッタ(ib0018)、ファリルローゼ(ib0401)が重さを図り、少しずつ抱えて立ち上がる。 「やはり天儀の衣装は重いな」 「一着あたりに必要な枚数が、ジルベリアの衣装とは違いますから」 ファリルローゼの呟きに空が応える。肌着や襦袢に始まり結ぶ紐や飾り諸々、着るのに手間が掛かる分だけ量も多い。風呂敷十包とはいえ、穂邑が衣装持ちなわけでは決してないのだ。 「布団も、そろそろ運んで良いでしょうか」 アルーシュ・リトナ(ib0119)が、外の箪笥の様子を見ながら言えば、ミレーヌ・ラ・トゥール(ib6000)が「仕方ない」と綺麗に畳まれているそれを抱え上げ――。 「くっ‥‥」 志体持ちとはいえ敷き布団や掛け布団など纏められているそれを幼い少女一人で持ち上げるのは困難。 「無理しなくて良いんですよ?」 くすくすと優しい笑みを浮かべたリーディア(ia9818)が、布団の上半分を貰い受ける、と。 「ふ、ふんっ、余計な事をしてくれる‥‥!」 ミレーヌは言い放ち、半分になった布団を持って部屋を出て行った。 「え‥‥っと、私、何か悪い事を‥‥?」 「‥‥違う、と‥‥思い、ます‥‥」 不安な表情を覗かせたリーディアに、ぽつりと呟くのはレジーナ・シュタイネル(ib3707)だ。以前に此処とは違う場所でミレーヌと同じ依頼を受けた経験のあるレジーナには判る気がする。 「たぶん‥‥照れただけ、だと‥‥」 「私もそう思います」 やはり以前に面識のあるフェンリエッタがレジーナの言を後押ししたなら、ようやくリーディアの不安も取り除かれた。 同時に、ばたばたと近付いてくる足音。 「箪笥、荷車に積むの終わった、よ!」 アルマ・ムリフェイン(ib3629)の陽気な声。 「僕達は何を運べば良いかなっ?」 「でしたら‥‥」 空が何かを言い掛けるより早く。 「アル、こっちこっち」 手招きして彼を呼ぶのは友人のライディン・L・C(ib3557)。 「おまえはコレ」 「えっ、え?」 ぽん、ぽんとアルマに向かって放るのは穂邑がたくさん持っている『もふらのぬいぐるみ』だ。放られたからには確実に受け取っていくアルマだったが。 「ほらもう一個! よ!」 「ちょっ、待っ‥‥!」 七個、八個。 アルマがもふらに埋もれていく。 「あと一個行くぞー」 「ラピィちゃん!?」 放られた最後の一つを頭で受け止めれば、完璧に上半身をもふらのぬいぐるみに埋め尽くされたアルマの出来上がり。 「‥‥か、可愛い、な‥‥」 「本当に‥‥」 ロゼやアルーシュ、女性陣から上がる声にアルマは照れて。 「落とさないように気を付けろよー」 「もうっ!」 自分は四つのもふらのぬいぐるみを抱えて悠々と荷車まで戻るライディン。アルマは一つもぬいぐるみを落とすまいと注意しながら、たどたどしい足取りで外へ。そうすると狐の尻尾が揺れて、ますます可愛いと和む女性陣だった。 その後、何度か内と外を往復して穂邑が新しい住居でも必要な物品を全て運び出した後は不要な家財道具の処分と、今日でお別れになる部屋の掃除だ。 各自分担し、キース・グレイン(ia1248)らは不要な家財道具をとりあえず土間に集めていた。 卓が二つ、箪笥が一竿、小物用の引出や台所用品等々‥‥。 「‥‥穂邑。おまえが要らないと言ったこういう道具、まだ使えるものもあるし、もし良ければ俺が貰って行っても良いか?」 キースが声を掛けると「はいっ、勿論です!」という即答。 傍で二人のやり取りを聞いていた燕 一華(ib0718)は。 「キース姉ぇも要らない品は、ご近所の皆さんにも声を掛けてみると良いかもですねっ」 「だなぁ」 ただ処分するよりも‥‥と考えていると、其処に更に加わる大男。喪越だ。 「どれどれ?」 箪笥や引出を開けて中身を確認。 「さぁて此処から穂邑セニョリータの私生活を丸裸に‥‥!」 「やめんか」 「あんっ」 即時、木べらで喪越の額を打つキース。 一華が陽気に笑った。 「喪越兄ぃ面白いのですっ」 「面白い! 『いっか』ちゃん、それは俺への愛か!?」 「ボクの名前は『いちげ』なのですっ」 「チチッ、もう『てるてる君』でいーじゃないっ」 「だぁっ、少しおとなしくしろ!!」 土間で展開されるボケとツッコミ(?)に、屋内で掃除中の女性陣も楽し気だ。 はたきで天井の埃を払いながら笑う穂邑に、アルーシュやリーディアも微笑む。 「此処には、穂邑さんとゼロさんの思い出が沢山詰まっているのですよね‥‥鴨居とか、ゼロさんがたまに頭をぶつけていたのでは?」 「ありましたありました!」 「やっぱり」 大きく頷く穂邑に、リーディアはくすくすと楽しげに笑う。 神楽の都で暮らすようになったその時から、詳しい事情など何も聞かずに一緒に暮らし「兄様」と呼ばせてくれたゼロが、結婚して現在一緒に暮らしているのがリーディアだ。 彼女の胸中には、この家で独りになってしまった穂邑が寂しい想いをしていないかという心配や不安がずっと燻っていたけれど、今日の穂邑の様子を見ていて、ようやく安心する事が出来た。 「‥‥おうち引き払うの、寂しいです?」 問い掛けるリーディアに、穂邑は少し考えた後で、左右に首を振った。 「全然寂しくないです、と言ったら嘘になっちゃうかもですけど‥‥でも、これからの生活の方がもっと楽しみなのです!」 「そうですか」 活き活きとした穂邑の応えには、リーディアだけでなく、恐らくはゼロよりも穂邑の過去を知るアルーシュも表情を綻ばせずにはいられない。 更には傍で聞いていたレジーナも。 「お引越し、は‥‥ちょっと‥‥寂しい、かもですけど‥‥出会いや気付きも、きっと、あって‥‥そういうの、楽しみ、ですね」 「はい♪」 そうして女性陣の間にも広がる優しい笑い声。 「次は、誰が此処のお世話になるのでしょうねぇ」 リーディアは部屋の中を見渡し、未来を見つめる瞳で呟いた。 不要な家財道具一式の行先も、キースや喪越の自宅、長屋住民の部屋、付喪神として供養してくれるお寺行などに区分され、すっかり何もなくなってしまった長屋の屋内。 「穂邑セニョリータが明るい未来に突き進む為に、気持ち良く見送って頂戴YO!」 パンッと合掌、家屋に一礼。 屋内では最後の点検に回っていたからすが、やはり部屋に一礼していた。 「からすさん?」 呼び掛けた穂邑に、少女は大人びた笑みを浮かべる。 「この家を守る神にね。挨拶はしておこうと。‥‥彼女の新たな暮らしに幸多からん事を」 「あわわっ」 合掌するからすの横に慌てて立ち並び、穂邑も合掌。 「今までありがとうございました!」 最大限の気持ちを込めて、感謝する。 「では、行くか」 蒼羅と康平が荷車を引き、喪越は単身寺へ向かい、キースは近所の自宅に引き取った家具を置きに行くと言って一時的に離脱。 女性陣は荷台に乗り切らなかったもふらのぬいぐるみを抱えて、一路、穂邑の新しい住居となる藤子の家へ。 「ラピィちゃんより先に藤子ちゃんちに行く‥‥っ、よーいドン!」 「え、は?」 聞き返すより早くアルマが走り出してしまえばライディンも走らないわけにはいかず。 「転ばないように気を付けろ」と、二人の背にファリルローゼが声を掛けた。 そんな元気な様子を眺めて笑んでいたフェンリエッタは、たまたま横に並んだ穂邑に気付いて、少し躊躇ったものの声を掛ける事にする。 面識はそれほど深いわけではないけれど、たまにジルベリアで催される祭りごとでは顔を合わせていたし、今回の引っ越しでもこうして縁があった。 せっかく繋がった縁ならば、これから大切にしていきたい。 「穂邑さん、偉いです」 「え?」 「寂しくて傍に居たいと思っても‥‥家族でも、一緒に暮らすのが難しい事もありますよね」 「あ、はい! その事は藤子さんも色々心配していて‥‥」 他人同士が一緒に暮らす事。 ゼロと暮らして来た穂邑には抵抗なく考えられた事も、藤子にとってはとても衝撃的なものだったはずだ。だから話し合いにも時間が掛かった。 「それでも、藤子さんと一緒に居たいって思ったんです」 「ええ」 結局は自分で行動しなくては何も変わらない‥‥穂邑がそういう考えに至ったのはキースや空、アルーシュと過ごした時間のお陰。 だからこそフェンリエッタに「素敵なお引越しね」と微笑まれれば、穂邑はとても嬉しかった。 ‥‥嬉しくて、荷車の後方を確認しながら移動してくれている空の隣に駆け寄る。 アルーシュに、笑い掛ける。 寂しさもあるけれど、やっぱり引っ越しを決めて良かったと、穂邑は心から思った。 ● 穂邑達が以前の住居での片付けを終えて藤子の自宅に向かっている頃、藤子の家では無月 幻十郎(ia0102)、神咲 六花(ia8361)、石動 神音(ib2662)らが引っ越し蕎麦の準備を手伝っていた。 荷解きをメインに手伝う予定のルシール・フルフラット(ib0072)や、ヴァレリー・クルーゼ(ib6023)、サイラス・グリフィン(ib6024)、コニー・ブルクミュラー(ib6030)は今日から穂邑の部屋になるその場所の掃除と最終確認と終えて、待機中。 庭の梅の花の下、楽しげな笑い声が聞こえていた。 そんな十和田家の前に一人佇み、じーっと梅の花を見上げていたのはミシェル・ユーハイム(ib0318)だ。 穂邑とは以前に縁があり、引っ越しするというので手伝いに来てみたのだが。 (好き、だな‥‥) 梅の見事な咲き具合に自然、その表情が綻んでいた。 その内に道の向こうから聞こえて来る賑やかな声に気付いて其方を見遣れば、競争しているらしい全力疾走の少年達。 その更に後方から続いてくる、荷車を囲んだ大勢の開拓者達。 「あれ‥‥?」 その中の一人、穂邑が彼に気付いて笑顔を浮かべる。 「ミシェルさん! 来て下さったんですか?」 「ああ‥‥」 「梅、ご覧になっていたのです?」 「別に見惚れていたわけじゃないんだからな?」 少しムキになったように応じるミシェルに穂邑が首を傾げると、後方から声を掛けて来たファリルローゼ。 「御友人か?」 「あ、はい! ミシェルさんと仰るのです」 「私はファリルローゼだ。気軽にロゼと呼んでくれ」 「‥‥どうも」 差し出された手に、手で応じるミシェルの雰囲気が俄かに穏やかになった。と、外からの声に気付いたのか、庭から外へ出てくるルシール達。 「お疲れ様です。‥‥あちらの片付けは順調に終わりましたか?」 「はい! 皆さんのお陰です♪」 「ならば此処からは私達の出番だな」 ザッと前に進み出るのは今回最年長の開拓者となるヴァレリー。荷台に積まれた箪笥を見つめ、よしっとやる気充分。 「若い者には負けん。サイラス手伝うがいい!」 「はいはい」 呼ばれて進み出るのはヴァレリーの弟子であるサイラス。もう一人の弟子コニーは心配そうな顔で二人を見守っていた。 「‥‥無理はしない方が良い。穂邑の家から運び出す時にも男四人で運んだのだし‥‥」 「口出し無用」 気を遣った蒼羅の台詞にもピシッと言い返したヴァレリーは、荷車を囲むようにしていた開拓者達が衣類を包んだ風呂敷やもふらのぬいぐるみなど小物を全て運び出したのを確認して箪笥に腕を回す。 「‥‥本当に無理をしない方が‥‥」 「ゆくぞ!」 康平の声掛けも振り払う勢いで箪笥を持ち上げようとしたヴァレリー。風呂敷を一つ抱えたコニーもハラハラして見守る中――。 何だか、嫌な音が響いた気がした。 「――」 「‥‥」 しばし誰も何も言わない静寂。 ヴァレリーはゆっくりとした動作で箪笥から離れると、固い表情で腕を組み、仁王立ち。 「‥‥うむ。これは流石に二人では難しそうだ。君達に任せよう」 「えと‥‥」 随分と素直に力仕事を譲る彼に、もしかして‥‥とか、まさか‥‥とか思うものの、何と声を掛ければ良いか戸惑う中で、そこはやはり弟子の出番だ。 「あぁあ」と呆れたサイラスは溜息と共に師匠の腕にもふらのぬいぐるみを一つ乗せる。 「だから無理するなって言ったでしょう。いい年なんだから無理しないで下さいよ」 「無理とはなんだ。二人では厳しいと悟っただけだ」 「腰やったんでしょう?」 「う、うるさい。筋を違えただけだ!」 ちーん。 弟子に突っ込まれてあっさり白状したヴァレリーに、再び辺りは沈黙に包まれたが、次にその沈黙を破ったのは微笑ましいと言いたげな笑顔。 「じゃあヴァレリーちゃんはこれ担当♪」 アルマがにっこりと、もふらのぬいぐるみをもう一つ彼の腕に乗せた。 「あ、あの、筋違いには効かないかもしれませんが、私の神風恩寵でよろしければ一度‥‥」 「結構だっ」 ちゃん付けで呼ばれたのに加え、穂邑に年寄扱いされたように感じたヴァレリーが語調荒く言い返せば、周囲にはやはり穏やかな笑いが広がった。 「箪笥を運んでしまおう」 「ああ‥‥」 サイラスの言葉に、蒼羅と康平、そして統真が笑いながら頷く。 「引っ越しが終わったら美味しいお蕎麦が待っています。六花さんと神音さんが梅を練り込んだお蕎麦も作って下さっていて」 「まあ、それは素敵ですね」 ルシールの説明に空が微笑む。 すっかり普段の雰囲気に戻った中で、小走りに師匠に近付いたのは風呂敷を抱えたコニー。 「せっ、先生、大丈夫ですか‥‥?」 「平気だ!」 「わっ‥‥」 くわっと凄い迫力で言い返されて驚いたコニーは、そのまま転倒。抱えていた風呂敷包みも落としてしまう。 中から転がり落ちるのは蜻蛉玉や櫛など雑貨の類。 「あ、す、すみません‥‥っ」 「‥‥まったく、注意力が散漫だ」 慌てて転がり落ちた物を拾い集めるコニーに少しは責任を感じたのか、同じく腰を落としてそれらを拾い集め‥‥ようとして、固まるヴァレリー。 腰が、痛い。 「あの‥‥」 そんな彼に声を掛けるのはアルーシュ。 「本当に、あまり無理なさらないで下さいね? コニーさんも、大丈夫ですよ。幸い衣類ではありませんし、汚れてもすぐに綺麗に出来ますから」 「は、はい‥‥っ」 雑貨を拾い集めるコニーとアルーシュをしばらく見ていたヴァレリーは、‥‥その後、これから穂邑の部屋になる畳の上で一人静かにもふらのぬいぐるみを並べていた。 ● 大勢の協力を得て進んだ引っ越しは予定していたよりもずっと早く終わり、今まで藤子が一人で暮らしていたその家に、今日からは二人。 そして今は大勢の開拓者達が蕎麦を手に賑わっている。 「梅に鶯、良い季節になって来た」 乾杯の音頭を取るのは今日の料理を手伝い、酒を差し入れた幻十郎。 「新しい季節に新しい旅立ち! 新たな冒険の予感に、かんぱ〜い!」 「乾杯!」 天儀酒や古酒、甘酒も用意し、酒がダメな若者達にはからすが茶を配り、頭上高くに掲げて今日と言う日を祝う。 「普通のお蕎麦の他にも神音が作った梅蕎麦があるんだ。どうだい?」 「要る!」 六花が配り歩く妹の神音特製蕎麦にはアルマが元気よく手を上げた。 食事も蕎麦だけでなく、酒の肴に合うピリ辛の金平牛蒡や、肉じゃが。全て幻十郎の手作り。 「穂邑、いいか? これさえあれば相手の心臓をがっちり鷲掴みだ!!」 「‥‥! 肉じゃがで心臓を‥‥!」 幻十郎の教えに素直に驚いている穂邑は、間違いなく何かを勘違いしていた。 「今日は助かった。手伝ってくれてありがとな」 「ふふ、引っ越しをされたのは穂邑さんですのに、酒々井さんがお礼を言うなんておかしいですよ」 「‥‥それもそうか」 「それに、偶にはこういうのも良いですね」 笑み、見上げる空に綻ぶ小さな花達。春を感じると自然と表情が和らぐのも、季節の不思議かもしれず。 「帰れる家があるってのは良い事だよな、ほんと」 春の花ゆえに、寺から戻った喪越にもそんな事を呟かせる。 人の賑やかしに誘われてから、何処から飛来する鶯の、澄んだ声。 梅が春告草と呼ばれる所以。 「とっても綺麗でいー香りだね!」 蕎麦作りに奮闘し、ようやく休息を得た妹と並んで座る六花は、神音の言葉に笑顔で頷く。 梅も良いけれど、沈丁花の香りも素晴らしかった。 「お部屋見て来たらもふらのぬいぐるみが増えているのですっ。三〇個だったはずなのに四六個になって招きもふらが加わって、しかもしかも、もふら様がもふら〜を巻いていたのです!」 穂邑が興奮した様子で語る内容に、六花とアルマがくすくすと笑い。 「‥‥流石にやり過ぎだったでしょうか」と呟いたのは空。 「空さんが下さったのですかっ?」 「ええ、ぬいぐるみを十六増やしたのは‥‥迷惑でなければ良いのですが」 「迷惑だなんてとんでもないっ、ありがとうございます!」 嬉々として何度も感謝の言葉を口にする穂邑に、空は「良かった」と微笑む。 まるで、もし妹がいたらこんな感じなのかなと思わせる、慈しむような微笑みだ。 縁側から、襖が開いたままになっているおかげで一望出来る穂邑の部屋に居並ぶ大量のもふらを見遣り、康平が一言。 「ひな壇作って、もふら雛飾りが出来ないか? うーむ‥‥」 「それ、素敵なのですっ!」 「ボクもお手伝いするのですっ」 康平の提案に穂邑と一華が大乗り気。 「面白そうですね」とアルーシュやリーディアも加わって具体案も出始めた頃。 「アルっ、おまえ梅蕎麦も食べてただろ!?」 「ラピィちゃんのお蕎麦美味しそうだし‥‥っ」 「同じ蕎麦だ!」 「‥‥アル、蕎麦が欲しいなら俺のを少し」 「ううんっ、キーちゃん頑張ってたし、ラピィちゃんから奪ったらあーんしてあげる!」 「‥‥は?」 「俺も頑張ったのに!」 「穂邑ちゃんのお部屋の天井に抜け穴とか壁が回るように細工とかしようとしてたっ」 「結局未遂じゃん!?」 バチバチバチッと箸を武器に、どんぶりを盾に蕎麦争奪戦を繰り広げるアルマとライディン、そんな二人に呆れるキースを横目に、蕎麦を食べたくとも箸が使えず、一人、庭の端で悪戦苦闘していたミレーヌ。 その、背後から。 「箸が使えないなら、そう言ってフォークを借りたらどうだい?」 「きゃあああああ!?」 突如として耳朶に囁かれた甘い声に驚愕して振り返れば、そこに居た人物にますますミレーヌの驚きは大きくなり。 「な、なななななななんであんたが居るのよ!」 「おや、今日は女性口調かい?」 「っ、なんでおまえが此処に居るんだ!!」 慌てて言い直すミレーヌに、その人ことスタニスワフ・マチェクはにっこり。 「勿論、穂邑に招待されたからだよ」と彼女から貰った文を見せて来る。そんな二人の様子に気付いた開拓者達も、庭で様々な反応。 レジーナは頬を赤くしたし、ルシールは傍にいたリーディアの背中に思わず隠れてしまったし、それまでミシェルとすっかり意気投合して談笑していたファリルローゼも固まる。 その隣で、フェンリエッタだけが笑顔になって「マチェクさん」と立ち上がった。 勿論、穂邑も。 「ようこそなのですよ!」 「やぁ穂邑、招待をありがとう。まさか君達も居たとはね」 くすくすと微笑む彼に、フェンリエッタも笑い返す。 「さぁどうぞ? せっかくですから一緒にお蕎麦を頂きませんか?」 「喜んで。――ミレーヌも一緒にどうだい?」 「断る!!」 全力の即答に、マチェクはやはり楽しげに笑うのだった。 ファリルローゼとフェンリエッタの間に座る形になったマチェクは、レジーナに気付き手招き。縁側に出来る小さな輪。 何故引っ越しの祝いに蕎麦を? とマチェクが尋ねればそれが天儀の習わしだと幻十郎。蕎麦以外の肴が彼の手作りだと聞けば見事だと感心していた。 「あ、あの‥‥」 幻十郎の手作りを「美味しい」と食べる彼に、レジーナは掃除などで慌ただしくしていて忘れていた、自分が持ってきた甘味の事を思い出した。 「今日‥‥パウンドケーキ、焼いて来たんです‥‥蜂蜜と、檸檬の‥‥どちらも疲労回復に良いと聞いたので‥‥」 引っ越し作業で疲れた皆さんに、と振る舞われたそれに、女性陣は勿論、力仕事に励んだ男達も「美味い!」と絶賛。 だが、誰に褒められるよりもレジーナが気になるのはマチェクの反応。 「‥‥美味しい、ですか‥‥?」 「レジーナの菓子は、だんだん美味しくなっているね」 ぽんと頭を撫でられれば、それだけで頬が熱くなった。 そんな彼女を可愛いと思うファリルローゼに。 「君は菓子や料理は苦手だったかな」 「わ、私は‥‥食べる専門だ」 ぷいっとそっぽを向けばマチェクが微笑い、ふと、リーディアの後ろに隠れながらこちらを見ているルシールに気付く。 「‥‥おいで?」 「い、いえっ、私は此処で‥‥っ」 話したい事はあるけれど、こんな大勢の前で話す内容でもなく。 女性陣の様々な反応に、ふと思い至ったのはミシェル。以前に穂邑がからかわれていた相手だ。 「あなたが噂に聞くジルベリアの傭兵か」 「どんな噂かは知らないが、きっとそうだろうね」 互いに名乗り、繋がる縁。 今度はジルベリアで花見をしようかと、故国の話で盛り上がる。 「賑やかですね」 「ええ、本当に」 縁側で並び座りながら蕎麦を食べていたヴァレリーの言葉に、藤子は嬉しそうに目を細めて頷いた。 今まで独りきりだったこの家が、これからは頻繁に賑わうのだろうか‥‥そう思うと、ヴァレリーの胸中を過るのは亡き妻と暮らした家を離れた頃の記憶。 あれも、こんな春浅い日だった。 「‥‥私も一人で暮らそうと考えた時がありましたが、思いがけず弟子達と暮らす事になってね‥‥以後は騒がしい日々だ」 「あぁ‥‥そういえば先生が越してきたあの時、俺も両親と一緒に片付け手伝ったっけ。あの頃は俺も子供で大した役には立ってなかった気がするが‥‥」 「サイラス、今はおまえと話しているのではない」 「はいはい」 眼光鋭く睨まれて肩を竦めるサイラスだが、そのやり取りには長年の子弟関係に基づいた信頼が見て取れて、‥‥コニーは寂しくなる。 年齢も違うし、仕方のない事だけれど、何となく壁が感じられて。 「どうした?」 「っ、いいえ、何もっ」 サイラスに気遣われれば誤魔化してしまう。 彼らに迷惑を掛けたくないと思うから。 「‥‥」 そんな弟子達の様子を見ていたヴァレリーは、しばらくして庭を眺める。数多の花咲く早春の庭。そこで笑顔を綻ばせる若者達。 アルーシュが奏でる祝の曲。 「えへへー、でも良かったですっ。また藤子お婆様のお宅に集まって、大切な思い出を増やすことが出来たんですからっ。これからも沢山の楽しい思い出を作って下さい、ですっ♪」 「勿論ですよ!」 一華と穂邑のやり取り。 「‥‥藤子さん。あなたのこれからの日々も楽しくなりそうだな」 「ええ、本当に」 ヴァレリーの言葉に頷いて、藤子も笑った。 それはまるで、春の花が咲くように。 |