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■オープニング本文 ●ジルベリアから天儀へ その日、開拓者長屋の一角で一通の文に目を通していた穂邑(iz0002)はとても難しい顔をしていた。そもそも文の送り主がジルベリアに暮らす赤髪の傭兵、スタニスワフ・マチェク(iz0105)である事が少女にとっては不思議以外の何物でもない。確かに先月行われた収穫祭で縁があったとはいえ、このような文を送ってくるとは‥‥。 「‥‥そういえば、あの時もからかわれたような気が‥‥」 むむっと眉間に皺を刻んで、穂邑。 先月の収穫祭で交わされた会話を思い出した。 *** 誰かが誰かを想う事。 誰かが特別な存在になること。 それを、自分にはまだまだ難しいと呟いた少女に、最初に「なんて初心で可愛らしい‥‥っ!」と目を輝かせたのは収穫祭の舞台ともなった農場の経営者レディカ夫人だった。 彼女は周りが引く程に穂邑を可愛がり、その賑やかさが問題のマチェクに関心を持たせたのだ。 「恋は難しいかい?」 意味深な笑みを浮かべて、そう問い掛けて来た傭兵に、穂邑はやはり難しい顔をした。 「誰か一人が特別になるって‥‥私には判らないです。いつも皆さんに助けて頂いてばかりで‥‥皆さん、大切です」 「なるほど」 くすくすと笑いを零す傭兵は、次いで夫人に問い掛けた。 「此方では今年もクリスマスのパーティーを催されますか?」 「ええ、もちろん」 夫人は大きく頷く。 「近くにある領主様の別邸を、今年もお借りする許可を頂けましたもの。楽師の皆さんにもまたお願いして、今年も盛大なクリスマスパーティーを開きますわ」 「くりすます‥‥ですか?」 聞き返す穂邑に、マチェクは説明した。 クリスマスとはジルベリアに昔からあるお祭りの一つで、年末に、今年一年お世話になった相手や、家族、友人、恋人と共に楽しい時間を過ごすためのものだ。 夫人の農場の近所には先代の領主が建てた休日を過ごすための別邸があり、農作業や動物との触れ合いを好んだ先代と夫人は、いわば友人と呼べる間柄だった。それ故、当時はこの時期になると別邸でクリスマスパーティーを催すのが慣例であり、領主が代替わりした今も現領主に許可を得る事で続いているという。 「今回の収穫祭もダンスや食事で賑わったけれど、クリスマスの賑わいはまた迫力が違って良いものだよ。地域の子供達が作った飾り付けは見事だし、蝋燭をメインにした明かりは雰囲気が良い」 それにね、と傭兵は穂邑に微笑む。 「このあたりでは、クリスマスに贈り物をして愛を語るという習慣があるんだよ」 「ええ。雪の降り積もった銀世界を燈すキャンドルの火‥‥‥‥っ、あの雰囲気でクラッと来ない女性はいなくてよ!」 夫人も拳を握りしめながら熱く語る。 目を瞬かせる穂邑に傭兵はくすりと笑い、告げた。 「その時には招待状を送るから、また遊びにおいで。まだ蕾も固い稚い花のような君もきっと楽しめるから」 そうして向けられた瞳が笑っているのを見て、からかわれていることを確信した穂邑は顔を真っ赤にし、傭兵に更に笑われたのだった。 *** そんな経緯があったため、マチェクからの手紙を快くは読めなかった穂邑だが、今年一年、世話になった相手に感謝の気持ちを込めて贈り物をするというジルベリアのクリスマスという祭りには心惹かれた。 穂邑も年頃の少女ならばドレスを着てダンスというシチュエーションも憧れる。 「んー‥‥」 傭兵からの手紙はともかく、‥‥開拓者の友人達と遊びに行ったらきっと楽しいだろうなという気持ちにはなった。 「でもドレスとか‥‥贈り物とか、よく判らないし‥‥」 そうしてしばらく悩んだ穂邑だったが、意を決する。 悩んで動かないのでは以前の自分と同じ。 自分は変わろうと決意したはずだ。 「お買い物だって、始めてしまえばきっと何とかなるものですっ」 ぐっと拳を握った穂邑は力強く立ち上がると、早速出掛ける準備をする。まるで初めてのお遣いに行くような面持ちで家を飛び出せば、ご近所さんが不思議そうな表情でその背中を見送ってくれたのだった。 |
■参加者一覧
詐欺マン(ia6851)
23歳・男・シ
シャンテ・ラインハルト(ib0069)
16歳・女・吟
アルーシュ・リトナ(ib0119)
19歳・女・吟
ミシェル・ユーハイム(ib0318)
16歳・男・巫
ケロリーナ(ib2037)
15歳・女・巫
葛籠・遊生(ib5458)
23歳・女・砲 |
■リプレイ本文 ● 「‥‥そうか、もうクリスマスか」 聴こえてくる旋律に我知らず熱いものが込み上げてきたミシェル・ユーハイム(ib0318)は冬の寒さに冷えた指先に息を吐き掛けながら、遠い地にいる家族を想う。 ――その横を、小動物のような動きで駆け抜けた少女が一人。 ● 天儀の商店街まで駆けて来た穂邑は、其処で聞き慣れない旋律を耳にして足を止めた。笛の音だと言うことは判るのだが、この曲は‥‥? 音色が聞こえて来る方に目を凝らすと、ジルベリア出身らしい、穂邑と同じ年頃の少女の姿があった。旋律は笛の音一つ。歌を歌うでもないのに気持ちが高揚して来るような楽しい音楽は道行く人々を笑顔にしていた。 穂邑も笑顔でその少女に近づくと、曲の終わりを待って声を掛ける。 「あの! 今の音楽は何と言うのですかっ? とっても素敵でした!」 目を輝かせながら問うてくる穂邑に、少女ことシャンテ・ラインハルト(ib0069)は特に表情を変えるでもなく、そっと笛を持つ手を下ろした。シャンテが座っていたのは街道の数か所に設けられた花壇を囲うように積まれた石の上。石は円形になっており、少女達が隣り合って座る事も出来る。 「今のはジルベリアのクリスマス・ソングです‥‥天儀の方々にも、知って頂ければと‥‥」 「くりすます、ですか!」 その単語に食いつく穂邑の大仰な反応にシャンテは瞬き一つ。 「実はそのくりすますで悩んでいるのですっ、お力を貸していただけませんかっ?」 クリスマスに悩んでいると言われて咄嗟には状況が呑み込めなかったシャンテだが、困っている相手を見捨てるわけにもいかない。 「私でお力になれるのでしたら‥‥」 「よろしくお願いしますっ」 シャンテに隣の席を勧められ、穂邑は毬が弾むような勢いで其処に腰を下ろした。 「あら‥‥」 少女の切実な「よろしくお願いしますっ」の声を聞いたのはシャンテ一人ではなかった。同じくこの場所で買い物をしていたアルーシュ・リトナ(ib0119)は、顔見知りの少女の様子が心配になって其方に歩み寄ったし、目の前に困っている人がいるなら助けるのが道理と言い切る葛籠・遊生(ib5458)も反応する。 「私も、良ければ同席させて貰って構いませんか?」 にこっと向けられる笑顔は、神威人の証である黒い毛並の垂れ耳と相まって正に【わんこ】。初対面であればこそと言うべきか、あまりの愛らしさにどきどきしてしまう穂邑だったが、すぐに気を取り直し「もちろんですっ」と隣の席を進めた。 簡単に自己紹介をし合っている所に、アルーシュも合流。 嬉しい再会に、穂邑は今度こそ破顔した。 ● それからしばらくはシャンテと遊生、アルーシュを相手に穂邑が事情を説明した。ジルベリアの赤髪の傭兵からこういった手紙が来たと話せば「あの方は‥‥」と呆れた様子のアルーシュ。シャンテもどこか納得したように小さな息を吐きつつも、クリスマスパーティーに誘われたのはめでたい事と、穂邑に祝いの言葉を送る。 「おめでたい‥‥の、です?」 不安そうに聞いてくる穂邑にシャンテは頷く。 「クリスマスは、ジルベリアのお祭りの中でも大事な催しの一つです、から‥‥」 「ええ」 「そうなのですか‥‥」 ジルベリア出身の二人に言われて、ますます不安を募らせる穂邑だったが、その隣から聞こえてくる陽気な声。 「今年ももうそんな時期なんだなぁ。昔お呼ばれした事もありましたけど、凄く楽しかったなぁ」 「楽しい、です?」 「ん。どうしても素敵な恋のお話よりは料理にいってしまいましたけどね」 あはっと笑う遊生の言葉には穂邑も心が軽くなった。恋だ何だと難しい話ばかり先行していた穂邑にとって、クリスマスは楽しいものだという情報は貴重だった。ようやくクリスマスに興味を惹かれた穂邑に、アルーシュは笑みを浮かべる。 「今回は、純粋に初めてのクリスマスパーティーを楽しんでみては如何ですか?」 「うんうん」 同感、と遊生が続けば、シャンテも無言で一つ頷く。手紙の主が何を言って来ようとも、クリスマスが親しい間柄で集まり食に歌にと騒ぎ楽しむものである事に変わりはない。 「それにせっかくの機会ですからオシャレも楽しみましょう」 天儀ではドレスを着る機会も滅多にない。ジルベリアの冬は厳しいから下着にも気を遣わなければならないが、と女性ならではの意見も聞きつつ、一向は目的の店へと移動し始めた。 ● アルーシュ、シャンテ、遊生は穂邑を連れて神楽の都に軒を連ねる装飾関連の店を見て回った。そこで穂邑を待っていたのは、本人に興味が無かったばかりに初めて見る煌びやかな装飾品の数々。近頃はジルベリア風の衣装を天儀で入手するのも難しくなくなっており、実に多種多様だった。ショールやケープ、防寒用の温かな上着から始まり、ドレス、髪飾りに始まる小物の数々、下着までもが様々だ。 「黒地のベロアの長袖身頃にアイボリーのシャンタンのスカートなんてどうでしょう?」 「ぇ‥‥え?」 アルーシュがアイディアを出してくれるも、穂邑にはベロアやアイボリーの意味からして判らない。 「首周りにチョーカー、とか‥‥フワフワした羽を飾りに付ければ、首回りが暖かくて良いかもしれません」 「良いですねっ」 シャンテのアイディアに遊生が賛同するも、穂邑の頭の中は「ちょ、超過‥‥? 首回りで何が超過すると暖かいのでしょうか‥‥っ」と、こうである。 何が何だかわからなくて。 「穂邑さんは、希望の色や形はありますか?」 遊生に聞かれても正しいと思える答えが見つからず。 「えっと‥‥あの、お任せ、しますっ」 そう答えるのが精いっぱいだった。その反応でアルーシュ達も、穂邑がこういう店に免疫のない事を察したらしい。 「それでは、店内を見て回って‥‥好きだなと思うものがあったら教えて下さいね」 アルーシュにそう言われ、穂邑はようやく安堵の表情で頷いた。 コーディネートを彼女達に任せながら、緊張した面持ちで店内を歩いていた穂邑は、‥‥それでもやはり一人の少女。綺麗なドレスや小物には胸が高鳴る。 「綺麗、です‥‥」と、無意識に呟いてしまうのも当然の流れだったろう。 「こういうの‥‥似合うなら良いんですけど‥‥」 チラと自分の胸元や小さな体躯を見まわして、小さな吐息を一つ。大人びた格好をするにはいろいろと足りない十五歳だ。――と、其処に。 「もしも気になる相手がいるのなら普段より大人っぽく装うのも良いかもしれないな」 「え?」 不意に背後から声を掛けられて振り向けば、スッと絶妙のタイミングで髪を掬われ、器用な指先が即席の夜会巻きを完成させる。 「わっ‥‥」 「お気に召したかな」 「はいっ、すごいのですっ!」 喜ぶ穂邑は、だが気付く。 「ぁ、あの、私は穂邑と言います。貴方は‥‥?」 「私はミシェル。よろしく」 「よろしくお願いします!」 やはり穏やかに微笑みミシェルに、目の下を赤らめて勢いよく頭を下げる少女――同時に簪が音を立てて床に落ち、巻いた髪がはらりと解ける。 「わっ、ご、ごめんなさいっ、せっかく結わえて下さった髪を‥‥あ! 簪はお店の物なのに‥‥!」 一人でばたばたと慌てている少女に、ミシェルはくすくすと笑み。 「穂邑さん、お待たせしました」 「こんな感じでどう、かしら‥‥」 「え‥‥」 そこに現れたのは衣類の山‥‥を抱えたアルーシュとシャンテ。 「一番上のドレスに合わせるなら、こんな感じ‥‥かな?」と遊生がその山の上に更に小物を追加。 「さぁ、色々着てみましょう♪」 アルーシュの笑顔に「は、はい‥‥」と応じる穂邑だったが、如何せんお洒落というものに今までまるで興味が無かったのだ。自分から頼んだ事とは言え女性陣の見立てでセレクトされて来た衣装や小物の多さには驚かされたし、何故か目の前がくらくらする。 「す、すみません‥‥少し、外の空気を吸ってきます‥‥!」 「あら‥‥」 足早に外で出ていく穂邑を見送る心配そうな彼女達の声。 だが、そうして出た店の外で少女を迎えたのは――。 「大丈夫でおじゃるか?」 「え‥‥あ、サギーマンさん!!」 詐欺マン(ia6851)という名前が何となく呼び難く「サギーマンさん」と呼んで良いという許可を得ている穂邑は、彼との久々の再会に現状も忘れて笑顔になる。 「わぁっ、わぁっ、御無沙汰していたのですっ、またお会い出来て光栄なのですっ」 穂邑が本当に犬であれば尻尾を振って抱き着きかねない勢いで喜べば詐欺マンは扇子をパチンと閉じる。 「して、そちは何をしているでおじゃる」 「え、‥‥っと‥‥」 少女自身、自分がこの装飾品店の並ぶ界隈に居る事が不思議でならなかったために言い淀めば、どこかから呼ばれる声がする。 「穂邑おねえさま〜〜」 「?」 呼ばれて振り返ると同時に抱き着かれた相手は、以前に収穫祭で一緒したケロリーナ(ib2037)で、やはり嬉しい再会に穂邑の表情が晴れた頃、店内にいた面々も外に姿を現した。 ● あんなところで何をしていたのかという詐欺マンの問い掛けに、穂邑は数時間前にシャンテ達にしたのと同じ話を繰り返す。 場所は先ほどの店からほど近い茶屋。 甘味が最高! と知り合いの開拓者から教えてもらった店である。 美味しい団子とお茶をお供に、穂邑がかくかくしかじかでと説明を終えた直後、頬を膨らませたのはケロリーナ。 「マチェクおじさま、失礼ですの」 「あの方らしいと言えばそうなのでしょうけど」 アルーシュも先ほどと同じように呆れた笑みを浮かべて言えば、ケロリーナはぶんぶんっと手を振り回す。 「そうか、君にとっては初めてのクリスマスになるんだな。楽しんでくると良い」 茶を口に運びながら微笑むミシェルの隣では詐欺マン。 「特別な場でおじゃるからな。派手すぎると思うくらいで良いのでおじゃる」 いっそ冒険心でもって露出を高めてはどうかと提案したなら女性陣から却下の声。 「ジルベリアの冬は寒いのですから」というのが理由らしい。 一方で、露出高めも有りだと意見するのがケロリーナ。彼女は赤髪の傭兵からの手紙にいたくご立腹らしい。 「一生懸命に穂邑おねえさまのドレス選ばないとですの。いっぱいお洒落してマチェクおじさまをぎゃふんといわせるですのっ」 「ぎゃ、ぎゃふんですか‥‥?」 ケロリーナの迫力に若干押されつつ周囲に助けを求めるような視線を彷徨わせれば、それを感知した詐欺マン、神妙な面持ちで茶を一啜り。 「愛とは何か‥‥それは想う心。または悔やまない事。通じ合うとは限らず、一方通行に注がれる愛もある」 「さ、サギーマンさん‥‥?」 語る彼に目を瞬かせる穂邑だったか、ケロリーナは大好きな恋の話が始まりそうな予感に目を輝かせ、アルーシュは切ない視線を手元に落とす。 ミシェルがくすりと微笑む一方、我関せずと茶を飲むシャンテの横では遊生が団子のおかわりを注文していた。 詐欺マンは更に語る。 「穂邑にはまだ判らぬ、と?」 問うてくる相手にこくこくと頷き返せば詐欺マンは扇子を開き口元を覆う。 「いや‥‥本当の愛などとはまろにもわからないものでおじゃる‥‥」 しかしと繋ぐ詐欺マンは閉じた扇子の先端を自分の胸に置き。 「暖かい気持ちが『愛』。それも愛」 扇子で穂邑を示し、そして最後に団子が乗った皿を手に取ると。 「これも愛でおじゃるよ」 「――」 「お団子も愛‥‥!」 感心して皿を受け取るケロリーナ。 穂邑とアルーシュは言葉もなかったが、 「おばちゃん、お団子もうひと皿お願いしまーす」と遊生が再び追加注文をする声で我に返ったアルーシュが困ったように笑った。 「愛とか、恋とか‥‥説明するというのはとても難しい事。けれど、焦らなくて良いのですよ」 「そう、ですか?」 「ええ。恋は不意に落ちて来るもの。この先たくさん悩んだりするのですもの」 アルーシュの優しい微笑みに穂邑の表情も和らぐが、同時に何かを思い出したらしくほんのり朱に染まる頬。 「おや」と詐欺マンが目を光らせれば、何を予測したのか立ち上がったのはミシェルだ。 「どうやらダンスの練習も必要そうだね」 「え」 スッと差し出された手のひらに穂邑は目を瞬かせたが、その背をアルーシュとシャンテが押す。 「ダンスの練習には音楽が必要ですね」 「簡単な音楽の方が良いです、か‥‥」 楽師二人がそれぞれに愛器を構えるのを見て、ケロリーナも目を輝かせる。 「ダンスが出来たら穂邑おねえさまの魅力も増しますの♪」 「いっそ、ダンスの完成度を見て衣装を決めるのもアリでおじゃろう」 「あ、それ良いかもですねっ」 遊生も名案と手を叩けば、ミシェルが「さぁ」と穂邑に手を取るよう促した。 幸いと言うべきか彼らが囲む甘味処の席は外に設けられた端側にあり、周囲の人気は乏しいが広い空間が確保されている。練習に適した場所といえばそうだろう。 シャンテとアルーシュが奏で始めた旋律は、穂邑がシャンテを見付けた時にも聞いたあのメロディ。とても優しくて心が弾むような不思議な旋律。 「ぅー‥‥っ、では、よろしくお願いします!」 恥ずかしいという気持ちも多少あったけれど、皆の厚意を嬉しく感じる気持ちの方が強かったから穂邑はミシェルの手を取り、席を立つ。 「基本は簡単、左右の足で順番に三角形を描くように動くんだよ」 「さ、三角形ですねっ」 一、二、三。一、二、三‥‥と踏まれるステップは、優雅と表現するには程遠く、正に角ばったもの。それでも穂邑の表情から彼女が真剣そのものだと判るミシェルは、クスッ‥‥と小さく笑うと、その耳朶に囁いた。 「恋は毒杯さ。甘くて苦い、ね」 「え?」 きょとんと聞き返してくる穂邑に、ミシェルは懐かしい人の面影を重ねる。 良い子ぶるのは嫌いだし、こんな形で今日初めて知り合った相手の手助けをするなんて実に自分らしくない行為だったけれど、そこに「理由」を付与するならば、こういう何気ない動作や、町で見かけた言動に多少の懐かしさを感じたからだ。 「大人になれば、君にも苦いチョコの良さが判るかもね」 「??」 微笑むミシェルに、目を瞬かせる穂邑。 困惑した拍子に足元に意識が及ばなくなる、と同時。 「っ、きゃぁっ!」 裾を踏んで転びそうになる穂邑と、それを支えるミシェル。 「ふむ‥‥穂邑の運動神経は並以下でおじゃるか‥‥」 「大丈夫です、まだ時間はありますからっ」 「穂邑おねえさま頑張ってくださいですの!」 「は、はい‥‥っ」 一度は心配してアルーシュとシャンテの音楽も止まりそうになるが、遊生やケロリーナの声援を受けて練習は継続。 その内に彼らの練習は、周囲に人垣を作るに至った。 練習の甲斐あって、そこそこに見られるダンスを習得した穂邑は協力してくれた彼らと再び装飾品店へ移動。 衣装がどうなったかは、‥‥本番のお楽しみである。 |