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■オープニング本文 ● 傭兵団のある日のお仕事 天高く馬肥ゆる秋とはよく言ったもので、この季節の食材は何でも美味しい。 太陽や水の恵みを受けて育った野菜はもちろんのこと、海の幸、山の幸もふっくらと薫り良く、露店が立ち並ぶ街道を通れば食欲を刺激する匂いが四方から漂ってきて、腹の虫が人々の財布の紐を緩めさせた。 それは彼らも例外ではない。 「ボスっ、一生のお願いです! 給料ほんの少しで良いので前借して下さいっ、あの蒸かし芋が食べたいんです!!」 「アホだな。芋なら村に帰ってからお袋さんに蒸かしてもらえ。これからその芋を調達しに行くんだから」 「副長には聞いてないっ、バカ! 村で食べるのと、こういう場所で食べるのじゃ感動が違うじゃん! 大体、村に帰ってからって食べれるのいつになるんだよ!!」 「バカだとぉ?」 「何だよ、最初にアホって言ったのイーゴリじゃん!!」 隊列の後方で遠慮のない言い合いを繰り広げる傭兵団の副団長イーゴリと、傭兵団の最年少ディワンディに、隊の列の前方にいた若き剣士アイザックが困惑顔。 「‥‥隊長、あの二人を放っておいて良いんですか?」 「構わないさ、あれで移動速度が遅れているわけじゃないからな」 それは確かにその通りなのだけれど、とアイザックは再び後方を見やると、諦めの息を吐く。同行している他の仲間達も楽しんで二人の言い合いを見物している様子。自分一人が心配してもどうしようもないと察したからだ。 それに、隊長ことスタニスワフ・マチェク(iz0105)が言う通り移動速度が落ちることなく予定通りに目的地に到着出来れば――それはつまり、傭兵団八人が前後左右を固めて移動している荷物を無事に届けられれば、なんの問題も無いのである。 「ああ、そういえば」 と、不意にマチェクの声が掛かる。 「アイザック。おまえ、これから向かう農場の夫人とは初対面だったな」 「? ええ、はい」 「なら気を付ける事だ」 「え?」 意味が判らずに聞き返せばマチェクは意味深に笑った。 「会ってみれば判るさ」――。 ● 噂の夫人、その名もレディカ 「まぁぁぁぁぁぁ!!!!」 「‥‥っ!?」 顔を見るなり夫人に叫ばれたアイザックは激しく動揺し、その場に固まってしまった。すると、動かない彼にこれ幸いと手を伸ばした夫人は顔にペタペタ、肩、腕、胸板、果ては引き締まった腹筋にもペタペタペタ‥‥。 「なっ、なっ、なっ‥‥」 青くなったり赤くなったり、セクハラと言っても過言ではない行為にアイザックが狼狽するのをマチェクは面白そうに眺めていた。 「だから気をつけろと言ったんだ」 「な、どういう事ですかっ!」 「あら」 夫人の両手首をがしっと掴んで触るのを止めさせたアイザックが隊長に吠えれば、答えたのは彼の背後から同情するように肩を叩いたイーゴリ。 「そちらの夫人‥‥レディカ女史は可愛いものが大好きでな‥‥」 「え‥‥?」 「おまえみたいなのが好みなんだ」 「っ、それは何ですか、俺が可愛いとでも‥‥!」 「あら、それは正しくなくてよ?」 言い返すアイザックに先んじて夫人が一言。 「わたくし、可愛いものと同じくらい綺麗なものも大好きなんですもの。ね?」 断言後に「ね?」と確認されたアイザックは、もうどう反応したら良いのか判らない。そうなってようやく、それまで微笑っているだけだったマチェクが口を開く。 「うちの期待の星をあまりからかわないで下さいよ」 「あら、からかうだなんて心外ね。誉めてますのよ?」 「それは失敬」 悪びれも無く言い切る夫人に微笑で応じたマチェクは、次いで自分達が運んできた荷を解く。 「では早々に仕事の話に移りましょう。こちらも鮮度が大切ですからね」 そうして露わになったのは傭兵団が山で仕留めて来た鹿や猪の肉の他、きのこや山菜といった大量の山の幸だ。 「まぁぁ♪」 夫人は満足気な声を上げて手を叩き、マチェクに向き直る。 「マチェクさんが採ってきて下さるきのこや、実は、とても美味しくて大好きなのよ。どうやったら味見もせずにあんなに美味しいものばかり集めてこられるのかいつも不思議」 「それは秘密です」 くすくすと微笑む傭兵に夫人は肩を竦め。 「結構よ。わたくしも腕によりをかけて仕分けた野菜をあちらに用意していますの。全てが美味ですけれど、どのように選び抜いたかは秘密」 「ご謙遜を。夫人の畑で採れる野菜は全てが美味しいのでしょう?」 「まぁ」 口の回る傭兵に、夫人は面白そうに笑った。 「貴方のお嫁さんになる人は大変ね」などと言いながら、団の面々に持って来た荷物を下ろして倉庫に運び、代わりに野菜を積むよう指示を出した。作物が育ち難い土地に集落を構えている彼らにとって、同じ領内で最も大きな農場を営む彼女は傭兵団の大切な取引相手だ。幸い、傭兵団の集落の傍には緑に恵まれた森が広がっており動物の肉を含め山の幸には事欠かない。結果として物々交換が成り立つわけだが、そこには夫人の「可愛いもの、綺麗なものが大好き」という嗜好も重要だ。マチェクが贔屓にされる理由である。 「今日はあの若い方‥‥アイザックさん? とお会い出来たお礼に、オマケしておくわ」 「光栄です」 夫人と隊長、二人の笑顔のやり取りに、アイザックがしくしくと膝を抱えて泣いていた。 ● そして本題 「この辺りはそろそろ収穫祭の時期ですが」 「ええ」 マチェクの台詞に夫人は頷く。 収穫祭は地域ごとに異なるが、首都ジェレゾの東側に広がるこの辺り一帯は、領主によって来週末が「収穫祭」と定められている。一日目の正午から二日目の正午まで領内全体が火を絶やすことなく一年の実りを精霊達に感謝するのである。先ほど傭兵団が通って来た露店の立ち並ぶ街道ももちろんのこと、食べて、歌って、飲んで、踊って、参加する全ての人々が笑顔で過ごす日だ。 その盛大さは都でも噂になっており、この時期は各地から人々が集まって来るため人口密度も一気に高まるのだ。 「うちの農場でも盛大にお祭りを催しますわよ? 美味しい食事はもちろんのこと、美味しいワインや果実酒、野外ではありますけれど楽師の皆さんにお集まり頂いてのダンスパーティもありますの。隊長さんもご一緒に如何?」 「夫人にお誘い頂けるのでしたら喜んで」 答える彼に、夫人は意味深に微笑う。 「そうそう、ご存知? この収穫祭は各地から観光で人が集まりますけれど、それは見知らぬ誰かと出会う機会を得る事でもありますわ。‥‥収穫祭を一緒に過ごして結婚まで至ったカップル、多いのですって」 にっこりとする夫人に、不本意ながら咄嗟の反応が見つからなかったマチェク。 「傭兵団の皆さんにも素敵な出会いが訪れますように」 得たりと続ける夫人の笑顔にマチェクは「参りましたね」と困った笑みを零すのだった。 |
■参加者一覧 / 朝比奈 空(ia0086) / 酒々井 統真(ia0893) / 鳳・陽媛(ia0920) / 天河 ふしぎ(ia1037) / 礼野 真夢紀(ia1144) / キース・グレイン(ia1248) / 滝月 玲(ia1409) / フェルル=グライフ(ia4572) / 平野 譲治(ia5226) / からす(ia6525) / 和奏(ia8807) / ジェシュファ・ロッズ(ia9087) / 劫光(ia9510) / ベルトロイド・ロッズ(ia9729) / リーディア(ia9818) / ユリア・ソル(ia9996) / フラウ・ノート(ib0009) / フェンリエッタ(ib0018) / アグネス・ユーリ(ib0058) / ルシール・フルフラット(ib0072) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / 琥龍 蒼羅(ib0214) / リディエール(ib0241) / リスティア・サヴィン(ib0242) / アイリス・M・エゴロフ(ib0247) / ティア・ユスティース(ib0353) / ファリルローゼ(ib0401) / ニクス・ソル(ib0444) / グリムバルド(ib0608) / 燕 一華(ib0718) / 風和 律(ib0749) / ノルティア(ib0983) / 琉宇(ib1119) / モハメド・アルハムディ(ib1210) / ケロリーナ(ib2037) / アルベール(ib2061) / 月影 照(ib3253) / アルマ・ムリフェイン(ib3629) / 御影 銀藍(ib3683) / レジーナ・シュタイネル(ib3707) / Jinnn(ib5288) / 猫拳ますたぁ(ib5295) |
■リプレイ本文 ● 空は青く、高く。 正に収穫祭日和となったその日の正午、現地領主お抱えの魔術師と騎士達によるデモンストレーションで幕を切った収穫祭は、直後から大変な賑わいを見せていた。街道には人が溢れ、右へ行く者、左へ行く者が互いに気を遣いながら移動する。そんな人混みの中で体を傾け、周りの人々とぶつからないように歩いていた琥龍 蒼羅は短い吐息を一つ。 「噂には聞いていたが‥‥すごい賑わいだな」 これだけの人々が集まれば露店を見て回るのも一苦労だと笑った。確か天儀の知人達も祭りに参加しているはずなのだが、これでは偶然に頼って遭遇するのも困難だ。 「さて‥‥何処から見て回ろうか」 自分の好きな楽器関係の露店は何処だろうと辺りを見渡す内、聞き慣れた音色が耳を打つ。三味線だ。 「ジルベリアで三味線とは珍しい」 呟きつつ其方に歩み寄れば何度か顔を合わせた事もある開拓者達が無数の人々に囲まれていた。三味線の雄々しく激しい旋律を踊り子が更に熱く、烈しく、人々の目を捕えて離せなくさせる。その腕で鳴り響く鈴の音と、常人ならばとうに転倒しているだろう足の動きによって舞い上がる砂煙――先を見えなくさせる砂塵は、人々の不安。戦の象徴――其処に被さる桜吹雪。 「わぁぁ!」 人々から湧き上がる歓声。そして優しい弦の音――ラフォーレリュート。踊り子の動きがぴたりと止まり、三味線の音は次第に細く、小さく、‥‥途切れて。代わりに辺りを覆う旋律は優しく暖かに響き渡る。ふわっ‥‥と唐突に現われた小さな光は夜光虫。 「わっ‥‥」 驚いた子供が手を伸ばせば光りは簡単に消えてしまい、母親らしき女性が慌てて子供の腕を引く。くすりと笑ったラフォーレリュートの奏者。完全に動きを止めていた踊り子の腕からは鈴の音。 笛の音と、歌声。 誰にでも置き換えられる男と女と太陽と月、友を空や雲に置き換えた恋の詩は、歌い踊るアグネス・ユーリの表情や動きで人々の笑みを誘い、リスティア・バルテスのリュート、劫光の笛が言葉の裏に秘められた想いを奏でる。 時折人々の輪から笑いが起きる時に爪弾かれるのは平野 譲治の三味線だ。陽をからかう時、空を詰問する時、三味線の独特の音色が歌をユーモラスに演出。四人の路上パフォーマンスは収穫祭に集まった人々を完全に魅了していた。 曲が終わり、アグネスがポーズを決めれば沸き起こる拍手喝采。蒼羅も惜しみない拍手を送っていると、すぐ脇から聞き覚えのある声が聞こえてきた。 「見事だな」と淡々とした口調ではあるものの満足そうな表情を浮かべているのは小さな少女からす。その態度と見た目の年齢的なギャップは相当だが、以前から知己の仲である蒼羅は自然に受け止めていた。 「やぁ、君も来ていたのか」 「ああ。知り合いの伝手で、とある農場でダンスパーティが行われると聞いてね。興味が湧いた」 「ダンスパーティ?」 この知人が興味を持つには些か違和感を禁じ得なかったが、せっかくの祭りならば一人で回るよりも、と蒼羅。 「俺も一緒して良いかな」 「ああ、構わないよ」 からすが答えると同時、人々の中央からはリスティアの声。 「さぁもう一曲! あたしの曲を聞けーい☆」 「一緒に踊ろ、お祭りは楽しんだもの、笑ったもの勝ち♪」 アグネスに手を引かれて中央に進み出た若者達。再び、今度は陽気な音楽が鳴り響く。楽しげな賑わいに見送られるように、蒼羅とからすは移動した。 そんな二人の移動先である農場こと、レディカ夫人の農園も大賑わい。開拓者達の姿も少なくない。 「アイちゃん、ワフ隊長、久しぶり!」 飛びつかれて体勢を崩し前のめりに倒れた傭兵団の若き剣士アイザックは、驚いて背中を確認。抱き付いて来たのが先の依頼で世話になったアルマ・ムリフェインだと気付いて、ようやく安堵の表情になった。 その態度が以前とは微妙に違う気がして小首を傾げたアルマだったが、それを問うより早く耳元に囁く甘い声。 「隊長の俺よりアイザック優先とは傷つくね」 瞬間、耳と尻尾が総毛立つ。反射的に起き上って隠れた先は友人御影 銀藍の背中だ。 「ワフ隊長だっ、ワフ隊長だっっ!」 繰り返すアルマと楽しげなマチェク、二人を無表情で見る銀藍はマイペースに自己紹介を始め、その賑やかさに呼ばれるように新たな来訪者。 「はぁい、マー君」 彼らの所在に気付いて陽気な声を掛けて来たユリア・ヴァルの隣には彼女の恋人であるニクス、そして幼馴染のイリスの姿も――。 「ん?」 直後に体を強張らせたアイザックの変化に気付いたアルマはやはり首を傾げ。 「どうかしましたか?」 「いっ、いえっ!」 銀藍の問い掛けにビシッと背筋を伸ばしたアイザックを横目に、マチェクは片手を上げてユリアに応じた。 「やぁ元気だったかい?」 「もちろんよ」 近付くや否やあまりに自然な接触を済ませる二人に目を瞬かせたニクスに、ユリア。 「改めて紹介するわね。彼は幼馴染で恋人のニクス。そしてニクス、こっちが元愛人のマー君よ♪」 固まる恋人と表情を陰らせる幼馴染に、ユリアは笑う。 「やぁね、冗談よ」 その反応が見たかっただけ、と肩を竦めた。とは言え愛人なんて響きに冗談では済ませられないものを感じるイリスはマチェクに詰め寄ろうとした、が。 「イーリス」 幼馴染の言葉を遮るようにしてユリアが促した先には傭兵団の若き剣士。 唐突な展開に困惑するイリスに対し、マチェクは固く赤くなっている部下の背を押した。深呼吸一つ。アイザックは意を決し手を差し出す。 「ぁ、あの! もしもご迷惑でなければ今日の収穫祭、ご一緒して頂けませんかっ?」 「ぇ‥‥あ、の、ユリア‥‥?」 「今日一日付き合ってあげたら? もしかしたらとっても気が合うかもしれないし」 「俺からも頼むよ」 マチェクも言う。 「彼の人柄は保証するし収穫祭についても詳しい。退屈はさせないよ」 周囲の全員から背を押されては流石に断れないイリス。 「‥‥今日一日だけ、なら‥‥」 「ありがとうございますっ」 承諾してくれたイリスに深々と頭を下げたアイザックは彼女を促し、町へ。そんな二人を見送る首謀者二人。 「約束、果たしてくれてありがとう」 「どう致しまして」 微笑い合う二人に、若干の疎外感を感じるニクス。気付けばアルマと銀藍の姿も其処にはなく――。 「スタニスさん」 呼ばれて振り返ればルシール・フルフラットがまだ幼さの残る少年と並んで立っていた。 「やぁルシール。君も夫人の収穫祭に?」 「ええ。弟が此方の夫人と知り合いだったそうで‥‥」 弟ことアルベールは隙のない笑みを湛えながらマチェクに一歩近づいた。 「お噂は以前から伺っていました。是非一度お会いしたかった」 「どんな噂か気になるところだね」 微笑う傭兵と、やはり意味深な笑みを浮かべる弟に何故かどきどきが止まらないルシール。そんな彼女の心臓を更に跳ねさせるのはアルベールの来訪に気付いたレディカ夫人の悲鳴‥‥否、雄叫びだった。 「まぁぁぁぁ! ご無沙汰していましたわね、お元気かしら? それに其方の弄り甲斐がありそうな‥‥いえいえ、可愛らしい御嬢さんは‥‥?」 ぽろっと本音を零しつつアルベールに紹介を求める夫人の視線の先がルシールに固定されている事に気付き、アルベールは微笑った。 「彼女はルシール。僕の自慢の姉ですよ」 「まぁぁお姉さま!」 「よ、よろしくお願いします‥‥っ」 夫人の勢いに押されつつ挨拶を交わすルシール。 その内に農場に響き渡った陽気な音楽は、収穫祭の昼に相応しい賑やかな旋律。 「良い感じじゃない。踊りましょうかニクス」 「ぇ、ああ」 ユリアに誘われて音楽の中心に連れて行かれるニクス。 「せっかくだ、ルシール。一緒にどうだい?」 「えっ」 マチェクが誘えばルシールは頬を赤らめ、アルベールを振り返る。対し、弟は優しく微笑う。 「楽しんで来て下さい、姉さん」 「ぇ、っと‥‥では、はい」 差し出された手に手を添えて中央へ向かう二人の背に、アルベールの纏う気配が若干変わり、ふふふと笑むレディカ夫人。 「せっかくですもの、ご一緒にお茶でも如何?」 「ええ、喜んで」 夫人に誘われて席に移動すれば、其処にはメイド姿で――しかも既に弄られた後らしく諦めの空気を醸し出すフラウ・ノートがメイドよろしく新しい紅茶の準備。更にもう一人、同じ席には愛らしい先客がいた。 ケロリーナだ。 「いま、夫人の恋のお話をお聞きしていたですの。アルベールさんもご一緒に如何です?」 「恋の話、ですか」 ちらと振り返る先には陽気な音楽に合わせて軽快なステップを踏む赤髪の傭兵と、何に動揺しているのか躓きそうになって相手に面白がられている姉の姿。 「そうですね‥‥せっかくですからお伺いしようかな?」 農場を包む祭りの賑わいは、ますます盛り上がっていった。 ● 農場が盛り上がるように、町全体の賑わいも熱気を帯びていく。 人はますます増えて往来を埋め、同行者とは手を繋いでいなければはぐれてしまいそうな混雑具合。そんな中で店舗と店舗の間の細い道を塞ぐようにして固まっていた冒険者の一団からは拍手と歓喜の声が止まない。 「本当に素敵でした」とリーディアや、ティア・ユスティースが拍手、絶賛する相手は先程まで観光客相手に芸を披露していた劫光だ。彼と一緒に演目を行っていたアグネス、リスティア、譲治は、それぞれに観客から貰ったお捻りを等分して各々収穫祭を楽しみに出掛け、劫光は天儀から一緒に来た彼女達と合流した、というわけである。 その傍には、彼らが全員で誘った穂邑の姿もある。 「本当に素敵でした!」 目を輝かせる穂邑の姿に、傍で微笑を浮かべているのは朝比奈 空と、鳳・陽媛。近頃、別件で穂邑と行動を共にしていた二人は少女の楽しげな姿に心から安堵していた。 「さてさて、それでは♪」 劫光との合流も果たした彼女達はこれからが本番。リーディアは拳を握り、その表情にやる気を漲らせる。 「収穫祭‥‥食べ物いっぱい、笑顔いっぱい。思いっきり楽しみますよっ」 「はいっ」 習うように自身も拳を握る穂邑。近々彼女が「兄様」と慕うゼロと祝言を上げることになるリーディア。 だから、穂邑は。 「楽しみましょうね、義姉様!」 「――」 義姉と呼ばれた事に目を瞬かせ、場を包んだのは沈黙。そして、笑顔。 「さぁ行きましょう行くのですっ♪」 腕を組み、足取り軽く露店立ち並ぶ道を行く二人に、空と陽媛が顔を見合わせて笑い、劫光は軽い吐息。ティアは今の気持ちを音に託すように温かな声で曲を奏でた。 聞き覚えのある声がして辺りを探ったキース・グレイン。左手に乗せた使い捨ての皿の上にはタコスが二つ、右手には食べ掛けが一つ。さすがにこのままでは拙いかと考えて動きを止めた、その時だ。 「キーちゃん発見!」 どーんと勢いよく抱き着かれて焦るキース。見れば顔見知りのアルマで焦りは消えたが同時に穂邑達も見失った。 「おまえ達も来てたのか」 「うん、来てた!」 「って‥‥」 無邪気な笑顔を浮かべるアルマに笑いそうになったキースは、しかし今まで左手にあった皿が消えている事に気付いて目を瞠る。見ればすぐ傍、無言でタコスを頬張る銀藍がいた。食べられるのは別に構わない、が。 「ごちそうさまでした」 淡々と告げてキースの左手に戻す空の皿。 「他にはないのですか」 「まだ食うのか」 「あっ、僕も食べたい食べたい、キーちゃん奢って」 「私にも奢ってください」 「いま食ったのは‥‥?」 既にタコスはなかった事にされている気がする。キースはもう一度先の方向を見遣ったが知人達の姿は既に無い。 (次の機会もある、か) そう思い直して気持ちを切り替えたキースに。 「キーちゃんあれ食べたい!」 「言っとくが千文以上は出さないからな」 言う事を聞いているのかいないのか、尻尾を振って露店に駆けていくアルマと早足ですたすたと追い駆けていく銀藍。先が思いやられるなぁと思いつつキースも二人の後を追っていった。 「賑やかだなぁ」 顔見知りの開拓者を所々で見かけつつ、あっちもこっちも賑わう露店通りで和奏が呟き、焼き立てのパンを口に運んだ。そうして歩き出せば彼の衣服や持ち物から小銭の音がする。祭りでは予め小銭を準備しておくのが良いとは今まで参加して来た祭りの、‥‥数少ない経験である。 人混みに紛れて歩く露店通り。 林檎に蜜柑、葡萄といった果物から芋や蕪といった野菜まで、天儀の祭りでは調理されたものが売られている場合が多かったが、ジルベリアの収穫祭は大半がそのままで売られていた。 土から、木から、採りたてもぎ立て。 蕪を「齧ってごらん」とそのまま店のおばちゃんから渡された時には驚いたが、強引に食べさせられて初めて判った。土から顔を出したばかりの野菜はこんなにも甘いのだと言うことを。 「‥‥賑やかだし、楽しいし、美味しいし‥‥」 表情が豊かな方ではないため、均整の取れた繊細な顔立ちが尚更、人形のように見える和奏だったが、本人は自覚しているのか否か、楽しげに微笑みながら道行く姿は純真無垢な子供のよう。だからこそ、大きな南瓜を模した被り物に、目と鼻と口があるように見える穴が開けてあり、これを頭から被って黒い上下に黒いマント。見た目からして実に怪しい人影にも興味を惹かれた。 「何か始まる、のかな」 和奏は、その後ろをついて行った。 次第に増え行く奇妙な恰好をした人々。 「うわぁっ、見て下さいノルティア! 皆さんとっても素敵な恰好をしているのですっ!」 「うん‥‥とっても。楽し、そう」 集まりを眺めながら燕 一華とノルティアが笑みを交わす。その手は人混みではぐれてしまわないようにしっかりと繋がれていた。 「これから。パレード‥‥始まる。かも」 「パレードですかっ、なるほどですっ!」 目を輝かせる一華に、ノルティアはほっとする。ジルベリア出身とは言え帰郷は久々。以前に天儀のお祭りを案内して貰ったお礼が出来ればと考えていた少女は、一華の楽しげな顔を見られて安心した。 (‥‥一緒、に‥‥楽しめる。と、良いけど‥‥) そっと彼の顔を見上げればにぱっと笑顔を綻ばせる一華。 「パレードは何処に向かうんでしょうねっ、追い駆けながら噂の農場まで行ければ良いのですけれどっ」 「うん‥‥」 その言葉にノルティアの頬が微かに赤く染まる。噂の農場で行われるというダンスパーティを思い出したからだった。 「お?」 不意に滝月 玲が発した声に、彼と同じ行列にいたジェシュファ・ロッズ、ベルトロイド・ロッズが「どうしたの?」と声を掛けてくる。これから仮装行列に参加する彼らは揃って奇抜な恰好をしており、玲は黒マントに巨大な角を付けた大魔王。ジェシュファは頭から布を被り、その上に作り物の頭を置いてこれが落ちたり跳んだりする『首なし』。ベルトロイドは黒スーツに裏地が深紅の黒マント、犬歯を尖らせたアヤカシの仮装だ。 「何かあったか?」と、更に声を掛けて来た酒々井 統真に「いや、知り合いがいたからさ」と玲。 「せっかくだもん、一緒に仮装行列に参加すれば良いのにね〜」 あははと笑うジェシュファに他の面々も笑みを浮かべていると、其処に着替えを終えたフェルル=グライフが帰って来た。 「統真、さん」 「ん?」 呼ばれて振り返った統真の、頭に着けていた銀色の獣耳がふさふさと揺れて、それきり。 固まった統真に、フェルルは細い両腕で精いっぱい前身を隠しながら歩み寄った。獣耳で人狼を装った彼に対し、彼女の仮装は黒猫。首から下腹部に掛けての露出はなかなか際どいものがあり、フェルル自身恥ずかしい装いではあったが銀狼と黒猫が示すのは『魂の伴侶』。彼と一緒ならば‥‥という気持ちの方が強かった。 「‥‥どうですか?」 「ぇ、ああ」 愛しい恋人に声を掛けられてようやく我に返った統真は二度頷く。 「ん‥‥可愛い、よ」 頬を染めてそっぽ向く統真と、俯いた顔に幸せいっぱいの笑みを湛えるフェルル。そうして辺りに響き渡る鐘の音は仮装行列出発の合図。 「さあ皆! 気合入れて行くぞー!」 玲が声を上げ、つられた大勢の参加者たちが高々と拳を突き上げた。始まる行進。合言葉は「とりっくおあとりーと♪」。 精霊を模した格好の吟遊詩人達が額を奏で、詩を歌い、笑顔と陽気な掛け声は辺り一帯を包み込む。 パレードの開始を待ち、始まると同時に持っていたパンプキン・ベルを鳴らすフェンリエッタは、隣で拍手を続ける姉、ファリルローゼの横顔を見上げて、‥‥ほんの少しだけ表情を翳らせた。 (ごめんね、お姉様‥‥) リンリンリンリンと勢いで鳴らされているフェンリエッタの鈴の音に、其方を見遣ったファリルローゼは表情だけで笑んだ。俯いて、正に悶々といった体で鈴を振っている妹の心情が手に取るように判ったからだ。 (フェンったら‥‥家出していた事をまだ気にしているのね。こうして一緒に過ごせるだけで、私は幸せなのに‥‥) だから微笑み、声を掛けた。 「ねぇフェン、今度はあのお店の焼き菓子を食べましょう? その次は向こうのケーキ‥‥ふふっ、色気より食い気の姉に呆れるかしら?」 「いえ‥‥」 フェンリエッタも微笑み、姉の手を取り「行きましょう」と促す。真っ直ぐな姉の言葉に、今日はめいっぱい楽しく過ごそう‥‥、そう思えたからだ。 姉妹の向かう道の先、露店に挟まれる形で設けられていた休憩スペースにモハメド・アルハムディが休んでいた。その周りには明らかに商人と判る面々。モハメド自身、開拓者となる以前は商人だった事もあり、収穫祭という場で昔の知人に会う機会を得られたのだ。 そんな商人達の話題の中心といえば、近頃発見されたという新大陸。これから商売を広げようと考えるならばどうしたって気になる土地だ。 「あんたも今は開拓者だってんなら、当然、もう見て来たんだろう?」 昔馴染みの言葉に、しかしとモハメドは苦笑する。 「ラーキン、しかし、合戦の時期が断食月と重なってしまって、あまり大きな活躍は出来なかったのです」 「はぁ〜、そりゃあお気の毒なこって」 「しっかしあんたのその信仰? いろいろと不思議な習わしがあるもんだなぁ」 仲間達の言葉にモハメドは「ええ」と曖昧に頷いた。 商売の事で新大陸を気にする昔馴染みと、モハメドの新大陸に対する興味は異なる。とは言え、昔馴染みの商人に話してどうなるという話題でもなく、今はこの収穫祭を楽しもうと、近づいてくる仮装行列に視線を移した――。 「見て見て照! 面白い恰好をしている人がいっぱいだよ!」 「そうですねー」 天河 ふしぎの元気な声に月影 照の飄々とした声が応える。目の前を通り過ぎてゆくパレードは歌と音楽と、コミカルな踊りまで加わりとても賑やかで見た目にも楽しいものだった。 「あ、統真がいる! 統真ーー!」 友人の姿を見かけて大声で呼びかければ、あちらもふしぎに気付いて手を振り返して来た。もう片方の腕に、守るように包んでいるフェルルと一緒に。 「あの二人も楽しそうだね!」 「ですねー」 ふしぎの楽しげな声にも、相変わらずの口調で返す照。しかしふしぎは一向に気にしない。彼はこの収穫祭に大きな目標を掲げていた。今日のためにジルべリアの美味しいもの、人気の店、この収穫祭で何が有名なのかも調べ上げ、照に祭りを楽しんでもらおうという目標。同時に、彼女に良いところを見せてもっと仲良くなるんだという直向きな男心。 「さぁ照、そろそろ行こうか。あっちの店も美味しそうだよっ!」 「‥‥お代は勿論ふしぎ殿持ちですよねー?」 「任せて!」 満面の笑顔でエスコートするふしぎに、しかし照はどこか冷めた視線を向けていた。 不意に聞こえた楽しげな笑い声に「どうした」と風和 律が声を掛ければ、リディエール。 「こんな風に道連れが出来るなんて、嬉しくて‥‥」 繊細な笑顔に、やはりふとした機から同行する事になったレジーナ・シュタイネルも微笑う。 「お祭り‥‥大勢の方が、楽しい、です」 この収穫祭に兄と訪れた思い出のあるレジーナは、その時に迷子になった事を思い出してくすぐったそうに笑った。対して、半ば此処には不在の友人に脅される形でリディエールの案内を任されることになった律は「そんなものだろうか」と難しい顔。元々はこの収穫祭、何事もなく終わらせられるよう警備に参加する心積りだった律だから、祭りを楽しむという性分ではないのだ。 「ぁ」 レジーナがふと背後を振り返り、其処に仮装行列が近付いている事に気付いた。 「‥‥そう、だ。あのパレード‥‥農場、行く‥‥」 「そうなのか?」 「まぁ」 三者三様の反応は、別に農場に向かっていた彼らと共通していた。 「統真とフェルルじゃないか」 パレードの中程に友人達の姿を見つけたグリムバルドは、隣を歩く恋人のアルーシュ・リトナに声を掛けた。 一方のアルーシュは、行列の後方に他の友人を見つける。穂邑だ。 「楽しそう、ですね」 その事に安堵し、自分も楽しい時間を過ごせていることに自然と笑みが浮かんだ。 何処に行きたいかと尋ねたグリムバルドに、貴方が行きたい場所へと応じたアルーシュ。目的の農場は、もう目の前だった。 ● 「今度は蒸かし芋の食べ競争だと聞いて来たのに、違うの?」 「誰がそんなデマを流したんだ?」 琉宇の残念そうな声に、傭兵団の最年少ディワンディを睨んだのは副団長。途端に「違うよ! 俺そんなことしてない!」と少年が必死に無実を訴えれば琉宇は「あれ?」と小首を傾げ、大人達は豪快に笑ったり、肩を竦めたり。そんな農場を賑わす彼らの耳に、此処に招かれている楽団が奏でるものとは違う陽気な音楽が届いた。 仮装行列のパレードだ。 「お、今年も来たな?」 農場の楽団も手を止めて楽しむ収穫祭の一大イベント。 幼い子供達も大喜びだ。 勢い付く歌に合わせるように一人の子供が仮装行列の大魔王に抱き上げられた。玲だ。 「やぁ君も一緒にとりっくおあとりーと?」 にこりと笑う玲に子供が満面の笑顔で笑う。 「美味しそうな匂いだねー」 「ぁ、ジェシュ!」 首をゴロンと落として農場で振る舞われている料理が並ぶテーブルに向かって掛けていく双子の弟を、ベルトロイドは落ちた首を拾ってから追い駆ける。列を外れてしまっては‥‥と思ったが、どうやら仮装行列からこの農場のパーティに加わる人数は少なくない。 というのも仮装行列の到着が農場の収穫祭にとっても昼と夜を分けるものだったからだ。 「まぁまぁ皆さんようこそおいで下さいました」 レディカ夫人が両腕を広げて皆を歓迎する。 「煌びやかな衣装を纏われた皆様も、さぁ輪の中へ。楽しい夜に致しましょう!」 夫人の声を合図に再び農場の楽団がそれぞれの愛器を構え、奏でる。 今までの陽気なものとは違い大人の雰囲気漂う穏やかな曲。 「なるほど、そういうわけか」 統真は納得してフェルルの手を引いた。 「来たわね♪」 仮装行列の到着とほぼ同時刻、同じく農場に到着した友人の姿を見かけたユリアは、友人ことリディエールに近づくと、彼女が律と一緒だった事にとても満足そうに微笑んだ。 「露店巡りは楽しかった?」 「ええ。律さんにはご迷惑をお掛けしてしまいましたけれど」 「気にしないでくれ」 自分の事が苦手そうに顔を背ける律に楽しげな笑みを零すユリアだったが「それはそうと」とリディエールの手を引いて連れて行く、その先に。 「マー君♪」 レディカ夫人の傍でフラウやケロリーナ、からすや蒼羅達とお茶を楽しんでいた赤髪の傭兵が呼ばれて振り返る。ユリアはリディエールを自分の前に促し、マチェクをはじめ夫人や傍に集まっていた傭兵団の面々に友人を紹介し、マチェクもそれに応じる。 「会えて光栄だよ、リディエール」 「今宵の収穫祭、思いっきり楽しんで行って下さいな」 夫人にも笑顔の歓迎を受けて微笑んだリディエール。 「皆様のお噂はかねがね‥‥こうしてお会い出来て光栄です」 告げて、俯き加減になった友人の背をユリアがトンと押す。まだ言うべき台詞が有るでしょうと言いたげな雰囲気に、マチェクも察して笑顔で待つ。 「ぁ、あの‥‥」 リディエールは緊張した面持ちで口を切った。 「‥‥あまり、お洒落でなくて申し訳ないのですけれど‥‥よろしければ、一曲お相手頂けません‥‥か?」 その言葉に外野がざわめき、所々で空気が固まり。 「収穫祭は、ご縁を繋ぐ場だと聞いたので‥‥これも一つのご縁だと、嬉しい、です」 ほんのりと上気したリディエールの面持ちを見れば伝わるものもあるわけで、マチェクは表情を和らげると右手を差し出す。 「俺で良ければ、喜んで」 「ぁ‥‥ありがとうございます‥‥っ」 その手にリディエールの手が添えられれば、不意に声を発したのは両手いっぱいに食べ物を抱えて満足そうな顔をしていたジェシュファ。 「そっか、やっぱり今回の宴って傭兵団のお見合いだったんだね」 すぐ傍には作り物の頭を抱えたベルトロイドと、友人の琉宇もおり、ジェシュファの誤解には気付いたけれど正すには間に合わない。 「マー君おめでと〜。昔の偉い人が結婚は人生の墓場だって言ってたよ〜」 一応はお祝いのつもりらしいその台詞に、言われたマチェクは楽しげだ。 「ジェシュファ、覚えておくといい。それは幸せが当然だと思っていられる『幸せ者』の台詞だよ」 子供には難しいだろうけれど笑った傭兵は、リディエールを輪の中心に促す。そんな彼らの傍で佇んでいた律と、その後ろに何故か隠れるようにしているレジーナを見遣る。 「時間があるなら、後で一曲どうだい?」 「断る」 即答の律に「相変わらずつれないな」と笑い、直後に身を乗り出したケロリーナ。 「おばさまにとっての結婚はどうでしたの?」 「そうね‥‥話せば長くなるので美味しいケーキを頂きながらにしましょうか。フラウ?」 「はい、奥様」 すっかり彼女の専属メイドになりつつあるフラウは迅速かつ丁寧にお菓子と新しいお茶の準備だ。 ダンス曲は優雅に幻想的。しかしながら恋人達が手を取り合い輪を回るだけでも十分にそれらしく見える優しいものだった。 踊りは素人同然で見様見真似、間違って相手の足に引っ掛けてしまったらと心配していた統真も、そんな事はなくフェルルの温もりを感じながら優しい音色に身を委ねていた。 ただ、無言の時間はそう長く耐えられるものではなく。 「踊り‥‥上手くなくてごめん、な」 言えばフェルルが小さく首を振る。 「こう‥‥もっと、近づけるみたいです」 囁くように告げる言葉が、微かに残る二人の隙間を埋めていた。 夜も本番になり農場には続々と人々が集まって来る。思った以上にレディカ夫人主催のダンスパーティは有名だったようだ。 「ノルティア、一緒に踊って頂けますかっ?」 満面の笑顔で誘ってくれる一華に、ノルティアは緊張した面持ちながらも「うん‥‥」と彼の手を取った。大切なのは形よりも気持ち。楽しめれば良い、そう思う。 そうして手を取り合って近付けば先に踊っていた恋人達が「おいで」と二人を輪の中に誘った。 慣れないダンス。 慣れないフォーマル。 いつもと違う相手の姿に緊張してしまうと、何を話せば良いのかも判らなくなるけれど。 「一華さん‥‥洋服、似合ってる。思います」 褒められて、一華。 「ノルティアもとっても可愛いですっ!」 純粋で、微笑ましい二人だった。 「あら、お姉様見て」 フェンリエッタとファリルローゼ。姉妹は前方で行われているダンスパーティーの一角で優雅に踊る赤髪の傭兵を見つけた。 「マチェクさん、ダンスもお上手ね」 「そ、そうね」 妹から意味深な視線を向けられたファリルローゼが若干動揺の色を浮かべればフェンリエッタは楽しげだ。 と、その後方から聞こえて来た陽気な声にも聞き覚えがあり。 「照。照のドレスも用意しておいたんだけど‥‥」と、その内容に邪魔をしてはいけないと察して立ち去った姉妹。 農場に着いたのはふしぎと照の二人だった。 照は、ふしぎから差し出された綺麗に包装された箱を受け取りながら怪訝な顔。それを通りすがりの酔っ払い達はどう取ったのか「着替え場所ならあっちにあるぞー」「この農場は仮装からそのまんま参加する連中が多いからな!」「控室にゃ姉さん達が大勢いる、髪や顔も弄ってもらえるぞー」と口々に言いながら去っていった。 ふしぎは意を決し、もう一度告げる。 「このドレスを着て、一緒に踊って欲しい!」 「はぁ‥‥」 淡々と応じる照は頭を掻きつつ、箱を手に控室へ移動した。 「たっだいまー!」 元気な声に「お帰り」と返す傭兵団の面々。 「お、新顔も一緒だな」とイーゴリが言う相手はキースだ。 「ワフ隊長は? ワフ隊長は?」 わくわくしているアルマの問い掛けに応じたのは先に彼を見付けていた銀藍。どうやら新たな女性――フェンリエッタに誘われてダンスの輪に向かうところだった。 アルマは残念そうに言う。 「アイちゃんのその後を報告したかったのに残念っ」 「お、アイザックの奴どうだった!?」 食い付いて来た傭兵団の面々に「あのねっ、あのねっ、楽しそうだった!」「それだけか!?」と大賑わい。一方でキースは仮装行列から外れて農場の立食に参加している穂邑を見付けて歩み寄った。傍には空や陽媛の姿もある。 「穂邑がリーディア達と仮装行列に参加していたのは見えたが、空も参加していたのか?」 「いいえ。私は傍を歩いて来ただけですから」 「ああ、そうなのか」 残念と言おうか、やっぱりと言おうか。 「楽しかったですよね♪」 「はい!」 陽媛の言葉に笑顔で頷く穂邑の姿に、空とキースは安堵の笑顔を見合わせた。 大切な妹と油断ならない傭兵が楽しげに踊っている姿をファリルローゼは落ち着かない様子で見守っていた。その視線は二人も気付いているらしく、たまに二人揃って彼女に視線を転じてはくすくすと楽しげに笑い合う。 (‥‥っ、フェンにくっつき過ぎだ!)と、どうやら妹に悪い虫が付くことを気にしているらしい彼女は、だが、いま身に纏っているドレスが「よく似合う」と言われた時には嬉しかったりもしたわけで――。 「ん?」 不意にマチェクの顔が妹の輪郭に隠れ、直後、赤くなる妹の頬。 「!」 あの男は大切な妹に何をしてくれたのかと苛立てば、二人が揃って帰って来た。 「フェン、大丈夫?」 思わず妹を男から引き離して庇うように立てば、フェンリエッタは困ったように言う。 「マチェクさんたら男性が女性に服を贈る意味を知っているかって聞くの」 「意味?」 どうやら途中で見聞きした二人の様子が微笑ましくてといった話をダンスの最中にしていたらしい、が。 「実はね‥‥」 フェンリエッタは姉に耳打ちして意味を明かし、直後に頬を染めたファリルローゼに、マチェクは微笑。 「だから、ね」 そうして今度はマチェクがファリルローゼの耳朶に囁いた。その言葉はファリルローゼを動揺させるには充分で。 「一曲、お相手願えるかな」 「くっ‥‥」 差し出された手を、ファリルローゼは悔しそうに取るのだった。 男が女性に服を贈る意味――そんな話とは無縁なのだろう照は、ふしぎから渡されたドレスに着替えながら溜息を一つ。 (しかし、アレですね‥‥) ふしぎの気持ちはイタい位に伝わってくるし悪い気もしないけれど、どちらかと言うと「事実」として受け止め難いのが正直なところ。 何せ自分。 (全然乙女じゃねーもんで) こんなに可愛らしいドレスを着たところで果たして似合うのかどうか。着替えを手伝ってくれている姉さん達は「可愛い可愛い♪」と盛り上がっているけれど。 (‥‥どんな顔してふしぎ殿に会えばいいのやら) 「さぁ出来たわよ!」 力作! と盛り上がる女性陣に送り出されて外に出れば、こちらも先に着替え終えていたふしぎがスーツ姿で照を待っていた。 互いに互いの姿を見遣って、最初に声を発したのはふしぎ。 「照、‥‥綺麗だ」 赤くなって言うふしぎに、些か居た堪れない気持ちになりつつも照は「仕方なし」とふしぎに手を差し出す。 「エスコートは任せますよ、踊りは得意じゃないもんで」 「うん!」 そうして手を繋ぎ向かうダンスの輪。 照は思う。 とりあえずこうしているのが楽しいのは確かだ、と。 「どうしたのニクス。さっきから不機嫌ね?」 「いや‥‥不機嫌なわけではないが‥‥」 寄り添い踊る恋人達。 男の不機嫌の理由を何となく察して微苦笑するユリアは「もうっ」とニクスの胸に顔を埋めた。 いろいろあった。これまでも、そしてこれからもきっと。 それでも変わらずに傍に居てくれる恋人に告げたい言葉はただ一つ。 「愛人なんて、冗談よ」 「‥‥」 「ありがとう、傍にいてくれて」 真摯な言葉に応えるように、ニクスはユリアを抱き締めた。 踊りは共に得意ではないけれど、優しく穏やかな曲調故に何とか形になっていたグリムバルドとアルーシュは、しかし彼によって動きを止めていた。 どうしたのかと戸惑うアルーシュだったが、同時に気付かれてしまったかもしれないという不安を募らせる。案の定、彼は彼女を連れて輪を外れた。 「ぐ、グリム‥‥」 グリムバルドはアルーシュを座らせると、その靴を多少強引に脱がした。と、その内側に固まっているのは、乾いた血だ。 「‥‥ルゥ、どうして言わなかった?」 今日のために新調したと言っていた。それは恐らく、この靴も。慣れない靴で一日ずっと街を巡り、踊りに参加し、‥‥一言も「休みたい」と言わなかった彼女はどれだけ我慢して来たのだろう。 「‥‥どうして言わなかった?」 繰り返す恋人に、アルーシュは俯く。 しばらく悩んだ末に選んだ言葉は、とても拙くて、‥‥切ない。 「‥‥女性だって、カッコ付けたいんです」 膝の上に拳を握りしめて紡がれる消え入りそうな声。大切な相手の重荷になりたくない、自分のために面倒を掛けたくない。恋人が自分のためにいろいろとしてくれる、その気持ちが解ればこそ、自分だって頑張りたい‥‥アルーシュはそう告げる。 「‥‥でも‥‥素直じゃないのは、駄目ですよね‥‥」 結局こうなってしまって、心配を掛けた。 カッコ悪いと、アルーシュの瞳に浮かぶ滴。 「ごめ‥‥なさい‥‥っ」 「ルゥ‥‥」 グリムバルドは膝の上の彼女の手を握り、その額を己の胸に寄せた。抱き締めて感じる想いの丈。 (苦しいくらい、好きなんです‥‥) 心の中で告げる想いに、重なった温もりは。 「ぁ‥‥」 「黙ってた罰だ」 人目があるのも憚らずに贈られるキスを、アルーシュは頬を赤くしながらも素直に受け入れた。 ● 「び、びっくりしました‥‥っ」 「だから言ったろ、駄目だって」 触れ合う恋人達から隠れるように膝を抱えて蹲った穂邑に、彼女を引き戻した三人――キース、空、陽媛が脱力。アルーシュと話が出来るかも‥‥と近寄ろうとした穂邑を三人掛かりで止めたのだ。 慣れない恋人達のやり取りに心臓がバクバクしている穂邑は気を取り直そうとダンスの輪に目を向けるも、そちらにも恋人達がたくさん。 先ほどまで巧く噛み合わなかったマチェクとファリルローゼも次第に息が合ってきたようで、とても楽しげだった。 そんな二人を見守るフェンリエッタは嬉しそうにし、‥‥と思えば、乙女達の心中は様々。 (‥‥やれやれ。ダンスなど、私には似合うまいに) 溜息交じりに見ている律がいれば、同じ卓をレディカ夫人達と一緒に囲むレジーナの表情には憧れの色が浮かぶ。 「‥‥いいな‥‥」 好きな人と踊る、ということ。 そう、呟いて。 「‥‥?」 自分の言葉にはっとする。 いいな、って、何。 「‥‥ぇ、あ、あれ‥‥? わ、私‥‥」 気のせいでなく頭の中がぐるぐるして来て少女は頬を押さえた。とてつもないところに思考が行き着きそうになるレジーナの困惑具合に、夫人は「ふふっ」と静かに笑った。 「恋せよ乙女、けれど都合の良い女にはなる事なかれ、ですわね」 「それがおばさまの教訓なのですねっ」 ケロリーナが感心したように応じ。 「女は惚れさせてなんぼですのよ」 「恋など他人事として外野から見て楽しむものさ」 「それも結構ね」 からすの言に、夫人が面白そうに頷くと、やはり同じ卓を囲んでいたルシールは複雑な視線をマチェクに投げ掛ける。 (‥‥確かに父様を思い出しますけれど‥‥やっぱり、違うんです、よね) 隣でそんな風に思う自分を弟アルベールがどう見ているのかも、今は気付かない。胸中を占める疑問はただ一つ。 (‥‥貴方は、何方を見ているのですか‥‥?) 誰を。 誰かを想う気持ちは尊くて、複雑で。 「私にはまだまだ難しいです‥‥」 呟く穂邑にキースと空、陽媛は笑う。 「‥‥けれど、新しい一歩を歩き始めることにしたのですもの、‥‥ね」 空の言葉に穂邑は「はいっ」と元気が良い。 「あの時も言ったけど、‥‥私達は、ずっと友達ですよ」 陽媛の言葉に嬉しそうに微笑む穂邑の姿が心強い。 「これからも、ずっと、ずっと、よろしくお願いしますねっ」 「ええ」 「ああ」 ぽん、とキースが穂邑の頭を撫でる。そこには「此方こそ」という想いが込められていただろう――‥‥。 |