食!飲!腕自慢!!〜宴
マスター名:月原みなみ
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 普通
参加人数: 44人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/07/13 21:57



■オープニング本文

 ●

 ヴァイツァウの乱は終わった。
 その総大将コンラート・ヴァイツァウの死刑執行により終わりを見たジルベリアの戦争は、数々の遺恨や解決されないままの問題を抱え、また、新たな争いの火種を含みつつも終結に向けて動き出している。
 それは、スタニスワフ・マチェク(iz0058)が率いる百余名の傭兵団にとっても同様。一時期は帝国軍側の監視下に置かれ行動を制限されていた彼らだが、コンラート処刑においての道中警護の功績を認められ晴れて自由の身となった。
 ――が、それも表面上だけだという事くらいは彼らも判っている。
 帝国軍側にとっては、いつまた誰と契約して自分達の足元を脅かさないとも限らない傭兵団だ。むしろ監視の無い方が不自然というもの。かと言って、ようやく帝国軍側のあからさまな監視から解放されたのに羽を伸ばさない理由はない。
「宴をやりましょうよ!」と部下の一人がマチェクに進言してきたのも、ある意味ではとても自然な成り行きだったのである。
 ジルベリアの大地にも花が咲けば花見がある。傭兵団の毎年恒例、春の宴。団員達が食欲、酒量、そして腕っ節で競い合う年に一度の馬鹿騒ぎだ。


 ●

 天儀に比べて随分と遅いけれど、ジルベリアの大地にもようやく春が来た。
 空に向かって大きく枝を広げた桜の木々は両腕に薄紅色の花を咲かせ、雪解けも終わった大地には新芽が若草色の絨毯のように広がっている。
 暖かな風。
 柔らかな陽射し。
 春、だ。
「ボースー!」
 そんな陽気に包まれたジルベリア東方――住人の八割が傭兵団に所属するという村から更に東へ一キロ弱。小高い丘の上で傭兵団の最年少、少年ディワンディが声高に呼ぶ相手は、勿論、傭兵団の長マチェクだ。少年の視界では傭兵団の面々が互いに剣を抜いて実技を兼ねた特訓中。マチェクも此処にいると聞いて来たのだが、彼の姿だけが見当たらなかった。
「ボース! ボスボスボォォーーース!」
「あぁうるせぇっ」
 がごーんと小さな子供の頭を平手でどついた厳つい体格の男は、名をニコライ。
「一体何だってんだ」
「痛‥‥っ、何だじゃないだろ!」
「うるせぇから俺が聞いてやるってんだろうがよ」
「ニコライじゃ役に立たない!」
「‥‥へぇ?」
 断言された男の頬は引き攣った。そのまま自分の脇を擦り抜けて走り去ろうとする少年を勢いで拘束。
「わっ」
「生意気言うのはどの口だぁ〜?」
「わぁああっ」
 身長差七十センチの二人。ニコライがディワンディを軽々と抱え上げて空中大回転を強制したなら周りの男達もやんややんやと大賑わい。
「で、なんだって?」
「〜〜〜〜〜っ!!」
 ようやく地面に下ろして貰うも目が回って口も開けない少年は「むっかつく!!」と心の中で暴れ捲くり、対してニコライら男達は豪快に笑うばかり。
「口は災いの元ってな」
「違いない」
「ははは!!」
 丘の上に響き渡る笑い声。
「くっそーーっ」
 ようやく顔を上げられたディワンディが批難の涙目で相手を見据えた頃。
「随分と賑やかだな」
 戻って来た傭兵団のボスは仲間の様子から大凡の状況を察しながら戻って来た。


 ●

 結局、ディワンディが何をマチェクに言いたかったのかと言うと、傭兵団の花見で行なわれている毎年恒例の腕比べに自分も参加させろという話だった。
「大食い競争も飲み比べも俺じゃ参加出来ないし! けど俺だって傭兵団の一員なんだから参加したいんだ!」
「‥‥と、言ってもな」
 ディワンディの身体はまだ一二〇センチ弱の華奢なもの。傭兵団のよく食い、よく飲む連中と張り合うのは明らかに困難だし、それが腕比べでも同じこと。
「宴の席で体を壊す必要もないだろう」
「それは‥‥っ、だけど‥‥!」
 ボスの言う事は理解しながらも納得したくない少年が顔を歪めて押し黙る。そんな幼子の顔を見ていると、マチェクも気持ちが判るだけに強く言い聞かせる事は出来なかった。傭兵団の春の宴は仲間同士の結束を強めると共に、一部では上下関係を決めるものにもなる。ヴァイツァウの乱を経て要所で大きな働きをしてみせた少年は早く『傭兵団の一員』だという証が欲しいのだろう。
 だが――。
「ふむ‥‥なら、こうしよう」
 マチェクは薄く笑い、ディワンディだけでなく傭兵団の面々を一瞥する。
「今回の宴、開拓者も招いて傭兵団対開拓者ってのはどうだ?」
「!」
「本気かボス!」
 突然の提案に身を乗り出す仲間達へマチェクは笑う。
「ああ。面白そうだろう?」
 乱の最中、手合わせ出来るものならしたかったと感じていたのは一人、二人ではないはず。マチェクもそう思っていたのだから、春の宴にそういった機会を設けるのも良いではないか。
「開拓者とはこれからも長い付き合いになりそうだしな。親睦を深めるって意味でも、悪い話じゃないと思うが?」
 意味深なボスの笑みに、顔を見合わせる部下達。些か腑に落ちない点もあるけれどマチェクがそう決めたのなら否はない。
 ただ、彼の右腕として名高いイーゴリは思う。
(まぁ‥‥気にしているんだろうな)
 先日のコンラート処刑に際し、マチェクの呼び掛けに応じてくれた開拓者達を思う。
 それ以前から度々手を貸してくれている彼らを思う。
(まったく‥‥誰の気晴らしなんだかな)
 微笑うイーゴリに気付いているのかいないのか、マチェクはディワンディら数名の部下にギルドへ向かうよう指示を出した。
「開拓者との交流が今年の宴だ、いいな?」
「‥‥はい‥‥」
 そう言われてしまってはディワンディも納得せざるを得ず、面白くなくもあるけれど、少年もまた開拓者には会いたいという気持ちがある。
 船の手配も忘れるな、と。
 ボスの指示を背に受けて、ディワンディ達はギルドに向けて馬を走らせた――。


■参加者一覧
/ 小野 咬竜(ia0038) / 水鏡 絵梨乃(ia0191) / 富士峰 那須鷹(ia0795) / 酒々井 統真(ia0893) / 有栖川 那由多(ia0923) / 柳生 右京(ia0970) / 礼野 真夢紀(ia1144) / キース・グレイン(ia1248) / アルティア・L・ナイン(ia1273) / 巴 渓(ia1334) / 嵩山 薫(ia1747) / 九竜・鋼介(ia2192) / 秋桜(ia2482) / 斉藤晃(ia3071) / 真珠朗(ia3553) / 設楽 万理(ia5443) / 難波江 紅葉(ia6029) / 景倉 恭冶(ia6030) / アルネイス(ia6104) / からす(ia6525) / 千羽夜(ia7831) / 朱麓(ia8390) / エミリー・グリーン(ia9028) / ジェシュファ・ロッズ(ia9087) / 夏 麗華(ia9430) / 木下 由花(ia9509) / ベルトロイド・ロッズ(ia9729) / ユリア・ソル(ia9996) / フェンリエッタ(ib0018) / アレン・シュタイナー(ib0038) / ルシール・フルフラット(ib0072) / ヴェニー・ブリッド(ib0077) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / 御陰 桜(ib0271) / ティア・ユスティース(ib0353) / ファリルローゼ(ib0401) / 不破 颯(ib0495) / グリムバルド(ib0608) / 琉宇(ib1119) / rM(ib1338) / 海神 雪音(ib1498) / 白犬(ib2630) / あも(ib2704) / 六月 六日(ib2713


■リプレイ本文


 宴、当日。
「スタン!」
「ああ、良く来たな咬竜」
 小野 咬竜とマチェクが互いの右腕を胸の前でぶつけ合い、固く握手。
「今日は心行くまで楽しんでいってくれ。君も」
「はい!」
 咬竜の後ろに立つ有栖川 那由多にも声を掛ければ朗々とした声が返る。思い出せばこの二人、以前も一緒にいたが。
「仲が良いんだな」
 マチェクが言えば咬竜は一笑。
「飼い犬じゃからな」
「咬ちゃん!?」
 噛み付く勢いで反応する那由多だったが、マチェクに意味深な笑みを浮かべられて動揺。更に追い討ちを掛けたのは依頼で幾度も協力し合って来たファリルローゼだ。
「君の交友は不思議だな」
「違っ、ちょ‥‥っ」
「さすが咬竜、違うなぁ」
「ま、頑張りなさい」
 水鏡 絵梨乃、嵩山 薫といった友人達にも追い討ちを掛けられた那由多の頬は紅潮。
「バカ咬竜!!」
 精一杯の罵声には何人もの開拓者達の大笑いが重なる。咬竜の手が那由多の頭を撫で回し、微笑ましい光景に笑い声が続く中で、マチェクはファリルローゼに向き直った。
「君もよく来てくれた」
「せっかくの機会だ。それに――」
 言いながら、ロゼは共に此処まで来た二人を紹介した。
「妹のフェンリエッタと、親友のエミリー・グリーンだ」
「こんにちは!」
「初めまして、お会い出来て光栄です」
「此方こそ」
「今日は大切な二人と楽しませてもらう」
「ああ、是非そうしてくれ」
 マチェクはぽんと彼女の肩を叩き、後方に控えていた部下に三人の案内を任せると、更に開拓者達が集まる輪の中を進む。酒樽を頭上に持ち上げて歩く斉藤晃はマチェクの姿を見つけてそれを放る真似。祝い酒を受け取れと言うのだろう。
「スワン、今日はごっつい楽しませてもらうで」
「ああ、もちろんだ」
 応じ、やはり部下の一人に樽を受け取らせる。礼野 真夢紀やジェシュファ・ロッズからの差し入れも同様、全てが酒の席に集められていった。
「ああ、君はやっぱり飲み比べか」
 苦笑交じりのマチェクに声を掛けられた秋桜は優雅な一礼。
「やはりと申される所以が気になるところではありますが‥‥スタニスワフ殿が腕比べに敗退されましたなら自棄酒にはお付き合い致しますよ?」
「それは有難い。俺も君の飲みっぷりに期待させて貰うよ‥‥と、君は腕比べか」
「ええ」
 続いて気付いたルシール・フルフラットも生真面目に一礼。
「もしも対戦する事になれば、その時は手加減抜きでよろしくお願いします」
「それは怖いね」
 どこまでが本気か読めない笑みを覗かせるマチェクにルシールは苦笑う。
「マチェクさん‥‥もといスタニスさんとお会いするのも久し振りですが、お変わりないようで安心しました」
「おかげさまでね。今日は楽しんでいってくれ」
「はい」
 呼び方を変えた彼女に微笑ったマチェクは、トンと二人の肩を叩く。激励の意を込めて。


 宴の催しとして行なわれるのは腕比べ、飲み比べ、食べ比べ。傭兵団の面々もそれぞれに参加しての対戦表が公開された。
「初戦か!」
 酒々井 統真と朱麓の声が重なる。腕比べの一試合目を飾る二人は、しかし互いに気心が知れている間柄であると同時に本気で戦い合える関係でもある。
「手加減はしないぜ?」
「勿論」
 こうなれば勝敗は二の次。せっかくの初戦なら派手にいきたいと二人の表情が物語る。
 宴の準備は着々と進み、からすの即席の茶の席が設けられた頃にはアルーシュ・リトナとティア・ユスティース、二人の吟遊詩人がそれぞれの楽器を奏で始めた。傭兵団に所属する楽団に習った協奏曲が場を盛り上げる。
「お酒はそれ程得意じゃないけど‥‥こういう時は楽しまないと損‥‥ということで頑張って飲もう」
「ふふ、楽しみだねぇ」
「ほんとね」
 海神 雪音の呟きに、同じく飲み比べ参加の不破 颯、設楽 万理が薄く笑う。
 一方――。
「さぁてと、何だかわくわくしてきたわ」
 ヴェニー・ブリッドが目を輝かせるのは、噂のイケメン騎士マチェクと愉快な傭兵団への取材などこんな機会でもなければ無理という希少性故。彼女の笑顔は意欲に満ちていた。



 各勝負のルールは至って単純。
「参った」と言うか続行不能となれば脱落、最後まで残った者が勝ちだ。
「今日は好きなだけ食べていいんだよね?」
 意気揚々に語る白犬や、初めて食べるピロシキに期待の表情を浮かべる由花。勝負というからには真剣に臨もうというグリムバルドらが揃って用意された舞台に上がる。隣の舞台には飲み比べに参加する面々が上がり、腕比べの第一試合から第四試合までに出場する八名が試合会場の袖で待機、対戦相手と顔を合わせていた。
 試合開始まであと僅か。第一試合に登場する統真と朱麓は既に舞台上で準備運動を開始し、袖で待機している真珠朗はベルトロイド・ロッズから向けられる闘志を軽くいなすように笑んでいた。
「騎士を潰すのが目的で来たのだけれど、その予想以上の相手と巡り合えたわ」
 篭手を締めなおす薫に対し柳生 右京は薄い笑みを浮かべるだけ。そこには非常に緊迫とした空気が漂っていた。
 そして、次の試合を待つアルティア・L・ナインと景倉 恭治は――。
「呼び出して悪かったやね‥‥」
 恭治のいつになく真面目な表情にアルティアは小さな吐息を一つ。言葉ではなく視線で意を告げ、この相手に呼び出された理由ならば何となく察しがついているから食べ比べ会場にいる千羽夜に目線を転じた。
 大切であればこそ、譲れないものがある。
 第一試合開始の合図は、その直後だった。



「はぁああ!!」
 真っ先に威勢の良い声を張り上げ相手目掛けて走り出したのは統真。迎え撃つ朱麓は大気を切り裂く勢いで槍を振るった。
「せやぁっ!」
「っ、甘いね!!」
「!?」
 相手の目を射抜く視線は一瞬たりとも外される事はなく、方向を変えよう、不意を突こうと試みても先回りされる。統真の動きは、完全に朱麓に読まれていた。
(隙がねぇ!)
 統真は意識を集中し気を高める。八極天陣。来る、と此方も予測していた強烈な槍での一撃を間一髪でかわした瞬間、統真の口元には笑みが浮かぶ。
 ――楽しい。
 そう感じるのは統真だけではない。観戦する彼らの胸中をも疼かせる。


「いただきま〜す」と手を合わせ、早速両手にピロシキを掴んだ白犬、エミリー。
「誰にも止められずに好きなだけピロシキが食べられるなんて夢みた〜い!」
 その細身のどこに入っていくのだろうと不思議で仕方ないのは周りで見ている面々だ。
(俺はまぁ、育ちが育ちでこの体だから結構入るけど‥‥)
 グリムバルドは口に放った一つを咀嚼しつつ見入っている隣ではrMが黙々と食べ進め、木下 由花は膝の上に手拭を置いて着物が汚れないよう配慮、ピロシキを小さく千切りながら口に運んでいる。
 その数、既に四つ目。
「大食いですが美しく頂かなくてはなりません。汚く食べたら料理に悪いですからねっ!」
 そう宣言していた彼女の食欲たるや目を瞠るものがあった。グリムバルドは口にあったピロシキを飲み込み、深呼吸を一つ。
(なんか纏ってる気配が違うぞ、こいつら‥‥)
 勝てる気がしないと、些か気弱になりそうなグリムバルドだったが、勝負というからには真剣にやらねばこうして勝負している相手にも失礼だ。
(美味いピロシキが食えりゃ満足だが‥‥やるだけやるさ)
 周囲の状況は気にせず、自分の目の前に置かれたピロシキだけに集中し出した彼の食べる速度は徐々に上がっていった。
 一方でそろそろお腹がいっぱいになりそうなのは琉宇。三つ目に手を伸ばして自分のお腹と相談。
(いけるかな?)と考えている途中で聞えてきたのは幼馴染の声だった。


「どうして参加しちゃダメなの?」
「どうしても何も坊主は幾つだ! 子供があんなペースで酒を飲むなんて有り得ん!」
 ジェシュファから酒の入ったゴブレットを取り上げて叱っているのは四十代の傭兵団員だ。自身にも同じ年頃の息子がいるせいか子供の飲酒は容認し難いという親心もあったし、それよりも何よりも、ジェシュファが非常に危険な飲み方をする上に「五〇リットルは飲める」なんて尋常ではない返答をしたのが拙かった。以前から面識がある相手ならばまだしも、初対面でのその申告は「酒の飲み方を知らない子供」だと思われても仕方が無い。
 ジェシュファ・ロッズ、強制退場。
 飲み比べ参加者数、開拓者は残り一〇人。



「わぁぁ!!」
 不意に湧き起こった歓声。食・飲みべ比べ等、四方に散っていた視線が一瞬にして集まった腕比べ第一試合が行なわれていた会場では、いま、統真の拳を顔面すれすれの至近距離まで許してしまった朱麓が土に片膝を付く形で固まっていた。
 数秒前、大気をも震わさんとするけたたましい鳴き声――統真の呼びかけに応じ示現した鳳凰の翼の如く燃え広がる炎を回避する内、炎幕から飛び出してきた統真に真正面を取られたのだ。
「――勝負有、だよな」
「‥‥ふっ」
 ニッと笑む統真に朱麓も笑う。
「良い試合をどうも。なかなか楽しかったよ」
「俺もさ!」
 今の今まで本気で戦っていた二人は、だが笑顔で互いの拳を握り合う。
 そうして語らいながら試合会場を去る二人に「勝者、酒々井統真!」と宣言する審判の声と惜しみない拍手が贈られた。
「初戦からこれは、なかなか楽しめそうじゃないか」
「そんな余裕を見せていて良いのかしら?」
 一試合目が終わった時点で、五試合目に登場するマチェクとユリアが会場袖に顔を揃え互いに不敵な笑みを見せ合っていたのだが、彼らの前方、これから試合に臨もうというアルティアと恭治の周辺にはいつになく硬質な空気が流れていた。
「次の二人、前へ!」
 審判に呼ばれて会場中央へ向かう途中。
「一つ、手合わせ願うやね」
 両手に握る刀を振り、にやりと笑む恭治に、アルティアは。
「手加減はしないよ」
「当然」
 カチャリと刃が響く。
 一つ深呼吸の後、審判の「開始!」の合図。
 両者は激突した。


 腕比べ第二試合の開始と共に食べ比べに参加している千羽夜の、ピロシキを口に運ぶ手は止まっていた。
 恭治とアルティア。片や大切な恋人、片や大切なお爺様。どちらにも負けて欲しくないけれど、勝負には必ず勝ち負けがつく。恋人の頬にアルティアの刃が掠るのを直視して思わず立ち上がった千羽夜に周囲の参加者達が驚いて彼女を見上げるも、本人はそれどころではなかった。
「ぁ‥‥っ、恭治さん危ないっ!」
 間一髪でアルティアの刃を避けた恭治は、しかし避けるために崩した体勢を問答無用に攻められる。
 無駄も隙もないアルティアの剣技。
 恭治の顔が歪んで見えるのは、気のせい、だろうか。
「‥‥‥‥っ」
 千羽夜は呼吸も忘れて勝負に見入り、彼女までが苦しそうだ。
「どなたも大変ですね」
 大人びた笑顔を覗かせたアルネイスは膝の上に置いたカエルのぬいぐるみ・ピコリットに「ね?」と声を掛ければピコリットからも『ね』と同意の返事。隣に座っていた傭兵団員を驚かせたぬいぐるみの声はアルネイスの腹話術。
「心を落ち着かせて頂くのも料理への礼儀。千羽夜さんも梅干をお一つ如何でしょうか? アルネイスさんもお口直しに‥‥」
 言いながら、一口サイズにちぎったピロシキと梅干を交互に口に含んだ由花に審判の目が光る。
「木下由花、失格」
「あら」
 突然の先刻に目を瞬かせる由花だったが、食べ比べ勝負の最中にピロシキと水以外の物を口に入れれば失格となる事は事前に通告してあった。
 その流れで白犬も失格。彼は宴のために用意された料理にまで手を伸ばしてしまったからだ。
「ウマー♪」
 全ての参加者のため、または開拓者達が持ち寄った豪勢な料理の数々は白犬にとって宝の山も同然。それらを目の前にして「今は勝負中だから」と無視する事は出来なかった。何せ彼は「食欲に基づいて生きている」と豪語する食欲魔人。勝負には負けてもその表情は幸せ満開の笑顔だ。
 食べ比べ参加者、開拓者勢は残り六名‥‥否、五名。
「もうお腹いっぱいだよー」
 もとより大食いではないと言い、目標個数もダイスを振って決めていた琉宇が七つ目を食べ終えたところでギブアップだ。


 腕比べ会場、第二試合は続く。先の統真と朱麓の勝負も互いに本気だったが、此方の二人の本気度はまた別格だった。ともすれば相手を殺しかねない「本気」。
(相っ変わらず‥‥っ、アルの速度と来たら滅茶苦茶やね‥‥!!)
 彼の俊敏さは今回の宴に集まった面々の中でも確実に一、二を誇り、体力だけならば恭治が上だが、こうも鋭い攻撃を繰り返されれば躱すのも容易ではない。
 互いに二刀流、剣と武。
 駿脚、弐連撃、回避、箭疾歩、防御、払い抜け、受け、百虎箭疾歩――。息を吐く間もない攻防とは正に彼らの試合だった。手加減など一切無し。次の試合の事など無論、考えていない。
 高まる集中力が互いに互いの動きに空白を見出した一瞬、それを勝機と捉えたのは――アルティア。
「がっ!!」
 胸に一閃。吹き飛ばされた恭治はそのまま大地に転がる。
「くっ‥‥‥‥!」
 強烈な一撃は恭治をすぐには立たせない。勝負は決まった。
「勝者、アルティア!!」
 審判の宣言に恭治の顔が歪むのを見たアルティアは何かを言い掛けて、しかし駆け寄ってくる少女の姿に、微笑む。
 千羽夜と一瞬だけ視線が重なって、けれど彼女は真っ直ぐに恋人の胸へ。
「恭治さん!!」
「っ、ぁ、わっ!?」
 照れ隠しか、元来の女性アレルギー故か途端に狼狽える恭治と、そんな彼を抱き締めて離さない少女の姿にアルティアの微笑みは深まる。
 いいじゃないか。
 二人は、‥‥千羽夜は、幸せそうだ。
「ほら、さっさと立ったらどうだい? 君達がそうしていたら次の試合が始められないよ」
 慌てて立ち上がる千羽夜は「ごめんなさいっ」と恭治から離れ、その代わりにアルティアが手を差し出す。
「ほら」
「アル‥‥」
 目を瞬かせる恭治にアルティアは肩を竦めて。
「ま。君の気概に免じて、ね」
 支え合ってゆけば良い。
 それが大切な二人の幸せになるのなら。



 勝負の途中で試合を抜けて恋人の元に駆け寄った千羽夜は試合放棄と見なされ失格。ゆっくりと食べ続けていたアルネイスも五個でギブアップを申告し開拓者勢も残り三名。その頃には腕比べも第三試合が始まっていた。
「豺狼山脈が牙の実力、とくと見せてもらうわ!」
 自らに気合を入れて地を蹴る薫は、右京に唯一勝ると自負する素早さを駆使し相手の懐に飛び込んだ。
「覚悟!」
 対して右京の表情は穏やかだった。否、あまりにも静かだった。そして、決して退かなかった。
 たった一瞬。
 拳を躱された直後の踏み込みと、そこに全体重を乗せた斬撃。
「くっ‥‥!!」
 その強さは圧倒的。薫は数メートルの距離を吹き飛ばされた。静まり返る会場。右京の剣技に誰もが言葉を失い、薫は自分の膝が笑うのを自身で誤魔化す事も出来ない。
 実力に大差は無くとも、彼の存在そのものが――剣鬼。
(これが‥‥豺狼山脈が牙の実力‥‥)
 負けられない、と。薫は全力でこの勝負に臨んだが結果は右京の勝利。それでも、薫の表情にはやり切ったという思いが確かに浮かんでいた。



 腕比べの第四試合、真珠朗とベルトロイドの試合は真珠朗の勝ち。体力から時の運まで全てにおいて勝る真珠朗が勝ち進むのは自然な展開だったが、かといって彼が手を抜く事は一切なく、誰もが納得の一試合だった。
 次いての第五試合。ユリア・ヴァルとマチェクの試合は存外盛り上がった。試合内容がと言うよりも、見物人達の間から笑いが絶えなかったのである。
「可愛げのない男ねっ」
「男が可愛げを見せるのは女性と二人きりになった時くらいで充分だろう? ――今夜にでも試してみるかい?」
 完全に楽しんでいるマチェクに、周囲では呆れて肩を竦める部下があれば「『また』ですか」と頭を抱える部下もいる。
「頼みますから試合の最中に口説くのは止めてもらえませんかね!」
「さて、これは俺の責任かな」
 くすくすと、マチェクの態度はどこまでも楽しげだった。
 事の発端はユリアの作戦。槍と剣、互いの得物で打ち合う最中に真顔になった彼女が「マー君、言っておかなくちゃいけないことがあるのよ。私‥‥――自己紹介の時に貴方の『愛人』だって言ったのよね」
 語尾はにっこりと言い放った彼女に対し、彼の答えが「ああ、俺は構わないが?」なんてあっさりしたものだったからユリアが拗ねた。
「まったく! これまでどれだけの女の子を泣かせてきたんだか!」
「そんな覚えはないんだが‥‥、ではこうしよう」
「え?」
「君が勝てば俺の秘密を一つ君に贈る。だが、俺が勝てば君は無条件で俺を信じるんだ」
 微笑むマチェクに、目を瞬かせたユリア。
「というわけで、ね」
「!」
 突然の攻撃を、ユリアは咄嗟に受ける。
(早‥‥っ)
 受けられた事に自分でも驚くユリアの背筋に伝う冷や汗。一方でマチェクは防御した彼女に感心し、だが。
「きゃっ!」
「これで一本、だ」
 足払いでバランスを崩されたユリアは尻から地面に落ちかけ、寸でのところでマチェクの腕に抱きとめられた。
「約束だ」
「‥‥っ」
 耳朶に囁かれる甘い声。約束などした覚えはないしあまりにも一方的な言動。
 なのに。
「俺は誠実な男だよ」
 不敵に微笑われればユリアは空を仰いで吐息を一つ。もはや呆れる他ない。
「本当に可愛げのない男ね」
 苦く笑えば、笑い返される。
 ユリアは負けを受け入れた。



 飲み比べ会場でその試合を観ていたファリルローゼは僅かな間だったか瞬きを忘れていた。
「大丈夫ですか?」
「え。ぁ、ああ」
 麗華に声を掛けられて我に返った彼女は、同時に会場が次の試合の参加者――妹フェンリエッタと対戦相手の九竜・鋼介に入れ替わっている事に気付いた。それまでの表情を一転、飲む手を止めて祈るように指先を組む彼女は、ただ妹の無事を祈る。
「あ、妹さん?」
 そんな彼女の様子に気付いて歩み寄った那由多は共に観戦すべく隣に座り、夏 麗華から難波江 紅葉へ、万理へと「ファリルローゼの妹さんが出てる」という情報が回る。
「ほう! それは応援せんとな!」と晃が豪快に酒樽を持ち込んで観戦に回れば、其処は飲み比べ会場と言うよりも腕比べを肴に酒を楽しむ宴席に他ならない。此方の参加者達は揃って勝負よりも楽しむ事を選んでいた。
 そんなこんなで視線を集めているとは露知らず、試合開始の合図を受けて構えたフェンリエッタと鋼介。
「実力は相手が上だとしても負けるわけにはいかんな‥‥」
 右手に刀、左手には盾代わりの十手を構えてフェンリエッタを見据える彼は真摯な眼差しで、ぽつり。
「得物が刀だけに勝たな(刀)いとねぇ‥‥」
「――」
 フェンリエッタ、きょとんとし。
「なんて、な」
 生じた隙に地斬撃が炸裂した。
「おお!」
 開始早々の大技に観客席が興奮する。フェンリエッタはダメージを受けつつも細い手に飛鳥の剣を握り締め攻め込んで来る鋼介の刀を受け止めた。
「くっ」
 刀は受け止めた、だが左の十手が脇腹を突いて来る――ように見せかけて。
「!」
 フェンリエッタが咄嗟に体を傾かせて回避したと同時、十手の変則的な先が飛鳥の剣を絡め奪った。
「‥‥っ!」
 得物を奪われた上に、間髪入れず相手の切っ先が首筋に添えられれば勝敗は決したも同然。フェンリエッタは深呼吸を一つ。
「――参りました」
 先手必勝、鋼介の勝ちだった。


「フェンちゃん!!」
 勝負が決する間際に思わず大声を上げて立ち上がっていたのは食べ比べに参加していたエミリーだ。友人の勝負が始まるや否や此方の食べる速度も無意識に上がっていた彼女だが、その勝負が決し、フェンリエッタが負けると、エミリーの手も止まってしまった。
「‥‥飽きたわ」
「え?」
 審判が聞き返すよりも早く席を立って舞台を飛び降りたエミリーはそのままフェンリエッタの元へ。
「え、あ、放棄か?」
 審判が確認するより早く居なくなってしまった彼女は、そこで退場。何処へ行くのかと行方を追えば、試合会場を去るフェンリエッタに駆け寄って勢い良く抱きつくのが確認出来た。対して驚いたらしいフェンリエッタは、けれど、笑みを浮かべて。
「ま、いいさな」
 審判も思わず表情を綻ばせた。



 フェンリエッタの試合が終わると同時にファリルローゼも試合放棄で其方に駆けつけるなど、勝負に参加していた開拓者の人数は徐々にだが確実に減っていた。だが、飲み比べ会場に関しては先に抜けた者の方がある意味では安全だったかもしれない。酒が入れば言動が大胆になったりするのは、言わば自然の成り行きというもので。
「よし、一杯空ける毎に一枚ずつ服を脱いでいくわよ」
 万理の宣言にやおら賑わい立つ男衆。まだ辛うじて理性の残っている那由多が手を振るも、
「らめらよらりらんおるらろこら‥‥」
 理性は残っていても既に呂律が回っていなかった。
 那由多が何を言っているのかは不明だったが、それでも止められている事は判ったのだろう。万理は「いいえ」と威風堂々立ち上がる。
「これは私の勝負に対する覚悟」
 宣言する、その目は完全に据わっている。恐らく彼女自身、言っている台詞に意味は無い。
「‥‥でしたら私も負けられません」と麗華が胸を張って参戦表明したなら「おぅ飲め飲めぇ!」と酒を注ぐ男衆。えっちぃのではない。これが男の性である。
「止めなくて良いのかい?」と颯。
「止めて何ぞする?」とは紅葉。
 飲み比べ会場は混沌と化し、言葉では表現不可能な世界に姿を変える。飲み過ぎが原因なのかどうか見た目には不明だが気付けば眠りに落ちて颯の隣で静かな寝息を立てている雪音は、恐らく、きっと、幸せだった。


 その間にも勿論腕比べの試合は進んでいた。
 ルシールと咬竜は咬竜が勝ち。
 キース・グレインとニコライはキースが勝ち。
 絵梨乃と富士峰 那須鷹は絵梨乃が勝った。ある意味では順当と言って良い。
 そして一回戦の最終試合、アレン・シュタイナーとアイザックの試合はアレンが勝ち進み、腕比べは二回戦に突入した。



 二回戦の第一試合、統真とアルティアの勝負はものの数秒で統真が勝った。恭治との勝負に全力を尽くしたアルティアは錬力も尽きていたのだ。
 二試合目の真珠朗と右京、二人の試合は、もしかするとこれまでで最も観客の目を奪ったかもしれない。
 泰拳士と剣士、この組み合わせでの対戦は今回の腕比べにおいてもう珍しいものではなくなっていたし、武器を持って戦う泰拳士も少なくない。ただ、片やどことなく道化的な雰囲気を漂わせる真珠朗と、静かながらも圧倒的な強さを醸し出す右京、その戦いたるや一瞬たりとも目を離せない程に拮抗していた。
(まだ動きませんか)
 真珠朗は胸中に呟く。ベルトロイドとの一回戦では決して自分から仕掛けず、相手から自分の間合いに入って来たそこに軽い一撃を入れる、という攻撃パターンを繰り返していった。威力は関係ない。相手を行動させる事で体力を奪い、軽い攻撃を重ね、相手の身体に疲労とダメージを蓄積させていっての勝利だった。同じ作戦で勝てればそれに越した事はなかったが流石の右京相手に自分のペースに誘い込む事は出来そうになかった。
 誘うに動き、手を出すや否や受ける反撃。右京の刀が描く軌跡は流麗でありながら決して鋭さを失わず、一片の迷いもなく真珠朗に襲い掛かった。
「っ!」
「――」
 間一髪で躱せばふわりと揺れる白銀の髪。
 真珠朗の背筋に熱い汗が伝う。
 続く緊張は疲労を嵩ませ、集中力を奪う。
「‥‥どうでもいいんですか」
 不意に口を切った真珠朗。
「ぴろしきとふろしきって似てますよね」
 ――沈黙。
 右京は眉一つ動かさなかった。
(まぁ当然ですか)
 ならば此方から動くか、と真珠朗が策を練り始めた、が。
 不意に刀を握り直した右京が気合と共に疾走する。
「はあああああ!!」
「!」
 両断剣。
 突然の動きに驚いたというのも若干ある。しかしそれ以上に大気をも味方につけるような、暴風を纏う太刀筋を躱すには体勢を崩すしかなかった。そして右京は、崩れた体勢のまま逃げ切れる相手ではなかったのだ。
「っ」
 足元を持っていかれる。
 傾く。
 頭上に銀光の刃が煌いて、‥‥――勝者、右京。準決勝第一試合、統真と戦うのは彼に決まった。
 そして後半、鋼介とマチェクの勝負はマチェクが勝利した。開始早々、マチェクの不意を突こうと放った鋼介の地断撃は確かに試合会場となる大地を切り裂きマチェクの動きを制したけれど、これを躱し砂煙の中を鋼介に接近。術を放った後で次の行動に移ろうとする一瞬の隙に詰め寄られてしまえば鋼介に対処の仕様はなかったのだ。こうして先に進んだマチェクは、実は宴の主催者という立場もあって他の腕比べ参加者達よりも一試合多く戦わなければならない。その相手を決めるのが次の二回戦第三試合目である。戦うのは咬竜とキース。サムライ同士の対決となり、軍配は咬竜に上がった。



「つつ‥‥っ」
 咬竜との一線で腕に負った傷を手で抑えながら会場を後にしたキースに前の試合で負傷した鋼介が声を掛ける。
 会場では絵梨乃とアレン、二回戦の最終試合が始まっている。
「大丈夫か?」
「ああ。問題ない」
「そうはいきません」
 キースの、怪我を軽視する発言に間髪入れず声を発したのは更に前の試合で負傷した真珠朗の治療を行なっていた真夢紀だった。
「この方と、鋼介さんの手当てが終わったらすぐにそちらへ行きますから、大人しく待っていてください」
 びしっと言い切られたキースは何となく鋼介と顔を合わせる。
「そういうわけで、な」
 自分も此処に座っているのだと肩を竦めて見せる鋼介。そうなると、自分だけ真夢紀の厚意を無にしてこの場から離れるのも憚られて仕方なしにその場に腰を下ろした。そうしている内に聞えてきたのは楽しげに会話している那須鷹とマチェクの声。二人はゆっくりとした足取りで彼らの方に近付いてくる。
「――で、わしと勝負せい。わしが勝ったらおぬしを一晩持ち帰る」
「おいおい、それが亭主持ちの台詞か?」
「色男がいるのに持ち帰らぬは女の恥じゃ」
 冗談交じりの遣り取りが続くも、彼らも此方の様子に気付きマチェクの片手が上がる。
「傷の具合はどうだ?」
「咬竜も女子相手に問答無用じゃの」
 那須鷹はキースの傷口を覗き込むようにしながら既知の男に失笑を漏らした。と、そんな声が聞こえたらしく絵梨乃とアレンの試合を観ていた咬竜が「俺は大層な負けず嫌いじゃからな」と。
「それに女子だからと手心を加えるは侍の誇りに泥を塗るようなもんじゃて」
「ああ」
 これには本心から同意見らしいキースが軽く頷き、ずっと怪我人の手当てを続けてくれている真夢紀にはマチェクから感謝の言葉。治癒術を使える彼女のおかげで、腕比べで敗退した面々も何不自由なく宴席に混ざり仲間達と酒を酌み交わしながら試合観戦に熱くなれるのだ。
「キースも鋼介も、もちろん真珠朗も、治療が終わったらあちらの宴席で楽しんでいってくれ」
 マチェクに促され見遣る先には、もう宴会が始まってしばらく経つと言うのにいまだ豪勢な料理の数々が乗った大きな卓と、そこで満面の笑顔を見せ合う仲間達の姿。
「まぁ、白犬が片っ端から平らげて行くんで急がないと無くなる料理もあるがな」と、卓にまで齧りつきそうな勢いで皿を空けていく幼い少年に微笑む。そんな光景を見ていると、キースの胸中には不思議な感覚が膨らむ。
(‥‥大所帯でもなければ、宴をやるような者達でもなかったが‥‥何か懐かしいな)
 試合には負けても充分に楽しめそうだ、と。ほんの微かに和らぐ口元。
「那須鷹も宴に混ざってはどうだ?」
「それはおぬしの返答次第じゃの。わしとの勝負、受けてくれるか?」
「ふむ」
 応じたマチェクが見遣る先には咬竜。
「それはあいつ次第かな」
「ふっ」
 咬竜とマチェク、次の試合で戦う二人。
「ぎったんぎったんにのしてやるがよいぞ?」
 那須鷹からマチェクへ掛けられた台詞に、周囲からは笑いが広がり――直後、会場から歓声が上がる。
「!」
 弾かれる勢いで会場に視線を転じれば、絵梨乃の飛龍昇で護られた拳がアレンの脇腹に直撃、その鎧共々吹き飛ばした瞬間だった。
「おおおおっ!!」
 細身の女性が騎士を吹き飛ばす。ジルベリアという国柄、騎士であるアレンに自身を投影する傭兵も少なくない中での、この展開は、否が応でも会場を盛り上がらせた。


(目指すは統真との真剣勝負‥‥!)
 絵梨乃は握った拳に気合と強い思いを乗せて、放つ。
「くっ!」
 態勢を立て直したアレンが構えるも、それより早く懐に飛び込んだ絵梨乃。その素早さは正しく髄一。加えて酒気を帯びた技は読み難い。
「――!」
 アレンには繰り出される拳から逃れる術がなかった。
 撃たれて、最後。
 絵梨乃の準決勝進出が決まった。



 準決勝が行なわれる前にもう一試合、咬竜とマチェクの試合がある。この勝者が準決勝で絵梨乃と戦うのだ。
「どちらが勝つと予想するかしら?」
 ヴェニーに酌をされながら問われた傭兵団員の一人は「そりゃあボスに決まってるさ!」と自信満々に断言。
「だがなぁ」
 そう口を挟んだのはマチェクの右腕と名高いイーゴリだ。
「戦場でのボスならいざ知らず、相手の咬竜という男もなかなかの手練だろう?」
「ふむふむ♪」
 持参した帳面に彼らの発言をメモしながら、ヴェニー。
「じゃあ質問を変えるわ。そうねぇ、じゃあ――」
 主にマチェクをメインとした聞き取り調査。矢継ぎ早に問いを投げ掛けてくるヴェニーに団員達は笑ったり、困ったり。

「女性なら誰でも良いってどういうことかしらマチェクちゃん‥‥!」
 たまたま話が聞こえていたエミリーが頬を引き攣らせて呟けば、彼女の言い方に多少の語弊がある事も理解している姉妹が苦笑う。正確には「ボスは女性を選り好みしない」と言ったのだ。
「あの顔で、傭兵団の隊長という立場だからな。本人がどうであれ周りも放っておかないだろう」
 達観したファリルローゼの言葉に再び苦笑するフェンリエッタ。
「否定はしませんけれど‥‥でも‥‥」
 彼女は腕比べ会場で自分の出番を待つ間、次の試合のため同じ場所にいたマチェクと言葉を交わす事が出来た。彼と姉の縁があったらこそ、かつての乱における反乱軍の総大将コンラートという一人の騎士の生き様を見届ける事が出来た自分は幸運だった。交わした言葉はなくとも一つの誓いを胸に抱く事が出来た――その事への感謝と、そして祈りを笑顔に重ねたフェンリエッタは、マチェクの誠実な部分に触れた気がしていたのだ。
 そんな彼女の考えを正しくは察せずとも、やはり思うところがあったのだろう。姉妹と親しくしているルシールも頷く。
 この宴が、何の為に。
 誰の為に、開かれたのかと。

 男二人、その戦う姿はひどく楽しそうだった。
「先だっての戦では御主らと戦えなかったのが残念でならんかったからな!!」
 豪快ながら迅速、鋭利な咬竜の刀を、軽快にして強固なマチェクの剣が受け流す。
「個人の勝負であればいつでも受けるんだが、な!」
 それも暇があれば、という補足に咬竜は笑う。
 笑って、強烈な一撃を振り下ろした。

「やっぱりすごいや‥‥」
 一回戦に敗退したベルトロイドが鮮烈な戦いに胸躍らせる隣では飲み比べを棄権させられたジェシュファが不満顔で一番好きな酒を煽り、これを宥める琉宇は幼馴染達のためにたくさんの料理を取り皿に盛って運んで来る。
「このパイ、すごく美味しかったよ」
「食べたい!」
 ベルトロイドが手を伸ばし、しかし頬を膨らませているジェシュファに困惑。
「そろそろ機嫌直したらどうだ?」
「マー君が負けたらね!」
 マチェクに恨めしい目線を向けた、その時。
「あ」

 少年の恨みが勝ったのか、はたまた偶然か。強烈な一撃を放とうとしたマチェクが直後に体を強張らせて隙を生じさせた。
 そこに襲い掛かる咬竜の太刀。これが戦場であればマチェクの首は刎ねられていたであろう状況に、審判(傭兵団員)が言葉を詰まらせながらも咬竜の勝利を宣言した。
「‥‥どうしたんじゃ?」
 納得がいかなさそうな咬竜に、しかしマチェクは笑うだけ――。

「ああ、なるほどね‥‥」
 観客席で呟いたのはアルティア。
「ん?」と聞き返したのは千羽夜と談笑に耽っていた朱麓。共にいる恭治はアレルギーのせいか、もしくは疲労か、先刻から横たわったままである。
「マチェクが負けたのかい」
 朱麓の意外そうな声にアルティアは微笑う。気付いたのは偶々その方向に居た者だけ。判るのは、何事もなく次々と料理が運ばれて来ている、という事実だけである。

 準決勝第一試合は統真と右京。
 第二試合は咬竜と絵梨乃。
 それらの試合で右京と咬竜が勝ち進むのを全員が確認する頃には、食べ比べの勝者が決まっていた。傭兵団員の面々が数を口に詰め込んで自滅していく中で自分のペースを守りながら食べ続けていったのはグリムバルドとrMの二人。そして「食べられるだけたべて食費を浮かせよう‥‥」という些か切実な事情を持ったrMの頭上に、優勝の冠が授与された。‥‥が、自分よりもよほど数を食べていながら、今尚、宴会のための料理を平らげている白犬やエミリーには呆然とせざるを得ない。
「‥‥胃の構造が違う気がして来た‥‥」
 呟くrMの肩をグリムバルドが労うようにトンと叩く。



 右京と咬竜の決勝戦が始まり、飲み比べ会場の混沌とした雰囲気は更に色濃くそこを別世界にしていた。既に勝負云々はどうでもよくなっている気がしないでもない。万理と麗香は脱ぎ、騒ぎ、皆でダンス。
「真珠朗! 飯も酒も徹夜でいけるで!!」
 その騒ぎを更に上回る大声で晃が悪友を呼ぶ。
「やれやれ」と失笑する颯の側では相変わらず眠り続ける雪音と、もう一人。那由多もすっかり夢の世界に旅立っていた。

「よ、スタン」
 負けて酒の席に着こうとした彼を呼び止めたのは飲み比べに参加中の巴 渓。
「君はあちらには参加しないのか?」
「冗談」
 混沌を指差し茶化す彼にそう応じた渓がぽんと放ったのは天儀酒『武烈』。
「弔い酒にでも使ってくれ」
「そうか‥‥ありがたく頂戴しよう」
 薄い笑みを浮かべて立ち去る彼の背に渓は告げる。
「‥‥ふ。こっちの酒も、美味いぜ」

 吟遊詩人達の楽の音が。
 歌声が、決勝戦に花を添える。
 歓談にも華やぎと賑わいを。

「お疲れさま」
「ああ、ありがとう」
 ファリルローゼからゴブレットを受け取ったマチェクは、同時に其処で茶席を設けていたからすの視線が自分の持つ天儀酒『武烈』に注がれている事に気付いた。
「飲むかい?」と誘えば応の返答。マチェクと飲みたかったというアレンやユリアも集まってくる。
 更には試合を終えたばかりの絵梨乃と統真。
「悔しいなぁ」
「それは俺も同じ」
 互いに互いとの真剣勝負を目指していたが、統真の相手はあの右京。一瞬の隙が命取りとなって敗退に至った。対し、それを先に見てしまった絵梨乃が目標を見失ってしまったという事実は否めず、無論、気を抜くつもりなど毛頭なかった絵梨乃だが、今日の咬竜は普段と様子が違っていた。前の勝負で納得のいかない勝利を手にしてしまったせいか迫力が割り増しされていたように思う。
 負けて悔い無しとは、なかなか言い難いけれど、決勝戦は盛り上がった。会場は右京と咬竜、それぞれを応援する二つの派に分かれての応援合戦。祭の最高潮は確かにここだったろう。
「‥‥っ」
 拳を握り「戦いたい」という無言の欲求を滲ませる者も少なくない。中でも統真と絵梨乃の二人は顔を見るだけでも判る程に、判り易過ぎて。
「せっかくだ、この試合の後に三位決定戦でも行なうかい?」
「やる!!」
 マチェクの問い掛けに、即答する二人。
「ならばおぬしも!」とマチェクに勝負を申し出たのは那須鷹だ。


 咬竜が剣技を放てば右京は躱し、右京が踏み込めば咬竜が迎え撃つ。
「はあああああっ!!!!」
 太刀と刀、ぶつかり合う衝撃は大気を振るわせる。
 観戦する人々の息を殺させ、汗を滲ませた。
「‥‥咬竜殿の方が一つ有利、かな」
「有利とは?」
 アレンが聞き返せば、からすは「これは宴ゆえ」と。
 そう、これは宴。
 見世物。
 咬竜と右京に決定的な違いがあるとするならば道楽の盛り上がりを味方に出来るか否かだろう。
 応援を糧にして更なる『やる気』を漲らせる咬竜か。この、刀を振るうには安穏過ぎる『試合』で右京の本来の剣が冴えるか、否か。
 結果は時間が導き出す。
「わああああああ!!」
 会場が湧く。二人の得物がぶつかり合い生じる突風。力で押し勝ったのは――――咬竜。
 審判の宣言に更なる歓声が会場を包む。
「なかなかに愉しめた。‥‥私の負けだ」
 それきり背中を向けて立ち去る右京に「俺の方こそじゃ」と咬竜。そうして彼もまた試合会場を後にし、仲間の待つ酒の席へ勝利を掴んだ手を拳を掲げた――。


 そんな一人一人の行方を樹上から眺めていたのは秋桜だ。今まで何処にいたのか、それとも酒はのんびり飲むものだと最初から其処に避難していたのか。
「良い試合でした」と盃一杯。
 統真と絵梨乃が三位決定戦だと盛り上がる。那須鷹がマチェクに勝負しろと誘う。春の宴はまだまだ終わらない――‥‥。