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■オープニング本文 ● その日、空は朗らかという表現が似合いの清々しい青色が広がり、風は暖かく人々の間を吹き抜ける。家々の庭に咲き誇る花も、道端をひっそりと彩る花も、見る側を笑顔にさせる可愛らしさ。 春だ、と。 その事が穂邑(ほむら/iz0002)の表情にも笑顔を浮かべさせる。 「藤さん、今日もお花がとっても綺麗ですね!」 「ええ、ありがとう」 縁側に座り、庭の花達を眺めていた老婦人、十和田藤子が笑顔で応じる。 「穂邑ちゃんも元気なのは良いけれど、走って転んで、怪我をしたりしないようにね?」 「はい! 大丈夫ですよ♪」 と、言った先から爪先が道端の小石に引っ掛かる。 「と、ととっ」 「穂邑ちゃん!」 慌てた藤子が腰を上げるも、穂邑は「大丈夫」と踏ん張る。 「それではまたですよ!」 大きく手を振って走ってゆく少女の姿を、藤子は丸くした目で見つめていたけれど、それもいつしか笑顔に変わる。 「まったく‥‥元気な娘さんだこと」 くすくすと鈴のような笑い声が少女を見送った。 穂邑は、決して急いでいるわけではなかったのだが落ち着くのが難しいのも確かだった。というのも、これから行く先で懐かしい人が彼女を待っていたからだ。 目的地は彼女が居候している、兄と慕うゼロ(iz0003)が暮らす長屋。 その外観が目に入るなり穂邑の歩調は更に早まった。 引き戸に手を掛けて飛び込むなり、叫ぶ。 「兄様! 東郷さんはいらして‥‥っ」 声は、途中で途切れた。 大きな目が更に見開かれ、その瞳に映る姿は懐かしの――。 「よぅ、穂邑」 片手を上げて微笑む頑強な身体つきの陰陽師、東郷椎乃(とうごう・しいの)。約一年振りに会う彼は、穂邑が開拓者になったきっかけとも言える人物。 「東郷さん!」 「はははっ、随分大きくなって見えるな!」 駆け寄ってきた穂邑の脇の下に手を添えて軽々と抱き上げた。 「ああ、背丈も重さも大して変わっていないのにな。開拓者になって人間成長したということか」 「と、東郷さんっ」 「ん?」 頬を赤らめる穂邑に男は小首を傾げ、しかしすぐに察する。 「おおそうかっ、恥じらいってやつも覚えたのか!」 「とにかく下ろして下さいっ!」 遠慮の無い指摘に顔を真っ赤にする穂邑は強い口調で言い放つ。ゼロはゼロで、何だかよく判らないが穂邑が楽しそうなのでまぁ良いかと「ゆっくりしていけ」と言い残し奥へと姿を消すのだった。 ● 二人の出会いは約一年前――まだ少女が『石鏡の巫女』であり開拓者となるより以前に任じられた理穴からの使節団の案内役を務めていた時だ。 この使節団が石鏡のとある場所でアヤカシに襲われて壊滅した。 その場にいたほとんどの者が亡くなる中で、ただ一人、穂邑がこうして神楽の都に逃げおおせたのは偏に彼、東郷椎乃の助けがあったからである。 穂邑にとって、彼は命の恩人であり、開拓者となるきっかけをくれた大切な人。 更にはゼロと出会わせてくれた人物でもある。 「天儀の有名人とうまくやってるようじゃないか」 先刻のゼロの様子を思い出して呟く椎乃に、しかし穂邑はむくれる。 「そうでした! そのことで椎乃さんにお会いしたら文句を言わなければと思っていたんです」 「文句?」 「そうですっ、だって椎乃さん、兄様と知り合いでも何でもなかったじゃありませんか!」 一年前のあの日、アヤカシに襲われた衝撃からまだ立ち直れずにいた穂邑に「あの長屋のゼロって男に頼めば面倒を見てくれる、奴の人柄は俺が保証するから安心しろ。達者で暮らせ、また会おう」と言い残し旅に出てしまった東郷。彼しか頼れる人のいなかった穂邑は不安で泣き崩れそうになりながらも、彼の言葉を信じて長屋の戸を叩いた。 が、東郷なんて男は知る由もなかったゼロ。穂邑の面倒を見る義理など欠片もなかったのだが、途方に暮れて泣き出した少女を追い出すことも出来ず、居候という形で現在に至ったのだ。 「あの時から兄様にはご迷惑を掛けっぱなしで‥‥っ、東郷さんが嘘なんて吐かれるから!」 「‥‥つーか」 少女の叱責に、しかし男はきょとんと瞬き。 「俺、ゼロと知り合いだなんて一言も言ってないだろう?」 「――」 嘯く男の台詞を思い出してみる穂邑。 思い出して、考えて。 「‥‥っ、でも‥‥!」 「言ってないだろう?」 にやにやと笑う東郷に、声を震わせる穂邑。 「‥‥っ、東郷さん、ひどいです‥‥っ」 「はははは!」 男は声を上げて笑い、しかし穂邑が楽しそうに暮らしていて良かったと語る。 笑い、怒り、出会った頃の面影はほとんどない人間らしい姿に安心した、と。 「俺はしばらく神楽の都に逗留している。会いたくなったらいつでも来い」 東郷は最後にそう告げて、穂邑のあたまをぽんと撫でていった。 長屋で幽霊騒ぎが起きたのは、それから数日後の事だった。 ● 開拓者ギルドで穂邑がその依頼を見つけたのはゼロがジルベリアへの珍道中真っ只中の日。もしも彼が長屋にいればギルドに依頼として並ぶ前に解決してしまっていただろう。 「長屋の傍に幽霊‥‥」 夜な夜な聞こえてくる苦悶の声、怨み辛みを訴えるかのような嘆きに近隣住民は病に似た症状を訴え、寝込む者も増えているという。 場所は穂邑が住む建物からは一番離れた北側、土手の向こうに掛けられた橋付近。 「これは、あたしも手伝わないと‥‥!」 長屋に住む者の一人として立ち上がった穂邑は、早速とばかりに受付へ足を運んだ――。 |
■参加者一覧
朝比奈 空(ia0086)
21歳・女・魔
鈴梅雛(ia0116)
12歳・女・巫
キース・グレイン(ia1248)
25歳・女・シ
神咲 六花(ia8361)
17歳・男・陰
月野 奈緒(ia9898)
18歳・女・弓
ハッド(ib0295)
17歳・男・騎 |
■リプレイ本文 ● ザッと足を踏み鳴らし長屋に立ち入るのはハッド(ib0295)。 (我輩は王である。国民はまだない――) 凛とした立ち姿で爽快な足並み。背後に数名の開拓者を付き従えて歩く己の姿にフッと笑みを零す彼は、しかし正確に言えば仲間の一人。彼自身もまた、長屋で起きている幽霊事件、その解決を請け負った開拓者なのである。 (ほほっ、何やら面白そうな事が起こっておるようじゃの。ここはひとつ解決してみようではないか) 余裕の笑みを浮かべながらどんどん先に行く彼の背に、前後を慌しく見遣る穂邑。 「あ、あの、お一人で行かせてしまって大丈夫なのでしょうか‥‥っ」 「事件の概要を聞く限りは問題なさそうだけれど」 神咲 六花(ia8361)が応じ周囲を見渡す。不快な声が長屋に聞こえ人々が次々と体調を崩すと聞いて来た。しかし、現時点での長屋には至って平穏な空気が流れており、あえて異様と表現するならば普段は賑やかな通りにほとんど人の姿が見えない事だろう。 軒先で、たらいに溜めた水で洗濯をする主婦。 肴を干す母親と、それを手伝う子供。 通りを友達と駆け回りながら奇声ともとれる笑い声を上げる子供達‥‥普段ならば見られて当然の姿が皆無に近いのは、やはり妙だ。 「幽霊‥‥ですか」 ふと朝比奈 空(ia0086)が呟く。 「被害も大きくなっていますし手遅れになる前に片を付けたいものです」 「アヤカシの仕業なら良いのですが‥‥」 そんな空の言葉に応じて表情を曇らせるのは鈴梅雛(ia0116)。 「本当に幽霊だったら、どうしましょう」 「そうだね‥」 六花は表情を和らげて雛に頷いた。 難しいのは人の綾なす想いが絡む時。 「幽霊退治、それだけで終われば僥倖かもね‥‥」 その言葉に、不意に開拓者達の間に落ちる沈黙。春の風が彼らの間を吹き抜けた。 「――しっかし、まぁ」 そんな沈黙の帳を振り払うかのように声を発したキース・グレイン(ia1248)は肩を竦めて大きな呼吸を一つ。 「この間の宿でも幽霊アヤカシがすすり泣きのような声を上げていたが、少々空けている間に近所でも似たような状況になっていようとはな」 それこそ穂邑の兄様ことゼロと共に関った依頼だと苦笑する彼に穂邑も「そうなんですか?」と驚く。 「では長屋の異変も解決あるのみですね」 「ああ」 「大丈夫! 神楽の都の治安は、私が守ってみせる!」 ぐっと握り拳に力を込めて月野 奈緒(ia9898)が宣言する。その思いは皆が同じ。ならば早速と行動を開始した彼らは、各々の目的地を目指して道を分かれた。 ● 空、雛、キース、ハッドが長屋の住人宅を一軒ずつ回って情報を集めている一方、六花と奈緒は穂邑と共に十和田藤子の家を訪ねていた。相変わらず美しい花々が咲き誇る庭には春も終わろうと言うのに今だ咲き誇る木蓮、芍薬、董、山吹、桃に躑躅。夏に向けて蕾を膨らませつつある橘、石楠花、下野、凌霄花‥‥しかしながら、その全てが色褪せて見えるのは決して気のせいではなかった。 「せっかく綺麗なのに‥‥」 奈緒が悲しげに呟くと、藤子も「ええ‥‥」と頬に片手を添えて切ない溜息を吐く。そんな彼女に一つの包みを差し出したのは六花。 「もしよければ」 そう告げながら紐解く風呂敷の中には杜若の鉢植えがあった。 「僕が寄宿している民家の庭にも四季折々の花が咲くから」と、友好のしるしに鉢植えを用意して来たという。それでなくともアヤカシとの戦闘となれば周囲を騒がせてしまうのは必至。六花の心遣いが伝わって来る。 「幸運を意味する花さ」 「まぁまぁ‥‥」 藤子は頬を緩ませて感謝の言葉を告げる。 「とても綺麗ね、嬉しいわ」 いまだ幽霊と思しき声の影響を受けていない杜若の表情は庭のどの花よりも活き活きとしていて、藤子の表情までも明るくする。それが穂邑にも嬉しかった。 「お茶を、お淹れしましょうか」 「それならハーブを持参したよ」 再び荷の中から良い香りのするハーブを取り出す六花。穂邑が「それでは」とお茶の用意を始めると、自分も負けてはいられないといった勢いで懐から春の香り袋を取り出す奈緒はこれを開封しようとした。 花の香りで藤子を、そして長屋の人々を少しでも元気付けられればと考えたからだ。 「あらあら、そんな、勿体無いわ」 だが、その手をおっとりと止めさせる藤子の声。 「香り袋はそのままで楽しむものだもの」 そもそも香り袋に詰められた花の匂いはそれほど強くない。例えば奈緒がこれを身に付けていたとして、近付いた相手が気付く程度。花の匂いに心和ませ、どんな女性なのだろうと男心を擽るもの。だからこそ天儀の女性のお洒落に用いられるのだ。 「貴女のような可愛らしいお嬢さんの香りになれたら花達も喜ぶわ」 「うにゃっ‥‥可愛いなんて‥‥っ」 褒められて表情が緩む奈緒。その様子がまた愛らしい。 「はい、奈緒さんはとっても可愛らしい方です♪」 穂邑にまで言い切られてますます笑顔が綻ぶ奈緒に六花も微笑。穏やかな雰囲気に包まれながら、話題は件の声へと移り行く。 その間に穂邑は空から言われた通りに花や藤子に対して術視を行なったが、術は何の反応も示さなかった――。 同時刻、開拓者長屋の住人達から聞き込んだ情報を元に故人を含む家族構成や人物相関を作成していたのはハッド。 アヤカシとの対決に向けて、特に橋の近辺に暮らす住人達には避難するよう指示を出していたのは、空と雛の協力を得ながら避難の手伝いをしていたキースだ。彼自身、この長屋の住人という事もあって話が早く進む。 「動けない病人が居れば手を貸す。一晩で終わらせられるよう努力するから、とりあえず移っていてくれ」 口調はぶっきらぼうでも真摯な眼差しは疑いようが無い。人々は素直に彼の指示に従い、彼らの問い掛けにも快く答えてくれたし、それらを聞いている内に開拓者達はある種の共通点に気が付いていた。避難する人々の多くが体調不良を訴えているが、中には問題のない人々も少なからず居り、健康そのものの彼らは、言うなれば『大雑把』な性格をしているのだ。例えば避難の際に「忘れ物はないか」と尋ねれば「気付いた時にどうにかするさ」と陽気に返してくる。表情も明るい。対して体調不良を訴える彼らは目の下に濃い隈を作り、まるで寝不足‥‥そう、寝不足だ。頬がこけているのは疲れが取れずに食欲を減退させているせいだろうし、頭痛、吐き気、目眩、全身の倦怠感。どれも寝不足で説明出来る症状ばかり。実際に話を聞いてみても「聞えてくる声がうるさい」「不気味で気持ち悪くて耳障り」「今にもこっちに迫ってきそうで落ち着かないんだ!」といったように眠れない理由ばかりが語られたのだ。 人々の話を聞く限り、彼らの体調不良は呪い云々とは縁遠いものに感じられる。解術の法が何らかの効果を示す事も無く、はっきりと「呪ではない」と断言する事は出来ないけれど、そう考える方が自然な状況になりつつある事は確かだ。――だからこそ。 「奇妙ですね」 避難を手伝っていた空の呟きに、キースも頷く。 この騒動、何かがおかしい。 「先に」 ぽつり、小さな呟きを零す雛に二人の視線が注がれると、雛は恐縮したように体を縮ませた。 「橋を、調べに行ってみますか? 夜だと怖いですし」 「そうですね‥‥」 雛の提案には空が賛同。住民の避難をキースに任せると女性二人は共に橋へ向かった。 問題の橋は長屋からそう遠くない距離にあった。 春になり緑深まる柳の木に周りを囲まれているせいか陽が射し難くなっており、このような昼間でも薄暗い。 「雰囲気としては正に、と言ったところでしょうか」 「ですね」 空の呟きに、雛が微かに声を震わせた。辺りに漂う雰囲気、‥‥否、気配というべきか、其処にはアヤカシ云々の以前に人間として長居したくないと思わせる何かがあったのだ。 それでも此処まで来たからには調べるべき事がある。 「怪しい影が居たのは、橋の下でしたっけ」 雛は自ら該当地点と思われる場所に下りて周囲を探る。 「気をつけてください」と声を掛ける空も後に続くと、互いの術の範囲が重ならないよう注意しつつ発動される瘴索結界。巫女達から放たれる微かな光りは薄暗い周囲の環境の中で一抹の希望のようにも見えた。 空は右へ。雛は左へ。術の効果時間を有効に使うべく移動しながらの探索作業は、しかし何の手掛かりも彼女達に掴ませない。 「アヤカシの気配は皆無です」 「もう誰かに倒されたのか、逃げてしまったのか」 呟く雛の背筋を駆け抜けた悪寒はアヤカシと思われていたそれが本物の『幽霊』だったらという不安。 「その可能性もありますが‥‥」 一方で空は別の可能性も予感する。 毎夜不気味な声を上げて長屋の人々の眠りを妨げる声。更には六花と奈緒が話を聞いている十和田藤子の家の花達を枯らす声。 どちらも同じものでありながら呪では無いとなるならば。 「時として、人間よりも植物の方が敏感に察するということなのでしょうね‥‥」 空の呟きに雛が小首を傾げる。 術の効果も切れて其処に佇むのは二人の少女。 ――‥‥彼女達を見つめ、にやりと笑う、闇の人影。 「っ!?」 突如、橋の下で風が唸った。 「まさか!」 何の気配もしなかった。 確かに何も無かったその場所に、今、昏い影が揺らめく。 「雛さんっ」 「はい‥‥っ」 言われるが早いか駆け出した雛は懐から呼子笛を取り出した。此処から十和田家まではそう遠くない。 仲間達にも届くはず。 (早く‥‥‥‥!) 雛は胸中に叫び、力いっぱいに笛を吹いた。 ● 雛の呼子笛は十和田家を後にしようとしていた六花、奈緒、穂邑を呼ぶ。 その近くで住民達の話を聞いていたハッドを呼ぶ。 「‥‥笛の音?」 避難中だった子供の呟きにキースもハッとして橋へ走った。 橋の下に残り突如として現れた黒い影――それは燃え盛る炎を模したかのように揺らめきながら空に迫っていた。 だが彼女は動じない。 それを見据えたまま後退して距離を確保すると呪を唱える。 「顕現せよ、浄化の炎よ‥‥!」 『ウォォオオオオオオ‥‥!』 力強い巫女の声に応じそれの接する地面から吹き上がるように現れた炎は、黒い炎に苦悶の声を上げさせた。 効果を示した。 「やはりアヤカシ!」 浄化の炎が影響を与えるのは人かアヤカシのみ。目の前の姿が人間からは程遠いものである事を鑑みれば、それはアヤカシに違いない。 ただ、効果を示しても退けるには力が足りない。 それは更に空へ迫り、――跳躍した。 「!」 目の前に落下してくるそれに空は刀を抜く。 蒼い軌跡。 淡い光りを放つ刀身が黒い炎のそれ以上の接近を許さなかったが、吐息が感じられるほどの至近距離に迫り来る黒い炎。 「備えあれば憂い無しとはこの事ですか‥‥っ」 腕力で抑えるも力は五分。押し返せない――! 「はぁああああ!!」 刹那、橋から飛び降りた影。 「空さん、避けるんだ!」 「!」 六花の声に空は体を回転、刀を残してそれから離れれば黒い炎の背中――前後の区別があるのなら後方に拳を撃ち込んだキース。 「!!」 黒い炎はつんのめるように地面に伏したが同時に今まで地面に接していた部分が上向きキースに襲い掛かる。 「この‥‥っ」 「はああっ!!」 同時にその先端に矢を放つ奈緒。 「王の威光に平伏すが良い!」 刀で切り込むハッド。 その隙にキースは後方に退避、態勢を立て直す。 「感謝!」 「一矢で足りなければまだまだ行くよ!」 キース、奈緒の弾むような遣り取りの中、足をもつれさせて六花の腕に支えられ空は深呼吸を一つ。 「大丈夫ですか‥‥っ」 すぐさま駆けつけた雛と穂邑が怪我の有無を確認し、無傷である事に安堵の息を吐く。 「遅くなったね」 「いえ‥‥助かりました」 「あとは任せて」 六花は空の細い肩に手を置き、彼女と雛、穂邑、三人の巫女を背後に庇うように立つ。同時、人の名を口にしたのはハッドだ。 「藤子という名に聞き覚えがあるか?」 アヤカシに問い掛けるように紡がれる言葉。 「では佐太郎はどうか」 黒い炎は何の反応も示さない。 「ならばゼロ。――穂邑はどうか」 この長屋に住む住人の名前を一つずつ挙げ、アヤカシの反応を見ようと試みるが幾つ名前を挙げても相手に変化は見られない。 「そのアヤカシ、長屋に住んでいる方々とは関係ないと思います」 そんな遣り取りに空が声を上げた。雛も頷く。 「雛達、二人で近辺のアヤカシの気配を探ったけれど、何もなかったんです」 「何も?」 「恐らく‥‥」 空は言葉を探すようにそこで一度口を閉ざしたが、意を決したように顔を上げると一息に言い放つ。 「恐らく、私達が此処に来たのを見て出現させたものだと」 「それって‥‥」 故意的にアヤカシを出現させられるのだとしたら、それは‥‥? 想像が追い付かない。ただ、酷く嫌な予感がした。 「なるほどね」 六花が呟く。 「ってことは‥‥とりあえずこいつを倒さん事には始まらないか」 キースが己に言い聞かせるように呟き、拳を握りなおす。 「仕方ないの」 ハッドは肩を竦め、――駆けた。 「せぃやあああ!!」 『ヴォォァアアアアア!!』 気合と共に大地を蹴り、上方から勢いを付けて振り下ろされる刀に黒い炎が唸る。大気を震わせる。その声色は怒りに似ていて。 「天儀六国精霊御身の命以て――」 六花は呪符を手に詠唱、その符が姿を変えアヤカシに放たれる瞬間、奈緒の矢が敵の動きを封じる。 「これで終わりだ‥‥‥‥‥‥!!」 キースが拳を振り上げ、撃つ。 畳み掛けられる開拓者達の攻撃にアヤカシは満足に動く事すら許されないまま、‥‥力尽きた。 ゆっくりと輪郭を崩し、塵と化して消える姿に「やった」と指を鳴らした奈緒。 「うむ。皆のもも‥‥っ、むっ」 ハッドが咳払いを一つ。 「皆の者よきに計らえ」 言い直し胸を張るハッドに、一瞬の沈黙と、広がる笑い声。 アヤカシは滅せられ、跡形もなく消え去った。 ● 「結局、周囲にあれを操っていたような存在の気配は皆無か」 彼らの戦闘中、巫女達は周囲に怪しい影がないかを術を用いて探していたのだが収穫はゼロ。それらしい何かを見つける事は出来なかった。 「一先ずは解決という事になるだろうが‥‥」 言うハッドは、アヤカシの消えたその場所に、小さな鈴が落ちている事に気付いた。 「これは何ぞ?」 摘まみ、持ち上げたそれに。 「それ‥‥何処かで見たな」 キースが記憶を探るように呟き、以前に受けた依頼で同じものを拾ったのだと思い出した。 「その時の鈴と、刀、ギルドに届けてあるんだが」 言いながら、一人、また一人と視線を吸い寄せられて行く先には――穂邑。 「どうしたの?」 奈緒が問う。 だが、穂邑は何も答えなかった。‥‥答えられなかった。少女はハッドが持つ鈴を凝視したまま体を震わせていたのだ――‥‥。 |