藤、君の生まれた日に
マスター名:月原みなみ
シナリオ形態: イベント
危険
難易度: 易しい
参加人数: 25人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/05/13 22:17



■オープニング本文

 牡丹、芍薬、王菖蒲。
 雛菊、胡蝶花、常春花。
 一夜草、躑躅に――。
「‥‥今年も綺麗に咲いてくれたわねぇ」
 御歳七〇になられる奥様・十和田藤子の趣味は庭の花弄りだ。春夏秋冬、花の咲かぬ日は無いと近所でも評判の十和田家は長屋の片隅にあり、いつでも道行く人々の目を楽しませてくれる。穂邑(ほむら/iz0002)も楽しませてもらっている一人で、御礼と言うわけではないけれど時間があれば十和田家を訪れ、美味しいお茶と綺麗な花達を愛でながら依頼の話で盛り上がるのだ。
 そんな奥様の誕生日が、もう間もなく来る。数年前に最愛の夫を亡くして以来「誕生日はいつも花達が祝ってくれるのよ」と儚げに笑った奥様、何か贈り物をしたいと考えた穂邑だが、奥様の家で誕生会をするにしろ、町に連れ出してどっきりなお楽しみを用意するにしろ、一人ではとても手が足りない。だから穂邑は開拓者ギルドを訪れた。


 穂邑は顔馴染みのギルド職員・高村伊織(たかむら・いおり/iz0058)に相談する。
「奥様は藤の花が綺麗に咲いている日に生まれたから藤子さんと名付けられたそうなのです。藤子さんも藤の花が一番お好きなのだそうですけれど、旦那様が亡くなられてから藤棚が破損してしまい、以来、咲かせていないんだそうです‥‥お持ちだった苗木もご友人に差し上げてしまって‥‥」
 色々と喜んでもらえそうな贈り物は思いつくけれど、どうしたらそれが実際に出来るのかが、世間知らずな娘には難しい問題だったのだ。
「藤棚を作って差し上げたいですし、苗木も必要ですし、でも今から植えてもすぐには藤の花も咲いてはくれないでしょうし‥‥!」
「そうね」
 伊織は優しく微笑む。
「じゃあ、素敵な奥様の誕生日を素敵な一日にしてくれる協力者を募りましょう」
「はい!」

 そうして、一枚の依頼書がギルドに張り出される――。


■参加者一覧
/ 水鏡 絵梨乃(ia0191) / 柚乃(ia0638) / 有栖川 那由多(ia0923) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 喪越(ia1670) / 設楽 万理(ia5443) / からす(ia6525) / 千古(ia9622) / クララ(ia9800) / 尾花 紫乃(ia9951) / ユリア・ソル(ia9996) / フラウ・ノート(ib0009) / アルーシュ・リトナ(ib0119) / 御陰 桜(ib0271) / ニクス・ソル(ib0444) / グリムバルド(ib0608) / ミレイユ(ib0629) / 燕 一華(ib0718) / 矢吹 (ib2168) / 永樹(ib2205) / 離紅(ib2216) / ぷりん(ib2220) / 如月夕霞(ib2258) / 火戸(ib2259) / 馬勝(ib2263


■リプレイ本文


 藤の花の、花言葉。
 歓迎、佳客。
 至福の時。
 恋に、あなたの愛に酔う――。



 その日、とある長屋の一角は大勢の開拓者達で賑わっていた。
「こんにちはー!」と彼らが戸を叩いたのは春夏秋冬、四季折々の花々が道行く人々の目を楽しませてくれる十和田藤子の家だ。
「藤子さん、いらっしゃいますか?」
 急ぎ足で玄関に姿を現した藤子は、そう声を上げている穂邑と一緒に見慣れぬ開拓者達が家の前に大勢並んでいる事に先ず驚いた。
「あらあら、まぁまぁ‥‥これは何事?」
「ども♪」
 片手を上げて笑いかけるフラウ・ノート(ib0009)。
「初めまして」とたおやかに一礼するのはアルーシュ・リトナ(ib0119)。
 更には。
「!」
 目の前に突如として咲いた花のブーケに藤子が目を瞬かせると、そんな反応に「フッ」と微笑んで見せた男が一人。
「全ての美人に、愛と笑顔の花束を。こんばんは」
 きりりとした表情でブーケを差し出し、逆手は胸の前。長身を優雅に一礼させて告げる紳士は――。
「喪越(ia1670)だぴょーん☆」
「――」
 似非紳士だった。
「あらまぁ‥‥」
 藤子はくすくすと声を立てて笑う。
「花束を頂くなんていつ以来かしら。ありがとう」
 嬉しそうな藤子の表情に喪越も満足顔。周りの仲間達も表情を綻ばせ、本題を切り出したのは燕 一華(ib0718)。穂邑と同じく、以前から藤子の庭の花達を楽しんでいた彼は日頃のお礼がしたいのだと告げた。
「藤の花は今が一番綺麗な季節ですし、以前に藤子さんの庭にあった藤の花。今はお友達の処にあるとお聞きしました。一緒に見に行きませんかっ?」
「まぁ‥‥」
 藤子は驚いたように目を丸くした後で、その場に集う開拓者一人一人の顔を順に見る。水鏡 絵梨乃(ia0191)、柚乃(ia0638)、有栖川 那由多(ia0923)、礼野 真夢紀(ia1144)、設楽 万理(ia5443)、からす(ia6525)、クララ(ia9800)、御陰 桜(ib0271)、ミレイユ(ib0629)、ぷりん(ib2220)、如月夕霞(ib2258)――目の合った順番に自己紹介と握手で初対面を喜ぶ。
「ボクも藤の花を見に行くの、藤子さんと一華とご一緒します!」
「私も‥‥」
 ぷりん、夕霞と続いた後でアルーシュも。
「如何ですか?」
「それは、とても嬉しいお誘いだけれど‥‥」
 藤子は少しばかり困惑した表情になり、それを察して言葉を紡いだのはミレイユ。
「それと、出来ましたら藤子さんがお留守の間、私達でお留守番をさせて頂ければと思うのですけれど」
「ちゃんとお留守番しますから、どうですか、藤子さん」
 更に問い掛ける穂邑。
 藤子はもう一度皆の顔を一人一人見つめると、‥‥何かに気付いたのかもしれない。
「そう、ね。せっかくの藤の季節だもの。ご一緒させて頂こうかしら」
「はい!」
 微笑む藤子に一華が笑顔を綻ばせる。そうして出掛ける支度を済ませるまでの間、庭の様子を確認する面々。目測で必要な木材の長さや数を確認するなどして那由多らが買出しに向かう。
「それでは行ってきますね」
「行ってらっしゃい!」
 藤の花を見るため一華、ぶりん、夕霞、アルーシュと共に藤子が家を出た後は、いよいよ留守番組の出番である。


 藤子が出掛けたのとほぼ同時刻。
「やっぱり上品な柄が良いわよねー」
 とある織物問屋。目の前に並ぶ様々な柄の着物を吟味しつつユリア・ヴァル(ia9996)が声を上げる。紬や小紋など気軽に何時でも着られるものから、訪問着、振袖といった格式高いものまで色々。無論、価格も格式に準じて天と地ほどの開きがあるため、柄ばかりで選んではいられないのだが。
「着物を贈られる方は、お幾つくらいですか?」
 店の主に問われ「今日で七十一歳になられるのです」と応じたのは泉宮 紫乃(ia9951)。
「皆で集まって誕生日のお祝いをしようと‥‥せっかくですから、お名前にもある藤の花柄が良いな、と」
「なるほど、そういう事でしたか」
 紫乃の説明を聞き終えて得心した店主。
「では少々お待ち下さい」と席を外して数分、戻って来た時には三人の女性店員と共に、十枚以上の着物を抱えていた。
「藤は今時期だけですが、だからこそお召しになりたいと言われる方も多いので豊富に取り揃えているのですよ」
「わぁ‥‥っ」
 紫乃の瞳が輝く。
 その、瞳と同じ色の花が着物の裾で、袖で、咲き誇る。
「七十一歳という年齢を考えますと、こういった柄が良いかとは思いますが」
 藍地に白の逆さ藤。
 藤色の地に紫の藤輪。
 はたまた牡丹と藤の花が色鮮やかに咲き乱れる黒地の着物。
「この季節ですし、絽や紗、浴衣なども良いかもしれませんね」
 夏専用の薄い布地を示して言う店主の提案に二人は真剣に悩み始める。しかし当初から見立てには自信が無いと言っていた紫乃の視線は、自然とユリアに注がれ、それが判るからユリアもますます難しい顔。
「幾つになったって女は綺麗なの。そして花は咲かなくちゃ!」
 拳を握るユリアは、それからしばらく掛けて着物を選び――。


 外で二人の買い物が終わるのを待っていたニクス(ib0444)は、店から出てきた幼馴染二人の抱えている荷物の量に、先ずは目を剥き。
「やれやれ‥‥」
 諦めに近い吐息と共に言う。
「一体こんなに何を買ったんだ」
「何って浴衣だろ、帯に帯紐、下駄に、忘れちゃならない簪だ!」
「浴衣にしたのか」
「藤の柄は今の時期しか着れないし」
 加えて贈りたい相手は七十一歳の高齢だ。これからの暑くなる季節を思えば浴衣の方が助かるだろう。そもそも浴衣と着物では価格が天地なのである‥‥とは余談だが。
「あとはフラウの料理の材料か」
 ニクスはユリアが当たり前のように手渡してくる荷物を受け取りながら、紫乃には自ら手を伸ばす。
「あ‥‥ですが」
「いいから」
「‥‥ぁ、ありがとうございます」
 申し訳無さそうに、それでいて気恥ずかしそうな紫乃。そんな二人を見ながらユリアが声を殺して笑っていた。



「藤子さん、‥‥もしかしたら気付いてしまわれたでしょうか」
「かもね」
 ミレイユの言葉に、絵梨乃が微笑う。藤棚復元班に参加する彼女は紐で袖を捲り上げ、たすき掛け。頭には鉢巻きも巻いて気合充分。
「でも、それはそれで良いんじゃないかな」
 今日が誕生日なのは本人も判っている事、そこにこれだけ大勢の開拓者が訪ねて来ただけでなく、一緒に藤の花を見に行こう、留守番は任されたと言われれば想像する事は容易だ。
「要は相手を喜ばせようって気持ちだからね。七十一歳の誕生日。忘れられない日にするために出来る事は精一杯やろう」
「その通りなのです!」
 絵梨乃の言葉に大きく頷く穂邑と。
「‥‥そうですね」とはにかんだ笑みを浮かべたミレイユ。
「穂邑さんも、皆さんも、藤子さんの誕生日を祝おうと集まられたんですもの。それだけでも、充分、素敵なことだと思いますわ」
 柔らかく微笑むミレイユの心も不思議な温もりを得ていた。人の心と心、結ぶ絆。誰かに何かをしたいと思う気持ちは、だからこそ尊いのだと判る。
「素敵なお誕生日になるといいね‥‥柚乃も手伝う」
「私も。身軽ですから登って竹を組めますよ♪」
 柚乃、真夢紀が、どちらかといえば興奮気味に語る頃、材料の買出しに出ていた那由多が戻って来た。
「お待たせ!」
「やー、今日はよく働いたZE♪ 俺様上等!」
 那由多と喪越、男二人が担いで来たのは八本の丸太と三〇本近い青竹。勢い良くそれらを地面に置いて早速座り込んだ喪越へ。
「休むのはまだ早いぞ」と微笑むのはからす。
「時間は有限。有用に使わねば」
「‥‥っ」
 どんなに大人びていようとも見た目二〇近くも幼い少女、にも関らず迫力充分の相手に諭されればぐうの音も出ない喪越。
「あぁもう任せといてYOおじょーちゃん!」
「頼りになるなぁ」
 ほとんど自棄に近い勢いで立ちあがった彼に、那由多が面白そうに笑うのだった。
「あとはニクスが食材を買い揃えてきたら準備は完了ね」と腕捲くりするフラウは料理担当。 
「あたしも花の名前を持ってるから思い入れがあるのは判るし、喜ばせてあげたいわね♪」
「なら尚更、屋内の飾りは庭の美しさを損なわないものにしないと」
 桜、万理が言い合う隣では、同じく屋内の飾り付けを担当するクララ。からすやミレイユも自分は力仕事に向かないからとこちらの組に加わり、藤棚が完成した後にはその下の土を、藤が咲くに適当な状態へと持っていく役目を担う。
 そうして始まった作業はとても賑やかで。


「持ち上げろー!」
 絵梨乃の掛け声で那由多と喪越が重たい丸太を担ぐと、庭に長方形を描いて立つ四本の丸太を結ぶために削ったり掘ったりなどして設けた突起と穴を揃えて、合体。男二人が気張った後で絵梨乃が固定のために縄を巻くと、次の丸太。
 庭にお披露目されたのは長方形型の立方体だ。
「だんだんと形になってきましたね」
「完成が楽しみ‥‥」
 真夢紀、柚乃らが青竹を組み合わせて作っているのは藤棚の屋根部分。もちろんそこでも等間隔で竹を組めるようきちんと考えられており、二人は器用な手付きで仕上げていった。
「お二人とも、どうしてそんなにお上手なのですか?」
 不器用ながらも必死になっている穂邑がふと二人に問い掛ければ真夢紀は「本で勉強したことがありますから」と即答。一方の柚乃はしばらく考える様子を見せた後で、ふっと表情を和らげた。
「柚乃の母様もね、花‥‥藤の花が好き。家の庭にも藤棚があった‥‥」
「そうなのですか!」
 目を輝かせた穂邑は、しかししゅんと項垂れる。
「‥‥藤子さんの誕生日をお祝いしたいと思いましたのに、一人では何も出来なくて‥‥皆さんに助けて頂いてばかりで、情けないです」
 そうして俯く視線の先ではほつれ始めている固定用の縄。
「‥‥気に病むこと、ないと思う‥‥」
 じっと見つめていた柚乃はぽつりと呟き、真夢紀が頷き、そんな少女達の会話を聞くともなしに聞いていた那由多がおもむろに穂邑の頭を撫でる。
「誰かのために何かをしたいと思える事って、凄く素敵な事だと思う」
「那由多さん‥‥」
「好意や気持ちは順々巡り。だから、穂邑ちゃんはきっと色んな人に愛されているんだよ」
「ぇ‥‥」
 思わず赤くなる穂邑に、縁側から「うちもね!」と声を発したのはクララ。
「今回の依頼を見たときに穂邑ちゃんの相手を思う気持ちに動かされたんだよ」
「クララさん‥‥」
 そうして庭に、屋内に集う面々を順に見遣れば皆が優しい笑顔を浮かべていた。その事が穂邑の胸に優しい温もりを宿す。
「藤子さん、喜んでくれるといいね」
 再び頭を撫でる那由多の大きな手に穂邑が見せたのはいつもの笑顔。
「頑張りますっ」
「うん」
 心機一転、手を動かし始めた。

 それからしばらくして買出しに向かっていたニクス、ユリア、紫乃が合流し、食材が揃えばいよいよフラウの本領発揮。ニクスをお供に調理を開始し、その間に部屋の飾り付けも順調に進んでいた。
 そんな中、人目を盗んで休憩していた喪越は、藤棚の周り、花咲く庭を見渡しながら思案顔。
「‥‥ふむ」
 何かを思いついたようだった――。



 その頃、藤子に伴って昔に彼女の庭にあった藤を譲ったという友人宅を訪れていた面々は、その庭で誇らしげに花開く藤棚に感激していた。
 大きな藤棚に枝を絡めて咲き誇る、鮮やかな紫色の藤の花。
 ともすれば棚から地にも届きそうな姿は、雄大とも、荘厳とも表現して過言では無い艶やかさだ。
「すごいですっ、素敵ですっ、お見事です!」
 興奮気味に絶賛する一華の側ではぷりん、夕霞も同じ気持ち。
 そして勿論、藤子も。
「嬉しいわ‥‥まさかこんな綺麗に咲いてくれているだなんて」
 感動のあまりか放心したような口調で言う藤子に、彼女の友人は穏やかに微笑んだ。
「藤子さんから譲られた藤ですもの。大切に育てていますよ? 藤子さんがいつ見にいらしても良いように」
「私が‥‥?」
「ええ」
 目を瞠り聞き返してくる彼女へ、こくりと頷く友人。
「だって藤子さん、藤の花が大好きじゃないの」
「――」
 驚き、言葉もない藤子を心配顔で見遣りつつ、一華が「質問ですっ」と声を上げる。
「藤子さんは、今まで一度も此方にいらした事がなかったのですかっ?」
 此処までの道中、話を聞いて来た限り藤子が藤の花をどんなに大切にしていたかは想像に難くない。友人に譲った藤の花が、いまどんな風に咲いているのかも気になって然るべきだろう。
 にも関らず、まるで此処には来た事がないような話をされて一華は戸惑った。ぷりんも夕霞も、アルーシュも、此処に誘ったのは悪い事だったのだろうかと不安になる。――しかし、そんな彼らの気持ちが伝わったのか、藤子の表情は申し訳ないような苦い笑みから、穏やかなものへ。
 視線は彼らから藤の花に向けられ、細められる。
「‥‥来たくないわけではなかったのよ? ただ、この藤の花はお爺さんとの思い出だったから」
 夫と死別して以降、まるで彼の後を追うように壊れてしまった自分の庭の藤棚。丸太が腐敗してしまうのは仕方の無いことで、藤棚が壊れたのも時期的なものなのだと頭では判っていたけれど、夫を亡くした直後だっただけに悲しい想像が働いてしまった。
 結局は花を友人に譲って庭から失くし、以降、藤の花だけは咲かせる事が無かった。この季節、外を歩けばあちらこちらで他人の家の藤棚を目にする事もあったけれど、見れば悲しくなるから見ないようにして来たのは。
「‥‥思い出すのが、辛かったから、ですか‥‥?」
 問い掛けた夕霞に藤子は否定も肯定もしない。
 ただ、静かに微笑んだ。
「‥‥綺麗ね」
 藤の花に呟く言葉。
 細められる瞳が見ようとする姿は、きっと。
「本当に、綺麗ね‥‥」
 その呟きがひどく儚く聴こえ、アルーシュは目頭が帯びる熱を誤魔化す事が出来なかった。
「‥‥一曲、失礼してもよろしいでしょうか?」
 そんな自分の気を紛らわせるように問い掛ければ「ええ、是非」と藤子からの返答。アルーシュは一つ微笑むと竪琴を抱き締めて縁側に腰を下ろした。
 そうして細い指先が紡ぐ旋律は、とても繊細で温かだった。
 心に響く弦の音。
(‥‥大切な人のことを、思い出してもらいたい‥‥)
 夕霞は胸中に思う。
 思い出すのが切なくても、例え悲しくなってしまうのだとしても。
(思い出して‥‥)
 瞳を伏せて合わせる手に、祈る、想い。
「‥‥本当に‥‥綺麗だわ‥‥」
 藤子が告げる。
 その頬に一滴の涙を伝わせながら。



 帰路、大事な用があるからと一華とぷりんが別行動を取ることになったため夕霞とアルーシュ、二人が藤子を家まで送る事になったのだが、その途中で藤子は二人に尋ねた。
「今日のこれは、もしかして穂邑ちゃんの計画かしら?」
「‥‥やっぱり判ってしまいますか」
 嘘は吐けないアルーシュが苦笑と共に応じれば藤子も笑む。
 だからアルーシュは続けた。
「ですか、藤子さんの誕生日をお祝いしたいと思ったのは私達自身です」
「ええ」
 藤子は大きく頷く。
「判っているわ‥‥どうしましょうね、こんな年齢になってから、こんなに嬉しい誕生日を迎えさせて貰えるなんて‥‥」
 本当に、嬉しくてどうしたら良いか判らないといった風の藤子に、アルーシュと夕霞は顔を見合わせて微笑んだ。
「‥‥まだ、これからですよ」
 夕霞が言う。
「ほら‥‥」
 そうして示す藤子の家の、庭に集まる若者達の姿。
「まぁ‥‥」
 聞えて来る賑やかな声。
「行きましょう」
 差し伸べられた手を取って自分の家に帰る藤子は、けれど、夢を見ているようだった。
「今日の主役のお帰りです」
 アルーシュの声に待っていた開拓者達が振り返る。
「さぁどうぞ」と中へ促す、からす。
「おかえりなさい」と出迎えるミレイユ。
「藤子さん!」
 駆け寄って来たのは穂邑。
「お誕生日おめでとうございます!」
「おめでとう」
「おめでとうございます」
 次々と掛かる声、鳴り響く拍手。
「まぁ‥‥」
 若者達の笑顔と、居間から漂い鼻腔を擽る美味しい匂いに藤子は胸を高鳴らせながら奥へ。
 用意された食事。
 祝いの席。
 そして庭に咲き誇る花達の中に見慣れぬ――否、懐かしい姿。
「まぁ‥‥!」
 丸太と青竹で組み立てられた藤棚だ。
「なんてこと‥‥」
「遅くなりましたっ!」
 そこに、タイミング良く戻って来た一華とぷりんは、息を切らしながらも満面の笑顔。胸に大事に抱えた荷を藤子の前に差し出した。
「これは‥‥」
「お友達のお庭にあった、藤の花ですっ! 藤子さんの庭で咲かせられるように分けてもらったんですっ!」
「いろいろと交渉する準備もしていたんだけど、元々藤子さんの花だからと快諾してもらえた」
 彼らが庭で藤棚を修復して待っていると説明すれば、むしろ「是非持っていって頂戴」といった勢いだった友人の話をしたなら、藤子の表情が笑顔になりかけて、なれずに、歪む。
「貴方達‥‥っ」
 込み上げてくる涙を責める者など、この場にはいない。
「すぐには植えられないだろうが、来年には、あの藤棚で咲く藤の花が見られるだろう」
「そうしたら、また一緒に藤子さんの誕生日を祝いましょ♪」
 からす、桜が順に言う。
「‥‥っ」
 次々と零れ落ちる涙に、思う。
 こんなに幸せで良いのだろうか。恵まれて良いのだろうか。この庭に藤の花が蘇える。そんな日は奇跡が起きても無理だと思っていたのに――。
「お誕生日おめでとう」
 万理が言い、差し出す贈り物は春の香り袋。
 藤子は受け取るとそれを胸に抱き締めた。
「ありがとう‥‥っ」
 七十一歳の誕生日を祝われて、幸せの涙を零す彼女からもらい泣きしそうになりながらも我慢して元気な声を発したのはフラウ。
「じゃあ、お祝い始めましょうか!」
「賛成‥‥」
「!」
 ぽつりと呟き、既に席についていた柚乃。
 そんな少女に笑いが広がり、藤子にも笑顔が戻り、宴は歓びと共に始まった。


 藤子の周りにはたくさんの贈り物。
 目の前に並ぶ料理の数々もその一つ。
「‥‥ふふふ」
 藤子は自分をじーっと見ているフラウに気付き、微笑む。
「とっても美味しいわ。まだお若いのに、料理がお上手ね」
「っ、ちがっ‥‥そんなことないわっ!」
 今の今まで気になって藤子の感想を待っていたのに、いざ「美味しい」と言われると思わず口をついて出る台詞がこれだ。
 フラウはそんな自分自身に焦りつつも、どうしようもなくて、顔を真っ赤にしたまま自分の料理を躍起になって食べ始め、そんな少女に、周囲の雰囲気はますます和む。
 卓の上には、そんなフラウの料理と並んで柚乃から貰った藤の花の塩漬けや、絵梨乃からの手作り芋羊羹。
「うちは前にここのお店で日雇いのバイトをしたことがあるんだけど、そこの主人に特別に作ってもらったんだ!」とクララが贈ったのは昭和白藤の色にそっくりな色の餅だった。
 そして、紫乃から手渡されたのは藤の花を描いた浴衣。藤の香袋を添えられた衣に藤子は目を瞬かせた。
「藤子さんが愛情を込めて育てた花には敵いませんが、今年だけでも代わりになればと思って‥‥。来年はこの浴衣で、一緒に庭の藤を眺めながらお誕生日を祝えたら素敵です」
 目の前に広げられた浴衣の袖に、裾に、胸元に――見事に咲き誇る藤の花。
「ありがとう‥‥本当に‥‥」
 感動で瞳を潤ませる藤子が心から喜んでくれていると判るから、紫乃は柄を選んでくれたユリアを見上げて「ありがとう」と微笑む。
 そんな様子を側で見ていて、夕霞はふと思い出した。
「藤の花言葉は『恋に酔う』‥‥藤子さんも、きっと素敵な恋をなさったのでしょうね」
 旦那様と、とは言わずに止めた夕霞へ、だが藤子は頷くと言い切る。
「ええ。夫は生涯唯一人の恋人だったわ」
「おお」
 断言する藤子に上がる感嘆、感動、冷やかしの声。
「藤の花には『あなたの愛に酔う』というのもあったわね、私が一番好きな藤の花言葉」
 ユリアは言うと、意味深な視線を幼馴染の青年に送る。
「あなたもそんな花言葉を贈れるような子を見つけなさいね」
「‥‥余計なお世話だ」
 優しく微笑むユリアに、ニクスはぶっきらぼうな反応。だが、そうして移る視線の先には紫乃の姿。
 彼女にも藤の花は似合いそうだと、そんな風に思った矢先。
「藤には他にも『陶酔』や『決して離さない』というのもあったかな」
 茶を点てながら言うのはからす。
「さて、この中に恋する開拓者でもいるのかな?」
「っ」
 思わず手を滑らせそうになるニクスに気付くのはユリア一人。
「さぁ、お茶は如何かな?」
「一つもらおうかしら」
 からすの誘いに、ユリアが楽しげに手を挙げた。


 花を愛で
 花に迎えられし
 祝いの日
 名に 姿に あなたを重ねた
 揺れる藤のたおやかさ
 穂摘む乙女の想い
 叶う宴に 酔い 歌え――


 アルーシュの詩に目を瞬かせる穂邑は、隣に座るミレイユに微笑まれてどきりとする。
「来年もまた、穂邑さんや皆さんと、藤を眺めながらお祝い出来れば良いですね」
「――はい!」
 そう思ってくれる人が居る事の、幸せ。
 嬉しさ。
 来年も、きっと一緒に。
「お友達に差し上げた苗木が藤子おばあ様の子供なら、この子達はお孫さんですねっ♪」
 土に埋めるにはまだ早く、これから苗となるべく水につけられた藤を見つめて一華が微笑めば、藤子も「そうね」と頷いた。
「そう考えたら、なおさら愛おしくなるわね‥‥」
 そうして見渡す、花咲く庭。
 夫を亡くして以降、庭の花達だけが自分の慰めだったけれど、明日からはきっと違うという確信が藤子の胸中には生まれていた。
 アルーシュの歌声、竪琴の旋律と、若者達の笑顔に、藤子は心からそう思うのだった。



 長いようで、あっという間に過ぎた一日。
 藤子は一人きりになった縁側で膝に贈られた浴衣を乗せ、庭に設けられた藤棚と、数年振りに自分の元に戻って来た藤の花を見つめていた。
 あんなに賑やかだった家の中が、今はしんと静まり返っている。
 お客さんは大歓迎で、これまでもよく近所の友人達が遊びに来てくれる事はあったけれど、‥‥何故だろう。
 今日の一人は、淋しかった。
「‥‥おじいさん、今日は私の誕生日ですよ」
 庭の花の向こうに見る愛しい人。
「若い子達が、あんなに大勢で祝ってくれたんです」
 それは何て幸せなことでしょう。
 ありがたい事でしょう。
「こんな年齢になってから、もう少し長生きしてみたいと思ってしまいましたよ‥‥?」
 くすくすと微笑む藤子の視界で、不意に揺らいだ仄かな明かり。
「――ぇ‥‥」
 一つ、二つ。
 花達の向こうに灯る淡い光りは、まるで‥‥。
「おじいさん‥‥っ」
 生きなさい、と。
 おめでとう、と。
 今は遠いあの人から、返事を、貰った気がした――。




 灯る光りの正体は予め設置しておいた提灯。
 火を灯したのは真夢紀の火種。全ては喪越が途中から仕組んだ演出に仲間が協力した結果だった。
「やるじゃないか」と絵梨乃に背を叩かれて、ウィンク一つ。
「お」
 どかっ。
 声を上げようとした彼を背後から「しーっ」とどついて那由多が黙らせる。ここでばれたらせっかくの素敵な演出も台無しだ。
「株を上げるチャンスだったのに‥‥」
 勿体無いと思う一方で、台無しにするのも喪越らしいかと思わないでもない仲間達。
 ゆっくり、静かに、足音を立てず。
「‥‥後でどうしたらあの提灯を回収出来るのでしょう‥‥?」
 穂邑の問い掛けに、夜中にひっそり忍び込むかと冗談交じりに言い合いながら、開拓者達は揃って花咲く十和田家を後にした。