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■オープニング本文 お菓子と魔法の国「マガ・ドルチェ」―― 月の満ち欠けと季節を司る「月夜見宮」では、毎年、万聖節と月替わりが重なるこの時期に何かしら悶着が巻き起こる。 万聖節前夜に最高潮となる己の魔力を試してみたいと思うのは、魔界の住人であれば誰しも1度ならず心当たりがあって然るべき。 とはいえ、実際に「月守」の目を盗んで実行してしまうお調子者はそういない。 やらかしたとしても、精々、畑の南瓜を全て鬼火の提灯に変えて宙に浮かべたとか。ふうわりと空に浮かんだ綿飴雲を奇怪な色に染め上げたとか、金平糖の流星雨を降らせる程度の――驚きはするが、実害のない――とりあえず、笑って済ませられるちょっとした悪戯であったのだけれども。 「なんってコトしてくれたのよっ!!!!」 ひっそりと仲秋の静謐に包まれた「月夜見宮」に、ノウェン・ベルの悲鳴にも似た絶叫が響き渡ったのは、万聖節を数日後に控えた霧月の終わり。月替わりの祭事の準備も一段落し、後は本祭を待つだけの‥‥ささやかな安堵に気を弛めたのが、あるいは、敗因だったのかもしれない。 「わぉ☆ やられちゃったね〜」 「感心してる場合じゃないわよっ!!!」 主役の消えた祭壇を見回して呆れと感嘆の混じった感想を述べた遣い魔に思わず部屋履きを投げつけて、ノウェン・ベルは愕然と空っぽの祭壇を見上げた。 そこにあるべきもの――月夜見宮の象徴たる「月」――が、跡形もなく消え失せている。 「月守」たるノウェン・ベルはもちろん、開闢以来の不祥事に顔色を失くし右往左往する祭官たちを前にして、その元凶たちは少しも悪びれる様子もなく、むしろ、どこか満足そうにけろりと肩をすくめたのだった。 「そりゃあ、こっちのが美味そーだったから☆」 「オットーガルは喰って良いって言ってたしー♪」 魔界、そして、マガ・ドルチェでは知らぬ者のないふたり組の問題児。 黄金の獅子(アウレリア・ル・リオン)と白銀の狼(アルジャン・ル・ガル)――彼らの所業が「つい、うっかり☆」なんて可愛いモノであるはずがない。 「良いワケないでしょ―――っ!!! 誰が新しい月を食べる許可なんて出すもんですかっ!!!!」 オットーガルが言ったのは、先日までマガ・ドルチェの夜空を飾っていた「霧月」の月のことだ。――さすがは仲秋の月だと評判の、傑物だった。 その名声が月が羨ましくて。 ちょっと手伝ってもらうつもりが、殆どお任せになってしまったけれど‥‥ 「とにかくっ、あれはあたしの月なんだから―――っ!!!!」 返しなさい!と、地団太を踏むノウェン・ベルを眺め、黄金の獅子と白銀の狼‥‥アウレリアとアルジャンは、顔を見合わせわざとらしく首をすくめる。 「‥って、言われても」 「喰っちまったし?」 ■□ 散々たる光景を前に、「霧月の月守」オットガルは吐息をひとつ。 其々の表情でむくれて明後日の方を向いている若者たちへ、ごく穏やかな視線をむけた。――大凡の事情は既に祭官より報らされている筈だが、常に穏やかな笑みを湛えたその内心を読むのは難しい。 「‥‥やってしまったことは、今更言っても仕方がありません‥‥」 「でもっ」 唇を尖らせたノウェン・ベルをやんわりと視線で制す。のんびり鷹揚に構えたこの人の良さ気な老婦人が声を荒げた所をノウェン・ベルは見たことがない。 「月のないまま1ヶ月過ごすワケにはいかないでしょう」 「‥‥う゛っ、それは‥」 月のない夜空など、お砂糖抜きのチョコレートも同然。最初は物珍しく面白がられても、直ぐに飽きがくる。――月光を頼りにしているモノたちには死活問題だ。 月夜見宮も、肝心の「お月さま」が不在では格好がつかない。 「幸なことにまだ時間はありますし。材料も、少しですが残っています」 足りないモノを集めれば、満月までには間に合わせることができるだろう。 月夜見宮の一大事とあれば、力を貸してくれる者たちもいるはずだ。――そう優しく諭すオットーガルの提案を飲むしかないと理解ってはいるのだけれど。 「納得できなぁ――――いっ!!!」 書きあげたばかりの召喚状を手に、ノウェン・ベルは憤懣やるかたなく頬を膨らませる。 月替わりの準備もどうにかこうにか佳境を越えて、ようやくひと息ついたと思った矢先の大恐慌。嫌がらせとしか思えないのだが、放り出せば自分の名に疵がつく。 ちらりと横目で伺えば、こちらも何やら仏頂面。マガ・ドルチェの魔女、そして、魔界の女の子の間では、秀麗だと評判の綺麗な顔も眉間に縦皺が刻まれていた。 「納得できないのはこっちだっつーの。」 「風見鶏の卵に、モンブランの砂糖雪‥‥何が嬉しくて山登りなんか‥‥つか、吸血鬼城の海の雫って何? あの辺に海なんかあったっけ??」 街外れの古い塔にて風を見張る不死の鶏は、孵らぬ卵を抱え込んでいるとかいないとか。夏でも溶けないモンブランの砂糖雪に、吸血鬼城の海の雫。 オットーガルは足りない材料の中でもっとも厄介なものを彼らの罰に課したらしい。――少し留飲が下がる気もしたが、監視するのはノウェン・ベルの仕事なのだから、苦労は同じか。 こうなると、ノウェン・ベルの召喚状に応えてくれる「月読の縁者」だけが頼りだ。 「お願い、力を貸して―――!!」 |
■参加者一覧
カンタータ(ia0489)
16歳・女・陰
乃木亜(ia1245)
20歳・女・志
アルネイス(ia6104)
15歳・女・陰
アイリス(ia9076)
12歳・女・弓
和紗・彼方(ia9767)
16歳・女・シ
赤鈴 大左衛門(ia9854)
18歳・男・志
琥龍 蒼羅(ib0214)
18歳・男・シ
シータル・ラートリー(ib4533)
13歳・女・サ |
■リプレイ本文 ●お月さまが食べられた!? 大事件である。 マガ・ドルチェの街角で魔法のお店を営むアイリス(ia9076)にとっても、笑い事でなく大凶事。 「はわっ、お月さまが無くなったら、大変なのですよ〜」 アイリスの魔力の源は、何を隠そうお月さま。月がなくては、生計の道が成り立たない。――霜月をぽやぽや過ごしていたら、掻き入れ時のクリスマス市を前にして路頭に迷ってしまう。 取るモノとりあえず月夜見宮へとやってきたのは、アイリスばかりではないようで‥‥ 「月守様ンお困りとあっちゃ、じっとしとられねェだス。ご恩をお返しする為にも、けっぱるだスよ」 霧月のマガ・ドルチェを美味しく、豊かに導いた前任者に比べると、経験・手腕ともに少し――いや、かなり――心許ない霜月の月守ノウェン・ベルを誠心誠意慰める月夜見宮の下働き、赤鈴 大左衛門(ia9854)ことダイザ・エ・モーン。‥‥と、その傍らで、珍しくヤル気を見せるにゃんこ師匠。 「俺もオットーガルさまには世話になってるからな。魔法も使えぬ貴様に任せてはおけん」 「おお、にゃんこ師匠もご一緒してくださるだスか。ありがてェ」 ここで恩を売っておけば、就寝前のホット・ミルクは約束されたも同然。無月の夜目にもひときわ鮮やかに、きらりと輝く猫の目。気付いているのか、いないのか。ダイザ・エ・モーンは素直に感動している。 宵の明星と共に夜を巡る夜妖精のカンタータ(ia0489)は、お月さまがなくてもあまり困らないのだけれど。 暗いばかりの夜空は、やはりどこか寂しくて。魔狼の眷属、相棒・フーガと共に夜空に輝きを取り戻すべく月夜見宮に協力を申し出た。 「Ja、久しぶり――」 「何処かで見た顔がいる」 「まったく、貴様らは‥‥」 問題児たちには、いつもいつも手を焼かされる。 この大惨事を引き起こして尚、けろりとしている同朋たちに琥龍 蒼羅(ib0214)は、吐息をひとつ。身内の恥は、雪いでおかねばこちらの肩身が狭い。傍若無人にマガ・ドルチェを闊歩する知己は彼の自慢だが、同時に頭痛の種でもあった。 「オットーガルさまの秘密のレシピ?」 とっておきのレシピを楽しみにしているのが、パティシエールの乃木亜(ia1245)と踊り子見習いのシータル・ラートリー(ib4533)。幼く見えるがこれでも歴とした人妻のアルネイス(ia6104)も、お月さまを作ると聞いて興味津々。美味しいモノには目のない朋友ムロンちゃんも、もちろん一緒。――長ぁい舌で、ぺろりと未だ見ぬ月の味を懸想する。 さて、お月さまのお味はいかに? 「お月さまってどんな味がするんでしょうか?」 「ボクも食べてみたかったなぁ‥‥って、冗談だってば」 アイリスの呟きに思わず本音(?)のこぼれた見習い魔女の和紗・彼方(ia9767)は、ノウェン・ベルの視線に慌てて冗談だと手を振った。彼方とそれほど変わらぬ年頃の月守は、月夜見宮の主人と敬うにはちょっぴり貫録不足。――苛めたくなる気持ちも理解らなくはない。 「だけど、ノウェン様のお月様、食べられちゃうほど美味しそうだったって事だよね? なら、自信をもっていいんじゃないかなー?」 まだまだ、これから。そうフォローした彼方の無邪気な笑顔に、ノウェン・ベルは、う゛っと言葉に詰まって胸を抑える。アウレリアとアルジャンは顔を見合わせ、「あっ」と小さな声をあげたダイザ・エ・モーンも慌てて両の手で口を塞いだ。 ワケ知り顔のにゃんこ師匠が、はぁと深い吐息を落とす。 「‥‥‥教えて貰うとか言ってたくせに、殆どオットーガルさまにお任せだったんだよね‥‥」 遣い魔の暴露は聞かなかったことにして。 今度こそ、正しく霜月謹製のお月さまを作るべく、集まった面々は其々の思惑を抱きつつ材料集めに出かけたのだった。 ●モン・ブランの砂糖雪 夏の盛りにあっても銀を頂くマガ・ドルチェの最高峰。 幾重にも折り重なったマロンクリームを飾るかのように、ふうわりと降り積もったパウダー・スノーの粉砂糖。その淡く上品な甘さは、菓子職人たち憧れの食材でもあった。 口に入れる分には至福でも、掻き分けて登るには難敵のマロンクリームも、翼を持つ朋友がいればひとっ飛び。 独特のシルエットが美しいと評判のブラン山を目指しての空行に、蒼羅の相棒・陽淵もご機嫌だ。――秋晴れの澄んだ大気は空を飛ぶには上々で。しっかりと防寒対策を講じてきたおかげで、頬に当たる冷たい風も、却って頭が冴えて心地よい。 「わあ、良い匂いですよ〜」 甘い香を胸いっぱいに吸い込んで、アイリスは駿龍・柚木の背でうっとり。ブラン山に登るからには、あのマロンクリームを心行くまで堪能しなくては帰れない。 「‥‥アルジャンさんは風に乗ることができたのですね‥‥」 空を翔ける朋友がいなければ、柚木か陽淵にふたり乗りして‥‥いやいや、罰というからには少しくらい苦労させた方が良いのかもしれない。なんて、気遣いをしていたのだけれど。マガ・ドルチェにその名を知られたギャングスタは、単なるやんちゃなお調子者ではないらしい。 ちらりとアイリスが向けた視線の先で、白い風を纏った獣人はにやりと口角を歪めた。巻き起こされた風に浚われ、真っ白な粉雪が舞い上がる。 陽光にきらきらときらめきながら舞い散る雪に、二頭の駿龍は嬉しそうな声を上げた。 吹き寄せられた小さな雪の結晶は、何故だか少しも冷たくなくて。そっと集めて舌に乗せると、ほのかな甘味がふうわりと口に広がる。 「これが砂糖雪か」 「白くてふわふわで綺麗なのですよう」 積もっている砂糖雪でも十分綺麗なのだけれども。 お月さまの材料として使うにはもっと特別――空から降ってきたばかりの――もっともっとふわふわで綺麗な砂糖雪を集めたい。 アイリスの提案に従って山頂に飾られた黄金色の栗岩の上に真っ白な布を広げたアルジャンは、ふと思い出したように上目遣いに蒼羅を見上げた。 「ところで、蒼羅。お前、マロンクリームは好きか?」 「‥‥嫌いではない」 言葉少なに応えた蒼羅に、アルジャンは赫い眸に極上の色を浮かべてそうかと笑う。 「それは良かった」 何が、と。 問うよりも早く、つと伸ばされた手が軽やかに肩を押し‥‥ あるいは、足許が滑らかな極上のマロンクリームだったのも、今ひとつ堪え切れなかった要因だったのかもしれない。ご満悦の笑みを浮かべた旧友を映したままゆっくりと世界が傾く。そして、 ―――べちゃ‥っ! クリームの跳ねるやわらかな音が、静かな世界に大きく響いた。 砂糖雪が集まるまでの数刻を、雪遊びとマロンクリームの試食に充てたいなぁと思ってはいたけれど。全身――頭から足の先まで――どっぷりクリームに浸かる羽目になるとは、さすがにアイリスにも想定外。 「はわわ、蒼羅さぁぁぁんっ!!!?」 アイリスが駆け寄るよりも早くむくりと起きあがった怪人マロンクリーム(※蒼羅)は、挑発的な光を浮かべた白銀の狼男に前振りのない神速の勢いで掬い上げたクリームを投げつけた。 「ちょっ‥‥そ、蒼羅さんまでっ!!」 魔力の源であるお月さまを欠いた可憐な魔女っ娘に、獣人ふたりの大乱闘を止められる筈もなく―― 主人を止めるべきか、援護するべきか戸惑う朋友たちまで巻き込んで、飛び交うマロンクリームと砂糖雪の嵐をいやというほど堪能すること数刻余。 アイリスと蒼羅。そして、アルジャン・ル・ガルの三人は、用意してきた大きな袋いっぱいの砂糖雪ともう暫くはマロンクリームは見たくないと思える程の胸やけを抱え、月夜見宮への帰途についたのだった。 ●風見鶏の卵 街外れに建つ半ば崩れかけた古い城。 細く高い尖塔だけが、有りし日を忍ばせる姿で天を突いて聳え立つ。――その塔の天辺で、光を浴びてきらきらと眩く輝く金色の風見鶏。 主なき城を守り続けて、云百年。さほど偉そうには見えないが、歴としたマガ・ドルチェの最長老のひとり(一羽?)である。 「ねー風見鶏さん、卵わけてもらえませんかー?」 駿龍・天舞に騎して尖塔に近づいた彼方は、鱗屋根のてっぺんに座す金色の鶏に大きな声で呼びかけた。 お月さまを見上げる度に後ろめたい思いをするのは嫌だから。ここは素直に諸々の事情を話して、快く協力して協力を仰ぎたいところ。 「どーっしても必要なんだ」 天舞の翼が起こす風に眼を細め、風見鶏は興味深げに彼方を眺める。 住む人のいない寂れた古城を訪れる者たちの目的はいつもあまり変わり映えがないけれど、今日の来客はまたずいぶん元気が良い。 「――したらば、郷のお婆ァ御伽噺に聞かせてくれた、見上げる程でかくて、そン卵ァひと抱えもあって時々光るっつぅンは嘘だスか?」 「え、ええ‥と、うん‥‥そういう種類もいるけどね。風見鶏は違うかなぁ」 夢破れた衝撃を隠しきれないダイザ・エ・モーンの落胆に、ノウェン・ベルは少し困った風に眉を下げた。 確かに普通の鶏よりは大きいが、アルネイスやダイザ・エ・モーンが想像する程ではない。――昔々、健在であった国の主が火急を報せるべく尖塔の風見鶏に魔法をかけて生み出された鳥なのだとか。 魔法によって命を吹き込まれた生き物であるが故、自然の摂理を興味深いと思うのだろうか。 「なるほど。そういう理由なのですか」 卵を温め命を孵化させる作業も、卵より孵った雛を育て巣立ちを見守るまでの行程も。 確かに、神秘的で興味深い。手の届かないモノに憧れる心理を漠然と理解して、アルネイスは小さな吐息を落とした。 魔法生物が見様見真似で生み出した卵は膨大な魔力とエネルギーの塊だが、本物の卵ではないから命が生まれてくることはない。ちょっと切ないなと思う。 「卵を分けて貰う代わりに、何かしてあげられないでしょうか?」 「そうだスなぁ‥‥」 ダイザ・エ・モーンも、太い腕を組んで首を傾げた。 にゃんこ師匠に大蛙のムロンちゃんも相棒・アルネイスの真似をして。古い石畳に円陣を敷いて鳩首会議をしているところへ、盛大な羽ばたきを引き連れた彼方が何やら神妙な表情で戻ってくる。 相棒の天舞と、金色の風見鶏も一緒だ。 「月守さまが、何やら災難に遭われたのですって?」 災難と言えば、確かに災難なのかもしれないが。 大きな、けたたましいと形容しても良さそうなハスキー・ヴォイスに感傷を吹き飛ばされて、世界はたちまち明るく、そして、賑やかにテンションアップする。 「新しいお月さまを食べちゃうなんて、ホントに困ったちゃんたちねぇ。月守さまも、もっと強く言ってやらなきゃダメよ。何だったら今からアタシが――」 「えええと、そ、それはまた今度お願いするから‥‥」 「あらそう? アタシの力が必要なときはいつでも言って頂戴。そういえばこの間のアレ‥‥ええ、と‥‥なんだったかしら、アレよ、アレ‥‥いやぁねぇ、年を取るってこれだから――」 本当にそのまま出かけて行きかねない勢いでまくし立てられ、ノウェン・ベルもたじたじだ。 放っておけば取り留めもなくいつまででも続きそうなお喋りに付き合うこと数刻。――にゃんこ師匠曰く、この手合いはうっかり話の腰を折ると、また最初から繰り返して話始める為、ただただ耐え忍ぶしかないとのこと――延々と続く井戸端会議に付き合わされて、ようやく解放されたのはいよいよ日も落ちようかという夕暮れ。何もしていないのに、何やらとっても疲れた気がするのは何故だろう。 途切れることなく話し続けた当鳥は、疲れる様子もなく上機嫌。 親を亡くした雛鳥たちの里親になってはどうかというアルネイスの提案を気に入ったのか、さっそく春になったら実践してみると息巻いていた。――街外れの古城が小鳥の楽園になったのはまた後日のお話。 お土産にと持たされた大きな卵に、安堵が零れる。 少しずつ溶けて溢れ出す魔力が殻の表面に渦を巻き美しい模様を描く綺麗な卵は、実際以上に重かった。 ●吸血鬼城の海の雫 ヌガーの沼から殺伐と広がる寂れた荒野の真ん中に、吸血鬼城は建っている。 その周辺に海と言えるような水辺はなく、一行の目に映るのはどこまでも続く荒れた草地だ。 「何らかの結晶か抽出物かと思っていますが、今回の目標物ってなんですか――?」 「どんな準備をして行けばよいのでしょう?」 そう尋ねたカンタータと乃木亜に、霧月の月守オットーガルはそのふうわりと穏やかな表情に絶えることのない笑みをいっそう深くする。 「そう畏まらずとも、行ってみればすぐに判りますよ」 彼女の口ぶりからするとずいぶんとお気軽なものであるらしい。 シータル・ラートリーには気の遠くなるような長い歳月をかけて、ゆっくりと抽出、蓄積されたとても貴重なモノのように感じられたのだけれども。 「これが吸血鬼城ですか、月夜見宮とは雰囲気が違いますの‥‥」 吸血鬼の城が明るく華やかな場所だとはさすがに思っていなかったが、予想以上に陰気な城だ。うっかり長居をしようものなら、こちらまで湿っぽくなってしまうかもしれない。 この湿っぽさが醸造されたものだったりしたら、ちょっとイヤかも‥‥。 そんなことを考えつつ暗くかつ厳めしい装飾の施された門扉を叩こうとしたラートリーに一歩先んじ、アウレリア・ル・リオンが無造作に扉を蹴り開く。 「邪魔するぜ――」 ざっくばらんな性格か、あるいは黄金獅子の本性か。内へ内へと押し込めようとするかのような暗く重たげな空気の中で、彼の周辺だけがほのかに明るい。 撒き散らされた光と騒音に驚いて、前庭に犇めいていた影達が慌てふためきながらより暗い方へと四散した。唐突に引き裂かれた静謐に、門に背を向け低い生垣の手入れをしていた背の高い黒衣の男がゆっくりと振りかえる。――顔立ちは悪くないのだが、遠目にもそれと判るほど顔色が悪い。 カンタータの後ろで、フーガが小さく唸りながら背中の毛を逆立てた。いつもならふわふわと乃木亜の後をついて回る藍玉も、今日は余所に行きたげで。 「‥‥‥客を招いた覚えはないのだが‥‥何の用だね?」 あからさまに嫌な顔をした吸血鬼に、アウレリアはわざとらしく肩をすくめた。 不敬な爆弾発言が飛び出す前に、乃木亜は素早く駕籠から取り出したシュークリームをアウレリアに押し付ける。多動な獣人の意識がそちらを向いた隙に、ラートリーが慌てて城を訪れた事情をおずおずと切り出した。 「あの、急に訪問してごめんなさい。実は『海の雫』を探していて‥‥どこにあるかご存知ありませんか?」 「海の雫? ふむ――」 一瞬、怪訝そうに眉を潜めて。陰気な吸血鬼は考え込むように、ちらりと周囲の生垣へと視線を走らせる。 つられて生垣へと視線を向けたカンタータはもぐりこんだ灌木――針金のような細い枝を複雑に絡ませた常緑の樹だ――の下からこちらを窺う影の含んだ笑みに気が付いて小首を傾げた。小さな獲物に野生の本能を刺激され、フーガがうずうずと尻尾を揺らす。 「まあいいだろう。好きなモノを持って行きたまえ。‥‥長居をされては迷惑だしな」 「えっ!? あのっ?」 くるりと背中を向けた吸血鬼を呼び止めるより早く、カンタータの脇をすり抜けた魔狼の子供は獲物の潜む生垣に向かって飛び付いた。 フーガの身体を受け止めた生垣が大きく揺れる。 刹那、鬱蒼と立ち込める陰気な空気を払拭するかのような清涼感のある爽やかな香りが辺りを包んだ。――きゅうぅと顔をしかめたフーガとは対照的に、藍玉は嬉しそうに身をくねらせる。 「ああっ!」 思いがけず大きく響いた乃木亜の声に、すぐ近くにいた藍玉が驚いて飛び退る。 独り立ちして慣れてしまえばそう捲ることもなくなって、今ではすっかり忘れて自作のレシピの下に埋もれているお料理の本に、記されていたような。 「ローズマリーは海の雫‥‥」 愛と誠実を象徴する香草は、そう言われてみると月の材料にふさわしい気がする。 陰鬱な吸血鬼城で育てられているというのは、ちょっと奇妙だが。――あるいは、この湿っぽさに耐えてこそより強い力を発揮できるのかもしれない。 ●美味しいお月さまの作り方 ムロンちゃんの熱い視線が、ちょっぴりアヤシイ。 拒否されることもなく、快く招き入れられた月夜見宮の厨房の甘く美味しそうなお菓子の香りに何やらそわそわ落ちつかな気だ。 乃木亜と共にオットーガルのお手伝いをしながら、じっくりメモを取ってお月さまの作り方を研究したいアルネイスにちらりと睨まれては慌てて所定の位置に戻って行くが、気が付けば調理台にじり寄っている。 不死鳥の卵と砂糖雪としっかり泡立て、蜂蜜と真珠色小麦の粉を加えて更に混ぜ合わせること数分。最後に香りと魔力を引きたてる「海の雫」を加えたら、いよいよ特製型へ流し込んでオーブンへ。 あたたかく香ばしい匂いが漂う頃には、苦手な熱気もご主人さまの視線も気にせず巨大なオーブンの中を虎視眈々と狙っていたりして‥‥ またお月さまが無くなったら大変だ。 「帰ったら、とっても美味しいお菓子を食べさせてあげますね♪」 「‥‥お月さまが食べたいのだ‥‥」 そうアルネイスに宥められても、やっぱり諦めきれない様子のムロンちゃんに、同じ思いの彼方とアイリスもちょっと切なく吐息を零す。 「うん、その気持ちはボクも判るよ」 「アイリスもお月さまを食べてみたいですぅ」 口には出さないけれど、カンタータとラートリー、ダイザ・エ・モーンだって食べて見たい。もちろん、アルネイスと乃木亜も同じ気持ちだ。 皆の視線に、オットーガルはくすりと笑う。 「さて、どうしましょうね?」 「‥‥どうしましょうって言われても‥‥」 難題を向けられて、困惑顔のノウェン・ベルはオットーガルと協力者たちの真摯な顔を順番に見比べた。 今はまだ、夜空に月が必要で。でも、手伝ってくれた者たちの想いには報いたい。‥‥あれこれ悩んで、考えた後、まだまだ未熟な「霜月の月守」は、協力者に手書きの招待状をくれたのだった。 霜月が終わったら―― つまり、「雪月の月守」が新しい自分の月を空に飾った後に開かれる月夜見宮のお茶会に、皆を招待する、と。 役目を終えて少し古くなってはいるが、きっとまだまだ美味しく食べられるはずだから。あるいは、マガ・ドルチェの星空でじっくりと熟成されて、もっと美味しくなっているかもしれない。 指折り数えて、時を待つ。 これでまた、冴えた夜空を見上げるのが楽しくなりそうだ。 |