【神乱】其は春の福音か
マスター名:津田茜
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: やや難
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2010/03/16 02:52



■オープニング本文

 大気が軋む。
 研ぎ澄まされた鋭利な刃物にも似た蒼い冷気は未だ緩む気配すらなく、凍てた大地を冬将軍のマントの下に閉じ込めているというのに。
 帝国の頸木という溶けるはずのない識域下の氷に走った見えざる亀裂――コンラート・ヴァイツァウの蜂起――は、抑圧の凍土に鬱々と怨嗟を刻む《まつろわぬ民》の心を揺るがした。栄華の陰で不遇をかこつこの地の住民たちにとって、それはようやく萌した春の影だったのかもしれない。

「‥‥よくない」

 戦況を問われ、少数民族の衣装に身を包んだ男は吐き捨てるように短く応じた。
 そもそも、この地方に住む少数部族は皇帝による支配を快く思っていない。――土台がそうなのだから、畏怖と怨嗟の対象である皇帝に毅然と反旗を翻したコンラートの言に同調まではしなくても、否定することはないだろう。
 ガラドルフ大帝によって滅ぼされたヴァイツァウ辺境伯家はこの地の旧領主でもあった。その根強い威光にも後押しされて、人心は確実に反乱軍へと傾いている。
 既に近隣のいくつかの部族や農村がコンラート軍へ与することを表明していた。

「カラフォンはどうだ?」
「‥‥‥あそこはまだ‥‥」

 帝国軍と反乱軍が睨みあうその境界上に位置する街の名に、ジノヴィ・ヤシンは深い眼窩の奥で眼を細める。
 大きくはないが、小さくもない。帝国軍の力を持ってすれば武力で制することは容易いはずだ。――そこに刻まれるであろう禍根の重さを考えなければ。
 扇に喩えるならば、いわゆる、鼎。

「反乱軍への参加を促す声は領民の中からも挙がっている様子。迎えの使者も何度か訪れているとのことですが‥‥」
「だろうな」

 ナミウォーク・ヴォルガの息子アルテーリャがコンラートの陣営に加われば、日和見的に態度を保留している少数部族や荘園領主の多くは、アルテーリャに倣う。
 そういう重みを持つ街だ。

「動かぬ理由は?」
「判りません」

 ヴォルガの氏族が優柔不断を謗られたことはない。
 だとすれば、帰順を躊躇する何かがコンラート軍にあるのだろう。――街へと流れ込む流民の中に、反乱軍の支配下にある領民が混じるようになったとか、彼の地に暮らす同朋の安否が杳として判らなくなっているという噂は既にヤシンの許へも届けられていた。時期を合わせたかのように活発化したアヤカシの動きも、果たして偶然なのだろうか。――旗揚げより数ケ月が経過して、コンラートを見る目も少し変わりつつあるのかもしれない。
 で、あるのなら。
 潮流が再びあちらへ流れ始める前に、彼らを繋ぎ留める手を打っておきたいのだが‥‥

 《開拓者ギルド・マスター》の肩書を持つ男は、気難しげに眉を顰めた。
 帝国の拡大と栄華の陰で、常に抑圧されてきた少数部族の、皇帝‥‥帝国軍への反感は、彼自身が身を持って知るところである。グレイス・ミハウ・グレフスカス辺境伯個人の人柄は決して悪くないのだが、立場上、最も嫌われている人物と言っても過言ではない。
 その、息の掛った人物というのはいかがなものか。
 彼にしては長い熟慮の末に、依頼は《嵐の壁》を越えたのだった。


■参加者一覧
天宮 蓮華(ia0992
20歳・女・巫
斎 朧(ia3446
18歳・女・巫
シエラ・ダグラス(ia4429
20歳・女・砂
安達 圭介(ia5082
27歳・男・巫
アイリス(ia9076
12歳・女・弓
トーリシア・エル・フィ(ia9195
10歳・女・シ
赤鈴 大左衛門(ia9854
18歳・男・志
アリステル・シュルツ(ib0053
17歳・女・騎


■リプレイ本文

 天と地の狭間で大気が凍る。
 風に吹き流される粉雪のさらさらと密やかに硬い硝子質の響きが砕け散った空気の欠片に共鳴し、雪原全体に冬の旋律を謡わせているかのような‥‥
 琥珀色の太陽と蒼く澄んだ空の下、大気そのものがきらきらと光り輝いているようだ。

「うわぁ、綺麗ですよ〜」

 白く、そして、ふわふわの。
 心躍る光景に眸を輝かせて歓声を上げたアイリス(ia9076)は、喉に流れ込んだ空気の冷たさに口を開けたまま固まる。冷たいなんて、優しいものではない。灼けつくような冷気は、もはや凶器だ。

「い、痛いですよ〜」

 けほけほと咳き込みながら涙目で身に纏った防寒具を慌てて口許まで引っ張り上げたアイリスを慰めようと湿った鼻面をスリよせてくる柚木の吐息がまた冷たくて。愛の重さを受け止めたアイリスを労わるように、赤鈴 大左衛門(ia9854)はその小さな背中を撫でてやる。故郷の村でも、寒いとぐずる小さな弟や妹の背中をこんな風に慰めてやったものだ。――彼の地で兄の帰りを待つ弟妹たちに、どんな報せを持って帰ってやれるだろう。
 寒い国だと、聞かされてはいたけれど。防寒具に身を固めていてなお、足許から這い上る痺れるような冷気に、天宮 蓮華(ia0992)、安達 圭介(ia5082)共々、この地の厳しさを思い知る。我が身は温石ではないと不満たらたらだった玉響も、雪原に踏み込んでからは斎 朧(ia3446)の懐に潜り込んだまま、外を窺おうとする気配さえない。

「‥‥‥寒い、な‥‥」
「‥‥ですわね」

 羽織ったケープの下でそっと両の腕を抱きしめたシエラ・ダグラス(ia4429)の呟きに、フリージアの手綱にとりついた氷を取り除いていたトーリシア・エル・フィ(ia9195)もこくりと首肯する。アリステル・シュルツ(ib0053)とて、それは同じだ。
 この国の冬には、懐かしさより、忌々しさがまず浮かぶ。時間にすればこちらで過ごした時間の方がずっと長いはずなのに。既に天儀の冬に慣れてしまった己の弱さを不甲斐なく思うと同時に、改めて戻ってきたのだと実感はしたけれど。
 こんな形で、この国の土(雪?)を踏むことになるとは思わなかった。少し複雑なシエラの心情を汲んでいるのか、パトリシアもどこか殊勝で。――そうういえば、彼の故郷もこの国だったとふと思う。

 ‥‥‥キュル‥‥

 注意を促す斎利の鳴声に顔を上げ、安達は白銀の彼方に見える白い森の畔に動くモノを認めて眸を細めた。雪と氷に乱反射して世界を照らす陽光は、地に漂う不穏が嘘のように澄んで明るい。――今は愛用の伊達眼鏡より、サングラスが必要だろう――樹氷の森からばらばらと吐き出されるように現れた黒い小さな塊が人影だと気づくのに少しばかり時間を要した。

「何でしょう?」

 おっとりと小首を傾げ顔を見合わせた蓮華と朧の頭上で優羅が警戒の音を紡いだ時には、「わぁ」とか「きゃあ」といった悲鳴も凍った雪原を滑り、身を切る風と共に彼らの許へと届き始める。
 よく目を凝らすと中空で光を弾いてきらきらと煌く何か――小さくて形は見えないが、どうやら複数いるらしい――が、こけつまろびつ逃惑う人々を追いかけ、その身に纏わりついているようだ。

「アヤカシ!?」
「雪喰虫か!!」

 その名のとおり虫に良く似た姿をした雪喰虫は、ジルベリアでは良く見られるアヤカシで。故に、ジルベリア生まれの戦士たちの反応も早かった。どちらからともなく視線を交わして剣を抜き放ったシエラとアリステルの呼吸に応え、パトリシアが敵意を孕んだ咆哮をあげる。ひとつ遅れて、ベーオウルフもそれに倣った。
 雪煙りを巻き上げて駆け出した仲間に遅れてはいけないと、赤鈴も猪の毛皮に身を包んだ大柄な甲龍の手綱を握る手に力を込める。

「田吾作、わしらも加勢するだスよ!」
「はぅっ。アイリスも頑張りますよう」

 明朗な響きの籠る赤鈴の巨躯に見合った大きな声に、アイリスも柚木を促した。
 よほど油断しなければ、遅れを取る相手ではないけれど。やはり巻き込まれてしまうのか、と。安達は複雑な面持ちで吐息をひとつ。――もちろん、人助けがイヤだというワケではない。


●まつろわぬ民の街
 器に満された具沢山の温かいスープに、老婆は雪灼した皺くちゃの顔に涙を浮かべた。
 聞けば、もう何日も食事らしい食事を摂っていないのだと言う。――固いパンに屑野菜の薄いスープが付いていれば良い方で、白湯しかない日も珍しくない。そんな訴えと共に向けられる縋るような渇望に、蓮華は胸にともる小さな痛みを自覚した。中途半端に踏み込むのは危険だと、憂いを含めた赤鈴の危惧にも得心がいく。
 自身も辺境の少数部族の出身であり、《開拓者ギルド》の長となった今でも彼らと密な繋がりを持つジノヴィ・ヤシンの名と、アヤカシを退けた功を持って開拓者を受け入れたヴォルガ氏族の拠点カラフォンは、この辺りでは比較的豊かな街だった。
 通り過ぎた小さな村や街に比べれば、活気があり通りを歩く人の姿も多い。だが、それでも市場の品揃えは天儀のそれには遠く及ばず‥‥神楽であれば見向きもされないような萎びた野菜が倍の値段で売られていたのには眩暈がした。
 厳しい気候が災いしジルベリア全体の食料生産量が乏しいのだという前提を割り引いたとしても、今の季節は市場に出回る絶対数がまず少ない。難民に施す為に蓮華が買い占めれば、今度は街の住民たちへの供給が不足する。――ひとつ間違えれば、新たな対立を生みかねない危険な状況でもあった。不和があれば諌めるつもりが、蓮華自身がその火種を作ったのでは本末転倒なのだから。
 手控えれば行き渡らず、増やせば他方へ支障が及ぶ‥‥そして、皆を助けたいと憂う心根の優しい者までが傷つき苦しむ‥‥これもまた戦さの影なのだと、安達は眉を曇らせた。
 皇帝やその周辺で栄華を享受するだけの貴族たちがひどく忌み嫌われている理由も納得できる。わざわざ、第三者である天儀の開拓者に説得を依頼する意味を訝っていた朧も、ヤシンの苦渋を理解した。とはいえ、アイデンティティの根幹を揺るがすような陰を内包する故国の姿に、トーリシア、アリステルだけでなく、日頃はクールなシエラもまた困惑を隠せない。

「あなたはメーメル城の方から逃げてきたの?」

 温かな食事を求めて列を作った難民の袖を引き、朧はそれとなく問いかける。
 少数民族の衣装ではなく天儀でも見かけるジルベリア風の衣服を身につけた男は、一瞬、気まずげな表情を浮かべ逃げ道を探すように周囲を見回したが、すぐに力なく頷いた。

「‥‥は、い‥」
「責めているわけではないわ。 あちらはコンラート卿の差配で景気が良いのだと伺っていたものだから‥‥」

 グレフスカス辺境伯にもたらされる情報の多くは、コンラートの施策は場当たり的で結果として被害を拡大させるような愚策も多いと告げている。――自軍に有利な情報操作の可能性も考えて真逆の評を口にした朧を見つめ、男はどこか乾いた笑みを零した。

「‥‥その噂が本当なら私はここにはおりませんよ」

 彼はメーメル城に近い小さな街で商いをしていたのだという。
 冬場になれば、食料の生産率が下がると同時に雪と氷に道を閉ざされて、物の値段が跳ね上がり、畢竟、人々の生活は苦しくなるものだが、陳情を受けたコンラートはこれを商人たちの咎として――事態の背景を考慮することもなく――重税を課した。多くの商人が街を逃げ出し、人々の暮らしはいっそう傾く。その繰り返しで彼の商売もついに立ち行かなくなり、逃げるように難民としてカラフォンへ流れ着いたものらしい。

「あの方は何も理解っていない。原因を探らず、ただ場当たり的に取り繕って‥‥」

 問題を解決に導くのではなく、闇雲に蓋をして先送りするだけなのだから、すぐに綻びる。まるで雪の下に秘密を隠した愚かな狐の昔話だと、彼は肩を落とした。流民たちを慰め力付けながら蓮華が拾い集めた噂話も、概ねコンラートの迷走に夢破れた現実の厳しさで。
 ジルベリアの民のフリをして街を歩いたトーリシアとアリステルは、ほんの少し苦労する。向き合う相手に心を開かないのは、トーリシアだけではなかったようだ。そうでなくても、帝政に反感を抱く《まつろわぬ民》の街は、高貴な出自を自称する彼女たちには敷居が高い。

「アヤカシに襲われたの」

 トーリシアが怪我の理由を尋ねた子供は、もう街の外では遊べないのだとしょんぼり項垂れた。
 出没するのは雪喰虫程度の小さなモノがほとんどで、今はまだ街の男たちで追い払える程度だというが‥‥もっと兇暴なアヤカシが徘徊しているという噂話には事欠かない。――天儀の《ぎるど》にも、その手の依頼が舞い込んでいるのだから――住民たちの危機感は募っているのだろう。

「アルテーリャさまが退治に行くとメーメル城の方へ逃げていくんだって」

 それはつまり、アヤカシは反乱軍の占領地を塒にしているということになるのだろうか。
 反乱軍の支配地域ではアヤカシによると見られる失踪事件なども起きているとは聞いていたが。‥‥ただ、不思議なことにその中心にいる反乱軍がアヤカシに襲われたという話は、未だにひとつも出てこない。どこか釈然と落ち付かない理由はこれか、と。安達は秘かに納得する。
 少し噂を拾い集めただけでこれだけマイナス要素が出てくれば、確かに躊躇したくもなりそうだ。――後は、如何にして帝国軍への反感を緩和させるか。その辺りが会談の肝になるだろう。


●凍土
 ジノヴィ・ヤシンの根回しか、彼らの関心の高さによるものか――確かに、黙って傍観を決め込むには事態が大きく為り過ぎている――会談にはアルテーリャの他に、数名の他部族の代表が招かれているようだった。
 身に纏った民族衣装の色や模様の違いでそう推し測っただけだが、シエラの予測はおそらく間違ってはいないだろう。
 威風堂々とした風格を漂わせる壮年の男たちの中で、主座にあるアルテーリャだけがずいぶん若い。彼らを御するに相当な苦労を強いられているはずだが、そんなことを微塵も感じさせない強靭な精神力を宿した氷蒼色の眼がとても印象的で。
 そろそろ周囲から妻帯を薦められる年齢だろう。もしかしたら、既に結婚して子供がいるかも‥‥と、あらぬ妄想に囚われかけたシエラは、慌てて脱線しかけた思考を現実に引き戻す。――それは後でゆっくりするとして――今は、彼らを説得するのが先決だ。
 長旅の埃を落とし、きっちりと正装して会談の席についた開拓者たちに、好奇と警戒を織り交ぜたいくつもの視線が向けられる。何やら珍獣にでもなった気分だとトーリシアは胸中で憮然と唇を尖らせた。

「まずは、こうして場を設けていただいたことに感謝致します」
「なんの。ヤシン殿のご推挙なれば当然のこと。――その上、我が民をアヤカシよりお守り頂いたとも聞く。粗略に対しては精霊の加護を失う」

 礼儀正しく頭を下げた蓮華に、アルテーリャもまた礼儀に則り言葉を返す。それから、ふと思い出した風に、彼は唇の端にごく小さな笑みを刻んだ。

「親父殿に面会を申し込まれたそうだな」

 アルテーリャの言葉に、安達は僅かに身動ぐ。
 挨拶のつもりだったが、ナミウォーク・ヴォルガは安達との面談をやんわりと拒絶した。彼は既に引退した身であり、ヴォルガ氏族の族長はその息子アルテーリャが継いでいる。――そのアルテーリャを飛び越えて、ナミウォークに接触を試みたのは少しばかり僭越だったかもしれない。

「親父殿は今頃になってようやく楽ができると春を謳歌しておられるのだ。許されよ」

 アルテーリャの弁に、誰かがくすりと小さな笑みを零した。
 部屋に広がった密やかな漣が消えるのを待ち、アルテーリャは促すように開拓者たちへと視線を向ける。意思の強そうな氷蒼色の眼に揺れる光には穏やかな理性が宿り‥‥少なくとも彼にはまだ開拓者たちの話に耳を傾ける気があるのだと告げていた。
 その理性の色に勇気を得、トーリシアは帝国軍と反乱軍が睨みあう現状への理解を示す。

「今の状況では、どちら側に与しても街の人々に大きな損害を与えてしまうことはよくわかります。しかしながら、どちら側にも与しないという事は、将来、街はどちら側からも見捨てられると云う事になります。それは街のためにはなりません。現状でなく将来を見据えて行動してみませんか?」
「――つまり、私には将来が見えていない、と?」

 矜持の高い娘らしいトーリシアの歯に衣を着せぬ言動に、アルテーリャはほのかな苦笑を浮かべた。彼の反応は穏やかだったが、もっと不快そうに顔を顰めた者もいる。僅かに気圧の下がった空気を断ち切るように、朧は静かに言葉を継いだ。

「こちらへ参るまでは少し疑問に思っておりました」

 優柔不断ではない筈の彼らが、未だに反乱軍に加わらぬ理由。ずっと不思議に思っていたけれど。この街で‥‥反乱軍と帝国軍が隣り合わせたこの地の空気を感じた今はなんとなく理解る気がする。

「反乱軍、いえ、コンラート卿の理念はご立派ですが、私には絵空事しか思えない。貴方もそれを感じているから、躊躇していらっしゃるのではありませんか?」

 言葉を選びながらそれでも核心を突いた朧の言葉に、空気が揺らいだ。
 シエラとアイリスもひとつひとつ拾い上げ、検証した反乱軍の歪みを、アルテーリャの前に積み上げていく。――アヤカシの出現に真っ先に逃げ出したのは反乱軍であったこと。帝国軍に対抗するその戦力が1機の巨神機と金で雇った傭兵部隊に依っていること。僅か数ヶ月の間に逃げ出す者が続出するコンラート自身の才覚への疑問‥‥数え挙げればきりがない。

「仮に百歩譲って、彼らに帝国を打ち倒せたとしても変わるものは支配者の名だけ。己の描いた机上の理想ばかりを追い求め、民を置き去りにする政(まつりごと)が、民に幸福をもたらせるはずがありません」
「アイリスも、反乱軍に今の生活を良くする力があるかと言われれば、疑問なのですよ」

 赤鈴、安達と誘い合わせて龍で駆けたコンラート領の様子は、想像していたよりずっと酷かったのだ。既に廃墟同然となっていた村もある。飛翔する龍の背に騎乗して上空から眺めただけでそうなのだから、その実情は推して知るべし、だ。

「――私はこの時期にまるで図ったかのようにアヤカシの跳梁が激しくなったことも気になります」

 杞憂であると良いのですが、と。前置いて、安達もまた己の中で生まれた疑問を不安を言葉に乗せる。緑茂や楼港の戦いで狐妖姫の暗躍を見聞してきた者であるからこそ感じられた歪みのひとつだ。

「人とアヤカシの二正面戦闘などそうそう起こるものではないです。少なくとも、アヤカシの方にこれを指示しているものがいるはず。今回の戦の雰囲気は楼港とよく似ている気がします」

 そう、括った安達の言に、アルテーリャはちらりと傍らに座する男に視線を向ける。
 深い群青に細かな刺繍を散りばめた衣装を纏った初老の男は、剣呑にしかめた眉間の皺をさらに深くして不承不承低く言葉を吐き出した。

「‥‥‥反乱軍の中に、アヤカシの動きを読むことができる者がいるらしい‥‥」

 開拓者の間に緊張が走る。
 アリステルの耳には、自分が息を呑む音がとても大きく聞こえた。

「ありえないですわっ、そんな‥‥」

 そんなことが出来るのは、人間ではない。
 思わず声に出して否定を紡ぎ、トーリシアは膝の上に揃えた拳を握りしめる。――只の地方の反乱だと思っていたけれど。本当はもっと根の深いものなのではないだろうか。冷たい沈黙に埋もれて行く村を想い浮かべて、アリステルはふるりと身体を震わせた。愛する故郷が見えざる脅威に蝕まれていく、不安と焦燥。

「まァ帝国に有利にしか話さねェと思われて当たり前だスが。ワシらは余所モンで此方のご事情には疎い分、見たモンしか話せねェだスよ。――だスがコンラートっうお人のやっとるこたぁ、ワシにはいまひとつ納得できんのだスよ」
「私はただ、無益な血を民に流させたくない。それ以外に、他意はありません。誓ってもいい」

 とつとつと紡がれる駆け引きのない赤鈴の朴訥な口調と、シエラの緑の眸に燃え上がった真摯な光。蓮華もまた、荒ぶる力で齎された雪解けの先に、安寧はないと訴える。
 親身になって行く末を憂う開拓者を情熱が彼らの胸にも届いたのか。あるいは、積み上げた真実の重さが利いたのか。会談が終わる頃にはアルテーリャをはじめ他氏族の使者の胸中に、コンラートの陣営に身を投じようという選択肢はなくなったようだった。――帝国軍に利する言葉も、聞くことはできなかったが。それはこの先、辺境伯をはじめとするこの地の為政者たちが頭を悩ませるべきことだ。

「まずは、有意義な報を運んでくれたことに礼を言おう。――危険を顧みず足を運んでくれた貴殿らの勇気に敬意を表する」

 前途に、幸多からんことを。
 ヴォルガ氏族の長は、その賛辞をもって長く厳しい帰路につく開拓者たちを見送った。