かまどのお祭り
マスター名:津田茜
シナリオ形態: イベント
EX :危険 :相棒
難易度: 普通
参加人数: 13人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/11/27 03:38



■オープニング本文

 ふうわりと薄曇りの空に風花が舞う。
 赫々と熾る暖炉の前は心地よく温かいが、窓の向こうは晩秋を通りこし冬景色へと様変わりしていた。
 この雪は、積もるのだろう。――2年も暮らせば、それなりに住む土地の姿も見えてくるものらしい。――ひと雪ごとに地表より熱を奪い、三度目に降る雪は根雪となって大地を固めジルベリアを冬将軍の凍てた外套の裡に閉じ込める。
 農作物の収穫は既に終わり、家々の冬支度も佳境を過ぎた。
 あとは、新酒の解禁と――

 窓越しに舞う雪片を眺め、ディミトリ・ファナリは少し安堵していることに気付いた。
 こればかりは天候頼みとはいえ、待つ身は辛い。冬は暖かいに越したことはないのだけれど、暖か過ぎると逆に滞る行事も確かにあって。――いつの季節もなかなか安んじられないものだ。

「新酒の封切りと併せませんか?」

 彼の提案に、壮年の執事は少し驚いた顔をする。
 村の行事に彼が口挟んだのは、これが初めてだったかもしれない。殊更、「善きに計らえ」な左団扇を実践しているワケではないのだが――機会を得られなかったというか、流れが理解できていなかったというか――2年経ってようやく地に足が付いてきたようだ。

「こんな時でもなければ、皆で賑やか集まる機会もないですし‥‥せっかくなら、お酒も飲めた方が良いでしょう?」
「それは、そうですが‥‥」

 ですが、支度が――
 段取りに気を回してしまうのは、催事を取り仕切る者の性だろう。白いものの目立ち始めた太い眉を思案気に顰めた執事に、ディミトリは今思いついたばかりの計画を打ち明けた。

「ジェレゾの《開拓者ギルド》にお声をかけてお手伝いをお願いしようかと。‥‥いつも面倒事ばかりお願いしていますから、たまにはこういう依頼も良いかと思って」

■□

 張り出された依頼票に、季節が躍る。
 馴染みのないイベントに天儀より訪れた開拓者はちいさく小首を傾げた。

「かまどの祭り?」
「ああ、《かまどの精霊》に1年の恵みに感謝して引き続きの加護を祈る‥‥ジェレゾではそう大々的にはやりませんが、田舎の方では盛大に祝う所もあるみたいですね」

 慣れぬ異国情緒に戸惑い気味の開拓者を相手に、受付係はのんびりと応える。地方の祭りへの参加の呼び掛けなのかと納得しかけた開拓者に、受付係はいえいえと首を振りいっそう笑みを深くした。

「急に冷え込みましたから、ね‥‥家畜を潰すのも手伝って欲しいのだそうです。平たくいえば、冬支度のお手伝いですが、今しか食べられない新鮮な肉料理も振る舞われますし、新酒の封切りもやるそうです」

 重労働だが、それなりに楽しめる見返りも大きいといったところか。
 冬支度にもいろいろあるのだ。初めて触れる異国の薫りに、彼は感慨深く張り出された依頼を眺めるのだった。


■参加者一覧
/ 羅喉丸(ia0347) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 菊池 志郎(ia5584) / 和奏(ia8807) / アイリス(ia9076) / 明王院 未楡(ib0349) / 針野(ib3728) / 鉄龍(ib3794) / シーラ・シャトールノー(ib5285) / エルレーン(ib7455) /  モロ (ib8204) / もちたろう(ib8205) / 桜庭 雪羅(ib8207


■リプレイ本文

 積もったばかりの真新しい雪を幾つもの足跡が踏んで行く。
 雪雲が塞いだ曇空は淡い陽光を懐に孕み、無風の中空を漂う氷結を弾いて空全体が白く輝いているようにさえ。――大気は冷たく冴えていたが、不思議と寒さを感じないのは広場に置かれた焚火のお陰だろうか。
 ぐらぐら煮え滾る熱湯を湛えた巨大な鉄鍋を中心に大小の火が焚かれ、その周囲では既に村人たちが忙しそうに立ち働いていた。――冬支度というよりは、胸躍る祭りの前夜といった風情で――皆、晴々と活気があり、楽しそうだ。
 異国の祭りだと聞いて少し身構えていた羅喉丸(ia0347)だが、顔立ちや身に纏う衣装に違いはあっても、根底に流れるものは天儀のそれと大差ないと安堵する。厳しい冬に備えんとする慌ただしさは、どこか懐かしいものでもあった。
 晴れやかに賑わう広場の様子にぼんやりと焦点の合わない視線を投げていた和奏(ia8807)は、礼野 真夢紀(ia1144)が持ち込んだ荷物に軽く瞠目する。

「‥‥大荷物ですね」
「姉様に頼んで、地元の桜と胡桃の木を送ってもらいました」

 同じ燻製を作るにしても、手伝うからには普段と違うものを提供したい。
 間に合わせではなく、しっかりと事前準備を怠らないところが美味しいモノを食べる為には手を抜かないのが真夢紀の意気込みとこだわりだ。――きちんと理解しているのかどうか、多少、怪しくはあったけれども。――真夢紀の言にふうわりとやわらかな笑みを良く出来たお人形のような顔に浮かべ、和奏はその重い荷物を広場まで運ぶのを手伝った。
 女性たちが楽しげに働く光景は気持ちよく、見ているだけで心が浮き立つ。
 大家族を養う母であり、小料理屋を兼ねた民宿《緑生樹》を切り回す女将でもある明王院 未楡(ib0349)は、自然と浮かんだ笑みに優しげな顔を綻ばせていた。

「かまどの神様への感謝は主婦の心得‥‥その感謝の気持ちが皆様の笑顔に繋がるなんて、素敵ですね」

 その笑顔の中に、居場所のある僥倖。
 かまどの精霊を家の守り神として祀る風習は、天儀にもある。呆れるほどささやかだが、これほど心を満たしてくれる場所も他にない。
 どぉん、と。横たえられた解体前の家畜を前に少しも臆することなく、持ち込んだ《山姥包丁》を手に腕まくり、襷掛け。
 とびきり新鮮な獣の肉を使いたいだけ。天儀にいてはまずお目に掛れない贅沢な大判振る舞いを前に、気合を入れて嬉々と主婦の輪に加わる未楡だった。

「以前にこの地を訪れたときは、川遊びができる程暖かかったのですが‥‥もうすっかり季節が変わったのですね」

 記憶に残るこの場所は、もっと生命力に溢れた鮮やかな陽射しと緑に包まれていたのだけれど。その川は凍て付くほどではないが、流れの澱んだ辺りには薄く氷が張りはじめている。
 すっかり装いを改めた景色を感慨深く眺め、菊池 志郎(ia5584)は白くけぶった吐息をひとつ。――ひと言、挨拶をと探し回ったご領主は、何故か広場の片隅で折れた包丁の柄を付け替えていた。職人街の人々が身に付けるような皮の前掛けが妙に似合う。

「本当に。いつも付いていくのに精いっぱいです」

 過ぎ行く季節に追い立てられて。
 趣を変える世界を鷹揚に楽しむ悠長さとは、無縁の人であるようだ。――貴族というより、どこかの職人といった方がむしろしっくりくるような。

「ギルドに声をかけて頂きありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ。また、お会いできて嬉しいです」

 依頼ばかりでなく、共に祝おうと掛けられる声が嬉しい。
 この地で関わりになった子供たちもジェレゾで元気にしているようだと、息災を知らされれば尚のこと。お互いに言葉少なではあるが、のんびりと紡がれる刻の流れが心地よかった。
 そんなふたりに声を掛け、雪を冠して穏やかにまどろむ冬の森へと出かけていく者たちもいる。

「アイリスは森に行って、何か獲って来るですよ」

 夏にこの地を訪れた時から――あるいは、もっと以前から――気に掛けていた場所だ。
 志郎と同じく、ご領主と再会を寿いだアイリス(ia9076)は、そわそわと理穴弓を弄びながら葉を落とした照葉樹と冬緑の針葉樹が混在する森へと視線を向ける。貴族らしくないご領主さまは、貴族的な野遊びとはやっぱり無縁で。もう何年も大がかりな狩猟の宴が催されていないお狩場は、ちょっとした野生の楽園‥‥けっこうな穴場になっているとかいないとか。

「狩りに行くの!? わ、私も行きたいな‥‥ダメ、かなぁ‥‥?」

 アイリスの申し出に、エルレーン(ib7455)もおずおずと手を挙げた。
 お料理は下手ではないが、人に振る舞えるほど腕に自信があるわけでもない。――体力にはちょっと自信があるから、山野を走りまわって得物を追う方が向いているかなぁ、なんて。
 針野(ib3728)も伴に訪れた恋人、鉄龍(ib3794)の袖を引く。

「冬を無事に越せますように、って願掛けなんよ」
「気を付けて行って来てくださいね」

 良からぬモノが入り込んでいるかもしれないと少し顔色を悪くしたご領主さまに、開拓者たちは豪気に笑う。それこそ、開拓者の本分だ。

「大物を仕留めて来るのですよ〜」
「よし、やるぞー!」

 意気揚々と森へと出かけていく仲間を見送って、シーラ・シャトールノー(ib5285)も持ちこんだ荷物を紐解く。
 寒冷な土地柄、手に入り難い食材も多い。温暖な気候を好む果物や香辛料は、天儀の市場より格段に値が張ることは学習済みだ。
 真夢紀のように、敢えて初志を貫徹するか。あるいは、こちらで手に入る品に置き換えて新境地を開拓するかは、裁量次第。雲の裡にて淡く輝く白い太陽を見上げて、シーラは暫し思案する。


●冬に備えて
 寒さを感じる暇がない。
 手際良く処理され運ばれてくる家畜を受け取って、羅喉丸は白く凍った息を吐き出した。
 絞められた家畜は先ずは熱湯を潜らせて、鶏ならば羽を毟り――家畜なら巨大な肉切り包丁の背で毛をこそげ落として――後足を縛って木に吊るす。

「さすがに重いな。――なに、お安い御用だ」

 良く育った豚や牛を運ぶのは、膂力には自信のある開拓者にも重労働だ。
 それでも羅喉丸は笑顔で仕事を引き受ける。――述べられる感謝の言葉と判り易く誰かの役にたっているという実感。身体は辛いが、爽快だった。
 腹を裂き、取り出された内臓は大きな浅い桶に入れて志郎が女性たちの待つ広場へと運んでいく。未楡と真夢紀、そして、シーラは運ばれてきた内臓を洗い、付いた脂を丁寧により分ける作業に勤しんだ。世間話に花を咲かせつつ、せっせと手を動かして‥‥心臓、肝臓、骨付きのあばら肉、腸詰め用の細かな肉も‥‥次々、運ばれてくる様々な食材にこれから作るべき料理の姿を心に描く。
 真夢紀が所望したチーズは、近くの農場から分けて貰うコトで話が決まった。――ジルベリアの食卓には欠かせないものなのか、どこの家にも蓄えがあるとのこと――卵も網に入れて大鍋の中に吊るしておけば、使う頃には立派な茹で卵に仕上がっているだろう。
 水も薪もとにかく大量に必要で。子供たちに混じって水汲みや薪運びを手伝っていた和奏は、共用の小さな井戸では追いつかず村外れの小川まで足を運ぶ役を割り当てられた。

「‥‥新しいお肉をいただくのも、大変なのですね」

 楽しみを享受するには、それだけの労働を提供しなければいけないのだ、と。妙に納得して不平も言わずに律儀に仕事に励む和奏の姿に、家にひとりいたらとっても便利なのにと思った主婦がいたとか、いなかったとか。
 運搬を引き受けた羅喉丸が運び込んだ肉の塊に志郎が《氷霊結》を掛け‥‥水のように覿面に凍らせることはできなかったが、素早く温度を下げるにはそれで十分‥‥今年はいっそう鮮度が良さそうだと方々で重宝された。

「これは塩に何か混ぜてあるのですか?」
「刻んだ香草ですの。保存の為でもありますけど‥‥お料理は香りも大事なんですよ」

 脂身の豚肉にお手製のハーブソルトを刷り込んで樽に収めていた未楡は、興味深気に手元を眺める志郎の問いに笑顔で応える。時間が経てば、どうしたって風味は落ちる‥‥味は二の次になりがちな保存食を美味しく食べて貰う為の未楡の心遣いのひと手間だ。
 真夢紀の持ちこんだ燻煙材を細かく砕く作業をそれとなく肩代わりしたりと、周囲への気配りも相変わらず。頼れるお母さんぶりもしっかり健在。
 続いて、慎重な手つきで作業する真夢紀の手元を覗き込み桶に満たされた濃い色の液体に顔を近づけた志郎は、その強い香りに思わずくしゃみが飛び出しそうになり慌てて顔を背けた。
 漠然と煙で燻すものだと理解していた燻製にも、何かと手順があるらしい。真夢紀によると、香草と塩に水と樹木蜜と酒など色々混ぜて煮立たせたもの‥とのこと。

「なるほど。ところ変われば、調理法も随分異なるものですね‥‥独特な匂いだな」

 まだ鼻の奥がむず痒い。勉強になったと感心しながら、志郎は淡く微苦笑を浮かべる。
 菓子職人の技術を買われミンスミート造りを任されたシーラも思いがけず割り振られた大任に改めて背筋を正した。
 切り落とされた屑肉の中から良いところだけを選んで刻み、干した果物、香料、砂糖に酢、香り高い古酒を混ぜて大きな甕に漬け込む。味が馴染むまで少しばかり時間が掛るが‥‥新年の宴卓に自分の作った料理が並ぶなんて、考えただけでも心が躍った。

「――骨は捨ててしまうのか?」

 ようやく終わりが見え始めた重労働に、少しほっとしながら尋ねた羅喉丸の視線の先にあるものは肉を切り離した後の骨の山。何も知らずに視界に入れれば、思わずドキリとしそうな光景なのだけれども。
 問われた村人は、ひらりと手を振ってまさかと笑う。――骨だって、無駄にはしない。残った肉が骨から離れるまで茹でたら、肉を刻み、味を付けて冷やせば煮凝にもなり、未楡が宴会料理として打った麺の出汁として使いたいと所望した他、ジルベリアの煮込み料理にも使われるようだ。

「ふむ。ここまで徹底的に利用できるものだとは思わなかった」

 穀物、野菜、チーズにピクルス、乾物‥‥そして、肉。
 収まるべき処に全て収まり、いっぱいに満たされた食糧庫を前に、羅喉丸は満足気に嘆息する。――そして、それが全てを終えた大晦日に感じる充足と同じ物であることに気が付いた。
 しっかりと働いて‥‥
 続けて宴会料理へと取りかかり、まだあれこれ忙しそうに差配している未楡や真夢紀には悪いなぁと思いつつ、男たちはひと足早く仕事を終えてお祭り気分を盛り上げる。


●狩猟料理の行方
 ここは、もちろん大物狙いで。
 森に向かった開拓者たちの心はひとつ。

「冬の備えは多い方が安心なのですよ」
 聞くところによると、出歩く事もままならぬ吹雪に閉じ込められるコトも珍しくないという。冬支度に追われる最中、快く送り出してくれた人々の為にも、大猟を報告したいところだ。

「狙うのは、シカ‥‥」

 野趣あふれる狩猟料理は、晩秋にだけ許された最大の贅沢でもある。――本格的な冬に備えて脂肪を蓄えた今を逃せば、味は落ちる一方なのだから。
 ぐぐっと何時になく力の入るエルレーンの主張に、異を唱える者もなく‥‥初めからその心算の針野はもちろん、鉄龍も否はない。如何にも俊敏そうな獣に、果たして手が届くのだろうかという心配はあったけれども。

「鹿が見つかりますよーに」

 一途に獲物を想い描いて気を練り周囲を探ったエルレーンの《心眼》は、苦もなく幾つもの気配を感知した。ウサギなのか、シカなのか。うっかりすると、アヤカシかもしれないのが《心眼》の不便なところではあるが。

「あ、あっちの方」

 さくさくと雪と落ち葉を交互に踏んで、気配をたどる。
 程なく、雪の上を軽やかに跳ねる毛玉を見つけた。――すっかり隠されてしまった餌を探して積もった雪に顔を突っ込み、掘り返すのに余念がない。

「隙ありなのですよ」

 視線を切らずにじっとウサギを見据えたまま、アイリスは身体が何度も反復して身体に覚え込ませた滑らかな所作で矢筒より抜いた矢を艶やかな黒漆の弓に番える。
 さわ、と。
 冬色に装う木立に戯れた風精の衣擦れが大気を揺らした。刹那――
 薄化粧を施した白い大地を飛影が奔る。風の影にも似た微かな閃きに驚き、跳ねたウサギはその肩口に的中した矢の慣性に弾き飛ばされ地に落ちた。

「‥‥や‥、ったぁっ!!」
「アイリスにかかれば、こんな物なのですよ」
 温厚と言えば聞こえは良いが――荒事の苦手なご領主さまの庇護の許、少しばかり警戒心の弛んでいた森の住人たちの間にも、そろそろ狩人の侵入が知れ渡る頃合いだろう。
 エルレーンが拡げた《心眼》の網が拾い上げる息吹の気配も徐々に減っていた。

「ここは作戦を変えるです。――アイリスとエルレーンさんが風上から追いかけますから、針野さんと鉄龍さんは風下で待ち伏せするのですよ」
「吉を出さんと帰れないんよ」

 アイリスの提案で二手に分かれての包囲作戦。
 暴れて肉に血が回ると風味が落ちる。狩りの獲物は素早く急所を狙うのが定石だが、ここは殿に控えた鉄龍の腕を信じて脚を止めよう。何時でも矢を放てるよう大きく捻じれた獣の角から造られた神秘的な風合いの黒い弓‥‥レンチボーンを握った指先に練力を込め、針野は背の低い灌木の奥へと延びる細い獣道へ狙いを付けた。
 ゆるやかに満ちた気が臨界に達する頃、
 森の奥が俄かにざわめく。

「‥‥わわ‥わ、‥‥待って、待って!!」

 少し慌てたエルレーンの声が思ったよりも近くで響き、ガサガサと無秩序に藪を揺らして現れた獣の影が灌木に積もった雪を蹴散らし小道に飛び出した。続いて、もうひとつ。
 《即射》を用いて放たれた矢は空気を切り裂き、吸い込まれるように標的を捕える。張りのあるしなやかな毛皮を鏃が貫く、弾けるような音がした。

「今なんよ、鉄龍さん!!」
「――任せろっ!」

 ぐらり、と。
 均衡を失い傾きながらも本能で地を蹴り、軽やかに跳ねて軌道を変えた小柄なシカに、大樹の影から飛び出した鉄龍が魔を断ち退けるという銘刀を翳して挑む。
 避け切れぬと腹を決めたのか。シカもまた低く頭を下げて、枝分かれした鋭い角を鉄龍へと向けた。咄嗟に掲げた盾が重い衝撃を受け止める。金色で描かれた五芒の星が斜陽を反射し、頂点に嵌め込まれた宝珠が朱金にきらめいた。

「うおおおおぉぉぉぉぉ―――ッ!!!」

 雄々しき龍の咆哮が冬枯れの梢を揺らし、森の静謐を揺るがせる。
 鹿鍋に、分厚いステーキ。永い眠りに付く直前の神聖なる森の精霊が蓄えた大地の力――凝縮された強い生命力を――感謝と共に皆で分け合う事ができそうだ。


●かまどのお祭り
 広いテーブルを埋めるように並べられた豪勢な宴会料理に改めて空腹を自覚する。
 こんがりと美味しそうな焼き色のついたスペア・リブ、彩りよく盛られたサラダ。シーラが作ったパンフォルテと麦の穂を想わせる焼き菓子も、収穫を祝う宴卓に秋らしい風合いを演出していた。――蜂蜜に絡めた木の実類、柑橘系の砂糖漬け、様々な香料を練り込んだ長期保存も効く焼き菓子は、《かまどのお祭り》に相応しい。
 真夢紀が燻煙材からこだわり抜いて作りあげた燻製と、蕪や玉葱といった根菜類を骨から取った出汁で煮込んだ汁物も、磨き上げられた赤銅の鍋ごとテーブルの中央を陣取っている。味付けも、天儀風に仕立てた味噌味を始め、胡麻油と鳥ガラスープを用いた泰国風、豚骨スープに胡椒効かせたジルベリア風と至れり尽くせり。

「豚と卵は桜、鶏肉とチーズは胡桃で燻してあります」
「燃やす木によって味が変わる‥‥そう言われれば、花の姿や香りも木によって違いますね」

 和奏は少し不思議そうに小首を傾げ、何やら変った視点に着地し理解した風。
 取り皿に料理を取り分けた志郎はワイン蔵から運び出された新しい樽の前へと席を移した。――お花畑を思わせるフローラルな香りの中に、羅喉丸と鉄龍。他にも酒好きだと思われる大柄な男たちが数名陣取っていて、何やらホホエマシイ笑み誘われる光景となっている。
 今年の酒も、上々の仕上がりであるようだ。
 酒好きの朋友を思い浮かべて、羅喉丸は心地好いほろ酔いの中で思案を巡らせる。――お土産にお持ち帰りが可能かどうか。後で、ご領主殿に聞いてみよう。

「置いて来てしまったが、これで機嫌を直してくれるかな」

 針野はまだ若い味のする新酒をちょっぴり‥‥舐める程度に飲みながら、ジルベリア料理に興味津津。
 彼女が仕留めたウサギと鹿も串に刺されて食卓を彩っていた。

「アイリスはお酒は飲めないので、葡萄ジュースをいただくですよ」
「林檎ジュースもありますよ」

 天儀世界のお約束――お酒は14歳になってから。
 律儀に守るアイリスに、未楡はここでもお母さん。差し出されるお皿に彩りよく取り分け‥‥時には偏食を諫めつつ、采配を振るっている。

「‥‥何と言うか‥‥幸せな風景だなぁ」

 ついつい進んだ酒の勢い‥‥日暮れの風にたちまち気温を下げた外気の冷たさを口実に、恋人に甘える鉄龍と真っ赤になって照れながらも彼を甘やかす針野の、和やかな恋人たちの戯れ合いを視界の端に、志郎はちびりと新酒をひと口。
 心行くまで、食べて、飲んで、騒いで、笑って。
 お腹も胸もくちくなるまでいっぱいに満たし、かまどの精霊に1年の感謝と加護を祈ったら、準備は万端。――ジルベリアの小さな村は、長く厳しい冬を迎える。