【武炎】さまよう残滓
マスター名：津田茜
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| ■オープニング本文 もたらされた一報に、勝ち戦さに浮かれた後陣の空気は一変する。 村外れに粘泥の群れが現れたという救援依頼に真田 悠は傍らに立てた太刀を掴んで後陣を飛び出した。 「‥‥ちょ‥っ、真田さんっ！？」 慌ててかけられた制止の声は、果たして耳に入っていたのかどうか。 瘴海を討ち果たしたとはいえ、彼の大アヤカシに従い武天の地を埋めんとした全てのアヤカシを払拭したわけではない。 むしろ、それまでは瘴海の許に集い――漠然とではあるが――まとまりを見せていた下級アヤカシたちは、拘束を失い迷走を始める頃合いではある。 「やはり出たか」 負け戦を覚り立ち回る知恵がないからこそ、本能のままに人を喰わんと蠢くアヤカシは厄介だ。 焦燥に急かされるまま龍を曳き出した真田を追って、いち早く騒ぎに気付き戦闘準備を整えた開拓者もまた連戦に疲労を浮かべた朋友の手綱を握る。 「‥‥間に合ってくれよ‥‥」 雲の切れ間に見下す山野は、アヤカシの蹂躙に爛れ、かつての豊かな景勝は見る影もない。――これ以上、この無残な傷を広げぬ為にも。 頬にあたる怜悧な風に眼を眇め、彼は祈るように呟いた。 |
■参加者一覧
朝比奈 空（ia0086）21歳・女・魔 
薙塚 冬馬（ia0398）17歳・男・志 
カンタータ（ia0489）16歳・女・陰 
ルオウ（ia2445）14歳・男・サ 
菊池 志郎（ia5584）23歳・男・シ 
アイリス（ia9076）12歳・女・弓 
フィン・ファルスト（ib0979）19歳・女・騎 
御調 昴（ib5479）16歳・男・砂 |
| ■リプレイ本文 雨を孕んだ冷たい風が、容赦なく体温を奪い去る。 未だ疲労として身の裡に残る大アヤカシ「瘴海」との激戦の記憶は重い桎梏となって冷え切った手足を縛り‥‥一刻を急く心に焦燥の翳を落とした。 共に修羅場を潜り抜けた朋友にとっても、連戦の負担は決して軽くはないはずで。常よりも重たげに響く濡れた羽音に、天駆ける鷲獅鳥の背にて手綱を握る御調 昴（ib5479）は凶兆の星の名を冠した朋友に詫びる。 「あと少しだけ、お願い、ケイト」 「疲れているだろうが急がないといけないんだ。頑張ってくれ」 薙塚 冬馬（ia0398）もまた、労わりを込めてに夜刀の首筋にある三日月を思わせる白い模様に指を這わせた。 時折、薄くなる雲間より垣間見える大アヤカシとの激戦の地は想像以上に荒れ果て‥‥俯瞰することで視覚に焼きつくその爪痕に、改めて愕然とする。低く垂れ込めた雨雲に思いがけず大きく響いた隠逸の荒い呼吸に、菊池 志郎（ia5584）はぎりと唇を噛みしめた。 瘴海の脅威に晒された武州の例に限らず、村が――長い時間を掛けて積み重ねた人の営みが――アヤカシに呑まれる様を無為に眺めるのは、幾度、体験しても決して慣れられる類のものではない。 討ち洩らした残り滓とはいえ‥‥否、残り物だからこそ。ここで手綱を弛めれば、きっと後で後悔する。今はまだ、情に譲るワケにはいかなかった。 「ヴァーユ、全速力、急いで！」 「急がないと、大変なのですよ〜」 開拓者として見過ごせぬ災禍を憂い、フィン・ファルスト（ib0979）は逸る心を抑えきれずに漆黒の鷲獅鳥を急きたてる。前を見据える視界の端に映り込んだ純白の駿龍もまた、騎乗する主人――アイリス（ia9076）の想いを汲むかのように、濡れた翅翼をきらめかせた。 終わらせた筈の悪夢の残滓に、ルオウ（ia2445）もまた風宝珠を全開にした滑空機の下で激しくうねる気流を全身で押さえつける腕に口惜しさが滲む。 「ちっくしょ―――っ！ 行くぜ、ドンナー！！」 激しい気炎は、魂を揺さぶる咆哮にも似て。 ルオウの小柄な体躯から発せられる思いがけず強い気概に引き摺られるかのように。朝比奈 空（ia0086）が騎乗する鷲獅鳥、カンタータ（ia0489）を運ぶ炎龍も速度を上げた。 ●雲居より光射す 山間の集落に不穏が揺れる。 災厄に家を追われ逃げ込んできた縁者や被災者を受け入れて、倍以上に膨れ上がった人の気配が瘴海の支配を失いさまようアヤカシを呼んだのだろうか。ひたひたと大気に満ちゆく緊張が、次なる戦いを待っていた。 落ち着きなくざわめく木々の根元にゆるゆると蠢くぬかるんだ物体を認め、菊池は《高速飛行》にて速度を増した隠逸の騎上で手綱を絞る。急旋回して下降する駿龍の翅翼が巻き起こした突風が、狭い窪地に集まった人々を大きく薙いだ。 強いられる不安と疲労に憔悴し切った人々に取り囲まれた真田悠の姿を見つけ、菊池は狭い隙間に強引に着地させた隠逸の背から飛び降りる。 捉えた視線としゃくった顎の先でアヤカシの存在を真田に示し、菊池は何事かと困惑を隠せない男の背を家屋の方へと押しやった。 「終わるまで家に入っていてください！ 何かあったら、これを――」 懐から取り出した呼子笛を骨ばって枯れた手に押し付ける。 菊池に倣い騒然と戸惑う人々に家の中に入るよう声を掛けるフィンの頭上を飛影がかすめ、朝比奈を乗せた黒煉は《飛翔翼》を纏い高度を下げたまま粘泥が迫る山の方へと速度を上げた。 開拓者を運び次々と鈍色の空より舞い降りる勇ましい朋友の姿に、固く張りつめていた不安がわずかに綻ぶ。それは厚い曇天の切れ間より投げられた一条の陽光にも似て。――寄せられる信頼に、笑みを浮かべる余裕が生まれた。 「わかっていると思うが、突っ込んだりして粘水被らないでくれよ」 粘泥と戦う際の心得を軽やかに口先に乗せて忠告を送った薙塚は、見覚えのある男の姿にふと眸を細めた。 戦場や後陣ではいつも人の中心に居ることの多い男は、なかなか気易く声を――というか、浮かんだ疑問を――口に出せる距離には居なかったから。出来心、あるいは、魔が差したと言うべきだろうか。長らく強いられていた緊張が弛んだ拍子に、顔を出した好奇心に負けた、とでも。 「ところで真田さんよぉ、あんたって侍か志士どっちなんだ？」 自分でも可笑しな問いだとは思ったけれど。 どうしても尋ねたかったのだ。 さすがに予想を外れた言葉に彼は思わず足を止め、薙塚を振り返る。――そして、笑った。 「すぐに判る」 深く、そして、温かな。 軽くはぐらかされたにも関わらず。それはするりと薙塚の胸に落付き、陽だまりのような光明を兆す。 「ああ、うん」 それもそうか、と。小さく独言き、薙塚は何か言いたげな駿龍に手早く次の指示を与えると、自らもその気概を確かめるように腰に佩いた刀に手を掛けた。 「夜刀、大丈夫だと思うが森を燃やすなよ」 茶化すような口調に駿龍はかちかちといかにも恐ろしげな音を立てて牙を噛み合せ、漆黒の翅翼に集めた風を纏いて再び空へと舞い上がる。 ●さまよう残滓 あるいは、奇観―― 半透明の葛餅にも似た赤粘水が弾みを付けて飛び跳ねる様は、どこか幼く微笑ましい。 「ぽよぽよしてて、ちょっと触ってみたい気もするですよ」 感触は悪くないはず。 理穴弓に番えた鏃を最前列で跳ねまわる赤い水溶の塊に向けて狙いを定め、アイリスは小さく呼吸を整えた。 もちろん、うっかり手を出せばどんな目に遭うかはちゃんと理解している。――強い酸を身の裡に溜めたアヤカシに迂闊に触れれば火傷では済まないことも体験済みだ。 取り出した焙烙玉を慎重に持ち換えて、カンタータはアイリスを振り返る。 「粘泥は移動こそ遅いですが、襲いかかる瞬発力はなかなかのものですー。距離攻撃がこころもとなければ、騎乗戦闘をお勧めしますよー」 意図を解してこくりと首肯したアイリスを視界の端に、カンタータは息巻く炎龍の手綱を緩めた。 艶やかな黒漆の弓より放たれた矢が加速する龍を追い越し、泥の波と化して集落に迫るアヤカシの群れ‥‥その、伸ばされた触手の如き先鋒を穿つ。矢の慣性に弾き飛ばされ瘴気に還った赤粘水の抜けた位置へと炎龍の《火炎》に乗せた焙烙玉を放り込み、カンタータは素早くカノーネの首を巡らせた。 ‥‥どぉぉ‥ん‥‥！ 轟音と爆風が大気を揺らし、少し遅れて黒煙が立ち昇る。 焙烙玉の爆発に巻き込まれ足を止めた粘泥に後から来たモノたちが次々とぶつかり、絡み合って緑濃い山の傾斜に苦悶にも似た漣を描いた。 「援護するですよ。今の内に降りるですよ〜」 《即射》の雨を降らせるアイリスと呼吸を合わせ、ルオウは滑らかな軌道を描いて下降する滑空機より、アヤカシの渦中へと身を躍らせる。 「お前らの相手はこの俺だぁ！！」 しっかりと地面を踏み、泥濘む足場の悪さを意識して即座に戦いに反映させる技術はさすがと言うべきか。力任せに振り廻す殲刀「秋水清光」に打ち砕かれた赤粘水は、酸となって周囲を灼く間もなく瘴気と消えた。取り囲もうとする粘泥をさらに《咆哮》で引きつけ‥‥ちらりと、後背に位置をとった朝比奈との距離を確認する。 両の手で千早「如月」を掲げた朝比奈。その後ろに、架茂王が自ら手掛けたという碧符「嵐牙ノ空」を立てたカンタータ。射線は悪くない。 「足場が悪いからちっと厳しいけど‥‥！」 素早く練力を巡らせて《隼人》を発動させるや、やわらかな泥を蹴って身を躍らせる。刹那、 放たれた《ブリザードストーム》と《氷龍》がその残像を喰らい、《咆哮》に惹かれ塊となった粘泥の群れを呑みこんだ。 強烈な二重の凍気が、雨を孕んだ大気ごと水溶のアヤカシを固め、内側より破壊する。衝撃に強い柔軟な身体を失ったアヤカシは、飛翔する鷲獅鳥の背より放たれた御調の《カザークショット》に砕かれてキラキラと輝きながら瘴気に還った。 「さすがと言うか、壮観だな」 「なんの。こっちだって負けてはいられません」 やる時はやります。 溶けて絡み合うアヤカシの一群を塊ごとを薙ぎ払った魔法の威力に思わず呆れた風に苦笑した真田に激を飛ばし、薙塚は雷精の加護を得た無形の刃を弾力のある身体をよじるようにして獲物へ襲いかかった粘泥に突き立てる。びちゃり、と。大地に叩きつけられた粘泥は小さく痙攣しながら泥濘の中をのたうち、やがて瘴気となって霧散した。 住民たちへの避難勧告を終え隠逸と共に戦列に加わった菊池も、歴戦の経験と機動力を活かして戦場を舞う駿龍の背より《不知火》、《雷神》といった中、遠距離の術を駆使して、存外の瞬発力を発揮する相手より不用意に飛び付かれないよう腐心する。 獣以下の知恵しか持たぬ心無きこの下級アヤカシが怖いのは、地を埋め尽くす数の仲間が一瞬にして滅する力を見せつけられて尚、怒りはおろか恐怖さえ抱かぬ無情。瘴気となって四散した仲間を楯に死を免れた粘泥は、逡巡さえなくゆるゆると流れる身体を収縮させて前を目指す。 「まだ数が‥‥真田さん、足止めに使えそうなとことか無いですか！？」 緩まぬ前進に思わず助力を求めたフィンの声に、銀刃を振るい跳ね上がった粘泥を中空で分断した剣士は閃かせた刀をくるりと逆手に構えた。込められた練力に淡く揺らめく夕陽を思わせる気怠い光が刀身より溢れ出し、《斜陽》の禍光を浴びた赤粘水の動きが眼に見えて鈍る。 「今のうちに！」 「はいっ！！」 騎士としての誓いと矜持を込めた闘気《オウガバトル》を身にまとい、フィンは上段に振りかざした身の丈よりも遥かに長い長槍――「蜻蛉切」を大きく力任せに旋回させた。 「燃えろあたしの魂‥‥鬼神の如くっ！ ぶっ飛べええええっ！！」 渾身の力を込めた《ハーフムーンスマッシュ》が穂先に留まった虫さえ知らずに二分する鋭利な刃をのたうつ赤粘水に叩きつけ、裡に強酸を溜めた薄い被膜はその圧倒的な質量に押し潰されて弾け飛び周囲に赤水を派手に撒き散らす。 「フィンさん！！」 「莫迦、何やってんだ！？」 思わず声を荒げた御調とルオウに、噴出した赤水を被ったフィンはたった今、夢から覚めたといった表情で小さく笑う。少し‥‥否、かなり、熱くなり過ぎたかもしれない。 でも、と。気丈な娘はぴりぴりと肌を灼く傷みに堪えつつも毅然とその顔を上げ、もはや、群れとも呼べないアヤカシの残党を睨めつけた。 「痛い‥‥痛いけど、後ろの人たちを傷付けられる方が、もっと痛いんだぁっ！」 この先へは活かせない、絶対に。――騎士の誇りにかけて。 ●浪志 雨雲を払う秋の風に、木々がざわめく。 ざわざわと枝葉を揺らせる風精の囃しに変わりはないが、危機を孕んだ不穏の影はいつの間にか消えていた。 アイリスの《鏡弦》、薙塚の《心眼》にもアヤカシらしき乱れは感知できず。――今度こそ、討ち払った、と。緊張を解いたのは、あるいは年季の入った農家の家屋で身を寄せ合っていた村人たちの方だったのもしれない。 無傷とはいかないまでも、開拓者は戻ってきたのだから。 強い緊張を強いた危機感は、訪れたときほど容易く去ってはくれないのだろう。温かい白湯の入った茶碗を手渡された時、御調はようやく強張った肩から力が抜けたのを自覚した。怪我を覚悟でアヤカシの前に立った時には少しも感じなかった膝の震えが、今更、足元から這い上る。 「大丈夫か？」 掛けられる言葉にも切迫した響きはなく、ただ、穏やかな労いの色だけが耳に心地良い。 今だけは気弱になっても許されるような気持が湧いて。御調は高い位置から覗き込んでくる強い眼をした長身の志士にちょっとだけ眉尻を下げて笑った。 「――これで、少しゆっくりできるでしょうか？」 「そうだなぁ」 瘴海を倒し、粘泥と赤粘水の群れを退けて。 武天は、少し落ち着くだろう。だが、この天儀よりアヤカシの脅威が消え去ったわけではない。――束の間。次なる炎が燃え上がるまで、ほんの僅かな薄氷上の勝利であることは、おそらく皆が知っていた。 それでも―― 「できるといいな」 「はい」 屈託なく向けられたその笑みに、御調はこくりと首肯した。 今はまだ辛抱強く主を待つ鷲獅鳥も、そろそろ忍耐が底を尽く頃合いである。――後で労ってやると宥めすかしてここまで来たが、基より気の長い質ではなかったはずで。 苛立って主人を呼ぶ癇高い鳴き声に、身に覚えのある者たちは慌てて立ち上がったのだった。 |
