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■オープニング本文 『あなたをおしたいしています』 引き戸の隙間に挟まれていた一筆箋に連ねられていた短い言葉に、屋宜将文は目を疑った。 薄桃色の表には風に舞う花弁が型押しされて季節をひとつ先取りするような優しい風合いの、いかにも若い娘が好みそうな便箋は見紛うことなき‥‥。 苦節(と、言うほど苦労はしていないのだけれども)二十三年、この日が来るとは思わなかった。 それなに地位のある士族の家に生まれ、ささやかではあるが出世街道にも乗っている。すらりと伸びた長身に、容貌も決して悪くない。――とりあえず年配のおばちゃんたちには大層モテる。外出時などには好意的な視線を向けてくる女性も多いのだけれども――にも、関わらず。 同年代の友人や朋輩達が次々と片付いて行く中で、どういう訳か彼だけは未だに浮いた話とは縁がなかった。 見合いを勧めてくれる者もいるのだが、これまた何故だか縁が続かない。 気にするのも女々しい気がして表面上は無関心を装ってはいるものの。――ここ数年、ジルベリアから入ってきたという流行に密やかな憂鬱を味わっている。 想う相手に甘やかな《付け届け》と一緒に心を贈る日、なんて‥‥いったい誰が考えたのか。さぞかしお幸せな人生を送った者に違いない。 「お兄様は今年も贈り物を貰えなかったのね」 「まあ、お可哀想‥‥」 芝居がかった大仰な慰めの言葉と一緒に‥‥殊勝げな言葉に反して明らかに楽しんでいるであろう妹たちから贈られる干菓子が唯一の《付け届け》なのだから、落ち込むなという方が無情だ。 「おや。如何なさいましたかな?」 「あ、いや。何でもない」 門の前で固まった主人を不審に思ったのだろう。怪訝そうに問うてきた老執事の手前、慌てて便箋を懐に押し込んで隠したものの、人目がなければ頬でも抓っていたかもしれない。 色恋噺に浮かれる市井の賑わいを横目に肩身の狭い淋しさを抱えるのはもうたくさん。今年こそ、世間並みに明るく楽しい祭事が期待できるかも‥‥ いつになくそわそわと落ち着かなげな若い主の後ろ姿を見送って、執事は小さく首をかしげた。 ■□ 「困っていますの」 「ええ。とっても、困っていますの」 交互に窮状を訴える可愛らしい多重音声に、《ぎるど》の受付係は固まった。 番台の差し向かいには見目の良い娘がふたり。長い睫毛に縁取られた黒目がちの大きな瞳と、緩やかに波打つふわふわの長い髪。髪を結わえる飾り紐の色を除けば、鏡に映したかのように瓜二つ‥‥荘観と言われればそうだが、何故だか妙に落ち着かない。 個性派揃いの開拓者を相手にXヵ月。それなりに、鼻が利くようになったのだろうか。その経験と勘が告げていた。――見た目こそ可憐だが、このふたりには何かある。 「私達、お兄様を喜ばせて差し上げたかっただけですのに‥‥」 「そうですわ。決して謀ったワケじゃありませんもの」 そう。ちょっと思い付いただけ。 ふたつの朱唇が代わる代わる悪意ではないことを誇張する。――大事なお兄様に悪いムシがついては大変だから、先回りして《付け文》を隠したり、懇意になりそうな娘にちょっと意地悪な態度をとってみたのもフリだけだもの。――それらしく装った《付け文》を書いたのも、表面上は何気ない素振りをしていても実はいたく傷心の兄が喜ぶと思ったからこそ‥‥ 「ちょっと上手にできてしまっただけですわっ!」 「あんなに喜んでくださるとは思いませんでしたものっ!!」 互いに強く肯首し合うが、収拾を付けられずに窮しているのは一目瞭然。 舞い上がった兄が傷つく姿は見たくない、と。困惑する姿は一見、健気であるような気もするが‥‥単に、こっぴどく叱られるのがイヤなだけかもしれない。 「ね、どうしたら良いと思います?」 「こちらの方々は困りごとには慣れていらっしゃるのでしょう?」 困りごと違いではないかと思ったのだけれども。 ふたりの勢いに圧され負け、頷いてしまった受付係だった。 |
■参加者一覧
濃愛(ia8505)
24歳・男・シ
煌夜(ia9065)
24歳・女・志
アイリス(ia9076)
12歳・女・弓
滋藤 柾鷹(ia9130)
27歳・男・サ
トーリシア・エル・フィ(ia9195)
10歳・女・シ
おさと(ia9473)
10歳・女・泰
コゼット・バラティ(ia9666)
19歳・女・シ
赤鈴 大左衛門(ia9854)
18歳・男・志 |
■リプレイ本文 ●冬はつとめて きりりと冴えた朝の気配を讃えた古人がいたとか、いなかったとか―― 白く霜に飾られた重厚な門構えの武家屋敷はそんな2月の朝にふさわしい凛と自然な権高さを湛え、品格を周囲に知らしめる。あるいは、一巾の画のように見えたかもしれない。ニセモノとも知らず、届けられた恋文に舞い上がったおめでたい男に調和を乱されていなければ。 朝も早くから身なりを整え、用もないのに門の前を行ったり来たり‥‥ 屋敷の構えが立派なだけに、いっそう悪目立ちしている。背後に秘められた事情を知っているだけに、滋藤柾鷹(ia9130)としては思わず憐憫を禁じ得ない光景でもあった。――おかげで訪いを入れずに、本人に声をかけることができたのは幸運だったのだけれども。 物陰に身を潜めて成り行きを見守るおさと(ia9473)とトーリシア・エル・フィ(ia9195)の視線を背中に、柾鷹は門を潜ろうとした長身の青年を呼び止める。 「少しお時間を宜しいか?」 掛けられた低い声に、屋宜将文は振り返った。 ふわふわと浮かれた空気が消え、即座にサムライらしい威厳を纏ったのはさすがというべきだろうか。相手を測るかのように僅かに細められた双眸から、視線を外さぬよう意識しながら柾鷹は軽く会釈する。 「拙者、修行中の旅の者。心得ある方とお見受けする。一手指南願えぬか?」 相手の為人を測るには、剣を交えるのが1番だ。 柾鷹流の処世術。実際に未知の者と戦うのは修行になるから、ちゃっかり自身の修練も兼ねている。 かっちりと隙のない柾鷹のいかにも武人らしい振る舞いに感じるところがあったのか。あるいは、待ち人来らずの手持無沙汰か――若しくは、格好の悪いところを見られたせいかもしれない――深く誰何することもなく、将文は柾鷹を屋敷へと招き入れたのだった。 その様子を物陰からそっとうかがうふたつの人影。 「――ご覧になって?」 「うん、ばっちり☆」 とりあえず、屋宜将文なる人物の姿かたちは間違いなく。 しっかりと頷きあって、おさととトーリシアは掴みたての情報を仲間たちに伝える為に、柾鷹の成功を祈りつつもひとまず屋宜家を後にした。 ●ただし、イケメンに限る 慕われていることに、間違いはないのだけれど。 良く言えば、想いの種類と方向性が色々間違っていたのが敗因だろうか。 甘やかなる恋を夢見る神楽の若者の間で、外せない重大イベントとなってしまった感のあるバレンタイン。街全体が華やかに浮足立てば、誰だって参加したい。――贈り物を貰えないのはもちろん淋しいが、渡す相手がいないのも取り残されたようでそれなりに切ないものだ。 「はァ、おなごからの菓子の付け届けを貰う日だスか。さすが都はハイカラな風習が流行っとるだスな」 上京するなり大当たり。 爺っちゃと婆っちゃに早速ええ土産話が出来ただスよ、と。どことなく浮かれる街を物珍しげに見回した赤鈴大左衛門(ia9854)の嘆息に、煌夜(ia9065)とコゼット・バラティ(ia9666)は顔を見合わせた。――新たな文化はこうして国の末梢へと伝播して行く。 「したども、ぬか喜びはちぃと不憫だスなァ」 「妹に慕われるのは悪くはないんでしょうけど、こういう慕われ方は少し同情するわね」 その点は煌夜も同感だ。 しかも、本物を隠した上でのニセモノなのだから、ちょっぴり性質が悪い。《ぎるど》の受付係が匂わせたところによれば、他にもいろいろ旧悪(?)があるようで‥‥依頼人でなければ、みっちりお説教してやりたい気もする。 とはいえ、これも愛情の裏返し? 「二人とも、お兄さんの事が大好きなんですね〜」 「あ、うん、それがね! 将っち、結構、格好いいんだよ。ね、トーリシア?」 仲良きコトは美しき哉。のほほんと笑ったアイリス(ia9076)の感想に強く肯首し、おさとは同意を求めてトーリシアに人懐っこい笑顔を向けた。お日さまのような明るい笑顔は、相手と距離をおきたい少女が巡らせた見えない障壁を紙のように容易く蹴り破る。 「‥‥えっ?! ‥‥ええ、まあ‥‥顔は、悪くなかったですわ‥‥」 不承不承ではあるが肯いたトーリシアの言葉は覿面で。俄然、興味を示した煌夜とコゼットを相手におさとは少し得意胸に胸を張り、皆に先立って屋宜家を訪問した柾鷹との邂逅で確かめた将文の容姿や為人を披露した。女の子らしい話題に、ぱぁと周囲の空気が俄かに華やぐ。 「将っちなら、私、立候補してもいいよ」 「恋文などで動揺する情けない殿方は願い下げです!」 けろりと笑ったおさとの言葉と、コゼット、煌夜から向けられた興味と揶揄の混じった視線に、トーリシアは白い頬を朱に染めて否定する。男たるもの容姿だけでもいけないし、腕っ節の強さや優しさだけでも物足りない。恋に恋する乙女の理想は山より高い‥‥深く心に刻んだ大左衛門だった。 ●恋文の行方 手合わせを終えた柾鷹が、屋宜家の座敷で一服のもてなしを受けている頃。 受付係を通じて依頼人―同家の双子の姉妹―を《ぎるど》近くの甘味処へ呼び出した開拓者たちは、いかにも苦労知らずの良家の子女といった風情の‥‥いまどきの女の子(×2)と対峙していた。 「ねぇねぇ、もしかしてブラコン?」 明るく、無邪気に、いたって真面目に。 挨拶もそこそこにぶっちゃけたおさとのど真ん中を突いた直球に、コゼットはうっかり掌をすり抜けた湯呑をシノビならではの反射神経で持ち直す。煌夜とアイリスも唖然、茫然。――大左衛門が衝撃を受けたのは自分よりずっと幼く見えるおさとが何やら知的(?)な横文字を口にしたから。――意味を尋ねられる雰囲気ではなさそうだけれども。 「「違いますわ」」 さらに火に油となりかねない危険な言葉を重ねようとしたおさとの口を塞いだのは、アイリスが咄嗟に握りしめたお手拭きではなく綺麗に同調した二重奏。ただし、こちらも思わず耳を疑う響きを帯びていた。もしかして、無自覚? 「わたしたちはお兄様を心配しているだけですわ」 「ええ。お兄様には、ちゃんとふさわしい相手と幸せになってもらいたいですもの」 それを「ブラコン」って、言うんだよね。 そう思わないでもなかったが。この辺は諭してもさしたる益はなさそうなので、コゼットは敢えて聞き流す。是正するのは、依頼を上手く収めてからでも遅くない。そう思ったのだが、我慢のできない者もいた。 「家族の幸せは自分たちの幸せではないのですか。そもそも、あなた方の行為は恋文を出した人の想いを盗むをいう窃盗を行っているのですよ」 他人にも自分にも厳しい性格ゆえか。内心の憤りを表していくらか切り口上になったトーリシアの言葉に、双子の娘は互いに顔を見合わせる。隣に置かれた鏡を覗きこんでいるようで、どちらがどちらだったかな。ちょっぴり頭がぐるぐるしてしまったアイリスだった。 心を盗まれるとは言うけれど。 そういう意味では、もちろんなくて‥‥あれ、ちょっとややこしいかも‥‥ 「えーとですね。やってしまったことは仕方ないのですよう」 「ンだ。兄さァがそのおなごと理無ェ仲になったら妹さァは寂しいかもしれないだスけど、なァに安心するだス。どンだけ仲のええおなごが居っても、兄さァが妹さァを大切に想う気持ちは減る事はねェだスから」 一生懸命、自らの身に置き換えて妹に語りかけるように言葉に紡ぐ大左衛門の朴訥をそのまま音にしたような訛りを訊いていると、ゆるゆると思考が蕩けそうになってしまうのは何故だろう。独特の抑揚に気を取られ、その気はなくてもつい耳を傾けてしまうから不思議だ。 「うん、そうね。ふたりにも多分、いろいろ言い分があるんだろうけど‥‥ここは、将文さんの為だと思って協力してくれないかな?」 ここは年長者の経験と貫録(?)で。気勢を削がれた双子に向けて煌夜は胸の前で両手を合わせ、茶目っ気たっぷりに片目を閉じる。 苦労知らずのお嬢さんを丸めこむには、持ち上げるのがイチバンだ。 妹たちから訊き出した《恋文》の送り主が、まだ、将文を想っていてくれるなら、彼の手元に届いた手紙は嘘にならずに済むのだけれど‥‥ ●愛があっても 良い娘だとは思う。 多少、短絡的ではあるが明るく、元気で。誰に対しても愛想が良いし、気立てだって悪くない。相対的に評すれば、良い娘ではあるのだけれど。‥‥それでも、やっぱり。 「――他に適任者はいなかったのか?」 柾鷹は、とりあえず生真面目に眉を顰めた。 侍然と謹厳実直を体現したかのような男からのさりげない異議申立に、あらぬ方向に視線を逸らせたコゼットは言わずもがなだと肩をすくめる。だって、本人の熱烈立候補なんだもの。 美羽、稀羽の姉妹から取り戻した、本物の想い文――8年前のモノから、去年の分まで――横取りした文の差出人をわざわざ値踏みに行ったこともあると聞かされて、さすがのアイリスもちょっぴり呆れた。 「手紙の送り主さんとくっつけてしまえば、あのお手紙も誤魔化せるかもしれないのですよ」 少しばかり時差はあるが、手紙を送ったことは事実なのだし。新しいモノから順に差出人を当たって行けば、まだ、途切れていない縁があるかもしれない。 柾鷹が身体を張った手合わせと何気ない雑談の中で将文から直接訊き出した、心当たり(勘違いなんだけど)の相手とか。人探しの原点に立ち返り、仕事場と自宅の周辺を歩いて《付け文》の返事が貰えず落ち込んでいたらしい娘を探した煌夜の訊きこみの成果も‥‥ 「そなた、24歳の男性と付き合う気はないか?」 道ですれ違う女性にそう尋ねて歩いたトーリシアだって、彼女なりに最善の行動だったのだ。即答で了承する女性がいたら、それはそれで問題な気もするが。幸か不幸か、神楽の風紀はまだまだ捨てたモノではなかったようだ。 「将文さんは嫌いじゃないけど‥‥」 「――ごめんなさい、上手くやっていく自信がないわ」 将文を良く知る娘ほど、躊躇する。 愛とは苦難を共に乗り越えこそ育つモノだと言われているが、愛憎渦巻く波乱万丈の恋愛劇は物語だから面白い。避けられるものならば、避けて通りたいのが人情というもの。――姑、小姑との攻防(?)は、婆っちゃだけでなく村の女衆から訊かされる愚痴の最上位だったし。 いくら見た目が良くて前途有望な好青年でも、街で見かけて「いいな」と思った程度では、難しいかもしれない。それでも、本当に好き合える相手なら上手く行くものだとは思うが、ダメだったと恨まれてはさすがに煌夜だって割に合わない。 「10歳の子に振られる24歳。――きっとすごく落ち込むだろうね」 本当に、最終手段なのだから。 コゼットの苦笑に、柾鷹は辛いものと苦いモノを同時に口にいれたような顔をして首を振る。 「‥‥‥‥いや、むしろ‥‥」 「しっ、来ましたわっ」 沈黙を促され、柾鷹の気がかりは紡がれるコトなく再び堅気な男の胸に収まる。 2月の冷たい風に晒された太鼓橋の向こうに姿を見せた青年の、明らかにそわそわと落ち着かず‥‥膨らみ続ける夢と期待に光り輝く自信と覇気が、見守る開拓者たちの胸をちくりと痛めた。 理不尽ですわ、と。トーリシアは小さく唇を尖らせる。 新調したばかりの陣羽織を颯爽と着こなした侍は――騙されているという滑稽さを差し引いても――確かに凛々しく、煌夜とコゼットはそっと視線を交わした。 指定された逢引の場所には、精一杯おめかしした10歳の少女がひとり。 人待ち顔で向けられた視線がちらりとおさとの上を通り過ぎたが、将文は何事もなかったように橋の方へと注意を逸らし、少し緊張した様子で襟を正す。 (――あれ?) 咳払いをひとつ。1歩、前に踏み出して、おさとは上目遣いに将文を見上げた。――黒目がちに見えるこの角度に、世の男性は弱いはず。 「ん? ああ、すまない」 おさとに気づいた将文は、その意思表示に小さく微笑んで立っていた場所をおさとに譲った。態度も口調もいたって紳士的だが、何かが違う。イケてる女の子を前にして、コレの態度はいただけない。 「お兄ちゃんってば!!」 足許から響いた子供らしい高い声に将文はおさとに目を向け、そして、本気で驚いた顔をした。その顔と反応に、ほっと胸を撫で下ろした者もいたけれど。とりあえず、彼の好みと性癖は世間一般の倫理に即したものであったようだ。 寒さとは関係なく凍りついた青年を前に、おさとはさらに1歩大きく足を踏み出す。そして、 「お兄ちゃん、私の彼氏になって!」 ありったけの可愛らしさを込めた笑顔は‥‥確かに、破壊力抜群だった。 おさと本人の思惑とは全然違う方面への衝撃であったようだが、軽く心的外傷になるくらいの破壊力はあったと思われる。大切な兄君の落ち込む姿にしっかり反省してもらいたいものだと、コゼットはちらりと開拓者たちに連れられて成り行きを見守っていた美羽と稀羽を盗み見た。 ふたりとも、それなりに神妙な顔つきをしているが―― 「いっしょに怒られてあげてもいいわよ?」 いたわるように優しく出された煌夜の助け船に、少女たちはこわごわ‥‥それでも、ちゃんと頷いた。 |