【相続人】禍いなる眸
マスター名:津田茜
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: やや難
参加人数: 4人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/06/09 04:50



■オープニング本文

「‥‥それは‥アヤカシの仕業ではないのですか?」

 一斉に向けられた視線に含まれる不信と猜疑の色に、思わず怯む。
 これは仲裁どころではないような。怒鳴りつけられなかったのはジェレゾへと引き上げる官吏が物々しく明かしていった身分のおかげだと、日頃は重くて仕方のない肩書に初めて感謝した。――とはいえ、厄介事を押しつけて行った官吏を恨む気持ちは晴れなかったが。
 とにかく、少し落ち着くようにと皆を促す。

「衣服だけ残して人を消すなんて、普通じゃ考えられないでしょう?」

 「不可思議=アヤカシの責任」にしてしまうのも、どうかと思うけれども。
 結婚して間もない若者が行き先も告げずに失踪すれば、どうしても事件性を疑いたくなるものだ。
 変化に乏しい田舎の生活に嫌気がさして逃げ出した可能性もないではないが――ジルベリアでは領民の逃亡は綱紀に触れる重罪である――しかも、身ひとつでというのは、やはり不思議な話で。

「じゃあ、あんたは村にアヤカシが入り込んだって言いたいのかい?」

 言った本人が露骨に顔をしかめる。
 ゴブリンやホルワウ、フローズンジェルといった耳に馴染みのあるアヤカシでさえ、実際に出会う事は稀なのだから。得体のしれない何かが村を徘徊しているなど‥‥考えるのもおぞましい。
 人の業が招いた禍いであった方がいくらかましだと思う気持ちも理解できなくはなかった。

「でも、アタシ見たんですっ この女が――」
「私じゃないわ」

 悲鳴のような訴えを、凛と鋭く通る声が払いのける。
 其々、他の村人たちに抑え込まれるように取り囲まれたふたりの娘。――失踪した青年の新妻と、失踪直前まで彼に付き纏っていたと妻に糾弾された娘だ。
 ‥‥とりあえず、モテる若者であったらしい。

「嘘! 知ってるのよ。ここのところずっと家の周辺をうろついて‥‥始終、家の中を覗いていたくせに!」
「私、そんなことしてません! 指輪を返して貰いに行っただけよ」
「この指輪は私が彼から貰ったのよ。アンタのじゃないわっ」

 高価そうな指輪を握りしめ泣き崩れる娘の姿は痛ましいが、同時に少しばかりの狂気をも感じてしまう。
 背筋に感じるうすら寒さは、きっと気のせいではない。どうしたものかと困り顔で決断を問うてくる村の上役にとりあえずの妥協案を提示してみることにした。

「ジェレゾに人をやって、《開拓者ギルド》にお願いしてみようと思います」

 アヤカシによって持ちこまれた禍いならば、手に余る。
 自領のことではなく費用も嵩むが、金銭で心の安寧が買えるものならば安いモノだと思う事にした。


■参加者一覧
巴 渓(ia1334
25歳・女・泰
アイリス(ia9076
12歳・女・弓
シャンテ・ラインハルト(ib0069
16歳・女・吟
笹倉 靖(ib6125
23歳・男・巫


■リプレイ本文

 薄雲が太陽を翳める。
 降り注ぐ陽光がほんの僅かだけ揺らぐ‥‥人によっては風精の悪戯だと錯覚する程度の小さな違和感。
 《瘴索結界》の効果範囲に映り込む村の空気に、笹倉 靖(ib6125)は首をかしげた。――アヤカシだと断定するにはとても希薄な、どこか掴みどころのないぼんやりとした靄のように曖昧な。
 漆黒の理穴弓を携えたアイリス(ia9076)が難しい顔をして爪弾いた弓弦に耳を近づけているのは、きっと笹倉と同じ感覚に囚われているのだろう。
 アヤカシの存在を否定できればと思ったのだが、却って混乱に陥ったような気分だ。尤も、陰陽師の符のような例もあるのだから瘴気を感じないからといって、直ちにアヤカシの存在を否定することにはならないのだけれど。――少なくとも気配を悟らせない程度に知恵の回る相手だということか。

「正直言って、妖魔の仕業には思えん」
「アイリスは、人間よりもアヤカシの仕業の方が良いのですよ」

 依頼人より渡された地図――と、言っても村の配置を書き込んであるだけの簡単な見取り図だが――を手にした巴 渓(ia1334)の感想に、アイリスは小さく希望を呟いた。
 何世代もの間、肩を寄せ合って暮らしてきた村人の中に、同朋に手をかけるような輩が潜んでいるとあっては、皆、平静ではいられないだろう。猜疑の視線を刺し合う姿は、確かに見ていて楽しいものもない。敵意を向け合うふたりの娘に、シャンテ・ラインハルト(ib0069)も眉を曇らせた。

「俺はイヴァンがいい男には思えんさ。女二人喧嘩させるようなヤツはロクでもねぇさ。少なくとも自分の腕の届く範囲くらい、幸せにすんのが男ってもんだろ?」

 納得がいかないといった風情の笹倉の義憤に、渓は笑う。
 色恋とは幾重にも理不尽なものだ。
 他人から見ると莫迦らしいことこの上ないが、当事者たちは真剣そのもの。浮かれたり、悩んだり‥‥身を焦がすとはよく言ったもので、恋路が理路整然と進むモノなら、世間の揉め事はかなり数を減らしているだろう。
 笹倉の言い分はもっともだが、イヴァンのような男がモテるのも残念ながらまた事実。――探し出して、彼の言い分を聞くことができればよいのだけれど。


●不穏の足跡
 脱ぎ棄てられた服は、森へと続く街道より少し離れた木の下に落ちていたのだという。
 上着だけでなく、編上げの靴と、毛糸の靴下もそのままで‥‥まるで抜け殻か何かのようだったと、持ち帰った猟師は思い返しても気味が悪いと身震いする。

「アイリスも、アヤカシの仕業だと思うですけど‥‥」

 アイリスの視線に、依頼人ディミトリ・ファナリも困った風に顔をしかめた。――例えば、これが悪意ある誰かの仕業だとして。こんな奇妙な手掛かりを残していく意味がまず理解らない。
 そうは思うのだが、《鏡弦》が拾える範囲にアヤカシの存在は感じられない。――否、確実にいるという確証は得られないと表現すべきか。

「ちょっと村から離れているみたいですけど、この辺りは誰か住んでいるですか?」
「――ここからだと薬草師の庵が‥‥」

 言いかけて慌てて口を噤んだ猟師を見やり、アイリスとディミトリは顔を見合わせる。
 イヴァンは、ベロニカの家を訪ねるつもりだったのだろうか。

「こからだと、隣の村にも近いですね」

 森の中へ消えていく街道を眺めて、ディミトリが助け舟をだすように言葉を紡いだ。――助け舟というより、沈黙の重さに耐えられなかったのかもしれない。

「お隣は別の貴族の荘園ですが」
「ええ。‥‥伯爵夫人の別宅があって‥‥」

 そこまで言って、また別の何かを思いついた風にディミトリは顔を曇らせて吐息する。

「どうかしたですか?」
「‥‥いえ、先日、あちらで泥棒騒ぎがありまして‥‥何か盗られたというか‥‥古すぎて分からなかったので何とも言えないのですけど。最近、ついてないというか‥‥はは‥‥」

 気のせいですよね。
 と、かくりと力なく肩を落とした若いご領主に、少しだけ同情したアイリスだった。


●陰なる眼差し
 軽く澄んだ笛の音は一条の光明となって部屋に満ちる不穏を裂いた。
 紡がれた旋律は精霊の力を宿し、拠る瀬なく波立つ心を穏やかに静め‥‥きつく張りつめた琴線にほんの僅かなゆとりを生みだす。
 壊れてしまうのではないかと危ぶまれるほどの焦燥に塗りつぶされた娘の瞳に光が戻り、ひとりではなく落とされた吐息が思いがけず大きく響き、居合わせた人々は思わず口を押さえて周囲を見回した。
 ざわめきが静まるのを待って、シャンテはゆっくりとフルートの吹き口より唇を離し、ソファの上で震える娘の瞳を穏やかに覗きこむ。

「‥‥少しお話を伺っても?」

 どこか魂の抜けたような表情のまま、ユリアはこくりと肯定の形に首を振った。
 恐慌に安寧をもたらす《安らぎの子守唄》の効果とはいえ、完全に安寧を得たわけではないのだろう。落ち着きなく動く指先が、手の中で指輪を弄んでいた。――細工までは分からないが、ずいぶんと高そうな品だと思う。

「綺麗な指輪ね。‥‥結婚指輪かしら?」

 シャンテの問いにびくりと肩を震わせて、ユリアはぎゅっと掌で指輪を包み込んだ。
 ユリアの表情と彼女の側で心配そうに成り行きを見守っていた友人の表情を見比べて、シャンテは片方の眉をほんの少しあげる。

「イヴァンから持っていたの‥‥1週間ほど前に‥‥とても綺麗だったから、あたし‥‥そうしたら、あの女が‥‥」
「ベロニカ様のこと?」
「そうよ。だって、他にいないもの。‥‥あの目‥‥あの翡翠の瞳は、あの女だけだもの‥っ!!」

 ヒステックに裏返った悲鳴にも似た音に思わず首をすくめ、シャンテはふたたびフルートを口元に引き寄せた。安らぎをもたらす旋律を紡ごうと呼吸を整えた、刹那――

 つきり、と。
 首筋に触れた空気の襞に背筋が泡立つ。――視線と悪意――良からぬ思惑を持った何かに伺われているような、不安にも似た翳がじわりと心に滲みを作った。
 咄嗟に唇を噛み、意識して深く息を吸い込む。
 心に落ちた不穏がゆっくりと消えていくのを確かめて勢いよく振り返ったシャンテの気勢に、それは視線を切るように途切れて消えた。


●消えた男
 明るく陽気で、働き者で――
 少し軽薄なところもあったが、若さ故だと笑って許せる程度のやんちゃ‥‥女の子のウケが良いことは、自覚していたようだ。モテる男への僻みという線もないではないが、殺し合いに発展するほど深刻な揉め事はなかったと、村の皆が口を揃える。
 美味いワインにつられた朋友が集めた噂話に、渓は肩をすくめて苦笑する。

「ベロニカとイヴァンが付き合っていたのはホントもふ。――でも、ユリアと結婚する前に別れていたらしいもふ。だから、ユリアがベロニカの名前を挙げた時にはみんなちょっとびっくりしたという話だもふ」

 赤ワインをちびりと舐めて気に入ったのか、ジョーカーは噂好きの農婦から聞いた話を披露した。実際、村を挙げての祭りとなった結婚式に、目立って大きな騒ぎは起きていないのである。
 薬草師のベロニカには少し神秘主義的なところがあってとっつきにくい面もあるが、痴情の縺れに引きずられるほど弱い娘には思えない。ユリアのヒステリックな言動に巻き込まれたのだろうと、同情する声も多いようだ。

「まず、状況からも、生活苦からの蒸発はない」

 断定的な渓の言葉に、もふらはこくりと頷いた。
 村の稼ぎ頭で、男ぶりも悪くない。美しい娘と結婚したばかりで、前途は揚々であったはず。――逃げ出す要素は、どこにも見当たらない。
 ちびちびと赤ワインを舐めるもふらに、渓は思案顔で腕を組む。

「妖魔に食われたにしても、犠牲者は未だ旦那だけってのもおかしな話だ」
『――アヤカシがこの村に現われたのが、最近の話なのかもしれないもふ』

 のほほんと不吉な仮定を放り出し、ほろ酔いのもふらはぺろりと赤く染まった鼻を舐めた。そして、気取った仕草でサングラスの角度を直す。

『それに、アヤカシが手当たり次第の悪食ばかりだってのは、誰が決めたもふ? 特定の相手の前にしか姿を現さねぇアヤカシだってちゃんといるもふ』

 ちらりと賢しげに気取った朋友の視線にやれやれと苦笑を零し、それでも渓はふとその切り口について考えてみる気になったのだった。


●虚飾の指輪
 村外れの仕事場を訪ねた笹倉とアイリスを、薬草師の娘は諦めた風に中へと誘う。
 様々な薬草が集められた小さな部屋の、土と植物の混ざった不思議な匂いは黒い髪に緑の瞳というベロニカの容姿とも相まって、少し異質にも感じられた。

「ここも大丈夫そうなのですよ」

 注意深く、そして、物珍しげに部屋を見回したアイリスに、娘はシニカルな表情を浮かべて肩をすくめる。
 指輪の話が聞きたいと告げた笹倉に、ベロニカは少し考え込むように口を噤み、それから、ついと窓の外に視線を向けた。穏やかな木漏れ陽に包まれた緑の森は、何事もなかったかのように穏やかで。

「あの指輪は私が見つけたんです。10日くらい前だったかしら、森で‥‥薬草を採っている時にね。凝った細工の綺麗なものだったけど、ずいぶん古い意匠だし、ああいう直接身につけるモノは持ち主の思念が宿ると言うでしょ?」

 骨董商に鑑定を依頼してくれるよう、イヴァンに頼んだのだという。――彼は村で採れた野菜や毛皮、畜産物などを市場に卸す為、ジェレゾには頻繁に出入りしていたから。その時は、それほど深く考えずに頼んでしまったものらしい。
 笹倉とアイリスは、顔を見合わせる。

「‥‥旦那が高そうな指輪を持っていたら、妻としては自分への贈り物だと誤解するかもしれんが‥‥」
「そうですねぇ」

 喜ぶ妻に、誤解だとは言い出し難かったのかもしれないが。
 ユリアという娘の性格上、誤解を解くのはかなり大変だとは思うが‥‥ここは男としてビシッと押さえておくべき処であったはずだ。
 やはり、良い点数はやれそうにない。
 ひそかに顔をしかめた笹倉の思惑を後押しするかのように、ベロニカは吐息を落とす。

「イヴァンがいなくなった後、ユリアがあの指輪を持っていたから、訳を話して返してくれるように言ったのだけど‥‥」

 後の騒ぎは、皆が知るところだ。
 ただ、ユリアが訴えるように、物陰から彼女を付け狙ったりはしていないと言う。――さして広くもない村のことだ。言葉の真偽は、村の者に確認すれば分かるだろう。


●災いなる瞳
 巧妙に隠された意図の向こうに、アヤカシの匂いがする。
 シャンテの口からそれを告げられたディミトリ・ファナリは、途方に暮れた顔をした。――アヤカシの関与を疑い調査を依頼した当人である癖に、真実味を帯びると困惑するものであるらしい。

「‥…でも、アヤカシの気配はないのですよね?」
「元凶は指輪だろう」

 イマイチ状況を把握できていない様子で気の抜けた答えを返したディミトリの心情には頓着せず、渓は端的に状況より導き出した答えを示す。
 ベロニカが森で拾った指輪をイヴァンに預けたのが、10日前。
 イヴァンより指輪を譲り受けたユリアが異変を感じ始めたのが、7日前。
 そして――

「指輪自体がアヤカシだというのではなく、媒体‥‥符のような役割をしているのではないかと思う」

 瘴気を手足とする陰陽師の技を想い描き、笹倉は苦々しく顔をしかめた。――瘴索結界を持ってしても測りかねる理由であるとすれば納得はできる。
 満ちたりた愛情か、餓え渇いた嫉妬の憎悪か。
 幸せを享受する者、あるいは、不実なる要因を紡いだ者に‥‥アヤカシを呼び覚ます「鍵」を特定することはできなかったが、「情念」に関わりのあることは間違いない。
 そこまで恐ろしいものだとは、まだ少し想像できないのだけれど。

「ええ、と。‥‥あの、「緑の目」について、何か思い当たることはありませんか?」
「緑の目?」

 首を傾げたディミトリの隣で、村の古老が眉根を寄せる。


「何かご存知なのですか?」
「『翡翠の眸には魔物が宿る』‥‥たしか、婚姻の教訓めいた伝承があったのですが‥‥詳しいことは‥‥」

 何しろ、彼がまだ年端もいかぬ童の頃の流言であったとか。
 さすがにそれ以上は覚えていないと言葉を濁した老人に、シャンテは小さく吐息を落とした。

「‥‥それで、どうしたら良いのでしょう?」
「指輪を回収するのが先決だろうな」

 ディミトリの問いに答えたのは渓だった。
 壊してしまえとは、まだ言えない。――仮定が正しければ、媒体たる指輪を壊しても、策謀の糸を操るアヤカシを滅することはできない。――失えば、追うこと自体が難しくなってしまうから。

「アイリスは、訳を話してギルドかジェレゾの研究機関に預かってもらうのが良いと思います」
「‥‥そうですね‥」

 あの娘さんにはお気の毒ですが、と呟いて、ディミトリは少し気弱げな笑みを浮かべる。正体不明のアヤカシの存在に揺れる領民への対応は、開拓者ではなく領主の仕事だ。

「何か判れば、またお願いすることになるかもしれませんが――」

 その時は、よろしくお願いしますね。
 曖昧に微笑んで、ラーヴル子爵は開拓者たちの仕事を労ったのだった。