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■オープニング本文 『彼女』は美しい声で笑う。 『彼女』は美しい貌で嗤う。 夢の中で、『彼女』は彼を誘惑する。 ――それが破滅への誘いであることは、彼自身が一番よく分かっていた。 「耐えられない」 ぽつりと落とされた呟きに、女は戦慄する。 「会いたい」 「だめ、だめよ」 「分かってる。でも会いたいんだ」 「だめよ! 絶対にだめ!!!」 女の悲鳴に、男はハッと顔を上げた。 彼女の目は微かに潤み、目尻を赤く染めている。 「あ、ああ、すまない」 男は呆然として言った。 「分かっている。そんな馬鹿なことはしない」 「そうよ。馬鹿よ。だからだめ。ちゃんと体を治して、正気に戻るまで、ここから出ちゃだめなの。分かるでしょう?」 「ああ、もちろん、分かっているよ」 男の片足は、長い縄で柱に縛り付けられていた。 目を離した隙に逃げ出すことがないようにと、女が結わえ付けたものだった。 「そうよ、もうすぐ、治るんだから……」 震える声は、「そうあってほしい」という祈りのようにも聞こえた。 薄暗い土蔵の中、どこかでネズミがちゅうと鳴いた。 「アヤカシの討伐依頼です」 栗色の髪の女性は、いかにも言い馴れた口調で宣言して説明を始めた。 「既に被害がいくつか出ているようですが、遺体や遺留品が見つかっていないため、正確な数は分かりません」 はじめは、単なる行方不明と考えられていたらしい。 山奥の村である。アヤカシでなくとも、獣に襲われ、道に迷えば、人が帰らぬことも珍しくはない。旅人ならなおさらのことである。 村に被害が出てはじめて捜索隊が組まれたそうだが、それ以前の正確な被害状況は不明。 こうしてギルドに依頼が舞い込んだのも、村長が事態を重く見て、「余所者」の力を借りるよう、村人を説得したからだという。 「一番最近の犠牲者は、村人有志の捜索隊です。行方不明になった子供を探して山狩りをしていたところ、アヤカシに襲われ、一人が逃げ延び、あとは行方不明……とのこと」 逃げ延びた若者の言葉によると、アヤカシは女の姿をしていたという。遭遇したのは山中の沼で、気づいたときには幾人もがふらとふらと沼に入っていき、抵抗もせず沈められていった。 彼自身も、どこか夢見心地で沼へ近づいていったのだが、連れていた犬の高い鳴き声を聞いてハッとし、急に恐ろしくなって逃げ出したのだそうだ。 ――アヤカシの女は、恐ろしいほど美しい姿をしていた、と彼は遠い目で締めくくった。 「少々閉鎖的な村のようで、これ以上の情報はありません。しかし、村長が宿を提供して下さるそうですから、もしかしたら詳しい話が聞けるかもしれません」 ぱたんと閉じた書類を一撫でし、感情の見えない目で女性は言った。 「この依頼、引き受けますか?」 |
■参加者一覧
斑鳩(ia1002)
19歳・女・巫
杉野 九寿重(ib3226)
16歳・女・志
Kyrie(ib5916)
23歳・男・陰
白葵(ic0085)
22歳・女・シ
月城 煌(ic0173)
23歳・男・巫
理心(ic0180)
28歳・男・陰
庵治 秀影(ic0738)
27歳・男・サ
コリナ(ic1272)
14歳・女・サ |
■リプレイ本文 ●閉ざされた村 「空気がぴりぴりしとる」 村に入るなりそう呟いた白葵(ic0085)は、どことなく苦いものを含んだ目で周囲を見回した。 「ふむむ……閉鎖的な村、ですか……」 やや幼い顔立ちを困ったようにしかめ、難しそうな表情で斑鳩(ia1002)は唸る。 確かに、村の空気は冷ややかだった。 「これは、先に村長さんにお会いした方がいいかもしれません」 「確かに、話を聞かせてもらえる雰囲気ではありませんね」 斑鳩の言葉に、杉野九寿重(ib3226)も頷く。 村は、実りの秋だというのに閑散としていた。一行は夕刻近くに村へ辿り着いたが、遊んでいる子供の一人もいない。 かといって人がいない訳ではないようで、そこかしこから、どことなく突き刺さるような視線が向けられている。 「ちぃーっと調べさせて貰いたいだけなんだが……」 当てが外れたとも、諦めきれないとも言いたげな、溜息交じりの言葉。あえて語尾を濁しつつ、月城煌(ic0173)は肩を竦めた。 「……話しかけず、ぶらりと歩いて観察してみるか」 折衷案のように呟いた理心(ic0180)の言葉に、白葵がぱっと顔を上げる。 「そやね、噂話しとったら、『超越感覚』使うてもええし」 「全く話が聞けない、と決まった訳でもありませんし」 淡々とした口振りではあるが、コリナ(ic1272)も頷いて同意を示す。 「とはいえ、何も言わず村をうろつくってな、いい手段じゃないねぇ。一旦、村長に挨拶くらいはしといた方がいいんじゃねぇか?」 それらを受けて、それまで話を聞いていた庵治秀影(ic0738)が口を開いた。 「急いては事を仕損じる、ってねぇ」 少しばかり笑みを含んだ言葉に、それもそうかと一行が頷く。 「生存者の方への面会もお願いしたいですし、手分けして動くのはそこからがいいでしょう」 「ご挨拶をして、面会と、村での情報収集ですか」 「はい」 Kyrie(ib5916)と斑鳩のやり取りに異論を挟むものはおらず、ではそういうことで、とギルドから渡された村の見取り図を取り出す。 「ここを真っ直ぐ行って、……一番大きい建物のようですね」 「あれかい?」 杉野が辿る道筋を移して、庵治の視線が大通りを滑る。 疑問符と共に示された先には、確かに一際大きい屋敷があった。 ●村長と娘 「遠路はるばる、よくお越し下さいました」 一行を広い座敷に通すなり、村長は丁寧に頭を下げた。 五十路を過ぎたかというような、品のある女性である。若い頃はさぞ美人だったのではないかと思わせるしっとりとした艶があり、しかし老成した深い眼差しは、確かに老いを感じさせた。彼女は微かに柳眉を寄せると、抑えた苛立ちの滲む口調で言った。 「途中、不快な思いをされたかと思います。何分、この辺りは山が深く……迷信深い者も多いものですから」 「迷信、ですか」 「はい」 Kyrieの問いかけに、村長が頷く。続けてどんな、と誰かが問う前に、村長は話し始めていた。 「この辺りでは、余所者は、良くないものや面倒事を運んでくると信じられています。……こんなところまでやってくるのは、大抵が訳ありの人間ですから……今回のことも『旅人が悪いものを連れてきた』とか、『余所者が山の神様を怒らせた』とか、散々言われています。頭の痛いことです」 ふう、と村長の口からは溜息が漏れる。 「なるほど」と唇だけで呟いたのは杉野だったが、他にも得心した様子で頷くものが数名あった。 しかし、村長の方はどうやら協力的であるらしい。 「村長さん、お話を伺えませんか? 出来るだけ、情報を集めたいんです」 「生き延びた奴もいるんでしょう? そいつにも会わせてもらいましょうか」 これはいけるかもしれないと踏んで、極力物腰柔らかに発された斑鳩の言葉に対し、後を追った理心の言葉は少しばかり硬質だった。 けれども、それに対して村長が見せた動揺は、いくらか大仰ですらあった。 「それは……」 「何か、問題がありますか?」 「いえ……」 気遣うようなKyrieの言葉にも、戸惑うように首が振られる。ややあって、一度唇を引き結ぶと、村長は顔を上げて一行を見つめた。 「生き残ったのは……実は、私の息子なのですが……少々、精神が不安定になっておりまして。人に会える状況かどうか、確認をとってからでもよろしいでしょうか」 言ってから、少し間を空け、小さく息が零れる。 「無理だった場合、介抱している娘に事情をお話しさせましょう。当事者ではありませんが、話は聞いているようです」 数分の後に現れた娘は、居並ぶ開拓者に一瞬怯んだようにも見えた。 「奥様……?」 「呼び立ててごめんなさいね、あの子の様子はどうかしら」 開拓者の皆様が、話を聞きたいそうなの。村長の声は決してきついものではなかったが、尋ねられた娘はさっと顔色を変えた。 「若様は御気分が優れません。ご遠慮ください」 大人しげな様子に似合わず、きつい眼差しが開拓者に向けられる。声色も厳しく、拒絶の響きが明らかだった。 「そう怖い顔をするもんじゃないよ、お嬢さん。かわいい顔が勿体ない。」 いくらかからかうような響きのある庵治の言葉に、更にその表情は険しくなる。 「何を……っ」 「ま、まあまあ。あの、私たち、どうしても情報が必要なんです。どうにか、取り次いでもらえませんか?」 「若様は、余所者になんてお会いになられません!」 あちゃあ、とばかり、村長が額を手で押さえた。 ほとんど怒鳴られるように拒まれた斑鳩はきょとんと目を丸め、ぱちぱちと瞬きをしている。 「早く村から出て行って下さいっ。若様が、若様がもっとおかしく」 「出て行けと言うのは勝手だけどな」 きしりと畳を踏んで、一歩踏み出す姿があった。 理心である。表情は落ち着いており、怒りなどは見られないが、娘は気圧されるように僅かに後ずさった。 「お前らにどうにか出来るのか? ……出来ねぇから、俺らが呼ばれたんじゃないのか? ……このままでどうにかなるってのなら……別に良いがな」 「!」 娘の白い頬にさっと赤い色が差す。追い打ちのように、村長にきつく名前を呼ばれ、少女は固く拳を作って俯いた。 「……ご案内致します。ただ、全員でいらっしゃるのはやめて下さい。せめて半数にして頂けませんか」 「そうですね。村での情報収集も行いたいですし、村長さんにももう少しお話を伺いたい」 娘に答えたKyrieに、白葵が控えめに手を挙げた。 「そんなら、白は村に回るわ」 「俺も」 月城も、端的に名乗りを上げて挙手した。一方、庵治は何やら含むように笑って顎をさすった。 「俺は村長さんに話を伺おうかねぇ」 話を聞くなら美人の方がいい、と軽いノリを隠しもしない。杉野は少し呆れたように目を瞬かせた後、放っておけないと思ったのか、自らも手を挙げた。 「私も、こちらでお話を。コリナはどうしますか?」 「……私は、村の方へ。気になることもありますから」 幼い容貌に不似合いの抑揚のない言葉だが、青い瞳は何かを探るように色を深めた。 では、と斑鳩が頷く。 「私、理心さん、キリエさんで、目撃者さんにお話を伺いますね」 「じゃあ村は、俺、白葵、コリナで」 「私と秀影はこちらでもう少しお話を伺います。よろしいですか?」 杉野の言葉に村長が頷き、面白そうな表情で片眉を上げた庵治も「了解」と頷いた。 他の者も、改めて確認された振り分けに了解の応答を返す。 「では、案内をお願いしますね」 Kyrieの声音は優しげだったが、娘の表情は硬いままだった。 その表情が更にひきつったのは、わずか数分後のことだった。 「……若様……?」 呆然とした呟きは、信じられない、という言外の言葉を余さず含んでいた。 三人が案内された奥の間は、もとは雨戸も締め切られた暗い部屋だったのだろう。残る空気は、未だかすかに重い。 ち、と舌打ちした理心の頬を、開けられた窓からの風がゆるく撫でる。 「みなさんを呼んできます」 即座に反応したのは斑鳩だった。小声の言葉に返すまでもなく、軽やかな背中があっという間に翻る。 「おい、いつまで惚けている」 「あ……あ、あ! 若様! 若様がっ!!」 理心の言葉で我に返った娘は、しかし今度は恐慌状態に陥ったようだった。ばっと振り向いた形相はきつく、細い腕が理心の胸元に掴み掛る。 茶色の瞳はぎらぎらと憎悪にぬめっていた。 「どうして! どうしてなの!! あと少しだったのに!! あと少しでっ!!」 「落ち着いて下さい、お嬢さん! 落ち着いて!」 「もういやああああああああ!」 「っぐ……だから! その『若様』とやらを助けてやると言ってるだろうが!!」 Kyrieによって理心から引きはがされた娘は、吐息を弾ませて口元を覆った。 「あ……」 見る間に、その目尻に涙が膨れ上がる。ずるずると崩れ落ちた膝が、床にとさりとついた。 助けて下さい、と娘は言った。 「助けて……助けて下さい。あの人を、どうか……」 「分かってるから、さっさと話せ」 うんざりしたような声色にも、娘はこくこくと頷く。Kyrieは安堵してか、ほうと胸の奥から息を吐いた。 複数の足音が迫ってきたのも、ちょうど同じ頃だった。 ●底なしの沼 事態は急を要する。聞き込みを諦めて出立した一行だったが、情報が皆無とは言えなかった。 『村の、裏手の山の……村とは反対側の、窪地の辺りです。昔から、良くないものの溜まる、底なし沼だと言われています』 山を回り込むよりは、麓を回り込む方が良いだろうと娘は言った。 『ぬかるむ道で、山間ですからろくに人も通りませんが、距離はそちらの方が短いです。獣道しかありませんので、お気をつけて』 そう締めくくって頭を下げた娘の目に、もう涙は無かった。 『若様は、山道をいったと思います。あちらはまだ整備されていますから』 上手くすれば先回り出来るかもしれない。希望か、未練か、思いを込めた呟きは俯きがちに呟かれたものだったとしても。 「確かに、ひどい道ですね」 「道が無いって感じですよ、これは」 開拓者の足は常人と比べれば遥かに軽快だが、それでも時折足をとられる道に、杉野は足元を汚して眉を寄せた。 斑鳩も同意を加え、木の根や草を躱しながら足をさばく。黙々と足を進めるコリナの横、一番歩幅が広いのは理心だった。 娘が、男はアヤカシの美しさに魅了されてしまったと悔しげに呟いてから、ずっとこの調子である。目に見えて逸ることは無いが、どこか焦がれるように視線が落ち着かない。 それを後ろから見つめ、白葵はうーんと小さく唸った。 「大丈夫なんかなぁ……」 「あれか?」 「人の趣味嗜好にいちゃもんつけんけど……ちょっと心配やわ」 「まあ、大丈夫だろ……戦闘中は俺も後ろから注意するし。前に出るのはあいつやお前らに任せるわ」 「白もあんま近寄りたいないな……けばい女は、……いた」 白葵が鋭く呟き、月城も小さく頭を上下させた。 眼前には、一際深く絡んだ木立が立ちはだかっている。その向こうへ抜ければ視界に沼が広がるのだろうか。 「早く……」 甘やかな理心の声が、薄暗い山間に響くことなく梢に吸い込まれた。 きゃあああああああああ、と幼女のような、鳥のような声が響いたのは、目の前が開けたのとほぼ同時だった。 さほど広くはない、しかし黒と見まがう緑の沼は、異様な雰囲気を湛えている。 その中央に、ぬめる白い肌をさらした美しい女がいた。 「やっと見つけた」 「あれかい? ちぃっと遠いな……」 理心と庵治は目をすがめ、構えを取りながら距離を測る。 斑鳩もまたさっと緊張を走らせたが、彼女の意識はアヤカシに集中せず、周囲にも警戒を巡らせた。 「!」 沼まであと僅か、というところ。 高い葦に紛れて、がさりと動いた影があった。 「月城さん!」 「あれか」 もっとも影に近い月城へ声を飛ばせば、彼も即座に頷いて身を閃かせた。白葵もその背を追う。 ふうわりと、周囲に甘い匂いが漂い始める。 「解術の法!」 魅了を察知した斑鳩が、即座にそれを解く。 闖入者に、そして何より招かれざる「女」の気配に気づいたらしいアヤカシは、美しい顔をかっと歪めた。 歪められても、美しい造形は損なわれることがない。しかしその分、壮絶さが一層際立った。 ぞろり、沼の表面が波立つ。 「ギィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ」 「品の無い声ですね……!」 前衛に立とうと、杉野が一歩飛び出す。更に、精霊壁を纏ったKyrieも続いたが、アヤカシは吊り上った眼差しを杉野の方へと向けた。 威嚇のように、再度高い叫び声が響く。 アヤカシを中心に、ぶわりと黒い瘴気が上がった。 「その人を頼みます」 「ああ」 進みざまのコリナの言葉に月城は頷く。若者は、あからさまにやつれてひどい顔色をしていた。魅了が解けて身体が限界を認識したのか、今は気を失っている。それを抱きとめたのは白葵で、運び上げたのが月城だった。 「かえって都合がいいな」 「そやね。……無事でよかった」 アヤカシはといえば、多勢に無勢とばかり苦戦を強いられていた。 「そう逃げなくてもいいじゃないか……もっと、遊ぼう」 「ヒギィイイイイイイイイイイイイイ」 幻覚も効力を及ぼす前に解除され、沼へ引きずり込もうとしても雷が身体を焼く。ずる賢くはあるが人間以下の知能しか持たぬアヤカシは、惑乱して悲鳴を上げ続けた。 村人には脅威であっても、下級のアヤカシである。開拓者に囲まれればたまったものではない。 「よう。ようやく手が届いたな。会いたかったぜぇ?」 沼から引きずり出されたアヤカシは、白い肌を晒して大きくのたうった。さながら巨大な魚のようでもあった。 しかし、それでもそれは僅かに残った力でもって鋭い爪を振りかざし、周囲を切り裂こうと――した。 「ア」 「本当に君は美しい……」 複数の刃が、アヤカシの四肢を貫き、地に縫いとめる。 「……また、出逢える事を願っている」 その中でも、理心の刃は、血を吸うかのような赤い輝きをてらりと返した。 ●エピローグ 沼の岸には、アヤカシが食らったのだろう人間の遺品が散乱していた。それらを持ち帰って村に戻ると、村長は一瞬喉を震わせ、それから深々と頭を下げた。 「……ありがとうございます」 その遺品を集め、斑鳩が神楽を舞った。啜り泣きの響く重苦しい空気はどうしても拭えなかったが、帰っていく村人たちは、犠牲者の親族の肩をそっと支えていた。 排他的な村ではあるが、同時に、結びつきの強い村でもある。 若者は担がれて村へと戻ったが、意識は直ぐに戻った。目を開けるなり、傍で看ていた娘に思い切り平手で叩かれ、目を丸めていた。 「この軟弱者!!」と叱責した娘に、あの涙したしおらしさは無かったという。 各々に思うところを残しながら、依頼はひとまず成功と、ギルドに報告された。 |