【未来】それはまた別のお話
マスター名:鳥間あかよし
シナリオ形態: イベント
EX :相棒
難易度: 普通
参加人数: 21人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2015/04/17 19:19



■オープニング本文

●十年後の春

 あなたはどう過ごしているのか。
 どこで過ごし、何に触れ、何を愛しいと感じているか。
 満ち足りた孤独の淵にいるか。にぎやかで騒々しい歓喜にもまれているか。
 気ままに春を感じながら。そして人生は続く。

●神楽の都

 都をおおう曇天は夕暮れの茜化粧。
 乾いた土に、ぽつりぽつりと水滴が落ちる。
 小さな本屋の店員、八重子が声をかけられたのはそのときだった。
「もうし、軒を貸しておくれ」
 女のようだ。花笠を目深にかぶっている。ほっそりした尻尾が獣人だと告げていた。八重子は読みかけの本を帳場に隠し、いらえを返した。
「表の棚を片付けるのを手伝ってくれるんならいい」
 心得たとばかりに、女は平積みの棚へ布をかけ、敷居の奥まで押し込む。手際のよさに口を出す暇もなかった。八重子は突っ立ったままの彼女へ椅子を進めた。
「本降りになってからというじゃないか。少ゥし休んでいきなよ」
 雨はぱらぱらからざんざんになる。上着をひっかぶった棒手売りが逃げていく。
 本屋の軒先で平積みになっているのは、開拓者の冒険談。天空の図書館から見出されたからくり緑がつづる古今東西の開拓者の冒険談だ。

 名を『舵天照』。

 ただいま天儀各地で好評を博している。
 中には不埒な開拓者が自分の活躍箇所へ赤線を引いて回っているらしいがそれはまた別の話だ。
 手持ち無沙汰に八重子は自分の分を開いた。世界を股にかけた戦記物の、笑いと涙が、悲劇と喜劇が縦横無尽につづられた群像劇が文字の間から立ち現れる。ぱらりとページを繰ると見覚えのある名前が載っている。八重子は顔をほころばせた。
 戯れに軒先の女へたずねる。
「アンタの名前はある?」
 さあねと女は答えた。八重子は登場人物一覧を彼女へ見せた。サビ猫風の女は尻尾をピンと立てた。傘の下で桃水晶の髪飾りが揺れる。笑いをかみ殺すように咳をする彼女に八重子はまばたきをした。
「あったのかい?」
 彼女は傘をかぶりなおした。
「……うちの宿六が載ってるにょ。記念にひとつちょうだい」
 手早く支払いを済ませ、女は本降りの中へ旅立っていった。

 ざんざらの雨がぴたぽたに戻り、やがて雲ごと消えてなくなった。
 夕闇。
 通り雨のせいか、人通りは少ない。半ば片づけをしてしまったようなものだし、このまま店を閉じようか。
「八っちゃん!」
 後ろから声をかけられ、八重子は飛び上がった。
「なんだい、愛想がないなあ。おいらの予約分は発売日に取りに行くからよろしくねって言ったじゃないか」
 ふりかえると腐れ縁な幼馴染。高下駄を履いた、とんがったおしゃれをしているクマユリだ。呉服屋の娘なのだが、数年前、各国のファッションを取り入れたブランドを立ち上げた。反応も上々で、今ではすっかり店の顔だ。
 クマユリへ約束の一冊を渡した八重子は、帳場へ伏せたままだった本を表に返し、目を落とした。
 ――物の怪の人を呼ばわるは一声まで。
 なんとなくひんやりしたものを覚え、八重子は女の消えていった方角へ顔を向けた。夕暮れの町は道行く人の顔も定かではない。
(「だけど、うれしそうだったじゃないか」)
 記念にと言った彼女の声音のやわらかさを思い返し、八重子は空を見上げる。しだいに深みを増していく藍色を眺め、一番星の美しさにため息を漏らした。
「……アタイも何か書きたいなァ」
「何を?」
「アタイも開拓者さんのお話が書きたい」
 クマユリが目を丸くする。
「どうしたの読む専の八っちゃんが。緑さんに倣って作家でびゅーかい?」
 八重子はけむたげに顔の前で手を振った。
「アタイにゃアタイで、開拓者さんから聞いた話があるんだ。それをいつかまとめて本に出来たらと思ってるだけだよゥ」
「八っちゃんの持ちネタだけで一冊作れるかな?」
「足りなけりゃ聞いてまわるのさ。教えとくれよ開拓者さん、てね」
 雨戸を下ろし、二人は開拓者ギルドへ足を伸ばした。

 ギルドの開拓業はまだ引きもきらず。だがアヤカシの出没数はずいぶん減ってきた。仕事上がりの開拓者に話を聞きに行こう。思い出はありますか。変わったアヤカシを知っていますか。
 もしかすると引退する開拓者の姿が見れるかもしれない。
 八重子とクマユリは久しぶりに手をつないだ。

●巌坂

 日は中天、本院。
 応接間で二十七代目戚夫人は七彩茶を楽しみながら客人をもてなしていた。
 怜結花。春華王の密偵だ。
 表の仕事は国家泰拳士予備員である。予備員は正規兵と違い非常時に駆けつける存在で、軍属身分証のためといった体が強い。
 教母の傍らに控えているのは参梨那。アヤカシ黒蓮鬼だ。旧世界の産物により運命をねじまげられ、自覚なく不老不死のアヤカシに変えられた。もっともとことんあけっぴろげな旅泰気質にのほほんとした泰のお国柄、そして開拓者達の助力によって、日々を前向きに楽しんでいるけれど。
 玲は報酬と入れ違いに分厚い報告書を机へ置いた。

「精霊力と瘴気に関する調査よ。遠い将来、巌坂が利用している瘴気が枯渇するわ」

 そうねと参が返す。
「頃合としては泰儀の降下が完了する頃だにょ」
 教母はたいして動じていないようだった。
「たくさんの人たちが、黒蓮鬼へ寿命をもたらす方法を研究してくれている」
 きっと大丈夫だよと教母は微笑んだ。

「地下の瘴気から作られた生体部品は『成長』しないことがわかったんだ。肉で作り上げたからくりのパーツみたい。成長しないから老いることも死ぬこともない」

 玲は興味なさげに立ち上がった。扉に手をかけ、振り返る。
「巌坂が落ちるまでに研究が間に合わなかったら?」
「そのときは新たな地を探して流れるだけ」

 玲が出て行ったあと、参は報告書を斜め読みした。
「といってもン百年後だよねー。当の私でも実感わかないにょ」
「じっくり話を詰めて準備しておこうね」
「そうだ、これ天儀のお土産」
「わ、『舵天照』の新刊だ。ありがとう。伴侶や友人が載っているのは誇らしいような恥ずかしいような」
 目元を緩めると薄くしわがよるようになった教母を、黒蓮鬼が眺める。
「明ちゃん老けたにぇ」
「……人間だもの」
「きれいにょ」
 呂は笑みを深め、幼馴染の変わらない横顔へキスを返した。

 糸をよるように。
 寄り添い、交じることはあれど、人の行く道は所詮一筋。ただそれが、縦に横に、通り交わりそれぞれの豊かな色を持ち寄ったなら。
 二人は壁の刺繍絵へ目をやった。

 独りになった呂は神官服からいつもの格好へ戻った。そろそろ予約の時間だ。今日の昼は、緩和棟の子供達と我が子を町の食べ放題へ連れて行く。月に一度の食の宴、子供たちはわざと腹をすかせ、てぐすね引いているのだ。
「理想は高く、テンポ正しく、本日晴天お日柄もよく。世界の幸福量のために、まず私が幸せになろう。途切れながらも続けていけば、千年後もきっと春が来る、万年後もきっと春が来る」


■参加者一覧
/ 羅喉丸(ia0347) / 柚乃(ia0638) / 平野 拾(ia3527) / 平野 譲治(ia5226) / 十野間 月与(ib0343) / ケロリーナ(ib2037) / リィムナ・ピサレット(ib5201) / 叢雲 怜(ib5488) / 計都・デルタエッジ(ib5504) / リリアーナ・ピサレット(ib5752) / 神座真紀(ib6579) / 神座早紀(ib6735) / 神座亜紀(ib6736) / 霧雁(ib6739) / 藺 弦(ib7734) / 嶽御前(ib7951) / 呂宇子(ib9059) / 朱宇子(ib9060) / 中書令(ib9408) / 呂 倭文(ic0228) / ライラ(ic1280


■リプレイ本文

●ケロリーナ(ib2037)の稽古
 本院の裏にある広場で、ケロリーナは呂と対峙していた。二人を包むように広がっているのは護衆空滅輪。志体持ちといえどたやすく辿りつくことはできない武僧の高みへ、呂が昇ったことを示すものだった。
 結界のできばえに、ケロリーナは当然のように首肯を返しただけだった。呂へ武僧の修行をつけてきたのは、他でもない彼女自身だったからだ。この十年、ケロリーナは季節が変わるたびに巌坂を訪れてきた。そして今日は、自らの功績の総決算になる日だ。
 深く礼をすると、両者とも杖を手に構えを取る。舞台を涼風が通り抜け、年を重ね美しく育ったケロリーナのスカートを揺らした。風が落ち着く頃、彼女は厳しい声を発した。
「では始めますの。かかっていらして」

 見事なフェイントだった。あとすこしでケロリーナは急所を突かれるところだった。凍りついた二人の影が弾かれたように離れる。立会人の参が拍手をした。
「三本中一本。明ちゃんの負けにょ。判定は?」
「……二本はとってほしかったですけれど、合格ラインですの」
 ケロリーナはにっこりと呂へ笑いかける。
「武僧免許皆伝ですの。これに満足せず日々精進を重ねてくださいですの」
「はい、師匠。ありがとうございます」
 ぺこりと礼をする呂。
「そぉいえば依頼は完了で大丈夫かしら?」
「いいんじゃにぇ?」
「テキトーですの。相変わらずですのね、参おねえさま」
 裾を整えた呂がケロリーナへ向き直る。
「午後から緩和棟の子ども達と食事会に行くのだけれど、一緒にいかが?」
「お邪魔しますの」
 時間までは久しぶりの巌坂を楽しんでいよう。ケロリーナは花園を目指して歩き始めた。

●神座真紀(ib6579)の寄り道
 降るやら降らんやらどっちやねんて思っていたら一雨来た。薄暗いギルドの室内、ふと昔の自分が重なる。祖母から神座家当主を受け継ぎ肩に力が入っていた時期もあった。だが十年も経てば重みが心地よくなる。
 いつのまにやら雨はやんで、からりと扉が開く音。
「お、二人ともしばらく見んうちに綺麗なって」
 入ってきたのは八重子とクマユリだった。二人を招きよせ、せんべいを勧めたらクマが渋い顔で。
「おいらダイエットしてるんだよ」
「我慢は体に毒やで。亜紀に魔法でも教わったらどうや」
 真面目に悩んでいるクマユリに笑い、真紀は帳面を取り出した八重子へ面を向けた。
「開拓者の話なぁ。もうじき亜紀が審議調査から帰って来よるから色々聞けるで」
「真紀ねえさんも色々知ってそう」
「ん? あたしの話かいな。せやな、川のアヤカシとかどうや?」
「川?」
 二人そろって目を丸くする。
「何て言うか、川そのものアヤカシや」
「そんなのどうやって倒すのさ」
「それがな、周りで楽しく遊び倒せば自然に消えるんやで。変わっとるやろ? 川で水遊びしたり、夜はキャンプファイヤーしたりしたで♪」
 解せぬと呟くクマユリの隣で、八重子が笑いをこらえている。
「そういや、あんたらもう彼氏おるん?」
「四人目」
「八は?」
「さっぱり」
「そうなんや。今、早紀がえらいアタックされててな。亜紀もなんやら怪しいし、妹らに先越されとるわ」
 苦笑した真紀は八重子が帳面を収めるのを機に立ち上がった。
「まぁでもあたしもええ男捕まえるから。あんたらも頑張りや」
 ギルドを出ると、雨で洗われた夜空。変わらずなめらかな黒髪を揺らし真紀は家路を歩いた。

●柚乃(ia0638)と双子
 神楽の都の賑わいは、石鏡よりすこし騒々しい。簪屋の店先で黄色い声を上げる娘らに、庭駆けまわる鶏を思い出した心桜だ。その淡い青に染まった髪は、深い森の奥で人知れず豊かに湧く泉、柔らかくカールを描く毛先は深淵の群青を思わせる。隣にはおそろいのアメジストの瞳、双子の弟、陽翔だ。
 双子を先導するのは真っ白い猫又。気ままな足取りで人ごみを先んじて行く。とはいっても心桜は、この程度ではぐれるほどぼんやりではないし、その証拠に二人の腰には木製小刀『秋刀魚』が差してある。
 店先で光る純銀の簪に目を取られた心桜は猫又に声をかけた。白猫が振り返り、足元に胴を擦り付ける。一際目を引くところに置いてあるそれは、月に兎の透かし彫り。心桜にはすこし大人っぽい。彼女は自分の髪に指を絡めると、くるくる巻きつけてみた。
「……どうかな。まだ、早い?」
 猫又に聞いたら、好きになさいといいたげにあくびをされた。足元で丸まった猫又の背をなで、心桜は目当ての簪を手に取ろうと……して、値札の壁に弾かれ肩を落とした。未練たらしく帯飾りを眺めている彼女の肩を、弟が叩く。振り返れば、風車売りが通り過ぎるところだった。
「んと、違うの。おもちゃが、ほしいのじゃないよ。お着物のね、飾りが、ほしいの」
 だって今日は母さまの馴染みの呉服屋へ行くから。店番をしていた老婆が、それを聞き一人でお使いかとたずねた。えらいねと頭を撫でられ、心桜は柳眉を寄せた。
「一人じゃないよ? 母さま一緒」
 足元で猫又がにゃあと鳴いた。
 目当ての呉服屋まであと少し。今日もなつかしい面々が、商いに精を出していることだろう。

●羅喉丸(ia0347)の道場
 羅喉丸が道場をかまえたのは、ギルドが護大との決戦を終えて落ち着いた頃だ。たくわえを元手に運よく公家の払い下げを手にいれた。最初は閑古鳥が鳴いていたが丁寧な指導が実を結び、質実剛健な道場主として広く知れ渡るようになった。内見の頃から庭にぽつんと残っていた松も、十年たった今では番人の如く門下の出入りを見張っている。
 元気よく挨拶する子ども達へ鷹揚に返事を返し、羅喉丸は縁側に腰掛けた。道場も軌道に乗り、お出ましを願われる依頼も減り続ける昨今、もう少し大きい建物でもよかったかとも思う。
(「俺にはこのぐらいがあっているか。弟子を満足に指導できなくなっては本末転倒だしな」)
 庭では、悪の付くお子さま達がさっそく今日の成果を試そうと稽古用の木偶と戯れている。年かさの一人が羅喉丸の顔をとくと見つめたと思ったら、鞄へ手を突っ込んだ。引っ張り出されたものには見覚えがある。
「なんだ、それは舵天照の新刊か。なに話が聞きたいだと」
 弟子たちが周りへ集まり、目次を開いて口々にこれはいかがかと言い立てる。稽古の開始を遅らせようとたくらむ不埒な輩もいるのだろうが、それよりも好奇心が勝るのだろう。通いの弟子は戦場での師を知らない。その無邪気な様子に内弟子達が苦笑いをしている。
「しょうがない、この話が終わったら稽古を始めるからな」
 羅喉丸は内弟子へ目配せをすると、自分も舵天照をくりながら話を始めた。
「それは、確か参加していたな。奴とは因縁浅からぬ関係で……」
 障子の奥から道場の整う音が聞こえる。ほどほどで打ち切り、残念そうな弟子たちへ続きは終わってからだと笑う羅喉丸であった。

●神座亜紀(ib6736)と玲結花
 朱春の港へ飛空船が舞い降りる。茜色に染まる大地を踏みしめた亜紀は背伸びをした。そりかえった反動で、たわわな胸が揺れる。
「やっと着いた〜」
 感想を漏らすと亜紀は都へ向かった。第四次開拓計画の発令以来、久々のオフだ。やがて古式ゆかしい民家の前で足を止めた。
「やあ結花さん、久しぶり」
「いらっしゃい、待っていたわ」
 なじんだ顔へ手を上げ、亜紀は中庭の椅子に腰を落ち着けた。結花が希儀のワインを置く。
「お土産だよ。大丈夫、ちゃんと食べられるから」
 亜紀は手提げを机で広げた。拳ほどの丸い実がごろごろでてくる。結花は土産を気に入ったようだった。
 乾杯する前から二人は話へ熱中した。天気の話から、お互いでなくてはできないような話まで。
「結花さんは呂さんの所へ行ったの? ボクも新儀で黒蓮鬼への寿命付与の手掛かりになる物がないか探したけど成果は今一つだったよ」
「なかなか見つからない、か」
「そうそう、調査隊の隊長がちょっとボクの好みでね」
「眼鏡?」
「当たり。ちょっと陰険そうな感じでストライクだよ。なのに全然なびかないんだ。この十年で背も伸びたし胸も育った。ぶっちゃけ姉妹で一番美人な自信はあったのに。でも次は振り向かせてみせるよ」
 その時は呂さんに司祭役をお願いしてるんだと夢見る瞳で呟く。そんな亜紀を結花はまぶしげに見つめた。
「結花さんはどう?」
「また逃げられちゃった……。仕事のほうが楽しくて。お兄ちゃんなんか見合いで結婚して、順風満帆で暮らしてるのに」
「ドンマイ。乾杯しようか、二人の友情に」
 グラスがちりんと音を立てる。日が暮れても話は尽きることがなかった。

●朱宇子(ib9060)と呂宇子(ib9059)のお料理教室
 お互い結婚して住処が変わっても、双子の間には遠慮がない。今日も呂宇子は自分の長屋から、剣術道場を開く妹、朱宇子の家へ訪れる。背負子にたんまり食材を背負って。
「いらっしゃい姉さん」
 出迎える朱宇子はにこにこ顔だ。姉に会えるのもいいが、姉の持ち込む新鮮な食材もうれしい。余った分は授業料として使い放題、地味に家計を支えてくれている。何せ伸び盛り食べ盛りの六つになる息子と、花も恥らう年頃の娘が居る。
 軽くお茶をしたら、本題。
「それでは姉さんに料理指導をします」
「よろしく朱宇子! 期待してる!」
 同じ理由で厨房を占領するのは何度目か。ある意味才能なのではと、いぶかしみたくなるほどの失敗の軌跡が幾度も皿に盛られてきた。それでも今日こそはと、意気込む呂宇子。包丁を頼みに、おたまにフライ返しで脇を固めて、盾はまな板、ボールの鉄兜。いざ出陣。

 小一時間後。

「姉さん、気を落とさずにがんばろう」
「……」
「おかしいなー。朱宇子が嫁いだり私自身も結婚したりで、料理する機会が格段に増えたハズなんだけど……どーにもこーにも、上達しないのよねえ」
「そうでもないよ。前はお茶が大変なことになったり、魚が丸焦げを通り越して炭になっちゃったりしてたけど、今は飲めるお茶と焦げた魚になってるしっ!」
 ちょっとずつ進歩してるよ、大丈夫と、姉を励ます。どろんとした妙にすっぱいお茶は、まあ確かに飲めなくはない。作ったものはちゃんといただきましょうの精神を発揮し、二人は水っぽくてヒレばかり焦げている焼き魚をつつく。しょんぼりしている姉の顔色を伺い、朱宇子は思いをめぐらせた。
(「いくら正論といっても、毎回おいしくないものを食べなくちゃならないのは盛り上がらないよね。たまには目先を変えて苦手意識が抜けるようにしてみたほうがいいかしら。もっと簡単なメニューにして、私だけじゃなくて娘と息子にもお手伝いをお願いして……」)
 うん、いけるかも。手毬寿司なら握るだけだし、下の子も喜んでやりそうだ。
(「姉さんのやる気は本物だし、着実に経験を積んでいるのは確かだから、気分の上がるようなことがあれば味も見た目も立派な料理ができそう、そうだ」)
「今度一緒にお弁当作って、みんなでお花見に行かない? きっと賑やかで楽しいよ」
 思ったとおり姉は目を輝かせた。日取りはいつか、場所はどこか、二人は夢いっぱい膨らませて話を進める。
「姉さんの旦那さんに会うのも久しぶり。楽しみだな」
「言われてみればそうね。花見酒で調子に乗ったりしないよう呪縛符の用意をしなきゃ」
 そういえば、と妹が呟く。
「姉さんが料理修行に熱を入れるようになったのは、結婚してからだよね。なにかあったの?」
 呂宇子はあさってのほうを向いたまま、不明瞭な音を押し出した。
「……旦那は「俺も料理できるンだから無理すんな」って言うけどさ」
 ……たまに持って帰ってきてくれる魚、美味しく調理できるようになりたいんだもの。
(「姉さんったらかわいい」)
 うつむいてぼそっと本音を吐く姉に、妹は笑いをこらえるのに必死だった。
「よし姉さん、大根おろし百本ノックだよ」
「握りつぶさないよう頑張る!」

●平野 譲治(ia5226)と拾(ia3527)のある日
 日よけの傘をはずすと我が家がよく見える。数日振りの帰宅に譲治の心は弾んだ。お土産のお団子をぶらさげ、ほくほくしながら帰る彼が、つい先ほどまでアヤカシと命のやり取りをしていたなどと誰が思うだろうか。寮を卒業したとはいえ、まだまだ家計を支えるために開拓者稼業は継続中だ。
 町外れにある大きな平屋へたどりつき、譲治は旅装の砂ほこりを払うと大声で呼ばわった。
「今帰った!」
 とたとたと小さな足音とそれを追いかける声が近づき、玄関の扉が勢いよく開かれる。
「お父さん、お帰りなり!」
「おっとと……いい子にしてたかい?」
 鞠のように飛び出てきたのは六歳になる娘だ。小さな頭を撫でていると、自然と眉尻が下がってくる。下駄を履いた拾が柳眉を逆立てながらでてくる。
「こら、咲花!」
 鬼の勢いが、夫を目の当たりにしたとたん大人しくなる。
「まだ皿洗いの途中……」
「だってお父さんは忙しいなり。だから遊んでもらえるときにいっぱい遊ぶのだ」
「にはは。よしよし」
「もう、本当に咲花はお父さんが好きなんだから……」
 喜色満面で夫に抱きつき、着物を引っ張ったり帯をいじったり。娘にあきれながらも、拾は改めて譲治へ会釈をした。
「お仕事お疲れ様でした。お帰りなさい、譲治」
「ん、拾もただいま」
「ちょうど夕飯の支度ができたところです」
 居間へ入ると、焼き魚がほこほこと湯気を立てている。席に着いたら、家族三人そろって。
「いただきます」
 酢の物に箸をつけ、炊き立てご飯を頬張り、貝のだしが染みる味噌汁で流しこむと、長旅の疲れも吹き飛ぶようだ。至福を味わった譲治は、拾へ空になった茶碗を突き出そうとし、まったく同じ事をしている咲花に気づいた。
「ゆっくり味わって食べるっ! 食後のお菓子もあるからっ!」
「お父さんの真似しただけなりよ!」
「お……お父さんもゆっくり食べるから、咲花もそうしなさい」
「はーい」
 まだ納得していない娘に子育ての大変さを思い知る。子は親の背を見て育ち、しかも元の親にはあらず。咲花は純粋で心根のまっすぐな子だけれど、この頑固さは誰に似たものか。譲治の視線を受け、拾が苦笑をもらす。
「おかわり要りますか?」
「頼んだ」
 ふたつの茶碗に飯をよそった拾が、自分も箸を取りながら言う。
「今日はね、手習いで咲花が褒められたのです。仮名手本の写し書きがよくできたと……」
「寺子屋の壁に飾ってあるぜよ! 明日、見に行くなり。お父さん、しばらく居るなりね?」
「食事中に立ち上がらないっ」
 拾はそっと味噌汁をすすった。
「うわさを聞いた祖父も参ります」
「寺子屋終わったらどこ行くなりか? 私はみんなで天儀橋に行きたいぜよ!」

 にぎやかな食事が終わったとたん、ねじが切れたように眠ってしまった娘を優しく起こして風呂に入れ、布団に寝かせて。居間の一式を片付け、灯りを落とせば、聞こえてくるのは気持ちよさそうな寝息ばかり。
「いつもありがとなりね、拾」
「……はい」
 譲治は、はたと口元を押さえた。二人きりになると昔の口癖が出てしまう。
「咲花にうつってしまっていますから、ほどほどに」
「わかってるなり、ん、わかっているよ」
 薄暗がりで頬を染めたまま微笑する、妻の美しさに胸を打たれた。小柄な体を抱きしめ、じんわりと伝わってくるぬくもりを胸に刻んだ。
「……ただいま」
「おかえりなさい……」

●叢雲 怜(ib5488)と計都・デルタエッジ(ib5504)のお花見
 桜並木の土手を歩く人影が四つ。小さな一組と、大きな一組。
「じゃんけんぽん」
 グーで勝ったおかっぱの男の子はその手を高く上げ、緋色と蒼藍のオッドアイを自慢げに光らせた。グスベリと四歩先へ歩くと、姉らしい女の子を振り向いた。
「じゃんけん、ぽん」
「チョ、コ、レー、ト」
 女の子が弟を追い抜く。男の子が片頬を膨らませたのが面白いのか、女の子はにこにこ笑顔。まだ幼いが発育がよく、ジルベリア風のエプロンドレスがよく似合う子だ。ふりそそぐ桜の花びらが、軽やかなウェーブの黒いロングヘアを飾っていた。
 二人とも黒髪に銀のメッシュ、赤青のオッドアイ。面差しもそっくりだ。その理由は怜と計都を見やれば自然と知れた。女の子は叢雲紗綾、男の子は蓮。二人いる怜の妻のうち、計都との間にもうけた子どもだった。今年で九つになる紗綾は、三つ下の弟をかわいがりよく面倒を見ている。
「桜も終わりだね計都」
「花吹雪が美しいですね〜」
 もう一人の奥様にも見せてあげたいですと計都は梢を見上げた。儚い美が計都の目に焼きつく。極限まで伸びきった弦が切れるように、花は裂けていく。内側からほとばしる充実に後を押されてだろうか。
 蓮と紗綾のじゃんけんは続いていた。二人の足元で、風に舞う花びらが渦を作る。ふっくらとした子ども達の赤い頬は、天の御使いのごとく無垢で。
「じゃんけんぽん」
「チ、ヨ、コ、レ、イ、ト」
「ずるい、一歩よぶんに歩いた」
「ずるくないですー。じゃんけんぽん。はい、私の勝ち。チ、ヨ、コ、レ、イ、ト」
「……じゃ、じゃんけん」
「ぽん、ぐりちるりちるさんじかりうむ」
 蓮が涙目になっていた。その頭に手を置き、怜が計都を見る。
「この辺にするのだぜ♪」
「そうですね〜。桜もよく見えますし〜」
 二人はござを敷き、重箱を広げた。漆塗りのお重の蓋を取れば、華やかな彩り御膳。季節の野菜の含め煮に、海の幸と根菜の天ぷら。黄金のたれを絡めたつくねが照り輝いている。二段目はお酒のつまみになりそうな辛味のある惣菜が並べられ、三段目にはおにぎりがぎっしりと詰められている。形がいびつなのは、子ども達が一生懸命お手伝いした結果だ。
 愛情たっぷりの手作り弁当はしみじみと美味しかった。花も団子も楽しみながら計都は移りゆく景色を堪能した。子ども達の食事を見守り、常よりもさらに微笑を深めながら怜へ酌をする。
「……幸せなのです♪」
 呟くようにささやかにこぼれた言葉に万感が詰まっている。たけのこの煮物をしゃくしゃく咀嚼し、怜もまた梢をうっとりと眺めた。重箱があっというまに空になる。おなかが膨れて眠くなったのか、蓮が紗綾のひざをまくらに寝息を立てだした。紗綾のほうも舟をこぐ。やがて二人は子犬のように重なり、丸まった。桜の花びらがさらさら薄い背を撫でていく。
 互いに酌をしながら夫婦は薫り高い静寂に耳を傾けた。怜が計都の体を抱き寄せる。柔らかく、張りのある肢体を腕に包むと、小さな笑い声が立った。
(「桜も綺麗だけれど計都の方がもっときれいだよ」)
 たくましく成長した怜の胸に頭を預け、計都は照れたように目尻を下げた。怜は桜色の髪を指ですき、つややかな見た目にふさわしい手触りを味わう。
(「俺、計都との子供……もっと欲しいな」)
(「……もう」)
 降りしきる花びらに隠れ、二人の影が重なった。

●リィムナ・ピサレット(ib5201)の後継者とリリアーナ・ピサレット(ib5752
 リリアーナ・ピサレットが五行王の正室、架茂リリアーナを名乗るようになってからもう十年が経つ。
 見合いで始まった二人は、一筋縄ではいかない恋をし、一筋縄ではいかない愛を深め、一筋縄ではいかない一男一女をもうけた。男児は幼くして武の誉れ高く、弓矢の家に生まれた者として申し分ない、物はいいようである。なお五行は陰陽師の研究が盛んなる国であることを付け加えておこう。
 では姫はというと。

 父からていよく部屋を追い出された凛姫は、腰に手を当てて頬を膨らませた。
「父上のばかー、あーほ! 何が凛にはまだ早いよ、その程度余裕なんだから!」
 凛姫、御年八歳。肩のラインでざっくり切りそろえた黒髪に、玉の肌。御簾の向こうで、つんと澄ましていれば蝶よ花よと育てられたお姫様然としているのだが、実際のところは物心付いた頃から父の研究室に入り浸り、様々な秘術に触れている。架茂王が五行国の英知集まるその部屋へ、姫を自由に出入りさせているのは、父として凛に立派な跡継ぎに育ってほしいというよりも、ただ単に子守が面倒くさいから、であろう。よって研究に熱が入ると猫の子のように放り出されることもままあるのであった。
 廊下をのしのし歩いた彼女は、つくばいの水面に映る顔をのぞき、ひとりごちる。
「あたしの方が絶対強いし」
 彼女には、かつて陰陽師の秘法にまでたどりついたと噂される叔母、リィムナの面影があると人は言う。時にリィムナの再来と呼ばれることすらある。それがまた凛姫のしゃくにさわるのだ。自分は天才で、恵まれた環境にいる。それは認めよう。だがそれ以上に努力をしている。五年前、恋人と共に行方知れずになった相手などと一緒にされては困る。『舵天照』にあるリィムナの業績を思いだし、彼女は鼻で笑う。
「あたしならもっと楽に倒せたっつーの」
 ちなみに本人から妹宛に、時折安否を知らせる手紙が来るそうだ。出すに出されぬ内容であるらしく公式には失踪したまま、凛姫が何度か現物を見せろとごねたこともあるが苦笑して首を振られた。どうやら、まだお亡くなりになっては居ないらしい。
「いつか白黒つけてやるんだから」
 きびすを返した彼女は、いつのまにやら自分の背後に仁王立ちしていたメイド姿に呆然とした。
「……凛。先程四阿が全焼していると報告があったのですが、何か知りませんか?」
「お母様? いえ、凛は知りませぬ……」
「そうですか。実は丁度、吟遊詩人が逗留していたので時の蜃気楼で調査をお願いしたのです。……貴女が炎狼を召喚し、制御しきれずに四阿を燃やすところがよく見えましたよ」
 リリアーナが薄ら寒い笑みを浮かべる。
「お許しをー! うわああん!」
 脱兎の如く逃げ出した凛姫に、リリアーナは瞬脚で追いついた。怪我の有無を手早く確認し、ひざのうえにうつぶせにさせると、その昔妹たちへしていたように、尻をひん剥いた。
「危険な術を一人で使ってはいけないと! 嘘をついてはいけないと! 何度も言ってある筈です!」
「いたいいたあい! ごめんなさああい!」
「あなたの名前は! かつてお仕えしていた! お嬢様から頂いたのです! まっすぐ育ってくれねば! 母の顔が立ちません!」
 百叩きの音は今日も天まで響き渡るのだった。

●神座早紀(ib6735)の報告
 巌坂、本院。呂は早紀から受け取った書類の束へ目を通している。自身が渡したモノクルに度が入っていると早紀は気づいた。
「神座家での黒蓮鬼寿命付与研究調査の報告書です。あまり進展がなくてすみません」
 呂はゆっくりと頭を振り、書類をかたわらのからくり、晴空へ預けた。
「いつもおつかれさま。やはり天儀からの情報確度は神座家が一番だね。ところで……」
 呂は早紀の後ろへ目をやった。
「そちらの方は?」
「婚約者です」
「違います!」
 椅子に座ったまま早紀は跳ね上がった。これだからついてくるなと言ったのに。
「さっき紹介したとおり、彼は一族の一人でこの件を担当しているんです。それだけです。それ以上でもそれ以下でもありません」
「そうなの? あまりそうには見えないけれど」
 からかい半分の呂の口調に、唇を尖らせたまま早紀は反論した。
「この人しつこく私に言いよってくるんです。何度右ストレート喰らわしても諦めないし。ゾンビですか! 結局ここまで着いて来るし」
 彼は眉を寄せ、早紀の手を取った。甘い声でささやく。
「僕は本気だ」
「しつこいっ!」
 反射的に打った右ストレートは、紙一重でかわされた。一刷毛、朱を置いたように早紀の頬が怒りに染まった。相手は胸を張って。
「もう見切りました」
 満面の笑みが目の前いっぱいに。早紀の頭へ血が昇る。
「せいっ!」
 ぱぐしゃ。
 直後、死角からのストレートが顔面に決まった。
「出てって、出てってー!」
 全身で叫ぶ早紀に、ほうほうの体で彼は逃げていったけれど、扉の向こうで様子を伺っているのがよくわかる。早紀は、はだけかけた襟を直した。
「……まったく油断も隙もない。呂さん、何笑ってるんです? 別にドキドキなんてしてませんから!」

●ある日の巌坂
 洗濯物が花園の上で翻っている。
 最後のシーツを洗い終えた嶽御前(ib7951)は、娘に呼ばれ振り向いた。
「母上、青海さんがお越しです」
 飛龍紋の派手なロングスカーフが目に入る。参の使いが来たようだ。嶽御前はエプロンで手を拭き、立ち上がった。今月の報告書を受け取り、嶽御前はざっと中身を見て確認のサインをする。
「呂さんのおかげで人口は増えてます。ええ、自重してほしい程に。行き倒れの方々を看病するのは毎回苦労します。慣れましたけど」
 言いながら病院を振り返る。
 一階の広間から、たどたどしい調べが届いている。夫の中書令が息子の指導も兼ねて退院の近い患者たちへ楽器を教えているのだ。ここ数年で病気や衰弱した人を歩けるまで快復させる為に必要な医療知識も技術も向上した。いつか必要になる日が来るだろうと、嶽御前は日々の記録を忘ずにいる。
「幸せかは見る位置と角度で変わる。本人が幸せならそれでいいと思います。私達が交わる期間は短い、けれど毎日が大切な記念日です。今日も記念日の一つです」
 二人の志を継ぐ娘は夏嶽、息子は尚書令。命名札を役所に出すとき、ひと悶着あったとかなかったとか。二人とも黒蓮鬼たちの不老不死を『治療する』次の担い手として育てている。
 草を踏む音が近づき、青海と入れ替わりに晴空がやってきた。
「お誘いに上がりました」
「食事会ですね。もうそんな時間でしたか、いつもありがとう」
 夏嶽がそわそわと病院を見やる。やがて解散の合図が聞こえ、しばらくして中書令(ib9408)が庭へ出てきた。笛を腰に差した尚書令が、晴空を見かけ顔を輝かせる。
「今日は食べ放題の日ですよ、父上」
「そうでしたね。いつものように夏嶽といっておいでなさい。父も後から行きます」
「はい、行って参ります」
 子ども達は声を合わせてお辞儀をした。尚書令は坂道を駆け下りていき、夏嶽は母の手提げを病院から持ってきた。早く参りましょうと視線が訴えている。二つ返事で答えた嶽御前は、ふと横からの気配に気づいた。青海がじっと顔をながめている。
「それにしてもお子さんも生まれたというのに二人とも変わりませんね」
「修羅は頑丈ですから」

 中書令は琵琶を携え、地下遺跡の集積塔へ足を運んだ。
 呂明結たちが彼の手を引き、場を整える。定位置に座ると黒い沼の奥から、塔の主、欧戚史が浮き上がってきた。
 ではいつものをと、中書令は巌坂の四季折々を言葉に乗せ歌いはじめた。美しい旋律が響き渡る。聞き惚れているのか、明結達は目を閉じ、欧はけだるげに眼を伏せている。最後の小節を終えると拍手が上がった。
 欧が卓に並んだ肴に口の端をあげる。
「今日は、子と出かける日ではなかったかな」
「ええ、予定が重なってしまいましたので、こちらを先にさせてもらうことにしました」
 中書令は返事もそこそこに帰り支度をする。
「この未来を予測していたか?」
 彼は首を振った。
「単に私は欲張りで諦めが大嫌いだっただけです。ただ信じてました。それでも誰かの未来を幸せにしたいと願う絆は確かに紡がれ繋がると」
 そして気づいた。待ち望んだ光景の中にいる事に。
 中書令は席を立った。
「ご存知でしょう。子どもはすぐに成長する、今は時間が惜しい。これが私達なりに考え辿り着いた『永遠』への寄り添い方であり、治療への道標です」
 中書令は肩越しに振り返り口を開いた。
「私達はこれからも幸せです」
「長く長く世話になるよ」
 欧は低く笑い、沼の底へ沈んでいった。

「ただいまー。お、やってるやってる」
「おかえり梨那、早かったでござるな」
「ばっかオメー、今日は緩和棟のガキどもの食事会だろ」
 金属板を裁断していたジミーが尻尾を振る。なるほどと合点がいき、霧雁は止めていた手をまた動かした。梨那がその後ろに立つ。
「肩こってるにぇ。進捗どう?」
「絶賛稼働中でござる」
「おりゃ、ここか。ここがいいにょか」
「おお、おおお……!」
 ツボを強めに指圧され霧雁は悲鳴とも愉悦ともつかない声を上げた。
 泰大学を卒業した彼は巌坂に移住し、細工物師として大通りで工房を開いた。彫金細工をベースにからくりやの駆鎧の仕掛けを模してメカジミーを商品化、新しい名物として売り出した。さらに改良を重ね、手を叩くと踊る、目が光る、口がカパッと開いてお茶を淹れるなど、あなどれない玩具に仕上げた。改良のたびに性能が変わることから熱心な好事家が増え、霧雁の工房自体が巌坂の名所になりつつある。美髯をたくわえた男がおもちゃを作っているのはなかなか愛嬌のある風景なせいか、近所の人からも親しまれ、よくさしいれをされる。
 梨那が郵便物を彼の机に置いた。
「ジルベリア帝国アカデミーから来てるにょ」
「学会の知らせでござろう。名誉会員として顔を出しに行かねば」
 のんきに手紙など読むなと相棒から一喝された。殺気が交じっている。ただいま工房は、相棒の妻の三毛猫又に子どもたちまで動員して突貫工事の真っ最中。
「それもこれも倭文さんが無茶な注文を取ってくるから」
「よお旦那。取立てに来たゼ。できてるカ?」
 ノックと同時に扉を開いた呂 倭文(ic0228)は工房をざっと見渡し、何かに納得したようにひとつうなずいた。
「じゃあ、夕方また来る」
 ぱたんと扉が閉まった。と、思ったらまた開く。
「武天の友友から、追加で今月末までにあと二百だってヨ」
 机の金属クズを掃い、霧雁は壁の暦を睨みつけた。
「梨那、これが終わったら神楽の別荘へバカンスに行くでござる!」
「はいはい、休みをねじこんでおくからにぇ。お茶いれてくる。あと片手でつまめるもの作ってくるにょ」
 頬へ軽く口付け、梨那は部屋を出て行った。
「拙者は、幸せ者にござる……」
「いいから手ぇ動かせ!」

 店番へ挨拶を済ませた倭文が外へ出ると、絣の着物を着たお子様たちがわちゃわちゃしていた。数は二十を優に越える。ケロリーナが長女と話し込んでいた。今年で八つになる長女は母に似て小柄だが、頭のほうはけっこうな大食らいで、図書室の本をとうに読みつくし本院の蔵書にまで手をつけている。ケロリーナは彼女がお気に入りで、たびたびジルベリアで流行りの小説をプレゼントしている。
 メカジミーをおんぶ紐で背負っているのが次女。こちらは6つになったばかりで読み書きとなると逃げ回るが、物怖じというものを知らず友達が多い。緩和棟での勉強の時間が終わると、尚書令と夏嶽を引き連れて日が暮れるまで遊んでいる。今も八歳になる月与の息子、実と一緒に木に登っていて、六歳の娘、穂香が心配そうに見上げていた。
 引率役を買って出た十野間 月与(ib0343)が幼児を抱いた明燕と立ち話をしている。まだ物心の付いていない長男は、ご機嫌すぎる様子。ともすれば妻の腕からこぼれ落ちそうだ。月与は明燕との話を続けながらも、目の端で自分の子の様子を確認していた。
「男の子はね、これからが大変だよ。うちも息子の世話は大変だもの」
「何をやりだすやら、目が離せませんね」
「一姫二太郎というけれど本当に男の子と女の子じゃまるっきり違うなって……」
 実家の若女将業を引き継いだ月与は、今では夫の両親が営むジルベリア風喫茶『メルベイユ』との二足のわらじ。開拓者の第一線からは退き、これまでの経験で培った知識と人脈をフルに活かし後方支援や復興活動などより福祉へ踏み込んだ人助けにあたっている。いきおい孤児や行き倒れへ支援を行う一蓮教とは接点ができる。食事会は貴重な情報交換の場でもあった。
 倭文はというと、巌坂を拠点に貿易業を続ける傍ら、信徒間の口入をしている。成人し緩和棟を卒業した子は、ほとんどが旅泰を目指すからだ。正式に貿易へ乗り出すためには、春王朝から発行される許可が必要になる。審査に通るまで、財を築き店を構えた各地の旅泰へ丁稚に入り、現場の雰囲気や礼儀作法を学ぶことも多い。そうなると問題になるのが信用という奴で、奉公人の適正はもちろん、行く先の旅泰の素性や店の趨勢も重要になってくる。幾人もの卒業を見送った倭文は、現在では子ども達の船出を助けるだけでなく、破産し許可を返上した元旅泰の駆け込み寺にもなっていた。
 年かさの子ども達が倭文に寄ってくる。
「父上、ご用事すんだアル?」
「まだあるか?」
「終わったとも、あれ頼む。……明燕」
 倭文は、振り向いた妻から息子を預かった。空いた腕の中へ、いたずらな目をした子ども達が隠していたそれをぽんと渡す。十一輪の真っ赤な薔薇の花束を。
「九十九本を店に部屋に持ち込めねェだろ? そろそろ魂結びから十年だし、指輪を太くするのとは別でナ」
 幸せか? そう彼は聞いた。耳まで真っ赤にした明燕が、こっくりうなずく。
「父上は?」
「おー。我は幸せダ、お前らに囲まれて」
 もうすぐ卒業するその子達の頭を抱き、倭文は困ったらいつでも帰って来いと告げた。……可愛い妻だの子だのとは、未だ言えない。いい歳をして躊躇うものかと思うが、やはり恥かしい。ただ、重ねてきた何気ない日々は、魂を結ったあの日の宣誓に違わないものだと胸を張れる。
「母上赤ーい」
「まっかー」
「……大人をからかうんじゃありません」
 片手で顔を隠し、明燕はふるふると頭を振った。
「じゃあみんな二列に並んで。手をつないで行きましょう」
 さっと隊列を組み、言われたとおりにする子ども達。予約で貸しきった店からは腹にこたえる香りが漂ってくる。彩りサラダに各種麺類、目玉は子豚の丸焼き。ケーキだって食べ放題。これでもかと言わんばかりに盛られた皿が一行を待っている。
 月与は通りすがる人の囁きを聞いた。あら教母さまのお子様達だわ。あの子達よく手をつないでいるからすぐわかるわ。そうね、いつもご夫妻がそうしていらっしゃるから。

●藺 弦(ib7734)とライラ(ic1280)の旅立ち
 ぱた、と表紙が閉じた。
 分厚い書物を読み終えた充実感に、弦は静かな高揚を感じていた。
 心の琴線に触れたのは、ライラを名乗る猫のアヌビスの話。皆が自分らしく生きられるようにと、世界中、特にアル=カマル各地を相棒達とくまなく巡り、奴隷解放と難民の就労支援に力を注ぎ続けているのだそうだ。
(「それに比べて私は」)
 家を飛び出してから十数年。世界を知る為に開拓者になったというのに……未だに、足を運んだことの無い世界が沢山ある……。
 ふと気づけば今では楽師が本業、副業が開拓者…な状態。楽師としての仕事はやりがいがあるし、お客様から浴びる拍手は何にも代えがたい。自然と本来の志よりも音楽を優先するようになり、傍ら、手が空いた時にちょっとした依頼を受けたりしていた。
 弦は窓に顔を向けた。
 鮮やかな緑が窓枠を縁取っている。四角く切り取られた小さな額縁の中だけでも、様々な生命が繁茂し喜びを歌っている。
 私が聞きたい音、は。
 弦はまぶたを閉ざした。望まれ、響きあう音だけでなく、自分のうちから沸き起こるような芳醇な音楽だったはず。机に伏せ、心の耳をそばだて暗闇を探ってみる。だけども感覚がぼやけてしまったのか、幼い頃から慣れ親しんできたはずの甘い調べはどこにもない。
(「……このままでは、だめね……。何のために家を出たのか、わからないわ……。もっと、世界をこの目で見て回らなくては。私もこういった冒険を重ねたい」)
 堪能したばかりの『舵天照』を閉じ、鞄の中へ入れる。それを肩にかけ、弦は靴紐を結んだ。
「早速、開拓者ギルドに行かなくては、ね」
 なじみのお団子屋さんに手を振り、弦はギルドへの道を歩いた。行列をくぐりぬけ、依頼がずらりと貼られた掲示板の前に立つ。周りには自分と同じように品定めをしている開拓者の姿があった。弦はそのなかの一人に目を惹かれた。紫がかった銀の毛並みのアヌビスだ。全身に刺青が入っている。弦の胸が早鐘を打ち始めた。
「あの……」
 勇気を出して声をかけてみると、ライラその人だった。
「……私は、あなたの志に打たれてもう一度ここへ来たの」
「そう」
 ライラはため息のように返事をした。
「私の証言が誰かの背中を押すとは、うれしいことね」
 本当はね、私。そうライラは、はにかむような笑みを見せた。
「天儀へは逃げ出すように来たから……後悔しきりだったの。仲間を置いてきてしまった事は特に。やりたいことがない中、開拓者になって、あちこち飛び回って色々見て体験して」
 言葉を切ったライラは猫目をくるりと回した。
「で、やっぱりあたしにはこれしかないって感じた。奴隷側だけじゃなくて、した側も、両方救えたらと思った。奴隷を持たなくては生きられない理由があると思ったから。ねえ、幸せって、どんな状態を言うんだと思う? 『自分のしたいことを、したい時に、思った通り出来る』事だと思うのよね」
 壁の依頼書を手に取り、ライラは快活な笑みを浮かべる。
「あたしは戦い続けるわよ?」
 弦が静かにうなずき、同じ依頼書へ手を伸ばす。
「あなたと共にいけば、知らない世界へ、たどりつくことができそう。美しいものばかりではないかもしれないけれど、それも含めて、そして、新しい楽曲を、今度こそ……生み出してみせましょう」