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■オープニング本文 ●魂結びの儀式 ハイビスカスが風に揺れている。 その、華やかな赤よ。歌いさざめくような黄の花弁よ。青空へ染みとおるような白さよ。 太陽の恵みが濃い緑へ蜜のように垂れ落ち、涼しい風がぬぐっていく。 時折耳朶を掠めるのは鳥の声、蜂の羽音。肥沃な土の香が漂う花畑の、丘の上まで一筋、くっきりと白い道が通っている。 その道を、車輪を鳴らして花車が登っていく。 暗闇で、花嫁はじっとその時を待っていた。髪に刺した花飾りが揺れでずれていないか気になったけれど、まぶしい光の中から花婿が手を差し伸べた瞬間杞憂に消えた。 車から祭壇までの数歩、花嫁に触れていいのは花婿だけ。 祭壇までの道は途切れ翡翠のタイルが飛び石状に並んでいる。 花婿が花嫁を抱き上げ、踏み外さないよう気をつけながら飛び石を渡る。 花冠に埋もれた祭壇で戚夫人が待っていた。 戚夫人に促され、二人はまず丘のはるか向こう、朱春へ向かい一礼した。 「艱難辛苦を乗り越え、よくぞここまで参られた。そなたらは互いに自身を捧げ、守り、支え、敬い、変わることなく愛すると誓うか」 誓います。二人の声が重なる。 教母の差し出す花束から花を抜き取り、二人は互いの薬指に巻きつけた。 「禍福はあざなえる縄の如し。吉日には互いの指輪を編み足し、絆を太く確かなものにしていくがいい。いつかその指輪は二人の歴史の証人になるだろう」 もう一度朱春へ向かい礼をする。 そして二人は口付けを……。 === 「っていうのが」「お父さんと」「結婚した時の!」「あの時のお父さんったら」「今でも夢に見るわ」 「うん、落ち着こう? お母さん達」 現実とは、紙切れ一枚である。 執務室の呂は神官服のまま、必要事項を記入し終えると印を押した。それから隣の肉厚な角印へ顔を向ける。 「自分で書いた書類に自分で決裁印を押すって微妙な気分」 「だって今じゃ明ちゃんが戚夫人だにょ。一蓮教教母で巌坂領主だにょ」 開け放した窓から日差しが差し込んでいる。お昼休みと書かれた札が扉からぶら下がっていた。 「保証人は梨ちゃんにお願いしたかったな」 「ムリムリィ、私アヤカシだから戸籍上死んでるにょ、子供も作れないし」 軽口をたたいた参は、披露宴のパンフレットの読み比べに戻った。 太平の世が続く泰国は天儀よりも官僚的な功罪を重んじる。実年齢三桁が戸籍にごろごろ乗っていたら監査が入るだろう。よって巌坂は公然の秘密として黒蓮鬼専用の戸籍を有している。表での彼女の活動は東房での戦死で締めくくられ、以降は鬼籍に記されている。 鐘楼の鐘が鳴った。本院が静かなざわめきに包まれる。呂は札をはずすと席へ戻り、自分の婚姻届にしっかりと受理印を押した。あの人と自分の名前『呂明燕』が並んでいる。じわじわと実感が湧きあがってきた。 (「……結婚したんだぁ」) 「明ちゃん、超にやけてるーぅ」 「えー、だってだって、だってー!」 「婚姻届くしゃくしゃになるにょ」 その日の午後。役所の隅で年老いた書記官が書類審査をしていた。 受理した書類の確認。定年の近い彼はこの仕事が嫌いではなかった。婚姻届からにじむ本人たちの笑顔が単調な仕事に潤いをもたらしてくれる。いつもの調子で機械的に指差し確認していた彼は、ふと違和感を覚え手を止めた。 教母の婚姻届だ。 彼は頭をひねった。先代戚夫人の魂結びの儀式はそれはそれは盛大に行われたものだ。彼は隣の仕事仲間へ苦笑交じりに言った。ひどいじゃないか、宴があるとは聞いていないよ。私に蜂蜜酒を飲ませないつもりだな。 相手は怪訝そうな顔をする。不思議に思った彼は証拠を見せびらかす。目をむいた仲間が神殿まで走っていく。会議室へ集った一蓮教の重鎮が、婚姻届を囲んで渋面を作るのはそれから数分後のことであった。 「魂結びの儀式はしないにょ?」 「やるよ。当日の人と合同で、集まってくれたお友達だけでこじんまり。梨ちゃんこそ式を挙げたいって、どういう風の吹き回し?」 「アイツが鬼籍に入るまで待ってる時間が惜しいし、形だけでもにぇ」 「わあ梨ちゃん乙女」 「てか明ちゃんがドライってかずれてるっつか」 カラスが鳴く中、重鎮達はもれ聞こえてくる声に聞き耳を立てていた。 「てか明ちゃんが式やるときは、誰が司祭をやるわけ?」 「協力してくれた開拓者にお願いしたいなって。居なければ神官長だね」 「教団のゆるゆるぶりすごくね? アシストありなにょ?」 「掛け持ちも認めてるよ。天帝さまが喜ぶ善い世の中が一蓮教の表の使命だもの。春のお庭は何者をも受け入れるんだ。教典千百二十一ページ第三節、ある者に二人の……」 「はいはい」 ノックが響き、二人はおしゃべりをやめた。白い髯をたくわえた神官長がおそれながらと切り出す。 「戚夫人、襲名は通知で済ませましたが、本来なら二十七代目の威信をかけた式典を行うものでございます」 神官長は旧来どおりの式典の重要性をとうとうと述べた。去年の暮れから巌坂の人と物と金は、地下遺跡の開発に注がれている。だが一山越して神官達も周りを見渡す余裕が出てきた。 となると、今度は外のこと、表の話。先代の戚夫人は苛烈ではあったが天賦の才高く、末端の信徒からも強く頼みにされていた。しかして新しい教母は、評判はすこぶる高いが表での功績がないに等しく鼎の軽重が問われている。 「清貧を重んじるにもいささか度が過ぎているのでは」 呂は言葉に詰まった。 重んじたことは、実は、ない。貧乏暮らしが板につきすぎてしまっているだけで。 戚夫人を襲名してから呂の生活は大きく変わったが、暮らしぶりは大して変化がない。公邸の立派な調度品は元から置いてあったもので、出張へ行けば野宿になるのは相変わらず。休日は緩和棟の子供達をつれて遠足に出ている。なので教母と聞いて信徒が思い浮かべるようなキラキラした神秘的な雰囲気からは縁遠くなるのだ。 もっとも借財にわずらわされることがなくなった分、生活に余裕ができた、と本人は思っている。 「いくら公費で落とせるといっても、一般的な結婚式の枠を出ない式にしたいのだけれど」 「戚夫人のご意向へそぐわぬやもしれません。しかし伝統には敬意を示していただきたい」 「例えば?」 「まず港から大通りまでパレード」 「やめて」 「街路樹はすべて『戚夫人万歳』と書いた横断幕で飾り、教団から各家庭へ振る舞い酒、本院の宴会場には山海の美食を天井まで積み上げ」 「みんな落ち着こう? 人をだしにするのはやめよう?」 地下、集積塔の欧の前で、呂は深いため息をついた。 「というわけでパレードやらはやめさせたのですけど、町をあげての大宴会になっちゃいました。先代、ひとつビシッと言ってやってください」 「戚史、いや戚夫人よ。私はアヤカシだ。表へ意見はせぬ。それにな……」 欧は悟りきったまなざしを呂へ投げかけた。 「私の結婚式は、もっとひどかったぞ」 |
■参加者一覧
六条 雪巳(ia0179)
20歳・男・巫
ケロリーナ(ib2037)
15歳・女・巫
神座亜紀(ib6736)
12歳・女・魔
霧雁(ib6739)
30歳・男・シ
中書令(ib9408)
20歳・男・吟
呂 倭文(ic0228)
20歳・男・泰 |
■リプレイ本文 ●その日 抜けるような空の下、よく似た少女たちが花畑を駆け抜けていく。 「欧さん見えてる?」「聞こえてる?」 巌坂地下遺跡、集積塔。 巨大なモニターを見上げ、欧はひとりごちた。 「感度良好だ」 「何よりです」 中書令(ib9408)は水際の卓へ酒肴を並べ、お先に失礼と頭を下げた。 中庭へ舞い降りた龍の背から、白 倭文(ic0228)が飛び降り、よろめいて立ち木にすがった。上級からくりの雪蓮が主人を支える。 「衣装の到着ね!」 「婚礼装束男女三揃、お届けダ。一家総出で徹夜して布から織ったゼ。今後とも白家をごひいきに……」 二階の窓が開き十野間 月与(ib0343)が顔を出す。玄関からは明王院 未楡(ib0349)が静かに姿を現した。 「待っていたわ。着付けに入るわよ」 「明燕は?」 「仕事ですって。ところで殿方の着付けをお願いするわ。既婚が私だけで手が足らないの」 「……やらせていただきマス」 「母さん、倭文さんに死相が出てる!」 ● 六条 雪巳(ia0179)は花車の到着を待ち焦がれていた。 花冠で埋もれた祭壇も、仕上がりつつある宴も眼中にない。悠然と構えているが霧雁(ib6739)も似たようなものだ。祭壇の傍らで、倭文も落ちつかなげにしている。 司会席で青いドレスの神座亜紀(ib6736)は時計をのぞいた。今日の相方になるケロリーナ(ib2037)の姿がない。 「何かあったのかな。どう思う、エル?」 提灯南瓜へ声をかけたその時、姉の神座真紀(ib6579)が亜紀を手招きした。からくりのコレットが隣に立っている。 「伝言やで。先に進めていて、て」 やがて花霞から、祭りの行列が現れた。花車の櫓から花鞠と繭玉をつづった玉飾りが伸びている。中書令の琵琶の音が風に乗り、道端から草花が伸び、木々が花を咲かせる。先頭で露払いの神楽舞を奉じているのは神座早紀(ib6735)だ。 胸元の拡声宝珠を活性化し、亜紀が声を上げる。 「花嫁さんのご到着だよ。繭玉は巌坂町内会作成。花鞠は緩和棟の子達の手作り。今日の司祭は中書令さん、司会はボクこと神座亜紀がお送りするよ!」 丘が万雷の拍手に包まれた。 南国のまぶしい日差しは、戸板一枚隔てれば濃密な暗闇に変わる。 花車の中、セリ(ic0844)は玉座に座っていた。帯が潰れないよう浅く腰掛け、ごとごと右へ左へ揺られている。司会の声が聞こえ、拍手が沸き起こるのを感じ、彼女は隣の梨那と忍び笑いを漏らした。 (「早く会いたい」) 泰の衣装を着た自分は、彼の目にどう映るだろう。弾む気持ちをセリは押さえている。 礼拝堂の隅で母と子が話していた。 「ねえ明燕、もしかしてあなた、私をかわいそうとでも思っているのかしら」 ケロリーナは愛用の杖を握ったまま壁際で黙っている。 「失礼しちゃうわ、見ての通り私は好き勝手しているの。だからあなたも好きにやりなさい。じゃあ、お先に。ウェディングケーキが楽しみなのよね」 呂明結はあわただしく部屋を出て行った。 分厚い御簾をたくしあげ花嫁を目の当たりにした雪巳は息を止めた。初めて庭へ降りた子どもに似て、くりかえしまばたきをする。瞳に理性が戻りゆくと、頬もしだいに赤らんできた。 「とても、綺麗です」 平凡極まりない一言にどれだけの想いが託されているのだろう。太陽の下へ現れたセリは、雪巳が気後れするほどまぶしかった。 やわらかそうな青の薄絹を幾重にも重ねた末広がりの衣。富貴を示す牡丹の刺繍が星座のように散っている。胸元へは深い群青が配され、蓮の花に包まれた双銭図が入っていた。左側にだけ結い上げたふわふわのシニヨンは、ケロリーナが苦心を凝らした生花のコサージュ。藤の花に交じり、思いの簪と水晶のダイスチャームが揺れている。 「本日一組目のカップルは六条雪巳さんとセリさんだよ」 すっかり見とれていた雪巳は亜紀の声で我に返った。 「おふたりとも伝統的な泰服だよ。セリさんは舞衣だね。蓮の双銭図は生産発展とう意味だよ。 花婿さんは文官風だよ。長袍は玉地天鷲絨菊紋、独特の光沢が目をひくね。白いベルベットに銀糸で高潔を示す菊の意匠が縫いこんであるよ。帯との合わせは、雪巳の名前どおり冬の空色と宵の紫を。裳にある蓮の花の中の太極図は、天地陰陽を示すものだよ」 自分へ差し伸べられた、男性にしてはほっそりした両手に、セリはいたずらっぽく小首をかしげた。駿龍フクロウの背から人妖の火ノ佳も心配げに眺めている。 「大丈夫?」 「頑張ります。私も志体持ちですし、ええ」 「信じてる」 花開くように笑いながらセリがその腕へ飛び込む。雪巳はふわりと妻を抱き上げ飛び石を歩く。 (「隣にいてくださるなら、形式にはこだわらないつもりだったのですけれど……」) 彼女の存在に喜びがふつふつとわきあがる。ここに、居る。この腕の中に、愛しい人が。祭壇へたどりつき、二人はまず朱春へ一礼した。中書令が誓句を述べる。 「艱難辛苦を乗り越え、よくぞここまでいらっしゃいました。あなた方は互いに自身を捧げ、守り、支え、敬い、変わることなく愛すると誓いますか」 「誓います」 二人は迷わず答えた。差し出された花束からお互いの花を引き抜く。 「今こうして、貴女の隣に居る事ができて……本当に良かった。晴れの日も、雨の日も。末永く、傍に。……愛しています」 「いつもどこでも、雪巳と一緒よ。どんな空の下でも、雪巳が私を輝かせてくれるように、私も雪巳を照らしたい。……愛しているわ」 二人の薬指で白い花が揺れた。 もう一度礼をし、二人は一歩近づいた。ぼやけるほどの至近距離で見つめあう。真紀の相棒、翼妖精の春音が身を隠したまま二人の上を飛び回る。幸運の粒子がこぼれ、二人へ降り注いだ。唇を重ねる、とろけそうに熱い感触が二人の胸を焼いた。 幼馴染の物言いたげな視線を受け、梨那は頭をかいた。 「そもそもあの蟹が余計なことしなけりゃ、私は東房でおしまいで霧雁っちとも出会えなかったから……鬼でいるのは不便だけど、そう悪くもない、でも」 梨那の真剣な眼差しが明燕に向けられた。 「明ちゃんが自分の黒蓮をほったらかしにしてるのはどうして?」 「オカンと梨ちゃんといっしょに居たい。それが私の願い」 「もっと大事な人ができたじゃん? ソイツへは翡翠丹を渡さなかったよにぇ、本音は?」 「遠出を、した時に」 明燕はつっかえながら続けた。……何かあると困るから。梨那は呆れて物も言えない風だった。 「もう知ーらない。お先に!」 参梨那は鼻歌を歌いながら出て行った。 来賓席の相棒たちは、主人をつまみに観戦ムード。まさかうちの主人がご厄介になるとは、末永くよろしくなどとやりあっている。そんな中、霧雁の相棒は男泣きに泣いていた。 「泣くでない、おのこじゃろ」 「父親の気分だよ俺は」 ジルベリア風スーツの袖が汚れるのもかまわず目元を拭う。火ノ佳にハンカチを渡され、ジミーはちんと音を立てて鼻をかんだ。 「何だよあの幸せそうな顔は。よかったなぁ! おめでとうっ!」 梨那を軽々と抱きかかえる霧雁からは、愛する人と結ばれる喜びがにじみでていた。 亜紀が会場を見渡す。 「二組目は霧雁さんと参梨那さん。この中には梨那さんに書類を付き返された人も多いんじゃないかな」 観客の間から明るい笑い声が立った。 「衣装はモダンな長袍とアオザイの組み合わせだね。花婿さんは濃紺地如意吉祥雲紋。地にはびっしりと幸運の雲を、首周りや袖口には万物が思うが侭に成る如意柄を配してあるよ。金糸で縁取ってあるのは、蓮の花の冏形図。五湖四海を示すとおり、前後合わせて九つ。 花嫁は紅アオザイへ黒のクワン。本人の希望で桃水晶の花とサンマの銀細工だよ。アオザイに散らしてあるのは同じく蓮に包まれた定勝図、経済繁栄の図だね」 台本を読み終え、亜紀は将来へ思いを馳せた。 (「いつかボクが結婚するとしたら、一体どんな人とだろう? 銀縁眼鏡でインテリぽい、そこはかとなく陰険そうな人が好みなんだけど、そんな人みつかるかなぁ」) 行くところへ行けば佃煮にするほどいそうな気もするわとエルは呟いた。 飛び石を難なく渡ると、霧雁は梨那を下ろした。かしこまった表情で朱春へ一礼する。 「……変わることなく愛すると誓いますか」 「誓います」 宣誓に梨那の声が重なる。霧雁の胸に、暖かな気落ちがあふれた。自分の髪と同じ色の花を取り、妻の薬指へ巻きつける。 「二人で作ったウェディングケーキも、皆さんに喜んでもらえるといいでござるな」 「もちろん。てか今日の目玉でしょ、手作り三段ケーキ」 梨那もまた、彼女の瞳と同じ色の花を霧雁へ巻きつける。一礼を済ませ、霧雁は梨那を抱きしめた。細い肢体は、抱きしめてみれば存外に柔らかい。ついばむように接吻を交わす。拍手の中、銀細工がちりりと鳴るのを耳にし、この日をいつまでも忘れないだろうと二人は感じていた。 一人残った呂明燕は、ケロリーナの前に立った。 「呂おねえさまはどうしたいですの?」 「私ね、倭文さんと同じ時を歩みたい。どうか私の黒蓮花を浄化してください」 「人間に戻るですのね」 ケロリーナがうなずき、真言を唱える。杖が空を裂き、カエルのスタンプが明燕を吹き飛ばした。 「呂おねえさま〜」 壁に叩きつけられた彼女を抱き起こし、ケロリーナは笑いかける。 「ご結婚おめでとうですの〜、これから、いっぱい、幸せになってですの〜」 「勘弁してくレ……」 御簾をめくった倭文はしゃがみこんだ。花嫁の姿が見当たらないのだ。 その新緑の長袍には、蓮花にくるまれた絹糸二束図が縫い取られている。翡翠の簪で色違いの銀髪を結い、交差するよう腰に履いた双剣には一蓮教の花飾りと鈴が三つ。ひとつだけ傷の多いそれが倭文の動きに合わせてちりんと笑う。 「花嫁さんどうしましたですぅ?」 「……探します」 春音とエルを灯り代わりに、人妖の鈴が車へ乗り込む。異変に気づいた周囲がざわめきだす。 「気にすんなよ。嫁に逃げられたくらいで」 「月詠! それは言っちゃダメでしょう!? 呂さんが敵前逃亡する可能性はゼロではありませんけれど!」 「フォローになってへんで早紀」 追い討ちをかけられた倭文の背に雪蓮が手を置く。 「主様、大丈夫です。ほら……」 雪蓮が微笑み、空を見上げた。 「お越しですよ」 風を切って、駿龍が飛んでくる。肩の荷でも下りたか、未楡が吐息をこぼす。 「こんなこともあろうかと斬閃を待機させていてよかったわ」 「明燕さんったら、化粧が落ちちゃってるじゃない。私がんばったのに」 月与が肩をすくめ、まあいいかと頬を緩めた。手綱を握ったケロリーナが手を振っている。 「白おにぃさま〜。けろりーな、おなかペコペコですの〜!」 後ろに居るのは花嫁だ。長い髪をゆるく三つ編みにしている。風をはらんだ長袍で孔雀の刺繍が鮮やかに尾を揺らしていた。亜紀が胸をなでおろす。 「三組目は、呂倭文さんと明燕さんだよ。えっと、花嫁は……」 「新緑地孔雀紋。別名、百眼鬼紋。転じて寝ずの守護神。魔を退け、幸運をもたらす」 独り言のように答えながら倭文が腕を広げた。頭上を龍が通り過ぎ、飛び降りた花嫁を受け止める。 「遅れてごめんね」 涙で汚れた顔が、なんだかおかしくて笑いがこみ上げてきた。 「何があった。言えない? 言いたくない? 両方?」 「……」 「ダンマリか。しかたねェ、惚れた弱みダ。素直に謝ったからよしとする。それとな、野宿は止めろ、無理なら我を連れて行け。妻を野で寝かせて平気な奴がいるかよ。ましてオマエは、危なっかしくて堪らねェだろ……どうした?」 明燕はぽかんとしていた。そっか、一緒に行けばいいんだ。唇がそう動いた。 「とってもとっても悩んでいたんだ、独りで、バカみたいだ」 ゆるゆると顔を輝かせ、明燕は倭文にすがった。 「小倭が傍に居てくれてるのに」 「もう一度言う。我はお前を幸せにする」 花嫁へ言い聞かせながら彼は飛び石を渡る。 「艱難辛苦も共にするんだ、泣いてもへこたれても構わねェさ。疲れたら休みに来たら良いし、厄介事には走っていく。言い合いもあるだろうが、箸が転がったと笑い合えたら幸福だ」 祭壇の前に立ち、二人は礼をした。誓いを唱和し、花を手に取る。 「お前が耐えてきた艱難辛苦ごと、幸せだと笑える日々を捧ぐ。あ、……あー…」 咳払い。 「愛してる、明燕」 みずみずしい黄色を薬指に巻くと、明燕が答えた。 「私も愛してる、倭文。これからは酸いも甘いもあなたと分かち合っていく」 同じ色が夫の手に。そろいの指輪をした二人は朱春へ向かい深く頭を下げた。顔をあげて寄り添い、口づけようとした、が。 「じ〜……」 司会席から、ケロリーナが緑の瞳をまあるくして二人を見つめていた。手元にはスケッチブック、記念にとおえかきしているようだ。急に周りの視線が気になった。 「まだー?」 「おなかすいたー」 「いいにおいー」 緩和棟の子ども達が退屈に足をぶらぶらさせだした。 「あら、かわいいこと」 「こっちが赤くなりそうなセリフ言ってたのにね」 未楡と月与が笑いをこらえている。 「最初にセリさんとお会いしたのも呂さんの依頼でしたっけ。こんなに長いお付き合いになるとは、ご縁とは不思議なものです、本当に」 「この顔ぶれで祝い合えることが嬉しくてたまらないわね」 しみじみしている雪巳とセリ。 「ラッキー、末代まで語れるネタゲット」 「酒の二〜三杯はおごってほしいところでござるな」 不穏なやりとりをしている霧雁と梨那。 「そろそろ宴会開始だよね。お色直しもあるんだけどなあ。真紀ちゃん準備どう?」 「鯛の姿煮も青竹鍋もええ具合やで。にしても……あたしも早くええ人見つけんとな」 「え!? ままままだ見つかってない、という意味ですよね、今の?」 頬杖を付いている亜紀に、手毬寿司を並べる真紀。彼女の何気ない一言に、お盆を取り落とす早紀。 中書令のつめたーい視線を感じ、倭文は腹をくくった。唇を触れ合わせると、葛藤はするりと消えた。そのまま強く抱きしめる。 やがて。 「おなかすいたー」 「まだー?」 既視感を覚え、倭文の意識は、恍惚から一気に現実へ引き戻された。花嫁は腰砕けになっている。ケロリーナが感心しきって手を叩いた。 「三枚描けましたの」 会場が笑いの渦に包まれた。頃合を見計らい、中書令が片手をあげ場を制する。 「私から補足を一つ。明燕さんの裾にある角杯図は民富国強を表します。本日、生涯を誓った六名、六つの蓮花図を並べると太平世界を意味する図になります。それでは皆さん、幾久しく健やかにお過ごしください」 「魂結びの儀式はおしまいですの〜」 「最後にもう一度拍手を!」 司会の少女たちが音頭をとり、盛大な拍手と祝福が六人へ贈られた。 未楡に行く末をたずねられた雪巳は頬を染めたまま答えた。 「今後は、まずはお約束の心太を食べに行って……それから、見聞を広めに世界を回ろうかと。少しずつ変わっていく世界を、自身の目で確かめに行くのも楽しいかと思いまして」 くすりと笑みをこぼす。 「隣にセリさんがいてくだされば、きっと退屈しませんから」 楽しげにセリもうなずくそこへ、ケロリーナが駆けて来た。 「雪おにぃさま、セリおねえさま、はやくはやく、こっちですの」 彼女に手を引っ張られた、その先には豪奢な花車が。 「もう一度乗るの? 今度は中じゃなくて外?」 「ですの。ケロリーナが出会いを紙芝居にしたですの。おにぃさまとおねえさまのとなりで上演ですの」 「いつのまに?」 「コレットちゃんと徹夜してしあげましたの〜」 「馴れ初めから結婚への道程か。からくりには縁のないことだがよいものだな」 セリは花車を見上げ、顔を真っ赤にした。儀式の手引きをたどり雪巳が口を開く。 「予定は全うしましたよね?」 「儀式は、ですね」 振り向くと分厚い教典を小脇に抱えた中書令の姿がある。 「この度はおめでとうございます。本日はお日柄もよくご愁傷様。呂さんの道連れもとい『平等に』祭り上げられてください」 「いやー、めでたい! 誠にめでたいでござるな!」 霧雁が割ってはいる。 「立派な山車ではござらぬか。行きだけではもったいない。ぜひ、ぱれーどをやって盛大に祝うべきでござるよ!」 「巌坂の人にとっても大事な日だしね、ここはやっぱり派手に行こう! ムザィヤフで飾りつければお金もかからないから呂さんも文句は言わなかったよ。ボクにはまだ先の事だけどしっかりお勉強させてもらうね」 亜紀が手帳を開くと、そこには『ウェディングプラン改造計画』と大書してあった。 「拙者は扇子を持って踊り、盛り上げるでござる!」 「おまえも花婿だろ。騒ぐのはいいが、間違っても嫁さんに恥かかすなよ?」 ジミーに脇腹をどつかれ、霧雁は車の手すりに座っている梨那に気づいた。ちゃっかりお色直しを済ませ、ジルベリア風のロングドレスだ。ちかちか蛍光色に光るかわいらしい柄はエルの仕業らしい。 「あいらぶゆうでござるううう!」 叫びながら梨那の元へ飛んでいく霧雁。 「浮かれてんな……いや、照れ隠しか。まったく、よくあれでシノビやってられるよな……ン千年後も同じこと言ってそうだぜ」 あいつと組み始めた頃も、よくこんなふうに考えてたもんだ……と懐古の情にひたるジミー。雪巳とセリは少女漫画風の力作紙芝居を前に口をパクパクさせている。その手を亜紀がつかんだ。 「さあさあ雪巳さん乗って乗って、セリさんも」 心の準備も出来ないまま櫓へ押し上げられ、雪巳は中書令を振り返った。 「助けてください!」 「努力はしました。諦めて祭り上げられてください」 ● 深夜を過ぎたというのに宴はまだ覚めやらず、巌坂はシャンデリアのように輝いている。片隅で、ブーケを抱いた早紀が悩ましげにまぶたを閉じた。 賑わいのさなか、中書令は明燕と梨那へ小袋を渡した。 「からくりの鍵です。永遠に添うにも、人助けも私人の時間を作るのにも、人手は必要でしょうから」 「ありがとう中書令さん、今日の記念に『晴空』と名づけるね」 「私は『青海』かな。大事にするにょ」 晴空は教母の善き友に、青海は有能な書記官になるだろう。見送る中書令の背に、妻が寄り添った。 霧雁は梨那へ小箱を手渡した。中から現れたのは大粒の宝石を頂く銀の指輪。 「金剛石をカットするのは大変だったでござる」 「アンタってとことん器用にぇ」 目を見開いた梨那はそれを花の指輪に添えた。 「幸せにするでござる……」 「してくれなきゃ困るんですけど?」 素直でない口ぶりの梨那の目元には涙が滲んでいた。 真っ白な広い寝台へ雪巳とセリは身を投げ出した。横たわり手をつないでいると、抜けた魂がようやく戻ってくる。 「結婚式って大変だわ」 「頭がガンガンします……」 どちらからともなく視線を合わせる。 「やっと二人きりね雪巳」 「ええ、セリさ……セリ」 妻が夫の胸に頬をすりよせる。 「もっと呼んで」 「……セリ」 「もっと」 「セリ」 くすぐったげに笑うセリを胸に抱き、雪巳はぬくもりをかみ締めた。 扉を開いた倭文が立ち止まった。 「さっそく剛速球だナ。お前も手加減頼むゼ」 花嫁衣裳の明燕が寝台へ腰掛けていた。輝石の指輪に宝珠の首飾りもしている。 「だって小倭が縫ってくれた衣裳だよ。今日だけで終わるのは勿体ないって月与さんに言ったら、もう一度着付けてくれたんだ」 「社交用に仕立て直してやるよ。ジルベリアのドレスはもう持ってるだろ?」 倭文は小さな体を転がし、耳たぶを甘噛した。 「脱がし方も知ってるんだぜ我は」 「酔ってる?」 「酔ってねェよ、眠いけどナ。なあ、子は何人ほしい?」 「うん、あのね」 うなずき、返事を待つ。 「あのね……」 胸の膨らみに頭を預け、もじもじしている妻の返事を辛抱強く待つ。そして彼女はにっこりと。 「十人はほしいな!」 「……おう」 |