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■オープニング本文 ●いまの話 ついに開拓者は、遺棄された国、冥越の魔を殲滅した。 天儀のすべて、嵐の壁にくるまれた天空の浮遊大陸から、人類はアヤカシを追い出しつつある。 遺跡船『八咫烏』へ入り込んだ於裂狐を退け、巨大蟻の女王『山喰』の巣穴は炎に飲まれ、今はもう言の葉にも上らない大アヤカシは消失した。 餌としてなぶられ慰み者にされてきた冥越の民の喜びはひとしおだろう。家族を奪われ、流れ流れて開拓者となった者も居るかもしれない。故郷はいずこにあるか。いまだ、遠くにありて思うものか。 その天儀を、再び瘴気の渦に巻き込もうとする者らが居る。 各地で暗躍し、冥越の大アヤカシらと共謀した彼らは、旧世界からの来訪者であった。 瘴気に適応し、アヤカシと同じ存在に堕した彼らは、自らを護大派と称した。 ギルドは彼らを古代人と呼び、ある者はこう評した。 「ヒトをやめてるね」 ●どこかの話 冥越 古代人たち 「真理は我らと共にある。いま護大は眠りより覚める。滅びと再生の神は来たれり」 車座の中央で、ねじれた二本の角を持つ男が、背を曲げたままうろうろ歩き回っている。瘴気の明かりが彼の影を幾重にも重ね、壁にまで延べていた。男の内なる激情を写すように、影は踊りくるっている。 両手で顔を覆い、悲嘆にくれるようなそぶりをすると、その男、最長老は符を炎へ投げ入れた。符に書かれた狗奴禍の文字が黒い炎にあぶられ灰と化す。 「殉教者よ、安らかに眠れ。護大の聖骸を守らんとし志半ばに刀折れ矢尽きるも、その猛威は野蛮で無知蒙昧な劣等種どもに深く刻み込まれたであろう。偉大なる勇者よ、護大の愛の体現者よ。安らかに眠れ!」 車座で彼を囲む人影もまた唱和する。安らかに眠れ、安らかに。最長老はくるりと振り返り、輪を見渡した。 「気の遠くなる冬の時代と、数々の犠牲を経て、我々はついに約束の時に見えることができた。唯一の善、全きの純、護大復活の日は来たれり。すべては無に帰り、無に包まれる。全生命は生きる苦しみから解放され無の境地へ飛翔する……」 最長老の声は、しだいに熱を帯びていく。車座もその熱に浮かされ復唱する。無の境地へ、無の境地へ。狂信の輪に集う彼らの胸元には、どろりと光る宝玉が埋め込まれている。 「だがしかし、天儀の野蛮人には理解できない。護大の愛が、我らの善意が。なればこそ汝ら……」 静かに語っていた最長老が、拳を突き上げた。 「一人一殺!」 人々も拳を突き上げ、叫ぶ。一殺! 一殺! 壁の影がいびつに揺れ、狐の姿に変じ狂態を繰り広げる。 「聖なるかな、炎を宿す者よ! 例え肉体は野蛮人に踏みにじられようと、案ずるな! 汝らの誇りは、気高き信念は、浄化の炎が守る! 贄を捧げよ。劣等種の頭、武帝の首級をとれ! 護大の愛の前には、個々の命など夢の浮橋。瘴気に祝福された汝らもまた、護大復活の極上の生贄となろう。その胸の宝玉は危機に瀕した汝らを安らぎの炎で包み、そして劣等種どもへは毒霧の苦しみを与える。 いとしき弟妹よ、贄を捧げよ。敵は敵、敵の敵もまた敵、いつわりの和議を異教徒の屍骸で埋め尽くさん。我らこそ護大を識る者。護大の愛を理解せし者。滅びの体現者である……」 最長老の目には狂信の光がある。 和議など武帝をおびき出す餌に過ぎなかったのだ。 ●折衝 護大派との会談は、十々戸里にて執り行われることとなった。 これは、まずは予備交渉である。 和平を締結する上での護大派の条件は、天儀が護大と瘴気を受け容れること――無論、呑める条件ではないが、この交渉はまず第一歩であり、交渉とはお互いに食い違う条件をいかに妥協するかを言う。そういう意味では偽りも無かろう。 護大派よりは随伴含めて使節が三十人。 現地での警備はギルドと開拓者を中心に戦力を展開して万全を期すものとされた。 「ゆめゆめ油断するでないぞ」 大伴定家が、難しい表情で開拓者たちに告げる。 大伴とて彼らと戦わずに済むならばそれを望まぬわけがない。しかし、護大派の出方にどうしても懸念が拭えないのだ。 だが同時に、護大派の意思決定者らとの正面切っての邂逅でもある。交渉に応じた彼らの真意は解らない。果たして、箱の中には何が在るのか。 ●現地 開拓者の胸中を映すかのように、その日は曇り空だった。 会談は十々戸里のある屋敷で行われることになった。 和議と銘打っているとはいえ、相手は瘴気にまみれた古代人だ。里の住人たちへは、一時避難をしてもらっている。彼らもまた、同じ空の下で固唾を飲んでいることだろう。 里は堅固な土塁と防壁で囲まれ、門を出入りするのが一般的だ。壁は外からの攻めには強くとも、内からの衝撃には弱い。 開拓者たちは門をくぐりつつあたりの様子を見て取り、列をなしたまま屋敷へ向かった。列の後方では、馬に乗った大伴に先導され、御簾のかかった車をもふらが引いている。車の側面に記された紋は天儀朝廷のさらに頂点、武帝の印だ。 だが中にいるのは本人ではない。 仲間が扮した影武者だと、開拓者は知っていた。 誰もが和議の皮をかぶった謀略の臭いを肌で感じていた。 さて高い壁に囲まれた里で、古代人を一網打尽とできるか、それとも袋のねずみとなるか。うっすらと漂う瘴気の向こう、屋敷の前に陣取る古代人の姿が見えてきた。その襟の合わせ目からは、どろりとした不吉な輝きがのぞいていた。 |
■参加者一覧 / 北條 黯羽(ia0072) / 柚乃(ia0638) / 玲璃(ia1114) / 喪越(ia1670) / からす(ia6525) / リューリャ・ドラッケン(ia8037) / ユリア・ソル(ia9996) / アーシャ・エルダー(ib0054) / ジークリンデ(ib0258) / シルフィリア・オーク(ib0350) / 无(ib1198) / 晴雨萌楽(ib1999) / 蓮 神音(ib2662) / アルマ・ムリフェイン(ib3629) / リィムナ・ピサレット(ib5201) / 叢雲 怜(ib5488) / ユウキ=アルセイフ(ib6332) / 神座早紀(ib6735) / ケイウス=アルカーム(ib7387) / 藺 弦(ib7734) / 柏木 煉之丞(ib7974) / 呂宇子(ib9059) / 二式丸(ib9801) |
■リプレイ本文 ●嵐の前 付き人に扮したシルフィリア・オーク(ib0350)は、屋敷の入り口を固める古代人へ目をやった。 (「最長老は屋敷に居るのね。出迎えにも来ないとは、侮られたものだわねぇ」) 開拓者一行へ顎で指図する古代人らは、一見すると無手に見えた。だが彼らがアヤカシを生成し使役すると、唐鍼の協力を通じてシルフィリアは知っていた。不遜な態度を隠そうとしない彼らからは、殺気が漏れ出ている。シルフィリアは相手に気取られないよう、微かに口の端を上げた。 (「……これは、あたい達の読みが当たっちゃった感じ? ふふ、外れたとしても最長老サマは主上の御竜顔をご存じないものねぇ。この会談、どう転がるのかしら」) 彼女は大伴老の隣から進み出て、もふら車へ近づいた。恭しく一礼した拍子に、モノクルが日差しを反射する。人妖の小鈴が踏み板から地面まで緋毛氈を敷いた。小鈴はそのままころころと毛氈の束を転がしていく。屋敷の入り口まで緋色の道が伸びるにつれ、御簾が巻き上がり天儀の最高峰たる人が姿を現す。 白銀の冠を戴き、アルマ・ムリフェイン(ib3629)は武者震いを抑えた。頭巾の上から冠紐で押さえつけた狐耳が少し痛む、けれども今は。 彼は胸を張った。 (「影でも彼は汚さない。僕はなーさんの代理でもあるんだ、護大派の意思を聞くまでは帰らない」) 危険など承知のうえだ。偽装を徹底させるため、自分の相棒である上級からくりのカフチェへは大伴老の傍仕えを命じた。言いつけどおりにしながらも、カフチェは主人の一挙一投足を見守っている。 案ずるからくりへ視線を返し、ケイウス=アルカーム(ib7387)は手綱を放した。空龍のヴァーユは空へは戻らず、大伴老の馬ともふらの尻を押し馬小屋まで歩き始めた。ケイウスも利き手を差し出し、アルマを促す。羽織の襟を整え、柏木 煉之丞(ib7974)は先んじて毛氈の脇を進んでいく。浪士組のだんだら模様が風に翻る。漆黒に引かれた紅は、開拓者達が内に秘めた闘志のごとく寒村に映えた。 古ぼけた厩舎の影、中へ入ると見せかけて龍達は死角へ隠れていた。カミヅチ魂流に跨ったまま、からす(ia6525)は屋敷の様子を伺っている。そろそろ会談が始まる頃だろう。愛用の弓を構えたまま、からすはまばたき以外、微動だにしない。 大伴老の馬から錦の馬具をはずしながら、藺 弦(ib7734)はもふらへ言い聞かせた。 「何か起きたら、すぐ逃げてくださいね」 「んふ?」 しおらしくしている馬に比べ、もふらは今ひとつ状況をわかっていない。弦は声をひそめ、もふらの垂れ耳を持ち上げた。 「……危険を感じたらすぐここから離れて、安全そうなところへ逃げてください」 「んーふー?」 尻上がりに鼻を鳴らすもふらに、からすが言い添えた。 「空気で解る。あれらが話し合いに応じる訳がない」 「よくわからないなら、私達と逆の方向へ走ってください。お願いします……」 偉そうにうなずいたもふらに弦は胸をなでおろした。馬のほうは不穏な空気を感じ取っているのか、しきりに耳や尾を振り回している。 「どうどう……」 土を蹴りだした馬の鼻面を、弦は気持ちをこめて撫でた。空龍の柳も安心させるように体を擦り付ける。ひづめの音が止んだ。馬は落ち着きを取り戻したようだった。 直後、轟音が大気をつんざいた。竜巻が屋敷の屋根を破り、壁を打ち壊し、破片を曇天へ吸い上げる。からすは馬手で魂流の首筋を軽く叩いた。 「キュッ!」 魂流が尻尾を鞭打つ。首にかけた玻璃の容器が揺れ、自身が呼び出した怒涛の洪水を映す。吹き飛んで来た柱や畳が水の壁に阻まれた。半壊した屋敷から人影が続々と飛び出してくる。機先を制したのは開拓者と、からすは気づいた。 「始まったか。行こう、弦殿」 そう口にした時には、既に彼女は最初の矢を放っていた。 ●対峙 竜巻が空へ消えていく。爆心地のユリア・ヴァル(ia9996)は利き手の錫杖を下げ神槍を突き出した。怒髪天のまま叫ぶ。 「滅びたいなら勝手に滅びなさい! 身勝手な理由で他人の死を望むなら反撃は当然覚悟の上よね!」 和議へ応じた礼にと、アルマ扮する武帝が差し出した杯を、最長老は地へ叩きつけた。 「全滅せよ蛮族、其が護大の愛なり」 護大の愛なり! 唱和した古代人が牙を向いた時、ユリアは錫杖を鳴らしたのだった。輝鷹アエロが、主に同意するように淡いラベンダーの両翼を広げる。 彼女の起こした混乱に紛れ、喪越(ia1670)はいち早く外へ駆け出した。 「Hey、鬼さんこちら♪ ……無礼千万センキュー、アミーゴ。ほら、建前って大事ざんしょ」 あくまで『自衛の為』って事にしとかないと、ね。うそぶきつつ目星をつけていた広場まで走る。 (「アヤカシと共存してる連中がいるのかと思ったら、ただアヤカシ化しただけか。こいつはとんだ肩透かしだな。共存共栄のヒントがあるかと思ったんだがねぇ」) 左手から合流してくるのは走龍の華取戌だ。待機していた龍達を引き連れ、全速力で主人の下までやってくる。喪越は両手を広げ、空へ掲げた。 「SAY、HOOOOOO!」 鞠のように広場へ転がりこんだ華取戌は両脚を突っ張り、喪越の背後で雄叫びをあげる。全身の鱗が音を立て高質化する。呼応するように喪越の肩にとまっていた張子の鶴が羽を広げ、内へ籠められた呪術を解放した。 アルマ達が広場へ駆け入る。大地を突き破り、黒い壁が生え揃う。結界呪符で作られた即席のバリケードへ後続の開拓者達も飛びこむ。最長老は屋敷から檄を飛ばした。 「往け、進め、奴らを根絶やしにせよ!」 古代人が印を結ぶ。ある者は袖から、ある者は足元から、あるいは何もない空間から、瘴気が立ち昇りアヤカシに変じた。炎が凝り固まり牛馬ほどもある兎になる。古代人の影から踊りあがった狐が、壁の影へ飛びこむ。別の狐が閃光弾を放った。 喪越はとっさに目をかばった。自身の呼んだ壁の影が内側へ長く伸び、潜んでいた狐らが飛び出し彼へ襲い掛かった。涎に汚れた牙が喪越の肩へ食い入る寸前、影狐は鼻面を撃ち抜かれた。狂ったように頭を振り、転げまわる狐を北條 黯羽(ia0072)は踏みつけた。 「大伴の爺さんの送り迎えだけかと思ってたが……イイじゃねェか、ゾクゾクして来たぜィ?」 狐を蹴飛ばした黯羽は、冷酷な笑みを貼り付けたまま壁を挟み対峙する敵勢を確認した。火兎が壁へ体当たりをくりかえしている。黒い壁へ亀裂が走っていた。障壁の崩落は間近だ。妨害しようにも送りこまれた影狐が暴れている。 (「おうおう。古代人共が嵩になって掛かってきやがる。あいつらが纏まっていたら、氷龍で一網打尽にしたいトコさね」) 壁の一角が崩れた。味方へ癒しの風を送り、上級人妖の刃那は主人を見上げた。銀の瞳が信頼をこめて黯羽を映す。古代人は殺気を漲らせたまま、じりじりと距離を詰めてくる。射線を辿れば、喪越の後ろで体勢を立て直すアルマに集中しているとわかった。 「ここからが本番ってトコさな」 相棒の頭をくしゃりと撫でると、黯羽は宝珠砲をホルスターへ戻し外道祈祷書を開く。 半身を翻し、蓮 神音(ib2662)が壁へ飛び乗った。彼女を振り仰いだ火兎が、全身の炎をたぎらせる。瘴気の焔が彼女を包む、よりも一瞬早く、神音は体をひねり真横へ動いていた。 「やっぱりね、そうだろね。仕掛けてくるって思ってたよ」 発火の炎が立て続けに彼女を狙う。残像を残しながら神音は壁の上を移動する。 (「生成の子供達を利用しようとした奴らだもん。信用できるわけないよ」) 壁が途切れ、足場が消えた。彼女は側転から回し蹴りを放ち、火兎の群れへ飛び降りる。仙猫のくれおぱとらまで主人の後に続いた。 「神音さん危ないですよ、退いて退いて!」 「無問題! 神音は早紀ちゃんを信じてるから!」 「もう、いつも後先考えないんですから!」 上級からくり、月詠の後ろで神座早紀(ib6735)は眉をハの字にした。 (「友達にそこまで言われたら、応えるしかないじゃないですか」) かっと熱くなった頬をぬぐい、早紀は手を伸ばし癒しを閃かせた。青い微粒子が神音をくるみ、かすり傷を消す。 癒しは殿のユリアまで届いていた。袖を焼いた火兎を神槍で貫き、ユリアは頭を振る。青い髪が広がり煙になびいた。ただ逃げに回るだけでは後手に回る。そう考え殲滅を優先する。 「三、四、まだ居るの? 雑魚はおなかいっぱいよ」 影狐の蹴りを柄で弾き飛ばし、返す矛先が火兎の脳天を割る。 神音の拳が火兎の眉間を砕いた。瘴気がほとばしり、肉の焼ける香が立ち込める。だが神音の拳はすぐに早紀の癒しで元の健康的な肌色を取り戻す。 古代人らが再度印を結んだ、火兎の目が怪しく光る。兎が再び壁へ突撃を始めた。結界呪符が音を立て崩壊し、瘴気に戻っていく。アルマ達への遮蔽物が消えたその時、慎重に歩を進めていた古代人らが目を見張る勢いで走り出した。 「何する気?」 神音が飛び出し、古代人に脚払いをかける。彼女の一撃は空を切った。目の前で古代人の姿が消失する。 「護大の愛を知れ!」 叫びは後方から聞こえた。続けて爆音が轟き、ユリアと神音の鼓膜を叩いた。息を呑み振り返った二人は、紫の茸雲を目にした。真下にはシルフィリアが倒れている。小鈴が貼りつき必死に神風恩寵を施していた。傍らに転がっているのは守りに使った盾だろう。紋章は壊れ、表面にはひび割れが走っている。 「自爆に、毒だと……!」 強烈な吐き気を押さえ、煉之丞は戦慄した。乾いた音が鳴り、閃光弾が打ちあがる。柏木は大太刀の影で片目だけ閉じ、古代人の手口を目に焼き付けようとした。古代人の姿がかき消え、次の瞬間には目の前に現れた。襟の合わせ目が不吉な輝きが満ちる。紫の宝玉が泡立ち、視界が白で埋め尽くされた。痛みよりも先に感じたのは熱。毒に蝕まれた全身の、燃え上がるような感覚。後方まで吹き飛ばされた煉之丞は声をからし叫んだ。 「気をつけろ、奴ら瞬間移動してくる! 畳み掛けられるぞ!」 開拓者達が色めき立つ。その隙にも古代人がアルマの懐へもぐりこむ、だが横合いからの攻撃に弾かれた。毒を避け上空から様子を見ていた鬼火玉の朱円が、捨て身の突撃をしかけたのだ。たたらを踏んだ古代人の襟元が緩んだ。露になった胸元で、宝玉がどろりと不吉な輝きを放っている。間近に現れた敵に、ケイウスは急ぎ竪琴をおさめ、赤黒のナイフへ持ち帰る。 (「あの宝玉……毒霧と同じ色だ。まさかあれが自爆装置か?」) 考えをまとめる暇も無く、影狐の尾を回避する。突然腕をつかまれ、耳元へ低い声がささやいた。 「……護大の愛を知れ」 腕へ組み付いた古代人が、にちゃりと顔をゆがめる。胸元の宝玉がごぼごぼと泡立った。 「ヴァーユ!」 ケイウスは咄嗟に相棒の名を呼んだ。淡い空色の翼を打ち鳴らし、空龍は風を集める。竜巻撃が古代人の体を浮かせ、四肢を切り裂く。なおも腕を放そうとしない彼を、ケイウスはナイフで切り払った。獣じみた叫びごと竜巻に吸い上げられ、古代人はケイウスから引き離される。 「どっちが野蛮なんだか、ねぇ……」 やわらかな調べが耳をくすぐる。ついで呪文が聞こえ粘膜の痛みが消えた。戦場の風に揺れながら、アルマが細い声で精霊の唄を歌っていた。小節を終え、アルマは仕込み傘をゆるりとまわした。 広がる毒霧と防壁の瓦礫を利用し、影狐と古代人は自在に戦場を駆け回る。銀白の帝装束は哄笑と怒号渦巻く中でも初雪の艶やかさ。アルマは動きを縛る重い羽織を脱ぎ捨てた。 「討って出る!」 一息ついて起き上がり、煉之丞は喉の奥で笑った。 (「小狐め、もとより守る柄ではないな」) 大太刀を抜き放つ。黄身がかった刀身が影狐をねめつけた。煉之丞は刀を逆袈裟に切り上げた。太刀筋から風が生まれ、音速のかまいたちと化し戦場を駆け抜ける。尾を断たれた狐が絶叫し、悲鳴をがなりたてる。 追っていた武帝が影武者と知り、古代人はアルマの傍に居た大伴へ狙いを変えた。重い傷によろめいていた火兎が特攻をかける。走り出した火兎の眉間に穴が開いた。脚が弾け、巨体は地響きを立て滑っていく。 「大伴のお爺ちゃんを護るのだぜ!! そんで、卑怯な古代人は俺がやっつけちゃうのです!!」 叢雲 怜(ib5488)のオッドアイが挑発的な笑みを浮かべた。影から這い出す狐へ、閃光練弾を打ちこみ出鼻をくじく。灼龍の姫鶴が空から急襲し、狐の首を食いちぎる。主人と相棒の波状攻撃に、影狐は手をこまねき威嚇の声を上げるばかりだ。的確にその鼻面を打ち抜くうちに、怜は直感に似た閃きを感じた。 (「来る……!」) 鋭く振り向けば、はたして一人の古代人が姿を消したところだ。怜は振り向きの勢いを利用しホルスターから銃を抜く。弾丸を詰める暇も無かった。一騎当千の短筒へ練力を充填し、あたりもつけずに引き金を引く。驚愕に引きつった古代人の額へ銃口が宛がわれた瞬間だった。頭が吹き飛び、爆発の衝撃が怜を襲う。もうもうと立ち昇る毒霧に彼は口元を押さえた。 「けほっ、じいちゃんどこ!? 無事に帰る前では大伴のじいちゃんの傍からは、絶対離れないからね!!」 立て続けに閃光弾がはじける。 「むぅん!」 大伴が丹田へ気合をこめた。修羅の道を行くがのごとく気をみなぎらせる。視界の阻害をものともせず、かの剛剣をふるった。鋼が宙を裂き、狐の四肢を精霊の炎で焼ききる。詳しい者が見れば、大伴の動きは剣術ではなく、宝蔵院流棒術だと気づいたかもしれない。だが彼らは天儀を侮りすぎていた。蛮族の系統など知る由も無く、剛剣を振るう老武者、その実態が可憐な少女であるなどと、気づくはずも無かった。少女の細く澄んだ声が雄たけびに変じ戦場へこだまする。 「とぅ! うぉりゃぁぁ!」 (「こ、こんな感じでいいですよね? もっと堂々として、がんば、私!」) 玉狐天の伊邪那は周囲から突き刺さる古代人の視線に肩をすくめた。 「まったく……、やぁね、殺気だっちゃって。もれなく呪詛っちゃうわよ?」 主を守らんと、九尾に炎が宿る。ジプシーの秘儀で大伴へ姿を変えた柚乃(ia0638)は、大振りな動きで敵の衆目を集めに走る。折りしもアルマを注視していた古代人が、自分へ狙いを変えたところだ。 機は熟した。 矢をばら撒き大伴への攻撃をけん制していたからすが、魂流に何事か命じる。カミヅチは高く鳴き鏡のような水玉を召還すると、尾で叩き割る。飛び散った破片が影狐の脚に絡みついた。火兎の脚へ、古代人めがけ、連続して水牢を打ち続ける魂流の傍らで、盾を構えていたアーシャ・エルダー(ib0054)が指笛を吹く。戦馬のテパが飛び出し、アーシャはその背へまたがった。 「荒っぽく行きますが気をつけて、後は皆に任せましょう」 近くで戦っていたジルベリア風の軽歩兵の腕を取り、テパの背に乗せる。マスクをはずした素顔は大伴老その人だ。本物の彼を連れ、アーシャはテパの手綱を強く振った。毒霧を蹄で蹴散らし、上空へ駆け上がる戦馬。 後を追うのはリィムナ・ピサレット(ib5201)だ。輝鷹サジタリオの友なる翼が彼女を支え、朝焼けの女神のような輝きで小さな体を縁取っている。二対の翼が精霊力を蓄え新星のごときオーラを纏った。 眼下の古代人が、影狐に命じ閃光弾を撃つ。眼球を焼く光すら直視し、彼女は口の端で笑った。暗視はただ暗闇をのぞくためにあるのではない、圧倒的な光もまた無視するためにあるのだ。 戦場を睥睨するリィムナの瞳が煮えたぎる黄金へ変わる。 「誰もあたしに近づけなーい。大伴のじいちゃんにも、影さんにもね♪」 鷹の眼光が大気を一閃する。戦況が一変した。恐慌を植えつけられた古代人が進軍を止めた。狂信が彼らを支えている、だが間近に居た部隊はリィムナから背を向け、逃げ出そうとしている。 「古代人狩りだね! ごーごー!」 リィムナが声を張り上げると同時に、地上でこの瞬間を待ち構えていたジークリンデ(ib0258)が魔方陣を発動する。 「До свидания 哀れな人たち……消去します、現世への痕跡、存在の根幹。この世へ何一つ遺すことも成すことも許さず消滅を」 玉天狐の焔纏が歌姫の装束に青薔薇の刺繍を施している。その薔薇からしゃらしゃらと灰色の微粒子がこぼれ、鋭い光の筋と化した。デリタ・バウ=ラングルの光明が古代人を襲う。放たれた灰色の粒子砲は終末を告げる時計の針だ。時が進み、左右から迫る針が古代人を手勢ごと切断し灰に変える。 神の鉄槌を思わせるアウトレンジからの一撃は、古代人の半分近くを消し飛ばした。最長老が目を剥く。銀糸の魔女はうっすらと酷薄な笑みを浮かべ、そんな自分に戸惑ったかのように頬を押さえた。 「降りかかる火の粉は、払いのけるまで」 再び顔をあげたときには、迷いの消えた表情。屋敷に陣取っている最長老を冷ややかに見つめる。いまだ地に下りてこないのは、彼の意思の表れか。自分たちと同じ視線に立つつもりなど無いと。屋敷は玉座のつもりなのか。だとしたら、張りぼてもいいところだ。 ●対決 黒壁の瓦礫をはさんで睨みあいを続ける古代人と開拓者達。秋とは思えない生暖かい風が吹き、踏み荒らされた大地を撫でていく。 柚乃は変身を解いた。 大伴老の無事を確保した今、最長老への疑問は自分の声でぶつけたかったからだ。盾を構える仲間たちの合間から進み出て彼へ問いかける。 「先日、穂邑ちゃんと共に護大へ接触しました。会話は……」 柚乃はその時の光景を思い出した。無に浮かび上がる白い影。穂邑が身を挺して宿した護大との対談は……。 「成立、しなかったんです。護大は、この世界そのもの。そこには無あるのみ。それなのに。護大派は護大の何を識るというの?」 最長老は眉をひそめ、蝿でも追うように手を払った。 「護大は一にして全、理解など下賤の考えることよ。受け入れるのみ。……己が目で判じたように護大は世界である、世界を我等人間の言葉にして語り尽くせると思うのか? 貴様ら朝廷が崇め奉る精霊と会話が成立したかを思い出してみるがいい」 無知蒙昧めがと、最長老が吐き捨てる。嘲りが枯れ野へ響いた。 (「古代人……ねぇ」) 瘴気を回収しながら、无(ib1198)は懐の尾無狐へ呟いた。古代人らが召還し操るアヤカシは、自分の使う式鬼を思わせる。感じる苛立ちは未知が未知のままであることだ。无は (「一にして全、全にして一、色即是空、空即是色なら、その連環で滅びの反転も有るのだろうか……」) 予測を立てつつ、彼は最長老へ声をかけた。 「お訊き致したく候。護大、瘴気とは何と考えてるか。如何に付き合っているのか」 鼻白んだ最長老は、はっきりと嘲笑を浮かべた。 「精霊を酷使する者の問いではないな。わが身を振り返れ」 无は舌打ちをこらえた。よくやったほうだと、自分なりに思う。睨み付けたい衝動を抑え、仲間の影に入るとさりげなく魔刀の柄に手をかける。 戦馬の鞍で、細心の注意を払いながらアーシャが声を上げる。 「護大が世界を終わらせるなら、旧世界の大地はどうなるのです?」 最長老が答える。その声には未熟な者を揶揄する響きが混じっている。 「一切合財は護大のもと滅ぶべきである。それこそが護大の愛なのだ」 アーシャも負けじと言い返した。凛とした声音が空まで広がる。 「瘴気やアヤカシ、古代人の貴方達も消えて、また正常な空気と水にあふれる世界が訪れるのでしょうか? 誰もそれを確認できないのに、どうしてそう言えるのです?」 両手を広げ、最長老は朗々と信ずるところを説きはじめた。 「全ては護大のもとに滅び再生する。その後に現れる新たな世界が人間にとって住みよいものであるかどうかは関係は無い。貴様があげた例は、究極的に人類の欲望に過ぎぬ。……それが貴様らの限界よ。あるがままの世界を受け入れる器ではない、劣等なる天儀人よ」 最長老が印を結ぶと同時に、彼を中心に暗雲の魔方陣が浮かんだ。いかづちを孕み、唸りをあげ盛り上がる。恐慌に陥っていたはずの古代人が、開拓者を向きなおり呪いの言葉を吐き始める。全身が潰れんばかりの威圧感を、開拓者たちは感じとった。勝ち誇る最長老へアーシャが叫び返す。 「そう来ると思ってましたよ。ロクに話し合えない野蛮人はどっちでしょうね!?」 彼女は大伴老をかばい盾を掲げた。万民に嘲り謗られようと、ただひとつ心に決めた信念のため、騎士は戦う。愛する者の面影が彼女の胸を次々とよぎる。 「未来は決められるものじゃない、切り開くものです!」 膠着を破り、輝鷹が翼をはためかせた。光鷹の眼力が邪魔な古代人を射抜く。矢のように突進した鷹が粒子に代わり、地を疾走する竜哉(ia8037)めがけて降り注ぐ。竜巻の刃をまとったソードウィップを抜き放つと、蛇の名のとおり宙を這う切っ先が最長老を狙う。弾かれた剣鞭を投げ捨て、竜哉は勢いのまま進みながら騎士剣を腰だめに構える。 「護大に頼って縋って依存して…それでこちらを劣等、ね。笑わせるなよ。……逃げただけだろうがよ。未来の生命を遺す事も忘れ、唯己のみの安寧に逃げたお前達に! 親から子へ託され続ける想いを捨てたお前達に!」 恐慌を打ち破った古代人が竜哉の四肢に組み付いた。長い髪を振り乱し、竜哉は視線を最長老からそらさず思いのたけをぶつけた。 「ああ、いつか誰もが滅ぶだろう。だが、何かを残せるから生命は滅びを受け入れられる。安心して滅べる……!」 「語るに落ちるな。いかなる結果が訪れるにせよ、其が護大の作る新たな世界であれば受け容れよ」 最長老が袖を翻した。暗雲が吹き飛ぶ。いかづちが四方へ乱れ飛び、相棒たちの羽を貫き、開拓者たちの体へ突き刺さる。 「いざ玉と散れ汝生き尽くすは今ぞ!」 オオオオオオ……! 古代人どもが喉も割れよと叫びを上げ、瞬間移動を重ね突進をはじめた。初回とは比べ物にならない速度。哄笑をあげる彼らは歪んだ喜悦をまとっている。高笑いした最長老の姿が暗雲をまとい、消えた。 「させないよーぉ♪ お尻ぺんぺんされたい?」 リィムナの眼光が戦場を支配した。しかし鷹睨みを瞬間移動ですり抜けた古代人が開拓者へ食らいつく。 腰へタックルされたユウキ=アルセイフ(ib6332)は、敵を振り放そうと体をひねった。 「護大の愛を知れ!」 古代人が自爆する。直撃を受け吹き飛んだ主人が宙を舞う。嵐龍カルマはユウキを受け止め毒霧から離れた。咳き込みながらユウキは、震える手で癒しの魔法を自らに施した。 「ノリが体育会系だよね。これだから狂信者はキライだよ」 悪態を尽きつつ節分豆をかじり自身の回復へ専念する。 「最長老には逃げられたか。大伴様、は……」 撤退への準備をしつつ龍の翼から護衛対象を探す。戦馬テパの雄姿に安堵し、彼は後方へ移動した。古代人が召還したアヤカシはほぼ討ち取られていた。彼らは盾もなく自らを頼みに特攻してくる。 「ヨタロー、深追いはダメだかんね、時間稼ぐだけでいいんだ!」 甲龍へ声をかけ、モユラ(ib1999)は赤い髪を揺らした。 「騙し討ちは二回も効かないよ。やってることがアヤカシと一緒かそれ以下じゃない。こんなのが人間の行く先だなんて……あたいはゴメンだね」 モユラは毒霧の陰で、神秘の霧を身に纏った。霧にまぎれ彼女の姿も消える。視界の隅に血走った目で地を掴む古代人、彼が空間を跳躍してきた直後、モユラは動いた。自らの秘めた殺意の軌道そのままに流星錘を走らせた。足へ絡みつく錘。骨の粉砕される感触が縄越しに伝わってくる。モユラは間髪居れず動き、死角から頚椎を狙いさらに錘を投じた。 「悪いケド……こっちも情け掛ける余裕は無いよ」 標的が見当たらないまま、古代人は爆発した。毒霧に顔をしかめモユラは、暴れまわる相棒と神秘の霧を隠れ蓑にひっそりと戦場を渡り、射程ぎりぎりから古代人を討ち取っていく。 柳の背から皆の騎士の魂を奮い立たせていた弦は、古代人の特攻を目の当たりにし胸を押さえた。 「人を人とも思わぬ所業……。やめなさい。もう、およしなさい」 つまびくは戦場へ散っていった彼らへ捧ぐ鎮魂歌。弦の想いが、古代人の無茶な行動を支えている狂気を削いでいく。意識を失った古代人の胸の宝玉を、ケイウスが割る。紫の霧が噴出するが、爆発までは至らない。 「無力化できるぞ!」 「ええ、支援いたします」 ケイウスと弦は目を合わせた。弦が調べを夜の子守唄へ変える。恐慌で足を止められ、眠りで意識を奪われる。膝をついた古代人が全身を震わせた。 「生きて虜囚の辱めを受けるならば……!」 閃光、紫の霧が広がる。戦場へ残る古代人は両手で足りる数。戦意は衰えるどころか燃え盛っている。咄嗟に受身を取った神音が、勢いを殺しきれず二転三転する。アルマの解毒が彼女の激痛を取り除く。さらに早紀は癒しの精霊へ祈りを捧げた。出血が止まり、神音は勢いをつけて起き上がり、宙で一回転する。 「気をつけてといったのに!」 「神音には早紀ちゃんがついてるし!」 「煽てても駄目なんですから! 嫁入り前でしょう!?」 「えっと、それは……傷に効く温泉に行くよ!」 くれおぱとらが尻尾を膨らませた。猫心眼で捕らえた出現位置めがけ呪いの炎を投げかける。拘束を受けた古代人の胸に、神音は遠慮のない拳を叩き込む。宝玉が割れ、古代人が失神する。 「よーし、どんどん倒していくよ!」 刃那へ回復を任せ、黯羽は狙撃手の正確さで遠方の古代人を狙う。不可視の魍魎に魅入られた古代人は、全身から骨を抜かれたような姿で崩れ落ちる。遅れて爆発音が響いた。 「っと、これでも自爆すンのかィ。手間のかかる奴らだぜ」 狙いを宝玉に一転集中し、黯羽は呪文を唱える。 彼女から左へ離れた場所、間近で起きた爆発に、呂宇子(ib9059)は頭をかき乱した。 「……ああもう、過激で困るっての!」 思い起こすのは旧世界。儀のはるか下に存在する地上と呼ばれる世界のこと。これまでに何度も、開拓者達は嵐の壁の向こうに新しい世界を発見してきた。だがそれはどれも、浮遊する大陸であり、宙へ浮かぶ島でしかなかった。自分たちの真下に、連綿と続く地平が広がっているなど想像の範囲外だったのだ。 呂宇子は記憶を掘り起こす。瘴気に覆われ、昼と夜の区別も怪しい曇天の世界。 (「あーゆー過酷な環境で過ごすと、考え方が偏るのかしら。和議を襲撃に、ついでに自爆のオマケ付き、っていってもね」) ウミヘビの式鬼を召還し、撃つなり後方へ跳ねる。鋼龍のナギが間に踏み入り主の盾になる。新たな爆発音をナギの背中越しに聞きながら、彼女は気を吐いた。 「古代人だろうが何だろーが、そう易々とやられるわけにはいかないのよねえ!」 ナギの周囲、円を描くように立ち回りながら眼突鴉を召還する。瞬間移動を繰り返す相手の動きを先読みし術式を開放した。 「あなたで、最後だ」 古代人が視覚を失うと同時に、二式丸(ib9801)は精霊の加護を呼び柳のしなやかさで戦場へ踊りだす。又鬼犬の七月丸が古代人の足へ噛み付き、引きずり倒す。六尺棍を垂直に持ち、二式丸は胸の宝玉を狙おうとした。その宝玉が不気味に泡立つ。 (「……自爆」) 冷静に判断し、二式丸は棍で古代人の胴をすくいあげる。足元から烈風が立ち、衝撃波となる。宙へほうり投げられた古代人が四散した。毒霧が昼の花火のように広がり、風に吹かれて薄くなる。 念のため二式丸と呂宇子は辺りを見回した。アーシャの背で手を振る大伴老が見える。 敵影は無く、昏睡する古代人を捕縛する仲間が見える。霧は濃いが時間だたてば消えるだろう。屋敷以外に被害は無く、広場には火兎の残したぼやがくすぶっている程度だ。それもジークリンデが消火にあたっている。 二式丸がまばたきをした。 「護れた。そっか。護りきった。大伴老も、影も」 「やったわね、二式丸」 彼は顔を伏せ、とつとつと語る。 「だまし討ち、となると……思い出して、しまって……あんな思いは。もう御免、だから」 呂宇子が彼の背を勢いよく叩いた。 立て続けに癒しを放った余韻か、アルマの動きは鈍い。しかし表情は爽やかだ。冠を胸に抱き、狐耳をぴんと立たせた。 となりで自分の角に触れながら、煉之丞は安堵に目元を緩めた。 「古代人もややこしい角など持って、溜息の種には困らないな。なあ、小狐」 「……危険も何も。そんな事より、此処にいるのがなーさんじゃなくて良かった。すごくほっとしてる」 ●疑問 里は夕焼けに染まっていた。 胸の宝玉を割り、無力化できた古代人は四名。 うち一名は、隠し持っていた刃物で自刃してしまった。残りの三人も目が覚めるなり抵抗を始めるだろう。弦が子守唄と鎮魂歌をくりかえし聞かせるなか、仲間は昏睡を続ける古代人の体を探り、危険物を取り出している。 作業を手伝いながら、二式丸は思った。 (「……命果てる時、自爆するのも厭わない、と。彼らの、護大への想いは……それだけ、強い……?」) 敵戦力の壊滅を再確認した玲璃(ia1114)が戻ってきた。怪訝な顔で古代人へ視線を落とす。提灯南瓜の霆が首をかしげる。 「いかがしました」 「ここは私が施した結界の中です。古代人がまことにアヤカシならば、なんらかの反応があるはず……」 玲璃は己が銘を刻んだ髪飾りに手を添え、高く低く歌いだした。黄金に輝く菊が玲璃の身を隠すほど集まり、吹き上がる。ほとほとと地へ落ちた花は水に飲まれるように消え護衆空滅輪の結界が完成する。 「試してみたいことがあります。この方を、蘇生させてもよろしいでしょうか」 玲璃は周囲の仲間へ伺いを立てた。視線を交わしあい、仲間は玲璃の提案を後押しすることに決めたようだった。死者を厳重に捕縛し、四肢を抑えた状態で待機する。 玲璃は片手を天へ、片手を古代人の胸へ当てた。 「明けの明星、天津甕星よ。恩寵きこしめせとも白し奉る」 語尾を長く伸ばし祈祷を続ける。黒い帳が玲璃と古代人を取り囲んだ。帳は御影石の階段に変わり、茜の空にぽつりと現れたまぶしい星へ伸びていく。十二単の女官の列が、しずしずと階段を下りてきた。彼女らは一様に袖で顔を隠し、陽炎の羽のように透明だ。先頭の女官が赤い星の沈む大杯を掲げている。玲璃がそれを受け取ると、女官の列は空気へ溶けた。 杯を傾けると、赤い星は古代人の胸へ吸い込まれた。大杯が宙へ消えた後も、祈祷が終わり夜の帳が失われた後も、玲璃は静かに待った。やがて彼は手のひらに、はっきりと鼓動を感じた。 「……う」 古代人が呻く。意識を取り戻したのだ。緊張を深める仲間たちの中、玲璃は膝に両の拳を置いた。 「……精霊魔法が効く」 ギルドと唐鍼とのやりとりや、これまでの事件が脳裏をよぎる。彼は己の施術の結果の意味を、あらためて確認した。 「瘴気との親和性は高くとも彼らは、まぎれもなく私達と同じ人間。アヤカシそのものではない」 |