【猫祭】一時休戦〜蓮閑話
マスター名:鳥間あかよし
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 普通
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/09/07 00:34



■オープニング本文

●表の話 通ったりすがったり一緒だったり

 宵の口の朱春は、祭りの最終日だけあって人でごったがえしていた。
 『三日月は秋刀魚に似てるよ祭り』、今年で五百二回目だそうだが定かではない。夏を締めくくる三山の送り火が今年も催されている。今年は泰の動乱の影響で、天帝さま万歳の意を込め三つの組も協力しあっているらしい。
 露店が並んでいるのは、飛空船発着所の近くも同じだ。切符を買い求めた客は待ち時間をつぶすため外へ出て行く。
 猫族の女が地味な風采の小柄な女を引きずっていた。短く切った髪はサビ猫風。姓は参、名は梨那。怪我でもしているのか、片目が隠れるほど包帯を巻いているが、それにしてはずいぶんと元気そうだ。
「あと秋刀魚! 秋刀魚食べる! 腹がパンクするまで!」
「う、うん」
 引きずられていくのは、参の幼馴染、姓は呂、名は戚史。二人の傍を、呂よりさらに小さな人影がついていく。背丈からして妹なのだろうか、何しろオバケのように頭から布をかぶっているので、中身がどうなっているのかわからない。
「もう今日のは、ずぇーんぶ明ちゃんのツケにぇ。たまには奢る側になれにょ」
「お手柔らかにお願いします……」
「そんで飲むから! 私超飲むから、覚悟しとけ!」
「梨ちゃん弱いんだから、ほどほどにね」

 送り火が消える頃、巌坂行き最終便が飛び立つ。

===

●だれかさんの話 空の上 やまいぬさんのチャイニーズルーム
 神楽の繁華街から南へ抜けたさらに先。炎龍の背で白い布がはためいている。
 もしすれ違う飛空船があったなら、助けを呼んでいると勘違いしたかもしれない。けれどそれは白旗ではなかった。小柄な少女がかぶった長い布だ。彼女は山犬の腕の中で寝息を立てていた。
 風が耳元で渦巻く。
 彼は下を覗きこんだ、郊外の一角から、ちかちかちかと三回、光が刺した。彼はそれを受け、さらに空へ昇った。くりかえすうちに合図が変わり、彼はほっとした。地上にいる仲間が、明結の発する邪悪な耳鳴りの射程から外れたのだった。
 眠りを守りながら、彼は見るともなく地上の星を見ていた。
 猥雑で熱気にあふれる夜景。清浄な輝きを帯びているあれは聖地の精霊門だろう。明日の晩には、あれで泰国へ飛ぶつもりだった。 
 小さなあくびが聞こえ、明結が動いた。彼の手のひらへ文字を書く。
『すこし楽になりました。ありがとう。梨ちゃんにも睡眠を』
「交代まで時間がある、まだ寝てロ」
 迷っていた明結が、やがて座りなおした。
『お顔に触れてもいいかしら』
「へ? あ、はい」
 小さな手が彼の輪郭を撫で、目元や鼻筋を辿る。
『娘が話していたとおりの優しいお顔立ちね』
「……どうも」
 つい唇をとがらせてしまった。

●だれかさんの話 空の下 イッカクさんとふたりのおひめさまの長い長い戦い
 りぃりぃ。
 かぼそく甘い耳鳴りが響く。
 炎龍のはるか下で、一本角の修羅は脂汗をぬぐった。
(「まだ聞こえるとは」)
 少女の放つ耳鳴りの射程はいかほどか。もう三丈半(10m)高度を上がるようにと、灯火で合図を送ろうとした瞬間、視界が傾いた。
「えいっ」
 かえるのおひめさまにぺちんと叩かれる。彼は取り落としそうだった灯りを掲げ、今度は問題なく合図を送る。
 彼女も冷や汗にぬれていた。癒しの技で互いに互いの正気を保ちながら調査を続けている。

 藪が揺れ、しらゆきひめが姿を現した。彼は薄い帳面を修羅へ差し出す。
「繁華街周辺での影響をざっと聞き込んできました」
「……お帰りになったのだと思っていました」
「猫好きな人がギルドまで走っていきましたよ。街中で黒蓮鬼を眠らせるなど、無茶をなさる」
「私に考えうる最善手でした。責任は取ります」
「おにぃさまったら、そうツンケンなさらないで」
 しらゆきひめは額を押さえた。
「黒蓮鬼に肩入れしすぎではないでしょうか。アヤカシは討つべきもの、それが世界の理です。一蓮教が本気で鬼との共存を望んでいるのならば、彼らも処罰されねばなりません」
 修羅の眦が険しくなる。
「ですが」
「天儀日照の神はお許しにならないでしょう」 
「しかし、私達はいまだ何も知らない。レンシークイとは何で、どういうアヤカシなのか。性能も不明なまま退治へ向かうのは得策ではありません」
 おひめさまが胸に手を当てた。
「難しいことは、よくわからないですの。ただ、みんなで幸せになれる道を探していますの」
 長いため息を吐いたしらゆきひめ。
「私が、気に病んでいるのは……」
 語尾が揺れ、彼は背を向けた。
「あなたがたまで、巻き込まれやしないかと……」
 静寂を際立たせるように、耳鳴りが響いている。くらりと来たかえるのおひめさまの額に、しらゆきひめが手を置いた。解術の輝きが点る。
「続けるのでしょう? 蓮肉喰いの私でなくては回復手は務まりません」
 修羅とおひめさまは、こくりとうなずいた。

●だれかさんの話 当日 朱春 とんがりぼうしの長い長い戦い
 宵の口の朱春。
 調査を終え待ち合わせ場所へ向かう彼女は、すし詰め状態がうっとおしくなってきた。相棒に肩車にしてもらったとたん、ずらりと並ぶ人の頭。
(「こういうの久しぶりかも。もっと小さいときは父さんによくやってもらったっけ」)
「あ、結花さんだ、結壮さんも。こんばんはー!」
 見知った人影に声をかけると、兄は明るく、妹はぎこちなく返事を返してきた。今日は伝統的な泰服に、輝石をちりばめた飾り帯をしている。
「あれー、今日はずいぶんと背が高いですね」
「ちょっと疲れていてね、お祭りだしいいよね」
「……そう。お大事に」
「焼き秋刀魚の棒寿司食べていくといいですよ、無病息災になります」
「え、蒲焼ではないの? 泰大の人が、言ってたよ」
「お月様に捧げてたらオッケーじゃないですかね」
「結壮さん、てきとう過ぎだよー」
 話し込む兄の影で、きょろきょろしている結花。焼き秋刀魚の棒寿司を探しているらしい。

●裏の話 同刻 朱春 宿
 開拓者に見守られ、参は呂と対峙していた。ごめんとしか返さない呂へいらだちを感じる。
「私の店が閉店してるんですけど? どういうことなんです?」
「手続き、しました」
「板さんが居たはずですけど?」
「解雇させてもらって……あの、その退職金とかは教団のほうから、あと信徒の口利きで次の仕事先も」
「どうしてそういうこと勝手にするわけ? あれはにぇ、私のお店なにょ。私が築いた私のお店なにょ」
「ごめん、戚夫人の決定で」
「謝ってほしいわけじゃなくて」
 参はあのさあと続けた。
「ずるいにょ。明ちゃんに泣かれたら何も言えないじゃん。わかった、一時休戦。虹蓮がー翡翠丹がー教団がーで私も頭痛くなってきたし、巌坂でじっくり聞かせてもらう」
 頬杖を付いた参が窓の外を眺めた。日が暮れてきた。祭りのにぎわいがここまで届いている。
「……送り火が見たいにょ」
 もう二度と見れない気がするから。参はそうつぶやいた。


■参加者一覧
/ 六条 雪巳(ia0179) / 十野間 月与(ib0343) / ケロリーナ(ib2037) / 神座亜紀(ib6736) / 霧雁(ib6739) / 中書令(ib9408) / 呂 倭文(ic0228) / 花漣(ic1216


■リプレイ本文

●飲み干せや美杯
 やがて街頭を彩る提灯の明かりとともに、朱春を囲む三山につかのまの花が咲く。泰国の風物詩、三山の送り火だ。祭りが終われば夏も終わる。
 最終日を楽しみつくそうと、通りはどこも人でごった返している。相棒の肩は広くしっかりとしていて、主人を肩車するのにちょうどよかった。
 神座亜紀(ib6736)は上級からくり雪那の上から結花へにこりと笑いかけた。とたんに結花の口が、への字になる。さすがに妹をたしなめた兄が話題を変えた。
「どうしたんだきょろきょろして、探し物か?」
「焼き秋刀魚の棒寿司……。ち、違うの、急に食べたくなっただけ、それだけよ」
 言いながら結花は亜紀をちらちら眺めている。様子を伺っているらしいのだが、角度の関係で睨みつけているようにしか見えず、亜紀は苦笑した。

「右を見ても左を見ても人、人、人デス」
 牛車や馬車、もふら車に混じり、甲龍のろっくも大通りをのんびり歩く。その背の花漣(ic1216)は、片手に手綱、片手に秋刀魚の串焼きを握り、首からがま口をさげている。串だけにした串焼きを袋へ入れ、彼女はがま口を開いた。目をすがめる。
「お小遣いがレッドゾーンデース……」
 いつもの財布をつかんで祭りへ出かけようとしたら、こっちにしなさいと保護者に持たされたのだった。ろっくの背中が戦利品置き場になっているのだから、その判断は正しかったのだろう。さすが父上なのデスと花漣は尊敬の念を強めた。
 ふと横道から流れてくる人々へ目を取られる。人並みからにょきりと女の子が突き出ている。周りに比べて頭ひとつ高いからくりに、肩車されているようだ。宵の口でも見間違えようがない、あのつば広のとんがり帽子と、からくりの流れる銀髪は。
「亜紀ー! 雪にぃ!」
 両手をぶんぶん振り、花漣はろっくの鼻面をそちらへ向けた。
 ろっくも座れる場所を探し、彼らは小ぶりな広場に足を踏み入れた。周りをぐるりと屋台が囲み、即席の屋台村になっている。何か見かけたらしい結花が、そちらへ走っていった。
 席を取った亜紀は花漣へ手を伸べ、結壮へ体を向けた。
「雪那の妹なんだ。つまりボクの家族だよ」
 結壮の顔を、花漣が食い入るように見つめる。
「ミーは花漣言うデス。泰大学の学生なのデスよ。ユーをどこかで見かけた気がしマス。ストップ! アンサーはノーセンキュー! ミーが当ててみせマース」
 花漣は周りの反応そっちのけで顎をつまみ、物思いにふける。
「どこかで見た。確かに見たのデス。あれは、温泉川からの帰り、猫族のガクトモと普段使わない道を通って寮へ戻る途中デシタ」
「脳内がだだもれだぞ、花漣」
 雪那のぼやきに花漣は顔を上げた。芝居がかったしぐさで結壮を振り向き、指を突きつける。戻ってきた結花まで一緒にびくっと震えた。
「ユーはそこで……猫に餌をあげようとして襲われていた……。まちがいありませんネ?」
「あ、はい」
「お兄ちゃん、たまに引っかき傷作って帰ってくると思ったら……」
「冴えないうえにひょろい人だと思ったデス。ミーと同じ学科に入ってレッツ鍛錬!」
「失礼な事を言うんじゃない」
「まあまあ雪那。はがいじめまでしなくても」
 花漣は雪那と結壮、二人の兄を見比べ結花へにんまり笑った。
「ふふふーん。同じ兄でもこうも違うデスね」
「どういうことかしら?」
「こう言っては何デスが、ミーの雪にぃは容姿端麗、頭脳明晰、頑固で融通の利かない所が玉に瑕デスが、とても頼りになるのデス。猫に引っかかれたくらいじゃ平気の平左デス、からくりデスから!」
 雪那が眉をしかめた、次の瞬間には、花漣はゲンコツを食らっていた。
「褒めたのに酷いのデス! 雪にぃはミーの頼れる兄なのデス!」
 自信満々の花漣に、結花も負けじと言い返した。
「う、うちのお兄ちゃんは、ほっとくと昼まで寝てるし、縁起物の秋刀魚は小骨が多いからいやだって言うし、気分屋で凝り性だし……」
「大きい子どもなんデス?」
「結花ー、遠まわしに兄ちゃんディスるのやめてくれー」
「うちの妹がすみませんすみません」
 雪那はぺこぺこ頭を下げている。頃合を見て割って入った亜紀は、結壮を見上げた。
「せっかくだから、結壮さんお勧めの秋刀魚の棒寿司を食べてみたいな。近くで売ってるだろうか」
「亜紀、棒寿司ならここにあるのデス。あ、でもミーもまだ食べてないから、はんぶんこするのデス」
 花漣は邪気のない笑みを浮かべ戦利品を机へ並べた。たちまち机がぴかぴかの青銀と、ねっとりした茶色に塗り分けられた。亜紀は席を替え結花の隣へ座った。
「ボクはそっちを食べたいな」
 背中へ隠した秋刀魚の棒寿司を目ざとく見抜かれ、結花は動揺していた。こっそり買い込んだ棒寿司をおそるおそる机上へ出してみると、亜紀は当然の権利のようにつまんだ。
「握り寿司は食べたことあるけど、棒寿司は初めてだよ。皮をあぶってあるんだね、いい匂いだな。おいしいね」
「……」
 再び笑いかける。黙ってしまった結花へはかまわず、亜紀は一同との談笑を楽しんだ。気がつくと、机上の秋刀魚の棒寿司はすべてなくなっていた。
 戦利品もあらかた片付いたところで、亜紀が腰を上げた。
「ああ楽しかった。用事があるからこの辺で、またね」
「はーい、亜紀。がんばなのです。困ったら雪にぃを頼るデスよ?」
「花漣も学科がんばってね」
「おまかせなのデス!」
 笑顔で手を振る花漣の隣、結花は胸の奥をトンと蹴飛ばされた気がした。
「まさか巌坂へいくの?」
 静かにうなずく亜紀の手を握り、結花は口を開いた。胸につかえていた思いがほどけなけ、リボンのようにするすると言葉がこぼれた。
「……この間は助けてくれてありがとう。無事で帰ってきてね」
 亜紀はこくびをかしげると笑みを見せた。
「今日は結花さんとお話できて嬉しかったよ、またね」
「……またね」
 亜紀は手を振ると、雪那と二人歩き出した。花漣たちの姿を混雑が覆い隠していく。隙間を通り抜けながら亜紀は独り言のように言った。
「ねえ雪那、別れの言葉がさよならだと、もったいない気がするんだ。ボクは欲張りかな?」
「この雪那がお守りするのはお嬢様の御命と哲学です」
「そう。なら、まずは肩車してもらおうか」
「かしこまりました」

 並びの商店はそろってのれんを降ろしている。
 送り火を楽しむためだろうか。それとも、酒宴に呼ばれたか。飛空船発着所へ向かっていた亜紀と雪那は立ち止まった。
 人ごみの奥から、見覚えのある袖がおいでおいでをしている。
「亜紀さん、こちらです」
 中書令(ib9408)が手招きしていた。亜紀は彼と並んで歩き出した。
「よくこっちがわかったね」
「声が聞こえましたから」
 中書令が自分の耳を指差す。
「地獄耳だね、中書令さんは」
「そうです」
「あれ、飛空船発着所は向こうだよね。待ち合わせ場所変わったの?」
「そうです」
「今日はよくしゃべるね」
「そうですか」
「お祭りだから?」
「そうですね」
 故郷を思い出します。彼はそう続けた。
 常春の国の陽気は、遠い修羅の国の空気とどこか似ている。開きっぱなしの窓や広場で踊る人の輪から、月敬いの句が漏れ聞こえる。
「月を敬い三尾の秋刀魚をささげるのが慣わしなのに、作法も祝詞も、地方によって千差万別だね。この季節が来るたびに新しい敬い方を知るよ」
「泰国は浮島の儀ですから地方色が強いのでしょう。陽州のように」
 秋刀魚の格好で飛び跳ねる猫族を横目に歩く中書令。つむじを拝むなんてめったにないやと思いながら、亜紀は雪那の頭にもたれかかった。
「中書令さんは修羅にしては物静かだよね」
「自分でもそう思っていましたよ。それもあって、故郷では変わり者扱いでした」
 彼は目を細めた。
「けれど天儀に来てからは陽州人らしいといわれます。不思議なものですね」
 亜紀はそうだねと返した。その地に根付いた人の心根を形作る。それが風土なのかもしれない。その儀の人にはその儀の人の、流浪の人には流浪の人の、人を人たらしめる土壌があり、芽吹いた種が伸びやかに枝葉茂らせ、花開き実結ぶところの一言一句。
「……だからボクはいろんな言葉を集めて回るのが好きなのかもしれない」
 中書令が亜紀へ顔を向けた。
「今、何か?」
「ううん。ただ、この世界は不思議な言葉で満ちているんだねって」
 まぶたを閉じ穏やかに答える亜紀へ中書令は。
「つかぬことをお聞きしますが、甘酒は平気ですか」
「え、甘酒? もちろん平気だし、好きだよ。どうしたの急に」
「酒とは付いていますが、陽州では、あれは酒に数えないのです」
「天儀でもそうだよ。ボクみたいな子どもやご老人も飲むよ」
「そうですよね。それを聞いて安心しました。では、あれは単に……」
 中書令が足を止めた。長椅子が並べられた屋台村、飲めや歌えの一角だ。サビ猫風の猫族は既にできあがっていた。上級からくりの鼎は、主人が戻ってきたと知って、あからさまにほっとしている。
「……参さんが弱いということで」
「ツマミ足らにぇーにょ、糠秋刀魚じゃんじゃんにぇー! 司空の料亭のやつ!」
「ははっ、ただいまでござる」
「さすが雁おにぃさま。パシリが堂に入ってるですの」
「俺の躾が行き届いてるからな」
 ケロリーナ(ib2037)のひざで仰向けになっているのは霧雁(ib6739)の相棒、仙猫のジミー。机には、料理に混じってジミーのパージした駆鎧もどきのパーツが並んでいた。
「ジミーチャーンの駆鎧音頭はおしまいですの?」
「一汗かいた後の秋刀魚がたまらねーんだ、これが」
 だらんと伸びきったまま、刺身のお代わりを要求している。ケロリーナの騎士であるところの上級からくり、コレットは油断なくジミーの挙動に目を光らせていた。
(「お嬢様のお着物を汚したらただではおかん」)
 刃物のような視線に気づいているのか居ないのか、ケロリーナはもちもちぽんぽんをなでなでしている。
 打って変わって真剣な面持ちでいるのは人妖の火ノ佳。やけにおとなしいと思ったら、糠秋刀魚の解体に熱中していた。後でまとめて食べるつもりなのか、骨からはずしてほぐした身が皿の隅でこんもり山になっている。
 秋刀魚ラーメンのどんぶりを手に通り過ぎた白 倭文(ic0228)が、亜紀を見かけて足を止めた。
「よお亜紀殿、飯は食ったカ」
「軽くね」
「そりゃ重畳。梨那殿は寝るよか祭を楽しみたいらしいからナ、腹ごしらえしてけヨ。明燕も来てるから……」
 席を見回した倭文が、その彼女を見つけらず瞬きをする。
 炭酸割りを飲み干し、十野間 月与(ib0343)が顔をあげた。
「戚史さんなら隠れちゃったよ」
「またカ! 目を離すとすぐこれダ!」
 中書令は傍らの樹を見上げる。そこに居た呂と目が合ったが。
(「正直にお伝えするのは、なんとなく癪に障るので黙っておきましょう」)
 猟犬のごとく駆け去る倭文を見送り、中書令は自分も冷酒を頼んだ。ケロリーナが杖で呂をつつき、木から降りてきた彼女を強引に椅子へ座らせる。
 瞳を輝かせ、月与は仲間へ話しかけた。
「ねえねえ、呂さんと倭文さんって、今どうなってるの? 大分込み入った話のようだし、無理には聞かないよ?」
「私の口からはなんとも」
豊かな胸がたぷんと揺れ、中書令は失礼にならない程度に顔を背けた。ケロリーナがツインテールを振り振り胸を張る。
「参おねえさまに呂おねえさまが、ちょっとヘンなのは恋をしてるからですの!」
「誰が誰に、にゃんだって?」
「もちろん参おねえさまに、呂おねえさまが恋をしてるですの!」
「ええっ。そうだったんだ私!」
「マジで!? やったにぇ明ちゃん、両思いだにょ!」
「人類皆兄弟ですの!」
「「「いえーい!」」」
 ハイタッチ。
「戚史さん、倭文さんが帰ってきたよ」
 ずしゃあああ。
 呂は月与の声に身を翻して机の下に隠れた。倭文に引っ張り出されてからも、往生際悪く抜け道を探し、すり足で横へ。
 じり。倭文が半歩踏み出し、呂の動線を塞ぐ。
 じり。足を踏み変えずに重心を移動し、呂は通路と障害物の距離を測っている。彼女がどう動くかを織り込んだうえで、倭文はより適切な位置を探っている。
 じりじり。そのまま二人は円を描くように。
「呂さんは訳がわからないなあ……。会えてうれしいなら、うれしいって言えばいいのに」
 亜紀のすなおな感想へ月与は苦笑した。呂の反応が馬鹿馬鹿しくもあり、微笑ましくもある。
「好きな人を前にすると戸惑う気持ち、わかるな。……私も」
 沈黙が落ちた。何かを期待されていると、亜紀はひしひし感じた。
「聞く? 聞くよね、聞いていって、あたいと旦那様の場合はね!」
 亜紀は急いで最後の良心こと、六条 雪巳(ia0179)の袖を引っ張った。
「やあ雪巳さん。どうしてみんなこっちに来てるの?」
 ラーメンをすすっていた雪巳は口元を布で拭き、汗をかいたグラスを手に取った。横に座る火ノ佳は、中書令が供した糠秋刀魚を骨だけにする作業に熱中したままだ。
「行きたいところがありましたので、全員そろうまでと腰を落ち着けたら、つい」
「どこ?」
「帽子屋です。できたら、大きめのストールも」
 そっと雪巳が指し示す先には、布をかぶったままの明結が居る。
「人目も引きますし、何より動きづらいでしょう?」
「祭りとは申しましても、参加するだけで疲れる事はありますから」
 中書令も合いの手を入れ、当の明結も頭を縦に振る。彼女の前には糠秋刀魚と甘酒が手付かずのまま置かれていた。
 亜紀が眉を寄せる。
「帽子屋って近くの商店? そこ、もう閉まってたよ」
 返事に雪巳とケロリーナはしまったと顔を見合わせた。中書令がいち早く立ち上がり、霧雁へ帰ってきてくださいと声を飛ばす。
 雪巳も急いで食べ終えると、立ち上がった。
「はいはい、皆さん。そろそろ行きましょう、帽子屋を探しましょう。大通りの老舗ならあるいは、まだやっているかも……梨那さん、追加注文しない!」
「まだほぐし終わっておらぬのじゃ」
「火ノ佳も!」

●チャイニーズルーム
 最初の送り火が、盛況のうちに終わった。大通りを埋め尽くす人の流れが変わる。
 桃色のストールが金魚の尾のように揺れていた。
 明結はつば広の帽子を目深にかぶり、ストールへ埋め顔を隠している。その甲斐あって傷跡は隠れ、不自然でなく人並みに混じっている。転ばないようにと彼女の腕を取り、雪巳は大通りを飛空船発着所へ向かっていた。両脇を倭文と中書令が、しんがりは亜紀が雪那の上で、人ごみから明結を守っている。
 目の不自由な彼女のためにと、雪巳はどちらも肌触りのよいものを選んだ。着替えてからずっと明結はストールを握っている。
「気に入っていただけましたか」
 明結が雪巳の手のひらへ字を書いた。
『お心遣い感謝します』
「こちらこそ、急がせてしまってすみませんでした」
 かすれた音が明結の気管からこぼれた。笑っていたのかもしれない。
『送り火ってどんなものかしら。巌坂を出たことないから、見たことがないのよ』
「そうですね、始まりは約五百年前で……、西の劉山、北の曹山、東の孫山が篝火で絵を……」
 浮かんだ説明を雪巳は口の端をあげて打ち切った。
「泰のお人ならご存知ですよね。私の目を貸してあげられたらいいのですけれど。勇壮で華麗で、泰国らしい美しさです」
 雪巳たちより前を歩いているのはケロリーナだ。参と呂に挟まれた彼女は、二人と手をつなぎ霧雁を従えている。
「みんなーなかなかよしよしのーふんふふーですのー」
 なかよしのおうたを適当に口ずさむケロリーナに、黒のキャスケットをかぶった参が猫耳をぴくぴくさせ振り向いた。
「十野間さーん、さっき私にくれた奴をおばさんに貸してもいい?」
「え? ああ、なるほどね。もちろんだよ」
 何か感づいたのか、月与は快諾した。上級からくりの睡蓮は、参が懐から取り出した包みを受け取り明結へ手渡す。
「刺繍絵『三山送り火』だよ。凹凸があるから、なぞると景色がわかる、かな?」
 わずかな糸の太さや撚れの違いではあるけれど、帽子屋での明結の様子から、彼女ならわかるのではと月与は考えたのだった。目論見どおり、刺繍を指先でたどった明結は、さっそく山の形を探り当てていた。
「そう、それが三山だよ。今年の見所は東の孫山なんだって。質実剛健の伝統から離れて、変わり絵にするって」
 月与は笑みを深め、満月から秋刀魚そっくりの三日月へ変わる今年の絵柄を、彼女の手のひらに描く。顔をあげれば、まさにその絵が闇を払うように燃えているけれど。
 雪巳は刺繍絵を夢中でたどる明燕を眺め、先を歩く参の背を見つめた。
「最後の送り火……に、なってしまうのでしょうね。巌坂の外では寝るわけには行かない、お二人にとって苦痛でしかありませんし」
「穴場に暁燕で送れば良いが……この辺は詳しくねェしナ」
 続けた倭文も押し黙る。雪巳の胸中を彼も汲み取っていた。

 戻ったら、おそらくもう外へは。

「雪巳は優しいナ、中書令もケロリーナも」
 倭文の眼差しには、ねぎらいといたわりが宿っている。その瞳のまま倭文は呂親子と参を映した。
「……彼女らも」
「あなたもそうでしょう」
 唇を尖らせ倭文は頭を振った。飾り帯の鈴も一緒に鳴る。
「……優しかねェよ。いつも自分のことで手一杯ダ。……肩入れっちゃ、肩入れなんだろうナ」
 小さくため息をこぼす倭文に雪巳は微苦笑を浮かべた。
「損な性分ですね」
「気の利いた話もできねェしナ。普段どおり食と顔色から具合を見るくらいカ。明燕の食が細かったから、発着場で何か食わせとかねェと」
「あなたから逃げまわってましたしね」
「アイツ、緊張すると隠れるのナ」
 伸びをした倭文は前方の参へ顔を向ける。
「梨那殿も、無理して騒いでるように見えるナ。我の勘ぐり過ぎカ?」
「いいえ、私もそのように思います」
 雪巳は紫の飾り布を羽織りなおした。彼らの予感は当たっていた。

「でにぇ。明ちゃんのお店は宝石と時計が主で、名人の作った万年時計がお店の中央に据えてあって」
「それからそれから?」
 霧雁はつかず離れずの距離を保ちつつ会話を聞いていた。ジミーの駆鎧もどきが、背中でがちゃがちゃ鳴る。ケロリーナ相手に思い出を話す参は興奮気味だった。何かの栓が飛んだようでもあった。口を挟みこそしないが、呂は固い笑みを浮かべている。
「それが時間になると音楽が鳴るわけ。んで宝石細工の龍や鳳凰が、宝珠の光でぴかぴかして、それが幻灯みたいに壁に映って店の中が桃源郷みたいになるにょ」
「手の込んだからくりですのね。それで時計は、どうなったですの?」
 ケロリーナが傍らの呂を見上げる。呂はへらりと笑った。
「さあ。もう誰も知らないや」
 霧雁は彼女の答えに苦いものを感じた。なぜだか呂が悲しげに見え、話題など変えてみようとする。
「彫金細工は扱っておられたでござるか」
 呂はへらへらしたまま首を振った。参は目をしばたかせる。
「それも売れ筋だったにょ。彫金と、あと貝細工も多かったにょ。貝殻を開けたら巌坂の町が彫ってある奴は人気だったにょ」
 ケロリーナが頬に手を添える。
「あら、でも参おねえさまのお店は秋刀魚料理屋ですの。もしかして参おねえさまは、ご自分でお店をいちから始めたですの?」
 そうだにょと胸を張った参が、立ち止まった。送り火を遠目に眺めている。霧雁はそっと言い添えた。
「飛空船の出発まで、まだ時間があるでござる」
 帽子を目深にかぶりなおし、参が答えた。
「私の店をもう一度見に行ってもいい?」

 猫の住処は、大通りよりもさらに混雑していた。
 全国から集まった猫族が、賑わいを通り越し熱狂に駆られている。爆竹が鳴らされ、調子っぱずれの歌が響くなか、一行はかつての参の店の前で立ち尽くしていた。
 昼に来たときには気づかなかったが、貸店舗と書かれた看板には、成約済みの札が貼られている。しらけた顔でそれをながめていた参は肩を落とした。
「きれいさっぱり何もなくなったにょ」
 夜逃げした時みたいとつぶやいたのを、霧雁は聞き逃さなかった。
「内装、結構金かけたんだけどにぇー、あれも一新か。あーもー繁盛しなきゃ許さにぇーにょ、ケッ」
 きびすを返した参はスタスタと歩き出した。
「梨那さん、どこへ行くでござるか」
「発着所に決まってるにょ。寄り道つきあってくれて、ありがとさん」
「まだ祭りは終わってないでござる」
「いいにょ、もう」
 とっくに終わってるから。参はそう続けた。
「私は参梨那じゃなくて、黒うんたらってアヤカシなんでしょ? ここに居るって知られたら倒されちゃうじゃん、みんながお祭騒ぎしてるうちに、とっとと巌坂へ逃げちゃおうっと」
「梨那さん……」
「顔にまで大穴開いてんのに、痛くないし、私動いてるし」
 参は、へらりと笑った。
「……受け入れるしかないじゃん」
 むに。
 やわらかい感触が参の口元へ押し付けられた。月与の大福だった。にこにこしている月与に押され、参はそのまま大福を口にした。食べ終えるのが惜しいほどの逸品だった。
「お祭といえば石鏡の紅白大福かなって。漉し餡と粒餡、どっちがよかったかな?」
「どっちも好きにょ」
「それとね、あたいにとってもあなたたちは大切な人だから、頼ってもらえたら嬉しいかな? あたいは外野かもしれないけど、呼んでくれたらいつでも駆けつける。心配してる。あなたたちを気にかけてるよ」
 月与は穏やかに言葉をつむいでいく。
「人に言えない難しい問題を抱えてるのかもしれないけど、周りの仲間たちを信じて前を向いて行ってね」
 残った大福を包んで参と呂親子へ預ける。
 霧雁が守り袋を差し出した。
 開くと三日月形の銀板が入っている。いや銀板ではない、秋刀魚だ。無の境地に至るまで、こつこつと掘り込んだのだろう。あきれるほどの繊細さで、うろこのひとつひとつまで再現されている。大漁網から跳ねだして、月と重なる秋刀魚の姿がみずみずしく表現されていた。
「拙者は秋刀魚が好物で、食べている時はとても幸せな気持ちになるでござる……」
 思いと言葉の釣り合いが取れず、霧雁はふと声を切った。
 参と明結、二人の幸せを祈りたく、だが何をしたらいいかわからず、気がついたら自分の好物を作ってしまった。形こそ己好みになったが、無心で仕上げた手仕事にこめたのは祈り以外の何者でもなく。
「拙者の感じる幸せが、お二人にも伝わればいいと……」
 珍しく言葉少ない霧雁の手から、二人が細工を受け取った。表面をなぞっていた明結の手が止まる。細工の細かさに驚いているようだった。参も目を見張ったまましげしげとながめている。
 その瞳に涙の膜が張った。肩にぐっと力をこめ、霧雁は切り出す。
「……拙者の弟子の家はジルベリア貴族ゆえ、いざという時はそこの領内に」
「ジルベリアかあ……寒いし、遠いにょ」
 軽く吹きだした拍子に、参の涙がこぼれ落ちた。
「ねこさん、これいじって帽子の飾りにしていい?」
「なにゆえ」
「身に着けときたいから」
 霧雁がうなずく。
「拙者が手直しするでござるよ。泰大彫金学科最優秀受賞者におまかせあれ」
「……ありがとにぇ」
 目元をぬぐい、参はすっきりした顔で笑った。

 帰り道に、月与は呂へもぬいぐるみを渡した。くったりした抱き心地のいいぬいぐるみだった。
「お守りよ。大切な人たちと過ごした今日と言う日の記念に……ね」
「大事にします。これ、ちょっと猫族っぽいですね」
 月与と呂、二人の笑い声がさざなみのように広がっていた。同じぬいぐるみを抱きしめていた明結が、雪巳の袖を引いた。懐から矢立と帳面を出そうとする彼女を倭文が支える。
 ぎくしゃくした字で、明結は問いかけた。
『雪巳さん、古泰語はご存知?』
「いえ、まったく。記号の塊にしか見えません」
『お手本どおりに書くのはできそう?』
「読み書きではなく、書き写すだけでしょうか。そのくらいならできそうです」
『部屋の中の雪巳さんが、古泰語の手紙の受け取って返事を書いたら、部屋の外からはどう見えるかしら。例えあなたが訳もわからず、指示書どおりに書き写しただけだとしても』
「……対話が成立しているように見えるかもしれません」
『記憶という指示書を持ったアヤカシが部屋の中に居て、呂明結や参梨那の物まねをしている。あの子はやさしいからころりと騙されたまま』
 雪巳と倭文は同時に振り返った。仲間の輪に混じる明燕の姿が映る。
『どうかあの子を助けてやってください』
「……、母君、言いたい事はわからなくもない。だが、梨那殿もそうだが。信仰を抜きに、明燕は明燕で、他に得難い幸は得ていると思うゼ。そこまで思い合う親や友がいるのは、今まで互いがあったからこそだろう。だから……惹かれたんだろうしナ。難しい話は抜きに、そう思う」
 軽く咳払いした倭文は、不機嫌そうに顔をしかめた。頬に朱が刺している。
「だから何だ、我は三人ともに感謝してる。それだけナ」
 倭文は大きく踏み出すと、前に居た明燕の肩を叩いた。驚いて飛び上がり、明燕は逃げようとする。が、月与が笑顔で阻止した。倭文はため息半分で言う。
「逃げても隠れてもいいさ、好きにしろヨ。だが、どうせ隠れるなら我の背にしとけ」
 彼女を抱き寄せ、倭文は小さな頭をぽんぽんと撫でた。
「おまえが安心できるまで何度でも言うゼ、我は味方だ。お前もあっちで頑張ったんだろ。我の隣でくらい気を張らなくていい」
「……」
 明燕が半歩、倭文へ近寄った。
「意外と泣き虫ナ」
「……倭文さんだって泣き上戸じゃないですか」
「あれは、たまたまだって、深酒したからダ」
 明燕はうつむいたまま唇を尖らせた。
 しんがりから一部始終を見ていた亜紀は、秋刀魚の蒲焼片手に思った。
(「似たもの同志の匂いがする」)
 扇を開き、雪巳は明結へ風を送ってやった。
「娘さんは大丈夫ですよ。きっと、梨那さんも。参りましょうか、巌坂へ。送り火もじきに終わります」
 朱春を囲む炎の祭典に、雪巳は思いをめぐらせ月を見上げた。三山は荘厳に、敬いを篝火にこめ天へ掲げている。
(「送り火……祖先や亡き人の魂を送る火。黒蓮鬼となった方の魂も、あれで送られるのでしょうか。人の心を映した黒蓮花も、送られるのでしょうか……」)
 祈りとも問いともつかない思いを抱いたまま、薄氷を踏みに往く。
 業火と夜空に、雪巳は押し潰されそうだった。にぎわいが遠い。月を見るときは、誰も皆一人だ。