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■オープニング本文 ●鎮守の森でどんひゃらら 妹が落ち込んでいたので、兄は胸を叩いて言ったのだ。 「よし、兄ちゃんがいいところに連れて行ってやるぞ」 と。 「いいところってここ?」 妹ころ姓は玲、名は結花は、釈然としない思いで兄と共に神主の話を聞いていた。 ハイキングにちょうどよさそうな小高い山のてっぺんだ。 古来より山には精霊の加護が宿る。 俗世を離れて山へ踏み込んだ人は大自然の持つ霊的な力に洗われ生まれ変わった心地にすらなるという。 か、どうかはさておき、神楽の都はずれの山に、神社があるのは本当のことだ。名を祖元部神社(そもとべじんじゃ)。心の折れやすい女神を祭っており、家庭円満、恋愛成就のご利益がある。らしいのだが、同じ吉凶を占うなら本殿のおみくじより鳥居の上に賽銭を投げたほうが確実ともっぱらの噂だ。 縁側で冷たいお茶でのどを潤す神主いわく。 最近祭っている精霊、青葉之比女が元気ないらしい。 「こりゃー、夏バテですね」 「夏バテ」 結花は辺りを見回した。緑は濃く、虫や鳥が飛び回っている。命あふれる夏の景色。鯉が池でぽちゃんと跳ねた。 「精霊のくせに?」 「なるときはなるんですよねえー。おかげで今山の気がむわーってなってるんですよ、ちょっとこまる、ね?」 「精霊力が過剰になっているのね。本来の調和からはずれているから、歓迎できる状態ではないということかしら」 「あ、それそれ。それです」 精霊力を薄めるには、人の気が効果的だ。 たくさんの人が集まり一日を過ごせば、山の精霊の夏バテも治るのだそうだ。 暦の関係で運気の上昇している七月生まれであればなおいい。 「ようするに神社で遊べと」 そういうことらしい。 「アヤカシが出ているわけではないのでしょう。緊急度は低いわね」 「八っちゃん見て見てー! でっかいカブトムシ!」 そう言い放ち席を立とうとした玲の後ろで、派手な着物の少女が虫取り網を振り回している。地味な着物の女の子は悲鳴を上げた。 でかい。蟹くらいある。 よく見ると蝉もクワガタもカナブンも、ご近所おこさまネットワークで英雄になれそうなほどでかい。 「あと池にも人面魚が出ているらしいぞ、結花!」 「お兄ちゃんなんでそんな楽しそうなの。泰大学の卒論は?」 「……集まった開拓者からアンケート取るさ。開拓者になった経緯とか、心に残ってる冒険とか称号とか。それより!」 てっきり荷物だと思っていたリュックから、どっちゃり花火が出してきた。 「結花は線香花火好きだったな。ちゃんと用意してあるぞ。打ち上げもやろう打ち上げ!」 「……まだ明るいわよお兄ちゃん」 ●妹の言い分 日当たりのいいその部屋は、よく言えば伝統ある、悪く言えば古臭い泰国風。 チェック柄のカーテンや、箪笥の上でふんぞりかえるくまのぬいぐるみが浮いていることこのうえない。天井から釣り下がっているファンシーなモビールにいたっては、涙ぐましさすら感じる。 ベッドの中で丸まり、亀みたいになっているのがこの部屋の主、姓は玲、名は結花(リン・ユウファ)。 こう見えて志体持ちの泰拳士なのだ。泰剣の扱いには自信があり、それを頼みに春華王の密偵なぞやっている。だが今は目元に紅をさして気取る気にもなれない。 彼女のプライドはズタズタだった。 なんでも一番がいいと単純に考えているせいか、開拓者をついライバル視してしまう結花だ。アヤカシに惨敗したあげく、開拓者に命を救われ帰りの便まで心配されたりなんかした日には、思春期らしい過剰な自意識は、丸めてこねてこんがり焼いたらふっかふかになりそうなくらい懇切丁寧にすりつぶされた。しかも自分を救った開拓者は、何かと世話になっている相手でもあった。結局、礼もいいそびれて悶々としている。 誰かが戸を叩いた。 「結花ー、ごはんだぞー」 兄だった。姓は玲、名は結壮(リン・ユウチャン)。普段は泰大学の寮に住んでいる。夏季休暇(夏季休暇だって、うらやましい! 私は年中無休の密偵なんだぞバカ兄! あ、ナイショナイショ)で帰省してきたのだ。 結花は布団にもぐりこんだ。 「ごはんだぞー」 「いらない! 食べたくない!」 「すきやきだぞー?」 「……食べる」 (「ママのバカ! 何で今日に限ってすきやきなのよ! おいしい!」) 泣きっ面でもぐもぐしている妹の横から鍋の肉をかすめとり、兄は声をかけた。 「結花は最近忙しいのか? 今、特に何もしてないんじゃなかったっけ」 「……無職じゃないもん。花嫁修業だもん」 家族の中で兄だけが結花の密偵業を知らない。あの浮ついた兄が密偵の存在を知れば、カッコよさそうという理由だけで何をしでかすかわからん、というのが父母の意見であった。結花も概ね同意している。 とはいえ、のほほんとした兄と話していると、いつのまにか胸のつかえが取れているのも、また確かなのだった。 はふとため息をつく結花。要領を得ない愚痴を聞いていた結壮は、気分転換に遠出するぞと胸を叩いたのだった。 |
■参加者一覧 / 羅喉丸(ia0347) / 露草(ia1350) / アグネス・ユーリ(ib0058) / ニーナ・サヴィン(ib0168) / リスティア・サヴィン(ib0242) / 玄間 北斗(ib0342) / 真名(ib1222) / リィムナ・ピサレット(ib5201) / ユウキ=アルセイフ(ib6332) / 神座真紀(ib6579) / 神座早紀(ib6735) / 神座亜紀(ib6736) / 霧雁(ib6739) / ナキ=シャラーラ(ib7034) / 華魄 熾火(ib7959) / 永久(ib9783) / 呂 倭文(ic0228) |
■リプレイ本文 ●太陽とカキ氷 紺碧の空、山々は緑に覆われ、雲がまぶしい程の照り返しを受けている。ユウキ=アルセイフ(ib6332)は相棒の背にまたがり空を駆けていた。空龍になったカルマとの遠乗りが最近のお気に入りだ。自己レコードを塗り替える勢いでカルマは弾丸になる。面をしていれば叩きつける風も気にならない。 づどん。 突然、山の頂上から水柱が上がり、カルマは緊急回避からの宙返りを決めた。手綱を握り締めたユウキは我が目を。水柱の頂点で、さらしにふんどし姿の美少女がポーズを決めていた。妙にイケメンな人面魚が鯛やヒラメのごとく舞い踊り、輝鷹サジタリオの友なる翼が神々しいまでの輝きを放ち、両隣には黒猫と白猫が後ろ足で立ち神獣めいた雰囲気をかもし出している。少女、リィムナ・ピサレット(ib5201)は妙なる調べに乗せ歌い始めた。 「今月もお祝いに来たよー♪ お兄さん誕生日なら寄ってってー♪ しゅわっと爽快カキ氷もあるよー♪」 もうよっぽどアイヴィーバインドで捕獲しようかと思った、珍獣発見ってね。後にユウキはそう語った。 するすると降りていくリィムナ。旋回しつつ安全を確認したユウキは、水柱の出所が神社の裏庭の池だと気づいた。散歩に適した小山だ。こじんまりした社殿を挟んで鳥居がある。集まった人たちは、鳥居に何かを投げているようだった。 縁側に腰掛け、しきりに辺りを見回しているのは人待ちだろうか。白 倭文(ic0228)は諦めたらしく、隣のサビ猫風の獣人へカキ氷の器を渡す。座布団に座っていた参は眠たそうに目をしばたかせ、大きなあくびをした。 豊かな黄金の髪が夏のきらめきを反射しユウキの目を射た。ニーナ・サヴィン(ib0168)が進み出たのだった。 「『恋が上手くいくように』ってのがお約束だけど、今日は……」 彼女は姉貴分と大事な友人にウインクした。 「アグネス姉さんと真名さんが幸せになりますように!」 心をこめて賽銭を投げ、見事に大暴投。鳥居の柱にあたった五文銭がはねかえり、絶妙な角度で石畳で跳ねリスティア・サヴィン(ib0242)に突き刺さった。 「うそおおお!? ごめん義姉さん!」 驚いた相棒からくりのクロードが、こぼした麦茶もほったらかしで主へ駆け寄った。だが。 「きゃははっ、アグネスの運、あたしがもーらった!」 「ああっ、すごい弱みを握られた予感。返してー!」 受け止めた小銭を手にリスティアが境内を駆け回る。追い回すニーナへ炭酸シロップカキ氷を手にした相棒からくりのアリスタクラートが野次を飛ばす。 「さすがニーナ、おいしいね」 「アリス! またドレス着せるわよ。ピンクのフリッフリのやつ!」 主人に睨まれたものだから、あわてて駿龍ヴィントの後ろに隠れた。神社の縁側には蓋の開いた酒樽がある。神酒、いわゆるふるまい酒のようだ。どうやら皆、一杯引っ掛けているらしい。ころころ笑っていたアグネス・ユーリ(ib0058)が、不意に真顔になった。 「よし……今のうち」 「あら、何を企んでいるのかしら。私のお師匠様?」 口元に手をあて微笑む真名(ib1222)にアグネスは肩をそびやかす。 「占いよ、占い。願い事は……」 伺うように周りを見回す。真名の玉狐天、紅印と目が合ったアグネスは軽く舌を出した。 「秘密♪」 投げた小銭が、鳥居の中央へおさまる。 「よしっ、大吉!」 ガッツポーズをするアグネス。上空からそれを眺めていたユウキは楽しそうな雰囲気に心引かれた。 「誕生日? ……お祭りをやっているみたいだね。何のお祭りかな? まさか水神祭なんてことはないだろうけれど。新しいお面は売ってないかな」 賑やかな事は好きだ。その場の雰囲気を味わうのも。ユウキはカルマの首を叩き、神社へ降りるよう指示した。 手入れの悪い石畳に立つ彼は、一目見れば歴戦の勇士だとわかる。 利き手の先に五文銭を乗せ、羅喉丸(ia0347)は運試しの真っ最中だった。 膝と肘を縦にそろえ、ぴんとはった利き腕をずらし目視で照準を合わせる。目指すは大吉、鳥居の中央、のるかそるか。 岩の陰からそっとのぞく露草(ia1350)は、巫女袖の中で細腕で体を抱きしめた。 「こ、こっちまで緊張しちゃいます」 「見てるだけでドキドキするのー」 天妖の衣通姫まで主の裾に隠れてしまう。 (「わわわ、周囲の精霊が呼応してるのがわかる。あの人を中心に渦を巻くように集まって……へっ」) 「ふわあ!」 身を預けていた岩が動いた。衣通姫がひゃんと鳴いて露草の袴の中に隠れる。岩だと思い込んでいたのは、羅喉丸の相棒皇龍、頑鉄だった。踏んでしまわないようにと気を使ったらしいが、逆効果だったようだ。詫び代わりにゆるくふるった尻尾へ衣通姫が飛びつく。 「ぴかぴかなのー。きれー」 「いつきちゃんたら! もう、ごめんなさいね」 軽く頭を下げると、羅喉丸は会釈を返した。確かに青みがかった龍鱗は翠玉の矛を思わせる。すべらなか表面へ衣通姫のあどけない橄欖石の碧が重なると、静かな堀を覗くような心地になるのだった。 「ねー、露草。この龍さんしっぽ、つるつるー、ぺったぺた。たのしいー」 その尻尾へ指紋を残しまくる衣通姫に、自覚はないようだったが。 そういえばなんだか頑鉄の鬣が、もふもふに見えてくるような、ないような。 「どうしたのだ?」 ぎょっとして隣を見ると宮司姿の玄間 北斗(ib0342)。後ろにいるのは、やせた気の弱そうな泰国人の青年だ。隣で無愛想にしているのは妹らしい。 「そこのお兄さんが開拓者に聞き取りしてるらしいのだ。協力してやってほしいのだ」 「真綿の君という称号をいただいてまして」 「その話、詳しくなのだぁ」 きらりと目を光らせた北斗と玲に根掘り葉掘り聞かれてしまった。 「生まれは7月28日です。こっちの天妖はいつきと言って大事な相棒です。称号の真綿の君ですが……」 露草は恥ずかしげに両手で顔を隠して、いたのだが。 「これ、思わずぬいぐるみのもふもふ、ふかふかっぷりについて語りつくしたときに付いた称号なんですよねえ……」 弁に熱が入る。ついに拳を握り頬を火照らせながら語りだした。確か、その依頼はどんぶり作りがメインで、ぬいぐるみは関係なかった気がするのだと北斗は思った。でもスルーしておいた。目の前の露草が天井知らずでヒートアップしていくからだ。 「たとえ話ではあるんですが、ええ、どんぶりものをふぁーすと、ぬいぐるみにたとえてですね……! そしてせかんど、いんぷれっしょん!」 まだまだ終わりそうにない。 事の次第を見届けた羅喉丸は、集中を終え小銭を弾いた。直線の軌跡と思いきや、小銭は伸びやかな放物線を描き真夏の青空の中へすいこまれる。ややあって鳥居の中央からちゃりんと音が立った。 「お見事なのだ」 「運命は自らの手で切り開くものさ」 縁側にいる北斗たち。隣で座禅を組む羅喉丸へ北斗は徳利を押しやった。 「お茶のほうがよかったのだ?」 「いや、いただこう。神酒は身を清めるという」 杯を傾けるついでに開拓者になったきっかけを聞かれ、羅喉丸は重心を後ろにずらし空を眺めた。 「俺がガキだった頃、村がアヤカシの襲撃を受けたんだ。風信機もない片田舎だからギルドまで伝えることもできずにいた。通りがかった開拓者に救われなければ生きてはいなかっただろう。……強かったな」 肩の力を抜き、羅喉丸は。 「初めて馬頭鬼と戦った時、あまりの頑丈さに度肝を抜かれたものだ。こちらは囮に落とし穴まで用意していたにも関わらず、八人がかりで止めを刺すこともできなかった。……思えば、遠くへ来たものだ。だが、あの背に追いつけているか、まだわからない」 なればこそ日々修練あるのみ、羅喉丸は座禅を組むと精霊の呼び声に耳を傾ける。 露草のほうは鳥居を前に闘志をめらめら燃やしていた。社殿を背に陣取り、五文銭を手に狙いを付けてみる。あぶなっかしげに。 「よしでは……」 「露草ーがんばってー」 「頑張って開運のために」 ぐっと小銭を握りこむ彼女の胸には様々な思いが去来している。どれもちょっとした願い事ではあるのだが。 (「複数ですから……大吉にならない限り、全部はかなわないかもしれません」) 自分の思いつきに顔をほころばせる。衣通姫が、がんばってと両手を振る。 「……えい!」 露草は、ふりかぶり五文銭を投げた、目をつぶって。こいん。軽い音が立つ。 「あ、ああーあ……」 「鴨居に当たったから小吉なのだ」 おいでおいでをする北斗の前に立つと、飴ちゃんゲット。衣通姫は早速ほおばっている。 「おいしいね!」 あんまり楽しそうにしているものだから、まあいいかなと露草も思った。手毬を模した飴玉は白地に緑と赤模様、口に含むと甘味が広がった。 麦茶をぐい飲みした玲がぷはと息を吐いた。 「ここの神社はサービスがいいですねー」 「いや、おいらは通りすがりなのだ」 「通りすがりなんです!?」 宮司姿が妙に似合っている。北斗は背伸びをし(意外に高い)、(案外ごつい)人差し指を玲へ突きつけた。 「ふふふ、ある時は縁の下の狸さん、ある時はたれたぬ忍者の玄ちゃんこと、玄間北斗とはおいらのことなのだぁ〜」 「もふらにしては働き者だと思ったら」 「みんながにこにこしてると、それだけでおいらもうれしくなるのだ。みんなが幸せに笑って居られる日々が長く続くのが一番なのだぁ〜」 北斗は懐から小袋を取り出し、結花に差し出す。 「おにいさんもそこのおねえさんも、飴ちゃんどうぞなのだ。おなかが減ってると心も引っ張られて、くらーい気分になるのだぁ〜」 「……どうも」 受け取った飴を口にした妹に、玲もほっとしたようだった。小声で北斗へ囁く。 (「最近、あいつカリカリしてて。思春期の女の子って取り扱いが難しいですよねー」) (「年頃らしい悩みがあるかもしれないのだ。見守ってあげるのだ。傍にいるだけで救われることもあるのだ」) たれたぬきは悪戯っぽく、くくくと笑った。 (「はっ、まさか結花に恋人が? 言われてみれば無断外泊どころかプチ家出もたびたびで、両親はだんまりですし、あれ、俺の家崩壊の危機です?」) (「それはないとおもうのだぁ〜」) もはや隠しきれいないやりとりに、ユウキも小さく吹き出した。 「それこそお伺いを立ててみてはどうかな。神様にさ」 カキ氷片手に鳥居を指差すユウキに、ようやく本分を思い出したらしい玲が挨拶した。 「僕? 七月十八日生まれだね。せっかくだし鳥居に賽銭を投げてみようか」 席を立ったユウキはリィムナへ炭酸シロップカキ氷ごちそうさまを言うと、五文銭をとりだした。 「願い事と占いと……どちらにしようかな。いつも何を占ってもらうか迷ってしまうけど……恋愛運はなぜか気にしちゃうんだよね。どうしてだろう」 苦笑いがこぼれる。特に意識してるつもりはないのだけれど。 「それでは、すてきな出会いをリクエストしようか、女神様」 下からすくいあげるように賽銭奉納。赤い鳥居の端へ、ユウキの一投はちりんと鳴って収まった。 「中吉なのだぁ〜。叩けよされば開かれんなのだ。あるいは果報は寝て待てなのだぁ〜」 「どっちなんだい女神様」 にぎやかな話し声が耳へ届いた。お参り客のようだ。階段を上がってきたのは黒髪を白のリボンでひとつにくくった妙齢の女性。声音には柔らかな訛りがある。 「山の上や言うのに空気がこもってんねえ。暑さやないやろなあ、なんやろこれ。早紀、わかる?」 上の妹らしき少女が拳を握る。真面目を装っているがテンションが高い。頬が火照っているのは暑さのせいだけではないようだ。 「精霊です姉さん。姉さんの周りに精霊が集まって黄色い声を上げてるからです! 精霊はお祭りや慶事のほかにも、美しい人や心清い人を見かけると集まってくるんですよ!」 「へえ、ハイキングがてら来てみたら面白いことになっとるね。丁度ええから春音も遊んでき」 いやんですぅと間延びした返事をするのはでっかい桜餅、ではなく豊かな桃色の髪をした羽妖精だ。籠に入って緑の抱き枕を抱えている。 「日が落ちて涼しくなったら遊びますぅー」 「夜は夜で寝るやろ」 「はいですぅ」 籠の中で春音はころんと寝返りを打った。起きる様子はない。こう暑いとそれだけで体力を使う、とは本人の弁。仕方なく主人の神座真紀(ib6579)境内の神木の木陰に茣蓙を引き籠をおろす。 神座早紀(ib6735)は玲をつかまえると、一気にまくし立てた。 「お久しぶりです。四月は姉さんと妹がお世話になりました。今月は私の番ですね。それでは、お話いたしましょう。なんと、なんと、今日は姉さんが私の、わ、た、し、の、ために! お弁当を作ってくれたんです!」 「あ、早紀さんは七月生まれなんですか。なるほどー」 「はい、そうなんです! さらにさらに、私の好きなおかずばかりなんです。何なのか聞きたいですか?」 「そうですね。できれば先に生まれ日を」 「聞きたいですよね? いいでしょう特別にお話します、なんと卵焼きです。普通の卵焼きではありません。ふわふわです!」 「いや。早紀、そんな感激せんでええねんで」 「な、なるほど。あの、生まれ日を」 「さらになんと! 茄子のはさみ揚げ! それからそれから、ああ、もう死んでもいい……」 「早紀ちゃんは七日生まれだよ。それに、今召されたらお弁当食べられなくなるよ?」 冷静な、そして幼い声に、結花は兄の影でびくりと体を震わせた。 「やあ、八重子ちゃん、クマユリちゃん、と、……やあ」 「あーちゃん、怪我治ってよかったね!」 縁の下を棒でつついていた二人に挨拶する神座亜紀(ib6736)。はしゃぐクマユリの隣をすりぬけ、八重子は亜紀を見るなりぎゅっと抱きついた。 「八重子ちゃんたら心配性だね。お見舞いに来てくれた時には、もうボク元気だったじゃないか。ほら元気出して虫取りしに行こう。雪那が樹糖を木に塗ってくれてるはずだよ」 「ひゃうんですぅ」 唐突に春音が悲鳴を上げた。振り返るとクマユリが虫取り網を振り下ろしている。 「おっとクマユリちゃん、いくら春音の羽が蝶の羽でも、虫やあらへんからね♪」 クマユリの頭をつついた真紀は、神主に許可をもらい井戸にデザートを沈めている。梅の寒天よせだ。引き上げる頃には程よく冷えているだろう。 相棒からくりの月詠が主人を捕まえ、玲との間に割って入る。 「……そいつ男だけど、いいのか早紀?」 「あら」 自分が玲の袖を握っていると気づき、早紀は驚きながら手放した。 「ごめんなさい。玲さんってなんだか、男性って感じがしなくて」 「……栄誉なのか、不名誉なのか。前者で受け取っておきます。アンケートご協力ありがとうございました!」 血の涙に沈む玲兄は放っておき、月詠は大事な主人を長姉のところまで送り届ける。その横顔は、ちょっと得意げであった。 カキ氷を平らげたナキ=シャラーラ(ib7034)がそんな玲をつついた。相棒鬼火玉の混同・ル・マンをこめかみに押し付ける。じゅっと音が立ち、玲は飛び起きた。げらげら笑うナキは、聞けば7月生まれであるという。 「七月二十三日生まれのナキ様だぜ! ダチ公のリィムナを探してんだけどしらねーか?」 言われて辺りを見回すが境内には居ない。裏の池かもしれないとナキは腕まくりをし、玲に呼び止められて歩みを止めた。 「面白い話? 前にアヤカシスモトリと戦った事あるぜ! 海苔がなければ即死だったんだぜ、危ないところだったぜ」 「海苔?」 「おう! こういうのは形から入らねえと、と思って胸に海苔を貼り、下は褌締めて往来で相撲取ったんだぜ! 途中で褌が切れちまったけど、予め褌の下に海苔を貼っておいたから平気だったぜ」 ごくりとつばを飲み下す玲兄妹。妹は道徳的な意味で、兄は背徳的な意味で。ナキはからりとした笑顔を見せた。 「まあ見られても気にしねーけどな。最後は頭突きでKOしたぜ!」 誇らしげに宣言するナキ。彼女は複雑な表情をする結花の奥に、大量の甲虫が集まっているのを見つけた。木の幹に塗った樹糖にたかっているようだ。 仕掛けを施しているのは相棒からくり雪那。主人の亜紀と八重子クマユリ、そして春音に囲まれる様子は引率の先生だ。 「このように、樹糖だけでなくつぶした果物などを混ぜるとよく効きます」 「ほんとにね、わさわさ集まってる。それじゃ雪那、採っておいて」 「……私がですかお嬢様」 「だってボクたち今から真紀ちゃんのお弁当タイムだから。八重子ちゃんもクマユリちゃんもどうぞ。真紀ちゃんが腕によりをかけたから味は保障するよー」 「およばれしようかねェ」 期待に頬を染める八重子。きびすを返そうとする亜紀の前に、ナキが立ちはだかった。 「これだけ虫を集めて遊ばねえなんて! あたしがとっておきを教えてやるよ。行くぜー! カブトキャンサー! ライド・オン!」 巨大なカブトムシを捕まえ腕に乗せるナキ。 「ズガガガガガガガ!」 口で効果音を言いながら反対側の腕にもオン。 「シュゴオオオオオオオオ! あ、逃げるなおまえたち!」 のっちのっち、にじにじ。ぶうううううん。ナキは急いで小鳥の囀りを歌って虫をおとなしくさせ、即席甲虫アーマーを完成させた。 「ガッシュイーン! どうだ!」 「ヒューカッコイイー!」 クマユリは目を輝かせ、亜紀は眉間を抑え遠慮しておくよと大人の対応をした。ドン引きしている八重子にナキは人差し指を突きつける。 「この良さがわからないとは子どもな奴だな、装着しようぜ!」 「か、かんべんしておくれよゥ」 逃げ出した八重子をナキが追いかける。亜紀が杖を振ろうとした瞬間、意識がささくれが立った。一瞬の夜が消え、いつのまにかリィムナが立っていた。長い髪をなびかせる彼女の足元には、腰砕けになり甲虫アーマーをパージされたナキの姿。 「リィムナ……やりやがったなぁ! 寝小便垂れの癖にぃ!」 「おねしょは関係ないでしょ!」 真っ赤な顔のまま拳で口元をぬぐうナキへ、リィムナは耳打ちした。 (「今ね、神社の裏が穴場だよ。誰もいないんだ。ふたりっきりで遊ぼうね、んふふ♪」) ぷしゅーと怒気の抜けてゆでだこになっていくナキを、リィムナは引きずっていった。 その隙に、そそくさと結花は亜紀から隠れようとした。 「結花さん! 結花さんではござらぬか!」 頭上から高らかに声が響く。見上げると、社殿の屋根に立つ人影。逆光で顔はよく見えないがキジトラ猫を従えている。 「シノビ霧雁、推して参る。とうっ」 大空へ高く飛翔する影に、横から飛び出た鞠が直撃する。軌道がそれ、影は境内の石畳に落ちた。三回転して着地した鞠が後ろ足で立ち上がり、猫耳を尖らせる。 「まず主人を紹介するのが筋ってもんだろうが!」 浮いてきた霧雁(ib6739)はキジトラ仙猫ジミーに、再度蹴り倒された。平身低頭してようやく顔をあげるのを許可される。 「お元気になられたのでござるな、良かったでござる。貴方はもしやお兄さん? 拙者も泰大学の学生でござるよ、宜しくでござる!」 同じ大学の出を見つけてテンションのあがった霧雁は、玲のアンケートにも快く答えた。 「開拓者になったのは、毎日支給品がもらえると聞き、これを売っていけば働かずに食えると思ったからでござるよ。拙者もとうとう三十路でござるが、このままのんべんだらりと生きたいでござるな!」 「あ、猫さん。お世話になってるにょ」 霧雁が振り向くと、縁側で参が手を振っていた。 「おお梨那さんではござらんか。神楽の暮らしはいかがでござるか」 「おかげさまで特に問題なく。めちゃ眠い以外は」 「お疲れなら横になってもかまわんでござるよ」 「いやなんか、寝ちゃダメだっておばさんが」 話を詳しく聞こうとした霧雁だったが、気持ちを抑え仮初の笑顔を浮かべ、参に酌をした。 「祭りの日に根掘り葉掘りも野暮でござるな。そう思いませんことジミーさぁん?」 「おっしゃるとおりですわよぉん霧雁さぁん」 早着替えで胸と背中の大きく開いたドレスに着替え、神楽奉納の名目で賽銭箱をお立ち台にする。ワイン色のロングドレスを着たジミーと組み、額に汗しながら激しく踊りながら、大人げなく散華を連打しむきになって大吉を狙う。 「そぉれハイキッ……ぶにゃ!」 足を高く上げすぎたジミーがバランスを崩しひっくりかえる。もちもちぽんぽんがぼよんと揺れた。笑い転げる参を横目に、霧雁は一人ごちた。 (「先のことはひとまずおいて、今はただ、笑って欲しいでござるから」) 「……おめぇのそういうとこは嫌いじゃねえぜ」 野太い声に霧雁は下を向いた。相棒がにやりと笑っている。 「私が開拓者になった理由は、いずれ当主になる姉さんのお役に立てるようになる為です。姉さんは前に出て戦う職だし、その傷を癒して命を護れるのは巫女しかありませんから!ああ、姉さん♪ 早く一人前になりたい……」 占いの結果は小吉。大吉でないのは残念だけれど、その分は姉さんに謙譲したと思うからいいのだと、緋毛氈の上で歌うようにすらすら思いの丈を述べる上の妹に真紀は苦笑し、視線だけ末の妹へ移した。興味深そうにメモを取る兄の後ろで、結花は居心地悪そうにしていた。亜紀と彼女の間に、見えない壁があると真紀は気づいていた。 (「結花さんなんや挙動不審やなあ。それに……」) 神社のほうへ顔を向け、真紀はため息をついた。 (「参さんに呂さんも心配やね。まだ子どもの亜紀には色々辛いやろかな……」) 立ち木の横で見守ると書いて親と読む。母親代わりの姉はまだ小さな末の妹を優しいまなざしで見つめた。もし泣きながら帰ってきたときは抱きしめて気が済むまで泣かせよう。ひと時羽を休めたら、自分の足でまた歩き出す。それだけの強さを持っていると、真紀は二人の妹へ信頼を寄せていた。 「玲さん、ね、おいしいでしょう? 姉さんのはどれも優しい味でお店が出せるくらいなんです、そう思いません?」 「確かに味はもちろん、並べ方ひとつとっても食べる人を思いやっているお弁当ですね」 「でしょう! だって姉さんですもの♪」 (「そんなにあれもこれも玲さんに出してたら、自分のがなくならへんか早紀」) ごきげん絶好調の早紀は重箱の隅から隅まで玲へ勧めている。それでも時折亜紀の様子を伺っている。やはり姉として気になっているようだった。 八重子とクマユリと三人で芋の炊いたんを楽しんでいた亜紀が、人心地ついた玲へひざを向けた。 (「元気ないみたいだね」) 小声で囁かれ、兄は頭を下げた。 (「結花さんが困っていたから助けてあげたんだ。だけど、逆に機嫌を損ねてしまったみたいでさ。でも後悔はしていないよ。大事な友達を救えたからね」) 詳しい事情はわからないものの、玲は亜紀の言葉に事情を感じとった。 (「妹が失礼を」) (「気にしないで。それより、おうちでの結花さんて、どんな感じなのか教えてよ」) (「そうですね。んー、剣の道場に通ってますよ。友達はそこそこいるみたいです。あとは家事手伝いかな。そのわりには外出が多いですけど。何やってるのかな。 そうそう、部屋の模様替えが趣味でジルベリア風にしたいらしいのですが、もとが古い泰国風の家なもので無理がですね。あと、いい年してパパママって呼んでたり。あ、兄の欲目かもしれませんが、口は悪くても面倒見はいいほうだと思います。俺の寮まで掃除に来てくれたり」) 亜紀はぷっと吹き出した。 「やっぱり女の子なんだね。一度お邪魔してみたいな」 「どうぞどうぞ、朱春に来たら遊びに来てくださいよ」 和気藹々と盛り上がる玲と亜紀の姿に真紀はほっとした。ついと、袖を引っ張られる感触がする。振り向くと想像したとおりの相手が仏頂面のまま正座していた。 「……神楽亜紀のおねえさまでいらっしゃいますね」 「せやで」 うじうじと手悪さをしていた結花が、観念したのか姿勢を整える。 「先日は妹君に大変お世話になりました。命を救っていただいたご恩は必ずお返しいたします、とお伝えください」 「自分で言いや、そこに本人いるんやから」 また所在無く手悪さを始めた結花に、真紀は笑みを誘われた。 あくびをかみころし、参は二杯目のカキ氷にさじをいれた。 結花へ声をかけにいった倭文が戻ってきた。先日、不可抗力とはいえ結花の首を締め上げてしまったのだ。謝りにいったら、本人覚えていなかった。戦場では何が起こるかわからない、気にするなと返された。 用がひとつ済んだとつぶやく彼を参が見上げる。 「明ちゃんが居なくてつまんないにょ?」 「……いや、べつに」 「アンタわかりやすい」 「そうかもナ。アンタと我は揃いダ。おそらく三つ」 信心の薄い商人で、蓮肉喰い。それから。 「もしかして明ちゃんのこと気に入ってるにょ?」 「……まあ、それなりに」 「好きなにょ?」 「我からは、うん、確かに」 「なにその歯に物が挟まったような言い方。くぁー、はっきりしにぇー男にょ」 「はっきりしねェのは明燕だヨ!」 「ほう?」 半笑いのまま、参は座れと指示した。知ってるぞこれは。ネズミをいたぶるときの猫の目ダ。 「どれ、悩める青少年の心の叫び。おにぇーさんが聞いてあげようじゃにゃーにょ」 霧雁が倭文の両肩をがっしり掴む。 「先のことは考えず、今はただ楽しむのがいいでござるよ」 前門の猫、後門の猫。間に入るべき相棒からくりの雪蓮は、ジミーのもちもちぽんぽんに買収されている。裏切ったナ、裏切ったナ雪蓮。 ●夜と蛍 水の匂いがする。 湿った土や苔むした岩肌の香りだ。社殿の喧騒を背に聞き、永久(ib9783)は提灯の火を吹き消した。蝋燭の明るい闇にまぎれていた蛍の光が一段と艶を増す。翡翠を灯心に燃したかのような輝きはぼんやりと淡く、無音のまま身を焦がしてはふらりふらりと夜をさまよっている。 軌道の読めない光の演舞は、かつての自分を思わせた。華魄 熾火(ib7959)は炎龍夜叉の鼻面を撫で、心もとない光の舞を見るともなく眺めた。気のせいだろうか。踏んだ落ち葉も湿っている気がする。昼の酷暑の名残が池の周りに漂っているのだろうか。興味をそそられた熾火は長い黒髪を左手で押さえ足元をのぞきこんだ。ふと視界が陰る。顔をあげれば、永久がおもはゆそうに手を差し出していた。 「……嫌でなければ。足元が見えにくいからね」 そうか、そなたにはそう見えたか。熾火は口元をゆるませ永久の手を取った。池をめぐる道はまともに舗装されていない。二人の足元を忍犬の千古が先導する。足と尾の先だけが白いから、暗闇で蛍と一緒に白い人魂がぴょこりと跳ねる。 蛍から視線をはずさないまま熾火は言う。 「そなたも水臭い、もっと早くに知りたかったのう……」 「ああ、どうもこの歳になると……ね」 誰かに祝われるというのはうれしいね。男の頬が気恥ずかしげに染まっているのが、夜目にもわかった。 熾火はふと微笑み、たもとから包みを取り出す。 (「大切な友の祝いじゃ。断るわけもなかろう」) 青竹の刺繍が入った袱紗から出てきたのは、鷹の形に彫り上げられたマント留め。驚いた顔の永久へ蛍よりも艶やかに笑んで見せる。 「まぁよい……生誕、おめでとう。たいした物ではないが……受け取ってほしい」 「……ありがとう。嬉しいよ」 感慨深げにそういう彼の四本角へ目を留める。穏やかな面差しには似合わぬ鋭い角は、槍を振るう時の彼を思い起こさせる。鳥のように舞う姿は、うってかわって野生的。昼にそう考えていたら、贈り物は気が付けばこれになっていた。そうはずしたものではなかろうと、自分に苦笑する。 受け取った永久の方はというと、少し考え手の数珠をはずした。一粒一粒、丹念に桜の印章が掘り込まれたものだ。 「俺が使っていた物で悪いが……お守りとして」 「それだけか?」 「……そうだな…華魄に、祝ってもらえて嬉しかった。だから、その御礼だ」 「鍛冶の火にあぶられた数珠を送るなら、文のひとつでも添えるものじゃ」 「ああ、失念していたよ。後日君の元へ送ろう。他意はないよ。気持ちを伝えたいだけなんだ、いいかな」 つい饒舌になってしまった永久は、取り繕うようにあごへ手を当てた。どうも今日はしゃべりすぎる。どうせなら先ほどから心にくすぶる疑問もぶつけてしまおうか。……気になっている事がある。先日の依頼で、華魄は婚礼衣装を最後だと言っていたが……。 「華魄」 「なんぞ、隻眼の君」 「……蛍は、恋人を光で呼ぶというけれど……君は……もう、じれる事はしないつもりかな?」 「焦れる事、か……」 表情をしまいこんだ華魄は背筋を伸ばした。ぬばたまの瞳には蛍だけが映っている。 「さて、昔は……あったのじゃがな……」 吐息混じりにこぼした。……折角の日、私などでよかったのかのう……。胸に刺しかかった不安はすぐに取りはらわれた。永久は握ったままの手で器用に提灯へ明かりをつける。辺りが明るくなり、お互いの姿が姿を現した。 まぶしすぎる光に蛍は隠れてしまったけれど。 「今日は、来てくれて有難う。……一緒に来れて、嬉しかった」 照れのない言葉が、彼自身の発する蛍の光。熾火はうっとりと微笑み、顔をあげた。 「そなたが、よき一年であるよう、祈るとしよう」 ●土蛍 密偵というのは地味な仕事が多くて、たとえば対象の行動範囲の偵察も大事な任務。夜討ち朝駆け、の前段階を把握する所から情報戦は始まっている。だから呂は縁の下にもぐっている。茣蓙の上に厚紙まで敷いて防水だって完璧、若干土臭いところを除けば、この季節、まあ快適と言えなくもない。だてにベテラン(半年もてばベテランらしい)の密偵ではないのだ。 自分は縁の下で丸くなって、床板を隔てた上にはすきな人。なんだろう、これは、どう言いつくろっても、ただのストーキング。日陰はじめじめひんやりで居心地がよく、憂鬱な気分は加速に次ぐ加速。今ならカビとキノコとだってお友達になれそう。 会いたかったので、会いに来たのです。 でも合わせる顔がないからとっさに隠れちゃいました。 惚れたとまで言われてどんな顔をすればいいのか。 動機は凡庸かつ衝動的で汎用的根拠や高等な計算式は存在せず、崇め奉り心の支えにする無二にして無比無謬からも程遠い俗っぽさだけで構成されていました。凪いだ水面のように平らであるべき胸中へ、花束を投げ入れるのはやめてください。心とろかすような甘い蜜は臆病な地虫にはもったいない。 上辺だけの付き合いしか学んでこなかった彼女なりの計算式から、狂信と崇拝と身内贔屓を引いたら、残るのは複雑な乙女心。 (「だってあの人は外の人で、天帝さまに誓いも立ててないし、私の信仰も理解できないって」) 世界の幸福は一定量。 呂にとって、それは真実だ。物心付いた頃からの教えで、蓮肉喰いの辿る当然の帰結だったから。世界は塀の中と塀の外に分かれていて、一蓮教と外の人に分かれていて、外の人は怖い弱いかわいそう。力を持つ蓮肉喰いは力を持たない外の人を守る。たとえ技量があべこべだったとしても。 時には敗北するときもある。蹂躙される日も来るだろう。だが長い長い戦いは常に、何も知らないどこかの誰かの幸福を守り抜いた勝利で終わる。悲しみも苦しみも雨のように降り注げ私へと。艱難辛苦の弾丸飛雨が身を打ち砕いたら、断末魔は勝利の鐘の音。私はそれを知っている、いつだって私の勝ち。 自分が使い捨ての存在であることに、呂は誇りすら抱いていた。 だから彼女の部屋には、長らく私物がなかった。流れの旅泰である呂にとって、家と呼べそうなのは教団の、寝るためだけの狭い部屋だ。机と寝台、それだけ。風の強い日には雨戸をおろして経典を読み祈りを捧げるシンプルでモノクロの世界。けれど。 いつしか机が散らかるようになって来た。度の入ってないモノクルだとか、鮮やかな紐輪、空っぽのまま瓶だけ残しているオリーブオイル、ひとつだけ取ってある石鹸とか、色々。 それぞれが持つ不思議な輝きは、何故だか妙に心に残る。頭を振っても忘れられないのが鮮やかな倭文織。 興味を引かれたのは、戦場での慎重さだった。普段の明朗さとは違う横顔を好ましく感じた。時を重ねるに連れやがて、情熱的で献身的、照れ屋でかっこつけなところや、唇を尖らせる癖のせいで、その気はないのにむすっとして見えるだとか、叉焼饅は上手に作るくせに野菜炒めは茶色いとか……いろいろ。 どこかの誰かが、目の前にいるその人になったときから、彼女の幸福の定理は計算が合わない。 薄暗がりで明燕はため息をついた。違う世界の人だと思い込もうとしてきた。けれど、同じ蓮肉喰いになった今なら、素直になってもいいかもしれない。 ●月夜の舞 「チクショウ口説いても口説いても反応ねェ、いいかげん心が折れそうダ」 酒樽は三つ目の蓋が開いていた。お神酒に使う予定だったんだろう。神主に聞いたら、いーんじゃない? と返ってきた。縁側の隅、欠けた茶碗で倭文は酒を煽っていた。境内の花火がきれいだ。リィムナとナキたちが目を輝かせて花火を楽しんでいる。 「一世一代の渾身の口説きが全スルーだゾ、のれんに腕押しとはこのことダ」 「かと思うとこっちの様子伺ってやがる。やりかたがずるい、あざとい」 「結局、明燕は我のことをどう思ってるんダ。わからねェ」 「泣く一歩手前」 「おー、溜まってる溜まってる。ノロケと紙一重の愚痴がよ」 「よいでござるな、青春でござるな。拙者まで若返った気分でござるよ」 自棄酒気味の倭文を肴に、ジミーと霧雁はほろ酔い気分。あくまで気分だ。気持ちよく酔って見せるのも、もてなしの一環と心得ている。本日のゲストは、出来上がっていた。樽酒抱えてけらけら笑っている。 「人の恋路はツマミにサイコーだにょ」 「ゲスめ……っ!」 「にょほほほ、無責任かつ無遠慮に高みの見物。絶対的優位、これぞ甘露!」 「人間のクズ! 堕猫! サンマでも食ってロ!」 「ひ〜ひっひっひぇ、たまんにぇー! 心が潤うにょ! まー、あにょ子大事なことほど黙っちゃうからにぇー」 「はいはい倭文さん、お茶碗噛まないでござるよ」 神酒をちびちびやっていたアグネスが倭文の杯を満たす。 「意外と泣き上戸なのね。お姉さんの胸でお泣きなさーい」 「さてはアンタも酔ってるな」 「同じ飲むなら一升酒、うちの家訓よ。七月生まれおめでとーう! え、違う? じゃあ失恋記念日? 大丈夫、女なんて星の数ほど、え、違う?」 「星の数ほど居たって北極星はいっこだけだロ。あと失恋じゃねェし、まだ」 「わお前進中? 応援しちゃう! 出会いのきっかけは? よくいくデートスポットは?」 「借金と戦場ナ」 「あまずっぱーい♪」 とろけんばかりの微笑を浮かべるアグネス。 「アグネス姉さーん、花火しよーう!」 境内のほうから手を振る真名にアグネスは草履をひっかけて駆けていく。倭文のほうもだいぶ酔いがまわってきた。 「……明燕のためなら命だって惜しくなイ。なのに子犬でも見るような目ェされるし、なんか、なんかこう、さあ、わかるだロ」 「そんだけくさいセリフ吐けるんなら直球でいけにょ」 「言っタ! 惚れたって言っタ!」 「返事はいかに」 「……我を信じるってサ」 「それは選挙で言うところの当確でござろう」 「我は惚れてるって言ったのに、伝えたの二。信じるっテ……いやうれしかったけど、なんかこう、なんカ。今日も来るって言って結局来てねェし」 「呂さんなら来てるよ」 亜紀の声に倭文が固まった。 マジで? うん。倭文は座布団に突っ伏した。 からりと障子戸が開き真紀が姿を現した。割烹着姿が堂に入っている。からっと揚げたてんぷらがお皿に山盛り。 「姉さん、おつまみなら私も手伝います」 「ええねん。今日の早紀はお姫さんやからな。飲んで楽しんでや」 「姉さーん!」 機嫌のいい姉二人を眺め、亜紀はそのまま床下にも目をやる。八重子とクマユリに棒でつつかれていたのを見たときは、思わず首をひねった。 (「どうして隠れてるんだろう。呂さんの考えることはよくわからないよ」) キジトラ仙猫も、納得がいかない様子だ。 「何やってんだろうな、朝から。そういうプレイなのか?」 「倭文さんも気づいてござらぬゆえ、割れ鍋に綴じ蓋でござる」 「しっかし、呆れるほど地味な女だよな。あんなチビデブのどこがいいのやら」 「グラマーと呼ぶのでござるよジミー」 「身長が致命的に足りてねえよ」 「グラマーはよいものでござる。ジミーのもちもちぽんぽんに等しく尊い」 「腹を揉むな!」 境内の花火の輪。楽器を手にしていたリスティアは、鎮守の森に囲まれた月を見上げた。 「昼もすごかったけれど夜になると……」 精霊の歓喜が無音の波となり全身を揺さぶる。胸が高鳴った。真珠色の竪琴を爪弾くと野生の勘に似た、何かが始まる予感。 「アグネス、それに、真名。誕生日おめでとう!」 体が浮き上がるような心地に浮かされ、リスティアは改めてかわいい義妹と友人へ祝辞を捧げる。 「この月はそろそろお日様が暑い時期ではあるけれど、アグネスと真名の誕生月って聞くと納得よね。ほら夜になっても精霊たちが上機嫌」 「ハッピーバースデイ、アグネス姉さん、真名さん! この一年がラッキーでハッピーに包まれていますようにっ」 ずらりと二列に並んだ打ち上げ花火。導火線を、ニーナはろうそくの炎にくぐらせていく。 「アグネス姉さんが赤で、真名さんは緑。えへへ、イメージカラーでそろえてみまし……」 「ニーナ離れて!」 つけるだけつけると、ニーナは距離をとらず講釈を始めた。真っ青になったリスティアが抱き寄せる。すぱぱぱんっ。薄く煙が広がって、空は紅と翡翠の乱れ咲き。 「きゃーあもう、もうひやひやしたわよう」 「花火、最高っ」 ぐっと親指を突き出すアグネスに、真名は肩を落とした。 「見損ねたわ……」 けれどすぐに顔を上げ、笑顔を見せる。 「じゃあ、もう一花咲かすわよ♪ 紅印!」 「はい、マスター!」 呼ばれた玉狐天が高く鳴き、真名の影へ飛びこんだ。黒髪が紅をまとった銀へ変わり、狐の耳が現れた。ふっさりした尻尾を振り、真名はしなを作る。 「今日はありがとう皆。そしてアグネス、おめでとう」 舞の師匠アグネスの祝いに来たつもりが、自分も祝われるとは感激だ。二重の喜びを胸に真名は手持ち花火の端でろうそくに触れた。勢いよく炎の雨が吹き出る。 左手でたっぷりした長い裾をつまみ、右手には花火。交差させながら四角を踏むと、狐火をまとっているかのようだった。振り撒かれる光の粉が、ゆらゆらと月夜へ昇っていく。 「きれー♪ あれ?」 見とれていたニーナが違和感に気づいた。真名の花火はとうに燃え尽きている。つまんだ裾の影から二枚の符がのぞいていた。 「ばれちゃったか」 くすりと笑った真名は花火を水桶へ投げ捨て、裾を翻した。朱雀と桜の符からこぼれる夜光虫の輝き。触発されたアグネスも立ち上がる。 「きれいよ真名! 今、精霊集積とか歌ったらすごい集まってきそう。歌う? 歌っちゃう? 歌っちゃおーう!」 心の赴くままにでたらめな旋律。適当に口ずさんでいるだけだが、そこは吟遊詩人。アグネスが口を開くと場の空気が一変した。目に見えない存在の熱気を感じる。体が覚えているのか、舞にもよどみがない。危なっかしげなステップすら、無垢な喜びと浮き立つ心をそのまま表していて。 「さすがねアグネス、私の師匠。だけど私も負けないわよ」 真名の踊りにも熱が入った。夜光虫をまとい紅の気をなびかせ、尻尾を長くゆらめかせ、ゆったりと大きく円を描き大気に含まれた力を練り上げるように。 リスティアは夢中になって竪琴をつまびいていた。二人の舞を楽の音に換え旋律にする。旋律にあわせて二人がまた舞う。言葉では伝わらない濃密な掛け合いを繰り広げ心に刻む。 線香花火を手にしていたニーナも、うっとりとため息をついた。 「綺麗な景色……だけど朝が来る頃には消えてしまうんだね。なんかちょっと寂しいかな」 柔らかな感触に、ふっと意識が浮かびあがる。酒精の真綿に包まれ、縁側の隅でうとうとしていたらしい。倭文は自分が呂に膝枕されていると気づいた。目を開けると待ちに待った人の、ふくれっ面が一面に。 なんだ、この不穏なオーラは。まったくこいつの思考回路はわからん。倭文はとりあえず異星人と接触を図ることにした。 「遅かったじゃねェか、明燕」 「遅れてませんし。最初から居ましたし」 「どこに」 「倭文さんの下」 「我は超能力者じゃねェんダ、いるならいるって言えヨ」 「気づいてないの倭文さんと早紀さんだけでしたし。皆さんご存知っぽいでしたし」 「なんだこの流れは、なんで我が悪いみたいなことになってんダ」 苦笑いした倭文は、真面目な顔に戻り体を起こした。 「……そうだな。わかっちゃいたが、おまえが望まなかったことをひとつしちまったな。それは、悪かった」 「それは、もういいです。悪いのは守りきれなかった私だから。けど……」 みるみるうちに呂の頬が赤く染まっていく。 「な、泣くなら私の胸にしてください」 「……妬いてんのカ?」 「はい!」 なんでそこ素直なんだよ、本当にわからねェ。 「悔いてはねェよ」 花火が上がる。影が花の色をすくいとる。倭文は明燕を抱き寄せた。 「喪わずに済んだ以上、何を食っても後悔はねェ」 首筋に顔を擦り付けると、どこか甘い香りがした。倭文は柔肌へ唇をよせ、がぷ。 「ひょふぁ!」 がじがじがじ。 「いたた、倭文さん牙いたい、牙!」 うなじに二の腕までがっつり噛み付き、満足したのか倭文は寝落ちた。 打ち上げ花火が底を付いた頃、参が腰を上げた。 「私、先に帰るわ。おばさんが心配だし」 「送るでござるよ」 「大丈夫にょ。私の技量は知ってるでしょ」 参が霧雁を振り向いた。彼女は熟練の砂迅騎に相当すると霧雁は知っていた。同時に事件の重要参考人であり、厄介ごとの中心だ。だが霧雁の口から出たのは。 「心配でござるゆえ」 「いい人にぇ、猫さん」 喉の奥で笑うと、参は霧雁の頬へ不意打ちでキスした。 「じゃーにぇ」 手を振ると参は石段を降りていった。その影は神楽の都の灯に溶け、すぐに見えなくなった。 |