【殲魔】開錠の神楽舞
マスター名:鳥間あかよし
シナリオ形態: イベント
危険
難易度: 難しい
参加人数: 16人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2014/05/30 20:50



■オープニング本文

●きみの話

 精霊門。
 日付の変わる、真夜中の0時。
 未来でも過去でもない瞬間に立ち行った者を、精霊の加護で対門へ送る長距離転移装置である。
 そのひとつが、神座の都の隅で封印を施され隠されていた。
 なぜならそれは、遺棄された国、冥越へ通じる門だったのだ。
 門の封印を解き、大アヤカシの根城と化した国への道を開けば、人類は砦の内側から攻め滅ぼされてしまう。
 そう考えられていた。これまでは。

 開拓者ギルド。
 大伴老が総長を務める、自由人の傭兵組織である。
 志体と呼ばれる才を持つ人々が多い。
 彼らは人類共通の敵アヤカシを、大アヤカシをも滅する力を秘めていた。
 反撃の時は来た。
 背後を取り戦場を制するのは、人類か、アヤカシか。

●風雲の調べ
 ギルド長大伴定家の机の上に積み上げられた文は、冥越解放に向けた布石として展開された作戦についての報告書である。喜ばしいことに作戦の多くは概ね順調に進んでいるというのだが、しかし。
「アヤカシに不穏な動きあり」
 報告に訪れた職員たちが、新たな報告書を取り出し、大伴の顔をじっと見やった。
「アヤカシが、不穏でない動きを見せたことがあるかの?」
「お戯れを……これをご覧下さい。各地で我々の動きに呼応しています」
 職員が懐から取り出した懐紙を開く。
 ここからは慎重に対策を講じなければならない。これらの報告書も、数名で手分けして情報の秘匿に努め、アヤカシに悟られぬようその影を警戒していのことである。
「うむ、ならばこちらも、次の一手を打たねばなるまい。開拓者たちには密かに連絡を取るのじゃ。アヤカシに後の先を取られてはならぬ。よいか、ゆめゆめ慎重にの……」
 柔和な顔に、深くしわが刻まれた。
 それから数刻後のこと。冥越での前哨戦となる依頼が数多張り出された、神楽のギルド。自らの力を振るうべき場を求めて依頼を眺めていたあなたに、見知った依頼調役が接触してきた。依頼をお探しであれば、どうでしょう、あちらの個室でじっくり検討なさいませんか――

●後がない話 神楽の都 霊地

 鈴を転がすような笑い声が響く。
 走る男の後を、二体の夢魔が追っていた。
 長い黒髪をなびかせ、脱げかけた衣も気にせず、ふわりふわりと宙を舞う夢魔どもの瞳は、獲物をいたぶる猫のようだ。その真っ赤な口ときたら。

 鳴滝照彦(なるたき・てるひこ)は必死だった。
 なんとしても捕まるわけにはいかない。
 どこから漏れたのか、己の存在が。
 それとも都へ、既に奴らの間者が入りこんでいるのか。

 鳴滝は朝廷から内密に遣わされた巫女だ。
 精霊門開錠の秘儀を代々伝えてきた。大伴老の下へ身を寄せていた彼は、理穴を経由し魔の森に入ったが、瘴気感染著しく、今後を見越し同行の開拓者に後を任せ一足先に退却した。潜入した開拓者達は、見事目的を果たし、情報をもらすことなく冥越側精霊門の準備を終えたと報告されている。
 都へ戻って以来、彼は妙な気配を感じていた。朝夕に張る瘴索結界に、不審な影を見てとった彼は、大伴老へ相談した。大伴は急ぎ新たな隠れ家を手配し、護衛の開拓者を募った。
 けれど、もう遅かったのだ。
 用意された隠れ家へ移った彼は、畳で大の字になった瞬間、天井に張りついた夢魔と目が合った。
 飛び起きる鳴滝。夢魔が舞い降りる。庭へ飛びでた彼のまえに、軒先から顔を出すもう一体。悲鳴をあげ、彼は行く手を塞ぐ化生から逃げ惑った。嘲笑を浮かべた夢魔どもは、時に彼の肩をなぞり、足元へ絡みつき、人の流れと逆へ追いやる。
 泳がされている。そう気づいたときには最早後戻りできず、鳴滝は最後の拠り所、精霊門へ走らされていた。

(「おのれ! せめて、開錠だけでも成し遂げてみしょうぞ……」)

 冥越に存在する対門のありかまでは、敵は知らないはずだ。ならば、例えこの身は滅んでも門さえ開けば、大アヤカシの背後を取ることができる。己の双肩に乗る物を、鳴滝は理解していた。
 霊地の石段の先には門があった。注連縄でがんじがらめにされている。鳥居の内側は、黒曜石の鏡のようだ。空間を切り取ったように、内側だけが黒い。
 鏡の前に人影が見えた。娘だ。泰剣を帯び、目元に紅を引いている。こちらを振り向いた。
 一目で危機を察した彼女の、姓は玲、名は結花(リン・ユウファ)。泰国からの援軍らしい。
 夢魔との間に割り込み、剣で切りかかる。だが、蝶めいた無軌道な動きが矛先を翻弄した。

「奴らの狙いはわしだ! 開拓者を呼んでくれ!」

 鳴滝が叫ぶ。
 同時に注連縄を剥ぎ取った。門から力を借り、秘伝の儀式結界を展開する。
 大地が光る。門を中心に、青く輝くガラスのような草原が広がる。玲の体が、草原から弾きだされた。
「いたっ! ……?」
 受け身を取った彼女は、頭上に気配を感じ飛びのく。
 空から降って来たのは猿に似た小男だった。左腕だけが巨漢のように太い。

「どうも怪しいと張っていたら、精霊門が出て来ましたか。行先はどこです? まさか冥越じゃあないでしょうねえ」

 めんどくさそうにそう言うと、小男は首をかいた。玲には一瞥もしない。新たな夢魔が小男の背に抱きつき、頬ずりをしていた。玲は剣を収め、悔しげに睨みつけると応援を呼びに行く。
 小男が草原に踏みこもうとした。壁を感じるや、短い口笛を吹く。
「ましらの子にしちゃあ、ご立派な結界ですねえ。あなた、ひょっとして門の鍵そのものですか?」
 答えない鳴滝を無視し、小男は懐から色とりどりの細い管を取り出した。鼻歌を歌いながら、中の液体を結界の外周に、たぱたぱ撒いていく。
「アタシゃ荒事は専門外でしてね、へへ。派手にドカンってのは、仲間にお任せしてるんですが」
 液体は激しく泡立つと、巨大な蛾を吐き出す。分厚い羽からこぼれる鱗粉が毒と気づき、鳴滝は戦慄した。
「真綿で首を絞めるのには、自信があるんですよねえ、へへへ」
 黄色い液から湯気が噴き出し、怨霊へ変わる。別の色が膨張し、泣き幽霊が生じる。
 霊どもが結界に両手を叩きつける。
 砂の城を削るように、境目を侵し殻を割ろうとする。
 金切り声が、低い唸りが、意味もわからぬ世迷言が、伝えるべき相手を失った恨みが、脳へ直接響く。すさまじい呪いの不協和音に、鳴滝は頭を抱え膝をついた。草原が色褪せ、不思議な輝きが消えていく。小男は目を細めると夢魔のあごを撫でた。
「おつかれさん。ご褒美にすこし休憩しましょうか」
 夢魔は嬌声をあげて四つ這いになった。小男がその背にちょこんと座る。鳴滝は力を振り絞り、立ちあがる。
(「……門を、開かねば……」)
 黒い鏡の前で、ふらつきながら祈りを謡い、舞いはじめる。開錠の神楽舞を。見世物でも見物するように小男は手を鳴らした。
「続けて続けて。どこへつながるのか、後学のために拝見するのも、乙ですね」
 壊せば済む話ですからねえ、へへ。
 小男は機嫌よく手拍子を続けている。


■参加者一覧
/ 六条 雪巳(ia0179) / 羅喉丸(ia0347) / 柚乃(ia0638) / 玖堂 柚李葉(ia0859) / 紫焔 遊羽(ia1017) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 黎阿(ia5303) / ユリア・ソル(ia9996) / 无(ib1198) / 神座真紀(ib6579) / パニージェ(ib6627) / 神座早紀(ib6735) / 神座亜紀(ib6736) / 戸隠 菫(ib9794) / 呂 倭文(ic0228) / 花漣(ic1216


■リプレイ本文


●血路
 ほんのりと青い輝石の草原。
 ガラス細工に似たそれを包む、ドーム状の結界。その上で、黒髪の夢魔がゆうるりと羽をはためかせていた。
 彼女を取り巻くように、荒鷲よりも巨大な蛾の群れが、毒の鱗粉を振り撒いている。不規則な軌道を描く怨霊が呪いの声をあげ、四方からは泣き幽霊が足を引きずり結界を目指す。
 鳴滝の命は、そして精霊門は風前の灯火だった。毒が体を蝕んでいく。鱗粉が気管を荒らし、鳴滝は大きく咳きこんだ。吐いた痰に血が混じる。
 夢魔が退屈な踊りにあくびをし、結界の頂点へ寝そべった。細めた目に蛇眼の輝きが宿る。強い睡魔に襲われ、鳴滝は膝をついた。草原が色褪せていく。勝利を確信し、夢魔は唇を釣りあげる。
「照彦! 気を確り持てヨ!」
 白 倭文(ic0228)の声援が飛ぶ。鳴滝は混迷する意識をおし顔をあげた。気力を振り絞り、大地に立つ。草原が元の輝きを帯びる。
 空を裂くかすかな音。灯明の燃え上がるに似た音が夢魔の耳を叩き、右肩が苦痛の炎にくべられた。赤黒い矢が貫いている。敵意に目を光らせ、夢魔はふたたび羽を広げた。
「間に合ったか」
 煉獄の炎を思わせる剛弓を握り、羅喉丸(ia0347)は戦場を睥睨した。
「霊地を穢す悪霊どもめ。魔の森へ帰るがいい」
 鋭い視線がアヤカシを薙ぐ。開拓者たちが続々と駆けつけた。
 芍薬と釣鐘草の花冠をした神座家の覚醒からくり、花漣(ic1216)はハンドベルを振り上げ、鬨の声をあげた。
「がんばるのデス鳴滝さん、レスキュー隊到着なのデス! 皆さーん、ファイトなのデスよ!」
 アヤカシどもの陰気さに負けないように、威勢よく声を張り上げる。勇ましい応援が仲間を、そして大事な家族を鼓舞する。
 隣の柚乃(ia0638)は精霊門へぺこりと頭を下げると、トネリコの杖を掲げ呼びかけた。
「……これでも元巫女なんです、私。霊地にかむずまります精霊たちよ。我に恩寵与えたまえときこしめせ」
 堂に入った謡に、周りの空気がぽわぽわ光った。加護が繭となって彼女を包む。
 声に精霊の息吹を乗せ、彼女は続けてゆるやかに踊りはじめた。白鳥の羽織が天使のようにひるがえる。翼の影絵を踏むたびに、霊地の精霊が歓びに湧き立つのを感じた。邪なるモノを退ける舞踊に柚乃の心も躍る。
 二の矢をつがえ、羅喉丸は先を天へ向けた。狙いは夢魔でなく、まずは悪手を振り撒く蛾だ。紫の鱗粉があたりに立ちこめ、目鼻を刺激し視界を濁らせていた。じっとりした脂汗を背に感じる。毒の兆候だった。
 矢をつがえたまま呼吸を整え、羅喉丸は額から丹田へ下る気の流れを意識する。波動が不快感を打ち消し、広がる毒の痛みを癒す。彼はそのまま蛾に向けて矢を放った。燃える流星が飛び、蛾の胴を撃ち抜く。蛾は衝撃で頭と腹に分断された。吹きでた瘴気が霊地に浄化され、崩れ落ちていく。
「照彦! そこを動かないで!」
 ユリア・ヴァル(ia9996)が荷を持ち上げた。
「使いなさい! すぐに巫女たちがそっちへ行くから!」
 草原へ包みを投げこむ。怨霊どもの上で放物線を描いたそれが、鳴滝の眼の前に落ちる。はずみでほどけた包みから節分豆の袋が飛び出した。
(「よしっ」)
 心の中でガッツポーズし、ユリアは神槍を持ちなおした。飛びかう蛾や醜い霊へ挑発的な笑みを浮かべる。
「手間かけさせてくれるわね。でも、出会った以上は楽しませてくれるんでしょう?」
 ふところの何かを服の上からなで、无(ib1198)はぼそっとつぶやいた。
「密林か?」
 黒い壁を内包する精霊門から視線をずらし、結界の対面に居る小男を注視する。二羽の夢魔がこちらをにらんでいる。四つ這いで椅子になっている赤い絣の夢魔は警戒の眼差し、小男に背中から抱き付いていたまま傘を持つ一羽は監視のまなこ。
(「ひとまず手出しはしてこないようですね、となれば」)
 草原上を飛ぶ夢魔へ焦点を合わせた。
「最優先はこちらだ」
 魔刀の鯉口を切り、暗器を仕込んだ靴のかかとを鳴らす。結界へ向かう悪霊の類は、彼自身もそれなりに識る輩だ。
(「怨霊も泣き幽霊もたいした相手ではない。だがうかつに手を出せば、甚大な反撃が来る。加えてあの毒蛾……」)
 のどが、いがらっぽい。咳を押さえ、反射的に深呼吸をすると、よけいに痛みが増した。
 手を出しあぐねて唇を噛んでいるのはパニージェ(ib6627)も同じだった。背中に紫焔 遊羽(ia1017)をかばったまま騎槍の切っ先を、蛾の動きに合わせて揺らめかせる。
(「毒蛾は俺が体を張ればいい。だが遊羽を結界内へ無事送るためには、悪霊の包囲網を破らなくては」)
 鎧のマントを遊羽へかぶせ、咳き込む彼女を気休めでも毒蛾の粉から守ろうとした。強く咳をした遊羽は涙目をこすり、パニージェの背に頬を押しつける。
「ぱにさんぱにさん、ゆぅ、はよぅ照彦さんとこ行かんと……。ゆぅがんばるから、応援するから」
「わかっている」
 悪霊どもは開拓者には目もくれず結界を目指している。
 草原で孤立する鳴滝の姿に、倭文は牙をきしらせた。向かいにいる小男は我関せずとばかりに門を向いている。その様に疑念を抱き、眉間のシワを深くする。
(「……この人数を前にして、ずいぶん余裕だナ。照彦の体力削ってから開錠させる気カ?」)
 背を丸めて咳き込む鳴滝に胸をかきむしられる。考える余裕がないと肌で感じた。
 外周の悪霊がぽつぽつと歩みを止め、開拓者をふりかえりだした。怨嗟の標的を結界から開拓者へ変える。頭蓋へ直に響くとりとめのない憎悪が、倭文の延髄を冷や水に漬ける。こみあげてきた不快感を飲みくだし、倭文は小男と門を見比べた。
(「壊されるか奪われるか、門からくるカ。どれダ」)
 黒髪の夢魔は蝙蝠じみた羽を鳴らし、くるりと円を描いた。
「るぅううぅうふふ」
 羅喉丸の額に鈍痛が走り、強い眠気が襲った。柚乃の影絵の加護を受けてなお、夢魔は心のひだへ入りこんできた。
(「去れ。貴様の付け入る隙などない」)
 鋼の精神で克己に集中する。眠気が失せ、羅喉丸は次の矢を取る。夢魔はつまらなそうに口笛を吹くと、傍らで喉を押さえている玖堂 柚李葉(ia0859)へ睡魔を飛ばした。
「みあぁあはるううう」
 柚李葉の全身から力が抜け、がくんと膝を降り倒れこむ。
「起きなさい柚李葉! 柚李葉!」
「柚李葉さん、柚李葉さん起きてください!」
 ユリアが柚李葉を仰向かせ、六条 雪巳(ia0179)が肩を揺さぶった。乱暴でも無茶でも、目覚めさせる必要があった。群れる毒蛾を盾にし、夢魔が人形めいた顔をにちゃりと歪める。悪意を感じ、雪巳は端正な顔をしかめた。柚李葉の手を取り脈を確かめる。
(「生死をつなぐ術を修養して参りました。けれど……」)
「ばぁーん、ひはははは」
 予想外の方向から嬌声があがる。瞬時にユリアが振り向く。傘を持つ夢魔が、だらしなくヨダレを垂らし哄笑していた。指先が柚李葉を指し示している。雪巳は彼女の手首を強く握った。脈がない。弛緩した身体が、ユリアの腕には重く感じられた。生物が非生物へ変わる瞬間をまざまざと見せつけられ、二人の背筋を氷がすべり落ちる。
「雪巳」
 動揺した彼の肩に、黎阿(ia5303)が手を置く。片手には白い光が宿っていた。癒しの光と気づき、雪巳は背をしゃんと伸ばした。
「落ち着いて。打ち合わせどおり、迅速に」
「……はい!」
 アイスブルーの瞳を閉じ、雪巳は故郷の風を思い起こした。神宮の静謐な空気と、胸が洗われるような精霊の歓喜の唄を。精霊の加護を信じ、雪巳は柚李葉の頬を包みこんだ。
「ふるさとにまします我が産土よ。これなるは玖堂柚李葉の魂魄、いましばしあめつちの流転の輪に留め戯れたまえと、かしこみかしこみも白す」
 土気色だった柚李葉の頬へ、わずかに赤みが差す。黎阿は白霊癒を、ユリアは閃癒を、祈りをこめて施した。
 柚李葉が小さくうめき、体を起こす。一同は、ほっと胸をなでおろした。不覚を取ったのを恥じたのか、柚李葉は夢魔をきっと睨みつけた。
「何も果たさず、おめおめと逃げ帰るわけにはいかないのです」
 握りこんだ左の拳に銀の指輪が光る。その手で柚李葉は眼前の草原に似た輝きを持つ扇を開く。右手で左の袖を押さえ、素早く回りながら大きく踏み出す。黒髪が宙を薙ぎ、袴の裾が風をおこす。足元から精霊が光となって立ち昇り、二重の螺旋を描いた。
「突入しましょう!」
 柚李葉の檄が飛ぶ。
 周りも、ただ傍観しているだけではなかった。姉からもらった節分豆を裾へねじこみ、神座早紀(ib6735)は目視で距離を測る。青白く輝く草原は、先日冥越の魔の森に生じた桃色の草原によく似ていた。
(「冥越の扉は確保しました。今度はこちらですね。全力で頑張ります!」)
 ひそかに存在する対門は、こちらからの呼び声を待っているはずだ。群れるアヤカシから、手薄な部分を探す。皆へ合図し、アヤカシとの距離を詰める。
 正面へ出た神座亜紀(ib6736)は黄金の錫杖をバトンのように回した。意識の底を開いて精霊を召喚し、構築した術の力場へ加護を送りこむ。
「隙間が無ければこじ開けるまでだよ」
 かざした杖先が、結界の隅をかすめるよう位置取る。亜紀の錫杖から術の終着点までの直線上、等間隔に光点が並んだ。
「射線設定。始点、終点、指定完了。サンダーヘブンレイ起動。鬼っ娘の電撃より痺れるよ!」
 視界が白に染まる。
 雷帝の一撃はすさまじい威力だった。巻きこまれた怨霊が蒸発し、泣き幽霊が痕も残さず消滅する。ひるんだ夢魔は短い悲鳴をこぼし空へ舞い上がった。
 亜紀の全身にみみず腫れが走る。やわらかい肌のそこここに怨霊の顔が浮かび、腫瘍と化して膨張すると弾けた。赤い噴水が飛沫を散らす。
「ぐ、ぶ、けはっ」
 亜紀の小さな体が反動で浮きあがった。ぐらりと傾いた彼女を、確かな感触が抱き止めた。薄目を開けると、上の姉、神座真紀(ib6579)の姿。
「亜紀! 亜紀、しっかりしぃや!」
 声が遠い。視界が蔭っていく。手足の感覚がない。苦痛を通り越して麻痺した体は、徐々に冷たくなっていく。
 无は焦りから舌打ちし、文殊の祈祷を封じた符をとりだした。
「邪魔しないでもらえますかね」
 アヤカシの群れへ、手裏剣のごとく符を投げつける。亜紀の開けた道の左右に、白い石壁が現れた。怨霊や泣き幽霊が行く手を阻まれる。だが壁を越えて、あるいは隙間からにじみだそうとしている。
 亜紀は薄暗がりの中にいた。
 真紀ちゃん、あれ、どうしたの。突入するんじゃなかったの?
 亜紀は唇を動かそうとした。口元がわななき、声にならない吐息がこぼれる。
 自分へ呼びかける姉の姿が、影絵になっていく。誰かが亜紀へ飛びついた。あたたかい。流れこむ精霊の加護が、今にも止まりそうな流転の糸車をまわす。
「亜紀! 亜紀ぃ!」
 ああ、早紀ちゃんだ。泣いてるの? ボクがなぐさめてあげなきゃ。
 亜紀はもがいた。立ちあがろうとした。手足は鉛じみた重さだ。指先がかすかに震える。不意に視界が閉ざされた。雨戸を閉めたようだ。お迎えが来たのかと、亜紀は覚悟した。あどけない声が耳へ届いた。
「明けの明星、あまつみかぼしよ」
 礼野 真夢紀(ia1144)が両手を掲げ天へ祈っていた。彼女を中心に漆黒の結界が広がり、空と繋がる柱になった。彼女の頭上、天空の一角だけが、闇夜へ変わる。
「かけまくもかしこき天津甕星、あめつちの定めにまつろわぬ星の神よ。これなるは神楽の都に住まう魔術師神座亜紀の魂魄。夜の御座所に飾るをば、しばらくしばらく延べたまえと申すことをきこしめせと、かしこみかしこみも白す」
 祝詞を唱えるにつれ、闇夜に赤い星が現れる。けぶる光が、やがて月とまごうほどに煌々と。真夢紀が精いっぱい背伸びをした。ふくよかな両手を目指し、赤い星が降りてくる。无が安堵の吐息をもらす。
 真夢紀がそうっと、手のひらの赤い星を亜紀の胸に置いた。輝く星が薄い胸に吸いこまれ、血のしたたりが止まる。亜紀のまぶたがふるえ、瞳がのぞいた。
「亜紀……」
 真紀の声にかすかにうなずいてみせる。早紀が喉を詰まらせた。
「……姉さん」
 青い草原を眼前に見据え、真紀は亜紀を抱きしめたまま立ち上がった。
「わかってるで」
 末っ子の開いた血路へ、にじみ出てくるのは唾棄すべき怨霊だ。真紀は空いた手で長巻をすらりと抜いた。焔の刃紋が霊地の輝きを照り返す。
「神座家一族の誇りにかけて、アヤカシの好きにはさせん。皆行くで!」
 開拓者が津波に変わった。白壁に囲まれた通路を走りぬける。
「ごめんなさい、このお役目だけは……絶対に果たします!」
 ぐったりする亜紀を横目に柚李葉は叫んだ。涙が一筋彼女の目尻を濡らし、星のように後ろへ流れていった。
 すぐ後ろを行く遊羽も、先を走るパニージェの姿に胸を締め付けられた。毒のせいだろうか、彼女の知るいつものそれよりも動きが乱れている。
「堪忍、頼りにしてるで」
 黒髪の夢魔が急降下した。巫女達の最後尾を走る真夢紀へ襲いかかる。
「かあぁあ゛あ゛!」
「くっ、この! あっちいけ!」
 蛇腹を思わせる波紋と青黒い刀身。彼女は抜き身の神刀を振るい、夢魔を退けようとした。ふりかぶった切っ先が空を切る。
 長い舌を見せて下品に笑う夢魔の頬に、横合いから拳がめり込んだ。折れた牙が血反吐を浴びて宙を舞う。仲間の影にひそんでいた彼女は、無様によろめく夢魔の脇腹へ回し蹴りを決める。きらめく金髪は夏のひまわりのよう、立ち昇るオーラは明王の如く。
「戸隠菫、見参だよ、よろしくね」

●進撃
 憎悪に満ちた夢魔の眼差しを、戸隠 菫(ib9794)は涼しい顔で受け流した。夢魔の両眼が不気味に光る。
「残念でした」
 余裕の笑みを口元に佩き、菫は突進した。ボディへ重いブローをくらった夢魔が身をよじって空へあがる。菫はちらと向かいへ視線を飛ばした。傘を持つ夢魔が牙を見せて唸り、羽ばたく。
(「来たね」)
 本番の予感に胸をたぎらせ、菫は印を結んだ。
 先頭を走る真紀の前に怨霊が現れた。
「おおおォっ!」
 不愉快な面を切り伏せる。真紀の肩で腫瘍が膨れ、濁った紅が咲く。真紀はものともせず長巻を振るい、道を塞がんと迫る悪霊を次々と斬り捨てる。だんだら模様に染まった羽織が、べっとりと重くなっていく。
 ほの光る草原の境界線を、巫女達が次々と飛び越える。早紀を結界へ送りこみ、真紀は反転して悪霊へ向きなおった。背水の陣と心構えし、亜紀を花漣へ託すと前のめりに踏み出した。
 長巻の白刃が辺りを薙ぎ払う。利き手が膨れ上がると、血飛沫をあげて爆散した。苦痛が神経を蹂躙し、跳ねた血が目に入る。真紀は、にやりと口の端をあげた。切れ長の瞳には、固い信念と妹達への信頼が希望の火を灯していた。
「神座家次期当主の底力、見せたるで!」
 泣き幽霊が絶叫するたび視界にノイズが走り、錐でこめかみを刺すような頭痛がした。すれ違いざまに黎阿が白い光を真紀へ投げかける。
 貴方達のお陰で余裕があるのよ。
 憂いは断つ、任せときや。
 交わした視線で通じ合い、黎阿が走りぬける。大地が煮えたぎる朱金に染まった。薔薇の香りが広がり幻の炎が燃えあがる。真紀の傷が塞がり、なまめかしい白肌へ戻っていく。情熱の焔は鳴滝にも届き、崩れそうだった彼を再起させた。
「舞うのは巫女ばかりとは、限らないわよ?」
 ユリアが弓手の錫杖を振る。癒しの閃きが幻の炎に変じた。喉も割れんばかりに花漣が叫ぶ。
「ミーがマスターのゴソクジョを支えマス!」
 ベルをアヤカシへ突きつける。りぃんと澄んだ音が覚悟と共に響いた。
「悪霊退散! ミーの音楽を聞いて、感動の涙を流すといいのデス!」
 草原に入った巫女達は、鳴滝を中心に円陣を作り背にかばう。雪巳の腰で陰陽刀の房飾りが揺れた。
(「攻撃も回復もできない状況ですが……身を呈してでも、門も鳴滝さんも守ります」)
 いざとなれば抜く心持ちで、雪巳は扇を広げると鳴滝へ顔を向ける。肩で息をする彼に、柔らかな声音で語りかける。
「鳴滝さん、またお会いしましたね。間に合ってよかった……お力添えいたします」
 脂汗をぬぐい、鳴滝は微苦笑を浮かべた。
「先日は失礼を。そして感謝を」
 くすんと鼻を鳴らすと早紀は、結界の向こうの姉の背を、花漣の腕に守られている妹を見つめ、拳を握った。
(「亜紀、花漣、姉さん……! 私は私の務めに専念します。私の姉さんと妹達ですもの、きっと大丈夫」)
 涙を振り払い、早紀は呼吸を落ち着けた。羅喉丸の弓で、毒蛾はほとんどが撃ち落されている。また一匹、頭上で浄化された。鱗粉の霧は薄らぎつつある。深呼吸すると、草原の神聖な力場を感じ取れた。
「絶対、やり遂げましょう!」
 早紀の足元が光った。草の波から青い小鳥の群れが飛び立ち、千早の衣がたなびく。鳥達は門の周りを巡り、さえずった。草原にちらほらと花が咲きはじめた。
 黎阿が手首を返し、扇を裏返す。首をめぐらせ舞手を見回した。
「ふふ、これだけの巫女が集まるのも壮観ね。さあ、共演をはじめましょうか」
 小鳥のような光の粒が羽衣にまとわりついた。黎阿が地を踏み、激しく弾むたびにつぼみが膨らんでいく。彼女の残像が砕け、ほの白い粒子へ転じる。扇を高く放りあげ、黎阿は一回転し逆手で受け止める。足元のつぼみが一斉に開花した。浮き上がった光子が、門を目指し矢継ぎ早に飛ぶ。
 合わせるように高く跳んだのは真夢紀だ。
 小さな体を弾ませると、小鳥が音を立てて花毬へ変わる。
「えいっ」
 霊鈴が響く。透明な石で作られた無数の鈴が、艶光る草原の照り返しを受け、丸いおもてに花毬を映す。
「とやっ」
 飛んで跳ねて、真夢紀が着地したところへ飛び石状に花が咲き乱れる。隙間をつたう水のように、じわじわと花畑が広がっていく。花毬はくるりくるりと回りながら門へ寄っていく。
 柚李葉は門を向き、清凛の扇を胸に当て、心を鎮めていた。
(「どうか、精霊に届きますよう……」)
 彼女の周りだけしっとりと静かな空気がある。胸に響く笛の音に導かれ、彼女はまぶたを開いた。扇を門へかざし、水底へ沈む葉のように姿勢を低くする。
(「この場のお役目を頂いた事を誇りに……」)
 たゆたう波を意識し両腕を交わす。静かに扇を持ち替えると、つぼみのほころぶ、かすかなさざめきが、淡い光の波紋となって広がっていく。
 波紋の上へ遊羽が芭蕉扇を差し伸べる。小鳥が先に止まり、ちいちいと鳴いた。鳥を見つめた遊羽は、その奥に立つ頼もしい背中へ焦点を合わせた。
(「ぱにさん。ぱにさんがおるから、ゆぅは安心して舞えるんやで。おおきに」)
 遊羽が芭蕉扇を水平にする。先端には小鳥が止まったままだ。手首の動きだけで長い葉を波打たせる。埋めこまれた宝珠が、風を生み青草を揺らす。
 小鳥が羽ばたきはじめた。ゆったりと暖かな動きで遊羽は扇を水平に保ったまま、重心を落としていく。片足をそろりと伸ばし、自分を軸に半円を描く。軌跡に沿って、蔓が芽吹き、蔦が伸び、花が開いた。花から、ぽわんと生まれた燐光が、門へ吸い寄せられていく。
 泣き幽霊を打ち倒し、パニージェは頭痛に顔を歪ませた。油じみた気だるさが体の芯へ溜まっていく。
(「始まったか。踊ってくれ遊羽、何があっても俺が守る」)
 呼吸を整え、パニージェは次の標的へ向け動いた。突破口付近のアヤカシは平らげられ、戦線はじりじりりと時計回りに移動していた。
 パニージェは最前線と結界の合間に立ち、守りを固めていた。裏からまわりこもうとする悪霊に対処するためだ。視界の隅にかげろうが立つ。パニージェは騎士の槍を握りなおした。蒸気を吹きだす人面へ向けて突撃する。怨霊が霧散すると同時に、背中へ痛みが弾けた。彼はかまわず脇を過ぎようとした泣き幽霊へ槍を突き刺した。何度目かも忘れた頭痛に目をすがめる。
 雄たけびをあげて、夢魔が頭上を通りすぎた。一直線に、向かう先は結界ではなく開拓者だ。
 鋭い爪が菫の肌をかする。最小限のステップでかわし、菫は狙いを定めて拳を打った。
「動きが大振りになってるよ」
「のぉあーあ、るうううううう!」
 顎にくらった夢魔は、鼻血を撒き散らしながら空へ逃れようとした。その背にふわりと无が覆い被さる。輪郭は茫漠としており、伊達メガネを模した白面で顔を隠している。白面式鬼だ。本物の无は菫の後ろから式を操っていた。式が夢魔へかぶりつき、羽の付け根を食いちぎる。
「ら゛があぅあ゛ああ!」
 式をはじきとばし、血まみれの夢魔はふたたび菫に向かった。
 傘を持つ夢魔に、ふっと耳へ息を吹きかけられ、柚乃の体から力が抜けた。
「……きれえなおねえさん」
 頬を紅潮させ、へなへなとへたりこむ。夢魔が口を開ける。熟れた唇の合間から、鋭い牙がのぞいた。二の腕に食い付き血肉をしゃぶる。
「いたい、いたいれす。えへへー、ひゃふぁー」
 鮮血で唇を染めた夢魔が、口付けるように柚乃へ顔を寄せる。喉笛へ食いついたはずの牙が、割りこんだ剣に弾かれる。
「柚乃殿!」
 倭文だった。背に柚乃をかばい、傘を持つ夢魔と切り結ぶ。
「柚乃殿、無事カ!」
「ほへえ? はあい、らいじょぶれす、ふぁい」
(「まずい」)
 倭文は歯軋りした。守りの要が魅了された。加えて今は対処ができない。柚乃は焦点の定まらない瞳で夢魔の行方を追っている。
 花漣がベルを打ち鳴らす。
「リラックス、リラックスデスよ皆さーん! はい肩の力を抜いて深呼吸なのデス!」
 平穏を歌い、同士討ちを未然に防ぐ。
(「まだたいした事はできないデスが、ミーもマスターのゴソクジョ達のお手伝いするのデス……!」)
 勇気の鈴をやむことなく鳴らし、度重なる失敗にもくじけず立ち向かい、混乱を打ち消す。
 眠りに落ちた者は叩き起こせなくもない。だが、夢魔の撒く魅了と封じられた術だけは、誰一人解術の心得がない現状、どうしようもなかった。
 毒がじわじわと倭文の体力を削る。
 夢魔の目が光った。視界がにじみ、四方から嘲笑と誘惑がせりよってくる。綿を踏むように足元が頼りない。
「……クソが! 傀儡になんぞ、なってやらねェ!」
 押し寄せる不快感を意地になって振り払う。ぼんやりしていた夢魔の姿が元に戻った。
 羅喉丸は、新たな蛾が羽ばたく前に射抜いていく。泣き幽霊の悲鳴が精霊との交信を断ち切って久しいが、結界へ近寄らせるわけにはいかない。
(「鳴滝殿が精神を乱したら結界が……柚乃殿の影絵が消えぬうちに、流れを決めなくては」)
 泰拳士である彼は、矢捌きは本職に劣るものの、射手としての技量は一流であった。蛾は生まれた傍から破裂し、戦線へたどりつく前に浄化される。
 一方、无の胸には疑問が渦巻いていた。
(「夢魔がしゃべらない。……しゃべれないのか? 本来夢魔は人間並に高度な知性を備えているはずだが」)
 睡眠ではなく魅了を撒きはじめた傘を持つ夢魔と、やっきになって菫へ突っかかる黒髪の夢魔の挙動を、无はつぶさに観察する。
(「いや、術の効果を把握する程度はできる。だが奇襲に弱く、挑発にも簡単に乗る」)
 低い声でつぶやいた。
「幼児並の判断力だ。強力だが知性の低い夢魔なのか。それとも……」
 无は向きなおり、最大の疑問を小男へぶつけた。
「そう作ったのですか?」
 赤い絣の夢魔の頭をなで、小男は首をすくめた。表情は、学徒を相手に教鞭をとる者のそれだった。
「自由意思をあげちゃあ、かわいそうでないですか。知らぬが仏ですよ。知る苦しみはね、造物主の特権です」
「……ほう。話を伺うのは楽しそうですが、馬は合いそうにないね」
 无は小男の管を見つめる。振り撒かれた溶液から新たな蛾と悪霊が生じている。戦線はいつしか結界を背に、小男を正面に見据えていた。巫女たちの謡と舞が響く。精霊門は光に包まれている。
「その術は如何に行使するので? そもあなたは何者で誰の使いで狙いは何かね」
「身分証明書でも持ってきましょうか」
 鼻で笑い、小男は无のかたわらに浮かぶ白面式鬼へ面を向けた。
「それがあなたがたの瘴気の御し方です? 物好きな。真夏の氷室で鍋でもしているようですねえ。理解に苦しみますよ」
 奥で輝きを強める精霊門を見やり、小男は心底うんざりしたようにため息をついた。
「……古代人かアヤカシ野郎カ」
 遠慮のかけらも無い倭文の視線に、小男が首筋をかく。
「似たようなものでしょう。アナタがたにはねえ、へへ」
 かん高い悲鳴が上がった。
 菫が夢魔へ蹴りを決めていた。踵が脇腹へねじこまれ、その勢いで腹が裂ける。夢魔は粘泥に似た中身をばらまき、輪郭を失い浄化されていく。菫は印を結んだ。肢体に精霊の加護が宿り、傷がふさがっていく。
 一刷毛、朱を置いたように、小男の顔は憤怒に染まっていた。懐から管の束を取り出す。中身をすべて振りまき、絣の夢魔の背から降りた。同胞を失った二羽の夢魔は、殺意を隠そうともしない。
「目的は門の破壊ですよ」
 夢魔どもは不満げに声をあげたが、開拓者の隙を探り出した。蛾と悪霊の動きが変わった。左舷は進軍速度を速め、右舷は密なままじわじわと迫ってくる。ユリアに襲いかかる泣き幽霊を、倭文が双剣で弾いた。術封じの頭痛を代わりに引き受ける。
「私達を分断する気ね。そうはさせないわよ」
 ユリアは錫杖を鳴らした。
「力場設計完了。定点より解放。ブリザーストーム!」
 左舷で吹雪が荒れ狂う。ユリアの背中一面へ恨み顔が浮かび、赤い爆竹が背で鳴る。痛みをこらえ、ユリアは癒しの閃きを呼ぶ。
「あの人は私が血まみれだって抱いくれるわ。でもドレスが着れないのは嫌なのよね」
 
●六者十二種十四色の舞
 遊羽は思わず動きを止めた。
「ぱにさん!」
 愛する男の両足が爆発し、ふとももがえぐれている。崩れそうな自分を槍で支えていた。遊羽は結界まで駆け寄り、壁を叩く。
「ぱにさん! ぱにさんしっかりして!」
 二羽の夢魔がたがいを補うように動きだした。空からは降りてこず、悪霊達の後ろから歪な笑みを開拓者へ施すのに専念する。
 菫は悪霊の波に抗おうとした。ユリアが足止めする左舷へ回りこみ、外周から夢魔を狙う。大地を蹴り、拳を振るうが、わずかな差で避けられる。
「降りてきなよ」
 言いながらも菫は、飛び上がりからの攻撃をくりかえし、夢魔の動きを牽制する。
「うふふいひ、くひひふあ」
 傘を持つ夢魔に微笑まれ、羅喉丸が膝をつく。こちらをにらむ目の色が変わった気がした。膝をついた所がもろもろと崩れていく。
「何!」
 バランスを崩し、手をついたそこも崩れた。蟻地獄にはまったようだった。みるみるうちに体が砂に埋もれ、首を残すばかりになる。全身を砂に圧迫され、息をするのも苦しい。
(「落ち着け、これは悪夢だ」)
 頭まで砂に埋まり、羅喉丸は遠くなる意識をたぐりよせた。拳を握る。砂の奥へ拳を叩きつけた。大地の感触が返ってくる。
「天意は我らに有り!」
 運命をねじ伏せ、己を鼓舞する羅喉丸。蟻地獄の幻覚が散り失せ、元の霊地へ戻る。だが彼を支える気力も尽きつつあった。絣の夢魔が大口を開ける。
「るぅるぅるるう。ひははは」
 鳴滝が硬直した。その場へ崩れ落ちる。草原から光が消えた。早紀たちが駆け寄る。
「起きて! 鳴滝さん!」
 昏睡する鳴滝の肩を揺さぶる。絣の夢魔は楽しげに宙返りした。
「えーぇーいえらいらいらいあーあ」
「かけまくもかしこき霊地の精霊よ!」
 間髪いれず早紀が流転の糸車を回す。黎阿が癒しの手を伸べ、鳴滝の体が白く輝いた。
「うう、門、門は……」
 草原が光を取り戻す。遊羽が餅を鳴滝へさしだした。
「食べてや、ちょっとだけ、力出るよって」
「かたじけない……」
 真夢紀はわたわたと門と悪霊を見比べた。
「どうしようどうしよう。また鳴滝さんが狙われたら」
「花は枯れてないわ」
 凛とした声が響いた。黎阿だった。彼女は鳥居を見上げていた。精霊門を輝かせている光の粒は、巫女達が舞った証だ。草原は確かに一度色褪せた。だが、門のきらめきは失われてはいなかった。
「窮地に陥ったから、なんだというの。私達は門を開きに来たのよ。アヤカシなんかに邪魔はさせないわ」
 黎阿が扇を門へ向けた。彼女の肩に青い小鳥が止まる。
「踊りましょう。私達が諦めたら、神座姉妹の開いた血路も、結界を守る仲間の努力も、そこの鳴滝の覚悟だって、水泡に帰すわ」
 弾む舞から一転、黎阿は心落ち着く穏やかな動きに変わった。門を、鳴滝を、そして共に舞う巫女と戦う仲間、すべてを慈愛で包むように。
「ふふ……楽しいわ」
 瞳を閉じ、黎阿が微笑む。心を開き、霊地の精霊達を精神の底へ招き入れる。
(「舞とは神の無聊を慰め、人にメッセージを伝える祈りのようなもの。深刻ぶったって仕方ない、舞手の想いは伝染するのだから。どんな場面でも精一杯……己の想いを……」)
 彼女の周りで、風車に似た花が揺れる。ほろほろとこぼれた粒子が黎阿の情熱的な動きに巻きこまれ、立ち昇り門のもとへ。
「あはは、舞いましょうよ、存分に。私達の舞が世界を救うの、それが楽しくなくてなんだというの?」
 ぽんぽん。
 雪巳が門へ拍手を打った。型どおりに挨拶を終え、吹っ切れたように爽やかな顔で扇を広げる。
「外の方へお任せする事になるのは歯がゆいですが……。すこしでも早く門を開ける事が私達の役目」
 両腕をあげ、ゆっくりと左右へ広げ肩の力を抜く。雪巳は先日の魔の森行軍へ思いを馳せる。冥越の開門では、足に負った矢傷のために満足に舞えなかった。
「私達の力、存分に揮うとしましょう」
 草原をさらうように扇を使う。雪身の扇が触れると、花園が広がっていく。かわいらしい小さな花から、大輪の白薔薇まで。陽光の腕輪に青銀の粒子がまとわりついた。心の芯を支える力強い舞から、雪巳はすばやく切り替え、裾をひるがえして回った。神衣へ集まっていた光の粒がはがれる。雪巳が腕を振りおろし、扇で風を送る。光は門へ向かい飛び立つ。
 早紀は雪巳よりさらに素早く舞った。心得のない者ならば、目の回りそうな速さだ。小さな青い鳥が、早紀を慕い集まってくる。軽やかに手を伸べると、小鳥が光に変わる。
「行きなさい。門を開けて!」
 回りながら早紀は、手のひらで光の塊を打つ。光のボールが飛んでいく。周りの光を打ち尽くすと、早紀は低く歌いはじめた。ぬくもりを感じる声が、ふしぎに光る小手毬の開花を促す。両手を大きく広げ、徐々にせばめていく。花から澄んだ青が浮かび、彼女の腕の中へ集まる。青い光の粒が、大きな花毬へ変わった。彼女はそれをゆったりと門へ送りだした。宙をすべった毬が、黒く染まったままの鳥居の内側へ当たる。毬は弾け、粒子に戻った。
 胸に手を当てていた真夢紀が、両手を前へ伸ばす。真夢紀の胸から、淡い青の花毬が、いくつも飛びだした。真夢紀は微笑んで袖に包み、ゆらゆらゆらしながら花園へ毬を撒く。毬が弾んだ跡に、剣のようにまっすぐな枝葉が伸びあがり、菖蒲が花開いた。
「お願い、開いて」
 真夢紀が門を指差す。花毬は菖蒲を咲かせながら門へ転がっていく。
「ぱにさんがんばって! 遊羽もがんばるから!」
 結界をはさんでパニージェと背中合わせ。遊羽が芭蕉扇を高く掲げる。鋭く振り下ろす。風が立つ。あおられた草原が波打ち、芝桜に染まる。花びらが舞う。
「このまま見殺しになんて、できひん。ゆぅは此処に残って舞うんや! ぱにさん、ゆぅのワガママ聞いてや!」
「存分にやれ」
 パニージェがかすかに笑う。
 右へ左へ芭蕉扇を持ち替え、遊羽は力強く門へ風を送った。強風に押され芝桜が広がり、光の道ができる。門へ到達したその時、黒い壁にヒビが入り、内側からまぶしい光があふれだした。
「いける? もうちょいなん?」
 遊羽が目を輝かせる。舞に力がこもる。
「倒れてもいい。ゆぅは踊る!」
 静かに舞っていた柚李葉も、遊羽の言葉に応え動きを変えた。しとやかに踏み変えた足を、一転軽やかな歩みに変えた。風を切る扇から光の粒が流れだす。咲いた白百合から芳香があがる。右腕と左足、左腕と右足、交互に外へ跳ね上げ、自らの内にある力がすこしでも門の精霊へ通じるよう祈った。
「此処まで隠し守ってきた精霊門……消させる訳には」
 素早い舞から、柔らかい舞に移る。八の字を描く彼女の足跡に、百日草が咲く。どこかなつかしい笛の音が、心の中に鳴り響いている。精霊と一体化し、舞う喜びが体の底から湧きあがってくる。いつしか柚李葉は涙を浮かべていた。胸にあふれる言葉にならない歓喜が、彼女を突き動かしていた。
 やがて一片の羽が地に舞い落ちる様に、扇を地に伏せる。踊りきった充足感が体を満たしていた。
 我に返り、柚李葉は顔を上げた。
 黒い壁に蜘蛛の巣状にひび割れが走っていた。細かい破片がこぼれ、割れ、壁が砕けていく。鳥居がまばゆく輝き、光が天へ昇る。上空高く、直角に曲がり北を指し示して消えた。
 結界が消失した。幻の草原も消え、鳴滝が意識を失う。残された巫女たちも、力を使い果たし気力だけで立っていた。
 ユリアが怨霊を神槍を刺し貫き、柄で泣き幽霊の背骨を折る。
「まだやる気? 私はかまわないけれど」
 悪霊の群れの向こうで、のんびり座っている小男へ艶やかに笑いかける。
 どうにか魅了の影響を脱し、柚乃はまだちょっとぽやんとしたまま羽ばたく夢魔を見あげた。傷だらけの夢魔どもだったが、戦意は衰えていない。
「まだホーリーアローしてませんしっ」
 支えにしていたトネリコの杖の先端を、夢魔へ向ける。
 印を結んだ菫に、明王の加護が宿る。
「来なよ。門は守り通すからね」
 誰一人引くつもりはなかった。背後に居る巫女達でさえも、手にした武器を離さないでいる。
「見物が終わりゃ、客はおとなしく帰るもんだゼ、蟹男」
「そうですねえ……」
 奥の手くるカ? 倭文は混戦を予想し、さりげなく花漣の前に出る。
「業腹ですが、そうしましょう。ここは空気も悪いし、負け戦とわかってこの子達を往かせるほど鬼畜じゃないですよアタシャ」
 小男は管束を振った。蛾が、悪霊が、夢魔が輪郭を崩し、とりどりの溶液に戻り管へ吸いこまれる。无が目を剥いた。
「なんですかそれは! どういう術式なんだ、教えろ!」
 今すぐ襟首をつかんでやりたい衝動に駆られた。溶液の量は、管の半ばを切っているように見えた。
 小男の耳を、矢がかすった。
「敵は倒せる時に倒す。怠れば痛い目に会う。そう、御前のようにな」
 羅喉丸が厳しい声を発する。顔をしかめた小男が、顔色を変えた。地を蹴る。志体持ちとしか思えない跳躍力に、羅喉丸は目を疑った。直後、小男が居た場所を雷撃が薙ぎ払った。
「……鬼っ娘の電撃より、痺れるって言ったよ?」
 ゴソクジョ! 花漣が両手をあげて跳ねた。早紀が安堵のあまりへたりこむ。
 金の錫杖をかまえ、亜紀は続けてホーリーアローの詠唱に入る。あどけない顔には、珍しく怒りが浮かんでいる。自在な軌道を描く、銀の矢が放たれた。
「おや枝毛だ」
 すぐ隣で聞こえた声に、思考が止まった。髪を一房、引っ張られている感触がする。真紀は理屈でなく本能で、末っ子の背後に立つ小男へ切りかかった。白刃が通りすぎる。小男は門をはさんだ向かいに立っていた。亜紀の鋭い直感に、違和感が走る。
(「夜……?」)
 長巻をかまえ、真紀は摺り足で末っ子の前に立った。
「やらしい奴やな、ホンマに!」
「お土産ぐらい置きたかったんですがねえ」
 不満げな小男。その姿が薄れていく。視線は開拓者を通り越し、後ろの門へ注がれていた。
「精霊におんぶにだっこの劣等種どもが……」
「負け犬の遠吠えなんです?」
 柚乃が錫杖を握っていた。聖なる矢が小男の影をうがつ。小男の姿は既になく、空漠だけが残されていた。