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■オープニング本文 ●きみの話 魔の森に蝕まれる浮遊大陸、天儀。 漂う瘴気から生じる人類共通の敵、アヤカシ。 アヤカシを束ねる魔の森のヌシ、大アヤカシ。 長い長い間、人類は塗炭の苦しみを味わってきた。だが。 開拓者ギルド。 大伴老が総長を勤める、自由人の傭兵組織だ。 ギルドにはやがて、志体と呼ばれる特殊な才能を持つ者が集まりはじめた。 精霊の加護を強く受けた彼らは、アヤカシをも凌駕した。 夜空の星のように散らばっていた志体持ちが集ったとき、反撃の狼煙は上がった。 人類は初めて、大アヤカシを打ち倒し、大地を奪還したのだ。 開拓者の武勇伝は人心を奮い立たせ、ついに各国が決起した。 連合軍を率いた開拓者は、武僧の国、東房の大アヤカシ『黄泉』すら撃破し、ついに遺棄された国、冥越を残すばかりとなったのであった。 ●決断 その日、神楽の都にある開拓者ギルドの本部には、大伴定家をはじめとするギルドの重鎮らが勢揃いしていた。 上座に座る大伴定家の言葉に、誰もが耳を傾けていた。春の穏やかな日和の中、ギルドのその一室だけがぴんと緊張に空気を張り詰める。話し終えた大伴の二の句を継いで、一人のギルド長が声を上げた。 「護大を破壊すると……そう仰られましたか!?」 「いかにも」 しんと静まり返った部屋に、大伴のしわがれた声が続く。 「三種の神器を、知っておるかの」 ギルド長であれば知らぬものはない。朝廷が保有している、神よの時代より伝わる三つの道具のことだ。それぞれに、名を、八尺瓊勾玉、八咫鏡、そして天叢雲剣と言う。これらは、公には朝廷の所有であった筈だが、いずれも、実のところ朝廷の手元に存在していなかったらしく、新たな儀を拓くに従って回収されてきた。 朝廷の説明によれば、この三種の神器を揃え護大の核を討つことで、護大を完全に滅ぼせるというのである、が。 「その核と目される心の臓は、冥越の阿久津山にあると言われておる」 ギルド長らが顔を見合わせる。 「冥越と申しますと、先の、大アヤカシ黄泉の最後の言葉……」 大伴が頷く。全てを知りたければ冥越の阿久津山へ行け――黄泉はそう告げて息絶えた。せいぜいもがき苦しむのだな、とも言い添えて。その言葉がどうしても頭を離れない。それが単なる悔し紛れの捨てぜりふであれば良いのだが、果たして、大アヤカシがそのように卑小なまやかしをうそぶくものであろうか。 「いずれにせよ、次なる目標は冥越国である。各ギルド長は各国に戻り、急ぎ準備に取り掛かってもらいたい。しかし良いかの……ゆめゆめ油断してはならぬぞ」 ●銃後の話 神楽の都 霊地 「地味ね」 神楽の都のはずれで、泰剣を帯びた娘が頬をふくらませた。姓は玲、名は結花。泰国からの援軍らしく、国旗を模した腕章をしている。 「はずれ任務だわ。もっと華々しいのはないのかしら。敵の大群へ切り込んで大将首を取ったり、三種の神器を手にして活躍するような」 うっかり神器が手に入るようなら、我が国のものと主張しよう、などと玲は考えていた。御簾の向こうの上司が困りはてるだろうとまでは頭が回らない。目元に紅を引き気取ってはいるものの、まだまだ幼く、なんでも一番がいいと単純に考えている。 彼女の前にそびえ立っているのは、精霊門だ。閉ざされて長く、注連縄でがんじがらめにされている。鳥居の内側が、まるで黒曜石の鏡のようだった。玲は試しに拳を叩きつけ、顔を真っ赤にしてしゃがみこむ。鉄の塊を殴ったようだった。 涙目をこすってごまかす。立ち上がって剣をかざし、気合一閃、黒板を引っかくような音が轟いた。再度顔を真っ赤にし、耳を押さえてうずくまる。ぺたんと座ると、玲は門を見あげた。黒い鏡が玲を映している。 「対門、岩戸より出し日まで開かざるや。何よもう。門は、開けごまで十分です。 報告が来るまで、何しても無駄だなんて。 ああもう、おいしいところはまた開拓者ね。地味よ、地味」 ●前線の話 ずんぐりした飛空船が、春霞に浮かんでいる。 眼下は一面、からりと立ち枯れた魔の森。 天儀北部、弓術士の国、理穴。 東房に先だって大アヤカシから国土を取り戻し、魔の森跡地の焼き払いを進めている国だ。 その跡地の上空を、飛空船は進んでいた。 船体に大きく『あづさ』と書かれた船だ。 両脇に小型宝珠砲がいくつか。砲塔を見るに威力の低い量産式らしい。どちらかというと、空夫達の弓をあてにしているようだった。 弓掛鎧を着た彼らは、理穴の弓兵隊だ。十人一組の小隊と見える。ひとりだけ老けているのが隊長だ。高橋 友信(たかはし・とものぶ)。不惑でやっと隊長になれた男で、弓手にごついタコがある。このところは儀弐王から受けた焼却の命令を、地道に着々とこなしていたのだが。 「隊長、国境です」 差し出された遠眼鏡を受け取り、高橋はのぞいた。 遺棄されて長い隣国、冥越。 境の向こうから泥水が染み出すように、生きた魔の森が手を伸ばしている。 広がる霧は噂に聞く煙羅煙羅のものだろうか。 足を踏み入れれば瘴気感染は免れ得ないだろう。 「理穴ギルド長が大伴老より預かった資料によれば、神楽の都と繋がる精霊門が、冥越の奥地に存在したそうです」 「対門、岩戸より出し日まで開かざるや、か」 「大雪加さまの見立てでは、対門は封印されており目視が不可能だとか」 「祖先が国を捨てたとき、封じたのであろう。いつか人類が冥越を取り戻す日が来ると信じて」 捨てられた箱庭には、希望が隠れていた。 門を開放すれば、大アヤカシの背後をとることができる。 資料によれば、かつて門のあった地に、三つの岩が並んでいるのだそうだ。 岩とは不適切かもしれない。ぼろぼろの図版によると、陰陽師の呼び出す壁に似た形をしている。 心、技、体。 それぞれが、死力を尽くした攻撃でなくては破壊できないと伝えられていた。 しかし資料はあまりに古く、門は魔の森奥であるとしかわからない。 ただ岩壁は瘴気でなく、いにしえの術で作られているらしい。 かつては多くの巫女が七色の舞を奉じ、門の精霊たちの心を慰めたともある。 強い精霊力を帯びていることだろう。 昏倒した仲間を連れ帰る手段も検討しなくてはならない。 ただでさえ敵の本拠地を行くのだ。 精霊門の出現を確認できれば万々歳だろう。 志体を持たない弓兵たちでは、魔の森の奥地までたどり着くことはできない。 だが開拓者を入り口まで運ぶ事はできる。 生きた魔の森の境界が近づき、あづさはしだいに高度を下げていく。 |
■参加者一覧
六条 雪巳(ia0179)
20歳・男・巫
黎阿(ia5303)
18歳・女・巫
由他郎(ia5334)
21歳・男・弓
ユリア・ソル(ia9996)
21歳・女・泰
エルディン・バウアー(ib0066)
28歳・男・魔
ファムニス・ピサレット(ib5896)
10歳・女・巫
神座早紀(ib6735)
15歳・女・巫
玖雀(ib6816)
29歳・男・シ |
■リプレイ本文 ●より急ぐ 濃い煙の奥から、身の丈より大きな蜂が姿を現した。 硬く耳障りな羽音が響き、通った後が渦を巻いた。枝の合間を飛び回る。絡み合う木々の隙間からは、黒い反物がはみでている。いや、互い違いにうごめいているのはふち飾りではない。昆虫の足だ。藪の中から大百足が一行の隙を狙っていた。 肉を食らうための鋭いあごを開いたまま、蜂は突撃の態勢に入った。最初の一匹が飛び出さんとしたその時、片羽が折れ蜂は地に落ち転げまわった。 羽の付け根に、矢が突き刺さっている。 「木の枝が邪魔なら……その陰から外れた瞬間を狙う。時間がない、効率的に片付けるとしよう」 精霊は呼ばず、由他郎(ia5334)は己が技量だけで蜂の急所を狙う。矢が的確に殻と殻の継ぎ目を突き、粘液があふれでた。 目覚ましい活躍を見せたのはファムニス・ピサレット(ib5896)だ。マスクは用を為さないと判じるなり放り捨てると、錫杖を鞭に持ち替え後衛として戦いに身を投じる。 「似餓蜂は上手く鞭を振るえば、複数巻き込んで叩けそう……!」 振り回した鞭が蜂どもをかすめたが、大振りな動きに蜂が散開する。前に出た仲間の頭上をかすめそうになった、彼女は手を引いた。 「射線を取るのが難しい……いえ、……私だって姉さんみたいに、やれますっ!」 鞭から錫杖へ戻し、一呼吸おいて祈祷に入る。戦場は魔の森の奥深く、癒すべき相手は瘴気に汚染されている。それでもなお彼女の放つ治癒の閃きは、確実に傷を消していった。 神座早紀(ib6735)も負けてはいない。 「私の力は小さいですけど、お役に立てるよう頑張ります!」 しろがねの巫女服をまとい皆の無事を祈る。獣道すらない森の中へ、天女が舞い降りたようだった。清らかな祓えの祈祷が、邪な瘴気の魔の手に抗い、退ける。小さな傷や怪我は、大事に至る前に癒し伸べられる。 玖雀(ib6816)の一手が勝負を決める。 「動きが単調だな、所詮蜂か。……形だけの張子が!」 倒木を足場に跳躍し、闘布を振るう。蜂の顔面に巻きつけ、勢いのまま走りぬける。蜂の図体が玖雀の膂力に引きずられ、太い幹へ衝突する。最早それにはかまわず、玖雀は弓手の拳石を、背を向けた蜂へ投げつけた。まっすぐに投げたはずのそれが弧を描き、蜂の横腹へ吸いこまれる。瘴気が吹きだし、蜂は風船のように弾けて消えた。 (「しいっ、静かに」) ユリア・ヴァル(ia9996)が人差し指を口に当てた。藪の奥でうごめく大百足の脇を通り抜ける。 (「迂回しましょう。いちいち相手をしていたら、たどり着く前に力尽きてしまうわ」) 瘴索結界を張りながら、手にした計測時計の針を確認する。探るのは瘴気でなく、精霊力。 「門が近ければ反応するはず。無駄足は踏まずに行きましょう」 ユリアが会心の笑みを浮かべる。目論見どおりに針が揺れていた。 魔の森へ入り数日が経った。朝廷から内密に使わされた巫女は早々に音をあげ、開門の秘技を一同へ託し森の外へ避難した。手順を確認した六条 雪巳(ia0179)は複雑さに目を丸くする。 「これから開く門には専用の作法があるのですね」 「解毒は任せて、しっかり覚えておいて」 心配し付き添う黎阿(ia5303)の言葉に、こっくり頷く。重い矢傷を負っていた雪巳は、方位磁石を握って体力気力を温存する一方、儀式の段取りを頭へ叩きこみながら進んだ。足を引きずりながらも弱音を吐かない雪巳に、黎阿は微笑し、さりげなく藪と彼の間に割りこんだ。早紀が守るように後ろを歩き、ファムニスが前を行く。 十分な距離を歩いた頃、由他郎が弓弦を鳴らした。玖雀が白墨で木の幹に印をつけ、念のため刃先で跡を残す。敵数に辺りをつけたユリアが、危険区域を白地図へ書きこむ。黎阿は邪魔になりそうな枝を折り、下草を払うと、夫の由他郎へ物言いたげな視線を向けた。 (「あんた、雪巳のこと気にかけてあげてよね」) (「言われずとも、そうしている」) 太陽の位置と跡をつける頻度から、移動の早さを見切った由他郎は、撤退時の経路を落としこんでいった。 邪なる者への抵抗に優れた一行は、瘴気感染をものともせず進んでいた。疲労と症状を前提に帰路まで考慮し、余裕を保ちながら行軍する。頭痛が激しくなるなか、エルディン・バウアー(ib0066)は意気揚揚としていた。 「瘴気感染治療、とは……何をどうするのでしょうね? 美人の巫女さんにいろいろ介護されるのでしょうか。ドキドキわくわくですね!」 広がる未来予想図に胸は高まる一方だ。動悸が激しいのは瘴気のせいだけではない。息を荒げながら錫杖を頼りに悪路を行く。煙はますます濃くなり、気分を萎えさせる。仲間の作った地図を元に、エルディンは煙羅煙羅の本体位置を探った。錫杖を正眼に構え祈りを捧げる。 「我が信ずる神よ聖霊よ。その凍てつく息吹で邪悪な霧を退けたまえ」 氷雪の説教が煙を吹き飛ばし、核を露出させる。錫杖が鳴る。魔の森には場違いな涼しげな音。 「神より与えられし聖なる矢よ、我らの敵を撃ち抜きたまえ。ホーリーアロー!」 祈りのとおり、白銀の魔弾が発射された。琥珀色の核が砕け散った。 周囲の煙が薄れていく。ファムニスが傾く太陽を目にした。 「野営の用意に入りましょう。エルディンさん、ムスタシュイルをお願いします」 見張りの順を決め、夫婦は天幕を張り、皆の為に寝袋や毛布を延べる。ファムニスが火をおこす。たき火を囲んで節分豆をもさもさ食べるおもしろうてやがて悲しき晩餐に、料理器具を引っさげた早紀が七輪をでんと置いた。 「気力を維持するには美味しい食事が一番です!」 ●対峙 いまだ煙漂う中、一行は伝承の地へ辿りついた。石壁は切り出したばかりのように滑らかだった。さっそくユリアは周りを巡る。 「確かに陰陽師の壁にそっくりね。……固さは、それ以上と見積もっておくのが正解かしら」 拳で軽く叩くと、鉄塊のような反響が返ってきた。あるべきはずの門は見当たらず、三枚の石壁だけがある。 「精霊門の変化……ムザィヤフの応用かしら?」 ユリアの呟きに仲間が集まってきた。エルディンが背筋を伸ばす。 「うーん。精霊の恩寵は感じられますが、系列まではわかりませんね」 木陰に腰かけ、資料を開いた雪巳は虫食いだらけの文献を読みといた。 「岩戸の憤怒せし精霊、心癒すもなお隠れたまいぬ?」 由他郎が弓弦を弾いた。 「……気になるな。だが食料も残り少ない。神楽の都の対門のこともある。戻ってから検分しよう」 薄い煙が吐き出される森へ、油断なく目を配る。ユリアも同意し、槍を手に下がった。 巫女達が進みいで、朝廷からもたらされた開錠の舞を捧げようとした。 「……っ。……」 雪巳が低く唸った。舞のため重心を落とすが傷が痛む。歯を食いしばる雪巳の隣へ、すっと細い人影が立つ。黎阿だった。 「あたしに合わせて舞って。気休め程度でも、痛みが薄らぐかも」 支えるように、黎阿は雪巳と同じ扇を広げる。 (「イイ女だ……」) 並んで神楽を舞う姿に、夫は目元をゆるめた。 「岩戸に仰ぎ奉る門の精霊へかしこみかしこみも白さく……」 四人が両手を伸べ石壁を拝すると、壁が輝きはじめた。それぞれに心、技、体、の紋様めいた文字が浮かぶ。同時に辺りがほんのりと発光する。桃色の草原が広がった。巫女達が舞うたびに、ガラスの草花が揺れ、光の粒となって壁へ集まる。 輝きが強まったのを見て取り、黎阿は早紀とファムニスを振り返った。 「資料に拠れば攻撃できる回数に限りがある。一回だって無駄打ちはできない。せえの、でいくわよ」 黎阿の掛け声に、巫女達は深呼吸の後、体の力を抜いた。各々、懇意の精霊への祈祷文を唱え始める。由他郎、玖雀、そしてユリアが壁の前に立つ。 (「実に眼福ですよ。巫女さんに囲まれて舞で応援されるのもいいですねー。壁殴り役、美味しい、羨ましい……! いやもちろん雪巳殿が男性だってことは分かってますから!」) なんて思いながらエルディンはせっせと探知結界を唱えている。範囲は限られていても確実に、より長時間、外敵の侵入を察知する。拠点を守るにうってつけの魔術を、エルディンは信ずる神への祈りと、仲間へのちょっとのやっかみをこめて張りめぐらせた。死角もすべて埋める。 皆へ合図し、忍者刀と伐採斧も取り出す。 「必要なら使ってください。私は見張りしてます」 ウインクをした神父に緩い笑みを投げ返し、玖雀は由他郎の後に詰めた。 「初手は任せた」 「ああ」 言葉少なに由他郎は狙いを定めた。『技』の字が光る石壁へ。三本の矢を取り、つがえる。愛用の弓は伝説の弓術士と同じ名を冠していた。それを操る彼もまた、伝説の一篇になる日が来るのだろう。黎阿が、その背へ声をかけた。 「はずしたら承知しないから」 「きみを射止めたのにか」 「……命中率は確かね」 軽く咳払いをした黎阿は、改めてあたたかな眼差しを投げかけた。左手の薬指に指輪が光る。 「がんばって応援してあげるから、ね」 仲間に続き、黎阿はしなやかに扇を振った。下から上へ、軽やかに力強く。芽吹くような扇の動きが由他郎を鼓舞する。草原が、花畑になっていく。 由他郎がまぶたを落とし、呼気を吐く。か細い音を立て弓が反っていく。呼気をすべて吐ききった由他郎が、鋭く吸いこむ。最初の矢が、目にも止まらぬうちに二の矢が、三の矢が、石壁の中央へ命中した。表に蜘蛛の巣のようなひびわれが走る。 (「あと一発といったところか……。気絶する前にはやめる」) どっと体へ広がる疲労感を、にじみ出た汗ごとぬぐう。さらに呼吸を整え、同じ所作で矢をつがえ引いた。最初の矢を、四本目の矢が砕き、二の矢を五の矢が貫き、最後の矢が三の矢を引き裂き壁へめりこむ。 その位置からヒビが広がり、壁はきしみながら内側から自壊するように崩落した。草原から花が消え失せ、同時に石壁の奥にぼんやりと門の輪郭が浮かび上がった。 「やりましたあ!」 ファムニスが飛び上がり歓声をあげた。あの矢には彼女の祈りが乗っている。舞にも力が入るというものだ。早紀も拍手する。 「アヤカシ殲滅は我が神楽家の使命にして悲願。それを為すためにも、是が非でも成功させます!」 いざとなれば自分も殴るつもりだ。気合満タンな二人だったが、舞が始まると一転して神妙な顔になる。巫女達は『心』の壁に対峙するユリアへ祝福をそそいだ。 ファムニスは両手を高く掲げ、ジルベリア風のダンスを披露する。白鳥に似て軽やかに、ブーツに包まれた足を踏み交わし、ターンをくりかえす。軽快な動きに反し心は湖面のように穏やかだ。ふたつにくくった髪がスイング、光の粒をまとって揺れる。くるりと回るつど光の粒が壁へ飛んだ。 彼女と対象的に袖が地をさらうほどに低い姿勢のまま、早紀はゆるくおだやかな踊りを続けた。袴の下の細い足を伸ばし重心を移す。踏み出すたびに輝く花が光の粒子へ変わり、鱗粉のような桃色が羽織を染める。水平に差し出した手を裏返すと、周りのつぼみが一気に開花した。舞い上がる光の粉。あるべき場所を見つけたかのごとく壁へ流れていく。 ユリアは槍の握りを持ち替え、柄を回す。神槍の重い穂先が空を切った。右へ左へ、重量を確かめるように交互に回転させ、しだいに速度を上げていく。櫂をこぐようだった動きが剣の舞に変わり、やがて羽をもてあそぶ様へ。 「はああああっ!」 裂ぱくの号を発し、ユリアが踏みこんだ。草原が割れる。音が鼓膜を打ったときにはすべてが終わっていた。心の文字を中心に正円を描く六つの穴。向こう側に輪郭を確かにした門が見えている。穴のふちが崩れ、さらさらと砂状になりこぼれ落ちる。心の字が砂に覆われると、壁そのものがまっぷたつに折れる。 「調子いいわ。残り一枚ね」 肩で息をしながら、ユリアが額の汗をハンカチで押さえた。声は喜びと期待で弾んでいる。 最後の石壁、『体』の前で玖雀は顔を伏せていた。どこか茫洋とした眼差しに雪巳の心が曇る。足の痛みをおし、黎阿に付き添われながら玖雀の手に自分のそれを重ねた。 「……大丈夫、です?」 玖雀はふわりと穏やかに微笑んだ。 「……大丈夫だ、問題ねぇよ」 頭をめぐらせ、辺りを見まわす。周囲をかこむいびつな植物は、植物と呼ぶ事すらはばかられる異形が、魔の森だ。樽のような幹、ふくれあがった瘤、絡み合う枝葉に菌糸のようなものが絡んでいる。アヤカシの煙がうっすらとけぶる森に幾多の命が呑まれたのだろう、玖雀は面を伏せた。 (「ここが冥越。見捨てられた地……」) 椿の面影が胸をよぎる。 (「……ここが、あいつのかつての故郷……。これのせいであいつの一族と家族は……」) 粗く球状に削りだされた石を握る。手のひらで転がし、軽く投げ上げ、受け止めてみる。恋しい人の為ならば鉄火場にも行くのだ。いつかこの地をアヤカシから取り戻してやりたい。その為にも、先ずは。 玖雀が利き足を下げ、半身になった。壁の向こうで、色の無い門が口を開けている。 「てめえを……解放する!」 利き足が地を蹴った。大きく踏み出す。足から胴へ、胴から腕へ、力がうなりを上げ伝わっていく。頂点の手のひらから礫が投げられた。壁に亀裂が入る。 「まだまだぁッ!」 気力を振り絞り次々と投げつける。礫の軌跡を粒子が彩った。文字に生じた亀裂が深くなっていく。ついに字を撃ち抜かれ、壁は音を立てて崩壊した。 草原が目もくらむほど強い光を発した。澄んだ音が響き、次の瞬間、消失する。後に残ったのは、まごうことなき精霊門だ。鳥居の内は黒々としている。いぶかしんだ玖雀は黒い壁に手を押し当てた。びくともしない。 「おお神よ、なんということでしょう!」 目を丸くしているエルディンの隣で早紀が拳を握った。止める間もなく右ストレートを入れる。 「憎いあんちくしょうですね。叩け、叩け、たた、けっ……! いたーい!」 雪巳に花束でなでなでされる早紀を脇目に、打神鞭を手にしたユリアが門前へ立ちはだかる。 「私のために、もう一度舞ってちょうだい」 巫女達から祝福を受け、鞭を叩きつけたユリアは目をすがめた。 「……痕も残らないなんて」 文献を受け取ったファムニスが、むむむと顔をしかめた。知りたい所が風化で読めない。 「朝廷から聞いた儀式は完了しましたよね」 「神楽側でも、開錠の儀式が必要な様子です」 雪巳の答えに黎阿が手を叩いた。 「終わった、なんて気を抜かないで。皆で無事に帰るまでが仕事よ」 周囲のアヤカシを改めて払いのけ、帰り支度をする。そろって作り上げた地図と体力配分に気を使ったおかげで、危なげなく帰途につく事ができそうだ。そびえ立つ精霊門を肩越しに振り返り、由他郎は口の端をあげた。 「対門も成功すれば、大アヤカシの背後が取れる。胸がすく話になるだろうな。……面白い」 |