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■オープニング本文 前回のリプレイを見る ●どこかの話 長い長い戦い 「葬儀は済ませたか」 「はい。飛空船の甲板で」 「我々のやり方でか」 小柄な影はわずかな沈黙のあと、はいと答えた。周りの人影が散っていく。 「では安心だ。これからもよろしく頼む。千年後の春のために、万年後の春のために」 ***** 浅い眠りの中、参は悪夢にうなされていた。 同時刻。その少女は手習いへ行くために、硯と筆の入った手提げを持って大通りを歩いていた。 参は悪夢にうなされている。 同時刻。その女給は客へ運ぶ膳を盆に乗せていた。 参は寝返りを打った。息が荒い。熱っぽい体の奥で衝動が高まっていく。 同時刻。その志士は団子を頬張りながら露店を冷やかしていた。 胸の内で何かが弾けた。熱が抜ける。 同時刻。 少女は手提げを通りすがりにひったくられた。 女給は盆を客の頭へ叩き付けた。 刀が鞘走った。 悲鳴。怒号。絶叫。 同時刻。ひんやりと心地よい波が周りからひたひた寄せる。参は穏やかな寝息を立てていた。 ●だれかさんの話 しらゆきひめとかえるのおひめさまの場合 瘴索結界。 瘴気を感知する巫者の技能である。アヤカシとただの瘴気を見分けるには十分な経験と訓練が必要だが、瘴気感知という点では頭抜けた才を持つ。 さて。 (「何故、瘴気が」) あの一瞬、参がまとっていたのは間違いなく瘴気だった。 帰路、二人は周辺を探るふりで参の気配をのぞいたが、姿が墨に染まることはなかった。 神楽の都で自問をくりかえし、二人はある結論に達する。 「眠っていたから?」 ***** ●裏の話 猫の住処 昼過ぎ サンマ料理屋の二階で、参は昼寝から起き階段を降りた。厨房では自慢の板前が仕込みに入っている。姓は啓、名は除防(チー・チュイファン)。 「ありがと板さん。寝たらスッキリした」 「あくびしながら手を出すくらいなら、横になっていてくだせぇ」 切り盛りしているのは参だが、店を仕切っているのは啓だ。 頑固な包丁人で、ごたごたが絶えず、右往左往していたところを町内会のツテで参と出会った。ソロバンは弾けるが料理の才は人並みな参にとっても、啓の存在はありがたかった。 「しかしあれっすね。姐さんはふらっと出ていって、いきなり大金抱えて帰ってきやすねえ。何やってんですかい?」 「博打」 「へぇ、あやかりてえもんで。どこの賭場ですかね」 「やめときにゃって、しくじったら人生アウトだにょ」 遠慮がちに扉が叩かれた。入り口を開けると、呂が立っていた。店に招き茶を勧める。 「じつは今日はお願いがあって」 「また騙されたにょ? で、何を用意すりゃいいにょ」 「ち、違うよ。今日は誘いに来たんだ。近いうちに巌坂へ戻るから」 長いため息をつくと呂はぼそぼそ続けた。 「……そろそろオカンのご機嫌伺いに行かないと。でも、一人はイヤだし」 「そーにぇ。おばさんキョーレツだからにぇ……。わかった、決まったら声かけて」 啓が厨房から出てこないと察し、呂は声をひそめた。 「ねえ、天帝さまへ東房の報告は済ませた?」 「仲間に報告書投げたにょ」 「御前には上がってないよね?」 「うちはおいしいところは古参が持ってくにょ。謁見めんどくせーし、いいけどにぇ別に」 「本当に上がってないよね?」 参はいぶかしげに目をすがめた。 「どうしたにょ明ちゃん」 「聞いてみただけー」 呂はへらりと笑った。 「しばらく悠々自適だね。それにもう立派なお店があるから、お役目を続けなくても」 呂は首をめぐらせた。カウンターと卓がひとつ。流れ者が帝都でこれだけかまえたなら十分だ。すごろくの上がりにも等しい。けれど参は満足していないようだった。 「もう少し店を大きくしたいんですけど。雇いたい子が居るんですけど、今のままじゃ狭すぎなんですけど?」 「どんな子?」 「明ちゃん」 呂から笑みが消え、口を開けて固まった。 「そしたら明ちゃんはもう怪我しなくて済むにょ」 呆けていた呂が、珍しく強い瞳で参を見つめ返した。 「梨ちゃん、その前に巌坂へ行こう。絶対だよ」 「う、うん」 呂に気圧され、参は思わずうなずいた。 「ほんとにどうしたにょ明ちゃん。何か用事でもあるにょ?」 「用事は最初に言ったじゃん」 呂はへらりと笑い、席を立った。 「そうそう。変な泰国薬が出回ってるらしいね。飲むと不老不死になるんだって」 「アホくさ。思い込みに決まってるにょ」 呂を送りだし、参は短い煙管を取り出した。イライラと弄ぶ。 (「泰国薬の話、私が聞いたのと違う。万病を癒すとかなんとか。噂だと朱春西のご隠居が飲んだらしいけど。……ただのホラ話だと思ってたら、明ちゃんの耳に入るって相当じゃにぇ?」) 「板さん、出かけてくるからよろしく」 啓はいつものように鍵を受け取り、裏口から参を見送った。 入れ替わりで入り口が叩かれる。自警団の男が顔を出した。殺気だっている。 「通り魔が出た。今日は店を閉めてくれ」 ●表の話 猫の住処 夕方 街角に立っているのは、泰剣を帯びた娘だ。目元に紅を引き気取ってはいるけれど、まだまだ幼い。姓は玲、名は結花(リン・ユウファ)。 官憲の腕章をしている。 「通り魔事件などと。天帝さまのまします祝福された都で、無礼千万」 目撃証言によれば、犯人は刀を持つ若い男。被害者は露店商の老婆だ。幸い傷は浅く、大事には至らなかった。 捜索は遅々として進まない。大通りから脇道へ逃げ込んだ先の目撃情報が少なすぎるのだ。犯人は監視の穴を突いて逃走していた。まるで人の流れを知っているかのように。 玲は頬をふくらませた。 「見てなさい呂戚史。今度こそ私の手柄にしてみせます」 ●裏の話 朱春東 夕方 長い長い戦い 「あの。旦那様が一蓮教の方とお伺いして」 呂はふところから銀の芽切鋏を取り出し、門番へ見せた。門番は意に介さず押し返そうとする。 「お通ししろ。すぐにだ!」 邸宅から召使が飛び出し、呂は応接間へ案内された。天井の高い部屋で、豪商本人が待ち構えていた。 「地虫の呂戚史です」 呂の名乗りに、豪商は心底安堵したようだった。 「戚の字を持つ方がいらっしゃったとは。ありがたい、胸のつかえが取れる」 自分の銀鋏を見せ、豪商は真剣な顔で現状を打ちあけた。 「巌坂から流出した例の物は、ほとんどうちが買い取りました。残りの持ち主へ交渉を続けておりますが、奴め他所へ売り飛ばす気だ。そうはさせじと現物の在り処を突き止めたところです」 「私財を投げ打ってのご協力、ありがとうございます」 「いいえ、これも艱難辛苦でしょう。飲み干して春のお庭に参ります」 お互いにお辞儀をすると呂は顔を上げた。 「先方が真価に気づく前に、盗み出します」 「何卒よろしくお願いいたします。処分は私が責任を持って。こちらが地図です、お役に立てるとよいのですが」 豪商が呂へ現場の地図を渡した。高級住宅街の一角。庭を囲んだ、コの字型の屋敷が記されていた。 |
■参加者一覧
六条 雪巳(ia0179)
20歳・男・巫
菊池 志郎(ia5584)
23歳・男・シ
ケロリーナ(ib2037)
15歳・女・巫
神座亜紀(ib6736)
12歳・女・魔
中書令(ib9408)
20歳・男・吟
呂 倭文(ic0228)
20歳・男・泰 |
■リプレイ本文 ●朱春西 暮 噂に聞くご隠居の家につくと、門には閂がかかっていた。町の人が言うには、一昨日からそうだという。 「ここのおじいちゃまは医者も匙を投げる長患いをしていたのが急に元気になった、本人は万病を癒す妙薬を手に入れたと自慢していた、という話でしたのね参おねえさま」 状況を聞きこんだケロリーナ(ib2037)は小さな拳を口元に当てた。 「噂が出回ったのは、いつですの?」 「東房行く前だにょ」 「呂おねえさまは、不老不死の噂を聞いたのは最近だと言ってましたの。妙薬が同じものなら……」 ぴっと人差し指をあげる。 「薬を使ったおじいちゃまに何かがあったですの。ケロケロ探偵ケロリーナの推理ですの!」 うなずいて六条 雪巳(ia0179)も周囲をうかがう。 「強引な快気祝いに伺いましょう。香露、出番ですよ」 雪巳は空に向かって手を振った。上空を旋回していた駿龍の香露がゆっくりと降りてきた。集まった子ども達に雪巳は笑みを返し、香露に路地へ入らせる。人目が切れたのを見計らい、三人とからくりは香露の背から壁をよじ登り、庭へ降り立った。 耳鳴りがする。脳髄を振るわせ、四肢を痺れさせる。 甘い。 ……遊離しかけた思考を引き戻し、ケロリーナは頬を叩いた。金色のツインテールが大きく揺れる。 「うう気持ち悪い。ふわあってしますの、居眠りしそうな感じですの。嫌な夢が待ってる気がするのに、眠くてたまらない時の感じがしますの」 からくりのコレットが主人の手を握る。 「お嬢様、悪夢ならこのエクターが払ってみせます」 雪巳も目をしばたかせた。ぴんと四角に折った清潔な布で額の汗を拭く。 「妙な耳鳴りですね。参さんはいかがですか」 「何も感じにゃいにょ」 ケロリーナは参を振り仰いだ。ふらつくほどの波動に満ち満ちた空間で、参はけろりとしていた。 (「何故ですの?」) 憶測が心をよぎる。 (「参おねえさまに何が起きてるですの? もしかしたら、もう、アヤカシに食べられて成りすまされてる? それともキョンシー?」) 棺おけから迷い出た屍を思い返し、ケロリーナはそっと参の手を取った。首をかしげながらも、参は微笑み返した。握った手は温かく、柔らかかった。雪巳も横目で参を伺う。思い出すのは顔合わせの時。術視で見つめた参は、輪郭がぼやけていた。 (「術をかけられているのは明白。効果と術者までは見えなかった。強大な、あるいは未知の。何者かに操られているのか、憑依されているのか……」) 視線に気づいた参から目を逸らし、雪巳は頭をめぐらせた。 (「まとわりつく瘴気……。眠っているときだけ表出するのだとしたら、彼女が起きている間は、どこへ……? この件、一つの側面だけをみていては答えに辿りつけない……そんな気がいたします」) 夕暮れの中、屋敷はしんと静まり返っていた。 「どなたかいらっしゃいませんか」 呼びかけたのは、心細さをぬぐうためだったのかもしれない。庭に面した扉が、遺跡の入り口に見える。壁の向こうから心配げに香露が首を出した。相棒に勇気付けられ、雪巳は覚悟を固めた。 「……誰か居るなら、顔くらい出すはずです」 胸騒ぎをおさえ屋敷へ踏み込んだ。薄闇の廊下を進むにつれ、耳鳴りがひどくなる。最初の扉へ手をかけた。 蝶番の細い音が立ち、西日にあぶられた室内が浮かび上がった。下男の部屋だろうか。天井まで見回した時、ケロリーナが雪巳の帯を引っ張った。 「あっち。お花がすごい畑ですの」 廊下の奥を指差すケロリーナ。エメラルドの瞳が焦点を失っている。 「浮いてますの。お花が、毬みたい! お友達にあげるですの!」 駆け出す彼女にあわてた参の肩を押さえ、雪巳は扇を開いた。 「朱春にまします春の精霊たちよ。まがつことあまねく祓いたまへ清めたまえとも白す」 ケロリーナの姿がほの白く輝いた。足を止めた彼女をコレットに任せ、奥の扉を押し開けると寝室だった。落ち着いた内装に天蓋付きの寝台。枕もとの卓には水差しや薬袋が並んでいる。雪巳のうしろから、ケロリーナも部屋を見渡した。 静寂。 ケロリーナは一歩退がった。視点がずれ、それに気づく。寝台の下から彼女を見つめていた、顔と。 「お任せを、お嬢様!」 踊り出たからくりの石斧が寝台を叩き割る。それはすばやく飛びのき、天井の隅にへばりついた。雪巳の背筋を怖気が走る。 「蓮?」 老人の死体から、蓮が芽吹いていた。花弁はつつましく蓮華座を抱き、仏掌に似た葉は天を向いて、ギトギトと油膜じみた輝きを放っている。 「アレを外に出してはいけない!」 本能的に察し、雪巳は扉を閉めた。ケロリーナが杖をかまえる。薔薇を模した先端に真言が像を結んだ。 「おんさんまやさばとるぐるん……。おじいちゃまから離れなさーい!」 太ももへ聖印が押され、しかし根元からもげた。落ちてきたのを払いのけると、腐敗した血が床に撒き散らされた。鼻を突く死臭がたちこめる。 針で刺すような頭痛が雪巳に走った。眠りに落ちる寸前の感覚、視界が暗くなる。にぎにぎしい闇の洪水から、虹色の蓮が襲いかかってきた。銅線のような茎がわき腹を貫通し、雪巳は衝撃で足をすべらせた。痛みはなかった。内臓をまさぐられる奇妙な感覚だけがある。 意識が更に遠のく。床が、ひんやりと心地よい。このまま目を閉じたら無明に落ちていける。震える手で懐をまさぐり、撫子の簪を握りしめ歯を食いしばった。 手の甲に突き刺そうとした寸前、腕を掴まれる。意識が浮かび上がった。鮮明になった視界にケロリーナの顔が映る。解術の祈りを終え、ケロリーナは浄化の真言を唱えた。意匠が青薔薇に変じる。 「おじいちゃまだけでなく雪おにぃさままでー!」 勢いよく突き出した杖が空を切った。参が四肢を狙い発砲する。死者の腕が吹き飛ぶ。手足の支えを失い、床に落ちた虹蓮から瘴気があふれた。黒いつぶてが一行へ降りそそぐ。雪巳が扇の上に花を呼び、荒れ狂う飛礫の苦痛に耐える。防戦の最中、不意に全身を打つ痛みがとぎれた。 コレットが虹蓮に組みつき、吐き出される瘴気弾を一手に引き受けていた。 「私の名はエクター。私がお嬢様を守るのだ!」 もがく虹蓮をコレットが押さえつける。至近距離からの射撃に鎧がへこみ、四肢がひび割れていく。ケロリーナは再び薔薇を青に染めた。 「そーじょー! えん、かっ! え〜い!」 蛙印のスタンプが蓮を叩き潰した。死者が青い炎に包まれ、瘴気が雲散霧消する。 耳鳴りが止んだ。 花の癒しで一行の処置を終え、雪巳は一息ついた。ケロリーナはさっそく部屋の中をがさがさやっている。日記帳を見つけたらしく、飛びはねた。 念のため術視で室内を確かめ、収穫のないまま雪巳は参へ視線を映す。目が合った。無数の目玉が雪巳を見つめていた。それの輪郭がぼやけ、ふしぎそうにこちらを眺める参に変わった。 ●猫の住処 宵 犯人が買ったという団子を頬張り、菊池 志郎(ia5584)は足取りを追って大通りを歩いた。闘鬼犬の初霜がしきりに辺りの匂いを嗅ぐ。 「通り魔事件なんて、犯人は何か理由があってそんなことをしたのでしょうか……。ともあれ被害者の傷が浅くてよかった」 その老婆の話を思い返した。 「人のよさそうな若い男で、品をのぞくから声をかけようとしたら、突然切られた」 「服装は青い天儀風で、腰に刀を佩いていた」 神座亜紀(ib6736)も手帳を取り出し、聞いた話を反芻する。痛みよりも驚きで肝を潰し、老婆はその先を覚えていなかった。事件現場で、初霜はしっぽを垂れてきゅんと鳴いた。 「犯人の匂いがどれかまではわからないです。血の匂い、すこしあります」 「追えますか」 「がんばります」 地に鼻をこすりつける初霜。ものものしい街角で、亜紀は玲を見かけ手をあげた。 「やあ結花さん、通り魔が出たって騒いでるね。まんざら知らない仲じゃないし、お手伝いするよ」 亜紀と志郎を認めた玲は、口をへの字にした。渋面のまま現場監督へにじり寄っていき、すぐに戻ってきた。慇懃無礼に腰を折る。 「……辣腕は存じております。捜査へご協力よろしくお願いします」 「怖い顔のままだよ玲さん。紹介するね。僕の相棒、エルだよ」 「背の高い提灯南瓜ですね」 「サイズが大きいのよ。初めまして」 お辞儀をするエル。近寄ろうとしない玲に、亜紀は苦笑いしながら帽子のずれをなおした。志郎の耳が玲の呟きを拾う。 「……呂戚史が来ないだけましかしら。今度は開拓者まかせでなく私自身の功績を」 「玲さん、今回も張り切っていますね」 独り言を聞かれ、玲がぎょっとした。 「気負い過ぎての失敗には注意しないといけないけれど、職務熱心なのは立派だと思いますよ、俺は」 「そ、そう。手抜きは許しませんよ。私と言う監視役がいるのをお忘れなく」 ですから、と玲は付け加えた。 「あなた達の手柄もきちんと報告します」 亜紀と志郎は軽く吹きだし、表情を改めた。現場監督へ亜紀が念を押す。 「できれば生かして捕らえたいな。協力してよ」 受け取った地図は、いくつも印がつけられていた。猫の住処を囲むように同じ印がある。 「これは検問だね。容疑者の情報はまだあがってないのか。猫の住処に潜伏してるかな」 あたりは夕闇にのまれつつある。油壺を背負った男が通りすぎた。長い竿で外灯へ火を入れていく。 「夜まで放っておいたら、犯人は検問を抜け出てしまうね。もし志体持ちなら突破もたやすい、急ごう」 犯人が逃げ込んだ脇道へ入る。細い路地には小さな家がごちゃりと並んでいる。扉は閉め切られ、二階の窓から不安そうな顔がのぞいていた。自警団と官憲がそれぞれ巡回している。 「わんわん、こっちです」 古びた石畳の上を初霜が走っていく。志郎は瘴気計測時計をとりだした。 (「反応がまったくない。いかに帝都といえどアヤカシがいるなら、もっと値が高いはず。この事件は人の手によるものなのでしょうか」) 骨ばった手が時計を握りこんだ。 「だとしても、俺も生かして捕らえたい。罪は贖うものでなく償うものです」 前を進む初霜が速度をゆるめる。あたりはいよいよ暗くなってきた。エルが亜紀の法衣にくるまる。商店街から住宅街に入っていた。裏通りのようだ。物陰にはゴミが散らばり、石畳の合間から雑草が伸びている。姿勢を低くし、初霜は慎重に匂いをたどった。 「ご主人、近いです」 裏通りで、その男は物陰で息をひそめていた。 訳がわからなくて、どうしたらいいかもわからなかった。大切な刀が血にまみれている事実だけがあった。警備網を抜けようと、いや、そんな気概もなかった。ただ捕まりたく無い一心で彼は夜を待っていた。 地響きを感じた。何度も。彼はおそるおそる隠れ場から顔を出した。路地の出口が、分厚い鉄の壁で塞がれていた。 高く澄んだ声が響く。 「アイアンウォール!」 また地響き。自分が囲まれつつあると知った。心の目を開き、人影の薄い道を探す。気配を読むたびにこちらへ迫る、影が三つ。 甲高い娘の声が彼の背を叩く。 「逃がしません!」 抜ける予定の脇道を闘鬼犬が塞ぐ。 「わんわん、噛みますよ! 痛いですよ!」 正面へ地味な青年が回りこんだ。 「探しました」 逃げ場を探し、速度を落とす彼に、玲が瞬く間に追いついた。彼は鞘のまま刀を振るい、玲の手刀を受け流すと鞘の向きを反転させる。 志郎が地を蹴った。 「これ以上、罪を重ねないで下さい!」 疾駆から一閃、当て身を放つ。彼はそれも鞘で受け流し、次の脇道へ走りこんだ。 直後。 壁にぶちあたり、男は気がつくと檻の中だった。妙にファンシーな。 「待ってたよ。監視の穴をついて逃亡してると聞いて、ならキミが入り込んだ脇道からの監視の位置を教えてもらえれば、その穴をつくルートを予測できると思ったんだ」 ちょっと得意げにしているエルを従え、亜紀は巡回経路と人員配置状況を記した路地裏マップを広げた。 南瓜檻に閉じこめられていたのは、刀より鍬の方が似合いそうな朴訥な青年だった。亜紀はしゃがんで彼と目を合わせた。両の瞳に涙の膜が張っている。 「違う。知らないんだ、本当に、俺は」 怪訝な顔で亜紀はつめよった。 「どういうことなのかな。詳しく聞かせてよ」 「わからない。急に目の前が暗くなって、気がつくとばあさんが倒れて血が、血が……」 「どうして猫の住処に来たの。あのおばあさんを狙ったのは、何故?」 「羽を伸ばしに来たんだ。ばあさんは知らない、顔も覚えてない。周りが、通り魔だと騒いで、恐ろしくて、俺は」 こぼれた涙が石畳に円を描く。 「やっぱり、俺が犯人なのか……」 声もなく泣き伏す男に、亜紀は口をつぐんだ。刀は血まみれ。人相も風体も聞いた通りだ。犯人に違いない。 (「だけど嘘は言ってない。そんな気がする」) 唇を尖らせる亜紀の隣で、志郎は祈りを捧げ、巫術のまなこで彼をながめた。 (「何も変わらない……。彼は真っ当だ」) そっと瘴気時計をのぞく。針はぴくりとも動かない。 ●朱春東 夜 長い銀髪を結い上げながら、中書令(ib9408)は窓枠越しに問題の屋敷をながめた。あわせて時計で瘴気を調べる。反応はない。 「だーかーらー。中書令殿は敏腕捜査官だって知ってるだロ」 「はい。だけど協力者でない人に裏の話をしましたね倭文さん」 「腕の立つ奴を探してるって言ったのは戚史殿だゼ」 呂を説得しながらも白 倭文(ic0228)は手を止めなかった。各自の靴裏に薄綿を仕込み、余りを風呂敷に集め布の包みを作る。腰の鈴にも綿を仕込んで音を消し、忍犬の紅葉には布靴下を履かせた。狼犬は落ち着かない様子だったが、やがて主人の隣に座った。 中書令が呂へ体を向ける。 「ご安心ください。私も開拓者の端くれ、守秘義務を心得ております。関係者以外に口外いたしません」 人妖の鈴も力強くうなずく。彼らが居るのは仮の拠点。日のあるうちに行商人へ扮し屋敷の周囲を探った成果だ。運良く空き家を見つけたのも、押さえたのも中書令だった。 空には月がかかっているが灯りには物足りない。屋敷の外は常時二人組が巡回しており、ものものしいまでの警備員がいる。物騒さに首をかしげると倭文は呂を振り向いた。 「我達はいったい何を取り戻すんダ?」 呂はへらりと笑った。 「箱ですよ。このくらいのちっちゃい箱」 両手で形作ったのは宝石箱ほどの大きさだ。 「それはもう聞いタ。我が聞きたいのは中身ダ。壊れ物かくらいは教えるもんだゼ」 座りなおし、呂は改めて口を開いた。 「翡翠丹です」 「丹? 薬なのカ?」 「はい、泰国薬です。多少乱暴に扱っても問題ありません」 呂はへらへら笑っている。倭文は舌打ちした。 「……その笑い方は嫌いダ」 「やだー倭文さんこわーい」 「茶化すナ」 笑みを深める呂に、牙を見せて小さく唸る。 「量が多くて危険なら隔離か、蔵や物置に置かれるだろうが……丹なら高価で少量、表向き危険ではナイ。箱は持ち主近くだろうナ」 月明かりの下に地図を広げる。 「場所柄、主の部屋は日当たりがよくて景観も良い位置だロ」 侵入先にあたりをつけ、確実な逃走経路を逆算していると脇をつつかれた。声をひそめ、中書令が疑問をぶつける。 「深刻な怪我や病気は神職へ祓い願うものでしょう。一介の泰国薬が、ここまでして守るお宝とは思えません」 「……そうだナ。必死こいて盗み出すほどのものでもねェゼ。……はっ。最悪に対峙する覚悟、艱難辛苦じゃ飲下せやしねェ。……くそ、どうなってやがる」 泰は医学の国。あくまで天儀と比べてだ。泰国薬の効能は諸説あるが経験則の範疇を出ない。精霊の加護を受けた対処療法が確実だからだ。 胸に浮かんだ疑問を沈め、根気強く待つうちに人の流れが変わった。 「交代が始まりました。屋敷の警備体制が変わったようです。不寝番でしょうか」 窓をのぞいた倭文が、呂を手招きする。 「戚史殿なら見えるだロ。どうなってル?」 隣に立った呂が目をこらした。 「杖持ちが減って刀持ちが増えています」 「睨んだ通り、目視に頼る魔術士は中へ下がりましたね。背後から撃たれる危険は減りましたか」 機は熟したと中書令は懐の鍵開け道具を確かめた。角を隠し昼に取った姿とは別の行商人に扮する。先んじて隠れ家を出ると用意していた夜泣き蕎麦屋台に近づいた。ずん胴鍋に鈴を隠し、中書令は屋台を引きながら夜道をたどった。無関係を装い倭文は後を追う。紅葉が影を縫いついていった。 正面からやってくるのは巡回の二人組だ。中書令はうつむきかげんに進んだ。二人はちらりと彼に目をやり、すれちがった。向かいから足音が近づいてくる。倭文は黒外套の下で双剣の柄に手をかけた。 爆発は西側で起こった。 目を剥いた警備員が、床板を踏み鳴らし走っていく。外壁が吹き飛ばされ、大穴があいていた。サムライが松明をかざしたが、焙烙玉の残骸が残っているだけだ。 屋敷の東で、中書令は倭文の背を足場に壁を乗りこえた。呂が続く。残った倭文が壁を駆け昇る。元々手薄だった裏庭には、見張りが一人いるだけだった。すみやかに猿轡をかまされ、荒縄で手足を縛り藪へ放り込まれた。裏口から厨房へ忍びこむ。 戸板一枚へだてた向こうで、乱れた足音が屋敷の一角へ集まっている。 (「あたりをつけた方ダ」) 中書令が琵琶を鳴らした。廊下の警備員がばたばた倒れる。眠りを免れた男に一息で近づき、倭文はみぞおちへ柄をめりこませた。廊下を走り観音開きの扉を蹴破る。小太りの男が机にうつぶせ眠りこけていた。 書斎だった。壷や仏像がごてごてと置かれているせいで、掃除は行き届いているが、雑然として見える。中書令は呂を振り返った。 「罠や仕掛けはありますか?」 呂が首を振る。 中書令は続けて子守唄を奏でる。迫る足音が減った。演奏の続く間、倭文は棚という棚をすべて開け、壷や花瓶を床に叩き落とした。眠る男を床へ転がし、机の引き出しを引く。右側の引き出し、すべてに鍵がかかっていた。中書令が鍵穴へ針金を入れる。 威嚇のサンダーが壁を焦がした。倭文が呂の腕をつかみ、引く。直後、サムライの白刃が床石へめりこんだ。中書令はとりみださず鍵開けを続けた。下の引き出しから、木製の小箱が現れる。 「先導頼む、戚史殿!」 箱を手に倭文は窓を割った。裏庭へ出た呂が外壁の穴を目がけ走っていく。中書令が琵琶をかき鳴らす。迎え撃つ手が次々と意識を失う。立ちふさがる相手は、倭文が金魚のようにすくいあげ転倒させる。 穴から抜け出した一行を、さらに追手が狙う。殿を請け負った倭文は背中へ突き刺さる殺気から状況を察した。布包みを放る。 「紅葉、それだけでも運ベ!」 飛びあがった紅葉が、放物線を描く包みをくわえた。追っ手の大半を誘い、狼犬は生垣を飛び越え去っていく。 小路に入り、中書令はばちを収め件の箱を受け取った。物陰に隠れる。倭文と呂はまっすぐに小路の出口を目指した。追手が中書令の前を通りすぎる。 物陰のござを引き剥がすと屋台が姿を現した。鍵開け道具ごと、鍋の中の鈴へ渡す。倭文から借りた羽織を重ね着し、急いで髪を下ろす。 東の空が白む頃、倭文と呂は路地裏を歩いていた。紅葉は疲れた様子もなく主人へついていく。 「撒いたナ。あとは合流するだけだゼ」 見た目を変えるためとはいえ、ほどいた髪がうっとおしい。自分の簪を取り出した倭文は、何気なく呂の髪に刺してみた。一瞬、笑みが消え、きょとんとした戚史が見えた。 「……」 言葉を探しあぐねるうちに中書令が角から顔を出した。ずん胴鍋を積んだ屋台を引いている。 鍋の中では、鈴が揺られている。 箱には鍵がかかっていた。鈴は鍵開け道具を差しこんだ。試行錯誤を繰り返すうちに、カチリと音がした。 「なにこれ?」 鈴は中を覗き、それをひとつだけとって袖に入れた。 |