【泰動】先代春華王の決心
マスター名:鳥間あかよし
シナリオ形態: シリーズ
EX :相棒
難易度: 難しい
参加人数: 10人
サポート: 4人
リプレイ完成日時: 2013/11/13 20:03



■オープニング本文

前回のリプレイを見る


●裏の話 とこはるからあすかへ 密書
『親愛なるアス兄へ。
 ごめん、さらわれた高檜のことは何もわからなかったよ。
 歯がゆいけれど曾頭全もその首魁も、調査を始めたばかりなんだ。私は春華王として泰国軍の指揮を取らなくてはならないから、表立って動けない。
 密偵には臨時の辞令を出しておいた。深茶屋名義で天儀の旅泰から融資をとりつけたから、資金の心配もしなくていい。好きに使って。このくらいしか力になれなくてごめんね。何があっても私はアス兄の味方だから。
 ひとまず連絡、続報があればすぐに知らせるよ。白鳳より』

 走り書きの手紙には、開拓者に配られたものと同じ地図、そして、天帝の責務に忙殺されつつ祈りをこめて描いたのだろう、高檜に瓜二つの似顔絵が同封されていた。

●裏の話 なつめからあすかへ 蜘蛛の糸
 寝台には青ざめたままこんこんと眠る棗がいる。
 息子をさらわれ重傷を負った彼女は、その日から前後不覚に眠りこんでいた。このまま目覚めないこともありうると告げられている。だが飛鳥は根気強く、花に水をやるように毎日語りかけていた。
 枕元の椅子に座ると妻のまぶたが震える。はっとして顔を寄せた。茫洋とした瞳が夫を映す。
「高檜は……」
 話を聞いた棗は細く息を吐いた。
「そう、ついにそんな事態に。曾頭全の本拠地は、私が居た頃と変わらず『知皆』なのですね……ッ!」
 痛みをこらえる妻を支え、飛鳥は水差しを取り鎮痛剤を飲ませた。
「無理をするな、傷が開く」
「いいえ、お聞きになってあなた」
 咳き込み、棗は飛鳥に顔を向ける。
「賊が足に使っていたのは飛空船でしたわ。知皆までの距離を考えれば、補給のため停泊せざるをえないはずです」
 目を見開きゆっくり息を吐くと、飛鳥は清潔な布で妻の額の汗をぬぐった。
「言いたいことはわかった。養生してくれ、棗」
「あなた……」
「無謀かな?」
「いいえ、御心のままに」
 器量よしと言われ続けた妻の目尻には、笑うと薄くしわが出るようになった。それを美しいと夫は感じた。
 脈を診るため腕を取ると、棗は力なく目を伏せた。
「あの、私、あなたに謝らなくてはならないことがありますの」
 首を傾げる飛鳥に棗は続ける。 
「ごめんなさい、女のくせにこんな傷を残してしまって。みっともないですわね。お傍に置くのが嫌になってしまわれたかしら」
「……そんなわけないだろう」
 泣き笑いのまま妻の手をにぎる。安堵した彼女が寝息をこぼし始めた頃、飛鳥は席を立ち密書をつかんで扉に手をかけた。

●裏の話 ながれのりょたい あるいは忠義者の憂鬱
 よっこいせ。
 隣の部屋から失礼します。ご夫婦の睦言に聞き耳を立てる野暮な真似はしたくありませんが、これもお役目ですので。
 今のやりとりで国家転覆を狙う『曾頭全』の間者であった棗皇太后様が、組織と手を切っているとわかりました。皇太后様が気にかけておられるのは一にも二にも御家族なのですから。
 申し遅れました、私めの姓は呂、名は戚史(リウ・チーシー)。
 新玉の春華王さまの密偵です。
 日々の功績が認められ、先代春華王、茜さす飛鳥さまの臨時侍従に任命されました。……身に余る光栄、正直消えたいです。
 お考えあって野に下られたとはいえ、私どもにとって飛鳥さまは変わらず上皇でいらっしゃいます。
 そして私は『地虫』を自称する一派の出。自慢じゃないですが我ら地虫派は、春華を敬うこと他の派閥の追随を許しません。ですから、天帝さま一族の御心に寸毫の瑕疵も残さぬようふるまうのです。なのに御簾越しならまだしも御本尊が目の前におわすこの事態。
 想像していただきたい。トップという言葉すらなまぬるい神聖不可侵な元国家元首と寝食を共にする。
(「お願い開拓者さん早く来て、私の胃に穴が開く前に!」)

●そしてそれから表の話

「高檜はまだ知皆への道中です。今日明日にでも町に運びこまれるでしょう。すぐにも出発すれば助け出せます」

 屋台兼快速飛空船『燕結夢』(ヤン・ジェ・モン)の船室で、飛鳥は地図と似顔絵を前にそう結論付けた。
「全速力の燕結夢なら追いつくことも、先回りすることも可能で……呂さん、ひれ伏すのは止めてください。私は薬師の心得があるだけの市井の者です」
「申し訳ありません。上皇……ヒガラさん。
 おそれながら、飛空船の操縦には最低でも船長、操舵手、機関手の3名が必要ですし、高速飛行を続ければ当然目立ちます」
「そうですね。ただでさえ、我々は常に警戒されている。何か手を打たなくては。最も経験の必要な機関手は私がやります。飛空船の扱いはよく心得ています……やらせてください、お願いします」
 顔を上げた呂へ椅子に座るよう促し、飛鳥は地図を前に眉を寄せる。

「問題は、さらわれた私の息子、高檜の居場所がわからないことです。陸路なのか、空路なのか、それすらも」

 知皆へ至る道はひとつではなく、各地に軍が展開され、斥候はそこここを走っていた。
「偽春華王はアヤカシを操ると弟から聞きました。用心棒代わりに使役している者も多いそうです。手がかりと言えばこのくらいで……」
 飛鳥が顔を覆う。
「こうなったのも私が見込み違いをしたからです。あの時の開拓者には、ひどい迷惑をかけてしまった。果たして協力してくれるかどうか」
 呂は何も言えず依頼書の控えに目を落とした。

●どこかの話 たかひのきとまるまる
 まぶたを閉じると母の最期が蘇る。袈裟懸けに切られ血だまりに伏せる姿が。
 狭い部屋の中央に高檜は転がっていた。四隅には黒い甲冑姿の武将がまばたきもせず立っている。
「母さん」
 うわごとのように呟く。
 だぶだぶの長袍の下、小さな体は痣だらけだ。鉄枷がはめられた手足は赤く腫れあがっている。腹の虫も鳴いている。微熱が続いていた。瘴気感染の兆候だ。腕の中の赤もふら、丸々を抱きしめるとやわらぐ。
 突然扉が開き、襟首をつかまれ引きずり出された。壁際に立たされると酒盛りをしている男女がにやにや笑っている。またあれが始まるんだと、高檜は身を硬くする。
「腹が減っただろ坊主。ほら、あーんしな」
 鋭い痛みが額に走った。投げつけられたつまみが跳ねて床に落ちる。
「ちゃんと口で受け止めろよ。食べ物を粗末にするなんざ、躾のなってないガキだ。まったく親の顔が見たいね」
 どっと笑い声が上がる。偽春華王こそ正統な天帝と信じる輩にとって、春王朝の血を引く子どもは手頃なおもちゃだった。丸々が毛を逆立て、前に出て威嚇する。皿が投げられ鼻面で砕ける。
「出てきちゃダメだよ」
 丸々を抱き高檜は背を向けてしゃがみこんだ。
 ほらどうした男の子だろ、立って見せろよ。しかたないわ坊やだもの。ママも助けられない役立たずの坊や。嘲りと食べかすが降りそそぎ長袍を汚していく。
(「父さん助けて、父さん父さん父さん……!」)
 もう涙もでない。高檜は声もなく泣き続けた。


■参加者一覧
六条 雪巳(ia0179
20歳・男・巫
鈴木 透子(ia5664
13歳・女・陰
叢雲・なりな(ia7729
13歳・女・シ
十野間 月与(ib0343
22歳・女・サ
神座早紀(ib6735
15歳・女・巫
中書令(ib9408
20歳・男・吟
呂 倭文(ic0228
20歳・男・泰
ミヒャエル・ラウ(ic0806
38歳・男・シ
セリ(ic0844
21歳・女・ジ
嘉瑞(ic1167
21歳・男・武


■リプレイ本文

●五里霧中
 春華王軍本陣、後方。陣幕がひるがえり男らしき影が出てくる。アル=カマルでアバヤと呼ばれる鎧衣に身を包んで。その人は居並ぶ開拓者へ律儀に頭を下げた。開拓者に付き添われ足早に放鈴河へ。
 飛空船係留所には燕結夢、そして小隊【アルボル】隊長こと民宿『縁生樹』若女将、十野間 月与(ib0343)の用意した商用小型飛空船が肩を並べている。扉を閉めるなり鎧衣を脱ぎ落とし飛鳥が姿を現した。手伝うジーク・シャドー(ic0600)が受け取ったアバヤを頭からかぶる。
「初任務が貴公の影武者とは光栄です。ひとまず、奥へ」
 部屋に一同が会する。月与がテーブルの上に地図を広げた。中央に高檜の似顔絵を置く。
「遅くなりました」
 ひょっこり顔を出したのは鈴木 透子(ia5664)。
「聞き込みをしてました。アヤカシの仕業とおぼしき不審死から賊の航路を探りたかったのですが、何も得られませんでした」
 透子の眉がきゅっとつりあがる。
「不自然です、アヤカシが人を襲わないなんて。本当に瘴気が制御できるなら人妖だって量産できるはずです。軍を立てるなら意思疎通できて知能の高い人妖のほうがいいと思います」
 彼女が席につくと月与は改めて皆を見回した。
「作戦会議ね」
「の、前にいいですか」
 呂が頭を下げた。
「ごめんなさい。風信機は用意できませんでした。調整かけたら宝珠が壊れてしまって」
 月与が軽くにらむ。
「呂さん、できない約束をするなんて商売人失格よ。……ないなら仕方がないわ。方針をしっかりすり合わせておきましょう。あたいはからくりの睡蓮と交代で燕結夢の操舵士をうけおう。そして任務は、ヒガラさん、あなたの護衛」
 とまどった様子の飛鳥へ、嘉瑞(ic1167)が横から口を出した。
「敵の狙いが……わからないが……。ヒガラ殿にも注意をしておいた方がいいよねぇ……。たしかに連中は『鍵』と高檜の交換を要求しているけれど……」
 腕を組んだまま嘉瑞は含み笑いを浮かべる。
「大本営発表に拠れば……高檜は春華王の甥っ子なんだってねぇ、御尊父殿?」
「嘉瑞さん、そのへんで」
 穏やかな声音のまま六条 雪巳(ia0179)が割って入る。人妖の火ノ佳がぴょいと飛び上がってテーブルの端に手をかけ顔を出した。
「私も燕結夢に乗り込み、護衛を念頭に置くことといたしましょう。火ノ佳と共に哨戒にあたります。よろしくお願いします」
「わらわがいるからにはアヤカシなぞちょちょいのちょいなのじゃ」
「これ火ノ佳」
 人妖を抱き上げ、雪巳は地図に扇子を置いた。
「こちらを燕結夢に見立てましょう。さて、いずこへ向かうべきでしょうか」
 長い銀髪をかきあげ耳にかける。向かいで神座早紀(ib6735)が頬に手を添えた。
「高檜さん……居場所がわかればすぐにも飛んでいってあげたいのに。きっと怖い思いをしているでしょうね」
「行ってやりゃあいいのさ。そのために集まったんだ、な?」
 相棒からくり月詠が後ろから主を抱きしめる。
「月詠の言うとおりね。私は航海士を務めます。今の私なら皆さんを癒すことも、精霊砲で討って出ることもできますもの」
 似顔絵と地図を見比べ、艶のある黒髪を揺らしてなりな(ia7729)が飛鳥を振り返った。
「なりなだよヒガラさん。よろしくね! あたしは燕結夢の観測員兼連絡員をやるよ。呂さん一人で兼任じゃ大変でしょ。こっちは受け持つよ」
 そして義憤に柳眉を逆立てる。
「小さな子を浚うなんて許せない。必ず助けるから高檜くんの特徴を教えて」
「5才の子で、背は低いほうだと思います。赤もふらの丸々という相棒を連れています。特徴といえば似顔絵どおり前髪にクセ毛が」
「その、ヒガラさんの前髪の『ノ』みたいなやつ?」
「はい」
 なりなの向かいから、透子が手をあげた。
「あたしも聞きたい事があります。賊の船の外見はわかりますか」
「いえ。家内は部屋の掃除をしておりましたので外は見ておりません。音から判断したようです」
「快速船だと思うゼ。賊は一刻も早くずらかりたいはずダ」
 白 倭文(ic0228)が口をはさんだ。短い筆をくわえたまま手元の紙切れをながめている。
「と、思ってヒガラの旦那んちから各港までの最短到達時刻を計算してみタ。無補給飛行の快速船ならもう知皆にたどりついてる頃合ダ。賊は地図内に居るゼ」
 ミヒャエル・ラウ(ic0806)が重々しくうなずく。
「カルデラ湖を襲った賊の足は、飛空船だった。しかし追手が向かうことは予測されているだろうし、補給路を待ち伏せされることも予想しているだろう。より安全な、警備の厳重な停泊地を使用するはず」
 まばたきをし、ミヒャエルは雪巳の扇子を梁山湖に動かした。
「元は曾頭全は水運商……。彼奴らの息がかかっているは港と判じるが妥当か」
「知皆と、南東の二つの湖の間。それから梁山湖に二本の川がつながる東岸が港ね」
 セリ(ic0844)が順に地図の上を指差す。それから切なげな瞳で飛鳥を見つめた。
「旅泰市では本当に悔しい思いをしたわ。それ以上に情けなかった……。毒で無差別に人を傷つけた人達の手に高檜を置いておくなんて出来ない」
 中書令(ib9408)もまなじりを険しくする。落ち着いた様子でいて固い表情には憤りが混じっていた。
「そのとおりです。賊の足取りを追わねば。班分けをしてはいかがでしょう。飛空船で追う班と、空路、陸路から追跡する班です。私は空路から敵情を探りに参ります。どなたかご一緒されますか」
 班分けは速やかに決まった。陸路班と空路班は高檜の人相を叩きこみ地図を手に部屋を出ていく。時間が惜しいと急ぎ足で。
 飛鳥の代わりにジークを連れ出し、桟橋づたいに商用飛空船へ移ったティア・ユスティース(ib0353)がジークを見上げる。
「お待たせしましたヒガラさん。ご自宅で『時の蜃気楼』を使った調査をしましょう」
 ジークが深くうなずく。隣で十野間 修(ib3415)が妻の月与を前に続けた。
「必ず奴らの尻尾を捕まえてみせます、月与さん」
 胸を叩く修に、内心の不安を浮かべたまま月与は夫を見つめた。曾頭全の手がどこに潜んでいるかわからない。今この間も背後を狙っているかもしれない。
 飛鳥の安全を第一に考えた月与は、慎重に慎重を重ね夫と隊員たちへブラフをしかけるよう頼んだ。けれど。
「気をつけてね、あなた」
 妻を抱き寄せ、修は小さく笑って耳元へ囁いた。
「やるだけやるさ。俺の役目はかく乱なのだし」
「……そうじゃなくて」
「悲しむ真似だけはしない、誓うよ月与。おまえの方こそ、お転婆はやめてくれよな」
 月与が少女のようにうなずく。
 やがて浮遊宝珠に燐光が舞い咆哮にも似た振動が船を揺らす。二隻の飛空船は空へ舳先を向けた。

●囁きと忍び足
 飛鳥の前で両手を握りこみ、セリはうつむく。
「前回はごめんなさい……。必ず無事に奪還してくるわ。もどかしいかもしれないけど」
 顔を上げ、精一杯の笑みを浮かべた。
「信じて待っててくれるとうれしい」
 気遣わしげなまま飛鳥も笑みを浮かべる。
「思いつめて無理をなさらないで下さい。高檜は目に入れても痛くない息子ではありますが、できるならあなたがたにも無事でいてもらいたい」
 梁山湖上空で、飛鳥の言葉を思い返しながらセリは河口へ目をやった。平時なら蟻の行列のような船影も合戦の煽りを受けて数を減らしているようだ。
 視界の隅には燕結夢の姿がある。飛鳥が機関士として働いているはずだ。関係者と気どられないよう駿龍フクロウをうながし高度を下げた。中書令と嘉瑞が続く。
「これはアヤカシの羽音でしょうか。鳥にしては重い……ご注意ください」
 中書令が不審な音を拾いセリと嘉瑞に注意を促す。警戒していたほどの数ではない。月与が仲間に頼んだブラフの飛空船が利いているのだろうか。中書令はセリを振り返った。
「誘拐は犯人にとっても難易度が高い。ミヒャエルさんのおっしゃるとおり、私達のような追手がかかると向こうも承知しているはずです」
「だったらプロの犯罪者を雇ったかしら」
「否」
 セリを挟んだ向かいで、嘉瑞は相棒駿龍の手綱をもてあそぶ。
「傭兵だって大々的に募集しちゃいないと聞いているよ……部外者は拒むんじゃないかねぇ」
 同じく前方をながめ、中書令は首をかしげる。
「合戦の報告書にもでていましたが、街の住民ときたら自分以外は何も信じられない様子でしたね。逃げ出す気も起きないのでしょうか、それとも?」
 梁山湖の果てを見据える。霧にけぶる港を足元に置くのは険しい岩山に囲まれた天然の要塞、知皆だ。
「あすこで待ち伏せできたら話は変わったのでしょうか。賊の目的地は知皆なのですから」
 街へ至る道はひとつではないが街はひとつしかない。燕結夢の速度なら停泊で時間をくった賊の船を追い越せていたかもしれないが。
 セリが首を振る。
「大事をとったのよ。あの街にヒガラを連れていくなんて、私怖いわ」
 改めてセリは周りを見回した。フクロウに旋回させ首をめぐらせても飛空船の姿はない。
「近くに居るはずよね。春華王軍に撃ち落されないよう空路でなく陸路を選んでいるのかしら」
「どうだろう。奴ら泰国軍が使い物にならな……んん、経験不足と知ってるはずだ。……警備の薄い春華王軍方面を抜けた可能性がある」
 うろんな目でセリに睨まれ、嘉瑞は咳払いでやり過ごした。
「飛空船がただの船に偽装するのは簡単です。西回りで放鈴河から河口の港へ参りましょう」
 三体の龍が宙返りし燕結夢から離れていく。

 東岸の港。
 陸路を選んだ倭文、ミヒャエル、透子は郊外に龍を降ろした。
 炎龍、暁燕から降りた倭文は荷袋を開き、呂に頼んだ品を改めて確認する。
「こいつが偽王軍大将首の鎧衣カ。ごてごてだナ。つまらんところに金かけてやがるゼ」
「資金が潤沢なのだろうな。ふむ」
 ミヒャエルが相棒駿龍の元へ歩み寄り、背にまたがった。
「私は単独行動をとらせてもらう。正面きって聞きこみするのはきみ達に任せた。行くぞゾイレ、ルーケの分もがんばってくれ」
「待ってください」
 翼を広げる駿龍の前に透子が飛び出す。
「高檜さんを誘拐した犯人のことなのですが、アヤカシなら容赦はしませんが人は……。私も手加減できないかもしれません、けど……」
 語勢が尻すぼみになる。
(「アヤカシと組みしていても、命までとるのはやっぱり嫌です」)
 大粒の瞳に浮かんだ本音に倭文とミヒャエルは顔を見合わせた。襟を寄せミヒャエルはそらっとぼけた視線を港にやる。
「救出が最優先ではあるが。頭に入れておこうではないか」
「考えとク」
 倭文も腰をおろし変装に取り掛かる。二人の背に向けて、透子は深くお辞儀をした。

 放鈴河をくだるうちに中書令は船の残骸を見かけた。陸に命じて川面すれすれまで下がる。飛空船の姿がないことに胸をなでおろした。
「先の合戦で渡河に使われた船でしょうか。旗印が青色、木徳を謳う偽王軍のものですね」
 奇妙な音が聞こえた。魚かアヤカシか判じかね中書令は瘴気計測時計をのぞく。針は閾値を越えていた。
「川底にアヤカシらしき気配があります。離脱しましょう……嘉瑞さん?」
 嘉瑞が無表情のまま水面を見つめていた。強い風が吹く。ずり落ちかけた頭巾の隙間から、一瞬だけ兎耳がのぞいた。
『い……かずい……かず』
「……うるさい黙れ」
 頭蓋に直接響くのは、ひりつくほど憎い、乞い願った、母の。旋回する嘉瑞にセリがフクロウを近づける。
「どうしたの。先へ行くわよ」
「黙れ」
「嘉瑞?」
「黙れよ!」
 どなりつけられ、セリは一旦距離をとった。顔色を伺う。嘉瑞は変わらず水面を見つめている。激昂した瞬間もそうだった。いやみったらしいほど飄々としていた男の横顔から余裕が消えている。セリは目配せで中書令を呼ぶ。
「おまえが……こんな所に居るわけない! 居るわけないんだ!」
 嘉瑞が叫ぶと同時に水面が破裂した。水の中から痩せこけた亡者の腕が噴水のように次々突き出し嘉瑞を狙う。
「船幽霊です。河から離れてください嘉瑞さん!」
 中書令が進路に割りこみ竪琴を響かせる。嘉瑞の駿龍、巫は主をかばいつつ旋回を続ける。みるみるうちに伸び上がった、ありえない数の亡者の手、手、手。青ざめた悪意は束ね合わさり巨大な腕と化し、蛇のようにくねりながら嘉瑞を追う。
 セリがフクロウで巫の行く手を遮った。背後から巨大な手が迫る。セリと中書令に挟まれた巫は軌道を変え森へ滑った。直後、伸びきった腕が空を掴む。目標を見失い水底へ引く船幽霊に中書令が額をぬぐう。
「……助かった。偽王め、水中にもアヤカシを潜ませて来ましたか」
 セリは飛び続ける巫を川辺に誘導していく。
「嘉瑞、具合はどう?」
 黙りこくっていた嘉瑞がようやく顔を上げた。頭巾を深くかぶり布を絞めなおす。
「ああ……問題ない。さて、と……巫、行こうか。宜しく頼むよ?」
 駿龍がゆるく鳴いた。行く手には梁山湖が広がっている。

 港に忍びこんだミヒャエルは物影をつたって歩く。散歩でもしているような自然な足取りで死角を縫い、人目に触れることなく港町にたどり着き倉庫街を通る。
(「町中に人が少ない。平素ならにぎわっているのだろうが」)
 三角跳びで窓をのぞき隠された飛空船はないか、不審な人影がないか探る。
(「高檜を監禁するとしたら、見張りが多く付き、離脱しやすい配置に居るだろうか。声が漏れないような厳重な個室……」)
 聞き耳を立てながら先へ進むうちに、気配を感じ並んだ樽の裏に隠れた。白髪混じりの男が二人、通りすぎていく。服装から見るに漁師、それも小舟でその日稼ぎをしているような下っ端のようだ。世間話の中には曾頭全への悪口も含まれていた。
(「ふむ、港は知皆ほど荒んではいないようだ。押さえるのは難しくなさそうだが、油断は禁物だな」)
 背の低い方が声をひそめた。
「おまえさん、どう思う?」
「どうって何がだ」
「とぼけんなよ。どっちが天帝様かってことだよ」
 衣擦れに続いて砂利を踏む音がした。背の高い方がすばやく辺りを見回したようだ。
「……そりゃあ無二にして無比無謬の春華王陛下に決まってるだろうが」
「わからんぜ。おまえだって見ただろうが、アヤカシと人の混成軍を。あれが本当に天帝の威徳だとすると」
「負けてたじゃねえか」
 背の高い方が鼻で笑う。
「だよなー」
 低い方が盛大にため息をついた。
「本当にアヤカシに脅えずに暮らせるなら、なんて考えちまったんだよ」
 しばらくして、そうだなと相方が続けた。
「曾頭全の奴らはどうしちまったんだ。天帝がどうのと高尚なことを言い出す輩じゃなかったよ」
 去っていく二人を追いたい気持ちは抑え、ミヒャエルは波止場に向けて動き出した。
 一方、倭文は堂々と大通りを進む。見た目は偽王軍指揮官だ。鬘で銀髪を隠し兜をかぶっている。だが身のこなしを考え、虜将の外套を羽織った下は肩甲と籠手だけだ。曾頭全の紋章を見せつければ通りすがる人々はそろって目をそらす。
「倭文さん。この誘拐、何を意図しているのでしょう」
 後ろをちょこまかついていく透子が話しかけた。立ち止まった倭文が振り返る。
「『鍵』と交換するためだロ? なんだっケ、龍なんたらノ」
「『劉氏の鍵』です。あたしもその場にいました。本命は桃園での作戦で、高檜君の誘拐は予定外か次善の策だったはずです。食料や人員の準備に場当たりな部分があるかもしれません」
 透子が閑散とした商店街を指差した。
「先にあちらを当たってみてもいいですか」
 通りを移ればどこも開店休業だった。品揃えだけは豊富でまだ水運が封鎖されていないと示している。
「こ、これは旦那様。見回りでございますか」
 小間物屋の店主が姿勢を正す。倭文は答えず静かにうなずき、透子が踏み出す。
「密偵が知皆へ侵入中と情報が入りました。調査にご協力願えますか」
「もちろんでございます」
 作り笑顔を浮かべ店主は腰を低くした。
「最近馬車や舟などを購入した一味がいると思うのですが」
「大きな商いの話は聞いておりません。乗り物でしたら知皆のほうが確実に手に入りましょう」
「隠すとためにならんぞ。予定では此処に来る手筈だが?」
 言葉クセを消し、倭文は居丈高に出た。
「誓って真実でございます、信じてください旦那様」
 青ざめた店主が後ずさる。透子は表情を変えず次の質問に移った。
「では最近、水や食料がまとめ買いされたことは」
 心当たりがあったのか店主が波止場へ顔を向ける。しばらく歩いた先に大店があった。
「今朝方、あちらに大八車が出入りするのを見かけました。ここのところ景気とは御無沙汰でしたので気になっておりましたが、まさか不倶戴天の怨敵に組みしていたとは」
 店主はひねこびた笑みを浮かべた。
「その点うちは安心安全を売りにしておりまして、何卒今後のお引き立てを……」
 鷹揚にうなずき、二人は場を後にした。
「今朝方だト。まずいナ、もう準備を済ませているカ?」
「上納金を多めにということは曾頭全と結びつきが深い証拠です」
 二人の後を追いかけているのが雨傘 伝質郎(ib7543)だ。商人組合にたっぷりと鼻薬をきかせた彼が吉報を持って戻ってきた。
「おや透子お嬢様も行先は同じでやすか。こりゃ当たりくじを引いたようですぜ。と、その前に」
 伝質郎は封筒に残った金から一部すりとって自分の財布に入れた。大した額ではない。気にも止められないだろう。

●奪還
「伊騎の森上空抜けました。梁山湖に入ります」
 燕結夢操船室の伝声管で早紀が告げた。彼らの眼下には湖が広がっている。
『かしこまりました』
 機関室から、からくり睡蓮が返事をする。扇を閉じ瘴索結界をほどくと雪巳は椅子から立ち上がり伸びをした。
「さすがに疲れますね。気分転換して来ます。呂さん、厨房を貸してください。お米と水もいただいてかまいませんか」
「いいですよー。どうしました?」
「彼奴らは一般の方の食事に毒を入れ、年端も行かない子すら利用する……。高檜さんのことも人間扱いせずにいるでしょう」
 雪巳の瞳が沈鬱そうに揺れた。
「ろくに食事も与えられず衰弱しているかもしれません。胃にやさしい物を用意してあげたいのです」
「あたいからもお願い」
 舵を取る月与が手持ちからチョコレートを取り出した。
「雪巳さん、これをあなたに。皆さんに差しあげて。甘い物は緊張をほぐしてくれるから。ヒガラさんにもお願い」
「ありがとうございます月与さん。早紀さん、哨戒をお願いします」
「わかりました」
 会釈して受け取り、雪巳はさっそく場の仲間に配る。早紀のチョコを月詠が物ほしそうにながめていた。
「ケッ、そんなガキのおやつなんていらねえやい。そういや高檜ってのはチビガキなんだろ、案外いまごろVIP待遇かもしれないぜ」
「月詠!」
 からくりの軽口に雪巳は微笑んだ。
「杞憂に終わるのならば喜ばしいことです。おかゆは火ノ佳と半分こでもしますよ」
 雪巳と火ノ佳を見送り、早紀は呂に近づいた。
「どうしました早紀さん」
「……私は天儀の人間ですから、呂さんは怒るかもしれないけど今の春華王様の血脈が正当かどうかはそれほど関心がないんです」
 でも、と胸の前で両の拳を握った。
「罪の無い人に毒を盛ったり、子供を攫って取引材料にしたり。そんな事をさせる人を王だと認める事は出来ません。認めたくありません!」
 白い頬を怒りで朱に染める彼女に呂もうなずき返した。
「偽王をぶっとばしちゃいましょう。協力してください早紀さん」
「もちろんです」
 女二人が絆を確かめあっている間、なりなはあぐらをかいたまま右の頬を膨らませたり左の頬を膨らませたり忙しかった。
「まだ発見の報なし? じりじりするなあ〜。あたしも河口の港に行って良いかな」
「どうぞー」
「言いだしといてごめんね呂さん。あとよろしく」
 頭をこつんとやり、なりなは舌を出した。甲板に飛び出し併走していた駿龍、流に手を振る。近寄ってきた相棒の背に飛び乗りやがて郊外に着地した。抜き足差し足、聞き耳も立てながら港の奥まで入り込む。
 波止場には重ねた木箱が並んでいた。何気なく背丈を比べながらこぼす。
「このくらい大きかったら人ぐらい余裕で隠せるよね。大人でもすっぽり入っちゃう」
 自分の呟きに霊感が走った。
(「誰か気づいて!」)
 物影に隠れ、打ち合わせたとおりに呼子笛を吹く。答えはない。探しに行こうと一歩踏み出したなりなは曾頭全の鎧姿を見るなり身を隠した。そろりとのぞく。
「なんだ、倭文と透子じゃん」
 商店街をこちらに向かって歩いて来るのは確かに仲間だ。大店の前で立ち止まった。
(「きづいてー、おーいっ」)
 手をぶんぶん振ってみたり。透子が倭文の袖を引き、二人してこちらに駆けてくる。透子が用心深く周りを見回す。
「あせりました」
「ごめん、どうしても伝えたくて。あのさ、高檜くんは荷物に偽装して運ばれたんじゃないかな」
 言われて二人は木箱を見上げた。
「箱に入れれば人目から隠せるよね。万一補給の時、船内に部外者が入ってもごまかせるでしょ」
 倭文が懐の瘴気計測時計を取り出した。針がふらふら揺れている。
「……瘴気が残っていル。近くから船を出したナ」
 時計を透子に押し付け、倭文は身をひるがえした。
「なりな殿、空路隊がそろそろ近くまで来てるはずダ、探して来てくレ。透子殿は皆の案内頼んダ。我は店で船のことを調べてくル!」
 倭文は大店に飛び込む。何事かと硬直する店の者に詰め寄った。
「店主を出せ!」
「いかがなされました旦那様」
 震えながら近寄ってきた小太りの男をにらみつける。
「今朝方済ませたと言う取引について聞きたい」
「品に問題がございましたか」
「いや、何刻ごろどの船へ運んだ」
「お約束どおり、日が出る前に指定の船へ」
「たわけめ、其は偽物だ! 敵方の密偵の船ぞ、まんまと騙されおったな!」
 店主が真っ青になる。番頭から大福帳を奪い取り、証書とおぼしき一枚を引き抜いた。震えながら倭文に差し出す。
「は、はばかりながら、手前どもは証文どおりに手配いたしました。曾頭全様の正式な印も頂いて……」
「貴様、私を疑うか。我らが天帝を疑うも同じぞ」
「とんでもございません!」
「追って沙汰をする。続報があるまで一時店を閉めよ」
 証書を奪いとり倭文は来た道を駆け戻る。走りながら読んだが当たり障りのない内容でしかなく、細かく千切って捨てた。港へ舞い戻るとなりなに導かれ空路隊が降りてきた。
 倭文の報を聞き中書令が琵琶を弾く。水辺からもやが立ち込め船の形を成す。角ばった漁船に見えるそれは小型快速船だった。幻の船は碇を揚げ知皆へ向けて水の上を滑っていく。
「青い旗印……この船で間違いありません。私は燕結夢に報告します。皆さんは追跡を、今ならまだ間に合います」
 中書令が相棒の元へ走り出した。陸に飛び乗り燕結夢へ向けて手綱を取る。風を切って近づくと操船室へ声を張り上げた。
「賊の船が確定しました。進行方向を知皆へ、梁山湖に向けて高度を下げてください!」
「了解です!」
 呂の返答を聞くなり中書令は一筋の線となって湖へ降りていく。対岸が近い。仲間の龍達が一隻の船を追っている。突然水煙が上がり、船が天を向いた。浮遊宝珠の爆音が轟く。急上昇を始めた船が知皆へ向かって加速していく。
「速い、逃げられる……えい、ままよ!」
 藍の弾丸が賊の船を追い越した。その背で中書令が琵琶を爪弾き夜の子守唄を弾き語る。眠りを誘う音波が湖水を震わせ賊の脳を揺さぶった。蝉丸を走らせ透子も進路妨害にまわる。
「曾頭全の手が来る前にケリをつけないと」
 正面を塞がれた飛空船が進路を歪める。斜めを向いた船に嘉瑞の巫が突っ込んだ。
「……子供を誑かすなんて、良い趣味じゃないか」
 暴れる駿龍の背から軽やかに甲板へ降り立ち、武器を手にした賊へ嘉瑞がすごんだ。エメラルドの大鎌が燐光をまとう。その背後でゾイレがかぎ爪を閃かせた。船首の飾りをむしりとられた甲板へ、ロングコートをひるがえしミヒャエルが着地する。すっと立ち上がりシルクハットの位置を直した。
「ごきげんよう諸君、おつとめ御苦労。危険任務だ、遺書くらいは書いているのだろう?」
 不利を悟った賊が後衛に何かわめき、弓を手にした女が船内へ戻った。ハッチが閉まる直前、シルクハットが突き刺さり蝶番を砕く。
「敵を知り己を知るか。良い判断だ。我々を敵にまわした時点でチェックメイトだがね」
 暗器を投げつけたミヒャエルは半眼になる。抜き放った魔剣が陽光を照り返し黒曜石めいた刀身がにぶく輝いた。残った賊相手に嘉瑞が大鎌でなぎ払う。剣を持つ賊が鎌を弾き、反撃へ踏み出したのを柄で受けた。
「小さな子を戦いに巻き込むのは、感心しないな。悪党の矜持も持ちあわせていないとはね」
 至近距離でつばぜり合いを繰り広げながら口の端を上げる。船内から続々と影が吐き出された。勇壮な武将姿の真っ黒な影が三体。賊どもは急いでアヤカシの背後に隠れ、銃や投刃に持ち変えた。正面のアヤカシが動く。音も無く気合も入れず、ただ振り下ろした大剣が空を裂き甲板を割り剣圧が二人を襲った。嘉瑞がたたらを踏み、ミヒャエルが盾でしのぐ。分厚い盾越しにも衝撃が伝わり腕が痺れた。あんぐりと口を開けていた賊の一人が、勝ち誇って叫ぶ。
「見たか。正統なる天帝様のお力を!」
「……アホかあいつ。船壊れてんゾ」
 炎龍暁燕で追いついた倭文が顔を引きつらせる。損傷を確認するため暁燕を切り返すと、セリのフクロウと、なりなの流が、賊の船をつけていくのが見えた。なりなが倭文に手を振り、セリが賊の船を指差す。大きく手を振り返し、倭文は暁燕を右舷ギリギリに近づけた。嘉瑞とミヒャエルはアヤカシに押されつつある。
「助太刀行くゾ。暁、放テ!」
 横合いから賊めがけて火炎が浴びせられた。奇襲に悲鳴が上がり、賊は服についた火を叩き消す。そのすぐ上で二匹の駿龍が交差する。背の鞍は空であった。
 甲板の仲間に陽動を任せ、船尾に降り立ったなりなとセリは後部ハッチで聞き耳を立てる。戦の音が激しく中の様子まではわからない。なりながセリに耳打ちした。
「どうする?」
「こうするのよ」
 助走をつけセリが飛ぶ。鉛の仕込まれたバトルヒールが後部ハッチを蹴破った。すぐさま脇へ身を隠す。中から顔を出した賊をローズウィップで締め上げ首筋に手刀を落とし気絶させる。秘技で鍵束をスリとった。
「大胆」
「早くしないと、この船が落ちかねないし」
「そうだね。それに、知皆から来てるあれ、武装飛空船でしょ。追いつかれたらやばそう」
 対岸から二隻の小型飛空船がこちらを目指していた。船足は遅いが着実に近づいてくる。二人は意を決し船内へ忍びこんだ。

「もふ」
 腕の中で丸々が短く鳴いた。声を殺し、高檜は相棒をたしなめる。
「ダメだよ。怒られちゃうよ」
「もふ」
「ダメだってば」
 木箱に閉じ込められて以来、丸々はくりかえし鳴いていた。止めると口をつむぐが、すぐ鳴きだす。相棒まで奪われたらと思うと高檜は気が気ではなかった。そのうえさっきから剣激や爆発音が聞こえてくる。いやおうなしに不安が募った。大事な赤もふらを強く抱きしめる。
「お願い静かにして」
「もふ」
 また丸々が鳴いた。それはとても小さな声だったから、普通は気づかないのだが。

(「もふらの声、それに子どもの」)
 なりなの超越感覚にひっかかるものがあった。セリを手招きし声のするほうへ近寄る。甲板の加勢へ向かう賊を姿を消してやりすごし、鍵束の鍵をひとつずつ試していく。やがてかちりと錠が鳴った。
 勢いこんで部屋になだれこんだ二人は倉庫の隅に立つ一体の鎧武者に心臓が縮み上がった。息を殺して出方を伺う。アヤカシは直立不動のままだ。なりなが瞬きする。
「命令されてないから?」
 ひとまず部屋を探る。雑然と積まれた木箱の中、一つだけ脇へ避けてあった。近づくと。
「もふ」
 箱をノックしセリが囁きかける。
「高檜ね。お父さんに頼まれて助けに来たの。すぐ出してあげる」
 壁の工具から釘抜きを取り箱を開く。やつれた男の子が赤いもふらを抱きしめたまましゃがみこんでいた。おびえきった瞳が二人を映す。セリが微笑んだ。
「遅くなっちゃってごめんね。よく頑張ったわ」
「……父さんのともだち?」
「そうよ」
「父さん、どうしてる?」
「飛空船ですぐ近くまで来てるわ、あなたを迎えにね」
 高檜の顔がくしゃくしゃになった。しゃくりあげるのを必死でこらえている。
「……父さ、言わなきゃ……母さ、母さんが……」
「大丈夫、お母さんはちゃんと生きてるわ」
 高檜がぽかんと口をひらく。大粒の涙が浮かんでこぼれた。
「うわあああん!」
「高檜?」
 あわてて抱きしめたが、高檜は火がついたように泣き続ける。
「緊張の糸が切れたのね。大丈夫よ、すぐお父さんに会えるから」
「セリ、後ろ!」
 剛剣が振り下ろされた。間一髪でかわす。武将姿のアヤカシがゆっくりと動き始める。めりこんだ剣を引き抜いた痕から風が吹き込む。無言のままアヤカシは剣を振り抜いた。剣圧で床が叩き割られる。
 足場をなくし落ちていく三人とアヤカシ。なおも剣を担ぐアヤカシ目がけ、高檜の腕から丸々が飛び出した。体当たりをくらい剣先がぶれる。放たれた衝撃波が空を薙ぐ。なりなとセリは高く指笛を吹いた。相棒たちが飛来し大きな翼を広げ主を受け止める。高檜が悲鳴を上げた。
「丸々!」
 小さな赤もふらは湖面に吸いこまれていく。タタタタ、と高い音が鼓膜を打つ。武装飛空船団が威嚇射撃を始めていた。
「まるまる! まるまるぅ!」
 泣きわめく高檜を抱きすくめ、心を鬼にしてセリはフクロウを燕結夢へ飛ばす。
(「ごめんね。恨んでいいよ。今はあなたの命が最優先なの!」)
 フクロウと流の動きに透子も相棒の手綱をしめる。
「賊の援軍です。引きましょう」
「頃合ですね」
 中書令がうなずき、陸をめぐらせて甲板の仲間に撤退を知らせる。倭文が火炎で牽制しミヒャエルと嘉瑞が相棒の背へ跳んだ。
 燕結夢甲板で、雪巳が両手を広げてセリとなりなを出迎える。
「お帰りなさい!」
 スピードを落とさずフクロウが甲板を横切る。すれ違いざまに雪巳はセリから高檜を受け止めた。あざだらけの体に胸を痛めながら機関室を目指す。
「ヒガラさん、お子さんですよ!」
 扉を開くと飛鳥が高檜に両手を伸べた。きつく抱きしめる。
「……よかった」
 かすれた声には安堵がにじみ出ていた。
「父さ、丸々が、お池に落ち、ふぐ、ひっく……」
 高檜が胸に顔をうずめしゃくりあげる。絶句した飛鳥は、ややあって息子をあやしながら口を開いた。
「おまえが戻ってきた。十分だ」
 自分へ言い聞かせる飛鳥の姿に雪巳は顔を曇らせた。かける言葉を思いつけず唇がふるえる。
 衝撃が襲った。
 場に居た一同がまとめて機関室の奥に叩きつけられる。両腕で壁を突き、雪巳は飛鳥と腕の中の高檜をかばう。船が傾き黒煙が流れこんだ。
「睡蓮さん、月与さんの言い付けどおりお二方をよろしくお願いします」
「承知しております」
 揺れる船室の中でも優雅に礼をする睡蓮。雪巳が外に出ると同時に調理室から火ノ佳が顔を出した。両手にかゆの入った鍋をかかえている。
「砲撃じゃ。武装飛空船が燕結夢を狙っておる。やつら人質共々落とすつもりじゃぞ」
 嫌な予感に雪巳は結界を張る。モノクロに変わった視界をぐねぐねした黒い塊が瞬間移動をくりかえしながら近づいてくる。
「音霊……いけない、一人でも欠けたら船が」
 雪巳は機関室に戻り伝声管に叫ぶ。
「全速前進! 早紀さん、後方から音霊が来ています」
『すぐ行きます!』
 船尾で早紀は両手を前に突き出した。不可視のアヤカシを見つけられないまま精霊を集める。
「雪巳さん、瘴索結界を。敵の出現先を読んで合図をください。合わせて撃ちます」
 結界を張りめぐらしたまま雪巳は扇で指し示す。早紀が照準を合わせた。青銀の粒子が光の珠に変わっていく。扇が鋭く振られる。
「消えなさい!」
 船尾から目もくらむ光線が発射され、燕結夢を影に沈めた。白く染まった宙で音霊は断末魔をあげる間もなく浄化される。
 武装飛空船団の宝珠砲が火を吹いた。左舷、そして操船室に着弾する。月与の目の前で、ガラスにひびわれが広がり砕け、水晶のように降りそそいだ。
(「修さん……」)
 輝く玻璃の向こうに夫の顔が見えた気がした。次いで床に叩きつけられ視界が暗くなる。
「月与!」
 肩を抱かれ、頬を叩かれる。薄目を開けるとなりなが叫んでいた。
「しっかりして、傷は浅いよ!」
 痛みが薄い。不審に思って上体を起こした月与は雪巳に抱えられた呂の姿を見てしまった。とっさにかばったのだろう。右半身にガラス片が刺さり、したたる血が服をじっとり濡らしていく。呆然とした月与に目もくれず、乱れた銀髪をすすで汚したまま雪巳は手当たりしだいにガラス片を引きぬいている。
「力を抜いてください呂さん。異物が残ったまま癒せばどうなるかわかりません」
「深呼吸するのじゃ。ほれ、吸って、吐いて」
 火ノ佳も手伝う。吹き飛ばされた天井から風が吹きこみうなりをあげる。燕結夢は落下しつつあった。伝声管が震える。
『緊急事態です女将。左舷浮遊宝珠損傷。出力が四割低下しました』
 落ち着きはらった睡蓮の声に月与は正気を取り戻す。
『応答願います!』
 飛鳥の声が響いた。
『河へ舵を切ってください。不時着しましょう』
 背中をしたたかに打ち月詠に支えられていた早紀が、懐から地図を引き抜き伝声管に飛びつく。
「了解です。放鈴河まで飛行継続できますか?」
『やってみせます』
 四つ這いのまま波打つ操船室を横切って月与は操舵輪にたどりついた。斜めにかしいだ支柱にすがり輪をつかむ。
「落としてなるもんか……。なりなさん、河はどこ」
「9時の方向だよ。安心して、ばっちり案内するから」
 焼け残った柱に飛び付き、半身を乗り出してなりなは不敵に笑った。大きく蛇行しながら燕結夢は河へ向けて下っていく。

 龍たちに綱で引かれ、中破した燕結夢が本陣係留所へたどりついたのはその晩のことだった。