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■オープニング本文 これは名も無き兵たちの、意地と矜持の物語。 弓術士の国、理穴。 魔の森に接する東部、僻地、十矢羽村(とやばねむら)。 そこは怒号飛び交う戦場と化していた。 アヤカシの猛攻は二百人いた隊員の半分を奪った。 なれど士気軒昂、弓矢を離さず討ち死にする覚悟でいる。 兵たちはキリリと弓を引き絞る。 放った矢は、呪詛を振りまく鳥アヤカシの羽をもぎとり、毒牙を持った獣じみた塊に突き刺さる。 だが瘴気に還ったのは二割に満たない。 受けた矢を勲章のごとく見せつけ、アヤカシはよだれを垂らして兵に迫る。さらに後ろの暗い森から影が吐き出されていく。 「魔の森より増援有り、突破されます。兵長殿ご指示を!」 「兵長殿、兵長殿!」 「陣形、圧横から雁行に変更。9時の方角へ敵を固めよ」 返ってきたのは違う声だった。ふりかえった先に主を見つける。 「副兵長殿……」 「たった今から、私が指揮を取る。作戦は引き続き、徹底攻撃」 「了解」 死者を悼むひまはない、それは戦が終わってからだ。人間らしい感情を押し込め、兵は次の矢をつがえる。 辺りは魔の森を正面に見据えての平野。 土嚢で仮の防壁を築いたとはいえ、志体を持たない弓兵にとって不利な地形であった。彼らの後ろには小さな集落、十矢羽村。民が心血を注いだ田畑と命綱の井戸。粗末なかやぶき屋根の家では、住人達が小さく固まって震えている。魔の森の急激な膨張に、女子どもを逃がす時間も無かったのだ。 上空からは、村に向かって森から手が出ているように見える。そこからくりだされるアヤカシの進撃を、兵たちは体を張って押さえていた。彼らの築いた二重の防壁が突き崩されれば、阿鼻叫喚の地獄絵図が待っているだろう。 「数が多すぎます、援軍を、開拓者を! かけだしでも我ら5人分の戦力が期待できます!」 「贅沢を言うな。儀弐王様も弓を取っておられるのだ」 森からは散発的に低級アヤカシの突撃が繰り返され、兵たちの力を削いでいく。潮が引いたと思ったら、津波のように押し寄せる。警戒を怠れば死が待っている。 反撃しても深追いはできない。魔の森の濃い瘴気は分け入った者に感染し、心身ともに衰弱させる。瘴気感染は、現状これといった予防策がなく、治療できるのは開拓者ギルドの専門員だけだった。 ただの人である彼らにできるのは、森からあふれるアヤカシを撃ち抜くのみ。 青く透きとおった、人型の粘泥のようなアヤカシを屠った兵が、顔を上げ絶句する。 魔の森の奥に、龍のごとき影が見える。六つに分かれた首をもたげ、禍々しい背びれを見せて立ち去った。 「……今のは、三尖頭龍(ヒュドラ)……しかも相当な……」 「やり過ごせばそれでいい。考えるな、バカになれ」 「了解!」 理穴兵の抵抗は続く。 彼らの未来を暗示するように、雲行きはあやしい。 |
■参加者一覧
六条 雪巳(ia0179)
20歳・男・巫
南風原 薫(ia0258)
17歳・男・泰
各務原 義視(ia4917)
19歳・男・陰
御凪 祥(ia5285)
23歳・男・志
劫光(ia9510)
22歳・男・陰
アイリス・M・エゴロフ(ib0247)
20歳・女・吟
紅雅(ib4326)
27歳・男・巫
玖雀(ib6816)
29歳・男・シ
紅 竜姫(ic0261)
27歳・女・泰
イグニート(ic0539)
20歳・男・サ |
■リプレイ本文 ●初撃、戦地をうがつ アヤカシの物量は理穴軍弓兵たちの築いたバリケードを突き崩しつつあった。 対する弓兵たちは五人一組で行動。壁を乗り越え転がり込んで来たアヤカシを二人がかりで取り押さえ、残り三人が太刀で斬りかかる。 場は混戦の様相を呈している。こんな近距離では得意の弓も使えない。切り込んだ太刀は刃の入れ方が悪く、アヤカシの体から引き抜けずにいる。焦る気持ちのままに太刀を上から踏みつけ、無理やり突き刺した。のたうちまわるアヤカシを押さえこむのに仲間も必死だ。 刃の欠ける感触と共に、ようやく敵は瘴気に還った。彼らは急いで弓に持ち替え矢を取り出す。 その時だった。 「撃ち方やめ、撃ち方やめ!」 困惑が兵の顔に広がり、次いでさざ波のように報が伝わって行く。やがてそれは驚きと喜びに代わった。 「援軍だ! 開拓者だ!」 背後にある十矢羽村を振り返れば、全速力でこちらを目指す人影。 その数わずかに、十。 既に抜き身の剣を手にしている。 「総員、第二防壁まで後退。道を開けろ!」 意図を汲んだ元副兵長が声を張り上げ、百人の理穴弓兵は戦線から一旦身を引く。 桜色の髪をなびかせ、イリス(ib0247)が手にした雷槍をアヤカシの群れに投げ込む。稲妻と共に敵が蒸散する轟音が響いた。主の元に飛来する槍を掴み取る。 「私も元は騎士。この戦には吟遊詩人としてはなく元騎士の誇りのままに、槍でもって悪鬼どもの撃退に専念します」 劫光(ia9510)は符を取り出す。式を召喚する陰陽師独特の紋が描かれたそれを手に、彼は崩れかけた防壁に登り戦場を睥睨する。 「暴れるぜ?」 放り投げた符が光と共に銀の鱗きらめく龍に変じる。 「燦!」 掲げた手を振り下ろす。氷龍が吹雪を吐きアヤカシを凍てつかせる。 軽やかな身のこなしで二枚の防壁を飛び越え、一蹴りで氷像を砕いたのは泰の衣装に身を包む紅 竜姫(ic0261)。裏拳をくらったケダモノが吹き飛ぶ。 「こんな森のせいで……みんなは……」 生物のように蠢動する魔の森を睨みつける。深く静かに、憎悪と怒りが煮えたぎるその胸には、かつて森に食われた一族の姿があったかもしれない。 「こそこそ森に逃げ込んだりしたら、許さないわよ……?」 薄紅の唇から低い声が漏れた。自在棍を手にした玖雀(ib6816)が彼女をかばうように回りこむ。 「ったく、無理やりついてきたと思ったらいきなりつっこみやがって。大怪我してもしんねぇからな!」 蛇のようにしなったと思ったら、槍のように鋭くなる武器に、アヤカシはとまどい距離をとりそこね脳天を割られていく。そのたびに無造作にくくった黒髪が煽られ鬼灯色の組紐が跳ねる。 多数のアヤカシを相手どり奮闘する玖雀に、各務原 義視(ia4917)は古めかしい短刀を手にし口を出す。 「安心しろ。貴様も大概だ。……変わっていないな、そんなところは」 防壁を乗り越え、竜姫と玖雀の開けた道をつっきる。自らもアヤカシの中に飛び込み、召喚したのは嘆きと呪詛を吐く悲恋の姫。怨念に瘴気が砕け散り、群れがまとめて蒸発する。 「これで警戒して、兵を分散させるなら打って出るにも好都合。そうでなくても戦場に変化は与えられる、か」 漆黒の瞳を細め、続けて眼突鴉を呼び出した。距離も取らずに残った大物をついばませる。そんな彼らを眺めた六条 雪巳(ia0179)は、防壁の後ろで軽く肩をすくめた。 「似たもの同士と言うやつでしょうか」 眼前に燈した癒しの精霊光を扇の上に移し変える。 「無理はなさらぬように。皆で朝日を迎えられるよう、頑張りましょうね」 下から扇ですくいあげ、天高く放って愛束花を送り出す。袖口の銀糸が肩をすべり落ちる髪と共に光った。 これまた防壁によじのぼり、焙烙玉を投げ込んだのは南風原 薫(ia0258)。 「んん、燃えるねぇ。篭城戦ってのは、さ」 ざんばら髪をかきあげ、吹き飛ぶアヤカシを鼻で笑う。開拓者たちの猛攻を受け、地を埋め尽くさんばかりだったアヤカシどもは数を減らしていた。あわてふためき魔の森へ戻ろうと仲間同士もみあう姿は豆鉄砲を食らった鳩だ。 鬼面の下、御凪 祥(ia5285)の深い青の瞳が戦場を冷静に観察する。 「追撃の頃合だな」 身の丈よりさらに長い十字槍を構え、影の濃いところを狙う。かざした槍が雷を帯び、霹靂が轟く。見るからに頑丈そうだった獣型がただの瘴気の固まりになっていく。 鎧武者姿の人影が踊り出た。ジルベリア系とおぼしき男はバリケードの上、両手を腰に仁王立ち。辺りに粗野な笑い声が響く。 「待たせたな理穴の兵ども! 天下の大英雄が来てやったぞ! 俺を呼ぶ時には『様』を付けろ!」 イグニート(ic0539)だ。まだ名乗ってないぞ。後方の兵はぽかんとしている。彼を狙って吐き出された粘弾を紅雅(ib4326)の白霊弾が当のアヤカシごと撃ち落す。 「おのきなさいな大英雄殿。後ろに控えていただいてもよろしいですよ。此方は、お任せを」 その名のとおりの、溶け落ちる夕陽のような髪を跳ね上げ、彼は弓兵を振り返った。きつい眼差しを収めると穏やかに微笑む。 「皆様、頑張りましょう。私達と共にね」 不眠不休の三日間が始まろうとしていた。 ●攻性防衛隊 ひとまず一行はアヤカシの群れを撃退した。だが油断はできない。イリスは耳に手をやったまま魔の森を見つめる。 「相当な数が蠢いているのが聞こえます。何かを引きずるような、重い音も……」 卓越した聴覚が森にひそむ敵勢を察知していた。 開拓者を前に整列した弓兵たちの中から壮年の男が歩み出、両膝をつき頭を垂れる。 「御助力、感謝致しますぞ」 祥が前に出、彼を立ち上がらせる。 「ここは戦場、戦いはまだ始まったばかり。我々は同胞だ。上も下も無い」 そのとおりだと竜姫も拳を握る。 「力を尽くすよ……もうあいつらにくれてやる命なんて、一つもない……!」 玖雀も目を伏せる。防壁の奥にも手前にも、無残に食い散らかされた屍が転がっている。 「もう、好き勝手はさせねぇ」 言葉少ない彼の横顔は怒気に染まっている。 「そこでだ!」 イグニートが利き手をひるがえした。 「十人が十人戦場に出るのは効率が悪い。何より俺様が仕留めるアヤカシが、活躍が減る、由々しき事態だ! よって班分けを発表するぞ。 壱! 俺様、劫光、イリス、紅雅! 弐! 祥、薫、雪巳! 参! 玖雀、竜姫、義視! 以上だ。異論は無いな」 「何故あんたが仕切ってんだよ」 「俺が仕切らず誰が仕切る!」 そうかと返した薫はもう知らんとばかりに煙管を取り出し口にくわえる。弓兵の一人が演説を続ける彼を指差し義視に耳打ちをする。 「あの人、名前は?」 「申込書によるとイグニートさんらしい」 律儀に敬称を付ける礼儀正しい義視だった。隣で劫光が符で自分を扇ぐ。 「態度はともかく、言ってることはもっともだな。あえて言うならどう運用するかが抜けてるってとこだ。 俺たち壱は朝から昼、弐の三人は昼から晩、シノビの玖雀が居る参は晩から明け方。これでどうだ?」 劫光は勝手知ったる親友、玖雀を振り向く。 「夜目が利くんだろ? 竜姫と義視のこと、頼んだぜ」 玖雀もうなずく。 「無茶しねぇように見張っとくさ、義視と」 「誰のことを言ってるのかしら」 肩をそびやかした竜姫の横から紅雅が進み出る。 「私達からも提案です。弓兵の皆さんも交代制にしませんか。戦力は削がれますが村で休憩できるのは大きいでしょう。三十人ずつ三班に分かれて、残り十人は補給準備など補佐をお願いしたく思います」 「そいつはいい」 紫煙を吐き、薫は口の端をあげた。 「昔、似たようなことをやったことがあってねぇ。その時を思い出してよ、ちょいと土産を持ってきてんだ。さすがに背負ったままじゃ動けねぇかんな、村に置いて来てある」 雪巳も手をあげて話に加わる。 「どなたも多かれ少なかれ傷を負っておられます。アヤカシの攻撃もいつ始まるかわかりません。ひとまず傷の軽い方を残して村へ引き上げませんか」 彼は弓兵の一人に目をやる。鎧の下、包帯をきつく巻いた体は自身の血で汚れている。いくつもの戦場を渡り歩いてきた雪巳の目はごまかせない。 「命を守り、明日へつなぐが巫女の務め。村の人々も気になります。すぐにも動きましょう。手を伸ばして救える命があるのなら、迷う時間はありません」 弓兵たちは四組に分かれた。軽傷で済んだ三十人が、ひとまず劫光とイリスそしてイグニートの三人と共に前線に残る。一緒に残るはずだった紅雅は兵に肩を貸しながら村への道を歩き始める。 「思っていたより消耗が激しい、しばらく村で治療に専念します。緊急事態には呼子笛を吹いてくださいね。すぐに駆けつけますから」 「わかりました。できればそんな事には、ならないといいんですけど」 イリスは答えて笛を握る。 彼らを見送ると、さっそくイグニートは元副兵長を捕まえた。 「貴様がここの指揮官か」 「はっ、いかにも」 「そうかそうか。このテケトーなバリケードも貴様らの仕業だな?」 「申し訳ありません、拙速で」 「ガハハハ! 分をわきまえる奴は嫌いではないぞ、特別にいいことを教えてやろう」 勢いよく背後の防壁を指差す。 「こいつだがな。単に土嚢を重ねているだけで死角が多い。特に第一と第二バリケードの重なってるところだ。第二からはまったく前線の様子が掴めん。このままでは俺様の美技に酔えんだろうが、今すぐ積みなおせ!」 「お、お言葉ですがそのためには人手が」 「何を? 逆らうとはいい度胸だな」 「そのへんにしておけ」 襟首をつかまれかけた男との間に、劫光が割って入る。 「俺も初撃に確認したんだが、確かに壁に隠れると射線が通らない。ましてや第二ともなるとさっぱりだ。 第一の方も、次に総攻撃が来たら耐えられそうに無い。俺達ならともかく、あんた達には死活問題だろう。早めに防壁をなんとかしたほうがいいぜ」 劫光もバリケードを振り返り、頭をかいた。 「とはいえ一から積みなおすのもな……。何か後付できる物がありゃいいんだが」 その頃、村では薫の『手土産』を見た兵達が驚きの声をあげていた。 竹槍、手盾、儀弐の家紋が染め抜かれた理穴の旗。荒縄までそろっている。これだけあれば防壁を補強し、覗き窓を作ることだってできるだろう。若い兵に取り巻かれた薫はぷかりと煙を吐いた。 「なんで気づいたって顔だな。俺の最初のマジな依頼ってのも、こんな戦場だったんだよねぇ……。 大草城ってちんけな城でよ。今回みたいに、後ろに農村があってよ、やっぱ退けねぇんだよ、なぁ。 ……勝敗? 負けてりゃここに居ないさ」 喉を鳴らして笑う。 「あんときゃ集めも集めたり、開拓者だけで百二十四人の大戦だったがぁ……一緒に戦った内、今もこんな事してんなぁ何人だろう、な」 雪巳が扇を広げ、閃癒のために呼吸を整えた 「皆さん、今から回復をします。けれども志体を持たないあなた方にとって、急激な傷の回復は体力をも奪っていくことでしょう。はやる気持ちはわかりますが、最初の打ち合わせどおり二組はここに残って体を休めてください」 資材の数を確認していた祥も口を開く。 「ひとまず巫女二人はここに居てもらうとして俺達は補佐組と協力してこいつを運ぼう。早くやっつけてしまわないと、この空模様じゃ一雨来るぞ」 見上げた空を黒雲が千切れて飛んでいく。義視もうなずいた。 「次に攻撃があるとすれば、おそらく夜。奇襲されては大事だ。松明を持ち込んでおいた。防壁の前に設置しよう。……土砂降りにならなければいいのだが」 「でしたらこれを」 雪巳はヴォトカの瓶を取り出す。 「松明に染みこませておけば、多少の雨風では消えなくなります。それに……」 小さく笑った。 「士気高揚にも使えますよ」 玖雀と竜姫はさっそく資材を背にかつぐ。祥は村人の荷車に目を付け、それを借り受けた。そちらには補助組の十人が荷を乗せる。 「それじゃ行こうぜ」 玖雀が声をかけ、彼らは荷を押し出した。大量の資材が積み込まれた荷車がぎしぎし鳴りながら地の上を這って行く。竜姫はそれを横目で眺める。 (「……交代するときに、死者を乗せていってあげたいな……」) 視線を上げた先には粗末なバリケードと、赤い沼があった。 ●強襲 夜半から降り始めた雨は案の定、土砂降りになった。 防壁の増強は夜を徹して行われる。基礎を築いたときには二百居た隊が半壊しているのだ。さらに三つに分けての作業は難航した。 しかし前線から離れ、安心して休養が取れる環境を整えたのは部隊にとって福音だった。高かった士気に体力が追いつき、とっさの命令にも瞬時に対応する。 作業の傍ら、義視は弓兵の手つきを観察する。哨戒を兼ねて定期的に斉射を行う彼らは狙ったところへ矢を放つ集中力を得ているのが見て取れた。 「けっこうけっこう。誤射の心配がないようで何よりだ」 彼の足には草鞋の要領で荒縄が巻き付けられている。向かいで作業をする竜姫と玖雀も同じようにしていた。 義視は松明の上に資材でもって雨除けを作る。燃え尽きそうなのを新しいのに取り替え、雪巳が助言してくれたとおりヴォトカを足す。勢いよく炎が雨除けをなめた。燃え広がるのでは心配する若い兵に彼は答える。 「かまわん。灯りになればいいのだ。火事になったところでこの豪雨が消してくれるさ」 第二防壁の奥には小山のように資材が積んである。そこから竜姫は板を何枚も引き抜き、足元へ敷いて行く。 「ひどい雨……南風原の言っていたとおりぬかるみ対策が必須ね。これでしのげるといいんだけど」 薫の提案で納屋を一つ潰して作った板の山を、竜姫は防壁の内側に敷いて行く。つと立ち上がり、手でひさしを作ると分厚い雲を見上げる。 「……また雨足が強くなった。この調子だと、日が昇っても降りつづけてそう」 「だよなー」 隣では玖雀が地面に溝を掘っている。村で治療を続ける紅雅に頼まれて排水路を作っているのだ。 「こっちを先にやっときゃよかったな。でも防壁をほったらかしってわけにはいかないし」 浅い溝からは水があふれかえる。かといって深く掘りすぎると、今度は足を取られる。紅雅に言われたとおり、碁盤状に区切って少しでも水はけがよくなるよう気を使うがあまりの雨量に効果のほどが見えない。 一息つこうと泥に汚れた手を払った、その時。 「正面より敵襲! 数不明!」 三人の開拓者は手にした資材を投げ捨て、獲物をかまえる。松明の光が猪ほどもあるネズミ型アヤカシの突進を照らしだした。玖雀が真っ先に防壁の正面に飛び出し自在棍をかまえる。夜目の利く彼は明かりの届かない闇の奥からこちらを目がけてくるアヤカシの姿を捕らえていた。 「獣が少しと、青い粘泥。両手で足りる数だ。さくっとやっちまおうぜ」 雨音に紛れて、何かがはばたく音も聞こえた。こちらは片手で余るといったところか。 義視が符を取り出し、兵に指示を飛ばす。 「カラスの鳴き声のする方向を狙え。私の式だ、敵もろとも撃ち落してかまわん。空はまかせたぞ!」 風をきり、竜姫も打って出る。夜目の利かない彼女は玖雀の背に声をかけた。 「指示お願い!」 「明かりの届く範囲で戦え! 俺がそっちに敵を誘き寄せる!」 「わかった!」 玖雀はシノビの心得で闇の中を自在に動き、自在棍で襲いかかるアヤカシどもを牽制する。端に居る小物を叩き、全体の流れを歪めて灯りの、竜姫の元へ誘導していく。 「来たわね。一匹たりとも、逃がしはしないわ!」 膝蹴りから肘打ち、裏拳にフックをつなげてボディーブロー。ストレートで殴り飛ばしたアヤカシに、ひねりを加えて回し蹴り。利き足が地を踏むと同時に浮かせた逆の足から踵落とし。玖雀が前線から刺客を誘い込むたび、彼女は純粋な体術のみで瘴気へ還していく。 「そっち行ってんじゃねえよ!」 群れから外れようとするアヤカシを、玖雀は棍で制し後方へ流す。竜姫が前にさえ気をつけて居ればよいように。いくつかの牙が彼と彼女の肌を裂くが気にも留めず追撃をくり出していく。 バリケードの上で指揮を取る義視も負けじと眼突鴉を放つ。鳴き騒ぐ式を頼りに仰角高めで放たれる矢が、次々と羽ばたく音を消していく。汚らわしい飛礫が腕を打ったが、彼は揺るがない。 闇と光の狭間で踊る影が三指を切った時、義視は戦場を見まわし眉をひそめた。 「どこに居る、玖雀!」 その声に、獣の牙を砕いた竜姫も辺りを見回す。走りまわっていたアヤカシどもは鳴りを潜めているけれど、玖雀の気配が探れない。ようやく聞き取った彼の足音は闇のさらに奥だった。 「無茶してるのはそっちじゃない」 音を頼りに走る。ぬかるんだ地が彼女の足を捕ったが、義視に言われて巻いた荒縄が転倒を防ぐ。魔の森との境界が近づく。竜姫は総毛だった。青い粘泥、雫鬼に絡みつかれ動きを封じられた彼の背後には今まさに森から顔を出したヒュドラ。 「玖雀!」 叫ぶより先に体が動いていた。瞬間的に加速し、玖雀とヒュドラの間に割りこみ、その勢いで襟首をつかむ。まとわりつく雫鬼ごと、全身を紅に染めバリケードに向かって一本背負い。天高く放り投げられた玖雀が明かりで照らされ、地に落ちるのが見えた。 敵に背を向けることになった彼女をヒュドラが襲う。吹き飛んだ竜姫は辛うじて空中で姿勢を整える。ぬかるんだ地に残った長い摩擦痕が、彼女の受けた衝撃の大きさを物語っていた。着地できたのは、幸運にもバリケードの近く。 竜姫は首をめぐらし、玖雀の姿を見つける。 「危ないじゃないこのバカッ!」 「俺のセリフだあああ!!」 怒鳴りあう二人をよそに義視は闇の奥を見つめる。 「おい、漫才はそのへんにしろ。一体何が起きたんだ」 「……三尖頭龍が出た」 玖雀の言葉に兵がどよめいた。顔を見合わせはするが弓から手を離そうとしない。 (「玉砕希望かよ。そういうのは俺等に任せとけってんだ」) 玖雀はわずかに目を伏せ、森を振り返る。激しい雨に阻まれ、夜目の利く彼にも森の中までは見通せない。 「くそったれな雨だぜ。こいつさえなけりゃ、奴の気配だって見抜けたのに」 「私に放り投げられることもなかったのに」 「そうそう、っておまえのせいだよ。もっと優しくしろよ、一応女だろ」 「投げる方向をまちがえたかも」 空は白んできたが、雨は止む気配を見せない。 ●討って出られる 「……三尖頭龍……今はどこに居るのかしら」 ぬれた髪と苦闘しながら、イリスは不安そうに森をのぞく。昼が近づくにつれて雨足は弱まってきたが、地の上は薄く水で覆われている。対策をとっていなければ、今頃防壁は足元をさらわれる危険極まりない場所になっていただろう。 だが、並べた板が水はけを良くしてくれている。兵士達も開拓者をならい足に荒縄を巻いて滑り止めにしていた。瞳を閉じ、イリスは集中するが雨音に遮られ、彼女の聴覚を持ってしても大物の位置は探れない。代わりに蹄の音を聞き取る。 「また来ました」 仲間に声をかけ、彼女は雷槍を投げつけた。 アヤカシの群れは二手、三手に分かれ断続的に特攻をくりかえしてくる。まるでこちらの力を測るように。倒しても倒しても、果てなく湧き続ける瘴気の塊に誰もが疲れを感じていた。雨は視界を奪い、聴覚を奪い、体温まで奪っていく。 そんな中、イグニートだけやたら元気だった。 「どうした貴様ら、目が死んでいるぞ! お楽しみのブレイクタイムだ、さあ食えどんどん食え!」 村人が用意した握り飯を両手につかみ、米粒を飛ばしながら食べ散らかす。自分のまで取られそうになった兵があわてて頬張ってむせた。劫光がため息をつく。 「あいつが全部食っちまいそうだな」 紅雅は何も言わない、が、苦笑は返した。第二防壁の後ろで、彼は被弾した兵たちを治療している。その横顔を眺めていた劫光は彼の肩を叩く。 「顔色が悪いぜ。少し休んじゃどうだ」 「そうですね。あと一人、治療したら」 兵の肩に手を当て言祝ぎなら打つ。呪詛を消され楽になった兵に薬草を与え閃癒を蒔いていく。術の性質上、ある程度負傷者が増えてからにしたほうがいいと、頭ではわかっていたが、我が身も省みず弓を取る彼らをとても放ってはおけなかった。止血の処置を終え、節分豆をかじりながら一息つく。 「体は持ちそうか?」 劫光の問いに薄く笑う。 頭の芯がぼうっとするのは精霊と交信しすぎたからだ。この場に居る唯一の癒し手であり、隙間を縫って突撃してくるアヤカシを白霊弾で向かえ撃ちもする。攻めと守り、両方に秀でる彼はそれゆえに尋常でない消耗の仕方をしていた。 「だましだましやっていくしかないでしょうね。屋根のありがたみを感じていますよ」 バリケードの内側に作られた仮のひさしで雨宿り。手の空いた兵が資材をかついで通りすぎる。補強工事は順調だ、晩には形になっているだろう。安心したのか紅雅は腰を下ろした。 「……やれやれ、少々疲れましたね……目を閉じていてかまいませんか」 「ああ。見ていてやる」 すみませんとつぶやいた彼は、もう既に顔を伏せていた。静かな寝息が続く。こんなところで寝入っても体力は回復しないが、ささくれた神経は穏やかになる。仲間を思いやる心の余裕も。 劫光も壁に背を預ける。吸心符と瘴気回収を活用している彼には、まだ余力があった。 「あと少しで交代か」 薄目を開け雨音を聞いていたが、弾かれたように身をひるがえす。体を起こした紅雅を、その場に残るよう促し、劫光は第一防壁まで走る。バリケードの上でイグニートが芝居がかって刀を引き抜くのが見えた。殺気のぎらつく両眼で正面を見据える。 「よく来たなデカブツ、待っていたぞ!」 取り巻きをつれて森から姿を現したヒュドラに大見得を切る。そのまま飛び降りるのかと思ったら、やおら指揮官を振り向いた。 「おい貴様。斉射準備ができたら突撃の合図をしろ」 「私でよろしいのですか?」 「雑魚には雑魚だろうが。この俺様が討って出るのだ、露払いをしろ。 貴様ら弓兵の一斉掃射を物ともせず這い寄る混沌なヒュドラ。そこへ開拓者を従え、突撃する俺様……戦場錦絵描きも泣いて喜ぶ絵面だと思わんか!」 雑魚呼ばわりされた兵たちはさすがにムッとしていたが、指揮官がそれを制す。露払いは確かに自分達の役目だと。 「ガハハハハ! 大雑把にやっていいぞ。この大英雄様は少々のことでは死なないからな」 アヤカシに動じるどころか口の両端を吊り上げる様は、獲物を前にした獣のそれだった。兵たちは身震いし弓を構える。 劫光が駆けつけ、イリスも雷槍をかまえる。 「撃ち方始め。用意、撃て!」 天へ向けて矢が放たれアヤカシの群れに降りそそぐ。計算しつくされた軌跡の先で、小物が悲鳴をあげ瘴気に戻る。討ちもらした影にはイリスの槍が突き刺さる。 劫光の手元で、濡れた符が月光のように青く輝く。 「久方の雨つこごりて陽氷の、月刺す道に誰ぞ分け入りぬ……燦!」 放たれた符が裂け、氷の龍がヒュドラに対峙する。矢傷を負ったアヤカシが次々と凍りつき砕け散っていく。目の前の氷龍に面食らったらしいヒュドラが後ろへ退く。吹雪のまとわりついた太い胴に、謎の影が走りより、斬りかかる。 「イグニート・スラァァァァッシュ!!」 おわかりいただけただろうか。言っておくが、ただの示現だ。 予想外の一撃にヒュドラの注意がそれる。そこへ氷龍の容赦のない追撃が襲う。六つもある首のうち、四つが芯まで凍りついた。ヒュドラは残った首を振り回して威嚇し魔の森へ撤退した。 イグニートはすかした顔で刀を納める。 「フッ、勝ったな」 「逃げられただけだろ」 これ見よがしにため息をついても、自称大英雄は気にしない気づきもしない。 防壁の向こうから紅雅がひょっこり顔を出した。 「あちらがすぐ引き下がったので、弓兵に被害はありませんでした。このぬかるみでは不利ですし、近づかれていたら乱戦になりそうな気配で……えーと、その……そちらも怪我がないようで何よりです」 なんだか申し訳なさそうに後方から見た状況を報告する紅雅。劫光はいらだたしげに鼻を鳴らす。イグニートがそんな彼の背をつついた。 「今の戦いだが」 「なんだ?」 「やつは俺様の一撃におそれをなしたということで」 「好きにしろアホンダラ!」 ●明日のために 果てしなく続くかと思われた戦いも一山越えた様だった。雨の上がった夕方、通りすがりの飛空船団が援護射撃をしてくれた。強風吹き荒れる今日も、空に目をやれば視界の隅で遠方の敵と戦う姿が見える。船体に描かれているのは武天が巨勢の家紋。援軍が到着しつつある。 開拓者たちと弓兵の戦いも、大詰めを迎えつつあった。初日に彼らが受けた、否それ以上の、大規模な侵攻が始まっていたのだ。 薫は兵に混じり、迫り来るアヤカシ相手に猟弓の狙いをつける。顔にはゴーグル。砂が目を打ったが硬い表面に弾かれる音がした。 「兵隊は辛いなぁ……俺なんざ尻を端折っちまえばいいけどよ。それともどうだ、足抜けして開拓者にでもなるかい?」 こんな状況でも冗談を吐く余裕に兵たちは感心し、笑みを見せた。梓弓を手にしていた雪巳も微笑む。 「誰も引く気などありませんよ」 「わかってらぁ。だけどよ、重すぎる責任感は視野を狭める。そうだろ?」 最後は誰に問いかけたのか。もしかしたら自分だったのかもしれない。 「そうさ、逃げたってかまわねぇんだ。命あっての物種というじゃねぇか」 後方に目を向ける。砂嵐の向こうでは、十矢羽村の住民が荷物をまとめているはずだ。 「暗くなるまでに動いてもらわなけりゃな。途中の護衛だって要るんだ。うまくやってくれよ、村の連中ども」 「そのためにも、私達でここを押さえなくては」 決意を露にする雪巳、彼こそが避難を呼びかけた当人だった。 「村人たちは今、私達のためにできることをすべてやろうとしてくれています。水も食糧も、防壁のための資材も、ありったけを」 この先どうなるかわからない。だから首都へと言った雪巳に、彼らは首を横に振ったのだった。三日に渡り村を守ってくれた開拓者と兵に、村人は強い恩義を感じていた。元が口数少なく行動で示す理穴の民。彼らもその例にもれない。 雪巳は思い出す。昨晩、疲れきった彼のために用意された寝床を。 初日から不眠不休で治療を続けていた彼は、力の使いすぎで手は震え、割れんばかりの頭痛に襲われていた。怪しくなる視界の中で見たのは、少しでも寝心地がよいようにと、何枚も重ねられた粗末な布団。 今こうして前線に立てるのは、力持たぬ人々の助けあってこそだと唇をかみしめる。 「ここは守りきります。何が来ようと、そう……」 前方に小山のような影。兵の間に緊張が走る。指揮官の号令にあわせ、雪巳は梓弓を引き絞る。 「三尖頭龍であろうと!」 放たれた矢がヒュドラの目を貫く。 斉射と同時に祥が飛び出す。矢の生えた大地を駆け抜け、六つに分かれたヒュドラの首、その根元を狙い槍を振るう。ひねりの加えられた穂先の軌跡に惑わされ、一撃を防ぐはずだった首と首がぶつかり合う。 「おまえだけは見逃すわけにはいかんのだ、蛇よ」 槍を横に流してかまえ直し、アヤカシの群れの中、ただ一人でヒュドラを相手取る。雪巳は梓弓を扇に持ち替え、祥の補助にはいる。 「重傷者は第二防壁へ。遠慮は要りません、生き延びるのです」 防壁の中心に位置取り、押し寄せる小型アヤカシを懸命に撃ちかえす兵たちへ閃癒を流す。 薫もまた猟弓を脇へ放り出し、刀を抜いた。 「オラオラァ! 寄ってくんじゃねぇよ!」 防壁の前に陣取り、自らを最初の壁と為す。弓だけで打ち倒せなかったアヤカシへ刀に続いて蹴りを入れる。 二人に背を託し、祥は槍を振るう。 槍の柄で注意を逸らし、穂先で痛烈な一撃を叩き込む。続いて雷を呼び自身を囲む蛇眼を狙う。襲いかかる小物の牙を逃れ、うそぶく。 「……まぁ、悪くはない」 殺気の中に身を置く恐怖は、この男にとって修練の一幕に過ぎない。瞬きひとつの判断のずれが死につながる極限の状況で、己を追い詰め研ぎ澄ます。冷徹と高揚、猛り狂う槍はヒュドラを相手に熱を帯び、冷めた視線が取り巻きの動きを読む。経験と勘が足捌きを助け、攻撃を先んじて制する。 十字槍にはねとばされ、ついにヒュドラの首が半分を割った。身を捩じらせ、退却しようとする巨体を、回り込んだ薫が食い止める。 「年貢の納め時だぜ」 すてばちな牙を後の先で討ち取り、気合を込めた骨法起承拳で胴をうがつ。噴きだす汚液が瘴気に変じもうもうと立ち昇る。 「今だ、行け!」 「言われずとも!」 祥の槍が残った頭を狙う。 「潰す、最後の一片まで。それが俺に出来る事だ!」 首が刈り取られ、十字に切り裂かれ割れ爆ぜた。祥は油断せず、次に備えて防御を固め、違和感に眉をひそめる。 静かだ。 風の音しか聞こえない。 あれほどいたはずのアヤカシは姿を消し、魔の森は突然静まり返った。呼吸を止めたように。 「……どういうことだ」 とまどう祥たちに砂が吹きつけた。 「任せた」 「はっ」 祥が兵達に告げたのは別れではない。沈黙を続ける魔の森への警戒だ。 「おかげさまで我々の損耗少なく、防壁の強化も完了しました。あとは村人の避難を、お頼み申します」 指揮官を筆頭に、弓兵たちは深く頭を下げた。 「……これが最後の任務になんて、させないから」 竜姫のまなざしが真新しい塚の上をすべる。兵はその数を九十に減らしたが、この三日を考えれば全滅しなかったのは奇跡だ。 「陣中見舞い、置いておくな」 玖雀にならい、皆わずかに残った手持ちの食糧を兵に渡す。 荷車を押し、村人の護衛をしながら開拓者たちは十矢羽村を立ち去った。 後ろ髪を引かれながら。 |