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■オープニング本文 それは、もう何もかも忘れたくなるほど暑い日だった。 暑いことさえも忘れ去ってしまえたら、さぞかし楽だろうが‥‥世の中はそううまくいかない。 暑い。 あつい。 アツイ。 実は自分が釜茹でにでもされているのではないかと思うような、それはそれはむしむしと暑い日だ。 もう、今日はどこにも行けない。 緊急性の高い依頼なんて、存在しない。 あっても見えない。 そんな駄目人間街道まっしぐらの思考に浸っていたら、 「いやぁ、朝一番で泳ぐと気分いいねぇ」 「これから仕事だと思うと、走って逃げたいけどね」 「明日も暑かったら、今度はゆっくり遊びに行こうね」 「明日も暑かったらって、暑いに決まってるか」 開拓者ギルドの中だというのに、係員達が楽しそうに話していた。 どこか、近場に泳げる場所があるらしい。 そういう話なら、幾らでも聞いてあげようじゃないか。 いや、その場所を白状してもらおう。 という訳で。 さあ、泳ぎに行こう! |
■参加者一覧 / 羅喉丸(ia0347) / 海神 江流(ia0800) / 礼野 真夢紀(ia1144) / からす(ia6525) / 无(ib1198) / ウルシュテッド(ib5445) / 明星(ib5588) / 宵星(ib6077) / エルレーン(ib7455) / 巌 技藝(ib8056) / 一夜・ハーグリーヴズ(ib8895) / 炎元 鬼龍(ib9864) |
■リプレイ本文 ここはジルベリアである。 天儀や泰国に比べたら、夏でもかなり涼しく、冬の寒さは段違いだと評判だ。ましてやアル=カマルと比べたら、まったくの別世界。 ならば、夏だって暑くはないかと言えば‥‥ 「やはり夏だな。昼間は暑い」 「なーにー?」 「ロウ?」 大きな川を見た子供達が、歓声を上げて飛び込むくらいには暑いのだ。 夜は涼しくて寝やすいが、昼間は晴れていればやはり暑い。よって、後見役を務める双子の狼 明星(ib5588)と狼 宵星(ib6077)に半ば引き摺られるように、話に聞いた川までやってきたウルシュテッド(ib5445)は、日陰に入ってほっと一息ついたところだった。 こちらの夏は、日陰に入れば割と凌ぎやすいが、直射日光の下ではやはり暑い。天儀の蒸し上げられるような気候に比べたら凌ぎやすくても、暑いのが苦手な者にはけして優しい温度ではないわけだ。 「あ、ちび、天音、こらっ」 よって、彼と双子に同行した忍犬・ちびともふら・天音は、ウルシュテッドが握っていたはずの引き綱を手の中から引っこ抜き、一目散に川の中に飛び込んでいった。なにやら悲鳴がしたのは、明星が天音に飛びつかれて、水の中に沈められたからだ。天音はもふらの常で、毛並みを膨れ上がらせた姿が水に浮いている。 どうやら明星は自分のもふらの足の下でもがいているらしい。宵星がわたわたと慌てているが、彼女は浮くことは出来ても潜ったり泳いだりはまだ出来ないから、兄を助ける算段が思い付かないようだ。まあ、宵星の胸くらいまでしかない深さだから、多少の流れがあっても開拓者の明星が溺れる心配はないのだが。 『あらまあ大変ですこと。捕まえてまいりましょうか?』 「いや、誰かの迷惑になってはいないからいい‥‥かなぁ」 何故かウルシュテッドに対すると敬語で妙に腰が低くなる宵星の猫又・織姫が、周りの騒ぎに我関せずで犬掻き披露中のちびや、そのうち流されていきそうな天音をじろりと睨んでいたが、幸いにして他の水遊び中の人々とぶつかるほど近くはない。多少のおふざけに、目くじらを立てることはないだろう。 だが、なかなか浮いてこない明星は助けたほうが良さそうだと、ウルシュテッドは織姫に見送られつつ、自分も川の中に入っていった。 きゃほーとか、うきゃーとか。 開放感満載の叫び声が散発していた水遊びに絶好の川岸を離れるにつれ、周囲では風の音ばかりがするようになっていた。本来なら鳥の声でも響き渡っていそうだが、走龍がえっちらおっちら進んでいては小鳥も鳴りを潜めようというもの。 『キュッ、キュッ、キュキュウッ』 「兎羽梟、茶器が壊れる」 ご機嫌に鳴きながら走る走龍・兎羽梟の背中に揺られつつ、からす(ia6525)は一応相棒に注意を促した。実際は多少の揺れで壊れるような荷造りはしていないが、行く先々の生き物を驚かせて進むこともあるまい。 と、見た目に反して落ち着き払った性格のからすは考えたわけだが、兎羽梟には少しばかり通じなかったようだ。普段の落ち着き払った態度はどこへやら、弾む足取りで二本の川の合流点から細いほうを選んで更に遡り、渓流と呼んでも良さそうなところまで到着した。 「なるほど。狩猟本能が刺激されたか」 茶器を広げ、ついでのように釣竿を取り出して糸を垂れたからすの横で、兎羽梟も真剣な面持ちで水面を睨んでいる。確かに流れの中には小魚の群れが見えたが、兎羽梟の影が動くと素早く隠れてしまった。それを探す仕草をするから、多分魚取りがしたいのだろう。 どこから魚が獲れると察していたのかは分からないが、このままだと勢い込んで水の中に入っていきそうな兎羽梟の様子に、からすは予備の釣り糸を取り出した。尻尾に結んでやって、釣竿を示すと、真似をすればいいとなんとか理解したらしい。 走龍に魚が獲れるかどうかは怪しいが、釣りとは我慢だ。 釣りとは、ただ魚を釣り上げることばかりが目的ではない。 なんぞと、からくり・波美の主の海神 江流(ia0800)は言う。釣り糸を垂らしている間の風の流れとか、陽光の移り変わりとか、今日なら涼を感じるのを楽しむとか、色々とあるようだ。 けれども、釣れなかったら本日のおかずはないわけで、食事がなくても大丈夫な波美はともかく、海神はさぞかし大変だろうと心配するのに、当人はまるで気にした様子はない。今の調子では、おなかがすいても気付かないかもしれないくらいのぼんやりぶりだ。 それが、暑さを逃れた気の緩みだとは、からくりゆえに今ひとつ理解できない波美に心配されているとも思わず、海神はのほほんと釣り糸を垂らしていた。さっきまでは何事もにも集中しすぎる性質ゆえに、凝った仕掛けなど作っていたから、その反動のようなもの。 「あ、蚊取り線香を仕掛けて‥‥そんなに持って来てたのか?」 そういえば、蚊遣り豚を持ってきたのに出していなかったと気付いた海神が、波美を振り返ると、彼女は七輪に炭、竹串から干飯、小型の土鍋と、多種多様な代物を茣蓙の上に広げている真っ最中だった。今から宴会でも出来そうな状況だ。 『蚊取り線香もちゃんと持って来てありますわ』 にっこりと微笑んだ波美だったが、荷物の底に紛れてしまっていた蚊取り線香は砕けていて‥‥蚊遣り豚に下げるのは無理な状態だった。 話に聞いた川は、確かに龍でも足が立たない深さを持っていた。うかつには入れないが、側にいるだけでも他よりもっと涼しい風が吹いてくる。対岸には他の開拓者と相棒もいるようだが、これなら多少暴れたところで迷惑も掛からず、自分も相棒達も気持ちよく過ごせる‥‥はずだったが。 「風天?」 无(ib1198)の駿龍・風天は、淵とも呼べそうな深い水をしげしげと覗きこんでいた。最初は无も魚でも見ているのかと思ったが、段々と前のめりになっていくので、一応声を掛けてみる。 声を、掛けてみたけれど。 「また妙な事を考えたのか?」 風天は彼を振り返ることなく、頭からじゃぽんと水の中に突っ込んでいった。綺麗な飛び込み態勢だったが、そもそも龍は水が苦手なのではなかったか。少なくとも、いつもの飛行訓練とは違い、水の中で思う動きが出来るとは考えにくい。 せっかくなので、水浴びをさせていた管狐と顔を見合わせていたら、案の定すぐに無様な姿で浮き上がってきた。羽を広げたまま飛び込んだから、沈んでいかずに済んだらしい。 「空で妙な飛び方を練習されるのも事故が心配だが、風天が溺れても助けられないからな」 もう少し浅いところで、水浴び程度にしておけと、无は心底から忠告したが、風天が聞いていないのは明らかだ。 また、今度はもっと派手な音を立てながら、飛び込んでいった。 お向かいの川岸からすごい音がして、礼野 真夢紀(ia1144)と巌 技藝(ib8056)、更に二人の相棒達は思わずそちらを振り返った。最初は龍が足を滑らせたかと思ったが、再び飛び込んだところから、訓練か何からしいと察する。 「龍って、泳げたっけ?」 「さあ? 阿修羅さんは‥‥中に入るつもりもないようですねぇ」 本日の川遊びは、真夢紀の猫又・小雪ですら、普段の水嫌いは忘れたように『涼しいところ、冷たい水に入れるところ』と大騒ぎしたから決行されたものだ。いや、二人とも暑いは暑いが、天儀や泰国の湿気でむんむんとする地域も知っているから、ジェレゾの街中でもそんなに辛いことはない。 ただし人間の理屈は、年中毛皮に包まれた猫又や、大きな体の仲間がたくさんいる港住まいが鬱陶しかったらしい龍達には、まるで理解されなかった。住まいが近い縁で一緒に出掛けてきたが、相棒達は散り散りで好きなように楽しみ始めている。 阿修羅など、尻尾だけ水に入れて、すでに木陰で居眠りを決め込んでいた。同族の姿は、まるで気にならない様子だ。 「阿〜修羅、せっかくだからちょっと入ってみたら?」 その方が涼しいよと、膝まで水に入った技藝がばさばさ水を掛けてやりながら誘うが、顔をあげたのは最初だけ。それでも一応丸くなって寝ていたのが、四肢を投げ出して、首まで明後日の方角に伸ばしてしまう。 「構わないでって、言ってるみたいですね」 まさに真夢紀が言う通りで、小雪も珍しく頭まで水に入った後は、すぐに日陰にいい大きさの岩を見付けて寝転がり、他の相棒達も気の向くままに涼しい場所で伸びている。 彼らが何も言わなくても、言いたいことは分かる。『昼寝するから、構わないで』だ。 「もう、こんなに涼しいんだから、ちょっとは活動的になればいいのに」 技藝が呆れているが、そんな彼女も到着してすぐに水着に着替えて、涼を満喫中だ。陽射し避けにバラージドレスを着て、今にも踊りだしそうである。 「ほんとです。でもこれなら、お昼寝も外せません」 お弁当やおやつが傷まないように氷の上に保管して、ようやく水着になった真夢紀の言い分も一理ある。なんにしても、相棒達とは異なり、一泳ぎなりして体を動かしてからだ。 その前に、水に入ったらわやくちゃになりそうな真夢紀の髪を、技藝がうまくまとめてやるところから始まっていたが。 夏といえば、水遊びは基本だろう。特に雪の妖精だという羽妖精・ネージュを連れている羅喉丸(ia0347)は、相棒の体調を心配しての川遊び決行だった。 「たまには羽を伸ばして遊ぶのもいいだろう?」 『ふむ。羽を伸ばすのですね』 もちろん羅喉丸の言葉は慣用句で、ネージュに実際に羽を伸ばせと言いたい訳ではない。だが普段の鎧姿をごく普通の夏らしい服装に変えた彼女は、とりあえず伸びをしていた。かなり生真面目なところがあるらしい。 『特に変わりはないような?』 羅喉丸は、どう説明したものか思い悩んでいる顔付きだ。その様子に、ネージュも言葉の意味を思い出したらしい。 二人ともに、やはり暑さでぼうっとしていたのだろう。とりあえずそういうことにして、何事もなかったように次に移る。そう、他の誰が見ているわけでもないし、ちょっとの失敗は気にしなければいいのだ。 同じ川岸の向こう側に他の開拓者らしい誰かがいるとか、川面にぷかぷか浮かぶ朋友としか思えない色々の生き物がいるのは無視だ、無視。 「まずは西瓜を冷やしておくか。少しは深いところの方が、よく冷えると思うが」 岩で囲いを作って、その中に網に入れた西瓜を泳がせる。流れをせき止めると水が温むから、冷たい水が常に流れるようにするのがコツだ。他に冷やして良いものは、一緒に放り込んだ。 『このくらいの深さが、ちょうどいいんだけれど』 すぐに泳ぐのに慣れたネージュだが、体が小さいからどうしても流れの速さに負ける。西瓜が浸されたくらいの水深なら、自分の水遊びにぴったりだと残念がっていたが‥‥それとても、羅喉丸の泳ぎに負けじと水をかき始めるまでだった。人と羽妖精では泳ぐ速度は比べようもないが、些細なことを競争するのは楽しいものだ。 相棒が、人語を話せないまでも、明朗に解してくれる相手だったら‥‥ 「いやいや、うん、ラルは全然悪くないよ。悪くないんだけどねっ」 炎龍相手では、着飾って見せたところで楽しい反応はないと、端から分かってはいたが事実を突きつけられたエルレーン(ib7455)は、人気が少ない川べりで色々と残念な思いに駆られていた。 少し下れば、人がいるのは声がするから分かる。さっき、誰かの龍が飛んでいたし、他にも発音から人語を話す朋友がいるのではないかと思われる。炎龍・ラルとだけではつまらないと思うなら、そちらに行って一緒に川遊びをしてくれそうな人を探せばいいのだが‥‥人見知りというか、人に話しかけたりするのが苦手なエルレーンには、なかなか難しい話だ。 「かぁいい水着だけど、かぁいいけどさぁ」 加えて、今のエルレーンは人生初の気がするツーピースの水着。マゼンダという名前にふさわしい色と、彼女の感性では大冒険な布地面積ゆえに、恥ずかしくて人前になど出られない。だからって見せる相手がラルだけというのも寂しいが、二人で来る相手もいないのだから‥‥ 色々考えていると、暗ぁく水底に沈んでいけそうだったので、エルレーンは気持ちを切り替えた。別に川遊びに恋人が一緒じゃなくても問題はない。要は涼みに来たのだ。ラルと一緒に遊んだら、さぞかし気分もいいことだろう。 ただし、泳ぐなんて持ってのほかという感覚の個体が大勢を占める龍族のラルは、せいぜいが腹に少し水が掛かる深さまでしか川には入ってこない。そのくせ、尻尾でばしばしエルレーンに水を掛けるのが楽しくなったようで、容赦のない攻撃を浴びせてきた。もちろんエルレーンもやられっぱなしではない。他に人がいないから、尻尾に軽い蹴りを放ったりしてふざけていた。 すると。 「あれ?」 ツーピースだったはずの水着が、ワンピースに大変化? 開拓者ギルドで話は聞いたが、途中で弁当くらいないと駄目だと用意に戻ったせいで、一夜・ハーグリーヴズ(ib8895)と炎龍・タキツヒメとが川に到着したのは、昼に近くなってからだった。ここまでゆっくりになったのは、途中の道程をのんびり楽しんでいたせいもある。 なにはともあれ、話に聞いた川に到着し、川岸に下りただけでもほっとするような涼しい風が吹いてくる。 「側に来るだけでも涼しいね。もっと深いところだと、うんと涼しいのかな」 『きゅぃ?』 一夜が話しかけているのに、タキツヒメは我関せずで水など飲んでいる。ここまで飛んでくるのに暑かったから仕方ないかと思いつつ、ちょっとは話を聞きなさいと人夜が考えても、至極当然の感想だったろう。せっかく一緒に来たのだから、会話にならないまでも聞いている態度くらいは見せて欲しいもの。 だが、本日のタキツヒメはとことん自分のやりたいこと中心だった。ざぶっと川に頭を突っ込んで、気持ちよく涼んだと見るや、一夜を急かして上流に歩き出した。 「もう、勝手に飛んで行かないだけ偉いなんて、言わないんだからね」 そんなに勇んで、何をどうしたのかと、一夜が後をついていきながら迷ったのは僅かのことだ。とことこ小走りに行ってしまったタキツヒメの向かった先から、別の龍族と思しき威嚇の声が響いてきたのだから‥‥すわ野生種と喧嘩かと駆けつける。 「タキツちゃんっ、野生の龍さんと喧嘩はっ‥‥あれ?」 「兎羽梟、魚の一匹くらいでそんなに騒ぐな」 タキツヒメが向かっていたのは、走龍を連れた一夜より少しお姉さんの開拓者のところ。しかも狙っていたのは、彼女が食べるために捌いていたと思しき魚だった。多分、匂いに気付いて急いでいたのだろう。 ちゃんとお弁当持ってきたのにと、一夜が恥ずかしさで小さくなっていると、 「誰かいるのかー?」 『あら、まあ可愛らしい方が二人も』 騒ぎを聞きつけたと思しき青年とからくりらしき女性まで駆けつけてきた。 タキツヒメと兎羽梟は、釣り上げられた魚の山を前に、睨み合いを続けていた。 宵星は、一応水に浮くことなら出来る。しかし泳ぐとなると、息継ぎと手足の動きの両方をうまく行えず、慌てているうちにぷくぷく沈んでいく羽目になっていた。本日こそは、それを克服して、双子の兄の明星くらいに泳げるようになりたいものだと決意を固めてきたのだが。 「ほーい、十五回目〜」 またじたばたしているうちに流されて、下流で明星に受け止められていた。先ほどまでいた場所では、後見人のウルシュテッドが苦笑している。 『そろそろきゅうけいしたほうがいいもふっ。お昼になるもふよ!』 『こらー、まだ泳げないのに休んだら駄目だよっ』 双子の相棒である天音と織姫は、それぞれ勝手なことを言っている。特に天音は自分がおなかがすいてきたのと、先程上流では魚釣りが出来ると聞いて、『焼き魚を釣るもふ』と勢い込んでいるのだ。明星がそんなものは釣れないと指摘したら、余計に意地になって、ずっと休憩を主張していた。織姫は、単に宵星に厳しいだけ。 実は宵星もそろそろ休憩したい。釣りはそれほど興味はないが、ちょっと離れたところで綺麗に泳いでいる羽妖精が気になるとか、もふらの天音がどうして沈まないのか良く観察したいとか、泳ぐ練習以外のこともしたいのだ。 ちなみに明星は、練習に付き合う合間合間に、素早く下流に行っては魚がいたとか、もっと下に誰か龍を連れてきているようだとか、探検して回っている。羨ましい限りだったが‥‥ 『ミンシン、何か拾ったもふ〜。でもおいしくなさそうもふ』 「もう、食べることばっかり。あんまりうるさくすると、釣りはなしだよ」 ただひたすらにぷかぷかと水面に浮いて漂っていた天音が、自分の足に何か引っかかったと明星に訴えた。ウルシュテッドは釣りに行ってもいいと言ってくれたが、一人での別行動が嫌で妹の練習に付き合っていた彼は、あんまり騒ぐ天音によくよく注意を告げてから、何が絡まったのかと潜って行き、 「シャオ、ちょっと」 「え、なに?」 「いいから、ちょっと!」 すぐに浮かんでくるや、宵星の手を掴んで無理やり一緒に潜って行った。ただならぬ様子にウルシュテッドが走りより、引き摺られた宵星が悲鳴を上げたものだから、向こうの方で泳いでいた誰かも駆けつけているが‥‥ 「きゃー、やめてー」 その光景が一望できる上流側では、取り急ぎ水着の上に服を羽織ったエルレーンが、誰にともなく嘆いている。その背後から、人語は解さないが『なんか急いでるんだよね?』くらいの理解は出来るラルが、彼女の襟をくわえて人がいる方向に引きずり出した。 溺れかけたり、刺激的な代物に悲鳴を上げたり、困惑の呻きが上がったのは、それからすぐのこと。 やがてお昼時。 「はうぅ〜」 「気にすることはない。今日は大漁だった」 「そうだね。入れ食いだけど、この陽気だと持ち帰るのもどうかと思ってたところだから」 焚き火で海神とからすが釣った魚を、波美が上手に焼いている。人だと暑さと熱さで辛いところだが、波美は飾り塩から集中して、火が弾けても平然としていた。流石に腕に焦げ跡でもつくと大変だから、そこだけは用心しているようだが。 そして、兎羽梟とタキツヒメは、『我々は生で食べられます』とばかりに人が食べる以外の分を争って平らげ、木陰で昼寝を始めていた。一夜が穴があったら入りたいと思っていることなど、龍達には関係なさそうだ。からすは、龍が餌を争うのはある程度仕方ないと割り切っている。 なにはともあれ、海神が言う通りに素晴らしい釣果を上げていた釣り人二人は、食してくれる人が増えたことを純粋に喜んでいた。流石に干物作りの準備までしていないから、持ち帰るにはいささか不安があったのだ。更にそれぞれが持参していた弁当やお茶、菓子などを広げると、まるでどこの宴会かと思うような豪華さになった。 『さぁさ、いい具合に焼けましたよ』 「「「いただきます」」」 魚も釣れたし、かなりのご馳走を食べながら涼めて、会話の相手も増えたなんて幸運だと、そう思って過ごしたら、これから午後もさぞかし楽しいことだろう。特に波美は年少者二人の頬をつついて、嬉しそうだ。 さて、焼き魚を食いしん坊たちが寝ている間に食べてしまわねば。 お昼ごはんは、人が五人に、龍ともふらと羽妖精と猫又と忍犬が一頭とか一体ずつで、賑やかなものになった。弁当くらいは皆が持参しているから、適当に広げて交換しつつ、和気藹々と食べれば美味しい‥‥ちょっと、妙な緊張感は漂っていたりするが。 『まったくもう、天音は本当にお間抜けね』 『ちがうもふ。かってにみずぎが流れてきたもふよっ』 「あうー‥‥すみません」 偶然流れてきた水着を足に引っ掛けた天音は、それが毛と絡んでなかなか取れなかったばかりに、足の毛を引っ張りまわされ、ちょっと不機嫌だ。そこに織姫があれこれ言うし、ちびは事情が分かっているのかどうか、調子を合わせて吠えるから、エルレーンが縮こまっていた。なぜだか釣られて、宵星まで下を向いている。 こうなると、いまだお子様の明星はともかく、何事かと駆けつけてしまったウルシュテッドや羅喉丸も居心地が悪いが、一応エルレーンと同性に分類して良さそうなネージュは場の空気を気にした様子はない。 『何はどうでも、人が増えてよかったでしょう。西瓜一つを私達だけで食べるのは、無理がありましたしね』 ついでに、泳いでばかりでは疲れるから、西瓜割りなどどうだろう。おそらくは羅喉丸と泳ぎ回るのに疲れた彼女の提案は、 「西瓜割り、してみたーい」 明星の賛成で、あっさり実行に移される事になった。が、西瓜と聞いて、喜び勇んで網ごとくわえて走り出した天音と、それを追いかけ始めたラルを捕まえてからになりそうだ。 「走り回って汗を書く予定はなかったんだがなぁ」 「冷や汗をかくよりは良いさ」 エルレーンと宵星が先頭切って追いかけていく後ろを走りつつ、羅喉丸とウルシュテッドは一安心している。 相棒達は思い思いに水遊びをしているから、人は人で好きに過ごそう。 そういう流れになっていた川岸の、一歩踏み間違えれば深みに落ち込む川べりで、技藝が軽やかな足捌きで踊り続けていた。伴奏といえば流れる川の音と、相棒達が立てる水音や鳴き声だけだが、それだけあれば彼女には十分らしい。 流れる水の中では、時として歩くだけでも大変だというのに、技藝の足の動きにはそうした停滞は見られない。よほど足腰を鍛えた上に、水の流れにもうまく沿っているからだろうが、見物しているともう水がないのではないかと思うほどだ。 水が消えるわけなどないが、水飛沫も衣装の一部のようで、きらきらと陽光を反射する様は人の手では再現困難な舞台効果である。 「どうだい? 水の精霊が水面に舞い遊ぶ話を踊ったつもりなんだけど」 「はあぁ‥‥すごいです」 感嘆の声を上げたままに口を開いて眺めていた真夢紀は、踊り終わってもしばし固まっていたが、声を掛けられてようやくそれだけを口にした。相棒が自分の世界に浸りきりの无も見物させてもらい、こちらは拍手にその感嘆を込めている。 「魅入るとはこういうことだなと、久し振りに体感した」 「嬉しいねえ。贅沢を言えば、足元がもうちょっと広いともっといい踊りになったと思うんだけど」 今のでも十分以上に素敵だったと堰を切ったように感想を言い始めた真夢紀が、技藝に詰め寄ってしまったので、彼女が用意していたお茶は无が続きを淹れる事になった。当人は酒の方が好みだが、茶もそれなりには淹れられる。 まずは茶で喉を潤して、三人共に集中していた神経をほぐしてから、そろそろ昼時だったと思い出した。真夢紀がいそいそと豪華な弁当を取り出し、无は技藝に持参の酒を勧めたりしていると、三人の真ん中に飛び込んできたものがある。 『まゆきー、それやいて』 真夢紀の朋友達に技藝の阿修羅が加わって、投げ込んできたのは真っ二つになった魚だ。開きではなく、見た目が食前にふさわしからぬ真っ二つ。どうしたのかと尋ねてみても、猫又や龍が相手では今ひとつ要領を得ないが‥‥ 「それって、溺れてる時に爪に引っ掛けたんですね?」 『とったんだよ〜』 話を総合すると、川に入って溺れかけた際、手に当たったのを幸いに色々やらかして真っ二つにしつつも、皆でなんとか拾い上げたということらしい。よく見ると、爪やら牙の跡があるが、まあ大きさはかなりのもの。皆で分けて食べられないこともないだろう。 もうちょっと綺麗な状態で持ってきてくれたら、色々調理出来たのにと残念がりつつ、真夢紀が包丁を取り出した。技藝は水汲みを買って出ている。 そして无は、自分の相棒である風天が姿を消しているのに気が付いた。あれほど泳ぐ練習に熱中していたのが、どこに行ってしまったものか。先に昼ごはんを食べてしまうと拗ねそうだから、仕方なく探しに行く事にして‥‥ 何気なく覗き込んだ川の中、底に座り込んでこちらを見上げてくる風天と、揺らぐ水を介しながらもばっちりと目が合ってしまった。目は口ほどにものを言うとの言葉もあるが、風天の瞳は『上がれないよー』と訴えている。 「だからどうしろと?」 川面を挟んで、无と風天はじっと見詰め合っていた。 |