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■オープニング本文 ジェレゾの街が雪に覆われている二月のある日。 とある絵画工房の看板絵師で細密画絵師でもあるクラーラを迎えに来いと、スィーラ城外の警備をする衛兵から、工房に連絡があった。 それを聞いた親方は、真っ青になって指定された詰め所に出向き‥‥ 「間違いなく、お前さんのところの絵師だね? 家族は商売で他の国に出向いている、は本当か?」 「はい、うちでもう十三年働いてます。親兄弟は全員帝国内にはおりませんで。‥‥ところであの、こいつは何を仕出かしたんでしょう?」 昨年末から新年にかけて帰国していた両親の土産の上着に、更に毛布を巻きつけられ、暖炉の前でかたかた震えているクラーラを横目に、尋ねている。 このクラーラは、ジェレゾや近郊の一部好事家から贔屓にされている絵師である。当人は看板画家を生業というが、最近は細密画の方が人気だ。当人は注文があれば描く、拘りのない性格で、自称と注文の違いはまったく問題になっていない。 しかし、彼女は雪道を五分歩くと三分休憩が必要な軟弱体質。病弱とは違うが、体質は虚弱かもしれない。それでも周囲から軟弱と呼ばれるのは、仕事以外の事柄にほとんどやる気と根気を見せない性格ゆえだ。 要するに、仕事以外は怠け者。仕事をちゃんとするならいいではないかと言うのは、彼女の生活ぶりを知らない人だけ。生活能力皆無で、放置すると食事さえ面倒がる有様なのだ。親方はじめ工房の仲間や、親切な近所の人々の助けがなければ、いつ倒れてもおかしくない生活ぶりである。否、助けがあってすら、たまに倒れかけている。 こんなクラーラが、なんで工房から結構離れたスィーラ城近くで捕まるようなことになるのか。親方には、まず『クラーラがどうやってここまで来たのか』から、分からない。雪道を十分以上歩く体力はクラーラにはないはずだ。 親方の『どうやって来たのか』疑問に答える者はなかったが、『何をしてたか』は詰め所の責任者が教えてくれた。 「城の近くの道で、倒れて動けなくなってたんだ。怪我はないようだがね」 雪道に突っ伏して、がたがた震えていたところを見回りの衛兵に発見され、現在に至る。よく工房に来る途中でも、雪だまりに突っ込んで呆然としていたり、凍った路面から立ち上がれなくてもがいたりしているが、なんだって城の近くで倒れているものか。 その辺の事情は後で聞く事にして、親方はクラーラの代わりに謝罪と謝意の言葉を並べ立て、散々注意された後に放免される事になったが。 「そうだ。その上着だが」 「はい。これの父親が、先月土産に持って来てから、気に入って着てますが‥‥何か?」 「それは、庶民の屋内用の防寒着で、出歩く時に着るものじゃないぞ」 まさか『綿入れ半纏』がそんなものだとは知らなかった親方は、工房に戻ってからクラーラを散々説教したのだが、当人は『だって暖かい』と馬耳東風。それでも他のにしろと詰め寄ったら、今度は泰国のどう見ても男もののずるずる長い服を出してきた。クラーラの家には、当人以外の家族の服がいつの間にやら溜まりに溜まり、また山を為していたのである。 翌日、この工房と組んで、ジェレゾの観光案内を作っている製本工房の所有者がそれらを見て、こう言った。 「こんなに見本があるなら、よその国から冬のジェレゾに来た時にお勧めの服装も載せようか。誰か詳しい人がいるといいねぇ」 服を見栄えよく合わせるだけなら、クラーラ以外の絵師達で用が足りる。けれども他の儀など行った事もない絵師達には、ジェレゾが他よりどれだけ寒いかがさっぱり分からない。 「じゃ、いつもの人達に」 「ついでにお前の部屋の山も片してもらえ」 開拓者が勧める、冬のジルベリアに適した服装。無難なものから派手なものまで、色々教えて欲しいとのご依頼である。 |
■参加者一覧
明王院 未楡(ib0349)
34歳・女・サ
ティア・ユスティース(ib0353)
18歳・女・吟
ウルシュテッド(ib5445)
27歳・男・シ
緑獅(ib6133)
24歳・男・弓
ルカ・ジョルジェット(ib8687)
23歳・男・砲 |
■リプレイ本文 依頼人達とにこやかな挨拶が交わされたのは、朝もまだ早い時間だった。 「緑獅と申します。よろしくお願いします」 「あう」 「やあ、クラーラ。風邪は引いてないかい?」 「あ〜」 集合場所に指定された食堂で、座ったまま頷いているのか、会釈しているのか判断に困るような動きと返事の絵師を見て、ルカ・ジョルジェット(ib8687)が明王院 未楡(ib0349)とティア・ユスティース(ib0353)の二人に囁いた。 「あのシニョリーナは、しゃべるのが不得手なのかね〜?」 この応えは、まず渋い表情で返ってきたが、 「単に疲れているだけに見えますね」 「きっと‥‥また体力が低下しているだけです」 どちらも何か諦めたような口調で、溜息をついた。話している側から、クラーラが椅子から滑り落ち、緑獅(ib6133)とウルシュテッド(ib5445)に助け起こされている。 そんなクラーラの服装は、泰国の派手な柄の生地に裏地をつけてジルベリア風に仕立てた上下に、天儀の綿入れを羽織った、見るからに妙な有様。でも色と柄はなんとなく合わせてあって、よく知らない人が見たら天儀や泰国の服はこういうものかと信じてしまいそうだ。 なるほど、自分達が呼ばれるわけだと皆が納得したのだが‥‥具体的な例示をするのに使ってくれと示された、クラーラの部屋の衣類が男女合わせて二百着以上あるのを知って、いろんな意味で顔付きが変わったのだった。 ひと頃、クラーラは同じ集合住宅の人々に手間賃を支払って、部屋の掃除と洗濯を頼んでいた。だがそうした人々が新たな仕事に就いたり、転居したりして、現在はたまに階下の食堂の小母さんが洗濯だけやってくれている。 そこに持ってきて、世界に散らばった親兄弟が相変わらず各地からあれこれ送り込んでくるので、 「なるほどね〜、これは売るつもりらしいよ〜?」 「未開封の箱は、いっそこのままで構わない?」 屋根裏部屋の惨状を知っている未楡とティアが眩暈を感じるほどに、室内はしっちゃかめっちゃかになっていた。初見のルカと緑獅はかなり驚いても衝撃は少なく、手近に積まれた箱の品書きを一つずつ確かめ始めた。 「整理して埃を払って‥‥二階の新しい部屋は、これが全部入るのかな?」 「無理」 ウルシュテッドも苦笑が隠せない様子で、山為す荷物の量をざっと眺め渡しつつ、クラーラに問い掛けたが、返答に一瞬動きが止まった。即答されると、どう移動するつもりか迷ってしまう。 「クラーラさん、こちらのお部屋は綺麗にして返さなきゃいけないのでしょう?」 「え? あやや?」 「親方さーん、部屋の移動のことなんですけれどー」 未楡に質されたクラーラからまともな返答は得られないと、即座に察したティアが絵具の整理や回収に来てくれた工房の親方とここの家主に尋ねたところ、移動はクラーラと身の回りの荷物だけでよいと判明した。 屋根裏部屋は引き続いてクラーラの両親が借りて、家族が仕入れた荷物を保管する倉庫に使う。クラーラは自分の荷物だけ持って、二階の一室に移動する。家具もすぐに使わないものは、屋根裏部屋にそのままにしておいて良い。 問題は。 「これは洗う」 クラーラが洗濯物は選り分けておいてある辺りにほんのちょっぴり成長を感じたティアだが、男性陣の前で志体持ちでも一抱えでは済まない量を溜め込んでいるのをあっけらかんと言われると何をどう注意したものか悩んでしまう。本人が洗濯したら着るつもりの服には、穴空きが多数含まれているのも見ただけで分かるから尚更だ。 「雑巾と洗濯の仕分けをお願いしますね」 あんまりな様子から一足早く立ち直った未楡が、女性の荷物が大半ということでどこから手を出すか迷っている男性陣に、てきぱきと指示を出し始めた。 「本人に移動した先で使うものと使わないものを仕分けしてもらわなくてもいいかな?」 他人から見たらごみでも、当人には仕事で必要なものがあるかも知れないしと、緑獅がたいそう常識的な提案をしたのだが、 「「無理」」 未楡とティアに却下された。常識的な提案は、常識的な対応が出来る相手にこそ有効なのだ。流石に緑獅も目を丸くしたが、一応自分も働く気になった気配の漂うクラーラが、絵の具が入った箱を持ち上げようとしてひっくり返し、中身がどう納まっていたのか分からなくなって、たまたま近くにいたウルシュテッドをほけっと見上げている姿を目にしたら‥‥納得する他ない。 ゆえに、クラーラにはあちこち開け放つからと暖かい恰好をさせ、甘酒を与えて、階下の食堂に退場願う事になった。 「おいおい。クラーラ、外出用の綿入れはこれだぞ。ほら、その動きにくい恰好はなし!」 綿入れ半纏姿のクラーラが、暖かい恰好と促されてそれを脱ぎ、ジルベリアで一般的な羊毛の長い丈の上着を羽織ったので、聞いた話ほど変でもないのではとルカが思ったのもつかの間。その上にまた綿入れを着たので、ウルシュテッドがちょうど荷物の山から掘り出した別の綿入れを着せ直している。 「いやぁ、面白いシニョリーナだね〜」 ルカの感想に、他の四人はあんまり同調出来ない様子である。なんにしても、ここの始末が終わらないと本来の依頼に掛かれないから、まずは片付けなくては。 不幸中の幸い。 それは、荷物の大半に中身が明記されていたことだ。筆跡が色々だから、送り主が書いて寄越したものらしい。そして大半が未開封か蓋を開けただけ。 洗濯物をティアが運び出し、未楡は移動先の部屋の掃除に向かったので、屋根裏部屋の掃除と荷物整理は男性三人が担うことになった。迷路でも作ろうとしていたとしか思えない配置の荷物を、ルカとウルシュテッドが大体の種別に分けて部屋の隅に移動させる合間を縫って、緑獅が家小人のはたきで埃を落としていく。もちろん三人とも、口や鼻はしっかりと布で覆っていた。 「家具はどれを持ち出すつもりなんだろうな」 埃を落として、床もざっと掃いてから、ウルシュテッドがそういえばと首を傾げた。家具も一人暮らしでは使いきれない数があるから、クラーラが必要なものを先に綺麗にして運び出し、他の家具を配置し直すと倉庫として使いやすかろう。ついでに掃除もやりやすい。 「ミーが訊いてくるよ〜」 「あ、じゃあ、大家さん達の都合がいい時間もお願いします」 家具の運び出しは大家や工房の人々も手伝ってくれる事になっているから、そちらの手が空く時間も確かめてきてと頼まれたルカは、緑獅とウルシュテッドが家具と荷箱の埃を拭いて、床を磨き始めても戻ってこなかった。 流石になんだかおかしいと、二階の部屋の様子も確かめるついでに二人が降りていったら、 「いやぁ、肝が冷えたね」 食堂の裏にある空き地で、何をしていたのかクラーラがずっぽりと雪に埋もれていたのを助け出し、介抱していたルカが額の汗を拭っているところだった。雪の中で真っ青になっているクラーラを見付けた時は、さぞかし冷や汗をかいたことだろう。 普通に汗だくで働いていたのは、ティアと未楡の二人だ。 ティアは洗濯担当だが、この季節に外には干せないし、そもそも洗濯そのものも屋外でやったら凍傷を招く。それで厨房の一角を借りて洗い、干すのは三階にある空き部屋を使わせてもらう事になったのだが‥‥ 「どうして、こんなぼろになっても着るつもりなのかしら」 肘が抜けた上着なんかを見ると、どういう家庭環境に育ったのかと不思議になってくる。実に『洗濯物』の三割は雑巾行きで、一部は厨房でさっそく活用されていた。そういうのを、誰かが言わないと着るつもりというのが、十二分に収入がある若い女性にあるまじき姿だと思えて仕方がない。 と、それを耳にした食堂の小父さんも首を捻った。 「そういや乳母日傘のお嬢さん育ちなのに、気にしないにも程があるなぁ」 それはいったい誰のことですかと聞き返そうとしたら、小父さんはお客に呼ばれていってしまったので分からずじまいで、もやもやと。 「あらまぁ、そんなお嬢様だったんですか」 「そう。絵も最初は習い事で。家が傾かなかったら、今頃はお貴族様相手に描いて‥‥はないか。嫁に行って‥‥貰い手がなさそうだな」 実はクラーラは子供の時はお嬢様でしたと、大家の青年と世間話をしているのは未楡だった。どちらも手はすごい速度で動いて、掃除と部屋の修繕をこなしている。 「小さい頃は全部誰かがやってくれたにしても、今は一人暮らしなんですから、整理整頓出来るように暮らしぶりも変えていく必要があります。というわけで、この辺りに外套を掛けられるようにしてもらえませんか」 そうしたら、三階の廊下に仮置きしてある綺麗な衣類と寝具を運んできて、引越しが始められると、未楡は最後の水拭きに入っていた。頭の中では、上着は適当に脱ぎ散らかすクラーラに、まず脱いだら吊るすを教え込まねば駄目だと方策を練っているのだが‥‥それがどれだけ厳しい指導でも、誰も反対などしないだろう。 結局、移動させる家具とその配置は未楡が、運ぶ衣類はティアが、画材は親方が考え、クラーラを頷かせたので引越し本格開始となった。厳選した一人分なので、掃除や他の荷物の整理に比べたら、あっという間に完了である。 そうして、ようやく依頼の本題に入る。 「これが雪袴。着物でいうところのズボンだな。着物はとにかく通気性がいいから、この下にも袖や丈の長い、肌に密着する肌着は必須だよ」 屋根裏部屋から掘り出した衣類の幾つかを広げて、食堂の一角で対ジルベリア防寒対策研究が始まった。テッドがいきなり『外套を着れば中はどうでも』と切り出して、それじゃ観光案内にならないと怒られかけたが、もちろん彼もちゃんと考えている。靴下に靴の中敷、雪道用の靴の選び方など、ジルベリア人には当たり前すぎて見落としがちな事柄を並べて、他の儀の人が苦労しそうな点を教えている。 「肌着は汗を吸う素材がいいと書き添えた方が、そうしたものを着る習慣がない地域の方には親切では?」 体をすっぽり覆う外套も、儀によって大きく違うからと、アル=カマルの品物を出してきて絵師達に見せているのはティアだ。似た形でも、防寒と日差し除けと目的が違うから、羊毛製でも厚さと織りがまるで異なる。見た目が似ていても違うところを絵で表現するのは難しいから、解説も重要というわけだ。 「それなら天儀では、街中で毛皮の外套を着る人は少なかったと思うので‥‥お勧めの品物に加えたらどうでしょう」 これは相当暖かいと、自前の狩人の外套を示したのは緑獅。ついでに帽子のウシャンカも、よそではあまり一般的ではないだろうと付け加えた。 「それを言うなら、マフラーも着物には合わせませんね。商用の方などは慣れないものには手を出しにくいでしょう」 開拓者はその点は柔軟だから、あまりよその儀の一般的服装の見本にはならないと、未楡が言葉を添えると、なぜか驚かれた。クラーラや周りの人々が良く見るほかの儀の出身者は開拓者だから、それが普通だと思っていたらしい。 「こんなお面を持って歩く奴なんて、滅多にいないよ〜」 ルカが笑って示したのは、鬼面「紅葉」。確かにそんな面で歩いていたら、不審者か旅芸人だと思われそうだ。着てきたマスケッターコートも一般的ではない形だが、職種に応じた形だと説明されて、親方がなにやら思い付いている。 「小物も仕事に合わせて解説を入れたら、もっと便利かねぇ?」 ジェレゾでも商人に人気の手袋や、港の人々が愛用する靴といったものがあるそうだ。もちろん夏と冬ではものが違う。 「そういうものを買える店も案内に載せたら?」 ついでに着るもの、付けるものでどの程度の寒さに対応出来るか、また月毎にどのくらい寒くなるかも具体的な数字や事例で示せばいいとのウルシュテッドの提案を、親方はせっせと書きとめている。ウルシュテッドがジルベリアは寒いより痛いだと評した言葉に、開拓者達が同意したのが特に参考になったらしい。 住んでいると分からない、感覚が違うことがあることを実感した絵画工房の人々は、もちろん続いて色々な衣服を実際に着た時の素描をとりたがり、特にティアと未楡がものすごく期待されたのだが‥‥ 「クラーラさん‥‥」 「そんなのを着て、歩けるわけがないでしょうにっ」 なぜか楽しげにまるごとひつじを着込んだクラーラが床に顔面から突っ込み、着替える前の二人を慌てさせている。それでも更にしろくまんとを着けたいとごねているクラーラに、ウルシュテッドは頭を抱え、ルカは腹を抱えて笑っていた。 緑獅は強張った顔でしろくまんとを羽織らせてやっているが、その姿は観光案内に載ることは、おそらくないだろう。 |