神父と犬も食えない喧嘩
マスター名:龍河流
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: やや易
参加人数: 10人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/02/12 08:30



■オープニング本文

 この日、天儀神教会某宗派の聖職者で、アル=カマルでの布教活動を使命としているはずの神楽シンは、教会として借りている建物の玄関前で目を覚ました。

「シンさん、なんで外で寝てんだい?」
「初対面のご婦人達と同じ家で寝るのは、気が咎める」

 近くの食堂の小母さんが、玄関前で毛布にくるまり、身長と同じくらいの木の棒を傍らに、扉に寄りかかってうたた寝していたシンに不思議そうな顔を見せたが、返事を聞いて笑い出した。

「あの騒がしい人達は、まだ帰ってなかったんかね。夫婦喧嘩の後始末なんて面倒ごと、よく引き受けるもんだ」
「そりゃあ、ただの夫婦喧嘩なら宥めて帰してもよかろうが、酔って暴力を振るう亭主のところに帰れとは言えるか。それはうちの教義に反する」
「あらま、暴力亭主だったのかい。もしかして、それで外で見張りしてたの?」

 昨晩のことだ。取るものも取り合えずといった様子で、教会に駆け込んできた姉妹がいた。
 アル=カマル風に言うなら、兎のアヌビス。二人共にたいそうな興奮状態で、どこで天儀神教会のことを聞いたのかもよく分からないが、とにかく助けてくれと繰り返す。
 最初は人だかりが出来るほどの騒ぎだったが、シンが根気強く話を聞いたところ、姉妹の姉が夫と喧嘩をして、同居していた妹と一緒に家を飛び出してきたと判明した。
 それなら下手に周りが騒ぐよりは、女性受けがよいシンがじっくり話を聞いてやれば落ち着くだろうと、近所の人々はそれぞれの家に帰っていった。きっと姉妹も落ち着いたら家に帰るだろうし、そうでなければシンが近くの神殿に泊めてくれと頼んでやると思っていたが。

「あそこの神殿は男手がないから、頼むわけにいかない」
「そんな話なら、皆に声を掛けてくれりゃいいのに」
「話を聞き終わったのが、夜中過ぎてたからなぁ」

 水臭いと顔をしかめた小母さんは、シンに熱い珈琲を淹れてくれた。ジルベリア出身の両親が、神教会迫害を逃れて移った天儀で生まれ育ったシンだが、珈琲はすっかりとお気に入りだ。ただし、あんまり甘くしすぎないのがいい。
 ばっちり彼の好みを心得ている小母さんが淹れた美味しい珈琲は、だがシンの口に入ることはなかった。
 なぜなら、件の姉妹の名前を叫びまくる、見るからに屈強で大柄な男が現れたからだ。
 兎のアヌビス姉妹は、見るからに細身で小柄。あれが亭主で、酔っては妻と義妹に暴力を振るっているのだとしたら、絶対に許せるものではない。少なくとも、シンはそういう教育を受けて育っている。
 だから、彼は誰何の声を上げた。大声なのは、教会の中の姉妹に聞かせるためだ。もしもの時には窓から出て、近くの聖典主義神殿に逃げるように教えてある。
 ところが。

「人の家庭の事に口を出すな!」
「酔って手を上げるのなら、それは止めるのが人の道だろう」

 実はシンは結構喧嘩が得意だ。相手の方が体格はいいが、酔っ払い相手に武器を使うのは良くなかろうと、棒は扉の横に立てかけたまま、とりあえず睨みあっていると。
 背後からは破壊音が、前方からは叫び声が、聞こえた。
 ちなみに背後にあるのは教会の扉、前方は件の男の来た方角だ。

「逃げろーっ、そいつは砲術士だ!」
「うわ、それは聞いてねぇ。って、ジンが女房に手を上げるな!」
「‥‥そうよね、あんまりだわよね?」
「いや、あんたがたは逃げろって‥‥ちょっと待て、扉を蹴り壊したのはどっちだ?」
「逃げろー! 嫁と妹は砂迅騎だーっ」

 どう見ても蹴り壊された扉を片手で持ち上げた妹と、置いてあった棒を手にした姉が、血走った目で砲術士の男を睨んでいる。顔が真っ赤なのは、興奮しているばかりではなく‥‥

「どっちも酒乱ときたか」

 教会にあった酒を飲んだらしい姉妹は、これまた酔っ払った男と、シンを間に挟んで罵りあいを始めた。こんな事情なら、シンだって係わり合いになりたくなかったが、もう遅い。

「こいつがお前らを誑かしたんだな!」
「あんたみたいな浮気者と一緒にするなー!」

 亭主がシンに掴みかかろうとし、妻がそれを棒で殴ろうとする。
 その両方の攻撃を受ける場所に、シンはいた。


■参加者一覧
羅喉丸(ia0347
22歳・男・泰
皇 りょう(ia1673
24歳・女・志
和奏(ia8807
17歳・男・志
エルディン・バウアー(ib0066
28歳・男・魔
ジークリンデ(ib0258
20歳・女・魔
プレシア・ベルティーニ(ib3541
18歳・女・陰
ティアラ(ib3826
22歳・女・砲
リーゼロッテ・ヴェルト(ib5386
14歳・女・陰
熾弦(ib7860
17歳・女・巫
愛染 有人(ib8593
15歳・男・砲


■リプレイ本文

●まだ早朝も早朝のお話
 アル=カマルも市場などは総じて朝が早い。あらゆるものが市場に出ているが、やはり混雑するのは食料品だ。衣料品を商う店や露店が並ぶ界隈は、まだ人が少ない。
 そんな中で。
「あらまあ、これは!」
 うっかり甲高い声を上げたのはティアラ(ib3826)だった。天儀神教会を多少知っていれば、聖職者礼装だと分かるだろうが、ここはアル=カマル。いささか地味な服装の女性だと思われた程度で、店主の売り口上は『天儀から来た人が作った珍しい服』である。
 ちなみに、ティアラが発見して取り上げた服も、聖職者礼装の一つである。
「買います、ええ、買わせていただきますとも」
 店主は、値切るでもなくすぱっと買い物をしてくれたティアラを笑顔で見送ってくれた。
 が、彼女の駿龍・パトリックと自分の迅鷹・ケルブに市場の端で朝のおやつをやっていたエルディン・バウアー(ib0066)ときたら。
「え、服を買ったんですか? 新調するなら言ってくれれば、見立てに付き添ってあげられたのに」
 本日が何月何日かも忘れ果てて、義妹の行動に唇を尖らせている。

 市場の中には、装飾品が商われる一角もあるのだが、そこでは時ならぬ騒ぎが起きていた。
「皆さん、楽しそうでしたね」
『もみくちゃにされるこっちの身になりなさいよー!』
 市場をそぞろ歩いている途中で、珍しい人妖に目を留めた露店の小母さんから飾り紐を交換条件に、『ちょっとだけ』子供に触らせてくれと頼まれた光華は、先程まで次々集まった子供達にべたべた触られまくっていた。おかげで髪も服も大変な状態だが、朴念仁が服を着て歩いているような和奏は苦労を理解していない。それでも器用に外見を整えてくれたが、光華の気分がそれだけで回復するはずもなく。
『髪の毛洗ってから、もっと綺麗に直してくれなきゃ駄目なんだからっ』
 服も一揃い買って欲しいくらいだと、ぶつぶつ言っている。

 不機嫌な人妖がいるかと思えば、ご機嫌な羽妖精達もいた。
『気になる‥‥』
「気持ちは分かるが、大きすぎるぞ」
 羽妖精・ネージュが椰子の葉で編まれた手提げかごを前に唸っているのに、羅喉丸(ia0347)は本日何度目かの最もな指摘を寄越した。人が使うものだから、ネージュには大きくて当然だが、天儀やジルベリアでよく見る蔓を編んだかごより緑鮮やかな様子が気になるらしい。作りもしなやかで、底が抜けないかと羅喉丸など心配してしまったが。
「大丈夫だよ、ほら」
 ひょいとネージュを掬い上げ、かごの中に放り込んだ露店主は、そのままかごを揺らして見せる。かごから頭だけ出たネージュが文句を言うが、露店主も様子を見た他の人々も面白がるばかりだ。そのまま羅喉丸にかごを売ろうとしている。
 流石にそのかごを買うとネージュの機嫌が急下降しそうなので、彼は小物を入れるらしい小さいかごを求めた。ネージュだと一抱えはある代物だが、身に付けるものがなんでも小さいから、つづら代わりにいいだろう。
 ついでに天儀神教会が進出しているとか、朋友連れで入れる浴場があると聞いて、そちらに足を向けている。

●公衆浴場への道
 お風呂は国によって風情が異なるが、アル=カマルでは公衆浴場は都市の生活に欠かせないものだという。それでも大型朋友も入浴可能なんて場所はなかなかないから、開拓者は自然とそこに集まる。
「ええと、この店の角を曲がってまっすぐだったか。白蘭、もう少しで砂を落としてやるからな」
 霊騎・白蘭と一緒に怪我の療養を理由に浴場を訪れようとしている皇 りょう(ia1673)は、あまり歩く気のない愛馬の様子も気にしてはいない。りょうに緊張感がない時には、日向ぼっこや食事が優先する気性の霊騎に珍しい態度ではないからだ。浴場で綺麗にしてやると言われても、どこまで理解しているものか、話が出来るなら『休ませて欲しい』と言いそうな様子だ。
「♪おっふろ、おっふろ、おっふっろ〜」
 その前方には、同じ場所を目指して歌いながら歩いているプレシア・ベルティーニ(ib3541)がいた。羽妖精・オルトリンデは一緒に歌ってはいないが、肩におぶさるようにしながら、きょろきょろと周りの様子を眺めている。
 弾むように歩くプレシアの背中に、精巧な人形かと思うオルトリンデがいる光景は、普通なら人目を引くだろうが、あいにくとこの時のこの通りはそれどころではなく。
『なんだか、変な声がしませんか?』
 たいそう可愛らしくオルトリンデが首を傾げたのを、見た人はいない。

 なにやら妙に騒がしい一角に繋がる細い道が目的の場所への近道だと、明らかに周辺店舗の裏口を潜り抜けていたリーゼロッテ・ヴェルト(ib5386)は、前方から聞こえてくる声の内容を正確に把握していた。
「酔っ払いテュール同士の喧嘩? それも痴話喧嘩ね、迂回出来るかしら」
『って無視するんですか? 止めましょうよ』
 一緒に来た羽妖精・ギンコが、こんな時に世間が開拓者に求めそうなことを口にするが、リーゼロッテはお風呂でさっぱりしたいのだ。わざわざ汗をかきたくないし、お風呂の後に先程見付けた薬問屋で知らない薬草などがないかを確かめたい。うっかりこんな裏道に入り込んだのもそれが理由だし、余計な事にかかずらわりたくはない。
 ところが、どうやら騒ぎは大きな通りに出るすぐそこで起きているようで、挙げ句にしたたかなギンコが『これがもらえるかも』とお金の手真似をしたので、リーゼロッテはちょっと考え込んでいる。

 ちょっと時間を戻して、ここにも考えている者がいた。
「風花が入る時は、隠した方がいいかしら‥‥?」
 アル=カマルに来てから、龍だ牛だ羊だ山羊だツノトカゲだと、実際どこまで獣人が実在するのか分からないが、アヌビスに間違われっぱなしの修羅・熾弦(ib7860)は、公衆浴場が目の前のところで思案に暮れていた。朋友用の浴槽は屋外なので、羽妖精の風花が入浴する時は隠さないと色々不都合ではないかと思うのだ。小さいとはいえ、ほとんど人と変わらない姿なので、何かと気を使う。
『お風呂ー』
 風花は楽しみなのか、熾弦に抱えられ、足をプラプラさせている。良く考えたら、龍も入れるような浴槽にこんな背丈の羽妖精を入れても足が立たないだろう。いっそ桶でも借りて、屋内に入れてもらおうかと悩んでいたら。
 とんでもない怒声が、背後から響いてきたのだった。

●考えている時間はない
 冬だというのに、故郷の春か初夏を思わせる温度に辟易していたジークリンデ(ib0258)は、沐浴しようと浴場を目指していた、はずだった。
『くわばら、くわばら』
 ジルベリアとの温度差にへたばっていた管狐・ムニンは、厄介ごととみるや管の中から出していた顔を、すぐさま引っ込んでしまった。この調子では、余程の危険でもなければ出てこないだろう。
 確かに、ジークリンデも酔っ払いの夫婦喧嘩、それもテュール同士のものなど避けて通りたい。だが、すぐ近くに子供達がいたりするので、自分だけとっとと逃げるのは気が進まない。
 ここは一つ、酔っ払いには夢の世界に行ってもらうべきかと、彼女が判断した時。
「どうしたんですか? なんだか穏やかではありませんよね?」
 すぐ後ろから、声を掛けてきた少女がいた。同業者とジークリンデが判断したのは、少女が羽妖精を連れていたからだ。
『あぁ、また余計な事に首を突っ込んで‥‥』
 持っている銃から砲術士だろうと思わせる少女の相棒は、厄介ごとに関わるのに乗り気ではなさそうだ。
 けれども、ジークリンデと、少女と間違われた愛染 有人(ib8593)と羽妖精・颯がうっかりと見詰め合っていた間に‥‥
 その横を、大変な勢いで通り過ぎていく影が幾つかあったりする。
「シン神父ー、伏せてください!」
 叫びは一つだけだが、それはもう切迫感に満ち満ちていた。

●野次馬、否、観察者と呼べ
 道を歩いていて、酔っ払った志体持ち同士の夫婦喧嘩に出会うことなど滅多にない。
 それは当然、日中の天下の往来で喧嘩する夫婦は珍しく、それがどちらも泥酔直前状態であるのは更に稀だからだが、今回は妹まで追加されていた。
「ふむ、姉妹の姉御の夫君が酔って手を上げると逃げてきたが、ここまで追ってきたと。でも実はどうやら、細君と妹御も酒が入ると豹変する質か。あの神父殿は、巻き込まれているわけだな」
「あのね〜、おーちゃん。あれはちわげんかって言ってね、特別仲がいい人達がする喧嘩なんだよ〜」
『ほう、そういう喧嘩ですか』
「くっ、うらやまし‥‥いやいや」
 素早く周囲の人々から事情を聞きだしたりょうが、白蘭の手綱を握ったまま、観察に徹している。その横で話を聞いたプレシアが、オルトリンデと身も蓋もない会話を展開していた。りょうも心の声がでろでろと漏れている。
 そのまま観察をし始めたりょうはさておき、プレシアは迂回してお風呂に行く気だったけれど、騒ぎを完璧に避けていけるほど広い道ではない。
「あら、近付いたら危ないわよ」
 うろうろしているプレシアに、親切に声を掛けたのはリーゼロッテだった。詳しい話を聞いて、更に『面倒は嫌』心を刺激された顔付きだが、年少者が巻き込まれそうな状態を見過ごす気持ちにはなれないらしい。放置したら飛び出して行きそうだし。
ところが、危険がないうちに暴れているテュール達を眠らせてやろうと思ったけれど、うまくいかない。
『どうしました?』
 うっかり魔術を使うと、周辺に被害をもたらしそうな気がして、リーゼロッテは見物を決め込むことにした。
 幸い、彼女が手を出さなくても、事態は収拾しそうである。
 砕け散った棒の破片が幾つも飛んできたので、見物していた三人は、それらが他の人にぶつからないよう受け止めるのに忙しくはなったのだが。

●それで、結局どうなった?
 この時の神楽シンは、骨折は覚悟していたという。それでも、なんとか避けようとしていたし、拳か棒のどちらかで殴られるとしても被害が少ないように、頭は庇っていたのだが。
「シン神父、伏せてください!」
 この声が何度か顔を合わせている助祭のティアラだと気付くより前に、シンは左腕をがっちりと掴まれて引き摺られていた。いささか手荒な扱いだが、彼が避ける方向を見定められずに姿勢を崩していた時なので、危ないところに躊躇いなく割って入った和奏が危険な夫婦達からなんなく引き離していく。
 和奏はそのままシンを引き摺って、更に遠ざけようとしたけれど、残念なことにそれは叶わず。
「ティアラー、何をしてるんですか!」
 ずんっと鈍い音がして、引き摺られていたシンの腹部にティアラが見事な蹴りを食らわせてしまったのだ。向こうでエルディンが叫んでいるが、シンは白目をむいて気絶していた。
「息はありますね。よかった」
 あまり良くはないが、和奏はとりあえず生きていればよしとしたようだ。えいやこらと、安全な場所に運んでいこうとして、突然ティアラの頭部目掛けて、腰の刀を凪いだ。がしんと音がして、咄嗟に伏せたティアラの頭を叩き割る勢いだった棒が砕けていく。
「志体持ちが街中で酔って暴れるのはいただけませんよ?」
 辺りであたふたしていた人々が一瞬止まったほど、和奏の言い様はすらっと平坦だったが、頭を抱えてしゃがみこんだティアラは蒼くなっている。やらかしたのと、やられたのが一度に押し寄せて、混乱しているらしい。
 それが『ぐえ』と上品ではない声を上げたのは、上から兎のアヌビスがのしかかってきたからだ。こちらも品のないいびきをかいて、寝てしまっている。
「話し合いの提案は、酔いが醒めてからにいたしましょうか」
「汗を流す前にかかせてくれるとは、一体どなたのご配慮かしらね」
 『まったくもう、とんだ騒動に巻き込まれてしまって』と表情に明記されているのは、ジークリンデと熾弦の二人。アルムリープを次々放ったジークリンデは、上品な微笑を浮かべつつ、『いっそ縛り上げておいたら』とご立腹の様子。
酔っ払いには水を掛けてしまえと考えていた熾弦は、桶を借りるところまでは順調だったが、水を無駄遣いするのは嫌と地元の人々に言われてしまい、もう一人の兎アヌビスを実力で押さえ込んでいる。そちらももう寝てしまったので、頭を打たないように横にしたが、流石に地面だから汚れるなどは配慮しない。暴れる方が悪いのだ。
「よーいしょ。皆さんはお怪我ないですか?」
 その横では、兎妹が投げ捨てた扉の残骸を集まっていた人々の前でがっちりと受け止めた愛染が、背後に庇った人々の無事を確かめてにこにこと笑顔を見せた。『彼』が皆を助けるために取り落とした銃は、年頃が近い少年が拾い、砂埃を拭って返してくれたが‥‥颯だけは『残念だけど、中身は男の子よ』と思っている。
 勘違いされている事に気付かない愛染は、扉の残骸を片手で支え、尋ねられるままに名前を答えたりしていた。
 もう一人の酔っ払いは、
「やれやれ、骨休みに来たはずなのにな」
 自分の妻に掴みかかろうとしたところを、背後に回った羅喉丸に関節を決めて押さえ込まれ、そのままエルディンかジークリンデの魔法で強制的に眠らされている。あっという間に三人の酔っ払いを無力化した人々に、周囲は拍手喝さいといきたいところだが、もう一人伸びているのがいるからそうもいかない。
「だーいじょーぶかなぁ?」
「骨も内臓も傷めた様子はなし。良く鍛えてあって幸いね」
 どういう前歴だか、人体に詳しそうなリーゼロッテの診立ては、近くの神殿の薬草師と同じ。聞いた和奏とティアラ、エルディンは安堵の吐息を吐いていたが、次の瞬間に後者二人が慌てた。
「ん? こういう時は額を冷やすものだろう?」
 りょうが不思議そうに首を傾げたが、濡らした布で鼻まで覆ったら苦しいに決まっている。りょうも自分で気付いたようで、もう一度布を畳んで置き直していた。あまりこういうことには慣れていないらしい。
「その人も運んでおこうか?」
 問題の三人は、そこらに転がしておけないので次々と教会に担いでいった羅喉丸が声を掛けたが、彼がシンを抱えるより先に当人が目を覚まし‥‥自分が誰に蹴られたのかを確かめると、
「あんなところに勢いで突っ込む奴があるか! この馬鹿者!!」
 さっさと立ち上がり、ティアラに拳骨をくらわせる元気を見せた。挙げ句に言ったのが、
「ちょうどいいや。あの酔っ払いどもに説教するから、あんたは付き合え。お前はうどんを作れ」
 ここでのあんたはエルディンで、お前はティアラを指している。なんでうどんかと思ったら、食べたいので材料は揃えたがシンは料理がまったく出来ないので出来そうな者が来ないか待っていたとか。

●そして、説教
 酔っ払いどもはすぐに目が覚めて、酔いはともかく、自分達が仕出かしたことを理解できる程度の正気には返っていた。ちなみに彼らが正気付く前に、夫を追いかけてきた友人が事情を説明してくれている。
「なるほどぉ。お酒癖の悪さだけであんなになるなんて、ちょっとおかしいなと思ったんですよ」
「まったく、馬鹿馬鹿しいこと。どっちもそんななら、いっそ別れて顔も見ないところに住めばいいのよ。そうしたら心も乱されないわ」
「喧嘩するほど仲がいいというのは、事実だったのだな。いや、今回の喧嘩は誉められないが、うん」
 そもそもこの夫婦、どちらも嫉妬深い。隊商護衛で知り合って結婚したが、夫は妻に家にいて欲しいと願って、今は夫と妹だけが護衛仕事をしている。ところが、その間に浮気してやいないかと妻は疑心暗鬼になる。妹が一緒だから浮気のしようはないのに、この妹まで性格が似ていて、夫が旅先で仕事仲間や何かの女性とちょっと親しげに話をしたと言っては、姉と一緒になって怒るのだ。
 ついでに姉妹は自分達だけが殴られたようなことを言っていたが、前夜は二人掛かりで夫に平手を三十発くらい喰らわせてから家出を敢行している。殴り合いをしていた訳だ。
 こういうのにはつける薬はないわと断言したリーゼロッテは、それでも酔い覚ましの水を与えて酒量にひとくさり苦言を呈したりしたが、三人それぞれの愚痴は聞かない。りょうは耳だけそちらに向けているが、積極的に聞く態勢はとっていなかった。そうすると、一人だけに捕まりそうだからだ。
 それに。
「でしたら、またご一緒に仕事に行かれたらいいのでは? 貴女もお連れ合いの浮気より、危険がないかの方が気になるでしょう? ご家族が三人一緒なら、大抵の危険は乗り越えられますよ」
 ね? と笑顔で提案したエルディンに、三人は尚もぐちぐちと他人からするとどうでもいい事を並べ立てていたが、愛染とプレシアに『家族は仲良く』とじぃっと見上げられると、反省の念が募ってきたようだ。仲が悪いのではなく、気に掛けるあまりに束縛しているので、これが一番の良策だろう。
 ただし、酔いが醒めた状態でもう一度叩き込んでおかないと、うっかり忘れられたら大変である。それと酒は止めるくらいの節制も誓ってもらわないと!
 これはもう聖職者三人でじっくり話をするというので、他はここで解散だ。
「あ‥‥うどん」
「お話が済んだら作りますにゃっ」
「じゃあ夕飯か。しかしお前、相手の力量が分からんのに突っ込むなよ。兄貴が心配するだろ」
「そうですねぇ。でも今回は、シン神父にたいしたことがなくてよかったです。お詫びに扉の修繕はお手伝いしますから」
 エルディンとティアラが義理の兄弟だと知らない夫婦と妹はこの家族愛と隣人愛に感じ入ったようで、友人からも酒は控えるように言われて、頷いていた。
 その後、ティアラが落とした荷物が教会に届き、エルディンが誕生日だと知った夫婦は、お詫びだと酒を買ってきたので‥‥シンから説教の二回目に入られた。

●おーふろ、おふろっ
 浴場では、りょうが霊騎でも肩までつかれる屋外浴槽に感激し、ここでは潤沢なお湯をもらってせっせと白蘭を洗い始めた。珍しい光る馬を見に来た人達と、馬談議でも盛り上がっている。
 屋内では、愛染が受付をやっている近くの神殿巫女に入るところを間違えていると止められたりしたが、他の女性陣と人妖・羽根妖精はすんなりと女湯へ。屋外浴槽は龍用だし、小さくても人型の彼女達が人目のあるところで入浴など駄目だと、女湯に入れられたのだ。なお、先客にはネージュがいる。
『良かったわ。これがうまく使えなくて』
『あぁ、私もあると様に泡立ててもらいますわ』
『この石鹸で髪を洗って平気かしら』
『熾弦、泡』
『洗う前に、よく梳かさないと傷むのよ』
『マスター、泡を踏んだら転びますよ』
 女性が三人でかしましいとはよく言うが、羽妖精と人妖でもそれは変わりがないらしい。巫女が貸してくれた石鹸一つで会話が続いている。人の側が泡を立ててやったり、髪を梳いたり、お湯を汲んでやったりと忙しい。ついでに浴槽内で沈まないように、膝も貸してあげねばならない。
 ここに来て管から出てきたムニンは、お湯の中を脱力して漂っていた。
 と。
『おわっ、なんだ?』
 隣の男湯から盛大な悲鳴が響いて、ムニンはまた管の中に。さっきから結構な人数が入っていたようで、会話の内容は聞き取れなくても声と気配はしていたのだが、今のは確かに悲鳴。
 だが羅喉丸と和奏、愛染がいて、悲鳴が一度きりなら、事件や事故ではあるまいと、女湯は肌を磨く方法の会話に熱中し始めた。
 この時の男湯では、羅喉丸が笑いたいけど笑えない状況で、ほんの数分前まで彼の武勇伝を目を輝かせて聞いていた少年達が、気力の果てた顔付きでしゃがんでいるのを眺めている。
 その向こう側では、愛染が『なんで女の子がこっちに』と言われた衝撃に握り拳を固め‥‥羅喉丸が差し出した掌に力一杯ぶつけていた。
「湯上りには果物がほしいですねぇ」
 和奏は、のほほんとお湯を楽しんでいる。