軟弱絵師の素描旅〜食堂
マスター名:龍河流
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: 易しい
参加人数: 5人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/06/08 04:47



■オープニング本文

 春の陽気のジェレゾの一角の食堂前に、若い女性がうずくまっていた。
「何しているんだい。入っておいでよ」
 食堂の入口、開け放たれた扉の前でぷるぷる震えているのは、看板絵師のクラーラだ。この食堂がある建物の屋根裏部屋に住み、近くの絵画工房で働いている。年齢は二十一歳、顔立ちは結構よろしく、稼ぎも悪くないとなれば、ちょっとはもてそうなものだが。
「‥‥‥‥足が」
 花が咲き綻ぶ季節にもこもこ上着を着込み、その上に作業用の薄汚れた上っ張りを羽織って、片手に絵筆を握ったクラーラは、立ち上がるどころかベしゃりと前のめりに突っ伏した。そのまま立ち上がってこないが、もぞもぞと動いてはいる。
 何も知らない人が見たら行き倒れで、なんで食堂の小母さんは助け起こさないのかと驚くところだが、この近隣の人々は慣れている。
「またぐぞ」
 今も建物の大家である青年が、汗を拭き拭き店を訪れ、一言言い置いただけで倒れているクラーラをまたぎ越していった。若い女性に対してひどい扱いだが、クラーラは唸るばかりだ。
「あんたねぇ、すんなり立ち上がれるようになっておくれ。冬の間に、また弱ったんじゃないかい」
「‥‥しびれた」
「なんだ、足か」
 食堂の小母さんは手助けせずに急かし、大家の青年は戻ってきて、
「ぃゃ〜」
 クラーラの足をぺしぺしと叩いている。悲鳴らしいものが上がったが、今にも消え入りそうだ。
「ほらほら、起きて。昼を食べたら、続きに励んでおくれ」
 結局引き摺り起こされたクラーラは、食堂の角っこの椅子にずり落ちないように据えられて、のたのたとご飯を食べ始めた。

 ここ最近、クラーラの仕事は近隣の店の壁に商う商品の絵を描くことだ。
 最初はこの食堂の孫と一緒に悪戯で壁に料理の絵を描き、小母さんにしこたま怒られたのだが‥‥仮にも看板職人、絵の完成度は悪くなかった。そして、それを見た向かいの小間物屋が『看板代わりに壁に描いてくれ』と言い出したのが切っ掛け。
 これで小間物屋の売上げが上がったので、次々と仕事が舞い込み、現在は食堂の壁にぺたぺたと絵を描き足しているところだった。
 それだけだとまあいい話だが、クラーラは仕事に根を詰めすぎる。側で呼んでも応えない集中力を発揮して、いい絵を描くけれど、体力が尽きると倒れるので大変だ。今回の仕事は顔見知りのご近所ばかりなので、時間を見て後ろから小突いたり、問答無用で担いで移動させたりで食事をさせていた。
 本日は珍しく昼前に絵が一つ描き上がり、当人もご機嫌で立ち上がろうとして、足の痺れにひっくり返ったが、それでもいつもよりはまし。
 そのはずだったのだが。

 絵の出来上がり具合を確かめに行った食堂の小母さんが、難しい顔付きでスプーンをくわえているクラーラの横に来た。クラーラが慌てたのは、いつも行儀が悪いと怒られているからだが、
「クラーラ、今描いた絵だがね。あの料理はなんだい?」
 小母さんの用件は違った。
 そして、もっと問題だった。食堂で商っていない料理の絵を描かれても、困るんである。
「前に、ご馳走になったの」
「誰に?」
「あっちの人」
 それがクラーラが何度か世話になっている開拓者達を指しているつもりだと判明したのは、更なる押し問答が続いた末のことだった。
 なにしろ方向音痴でもあるクラーラは、開拓者ギルドを指したつもりで、まるきり反対方向を指差していたからだ。
 ついでに絵を描く以外の事柄には不器用というか、生活能力皆無のクラーラは、どれだけ尋ねられても自分が書いた料理の材料一つ説明出来ずにいる。


 翌日、食堂の入口にぺたりと紙が張られた。

『一時雇いの料理人と清掃・洗濯人を求む』


■参加者一覧
無月 幻十郎(ia0102
26歳・男・サ
羅喉丸(ia0347
22歳・男・泰
十野間 月与(ib0343
22歳・女・サ
明王院 浄炎(ib0347
45歳・男・泰
ティア・ユスティース(ib0353
18歳・女・吟


■リプレイ本文

 依頼先の食堂がある通りを訪ねたことがある無月 幻十郎(ia0102)とティア・ユスティース(ib0353)は、立ち並ぶ建物の様変わりぶりに目を瞬かせた。食堂や雑貨屋などの小さな店と各種職人の仕事場などが並ぶ一角が、すっかりと華やいでいる。
「ほう、これは随分と旨そうだ」
 初めて立ち寄る羅喉丸(ia0347)も、よく知る泰国の料理の絵に感心しているが、視線は時折その絵の隣に向かう。麺料理の隣に、今度はジルベリア料理を描いて彩色中の女性が、噂の絵師のクラーラだろうと思うのだが‥‥羅喉丸達にまったく反応せずに黙々と絵筆を動かしているので、挨拶すべきか迷っているところだ。
「ティアさん、あの方がクラーラさん? 食堂の方にもご挨拶しなくてはね」
 念のために、面識がある妹分に確かめた明王院 月与(ib0343)は、間違いないと頷かれてから、まずは人員募集をしていた食堂の中に声を掛けた。仕事中はちょっと話しかけたくらいでは集中が途切れないクラーラのことは無月とティアから聞いているから、後回しにするしかないだろう。
 その横では、以前にクラーラの世話をした愛妻が様子を心配していたのは、なるほどこういうわけかと納得している月与の父、明王院 浄炎(ib0347)がいる。すっかり暖かくなったジェレゾで、いかに午前の早い時間だとはいえ、もこもこの羊毛上着に肘に穴が開いた上っ張りはいただけない。月与とたいして歳の変わらない娘が、髪の毛も梳かしたのか怪しい様子で通りの端に座り込んでいるなんて、クラーラの父親が見たら涙するのではなかろうか。
「なるほど、これでは気にもしような」
 描く絵はよいのに、当人は残念すぎるが、とりあえずクラーラはさておき。
「この料理なら大体似たようなものが作れる。あと、材料が似ているものも一緒に作って、味見してもらってよいかな」
「助かるねぇ。クラーラは舌は肥えてるが、料理はからっきしだから、説明させてもさっぱりで」
「部屋も大層なことになったって?」
 一通り壁の絵を見て、羅喉丸は泰国料理と思しき物は一通り作れると請け負った。一度材料の有無を確かめて、必要があれば買い出しにも行かねばなるまい。やはり料理担当の月与は、浄炎と手分けしてジルベリアでは手に入りにくそうなものを持参していたが、生鮮物は貰うか、買うかだ。
 料理が得意な人間同士は話が合うと見えて、さくさくと話が進んで、月与と羅喉丸は店主と一緒に厨房に入っていった。荷物は浄炎から羅喉丸が受け取って、軽々と運んでいる。
 ティアと無月と浄炎は、まずはクラーラの部屋を真っ当な生活空間にするつもりだったが、クラーラに話し掛けても反応しない。区切りがいいところまで待つべきかと考えていると、食堂の小母さんがあっさり言った。
「どうせいたって役に立たないんだから、勝手にやっておくれ。あ、これが部屋の鍵ね。洗い桶なんか、井戸のところに置いてあるから」
 今年に入ってから、徐々に同じ建物の住人達がいい仕事を見付けて引っ越したり、忙しくなったので、クラーラの世話まで手が回らなくなった。するとあっという間に魔窟に逆戻りだ。
 小母さんは膝が痛いので屋根裏部屋まで上がらず、まず三人は様子を見に階段を上がっていって‥‥
「あのたくさんある箱の、一時置き場に使っていいところはありますか?」
 室内に迷路でも作れそうな数の木箱があったので、その避難先を確保しないと何も出来ないと、窓だけ開けて戻ってきた。

 厨房は、三つのかまどに合計八つの鍋釜が置けるようになっていて、小父さんと息子夫婦と娘の四人で切り盛りしていた。調理道具も色々取り揃っているが、天儀のように包丁を使い分けたりはしていないらしい。泰国の大きな包丁と比べるとおもちゃのようなナイフで、何でも切り分けていた。
「スープの出汁に鶏がらを使うのかい。牛骨じゃ駄目かね?」
 そのナイフで器用に鶏を解体していた小父さんは、鶏がらで羅喉丸がスープを取るのにさっそく尋ねている。羅喉丸も鶏以外なら一緒に煮込む野菜の量はこれこれと説明しつつ、昼営業の準備もしている厨房のかまどを一つ借りての作業中だった。
 忙しいところに邪魔したくはなかったのだが、先方が『昼のまかないに食べたい』と注文してきたのでは、今から作らないと間に合わないものもある。幸い、天儀や泰国の調味料などはないだろうと思っていたのが、あちこち回って仕入れてきたのか、すぐには買い足しに行く必要がないのがありがたかった。
「泰国料理は地域色も豊かだが、だいたい強い火とたくさんの油を使うものが多いかな。油も色々加工して、それだけでも味付けに使えるものがたくさんある」
「うちだって、香草と香辛料で油や酢に味付けしてるぞ。似てるのがあるかな」
 そもそも一般的に使う油が違うから、何かお互い目新しいものがあるかもなどと会話しながら、羅喉丸と小父さんは小麦粉を練っている。羅喉丸は麺にするため、小父さんは小さく千切って店自慢のスープに浮かせるためだ。
 後者はすいとんに似ていると、スープの味付けを横目に見つつ、月与は鰹節を削っていた。流石に帝都の市場でも簡単に見付かるものではなかったのか、鰹節は知らない人々に手っ取り早く野菜の塩もみと一緒に食べてもらうためだ。
 先に食堂のスープを味見させてもらったところ、通ってくるのが近くの職人衆だからか、味付けが割に濃い。鰹節の出汁から始めると、満足感が低くなるだろう。しっかり噛み締めて味わってもらえば、料理人には色々なものに使える魅力が分かってもらえるに違いない。
「あ、鰹箱はこちらで手に入るかしら?」
 厨房の大きさや使い勝手があるから、道具類は必要になるものだけ買い足したほうがいいと考え、家から色々持参していた月与だが、鰹節が一般的でないところで削る道具はもっと入手困難だろうと思い至った。後で送ればいいのかもしれないが、それはそれでお金が掛かる。
「‥‥かんな屑みたいね」
 削った鰹節を見た、食堂のお嫁さんの一言に、見慣れてない人に抵抗感なく食べさせる盛り付けも大事かと、月与は考えるのが忙しい。
 羅喉丸は、スープの灰汁を掬うのにせっせと手を動かしていた。ここで手を抜いたら美味しくないのは、どこの儀でも変わらない。

 厨房が忙しくしている頃、居住者不在で開け放たれた屋根裏部屋では、ティアがため息をついていた。浄炎と無月は苦笑するしかない。
「片付けの出来る出来ないは性分もありますから‥‥」
 まったくもってティアの言う通りだが、クラーラは出来ない方のかなりの強者だろう。
 出したら出しっぱなし。
 脱いだら脱ぎっぱなし。
 置いたら置きっぱなし。
 この三拍子で、部屋の中のあらゆるところから画材と衣類が出てきて、家族が送ってくる箱を積むでもなく点々と置いて埃を被せている。何箇所かの衣類と雑多な物の山は、本人がこれでは駄目だと思ったのか、それともいよいよ生活が困難になったか、掻き集めて、まとめた状態なのは分かるけれど‥‥散らかっている事に変わりはない。
「あっれ? この箱、酒以外はどっかに持っていけって手紙があるぜ?」
 力仕事ははっきりきっぱり得意な無月と浄炎が、かなりの重量の箱を担いだところ、その一つには箱に手紙が書いてあった。日付を見ると二月も前だ。他の箱にも、中の何は誰それ用とか、クラーラ一人に送り付けたものではないことが記してある。でもそういうのに限って、箱は未開封。
 無月は『酒はここに残るらしい』とほくそえみつつ、持っていく先がクラーラにちゃんと分かっているだろうかとちょっと心配になった。当人はまだ聞く耳がないので、掃除を済ませてから尋ねるしかないだろうが。
「この中身の分類も、後で本人と一緒にやらないと駄目だろうな」
 浄炎の指摘通り、掃除の後にただ箱を戻したら、次に誰かが来るまできっとそのままに違いない。その様子が目に浮かぶようである。
 これでも以前より本当にましになっているのかと、至極当然の疑問を浄炎が口にしたが、ティアも無月もしっかりと頷いた。少なくともちゃんと毎日食事をして、仕事場に自力で通っているだけ、まともな生活にちょっとは近付いている。その仕事場が、屋根裏部屋から下まで降りていくだけ、であったとしてもだ。
 ここまで生活能力皆無だと、家庭の躾方針より今まで無事に生きてきたことが不思議だと浄炎が内心思い、無月は荷物に天儀の調味料と酒もあるのを見付けて喜びを隠さないまま、まずはせっせと土産の箱を運び降ろす。
 その間に、肌着も外出着も作業着も、あちこちに脱ぎ散らかされているものをティアが掻き集めた。籠を幾つか用意して、衣類の種類別に入れていく。肌着は人目に触れないように、ちゃんと上に布を被せていた。
 後は、掃除を無月が、寝具と洗濯を要しない衣類を浄炎が運んで干し、洗濯物はティアが担当した。三人ともが『これはもう使えない』と意見の一致を見た衣類は、『向こうの古着屋にあげれば継ぎあてに使うから』と小母さんが勧めるのにちょっと抵抗して、念のためにクラーラに確かめた。
 すると。
「小母さんが知ってる」
 どうも、ゴミの捨て方も知らないらしい。
「最初に比べたら、随分丈夫になってるんですけど‥‥そこはいいんですけど」
 ティアがぶつぶつと繰り返すのに、他の四人は掛ける言葉が見付からない。クラーラ本人は絵の出来上がりに満足したのか、嬉しそうに『お昼ごはん〜』と寄ってきた。
 そうしようとして、前のめりに画材の上に転んでいる。
 洗濯物が、一組増えた。

 午後からは、クラーラの部屋の掃除は浄炎と無月が徹底した拭き掃除を敢行し、ティアは洗濯しては干し、乾いたものを畳んではまとめることに邁進する。
 以前に仕事道具と衣類は別々の決まった場所にしまうようにと目印まで着けておいた部屋は、一応その記しの通りに物を仕舞おうとした気配だけは残っていた。けれど。
「これは、荷物が多すぎじゃねえ?」
「真新しいものが多いから、家族からの荷物なのだろうな。親兄弟の厚意が埃を被るのはいかがなものか」
 部屋の大きさと収納場所と荷物の量が合っていない、住人がティアでも整理整頓が難しそうな状況だとも判明した。これに階下に降ろした箱の分が加わると、もう一部屋借りたほうが良さそうな状態だ。
「おうちの方に、少しお考えいただければいいんでしょうねぇ」
 ティアも入りきらない荷物がやまほどあるので、困り果てていた。

 これに比べれば、厨房は平和なもので。
「ふむふむ、材料はこれでいいか?」
「‥‥もう一度言うから、確かめてくれるか」
 餃子の皮と餡と大量に作り、それを手際よく包んでいる羅喉丸に、帳面を広げた小父さんが書いたものを確かめろと見せている。が、素晴らしく達筆すぎて、羅喉丸には読めない。小母さんも『あたしだって読めない』と言うくらいだから、羅喉丸に判読不能でも仕方があるまい。
 月与はこちらであまり使われていない道具の説明をしたり、天儀料理の盛り付けの基本を教えたりの合間に、材料や道具の入手方法はどうするのかと考えを巡らせていたが、食堂の人々もまるきりあてもなく他の儀の料理を学ぼうと思い付いたわけではないらしい。
「クラーラさんのお兄様が、天儀で食材を商っていらっしゃるんですか?」
「菓子をね。ま、食べ物関係は伝手があるって゛聞いてるからね」
 時間はちょっと掛かるが、クラーラと一緒に手紙を書けば都合してくれると聞けば、今後のことも安心だ。でも手配するなら早い方がいいから、クラーラに手紙を書かせている間に、片付け担当の三人が土産の箱に手を付け‥‥
「また服が‥‥」
「おっ、これはどこの酒だ?」
「いい木箱だが部屋に置いても狭くなるし、古道具屋に持っていくか」
 配達先がある物は小父さんにお任せし、クラーラ用の品物を部屋に運んで、不用品は処分した。
 夕方までだと、ぴかぴかに磨きたてるとまでは行かなかったが、最初に比べると相当綺麗になって、荷物が一通り棚や箪笥に収まった部屋に、住人は感嘆の声を上げたが、自分が一人で維持出来るとはまるきり考えていないらしい。
「ま、美味しいものも出来たようだし、いっぱいやりながら考えたらどうだい。それとも、甘いものがよければ冷やしあめってのをこさえてやるが?」
 女性陣に気持ちよく過ごす心構えでも聞いてみてと、無月が食堂提供の酒を片手に、いそいそと他の人々も卓に誘っている。一仕事した後に飲む一杯は格別だから、速やかに楽しみたいのだろう。
「泰国ではこのあたりの料理はお茶と楽しむが、こちらなら酒でもいいかもしれないな」
 蒸し料理を色々卓に並べた羅喉丸は、一応茶もあると言っているが、無月はぷるぷると首を振っている。
 浄炎はどちらかと言うなら無月寄り、月与やティアは甘いものやお茶も悪くないと思うが、クラーラはあからさまに無月と同派だった。先ほど大量に土産の箱から出てきた酒を好きに飲んでいいと言われて、無月が階段を駆け上がる。
 そんな彼が戻ってくる前に、額に寄った皺を懸命に指で伸ばしているティアが、クラーラに尋ねた。
「クラーラさん、まさかお部屋で毎日飲酒をしたりはしていませんよね?」
 それで散らかしていたら節制すべきと、浄炎と月与の父娘も思ったが、幸いにクラーラは『そんなことしてない』と言い切った。部屋の惨状を聞いている羅喉丸も、やれやれと別の料理を取りに厨房に戻って。
 無月と羅喉丸が戻ってきた時、ご機嫌なままのクラーラと、妙な表情の浄炎と、卓に突っ伏したティアと月与がいた。
『お酒は毎日、このお店で飲んでいる』
 クラーラの部屋が再び魔窟に戻るのは、そう遠い日ではなさそうだった。