軟弱絵師の素描旅〜別荘
マスター名:龍河流
シナリオ形態: ショート
相棒
難易度: やや易
参加人数: 10人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2011/02/04 22:45



■オープニング本文

 ジェレゾの一角、とある集合住宅の屋根裏部屋には、クラーラという絵師が住んでいる。
 本人は自分を看板絵師だと思っているが、最近は顧客の要望で看板より細密画を描くことが増えていた。元々小さい看板を緻密に仕上げる力量の持ち主だったから、そこを見込まれてのことだ。
 そして今回、彼女のところには、とある印刷工房の主からの依頼が舞い込んでいた。

 だが、しかし。

「お前一人で、こんな依頼がこなせるかーっ」
「え〜?」
「この別荘なら、俺よく知ってる。クラーラじゃ無理だね」
「え〜?」
「お前、雪道歩けるのか!」
「あ〜」
「馬車借りたって、一人で行き来出来ないだろ」
「あ〜」


 依頼は、印刷工房主の所有する別荘の雪景色を描くもの。
 行き帰りに必要だろうと馬車も貸してくれるし、滞在中は別荘の中を好きに使ってよい。もちろん食事に掛かる費用も先方持ち。
 これでジェレゾからの道もしっかりしているとなれば、なかなか素敵な仕事に聞こえる。
 
 だが、けれども。

「生活無能力者のお前が一人で行ったら凍死するだけだー!」
「う〜」
「それにここ、避暑用別荘だから」
「う〜?」
「いや、ジェレゾを出る前に行き倒れるか‥‥」
「お〜?」
「ここ、暖炉が台所と居間にしかないんだよなぁ」
「おおぅっ」

 クラーラは、自室のある屋根裏部屋から一階まで降りるのに休憩を要し、徒歩五分の絵画工房に通うのに時々行き倒れ、荷物を持って運ぶことなどままならない、軟弱な女性だった。
 その上、家事労働全般無能力。何度か室内をしっちゃかめっちゃかにした挙げ句、最近は同じ建物内の人達に手間賃を払って、掃除と洗濯をお願いしている始末だ。
 当然食事など作れないので、体力増強を兼ねて、毎日一階の食堂まで往復するのを日課にしている。冬になってからは、街中で遭難されてはたまらないので、外出にはやはりご近所の人が付き添うようになった。
 なにしろ、一度開拓者ギルドに出掛けて行って、徒歩三十分かそこらの道を四時間も迷いまくった方向音痴でもある。ジェレゾの生まれ育ちのくせに、五歳の子供より雪道にも弱いし。
 支払いがよい依頼はありがたいが、でもこんなのを一人で郊外に行かせたら、二度と帰ってこないだろう。女性の一人歩きは危険だという以前に、街を出る前に凍死しかねない。
 そう、転ばないようにと壁伝いに歩いていて、屋根の上から落ちてきた雪に潰されて窒息死しかけたのは、つい昨日のことだ。

 そして、行き先は避暑用の別荘。
 暖房の設備がほとんどない以前に、きっと今頃雪の下に半ば埋もれているだろう。そんなのを掘り起こすだけでも、相当の人手がいる。幸いその分も支払いに含まれているので。

「クラーラ、開拓者を頼め」
「へ〜」
「俺らより力があるし、ついでに向こうにいる間の世話もしてもらえ」
「は〜」


 そうして、開拓者ギルドには、軟弱絵師を連れて郊外別荘に赴き、往復と作業中の世話と、なにより別荘周りの雪かきを行うという依頼が張り出されたのだった。


■参加者一覧
薙塚 冬馬(ia0398
17歳・男・志
乃木亜(ia1245
20歳・女・志
アーニャ・ベルマン(ia5465
22歳・女・弓
からす(ia6525
13歳・女・弓
サーシャ(ia9980
16歳・女・騎
ルシール・フルフラット(ib0072
20歳・女・騎
御陰 桜(ib0271
19歳・女・シ
ティア・ユスティース(ib0353
18歳・女・吟
壬護 蒼樹(ib0423
29歳・男・志
アーニー・フェイト(ib5822
15歳・女・シ


■リプレイ本文

 ずぶっ

 目的地の別荘に着いた直後、開拓者達は思った。
『予想以上に鈍い』
 何がといって、もちろん依頼人のクラーラのことだ。
 彼女に絵を依頼した人物も避暑用別荘での過ごすのは大変だと承知していて、移動用の馬車の他にもう一台燃料と食料を乗せるための馬車も用意してあり、一部は『結構楽な依頼だったかも』なんて思いがちらりと横切ったのだが‥‥考えが甘かったようだ。
 最初にクラーラと顔合わせを済ませ、甲龍・夜刀で薙塚 冬馬(ia0398)が先行してくれ、少なくとも馬車を留める場所と厩舎周りの雪かきは終えていた。別荘の入口も大体掘り返されていたが、中の状態は未確認だ。それでまるごともふら着用中のクラーラを雪上に張ったテントに移動させようとしたら、
「クラーラさん、さっそくですか」
「動いたら埋もれますから、落ち着いて」
 せっかく薙塚が踏み固めておいてくれた場所を踏み外し、ここ数日に積もった柔らかい雪の中に埋もれたのだ。なんとか起き上がろうとしているらしいが、じたばたするほど埋もれていく。それを当然のように、ルシール・フルフラット(ib0072)とティア・ユスティース(ib0353)とが宥めつつ、助けの手を伸ばしている。
「二十一なんだろ‥‥?」
『人にはそれぞれ得手不得手があるものさ』
 あきれ返るアーニー・フェイト(ib5822)の呟きに、冷静な指摘を加えたのは猫又・ベールィだ。もっともな指摘ではあるものの、クラーラの鈍さが改善するわけではない。

 ずぼっ

 結局、かなり埋もれた状態から壬護 蒼樹(ib0423)が片腕で吊り上げた。壬護にしたら、大量の食品を用意してくれた上に、追加の買出しも気前よく認めてくれたクラーラを助けるのは大事なことだ。なにしろ、途中で食料が足りなくなったら追加買出ししても良いと言われている。
 もちろん、彼の際限ない食欲を見たら前言を翻すかもしれないが、それがなくとも壬護は真面目に働くのに否やはない。
「ささ、テントの中に入っていてください。すぐに中も掃除しますからね」
「思っていたより小さくて、掃除も短時間で済みそう‥‥蒸し風呂はどこかしら?」
「川の近くだって言ってたから、あの方向じゃない?」
 アーニーが持参してくれたテントにクラーラと寒いと愚痴っぽい猫又・ミハイルを入れたアーニャ・ベルマン(ia5465)は、当然のように後に続いたベールィにも寒かったら知らせるようにと言い含めている。中にはちゃんと火鉢も入れて、外に比べたら別世界だ。
 そんな別世界には目もくれず、忍犬・桃は、別荘の大きさに遠慮なく感想を述べたサーシャ(ia9980)の探し物、蒸し風呂小屋を見つけるためか走り回っている。なぜって、桃の飼い主の御陰 桜(ib0271)も風呂の有無は気に掛けていたからだ。
 別に二人とも、自分達が満喫しようと思っているわけではない。素描に集中すると、一人の時は倒れるまで続けることもあるクラーラが疲れを癒したり、座り詰めで緊張した筋肉をほぐすのに有益だから活用したいのだ。そのために、薪も大量に買い増ししたし。
「それじゃ、さっそく中の掃除に取り掛かりますね」
 ここまでの道中、どういう絵を描くのかと話を聞いていた乃木亜(ia1245)が速やかに仕事に移れるようにと、薪の束を片手に別荘の中に入ろうとした。鍵はルシールが預かっているので、開けてもらえば良い。
「窓の近くに雪があると寒いから、そこは除けますかね」
 もう一人の男性の壬護は、屋根に上がるには重量があるので、建物周りの雪かきに専念する予定だが。
「作業前に、暖まった方がよくはないか?」
 来る道中の火鉢で沸かした湯があるからと、からす(ia6525)が自分の荷物からお茶の葉を取り出して提案した。自分の土偶ゴーレム・地衝には、その間の雪かきを命じている。
「生姜の蜂蜜漬けも持って来てあるぜ。甘いのが欲しければ使ってくれ」
 流石に先行しての作業は寒かったのだろう、薙塚が自分の荷物を探り出した。こちらも飲み物に興味がない夜刀は、ルシールが連れてきた同族のシャルルマーニュとティアのフォルトと競うようにして、周辺の雪を踏み固めている。
 乃木亜のミヅチ・藍玉と、壬護のミヅチ・水蓮は、移動中から互いの様子を伺っていたが、人間達のお茶の時間に混ざるよりは、雪の上で転がることを選んだようだ。こちらは厩舎の馬の様子がおかしかったら知らせるようにと、一応見張りを仰せつかっている。
 テントの中では、クラーラと一緒にベールィとミハイルが火鉢を囲んでいた。

 さて、雪かきである。
 いかにクラーラが別荘の雪景色を描く依頼を受けているとはいえ、別荘が雪に埋もれたままでは話にならない。避暑用だけあって開けたテラスなども雪の下だから、その辺りの雪は全体に取り除ける必要があった。
 なお、雪景色用に一部は雪を残しておかなきゃと気を使った開拓者は多数いたのだが、クラーラは空を見て、あっさりと。
「明日も雪だから、全部除けとけばいい具合に積もるかも〜」
 と、のたまった。
 それでまずは屋根の上から雪を落とすことになったが、これはサーシャが請け負った。平屋でアーマー・ミタール・プラーチィなら屋根に手が届くので、そっと落としていっても人力よりは早い。全部綺麗に払うとは行かないが、煙突周りはアーニーと薙塚が丁寧にやってくれるので心配ない。
「後で蒸し風呂小屋も掘り返して‥‥今夜から使えるといいんですけど」
 もちろんサーシャは騎士らしく厩舎の除雪なども忘れてはいないが、何事にも楽しみは必要だ。たくさん薪を持ってきた甲斐もあるというものである。
 サーシャがそんなことを楽しみにしているとは知らず、屋根の上ではアーニーが煙突の中を覗いていた。現在、体に縄を結わえた薙塚が、中の煤を払い落としているところである。
「下まで着いたら、そのまま玄関に回ったほうが楽なんじゃ?」
 室内に煤が落ちるよりはと、するすると薙塚が登ってきたが、確かに体中煤で黒っぽい。アーニーにしたら、より小柄で細い自分が入った方が絶対早いと思うのだが、薙塚が譲らないのでロープの見張り番である。
「後は風呂の煙突だな。あ、厩舎の火鉢見てきてくれるか」
 煙突掃除の要領を得た薙塚は、元気に台所と居間を終え、蒸し風呂小屋の煙突に取り掛かるつもりだ。夜刀は屋根から落とされた雪を集めて、シャルルマーニュとフォルトと踏み固めるのに余念がなく、その脇では地衝がせっせと運ばれてきた雪を龍達の足元にまいていた。おかげで厩舎も蒸し風呂小屋も、行き来がしやすくなっている。
 ちなみに、屋根の上から落とされた雪を建物から遠のけているのは壬護で、運んでいるのは桜と桃。借りてきたそり二つに、まずは壬護が雪を載せ、それを桜と桃がそれぞれに引っ張っていく。
「別荘なんて優雅なものだと思いましたけど、維持するのは大変そうですねぇ」
 そういう人手にも困らないようなお金持ちなんて想像もつかないと、サーシャが落とした雪をそりに移している壬護は言うのだが、桜はあっけらかんとしている。
「そんなの気にしない! そんな人のおかげで、報酬貰いつつ、豪華ご飯つき、遊べて、お風呂も入れる依頼が出るのよ。満喫しなきゃ」
 温泉だったらもっとよかったけどと、天儀人らしい一言も添えて、桜は蒸し風呂を満喫するために働いている。桃は単に雪の上を走るのが楽しいようだ。
 壬護は壬護で、『豪華ご飯』の響きにちょっとうっとりしつつ、早く雪かきを済ませて、中で料理の下拵えでもしたいものだと動きを早くした。彼は作るのも好きだが、食べるのはもっと好きだ。
 どちらも期待に胸膨らませて、せっせと働いているのだが、その頃。
『あ〜、湯たんぽはあったけぇな』
 猫又ミハイルとベールィは、水蓮、藍玉のミヅチ組の困った視線などものともせず、テントの中で湯たんぽの上に伸びていた。クラーラは二頭の間で自分用の湯たんぽを抱えている。

 家の中は、皆が思っていたほど散らかっても、埃っぽくなってもいなかった。家財には覆い布が掛けられていたし、台所用品も箱に詰めてあったから、ごしごし磨く必要はない。
「さてさて、早くしないとクラーラさんも寒いでしょうが、うちのミハイルさんが怒鳴り込んでくるかもしれません」
 窓を開けて空気を入れ替え、あわせて室内をせっせと掃除して、煙突掃除終了と共に暖炉に火を入れると、見た目は大分いい感じ。でもアーニャが心配するとおり、火を付けてすぐに暖かくなるわけでもない。火勢が弱いと、煙突の上から風が吹き込んできたりするから、アーニャはせっせと薪を放り込んでいた。寝室には暖炉がない建物なので、持参してきた寝具をルシールとティアが担ぎ込んで、居間の暖炉で暖めるべく積んでいく。
「台所にも火を入れるが、食事も作り始めていいかな?」
「お願いします〜。私は壁に毛布を張って来ますから」
 こちらは食料を運んできたからすが、居間の三人に声を掛けた。応えたのはティアだが、ルシールもたくさんの毛布をタペストリー代わりに居間の壁に張るべく悪戦苦闘中だ。避暑用でも壁は立派な石造りだが、その冷え切った石から漂う冷気を遮断するものがあるとないでは、室内温度も大違い。これを経験で承知している二人は、ものすごく真剣だ。
 この間に、乃木亜は使用人用の部屋や物置などを確かめて、今回使わない部屋には鍵をかけて回っていた。うっかりクラーラが入り込んでも大変なことが起きそうだが、彼女は藍玉か何か仕出かさないようにと考えているのかもしれない。
「クラーラさんは寒さに弱いようですから、廊下も暖めておいた方が安心ですかねぇ?」
 まだ暖気が回らないので、外よりちょっとまし程度の温度の廊下ははっきり言って寒い。乃木亜も上着のままだから、クラーラが無用心にふらふらで歩くようなら何か考えなくてはと思ったわけだ。
「やはり足元が冷えますよねぇ。どうしようかしら」
 居間に毛布を張り巡らせたか、ルシールも廊下の温度に眉を寄せたが、それより先にクラーラを屋内に入れるのが肝要だと迎えに出て、
『ふーっ、寒かった』
『サングラスが曇っちまったぜ』
 人間より先に猫又が駆け込んできた。そのまま暖炉の前に長々と寝そべっている。
「描かなきゃ、今のうちに描かなきゃ」
 肝心のクラーラは、作業を眺めているうちに創作意欲が刺激されたのか、『描かなきゃ』と繰り返していたのだが‥‥十メートルかそこらを歩いてくるだけで雪塗れだ。どれだけ転んだのやらという感じ。
 それを驚くこともなく、ルシールとティアがまるごとを脱がせて、室内用の上着を兼ねた上っ張りを着せかけ、画材も揃えてやっているのを、アーニャもからすも乃木亜もしばし注視してしまったが。
「創作意欲のために、他の全てを磨耗したような者かもしれないな」
 からすの評価はかなり好意的だが、がりがり素描を描き始める姿はそれも納得という姿だった。ただ、描いているのは別荘の光景ではなくて、なぜかミヅチと土偶の姿で、変わっていると思ったのだが、変わっているのはこればかりではなく。
「それ、描く」
 食事時には、からすや乃木亜に壬護が加わって人数の倍量くらい並べられた料理を前に、クラーラは匙の変わりに絵筆を取っていた。料理の皿を三つばかり独占して、しばし書き続けている。
「へぇ、建物の絵もいーけど、この野菜の切り方の細かさなんか、絵なのに美味しそうだねぇ」
 さっさとあるものを食べて満足したアーニーが、やっぱり好きな人間が描く絵はすごいもんだと感心していたが、これには賛同いたしかねる気分の者もいたかもしれない。
 更にその後も依頼人のくせに、寝室の寝台は二台だから年長者が床と言い出した。見た感じ、年長者にはクラーラも入っている。
 仕事に差し障るから依頼人は寝台でとか、人が横にいると寝られないとか、皆であれこれ色々理由をつけても納得しなかったが、
「我らも仕事中ゆえ、気遣いは無用だ」
 からすがきっぱりと『仕事』の一言で押し切った。
 壬護と薙塚は薪の節約もあって、居間より狭くて暖まり易い台所で寝る事にしていたが、適当につまみ食いしたり、肴を作って一杯引っ掛けたりと、結構楽しんでいたりする。

 翌日は、交代でクラーラを見る以外はおおむね自由行動だ。中にはこれが目当ての者もいるから、別荘から少し離れた雪原は新雪がものすごい勢いで踏み散らかされていた。
 もちろん、そういうのを横目に。
「あたしは一眠りするからさ。ベールィ、夕方までよろしく」
 相棒の猫又のじと目にも負けず、寝室と火鉢を独り占めで安眠を貪るアーニーもいるのだが、当人は大変幸せだ。ベールィが『もうちょっと人に交わればいいのに』と思っていたって、寝るなとまでは言えない。
 また、猫又仲間のミハイルは、皆が交代でクラーラについているのをいいことに、台所の暖炉の傍らに座を占めてぬくぬくと過ごしている。
 ミハイルの相棒であるところのアーニャは、庭で雪像を作って遊んでいる。龍やもふらを作っているらしいが、絵を描くのが趣味の割にはあまりうまくいかない。すぐ近くで、自分の背丈の三倍くらいの雪山を相手に、地道にあちこち削って寝ている龍らしい姿が出来てきたからすのようにはうまくいかない。
「おかしいですねぇ。何がいけないんでしょう?」
 違いは、アーニャはせっせと自分で削り、ちょっと離れて形を確かめ、また削っているのに対して、からすは自分が届かないところは、遠くから地衝に指示を出して削らせているところだ。ある程度大きなものになると、かなり離れたところから全体像を見て形作らないと難しいと、そのうちアーニャも気付くだろう。
「流石に仕上げは自分でやらねば気が済まないな‥‥」
 からすはからすで、地衝が作ってくれた雪山が大きすぎて困っていたのだが、ようやく自分だけで作業出来そうだと満足気に頷いている。地衝はそのまま雪かき続行で休憩はなし。
 雪かきとはまったく別に、でも雪を掻き分け散らしているのは、サーシャや薙塚、桜達だ。
「夜刀、袋を開けるのがうまくなっても誉めにくいぞ」
「桃は鞠だけよ。ご飯は朝食べたじゃないの」
 薙塚と桜は、それぞれの相棒夜刀と桃を相手に、餌が入った麻袋や鞠を遠投して拾ってこさせたりしている。忍犬の桃が鞠を追う姿は見た目可愛らしいが、動きの機敏さはそこらの飼い犬とはやはり違う。駿龍の夜刀が走り回る姿は、迫力そのものだ。
 でも、迫力一杯に薙塚が全力で振り回して勢いよく投げたはずの袋に追いついた後は、前足で器用に袋を開けて中の餌を食べてから戻ってくる。あと二、三回使ったら、麻袋は穴が広がって使い物にならないだろう。桃が匂いが気になるようだが、桜に後でと念押しされて、鞠と戯れることにしたようだ。
 その時には、桜の興味が雪だるま作りに移行していたりと、忍犬も忙しい。
 雪で何か作ったりするのは、他にも楽しんでいるものがいて、壬護は雪の上に模様を描いていた。こちらで指示を出すのは、ミヅチの水蓮。意思疎通がちゃんと出来ているのかは謎だが、ただ今は何か綺麗な模様が描けた様で喜び合っている。
「そうだ、水蓮も作ってあげますよ」
 まずは雪を積んで雪柱を作り、それを削ると綺麗な形が作れるようだと回りの様子から学んだ壬護の肩辺りで、水蓮はご機嫌だ。
 ところが、その鳴き声が悲鳴のようなものになったと思ったら、

 どしゃっ、ざざっ、どうっ

 派手な音を立てて、壬護のすぐ近くに大きなものが転げてきた。一番下にサーシャのアーマー、一番上にシャルルマーニュ、真ん中にフォルトの三体だ。無風でかまくらの風除けもいらず、素描も描いてもらった龍達が、アーマーで一人訓練に明け暮れていた‥‥というか、何か楽しそうに踊っていたようにも見えるミタール・プラーチィに寄って行って、三体で模擬戦をやっていたら、足を取られて転んだものらしい。
「サーシャさん、無事ですか?シャルルマーニュったら、走るならもっと遠くでって言ったのに」
 台所から、皆に茶が入ったと休憩を促しに来たルシールが蒼い顔ですっ飛んできたものだから、シャルルマーニュも心持ち小さくなっている。とはいえ、三体で追いかけあったりしているうちに移動してきてしまったのであって、最初はちゃんと遠くにいたんだけど‥‥と訴えていそうな顔付きである。
「クラーラさんが集中しているからいいようなものの‥‥」
 フォルトはティアがいないのを見て取り、そそくさと怒られない程度に離れていった。実はかまくらの中でティアがこめかみを押さえているのは、見えなかったようだ。クラーラがその騒ぎに全然気付かずなにやら描いているので、かまくらに異常がないのか確認するのが優先である。龍達がぎゅうぎゅうに踏んだ雪をくりぬいたかまくらは、今くらいの振動ではひび一つ入っていなかったが。
「いやはや失敗しました。二体も真正面から受けるのは無理がありましたね」
 一番心配されたサーシャも、怪我一つなくアーマーから出てきた。笑顔も変わりないが、心中では『体の大きさが近くなると、龍も案外可愛かった』と思っていたりする。これが仔龍だったら素晴らしく可愛いかもと、うっかり思いついて反応が遅れたなんて、恥ずかしいので言わないが。
 これは結構大きな音がしたので、屋内にも聞こえたけれど。
「藍玉‥‥静かにって言ったのに」
 ちょうどお茶の用意をアーニーにも知らせに行っていた乃木亜が、念のため廊下にも置いていた火鉢の横の炭箱を派手に転がしてより大きな音を出した藍玉に、泡を食っている。こんな音がすれば開拓者なら起きて当然というもので、よく寝ていたら後でよかったのにとか乃木亜は穴があったら入りたい気分だ。
 休憩にして、屋内に戻ってきた一同と寝室で寝ていたところを起こされたアーニーが見たのは、廊下でせっせと炭を集めている乃木亜と、手伝っているのか散らかしているのか分からない藍玉の姿だった。
 クラーラは、炭の粉で藍玉の顔にいたずら書きをしている。

 そんなこんながあっても、女性陣の誰かが一緒にいて様子を見ていても、クラーラは特に気にせず素描を書き散らしていた。途中でミハイルとベールィに桃も呼んで足型を押させたり、藍玉を乃木亜から引っぺがして転がしたり、水蓮を抱えて大きさを計るような仕草をしたり、地衝に寝転がってくれと頼んだりしていたが、まあ平和。体内を覗かれた地衝は臆せず、ミヅチ組は『二度と近寄らない』決意を露わにしていたものの、何かに夢中になっているだけのようだ。
 これを『倒れずに仕事をしているからよい』とみなすかどうかは人それぞれだし、食事のたびに何かしら『描く』と言ってしばし独占するのは出来たてを食べて欲しい作り手には悩みどころだろうが、まあすべては。
「芸術家には変人が多いと聞きますが、クラーラさんは群を抜いてますね」
 アーニャの感想が共感を呼んでいる。そういうアーニャも、雪像作りのかたわら、せっせと絵を描いていたのだが。多分自分だけは例外と考えているのだろう。
 何はともあれ、毎日夕方に蒸し風呂に入れて、桜やサーシャが体を擦ってやり、暖かい室内で熟睡していると作業ははかどるものらしく、持参した大量の紙の表も裏も全部描きまくって、クラーラは仕事の期間を無事に終えたのだった。
 帰宅時、家まで送り届けられた彼女に近所の人達が『いつもより顔色がいいじゃない』なんて言ったものだから、ルシールとティアがあからさまにがっくりとしていた。
 また家では駄目駄目な生活に戻るんだろうなとは、思っても言ってはいけないことである。