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■オープニング本文 「羊の毛刈り? あ〜、そんな季節になりましたか」 「そうなのよ、あんまり暑くならないうちに刈らないと、羊も夏バテするじゃない。なのに、うちの亭主どもったら、もう」 本日のご依頼は、牧場からの羊の毛刈りの手伝い。 普段は牧場主や牧童、その家族が総出で忙しく、しかしてきぱきと毛刈りを行うのだが、昨日から牧場主と牧童の半数余りが食あたりで寝込んでしまった。皆で酒盛りをして、その時に何か悪いものを口にしたらしい。 この食あたりがなかなか強烈で、あと数日は寝床から離れられそうにもない。 しかし、毛刈りの時期を遅らせると羊の健康に関わる。なんとか予定通りに毛刈りは行いたい。 近くの牧場の人達に助けてもらえればありがたいが、どこだって毛刈りの時期は同じ。そうそう他所を手伝っている余裕はない。 よって、背に腹は代えられないと、開拓者ギルドに依頼となったのだ。 「開拓者さんを雇うとお高いとは思ったけど、体力があるって聞くから、うちの問題児もこの際なんとかしてもらおうと思って」 「問題児?」 「そう、七年物と五年物と四年物」 羊の毛刈りは、ただ毛を刈るだけの作業ではない。 まず羊は前日から絶食。食事をさせると、毛刈りの最中に苦しくなってしまうからだ。当日は体調を崩しているものがいないか、注意を払いながら行動する。 毛刈り直前には、毛を刈らない子羊を母羊と分けて、専用の囲いに移動もさせなくてはいけない。 更に、作業場所に羊を入れたり出したり。毛刈りをする人の近くには、常に羊が一匹だけの状態にしないと、事故の元になる。 当然、毛刈りは手早く、正確に、もちろん羊に怪我はさせない。ちんたらやっていると羊も暴れるから、しっかり押さえて速やかに作業することが求められる。 上手な毛刈りが行われると、羊毛は一枚の毛布のように切り落とされる。これを拾って、さっと丸めて、集積所に運べるようにする人も必要だ。 全体を通して、羊に汚れがついていたら、その場で摘まんで取らなくてはいけない。羊毛が汚れていると、後の加工で余計な手間が掛かるから、面倒でもこれは大切な仕事だ。 そうして、ようやく脱脂や加工に至るのだが、毛刈りの当日はとにかく作業を速やかに終わらせることが何より大事である。 こうした作業のうち、どれでも自分に向いたものを手伝ってほしいというのが、依頼主の大雑把な指示だった。いずれも必要に応じて牧童やその家族が指導してくれるので、自分に向いていそうな作業を選んでくれとのこと。 それと。 この牧場には、毛刈りから逃げ続ける羊が三頭いる。 最長が七年越し、次点が五年、最後が四年も毛が生えるままの状態で、時期になると牧場内を駆けまわって追跡を逃れてきたのだ。いずれも体の大きな雄で、牧童が突き飛ばされて骨折したこともある暴れん坊達である。 もう羊には見えず、どこからどう見ても、ただひたすらに怪しい生き物。知らない人がアヤカシだと見間違えそうな、汚れた毛の塊と化している。 出来れば、この三頭を捕まえて、毛刈りまで持ち込んでほしいというのも、依頼の一つだった。 |
■参加者一覧 / クロウ・カルガギラ(ib6817) / アリエル・プレスコット(ib9825) |
■リプレイ本文 どう見ても羊には見えない、奇妙な物体が三つ。 牧草地で、好き放題に跳ね回っている。 あれが羊だとは、未だにアリエル・プレスコット(ib9825)には信じられない。 「‥‥毛玉三巨頭」 アル=カマルに比べたら段違いに緑が濃い牧草地の光景に目を楽しませる余裕もなく、半日余りも羊の毛刈り作業に追われた彼女には、三つの毛玉がだんだんアヤカシに見えてきた。 子羊は、可愛かった。 毛刈りした大人の羊達も、たまに暴れん坊がいても、ほとんどは素直だった。 それなのに、あの三頭だけは違う。 「アルムリープが効かないなんてこと、ありませんよね」 やっぱり未知のアヤカシに見えると、口の中でだけ呟いたアリエルの背後から、妙に弾んだ声がする。 「おーい、馬を借りてきた。こいつは素直で、乗りやすいいい若駒だぞ」 声の主はクロウ・カルガギラ(ib6817)。アリエルと同じくアル=カマルの生まれで、部族は遊牧を営んでいるという青年だ。 当然のごとく、彼は牧場の人々とあっという間に打ち解けた。 大人しいのが裏目に出て、人と馴染むのに時間が掛かるアリエルにも、同郷の気安さでなにくれと気配りしてくれたのだが‥‥ 「お化け羊どもめ、今日は丸裸にしてやるからな」 毛玉達に、奇妙な敵愾心を燃やしている。 実はクロウ、以前にこの牧場の近くを通りかかった際、あの毛玉達とは因縁が出来ていた。それがたまたま暴走した羊の群れに巻き込まれ、上手く治めるはずが毛玉のいずれかに蹴り飛ばされて失敗したという、遊牧民の誇りに関わる過去なのだ。 もちろん、クロウはそんなことは口が裂けても言いはしない。だからアリエルには、不思議なくらいの仕事熱心としか見えなかった。 なにはともあれ、あの三頭をクロウ言う通りの丸裸に仕上げられれば、本日の依頼は完了である。 終われば、パンに炙って溶かしたチーズをのせただけのお昼ご飯を忘れて、美味しい焼き肉やソーセージやあれやこれを楽しめるだろう。 本当に、今日は労働量に比して、美味しいご飯が足りていない。チーズはあんなに美味しかったのだから、ここはぜひともゆったりした気分で満喫したい。 「シシュケバヴの作り方は、きっちり説明してきたからな。向こうみたいな大きいのは無理でも、味には期待して頑張ろうぜ」 ついでにクロウは香辛料持ち込みで、羊肉でシシュケバヴを作ってくれるよう牧場主側に頼んでおり、今頃はおかみさん達がせっせと料理に勤しんでいるだろう。 「それは、楽しみです」 「あんな長い毛じゃ、あいつらも重くて大変だろうしな」 開拓者二人のやる気は十分。人数が少なくても、毛玉相手に後れを取るつもりはない。 羊達は、前が見えているのかも分からないもこもこした頭を、一応こちらに向けているようだ。 この日の出来事を、夜明け頃からおさらいしてみよう。 羊の毛刈りを行わんとしてやってきた開拓者が二人で、当初は作業がどうなるかと危ぶまれた。しかし、この二人はアル=カマル出身だ。 遊牧民なら、三つ四つの子供でも親から譲られた『自分の羊』を所有し、街でも生きた羊が市場で売買されることも珍しくない儀で育った二人は、羊の大群を見てもまるで平気だった。 「なんだか、大きいような‥‥?」 「うん、向こうのより大きい種類だな。草が多いからだろう」 これだけ牧草地があれば大きくもなるだろうと、二人は感心しきりだ。群れがおとなしいので、これからの作業の困難さに対する不安も、大分軽くなってきた。 そんなところに、奴らは姿を見せたのだ。 「あぁ、あれだわよ。うちの困った奴ら。まぁ、気が強くてねぇ」 牧場主のおかみさんが指した先には、怪しい毛玉が三つ。クロウにとっては、先日来の宿敵である。いや、その時はあの中の一つだけと遭遇したのだが‥‥どれがどれだか。 何はともあれ、他の羊のように囲いに入ってすらいない三頭を、最初に刈ってしまえば話が早かろう。こう二人の間で意見の一致を見たので、馬を借りて追いかけようと準備を始めた途端。 どかんっ!!!! 群れが入っている囲いに向かって、一頭が飛び込んできた。 否。正確には、縄束を手にしたクロウに向かって走り込み、彼が避けたものだから囲いに蹴りを食らわせたのだ。 おかげで、先程まで大人しかった群れが鳴くは動くはの大騒ぎである。 「あいつらはね、捕まえようとすると向かってくるよ」 「‥‥‥‥最後にするしかないな」 「どうしてです?」 「今みたいなことされたら、中の羊が余計に衰弱する」 羊は気が弱い生き物で、何事かあると群れ全体が暴走することもある。昨日から絶食している羊の近くで騒いでは、神経をすり減らして弱ってしまうだろう。思っていた以上に武闘派の毛玉達の性質を見て、クロウは他の羊を労わることを優先する決断をした。 アリエルも今の突撃で、確かに自分達が呼ばれる訳だと納得している。出来れば、体力がある今のうちに相手をしたいが、囲いの中の羊が怖がるのを見るのは不憫でもあった。 ならば、手早く作業を進めて、毛玉達と対決するのが良い方法だと、二人は群れに向き直る。 まずは、この春生まれたばかりの子羊達を、母親から離して専用の囲いに入れることから始まった。 体格はそれほどいかつくなくても背丈があるクロウは、軽々と三、四匹の子羊を抱えあげ、更に片足で一匹を誘導する。背丈だけなら彼の三分の二ほどのアリエルも、両脇に一匹ずつ抱え上げて、トコトコ小走りで行く。抵抗する母羊には可哀想だが、そちらは牧場の子供達が作業小屋の方に追い立てていた。 「よし、毛刈り手伝ってくる」 「あ、はい。後から行きますから」 ある程度のところで、クロウは早々に母羊との戦線から離脱。より人手が必要な毛刈りに向かった。 熟練者がほとんど倒れた今回、力がいる作業なのに毛刈り要員の半数が女性になっている。クロウが一番活躍できるのは、ここだろう。 「おっ、お前達、いい毛並だな。連れて帰ったら、うちの親が喜びそうだ」 大きな鋏を使って、地道にちょきちょき。 羊は負担のかからない姿勢でしっかり押さえればじっとしているので、怪我をさせないように毛を刈るだけ。言うは易いが実行は難しいことを、クロウは慣れた手付きで次々とこなしていく。 「なんだったら、一頭譲ってあげようか?」 「ありがたい話だが、なにしろ気候が違うからなぁ‥‥それに、お高いだろ?」 「なぁに、あんたにならお安くしてあげるよ」 最初だけ、鋏の大きさの違いで少し時間が掛かったが、後は倒れている熟練者にやや遅れる程度の腕前を披露して、更に世間話までこなす。そのうち無口になったが、それは疲れたからではなくて、嫁さん世話してあげる話題に移行したからだ。 この話題では、うっかり相槌などうってはいけない。よく働くと認められるのはありがたいが、本当にお見合いさせられても大変だ。 何はともあれ、一時間に十頭はクロウが一人で毛を刈りとり、牧場の人々も交代しながら作業を進めていく。 途中からは、刈った羊毛をまとめるのは年長の子供達が、運ぶのをアリエルがほとんど一人で担当していたが、とうとう彼女も毛刈りに加わった。やはり普通の女性陣では、羊を押さえるのがなかなか大変だからだ。 「羊さん、大人しくしていてくださいね。怪我したら大変ですから」 自分と大きさだけなら大差なさそうな羊を、さほど苦労した様子もなく押さえこんだアリエルだが、鋏は慎重に使う。羊の毛が身体にあまり残らないように、丁寧に切り取るから少し時間は掛かっていたが、段々と慣れて手早くなった。 もちろん本職やクロウには及ばないが、丁寧さと羊の扱いは十分に合格点。 「あの‥‥小さめの羊さんなら、私でも上手に出来る気がするので」 どんどんと手元に送り込まれてくる羊を相手にしていた彼女だが、途中で遠慮しいしいこう言いだした。力があるので周りも大きさなど気にしなかったし、毛も綺麗に刈られていたが、確かに小柄な羊の方がアリエルだって扱いやすい。 それ以降は、若い羊がアリエルの担当になった。小柄な羊だと鋏を使いやすいので、作業時間も更に短縮だ。 「ちょっと、元気かも?」 最初より、毛を刈られて放された羊の足取りも力があると、時間短縮の効果を見付けたアリエルは俄然やる気を出した。一生懸命働いて、真っ赤になった頬に泥が付いてしまったが、そんなことは気にしない。 そうして、三十か四十の羊から毛を刈り取ったところで、お昼がやってきた。まだ羊は残っているが、休みなしの働き詰めで、流石に何か食べないと開拓者だって倒れてしまいそうだ。 忙しすぎて、今はこれだけだと出されたのは、パンに炙ってとろけたチーズをのせたのと、甘さしか味が分からない何かのお茶。 「あー、甘いのが美味い。このチーズも絶品だな」 「甘いのと、しょっぱいの‥‥食欲を刺激する取り合わせです」 二人とも、もっと食べたいと思う空腹と美味しさだが、まだ仕事はある。特に重要な仕事が残っているから、腹八分目どころか半分くらいでやめておいた。 ものすごく辛いが、お楽しみは仕事が終わったら。羊ではないが、毛刈りの仕事前にたくさん食べるのは、体に悪い。元気が出るように、お茶はおかわりする。 「あの、このチーズと、あとソーセージや色々とお土産にしたいのですが」 半日一緒で、すっかり牧場の人達にも慣れたアリエルが、後で売ってほしいと頼んだ。実際に食べてみると、これは買いだとクロウも思う。多少お高くても、自分も買っていこうかと考えていたら。 「駄目」 「えっ、予約でいっぱいですか?」 「いやいや、こんなに働いてもらったんだから、うちからのお土産で持って帰ってもらわなきゃ。だから、売るのは駄目だよ」 「俺達も仕事出来たから、そう言う気遣いは」 「お黙んなさい。若者は年上の女の言うことは聞くもんだよ?」 やり込められたクロウの隣で、アリエルは『自分も?』と首を傾げている。 何はともあれ、もうひと踏ん張りである。 それから、二時間後。 どう見ても、羊に見えない毛玉が、牧草地に三つ。 毛刈りが終わってさっぱりした羊達は、残念ながらまだ囲いの中だ。子羊は母羊と一緒になって、すっかりと落ち着いている。 そして、借りた馬に乗ったクロウは、毛玉の一つに目を据えていた。 「あの時のお化け羊はお前‥‥だったかな?」 自分を蹴り飛ばしてくれた敵を捕まえたいクロウだが、毛玉達はいずれも目を疑う外見過ぎて、どれがどうだかさっぱり分からない。なので、一番大きいのを狙うことにした。 大きいとはいえ、クロウにしたら肉弾戦を挑んでも大きさで負けることはない、羊にしては大柄というだけ。半分くらいは伸びすぎの毛だろうから、追突されても大怪我はしないと踏んでいる。 対して、アリエルは一番小さいのが担当だ。こちらはアルムリープで眠らせるつもりで、とにかく追いかけて近付くのが先決と考えていた。 「大丈夫、羊さんだからきっと効く‥‥はず」 寝てくれなかったらどうしようと不安だが、相手は羊。そうやすやすと魔術に対抗しおおせるとは思い難い。自分は上手く追いかけて術の効果範囲まで近付き、きっちり術を掛けるだけだと分かっているが‥‥ 顔の周りの毛ももこもこで前が見えるとは思えないのに、じっとこちらを見ているらしい羊が、ちょっと怖い。が、ためらっていても、終わらない。 早くこの毛玉達を捕まえて、休憩したい。美味しいものも待っている。 だったら、頑張らねば。 なんだか不穏な気配を感じたのか、蹄で地面をがつがつ掘り返している毛玉達に対して、先にクロウが、続いてアニエスが馬を走らせていった。 勝負がついたのは、僅か五分後である。 馬の速度に自らの馬術を合わせて、あっという間に目標の毛玉に追いついたクロウは、その体に手を伸ばしながら馬から飛び降りた。予定では、そのまま毛玉を抱え込み、手にした縄で手早く括り上げれば完了。 この計画は、抱え込むところまで順調にいった。しかし、まさに横槍が入る。 「ぐぅっ‥‥お前ら、なんで協力するんだよ!」 一番大きな毛玉を抱え込んだ彼に、中くらいが体当たりしてきたのだ。同族を救おうとする行動かと思って叫んだが、相手の目付きは妙に不穏。単に喧嘩っ早い、羊にあるまじき性質の持ち主かもしれない。 中型は、抱え込んだ毛玉を放す訳にはいかないクロウが身動きままならないのを知ってか、ずんずん頭突きを繰り返す。抱え込まれた方も、じたばた暴れる。 クロウの危機的な状況に、アリエルももちろん気付いていたが、彼女はまだ目的の羊に追いつけていなかった。狙ったように足場が悪いところを走っていくので、彼女の技量では追い詰められないでいる。 「お土産いただける分、働くんですからっ」 珍しく負けん気を起こし、アリエルは馬の腹を蹴った。馬が速すぎると術を掛ける時の安定が気になるが、そんなことは言っていられない。相手はアヤカシではないから、きっと術の掛かりはいいに決まっている。 先程の不安は忘れて、追いすがったアリエルの術は、もちろん毛玉お化けとはいえ羊相手だからよく効いた。こてんと倒れた毛玉はそのままに、クロウを助けに馬首を巡らせた彼女に気付いて、頭突きしていた毛玉が逃げ出そうとしたので、こちらも抱えていた一頭を手早く括る。 「俺が捕まえるから、術を頼んだ」 「分かりましたー」 ものすごい勢いで、再び馬上の人になったクロウが、こちらもすさまじい勢いで逃げる毛玉を追い立てる。アリエルが追いついた時には、地上でクロウと頭突き毛玉の乱闘が繰り広げられていた。大勢はクロウに有利に見える。 そこにアリエルの術が入れば、当然開拓者の勝ち。 後は馬に一頭ずつ毛玉を乗せ、余った一頭をクロウが担いで、手綱はアリエルが引きながら作業場まで戻る。途中で、毛玉が捕まったのでようやく解き放たれた羊達が、牧草地に散らばっていくのとすれ違った。 「この羊も、このくらいの大きさになるのでしょうか」 「そのはずだけど、倍くらいあっても驚かないな」 ともかく、こいつらを降ろしたら、またあの甘いお茶が飲みたい。ほとんど砂糖湯だが、他の味がなくてもいいと思うくらいに、二人とも疲れていた。 この三頭の毛刈りが終わり、二人が手や顔を洗って小ざっぱりした時には、早い夕食の準備が出来上がっていて。 「俺、食いすぎたかも‥‥」 「お兄ちゃん達、欲張りぃ」 クロウもアリエルも、普段の食事の倍くらい食べてしまった気がしていた。 「こ、ここのお料理が、美味しいから、いけないんです!」 原因は、子供にはやされて真っ赤になったアリエルが、正確に述べている。 だって、よく働いた後の食事が進むのは、どこの儀の出身でも変わらないのだ。 |