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■オープニング本文 ジルベリア帝国の軍が神楽の都に到着したのは、他の国より一週間ほど遅い日だった。 そのまま郊外に陣を敷いた三百人ほどと見られる一行は、天儀とは全く異なる旗印や武器防具、多彩な軍装の人々とで都の住人の目を楽しませていた。いかに開拓者や各国商人達を見慣れているとはいえ、今回の軍はその数が違う。 これだけの人数が訪れれば、周囲と揉め事の一つ二つがあっても不思議はない。しかし幸いにして、今のところはそうした話も聞かなかった。 現在一番の帝国軍関係の話題は、指揮官から末端の兵士達まで、朝になると霜柱を踏んで楽しんでいる姿が見られることだ。 『故郷では、冬に地面を見ることがない。霜柱なんて、初めて見た』 ということらしい。 軍勢としての実力はこんな噂ではよく分からないが、規律はかなりよく守る人達だとジルベリア帝国軍が周辺に認識されて来て数日。 開拓者ギルドに出された依頼は、人探しだった。 「天儀神教会の研究者、ですか?」 「厳密には帝国内の神教会残党が担当だろうな。天儀神教会に関わる仕事で来たわけではない」 「失礼ながら‥‥それなら、どうしてわざわざこの方々は天儀まで?」 「天儀滞在中に神教会から兵士に接触がないかの警戒に、だ」 ジルベリア軍は騎士や兵士の戦闘員以外に、従者や馬丁、料理人に医者、果ては外交官など、結構な人数の本職が戦闘以外の人達も混じっている。その半数以上はいざとなれば戦闘員も兼ねそうだが、明らかな非戦闘員の中に二人の神学者がいた。 神教会の存在を認めない帝国軍内に神学者とは不思議だが、要するに神教会信徒を取り締まるために教義や習慣を研究しているそうだ。麻薬を取り締まる役人が麻薬に詳しいのと同じ、だとか。 つまりは神教会のことに詳しいが、当人達はまったく信仰心などない。単純に調べて、分類して、判別して。それを達成することに情熱が傾いている。 そういう人物だから特に研究が許されているのだが、二人とも何を思ったのか、宿営地から姿を消してしまったのだ。 その直前に、神楽の都にも天儀神教会の施設があるとか、信者が住んでいる区画があるようだなどと話していたので、格好の研究対象の観察だとそちらに向かった可能性がある。帝国では神教会信徒の取り締まりに長年従事していた二人だから、うっかり信者に接触したら揉め事は必至。 いかに帝国軍とて、神楽の都で天儀神教会に害意を向けるつもりは毛頭ない。揉め事にならないうちに、二人を連れ戻してほしいとの依頼であった。 |
■参加者一覧
菊池 志郎(ia5584)
23歳・男・シ
鈴木 透子(ia5664)
13歳・女・陰
アーシャ・エルダー(ib0054)
20歳・女・騎
アルマ・ムリフェイン(ib3629)
17歳・男・吟 |
■リプレイ本文 依頼人の話を聞くにつれ、鈴木 透子(ia5664)は好奇心が頭をもげてくるのが抑えられなかった。あまり顔に出ては相手が気を悪くするかもと、慌てて俯いたほどだ。 透子が表情を取り繕っている間にも、行方不明になった二人の似顔絵を描いてもらっているアーシャ・エルダー(ib0054)が、心底弱り果てた調子で『困った』を繰り返していた。 「天儀ですから、ごたごたは起こしたくありませんよねぇ」 「戦の前です。特に揉め事はご法度でしょう」 こちらはたいそう物憂い表情で、菊池 志郎(ia5584)が渡された地図を睨んでいる。簡単な記号で、宿営地周辺の商店などが記されているだけものだ。そんな出来だからちゃんとした地図ではなく、縮尺は適当。 それでも帝国軍の人々が良く出歩く範囲と、立ち寄る店などは確認されている。普段使うのは軍紀監視の担当兵で、もめ事を起こしていないかなどの見回り用だ。 「そんなに遠いところには、皆さん、行かないのかな。これなら歩いて回っても、それほど時間は掛からなさそうだ」 縮尺がいい加減でも、目印になる建物はちゃんと描かれていたので、ここまで来る道すがらの記憶を呼び起こしつつ、アルマ・ムリフェイン(ib3629)が頭の中で距離を測っている。それによれば、帝国軍の人々の行動範囲は思っていたより狭いから、四人でも十分手分けして探しに行けそうだとアルマが胸を撫で下ろしたのもつかの間。 「そんなにどこまでも歩いていく方なんですか? もしかして、志体持ちの方だとか?」 捜索対象の一人、チムールが学者と呼ばれる立場にふさわしからぬ健脚の持ち主であることが判明した。挙句に酒場巡りが好きで、時間があれば今まで行ったことがない店を探してどんどん遠くに向かう。 そんなチムールの姿を見た者がいないから、地図の範囲にいない可能性は高い。高いと言うより、ほぼ間違いないと見ての依頼だった。 もう一人のタイーシャは、そぞろ歩く時にはとにかく進まない。あっちに寄り、こっちで買い食いをし、店があれば入って行く。これは食べ物の店に限らず、目につけば片端からの勢いだとか。 「この上着で、そんな人なら、行った先でも目立ちますね。それなのに帰ってこないなんて‥‥あんまり美味しいものを見付けて離れがたいとか、料理談義に夢中とか、道具作りに見入っているとか」 「食べる専門で、調理器具は気にしない人ですね」 とにかく食道楽に特化した人らしいと、アーシャは親近感を覚えた。他の三人はどう思ったか不明ながら、四人と帝国軍側の予想は大体重なっている。 チムールは相当遠くに、タイーシャは多分近くに。そうでなければ、二人とも天儀神教会関連の場所のどこかに、だ。 「手分けしましょう。一番近い教会には一度寄ってみるとして‥‥案外距離がありそうですね」 「僕が寄ってみるよ。酒場も僕らの方が良さそうだよね」 菊池が捜索の手を二つに分けようと言い出し、宿営地から大分離れた天儀神教会の教会がある辺りには、アルマが行くと手を挙げた。近い地域から目撃情報が多そうなタイーシャを探しに出るのは、アーシャと透子の担当である。 タイーシャの服装は、天儀なら辛子色と呼ばれる黄色の毛織マントでほとんど全身をすっぽり覆っているものだ。鮮やかな色で、訪ねられた店や屋台でも人目に立っているはず。 この透子とアーシャの予想は正しかった。と言うより、目立って当たり前。 「そうです、その辛子色のマントに熊の刺繍の女性。今日はこちらに寄りました?」 「今日は見ないね。顔を出したら、宿に戻れって言えばいいのかい?」 「ええ、ぜひお願いします。あと、これ二つ包んでください」 背中に大きな熊二頭が向かい合う刺繍のマントを着ているのが、異国人とはいえ人好きのする顔立ちの女性。あまりの印象落差に、行く先々で皆がタイーシャを『知っている』と答える。 最初に捜すのは、宿営地に近い大通り。そう決めたのは、教会に近い場所ではくつろいで飲食を楽しめまいとの透子の意見と、飲食できる店以外に青果や魚介を商う店もあるところを喜ぶだろうとのアーシャの読みを合わせた結果だ。これは、思った以上に的を射ていたらしい。 立ち寄ったすべての店で『ああ、あの人』とあっさり通じたので、透子もアーシャも思わず苦笑してしまった。でもアーシャは、美味しそうなものを買うのも忘れない。 「でも今日は見ていない、と。熊の大きな刺繍なんて珍しいもの、後姿でも間違えないから本当に出歩いていないようですね」 大きな通りの一区画分、居並ぶ店を軒並み尋ね歩いて、透子は次の区画との境にある十字路で首を傾げていた。 タイーシャは食べ物に目がないが、神学者と呼ばれる立場なら天儀の精霊信仰にも興味を示すかもしれない。そうしたら、寺社仏閣や社の類も有望な行き先だ。 その辺りも注意して話を聞いてみたが、予想に反してあまり興味を持っていないようだ。菓子屋に並ぶ縁起物の生菓子のいわれなどは、ほぼ馬耳東風だとか。 「そうですねぇ。あ、一つどうぞ。熊の図柄は森での安全祈願だから、少しは興味があるかと思ったのに」 熊に仲間と思わせる呪いか、その強い力を取り込むものかははっきりしないがと、同じ帝国人のよしみでタイーシャの出身なども色々聞いてきたアーシャも、透子に菓子を勧めながら、次の行く先を思い悩んでいる。捜索場所が絞られるとはいえ、居並ぶ店全部と数の限られる寺社仏閣なら、後者の方が探しやすかったからだ。 つまりは引き続きしらみつぶし、よって買い食いも同じく。アーシャがそう気を引き締めつつ財布の紐は緩める心積もりをしていたら、透子がきらきらした目で自分を見ているのに気が付いた。 「森での安全祈願に熊の刺繍って、どういうことですか?」 詳しいことは、それこそタイーシャに訊いてくれ。そう言ってしまえば楽なのだが、それでは透子が納得しそうにない。なにしろ、あまり感情の起伏が表に出ない透子が、目をきらきら。 何も言わなかったら、かえって足が鈍りそう。ここは分かる範囲で説明しつつ、あちらの美味しそうな匂いが溢れるパン屋を目指そうと、アーシャは一瞬に様々な判断を下した。 この時、どちらもあまり店内に注意を払わずに小さな店に入った。神楽の都でパン屋は珍しい部類だとは、うっかりと気付かなかったのである。 「あのぅ、すみません。実は、人を探していまして」 「わぁ、ここはまた本格的なジェレゾ風のパンですね」 そして、店に入ってからアーシャは露骨に、透子もまあそこそこ分かる範囲で、ぎょっとした顔付きになった。ただし、店内の女性店員達ほどではないが。 「う、うちはパン屋なので、人探しなら、お、おおお役人とかかかっ」 店員が揃ってジルベリア風の服装、挙句に店内に天儀神教会の紋が掲げてある。つまり天儀神教会の信者達が経営している店だろう。向こうもアーシャの姿と、透子の『人探し発言』にあからさまに怪しい反応をしているし。 そういえば、宿営地で焼くパンが日持ちする固パンだから、焼きたての白パンが食べたいと言っていたって聞いたなぁと、アーシャは今更ながら思い出した。ここに来るまで、飲食店全てに出没していたから、もうどこでも立ち寄っているはずと調査の優先順位は失念していたし。 透子も、自分の言葉にまともに返事が出来ないところなど、単にアーシャが帝国人だと気付いたせいではあるまいと、嫌でも理解した。 よって、二人は目くばせするまでもなく、同時に悟っていた。タイーシャが昨日ここに来て、何かしでかしたに違いない、と。もしかすると、そのままどこかに監禁されている可能性だってある。 もしもそんなことになっていたら‥‥二人はどうするのか、既に決めていた。 徒歩で行けない距離ではないが、帝国軍が気前よく馬を貸してくれたので、菊池とアルマは見込みより随分と早く教会の前に辿り着いていた。正確には、そこに至る前に二人は少し距離を取っている。もしも揉め事になったら割って入れるが、素知らぬふりをしていれば他人に見えるくらいの距離だ。 菊池は教会に背を向ける位置で、知人に頼まれての人探しだがと話を持ち出した。二人の特徴をあげ、この辺りには他の儀の人が多いと聞いたので立ち寄っていないかと、ごく普通の口調で尋ねてみる。先方は帝国軍との関連をすぐに疑ったのだろう、愛想のない顔で知らないと言って寄越した。 「外泊許可をちゃんと取らずに出てしまって、知人も上司に怒られないうちに連れ戻したいと言ってまして‥‥この辺で、泊まれるところはありますか?」 女性のタイーシャはともかく、チムールは相談次第で給仕の女性が連れ出せるような酒場でも平気で入っていくだろう。そのまま店の女性と何事かあって、帰りそびれているのなら‥‥軍紀的には問題があっても、天儀神教会や神楽の都の一般市民と問題を起こすよりはましだ。 要するに歓楽街の方向を尋ねる質問に、そういうのはもう少し離れた通りと返答をもらえた菊池は、教会の入り口を振り返った。途端に目に入ったのは、アルマが教会の扉から突き飛ばされて出てきたところだ。しかも口角泡を飛ばすどころか興奮しすぎで倒れそうな老婦人に、ほうきで叩かれている。 「あいたたた。あのですから、皆さんに危害を加えるつもりはなくて」 「ちょっと、どうしたんですか。教会の前で乱暴ごとは、あんまりですよ」 教会から出てきた人達も老婦人を制止しているが、噛みつかれたりして散々な目に遭っている。とにかく見えないところに移動してくれと口々に言われて、アルマはいささか未練があるようだが、菊池に宥められた体で裏道に入った。 「何事です?」 「例の二人は現れていないようだけど、もし入れ違いに立ち寄っても害意はないって伝えたら‥‥帝国軍と聞いただけで興奮してしまって」 おそらく、あの老婦人には帝国への直接的な恨みがあったのだろう。それでその仲間と思ったアルマをほうきで打ったのは、二人とも口にしなくても分かる。 「色々な人がいるって分かっていたけど、神楽の都なら話が通じるかなと思ったのは」 「二人とも来ていないって、分かっただけで良かったじゃありませんか」 酒場をはじめとする飲食店を重点的に調べてみようと、菊池はアルマに歓楽街の方向を示して歩き出そうとした。足が止まったのは、すぐ目の前で表の店の裏口と思しき扉が開いたからだ。 「怪我は?」 顔を出したのは、先程菊池が話を聞いた男性だ。相変わらず仏頂面だが、アルマに怪我の有無を尋ねてくるあたり、根は善良な人物だろう。単に帝国に対する嫌悪感が強いだけのことだ。 「他の教会からも帝国の軍人が来た話は聞いてない。ただ、向こうのあいまい酒場で、帝国人が盗人と間違われてしばらく捕まってたような話を、昨夜聞いたぞ」 あの老夫人の帝国嫌いは理由があることだが、流石に突然人を殴りつけるのは乱暴だ。しかしそれを帝国軍に悪く言われるのは我慢ならない。そういう訳で、先程菊池に言わなかったことを教えてくれる気になったそうだ。 真っ正直に自分の立場を告げるのは、アルマなりの礼儀だったが、話し掛けた中にそれが通じない人がいたのは不幸だった。おかげで知れた情報もあるから、これが転じて福になればよいのだがと、二人は足早に教えられた方向に向かった。 問題は、 「あいまい酒場ですか」 「そこは知らぬ振りで押し通すのが、今度は間違いないと思うよ」 訪ねる店が、普通に話の出来るところかどうか。あいまいと付けば、酒場の看板を掛けていても中身は娼館と変わらないところも多い。つまり裏社会と繋がっていて、志体持ちの用心棒がいるかもしれないのだ。 とにかく頼まれた人探しですと尋ねてみようと、二人は店を訪れた。今度は菊池が前に立って、アルマは吟遊詩人であることを示すように適当な曲を吹いている。 「こちらのお店に、昨夜こんな方が」 「チムールさんのことじゃない?」 菊池が『お酒が好きな人だから、酒場を巡ってます』と、女性店員達の露出激しい服装から目をそらしながら質問したら、 「呼んできてあげてもいいけど、お友達なら直接行く?」 さあさあと店に引きずり込まれそうになって、二人は相手を転ばせないように気を使いつつ、必死に振り払った。油断したら、間違いなく自分達まで捜索対象になってしまう。 それでも二人がこの店を後にするまで、あと半時間ほど必要だ。 タイーシャが頭に大きなたんこぶ、チムールが左の眼に青痣で帰ってきたので、帝国軍の司令官は怒る気も失せたようだ。 「どうして、そうなった」 「「話せば長いことながら」」 質問に二人が声を揃えたので、タイーシャの口をアーシャが、チムールはアルマが押さえた。この二人にあけすけに事情を語られると、恥ずかしいばかりなのだ。 まず説明は透子。ターシャはいつもの調子で入り込んだ店で神教会信徒と出くわして、壮絶な嫌味を口にした。そのまま口論になって突き飛ばされ、頭を打ってしばらく失神していたそうだ。先方は慌てふためき、帰したら他の信徒に迷惑が掛かると店の倉庫に閉じ込めた。それから透子とアーシャが店に入って異常を察知し、信徒に謝り双方を宥めて連れ出すまで、延々と徹夜で悪口雑言を並べていたから、相手は相当気味も悪かったろう。彼女達が帰る時には、店の床にへたり込んでいた。 次の説明は菊池だが、ものすごく嫌そうだ。 「怪我は出先で泥棒に間違われたからで、すぐに濡れ衣だと分かった後は、素晴らしい『おもてなし』をされて戻るに戻れなかったそうで」 出先がどういうところか言わなくても、この説明でだいたい察してくれたらしい。二人とも今後の外出禁止を言い渡されて肩を落としたが、それで済んでなによりだ。 「でも、どうしてそんなに神教会が嫌いなの?」 「簡単には説明出来ないけど」 「村全体が隠れ信徒で、痩せた土地で毎年餓死者が出るのは神の試練で当然って信じてるのが嫌で棄教した。その教義を研究して、信徒に棄教を促すのが楽しくなったんだろ」 自分は習俗や教育に深く食い込む信仰が、人の精神をどう動かすのか研究していると、チムールがタイーシャの語り始めを制してしまった。周りの人々も『本気で長い』と身振りで伝えてくるので、アルマは先をどう続けたものか迷ったが、透子は勢い込んだ。 「長くても、お聞きしたいです」 菊池も何か言いたげだが、まずはチムールに治療を勧めて、数語の会話の後に先程より渋い表情になった。彼が呆れ果てたのは、あいまい酒場の女性陣に伝言を頼んでくる神経の太さにだ。 そして。 『タイーシャの故郷は、今も住人が移動を制限されつつ存在している』 その事実を耳にしたアーシャとアルマは、話を聞こうかどうしようかと目顔で相談し始めた。 |