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■オープニング本文 志体持ちという存在がある。 これは姿かたちは常人と変わらないが、生まれ持った能力を高めることで常人には叶わない様々な技能を身につけることが出来る者達だ。 この志体持ちの中で、更に開拓者と呼ばれるのは、天儀王朝の命で開かれた開拓者ギルドに所属する者達のこと。多くは開拓者ギルドに持ち込まれる依頼を受け、それをこなすことで報酬を手にして生計を立てている。 開拓者ギルドに持ち込まれる依頼は、世俗のささいな揉め事からその地域の支配階級の秘め事まで様々だが、最も多いのがアヤカシ退治だろう。アヤカシと一括りで呼べば簡単だが、多種多様な人ならぬ化け物相手の戦いは開拓者でなければ容易ではない事も多い。 この開拓者ギルドは、天儀各国と泰国、ジルベリア帝国の首都や主要都市に置かれていて、それぞれの地域で人々からの依頼を受け付けていた。 天儀に比べれば寒冷な地勢で、ようやく春の足音が聞こえてきたかと感じるようになったジルベリア帝国のミエイという農業地域では、ある騒ぎが起きていた。 「でかい石が五つも埋まってた!」 「噂の人食い熊が出た!」 他所の者には、後者がより大事件であるように聞こえるだろうが、ミエイの人々にはどちらも大事件なのだ。 丘陵地域で農業をしているミエイでは、この春に今まで農地になっていなかった丘を一つ、開拓するつもりでいた。早いうちから作業を始め、春巻き小麦や野菜、主要産物の香草などの植え付けが終わったら、そこにも何か植えようと計画していたのだが、作業は予定よりひどく遅れている。 理由は簡単で、この丘はちょっと掘り返すと大小様々な石がごろごろ出てくる。そんな土地ではいい作物が育たないから、作業する人々は必死に石を拾ったが、未だに石がごろごろしているのだ。 すでに農作業は忙しくなっていて、これ以上石拾いに人手を割いてはいられない。開拓場所が人里からかなり離れていて、移動に荷馬車で一時間余りも掛かるのもよくなかった。往復三時間近くも、移動だけに時間を使えないくらい、今は忙しい。 挙げ句に、土の中から大人の男が二人から三人がかりでなければ手も回らない岩が出てきて、これを取り除かないといけない。 ミエイにおける事件の一つ目が、これだ。 もう一つの事件、『噂の人食い熊』とは、前の秋に別の集落で人を襲った熊のことである。実は人を喰っても、殺してもいないが、立て続いて数人を襲ったのは間違いがない。こういう獣は、人を見ると襲い掛かるようになることが多いので、大変危険だ。 この事件の後に行方をくらましていた熊だが、春になって今度はミエイの近くに現われてしまった。 ちなみにこの目撃場所は、問題の丘のすぐ近く。だから余計に開拓を進めることも出来なくなって、ミエイの人々は困っていた。 そうして、ミエイの人々は考えた。 人食い熊は怖い。集落に近付いてこないうちに退治したい。 開拓も進めたい。でも熊が出ると、怖いから行けない。 ついでに自分達は今、滅茶苦茶忙しくて、熊退治も開拓も出来ない。 じゃあ、誰か他の人、それも熊に負けない人達にやってもらおう。 そんなわけで。 「条件を確認します。熊退治には、猟師の経験があるか、そこそこ戦う技術がある開拓者がいい」 「大型の獣用の罠に詳しい人も歓迎だね」 「開拓の方は、力自慢が若干名と、後はとにかく人数が必要と」 「荷馬車や石を切り分ける道具は貸すけれど、ある程度砕いても岩は力がないと掘り上げられないからね。他にもまだ石がごろごろしているから、そちらを拾うのは力がなくても大丈夫だろう」 「更に、開拓者の食事の世話は出来ないから、その分の人手も少し欲しい」 「これも道具を貸すので、料理の心得がある人達が交代でやってくれればいいと思うよ。最低限の人数以外は、開拓地に行ってくれると助かるね」 「念のため。宿泊はどうなりますか?」 「空いている家があるから、そこで寝泊りしてもらうことになる。滞在中の食料と寝具も世話するので、往復路の分は開拓者ギルドでよろしくお願いするよ」 幾つかの条件を詰めた後、開拓者ギルドではミエイの熊退治と開拓の依頼が張り出されることになった。 ●依頼内容 熊退治と開拓地の開墾。及び開拓者の食事等の世話。 ●依頼活動場所分類 1.熊退治 ミエイの集落から離れた森の中。 日常的にミエイの住人が出入りしているので、細いが道はある。(現在は住民立ち入り禁止) 道以外のところも足元に注意すれば歩くのに不自由はない。 ネズミ中心に小動物もいるが、今まで大型肉食獣はいなかった。 そろそろ草木も茂りだしてきたので、やや見通しは悪いが、暗くはない。 2.丘の開拓 熊がいる森の近くにある、なだらかな丘。直径五十メートルくらい。高低差は四メートル程度。 一見すると単なる丘で雑草も生えているが、少し掘ると次々石が出てくる。 岩も五つ埋まっているので、これは石工道具で切り分けてから掘り上げる。 石を捨てる場所は丘から十五メートルのところにあるので、そこにまとめて捨てること。 3.炊き出し 他の開拓者の食事の世話が基本。 昼に集落まで戻ってくるのは無理なので、弁当を持たせるか現地で料理するかは検討する必要がある。 ●支給品 依頼期間中の食料、矢、ロープ、薪といった消耗品。 開拓者ギルドの支給食品は保存性の高い携帯食中心で、そのまま食べられるが味はまあそれなり。酒、甘味なども若干ある。 ミエイからの支給食品は、麦粉(小麦、大麦、ライ麦)や野菜(生と乾燥両方)、乳製品、干し肉、ハーブティー、酒など色々。基本的に料理しないと食べられない。 ミエイはハーブティー産地なので、紅茶はない。 ●貸し出し品 ミエイの集落から森、丘に移動するための荷馬車。荷台に乗って移動。 料理用の道具。 寝具。 |
■参加者一覧 / 礼野 真夢紀(ia1144) / 平野 譲治(ia5226) / バロン(ia6062) / からす(ia6525) / 九条 乙女(ia6990) / 朱麓(ia8390) / クララ(ia9800) / 御堂筋 千里(ib0770) / 水無月 雛乃(ib1188) / 涼魅月夜(ib1325) / ミヤト(ib1326) / 伏見 笙善(ib1365) / 神咲火乱(ib1584) / 将門(ib1770) / 黒色櫻(ib1902) / ミアン(ib1930) / 佐屋上ミサ子(ib1934) / 宮守 銅音(ib1954) / 黄髭(ib1966) / 水魚(ib1983) / 晴雨萌楽(ib1999) / AMIDA(ib2009) / 水色(ib2013) / 黒町(ib2020) / 炎魃(ib2029) / 小星(ib2034) / アラヤ(ib2047) / 朱乃 伊万里(ib2053) / 内海(ib2080) / 浜本★沙耶(ib2088) / ふれいむ。(ib2111) / 曹瑠英(ib2115) / まーと(ib2120) / 威(ib2126) / ゼイラ(ib2129) / ☆緋翠☆(ib2133) |
■リプレイ本文 ●始める前に 熊退治に開拓補助。 開拓者ギルドへの依頼はその二点だったが、開拓者の誰が言い出したのか、彼らにはある要望があった。 「この時期の獣は脂が落ちていてたいして美味しくないけど、なるほど、確かにただ殺しても無駄になるね」 『アリョーシャもたべてあげもふ』 からす(ia6525)と涼魅月夜(ib1325)とモユラ(ib1999)の三人が、まだ捕まえに行く前から依頼人であるミエイ領主のアリョーシャ・クッシュに、『熊を退治したら食べてもよいか』と尋ねていた。その傍らで素晴らしく偉そうな態度で開拓者一行を迎えたもふらさまも、アリョーシャというそうだ。まあ、この場合にはもふらさまの言うことはどうでもよい。 本当は彼女達も退治した後に相談を持ちかけるつもりでいたが、この時期のミエイの人々は領主も領民も、もふらさままでもがすさまじく忙しい。流石に最初の顔合わせには来たが、次は最終日まで会えないかもと言われたので、慌てて話を出したのだ。 「こんなに忙しいなら、皆で食べたらいいんじゃない‥‥でしょうか?」 なんとか敬語を搾り出したモユラが身を乗り出すと、領民が全部集まったら熊一頭では足りないと返された。ミエイの領地は村二つあるので、急に集まるのが無理だというのもある。 最終的に、剥いだ毛皮を全部と内臓と骨を渡すことで、残りは開拓者達で食べてよいことになった。熊の肝といえば天儀や泰国では薬の材料になる貴重品だが、何の準備もないところでは加工も出来ないから、ミエイ側で使うのを渋っても仕方がない。妊婦数名と他所から預かった子供十数人に滋養を付けたいからと言われれば、反対する理由もなかった。 話がまとまった直後には、領主のくせに野良着のアリョーシャは馬に乗って農地の見回りに行ってしまう。それを見ると、なるほど自分達が呼ばれた訳だと納得も出来るが、しまったと思ったのが二人。 開拓者仲間の食事の世話を買って出たが、ジルベリア料理に馴染みがないので地元の人に教えてもらえればと思っていた礼野 真夢紀(ia1144)と見慣れないハーブの効能を知りたかったミヤト(ib1326)だ。熊退治に向かう予定の小星(ib2034)も、少しばかり残念そうだ。 これについては、もふらさまのアリョーシャが『これをみればいいもふ』と、薬草の苗を育てている建物まで案内してくれて、そこの書物を借り出せるようにしてくれた。料理の作り方は書いていないが、薬草、香草の使い道は事細かに書かれている。 「これは‥‥作りたいものが増えますね」 朱乃 伊万里(ib2053)が喜色満面で抱え込んだが、他にも読みたい人がいるようなので、現地への移動中には争奪戦が起きるかもしれなかった。 その前に指定された家屋に適当に分散して荷物を置き、貸し出された道具や現地の地勢を確認して、皆が目的地に移動し始めたのはそれからだった。 ●開拓の丘 目的地の丘は、周囲を牧草地と菜の花のような植物の植えられた丘、それと問題の熊が出る森に囲まれていた。もちろん牧草地には家畜の姿はない。 ここまでは全員で来たが、これからはまず三つに分かれて、それぞれの作業になる。熊退治と石の除去、それから全員の食事の支度だ。どれが一番大変という比較はしようもないが、目の前の丘は確かに大きな岩や拳大の石がごろごろしていて、見るからに手間が掛かりそうだった。 ただし、それとても考え方次第で。 「かまどを作る材料には困らずにすみますね」 真夢紀が前向きな一言を発して、手近の平たい石を持ち上げた。慌ててミヤトもかまど作りに参加する。からすと伊万里が食材を荷馬車から下ろし始め、彼と彼女達と同じ炊き出し担当の黒町(ib2020)はしばらくおろおろしていたが、かまど作りを手伝うことにしたらしい。 その間、他の役割の者達にはまた別の仕事があるわけだが、岩、石の除去をする人々はまず役割と道具の割り振りをしなくてはならない。石を捨てるのは森との境に近い場所だから、そちらの安全に注意を払うのも大切だ。 「こちらが岩に打ち込む楔で、金槌は三本。作業は途中までしていたので、楔を打ち込む目印は書いてあるそうですよ」 きょろきょろと周辺を見渡しつつ、ミアン(ib1930)が説明した以外に背負子や籠、天秤棒、鍬、シャベルなどを示した。開拓者には普段は縁遠い道具だが、更に九条 乙女(ia6990)が取り出したのは簡素な兜だ。 「ギルドから借りておきましたぞ。鉱山で使うものだそうですな」 なんでそんなものが開拓者ギルドにあるのか不明だが、岩を砕く仕事に従事する予定の乙女当人とクララ(ia9800)、伏見 笙善(ib1365)、黒色櫻(ib1902)の四人が着用する。 砕くまでもない大きさの石を拾い集める佐屋上ミサ子(ib1934)と水魚(ib1983)、☆緋翠☆(ib2133)は、それぞれ使い易そうな道具を手に取っていた。こちらは日差しを避ける帽子や手拭いと、少し身軽だ。皆が集めた石を、少し離れた石捨て場まで運ぶ水無月 雛乃(ib1188)は、大きな背負子と天秤棒の二つの使い心地を試していた。 ここまで来たものの、さっぱり勝手が分からないらしいゼイラ(ib2129)は、周りに促されて小さい籠を抱えて、石拾いに参加することにしたようだ。 「お〜、上から見るとのどかな場所ですな〜!! 老後はこういう場所に住みたいですねぇ〜♪」 「これが終わった途端に、老後やって言うたらあかんで」 丘の上に立ってきた方向を眺めた伏見の感嘆を、水魚が混ぜっ返している。足元は確かに石がごろごろし、雑草しかないところだが、ミエイの村に向かう方向は綺麗に耕された畑に人が点々と働いている姿が見えて、確かにのどかだ。実際は、これからの彼らと同じく額に汗してあくせく働いているのだが‥‥たまにはこう広々した場所にいるのも悪くはない。 ただ、作業が始まると下を向くことが続くのが、なんとも残念である。 ●森の中 かたや熊退治の面々は、それぞれの武装を再度確認してから、アリョーシャに説明してもらった森の中への道に入る順番を決めていた。熊退治担当は総勢十一人。二手に分かれてもいい人数だが、全員が狩りに精通しているわけでもなかったのと、熊は一頭のみだから、おおむねまとまって動くことになっていた。 ちなみに熊に出くわさない為の用心は、『熊が出る地域では、出来るだけ大人数で賑やかに移動し、可能な限り犬を連れて行く』となる。普通の熊なら、わざわざ人の気配に寄っては来ないからだ。犬は熊の接近を察して吼えるので、双方で距離を取ることが出来る。今回は人を襲ったことがある熊だが、それでも大人数なら警戒するはず。よって、熊の痕跡を探す時は全員で、その後は朱麓(ia8390)が肉の臭いで熊を引きつけ、他の者は周辺に潜んで、出現を待つ手筈となっていた。 そんなわけで、朱麓を先頭にして、炎魃(ib2029)、将門(ib1770)、小星、モユラ、水色(ib2013)、御堂筋 千里(ib0770)、涼魅、バロン(ia6062)、威(ib2126)、殿に平野 譲治(ia5226)と、大雑把にそんな隊列で進むことにする。道幅で横に二人広がったり、一列になったりと忙しいが、最初にそれを見付けたのは将門と威の二人だった。ちょうど視線が向かいやすい位置だったからだろう。 「これは新しそうだな」 「この高さだと、頭の位置は立ち上がったら俺くらいでしょうか」 この一団の中では飛び抜けて背の高い二人の頭より上、二メートル少しの高さで、木の幹にがっつりと爪痕が刻まれていた。熊が自分の縄張りを主張するためのものと見える。堅い木の幹を削る力を見れば、あまり接近戦が向かない相手だとも推測された。モユラが珍しがって触ろうとしているが、飛び上がってもなかなか届かない高さだ。 もっともこの中で近接戦闘を主にするのは朱麓と将門の二人だけで、他は弓矢や投擲武器、魔法と符を使うから、間合いを取ることは十分可能のはずだ。前衛の二人は、まかり間違っても熊に抱え込まれないように注意すれば、後は後衛が一撃ずつ加えるだけでもなんとかなるかもしれない。 なにしろ、幾ら大きくても、相手はアヤカシではなくて熊だし。留意点は、獣だから深手を負うと遁走するかもしれないことだろう。逃がしてしまったら、依頼は成功とは言えないのだ。 平野が罠を仕掛けたらと提案したが、熊ほどの大物をしとめるための罠は一朝一夕には作れない。また熊の動きを封じるほどのとりもちも用意出来なかったし、なにより手負いになって暴れられるとどこに飛び出して行くか分からない。ミエイの人々の安全を考えると、居場所を捜して確実に仕留めるべきだろう。 辺りの様子を手分けして確かめつつ、森の中を静かに進むこともうしばらく。また熊が付けた爪痕を発見した。まだ生々しい跡は、森の中の道が二本交わる場所にあって、通る人がいればどう見ても危うい場所だ。 「古い糞もあるから、度々通っているかもな」 小星が道端から黒っぽい塊を蹴りだした。一見しただけで動物の糞だとは分からないが、よく見れば魚の骨らしいものが混じっている。この辺りに普段は大型動物はいないそうだから、熊のものと見て間違いなかろう。 「じゃあ、この辺でおびき寄せてみようかね。ちょっと隠れにくいけど、足場が悪いよりはましだろ」 囮役の朱麓が言って、背負っていた包みからやや臭いがきつい干し肉を取り出した。流石にそれをそのまま食べたくはないようで、違う保存食も取り出している。一休みの風情で、熊が出てくるのを待つ予定だ。 他の十人は、熊が通ったと思しき場所を避けて、その周辺に隠れる場所を探す。いざという時に壁になろうと思っている将門は、出来るだけ朱麓に近いところ。弓を使う涼魅、威は射撃可能な範囲を考えて、少し離れた場所に。だがバロンが射線に他の者が入らないようにと注意を促して、また移動している。水色もそれを耳にして、位置を考えているようだ。射線の心配がない御堂筋や炎魃、平野、モユラ、小星はまずは自分がきちんと隠れられる場所にした。 実は風向きをまったく考慮していないから、普通の熊なら人の臭いに警戒して近付いてこない可能性が高かった。実際、最初の二時間ほどは何の動きもなく過ぎている。 「一度出直すとしようか。体が強張っていては、全力も出しようがないからな」 隠れていた全員が、かなり頑張って気配を消すように努めていたが、幾らなんでも限度がある。バロンが声を掛けて、その時になって足が痺れて動けないことを自覚した者もいたりするのだが‥‥なにより開拓者の仕事には、地味なものもあるのだと思い知ったことだろう。 「熊さん、まだですかぁ?」 ちょっと元気の失せた炎魃の呟きが、全員の気分を代弁している。 ●こちらも大苦戦 食事は三十六人分。ただし狩りや開拓作業と体を使うから、量は多目がいいだろう。材料もふんだんにあるが、時間はたいしてない。そこが問題だ。 借りた本を読む暇もなく、真夢紀とからすが小麦粉を山羊乳で溶いている。卵は貰えなかったがバターを入れて、これは薄く焼く予定。パンを焼いている時間がないので、昼はこの皮で適当におかずを包んで食べてもらうのだ。それにスープを付ければ、味のメリハリもつくだろう。 「村に戻ったら、明日以降のパンをまとめて焼いておきましょうね」 「窯で焼いたほうが、一度にたくさん焼けることですしね」 急ごしらえのかまどに鉄板を載せて、その上にどんどん溶いた種を広げて焼いていきつつ、二人は夕飯以降の計画を立てている。今の調子だと夕飯のパンも怪しいが、ここはジルベリアらしくジャガイモを使うのも悪くはないだろう。 でも、なんにしても人数分の主食を用意するとなると相当な手間で、二人は延々とかまどの前で薄いパンもどきを焼き続けていた。火の番もしながらだから、激しく動くわけでもないのに熱いこと暑いこと。 その間に、他の三人が何をしているかと言えば、野菜とハーブを刻んでいた。先程までは三人で干し肉を刻みまくり、それは別に置いて、今度は野菜とハーブだ。一人ずつ刻んでいるものが違うのは、分業というより、作るものが違うから。 ミヤトは借りた本をざっと見て、ハーブをたっぷり入れた体が温まるスープを作るため。皆、体を動かしているはずだが、遮るものがないところにじっとしていると汗が冷えてしまう。だから体を冷やし過ぎないように、温まるもの。味付けは、まず今回は自分の舌で決めて、後で感想を聞いて夕飯からは調整するつもりでいた。 みじん切りに集中している黒町は、薄焼きパンもどきに挟むおかず用のソース作りだ。幾種類もおかずを作るのは場所柄も大変なので、ソースで味気に変化をもたせるためである。タマネギのみじん切りで涙目になりつつ、包丁を使う手はよく動く。他の四人もそうだが、彼女も相当料理に慣れているのだろう。 伊万里は料理というより刃物扱いに慣れている風情で、ナイフと包丁を随時使い分けて、野菜の下ごしらえをしていた。借りた本を傍らに開いてはいるのだが、もちろんそれを読み込む暇はない。手早く作業を進めるための順番の覚え書きもあって、せっせと働いていた。大きな火も全然平気で、炒め物を作ると一番大きなかまどで鍋を熱していた。 後で、三つの鍋に山盛り作られた炒め物と、小鍋にそのまま匙が添えられたソース、山盛り詰まれたパンもどきに、こればかりは一人ずつ配られたスープの椀が作業していた人々を出迎えるのだが‥‥もちろん、狩りであちこちの筋が突っ張った人達からはとても歓迎された。 もう一組の、開拓作業の人々だが‥‥ 男女の別が非常に付きにくい乙女が、含み笑いをしていた。何を思ったか、岩を前に抜き身の刀を構えている。背後ではミアンが呪歌を歌っているし、水魚はなにやらけしかける風情。 「‥‥つまらぬものを斬っ‥‥れなかったか」 ゼイラと翡翠が呆然と見詰める中、大音声の気合一閃、刃を岩に振るった乙女だが、あいにくとそれですっぱりと切れてくれる岩ではなかった。幸い刃こぼれもしなかったが、何度もやったらどうなるかわからない。岩が斬れる前に、得物が傷みそうだ。 「じゃ、次はうちがこれで!」 クララが取り出したのは斬撃符で、これまた岩を砕こうと試みている。多少割れたが、砕くところまでやろうとしたら練力が怪しい。ついでに周りに欠片が飛び散って、翡翠とゼイラ、水魚までもが飛び退いている。 「やっぱり‥‥普通にやりましょうか」 ミアンが呪歌を収めて苦笑したが、どうも今回は地道がいい様だ。ミサ子と伏見、櫻の三人でとんかん楔を打っている岩は、いい感じにぴしぴしと音を立てて割れていっているし。途中までは専門の石工が割る手順を確認していたから、その残った指示通りに進めたら早いらしい。 微妙に納得いかない向きもあるが、大事な武器を傷めたり、練力切れでぜえはあするのも違うから、金槌を振るっての作業に移行することにした。 雛乃は黙々と、足元に転がっている石を拾っていた。途中で場所を移動するのに、石を入れていた籠を持ち上げようとして‥‥再度力を入れ直して、よいしょと抱えている。大きい物を拾っていたから、思いのほか重かったようだ。 「籠の中身も注意しないと、二度手間になりますねぇ」 ミサ子も弾けた欠片や周りの石を拾い集めて、思いのほか重量があるのに眉根を寄せつつ、邪魔にならないところに運んでいた。雛乃もミサ子も、開拓担当のほぼ全員が筋骨逞しい体格とは無縁だが、流石に開拓者だから多少の重みでは音を上げたりはしない。 「依頼は初めてだけど、こういうのも楽しいですね」 翡翠が背負った籠に拾った石をぽいぽいと入れている。ゼイラがその近くで石を拾うか、岩を砕くのに協力するか迷っていたが、水魚に籠を背負わされて拾うほうに加わった。そのうちに、この三人で自分以外の籠に拾った石を入れる競争みたいになっていく。どうも水魚がただ作業してもつまらないと、ゼイラと翡翠の籠に石を投げ入れていたせいらしい。もちろん、二人にやり返されれば、一人で重いのだが。 だが、途中参戦が複数いて、岩を砕く担当以外はいつの間にやら丘の上で小走り状態だ。目に付く大きさの石は、これである程度は拾いきれたことだろう。 でも、残念ながら、岩はまだ砕ききれていない。思っていたほど、甘くはないようだった。 ●熊さんに出会った 再度入った森の中。さほど奥まで入らないうちに、一つの騒ぎが持ち上がった。 「だあっ、やってやるさぁっ!」 「水色くん、飛び出したらあかんやろーっ」 再度隊列を組んで、先程の熊の痕跡が発見された場所を目指していた一行は、思いのほか至近距離で問題の熊と顔を合わせていた。あちらは何をしていたものやら、互いにぎょっとした顔をしていたのは間違いがない。 で、熊が後ろ足で立ち上がったので、水色が咄嗟に手裏剣を振り上げ、最も熊に近い位置にいた千里が押し退けられつつ叫んだのだ。こんなことになれば、熊も逃げるより向かって来てしまう。 「ええい、怪我人は出さないなのだ!」 心掛けは素晴らしいが、これまた叫んで気合を入れた平野も熊の前に飛び出して、将門と朱麓に引き摺り戻されている。予測しない場所で出くわして、弓術師、陰陽師は十分な距離も取れていない。千里の神楽舞・攻も少し下がらねば周りにぶつかって、かえって邪魔だ。開拓者側も陣容が整わず、すぐの攻撃に移れない間に、熊は振り上げた前足を勢いよく振り下ろした。 ガッと音がして、傍らの木の枝が折られて落ちる。それが朱麓の顔に掛かるのを将門が振り払い、この二人がようやく前に出たところで、最初に炎魃の魔法が炸裂した。獣だけあって、熊は炎で攻撃意欲が減退したようだ。 ミエイ側からは『毛皮は欲しい』と言われているが、それでなくとも遠距離攻撃が多いところに持ってきて、この状況では同じところを狙うといった調整など出来ない。経験豊かな開拓者だけならやり切れたかもしれないが、自分達が怪我をしてまで達成しようとは誰も思わない。 途中で平野の呪縛符が効果を発揮して、バロンが心毒翔を打ち込み、そこから斬撃符、砕魂符、手裏剣に矢が数本と当たって、最後は将門の刀が脳天を貫いた。それでもまだ暴れた前足は、朱麓の槍が払っている。 誰も大きな怪我はせず、千里の神風恩寵もモユラの治療符も使わずに済んでいた。皆が荒くなった息が収まってから熊を見れば、大分とあちらこちらに傷がある。綺麗に一枚で毛皮を剥ぐとは行かないだろう。だが、今の問題はそれよりも。 「担ぐしかない‥‥ね」 足場の悪さで手押し車などでは運べない熊を、どうやって運ぶかだった。 ●熊は小さくなって ぼろぼろになった熊が運び出されてきた時、からすは夕飯の下ごしらえをしていた。村に戻ってから調理するつもりで、準備が終われば開拓を手伝ってもよかったが、熊が仕留められたとなれば話は変わる。調理担当を中心に、十名弱が先に村に戻ることになった。熊を血抜きして、毛皮を剥ぎ、解体しなくてはならないからだ。お湯を大量に必要とするし、他に肉食獣はいないはずとはいえ、臭いで獣が寄ってくるのは困る。村の中の方が安全だろう。 開拓者の中でも小柄なからすだが、バロンや朱麓と一緒になって、てきぱきと作業を始めた。その前に一礼するのは、命を食べることへの礼儀だろうか。何枚かに分けて剥いだ毛皮と、解体した骨と内蔵は別々に箱や桶に入れ、肉はミヤトと黒町が合わせていた塩やハーブをすりこんで、これまた下ごしらえだ。夕飯だけでは食べ切れないくらいにあるので、傷まないように手を打たないといけない。一部は燻製にしておくのもいいかもしれなかった。 ただ、料理自慢達が生の状態で少量口にしたところでは、やはり季節柄脂ののりが悪くて筋が固く、煮込んだほうが美味しい肉ではある。黒町は夕飯で鍋にしたいと希望があり、真夢紀はジルベリア風の煮込み料理がいいのではないかと考えているが、先に少し叩くともっといいのかもしれなかった。そこまで出来るかは、純粋に時間との戦いだ。 火口箱を取りに行くのが面倒になったのか、真夢紀は窯の火をつけるのに火種の能力を使い、血の臭いで他の獣を寄せないようにと周囲の警戒をするのに付き添ってくれていた威に首を傾げられている。だが、そんなことを気にする余裕はない。せっかく予定より早く戻って来たので、明日以降のパンを焼く準備に走り回っていた。これが済まないことには、こちらの郷土料理を調べる時間も取れないし。 熊肉は、伊万里が料理毎に合わせて切っている。器用に同じくらいの厚みと大きさにして、明日の昼食用は特に薄く切り分けた。これにミヤトが味付けをして、二人でどんどんと焼いておく。それとは別に、厚みがある肉は柔らかくするために叩いていた。 隣のかまどでは、黒町が鍋をするための出汁を大鍋で取り、味付けをしている。鍋は個別によそい分けるより何人かで囲んだほうが楽しかろうから、後で具材と一緒に複数の鍋に分けて、改めて煮るのだ。これとは別にジルベリア風の味付けも用意したいが、それは明日の昼にすることにした。単純に、鍋と時間が足りない。 開拓作業を続けていた人々が戻って来た時には、パンは量が間に合わずにジャガイモ添えだったが、熊鍋と野菜と炒め合わせた熊肉などの料理が、ミエイ自慢のハーブティーと一緒に用意されていた。 ●丘は丘のまま 熊の心配もなくなり、料理も充実するとなれば、当然単純な開拓作業にも熱が入る。二日目の丘は熊退治をした人々も加わって、賑やかになっていた。人数が増えれば、岩を砕く作業も進み、現在は土の中に半ば埋もれた岩の破片を地上に出すのが最も苦労するところだ。幾ら開拓者でも、これだけやっていると腰が痛んでくる。 これは流石に力仕事でもあるので、伏見やゼイラ、将門、平野、水色などが自身らも半ば埋もれるような姿で大きな石に変じた岩を運び上げていた。昨日は勝手がわからなかったゼイラも、さして難しいことをするわけでもないから、今日は朝からあちこちでくるくると働いている。伏見はなかなか休憩が取れず、一服出来ないのがとても残念そうだが、口に出しては何も言わない。それでも炎魃が魔術で石を溶かせないかとあれこれ試していた時には、火を見たせいか溜息まで吐いていた。 彼らが運びあげた石は、雛乃が背負子に入れて石捨て場に持っていく。ミサ子も、相変わらず初見だとぎょっとするような量の石を、今日は天秤棒の両側に吊るした籠に乗せ、しっかりした足取りで捨てに行っていた。この二人、どちらも甘党で休憩時には蜂蜜たっぷりのハーブティーを飲んだり、甘味があれば緑茶がほしいと言い出すところまで似ているが、どちらも志士。舌の好みはさておいても、やはりたおやかな見た目で判断してはいけないと思わせる女性陣の、筆頭を争えそうだ。二人とも真面目に仕事をしているだけで、作業中は見た目は気にしていないけれど。 丘の表面は、一見すると目立つ石はなくなっていたが、櫻と翡翠、水魚の三人がそれぞれ手にした道具でちょっと掘ると、ごろごろとまた大きな石が顔を出した。どこを掘ってもこんな感じで、黙って掘りまくると気が滅入ってきそうだが、幸いにしてそんなことはない。こちらは石運びに従事しているミアンが、あちらこちらに目を配りつつ、ずっと歌っているからだ。吟遊詩人の彼が歌うのは、時に武勇の歌の効果が混ぜられているが、それがなくても動きを合わせると作業がはかどる。水魚は鼻歌まじり、櫻はそれに加えて体が音楽に乗り、こちらも吟遊詩人の翡翠は時々口元が動いていた。 丘のあちこちに散らばっているのだが、歌にあわせて楽しげな三人を見ていれば、周りの人々もまた気分が乗ってくるというもので、自分が知っている歌なら一緒になって口ずさむ者も少なくはない。まったく知らなくて、調子はずれな鼻歌になっても誰が笑うこともなく、石を掘り出す一助になっていた。 ミアンも長時間歌い続けている割には元気なもので、皆の様子を確かめているのかあちこちに首を巡らせていた。途中、伊万里と目があって笑顔になったが、実は目が悪くて誰だか分かっていたわけではないらしい。やはり石を拾っていた真夢紀に、違う名前で呼びかけたりもしていた。この二人に限らず、大抵の人が服どころか顔まで泥だらけになって働いているから、相手の名前を間違えるのはよくあることにもなっていたが。 昼過ぎからは、炊き出し担当も昨日からの仕込みの成果で作業に加わり、更に多くの石が掘り出され、捨てられたが、期間いっぱい働いても、残念なことに土地をならすまでには行かなかった。そこまでは求められていないが、非常に残念に思ったものが何人かいる。後で、土を肥やすのにこれから何度も掘り返すのだと聞いて、ちょっとは慰められたけれども。 そうして、最終日の昼食直前。 すでに恒例のことになっていたが、涼魅が配膳に混ざる前に摘み食いを敢行しようとして、ミヤトに『めっ』とやられている。その前にからすに見付かって、年少者とは思えない凄みのある微笑を向けられたのに、懲りていなかったらしい。 ちなみにこの微笑み、料理の腕が壊滅的な自覚のある千里が悪戯心で下ごしらえに混ざった時にも発揮され、以降の千里は石拾いに集中していたりする。 この日は炊き出し担当は配膳は休憩してもらい、ミサ子やモユラ、小星などが行っていた。皆、慣れているから、たいして手間もかからない。片付けは、ミエイに食器などを返さなくてはいけないから少し大変だが、全員で手分けをすればすぐ済むだろう。 そんなミエイ最後の食事の最初には猫舌のクララがスープで舌を火傷したと嘆き、最後には乙女がもう少し食べたいと鍋の底まで綺麗にスープもおかずもさらっていた。他の者も、全員が満足していたので、やや無口な黒町が珍しく工夫したところなどを饒舌に、嬉しそうに語っていた。 「此処に来たのは間違いではなかった」 小星が笑みを浮かべて口にした一言は、料理のことも十二分に含んでいたが‥‥視線は皆で懸命に、今後の実りのために整えた土地に向けられていた。 いずれここから実りが得られたら、今のように美味しいものが食べられたと満面の笑みを浮かべる人が増えるのかもしれない。 |