バレンタインの後日談
マスター名:龍河流
シナリオ形態: イベント
相棒
難易度: 易しい
参加人数: 4人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2013/04/05 03:26



■オープニング本文

 狭くはない、否、かなり広い部屋の中には、甘い匂いが充満していた。

「まだ、こんなにあるのか‥‥」

 その部屋がある屋敷の当主の甥で、ジルベリア帝国皇帝の庶子という立場のソーン・エッケハルトが、心底嫌そうに呟いていた。
 室内にあるのは、全てがチョコレートだった。

「一つずつはいい出来だが、この量をどうするかな」

 確かに一番目立つ、ソーンの父親、つまりガラドルフ大帝のほぼ等身大チョコレート人形は一目でそれと分かるし、これまた実物大の犬猫はじめ動物類は、今にも動き出しそうだ。
 そうかと思えば、これでもかと小さな細工を並べて造られた箱庭に、一見すると本物の宝石箱に見える細工まで、皇族のソーンも初めて目にするような技術が惜しげもなく使われたものもある。
 一番多いのは、植物を象った細工だ。これはソーンが植物を愛でるのが好きだと知られているからだろう。
 これが、全部チョコレート。

「来年は、大きさも指定せねば‥‥」

 ことの始まりは、バレンタインデーよりもっと前の昨年末のこと。
 バレンタインデーのいわれは帝国の政治方針と合わないが、庶民の楽しみとして定着した行事を取り締まる真似は、流石のガラドルフ大帝も行っていない。
 おかげかどうか、上流階級の者達もバレンタインデーには家族や知己、親しい間柄の者に色々と贈り物をする。更に加えて贈る先は、目上の、自分を取り立ててくれそうな人物だ。
 つまり、バレンタインデーは昇進の点数稼ぎの付け届けならまだ可愛く、賄賂が飛び交うことも珍しくない、地位が高い者ほど面倒に感じることの多い行事ともなっている。

 もちろん、庶子でも皇子のソーンに対する贈り物たるや、毎年とてつもない量になる。
 彼は後々まで残る金品の類は大抵を嫌い、喜ぶのは飲食物や植物だ。だから取り入りたい貴族、商人達は珍しい品物を手に入れるのに狂騒し、これにも嫌気がさしたソーンは昨年末のスィーラ城での宴会でこう言い放った。

『来年は、もうチョコレートしか受け取らぬ』

 そうしたら、今度は三年前に見事なチョコレート細工を贈った商家が、以降ひいきにされているとの情報が出回って、屋敷に大量のチョコレート細工が届けられる事態となった。
 バレンタインデーから一月あまり、それらは屋敷の全員から『もう匂いをかぐのもきつい』と言われる、可哀想な品物になっている。

「街の者達に配ってやれば喜ぶだろうが‥‥この細工が愛でられもせずに割られるのはもったいないな」

 しばらく考えていた彼は、何か考え付いたようで、家臣を呼び寄せた。

 開拓者ギルドに、大量のチョコレート細工で、建設されたばかりの建物の中を飾り立て、訪れた者の目を楽しませた後には、特に子供にそのチョコレートを出来るだけ公平に分配して欲しいとの依頼が届いた。
 依頼人は皇族のソーン・エッケハルト。
 場所は彼の叔父が治めるドーの街に最近建てられ、春から常設市場として使われる巨大な建物だ。


■参加者一覧
/ フェンリエッタ(ib0018) / ユエン(ic0531) / 御鏡 咲夜(ic0540) / 蛍火 仄(ic0601


■リプレイ本文

 チョコレートは、小さい細工はそのままの形で、大きなものは砕いて加工し直して、重量をだいたい合わせて、集まった人々に配られた。飾り付けに追加されたクッキーや飴、砂糖細工も、もちろん一緒で、子供達は大喜びだ。
 基本は子供向けとされていたから、集まった中に大人はあまりいなかった。いても子供の付き添いだったが、
「陛下の像から作ったチョコレートをくださいな」
 堂々と一人で並んで、にこにことこうのたまった方は存在する。
 ガラドルフ大帝のチョコレート像を砕いて、溶かして、挙げ句に配ったとは、あまり外聞が良いものではない。
 出来れば触れずに済ませて欲しいと、開拓者のみならず、ガリ家関係者にドーの街の菓子職人達も心底思っていたが‥‥
 文句を言えない相手では、致し方ない。というより、その付き添いの方の迫力がすごかったのだ。

 今回問題かつ催しの主役のチョコレートは、実に大量だった。
「はわわわわ、綺麗で美味しそうなのです。あっ、食べたりしませんよ、ちゃんと我慢できますから」
「本当に素敵なものばかりですけれど‥‥わたくしは、香りで胸が詰まってきてしまいましたわ」
 広間と称していい部屋を三部屋も、飾るどころか箱ごと押し込めた部分まであるチョコレート達は、ユエン(ic0531)が目をまん丸にして眺め回し、うっとりするだけの見事な細工物がほとんどだった。あまりの数に蛍火 仄(ic0601)がやんわりと主張するように、確かに胸やけしそうな濃密な香りが部屋に満ちている。
「これが全部ソーン様に? 皇族方のバレンタインも大変ねぇ」
「飾りが本当に見事だこと。でもチョコレートだけだと、飾り付けには少し寂しいかしら?」
 部屋の中をぐるりと回って、細かいのから大きなものまで、様々な細工で目を楽しませたフェンリエッタ(ib0018)と御鏡 咲夜(ic0540)は、香りに負けることなく楽しげだ。
 いや、ちょっと食欲に走りかけていたユエンも、鼻の辺りを押さえていた仄も、このチョコレートをどう飾ると映えるかと、口々に思い付いた事を披露していく。
 その中で、まず最初に皆が頷いたのが、ユエンのこの提案だ。
「せっかくですから、綺麗なお花と一緒に飾りたいのです!」
「そうよね。これだけ植物の細工があるし、本物と並べて飾ったら面白いかも」
 フェンリエッタの追加提案で、どうしても色彩的には地味な傾向がある細工も華やかかつ見栄えが上がると咲夜と仄も賛同した。となると、季節柄気になるのは費用のことである。流石に真冬の寒さは遠くなったが、春の気配も薄い今の時期、生花を大量に買うとなれば相当の金額だろう。
「けちけちするような皇子様には見えなかったけれど‥‥あぁ、生花が揃うかどうかも大事だわね」
「それに香りが混ざってもいけません。香りが強いお花は避けた方が無難でしょうね」
 費用、入手経路に展示の際の見栄えや香りの問題。色々と気になるところはあるが、まずはいかほど費用を掛けてもいいものか尋ねてみようとなった。誰か費用面を仕切っているかと思いきや、ソーン本人だったので、度々皇族と面会の羽目にもなる。
「花? 生花なら屋敷の温室から運んで行け。我は切花は好まぬから、出来るだけ鉢植えのままでな。造花や絵画なら、職人達のギルドから人を呼ぶから、そちらと相談しろ。費用はそうだな、このくらいで」
 示されたのは、彼女達が受け取る報酬の五分の一くらい。開拓者にはさほどの大金と思わない者も多かろうが、庶民なら数か月分の生活費にもなろうかという金額だ。生花は幾らか借りられるからそこは節約して、ぜひとも集まる子供達に喜んでもらえる方向に使おうと、これまた話はすぐにまとまった。
 この時は、傍らで聞いていたソーンも機嫌が良さそうだったのだが。
「飴細工なんかも配ったら、どうかしら。小鳥の細工もたくさんあったし、あれにクッキーの葉っぱが添えてあったら喜ぶのじゃない?」
「そういうもので、分量を揃えて配ってあげれば、ただ溶かして板にするよりも目にも楽しいでしょうし」
「砂糖菓子のお花もあると、ユエンは嬉しいのです」
 甘いもの増量に話題が流れると、蒼い顔で『他所でやれ』と言い出した。咲夜は時間が許す限り自分達で作るつもりだったが、屋敷の中で甘いものが作成されるだけでも、もう嫌気がさすらしい。室内に控えている親衛隊の面々も視線が泳いでいたから、余程食傷気味なのだろう。
 それで、製菓職人のギルドにも紹介をしてもらうことになった。合わせて、作成される菓子の味見役に任命されて、ユエンは自分がとろけそうな笑みを浮かべている。
「すごーく頑張るのです」
「そうね。あの楽団人形なんて、どう飾ろうか楽しみで‥‥あのぅ、ソーン様? 家具などでお貸し願えるようなものは」
「叔母に話しておくから、一覧を作って提出しろ」
 次は会場を見て、どういう飾りつけがいいのか計画表を作ろうと、四人は張り切っている。
 後で、貸し出し希望品の一覧を見たソーンの叔母は、『大変な催しね』と笑っていたという。この時は、彼女も笑っていられたのだ。

 会場に使う建物は、たいそう広いので飾り付け甲斐がありそうだった。
「種類ごとに区画を分けて、そこは花や観葉植物で区切りましょう。通路は紐を渡して、手が届かないようにしておくべきかしら?」
 先に会場入りしたフェンリエッタは、同行した咲夜に対して、宙に区画を割った図面を描いて示している。入ってすぐには、実物大の犬猫など親しみやすいものを、それから植物の区画に、天儀や泰国、アル=カマルと揃った異国風の品物は国別にまとめて飾り付け、更に細かい細工物と大型細工の区画を大きめに。
「どこかにそれこそ温室みたいな部屋が作れるといいわねぇ。冬羽の小鳥の細工と葉っぱをクッキーを、本物の木に混ぜて飾ったらどうかと思うのよ」
 中には頭の大きい三頭身でぽよんとした姿になった龍をはじめとする相棒達や、ジェレゾの時計塔博物館そっくりの細工もある。その中の時計や、別の細工のアーマーなど、どこか触ったら動き出しそうな出来栄えだ。他にもスィーラ城の楽団の制服を着た一隊が、楽器も一揃いで彩色までされていた。
 そうかと思えば、今にも鳴きだしそうな小鳥に、うさぎやりす、やまねなどがみっちりと詰められた箱まである。森や山の動物だけでも、何十とあるだろう。
 これらを飾りつける事を考えると、それだけで甘いものが嫌いでなければ、大抵の女性は童心に帰って嬉しくなるだろうに、今回はそこに予算潤沢のおまけつき。
 加えて、飾る人手も十分な上に、道具も借り放題、職人も多数協力と来れば、
「色々お借り出来るから、どこかに上流貴族のお部屋風って場所を作って、プレゼントのチョコレートが山積みですって飾りつけも面白いかしら?」
「あらまぁ、確かにお城の中を見てみたいと思ったりするものね。あ、そこへ『あの方』に入っていただくのはどう?」
 空想だか妄想だか夢想だかが広がって、もっとも大きくてもっとも扱いに困っていたチョコレートの行き先が決まっている。

 同じ頃、生花の種類と鉢がどれほどあるのかを確かめに温室に向かったユエンと仄は、入口からの景色だけで感嘆していた。
「すごいですぅ、どこのお花屋さんだって、今の時期にこんなにお花はないのですよっ!」
「これがもう一棟あるのですよね‥‥こちらの皆様は、余程お花がお好きなのでしょうか?」
 これなら使いたい放題だと思わず万歳しそうになったユエンだが、残念ながら仄が見付けていたもう一棟の温室には花はほとんどないと言う。ソーンがバレンタインに贈り物をしてきた相手に返すカードのために、十人近い庭師が総出で押し花を作って間がないからだとか。
 返礼は押し花付きのカード。余程植物好きなのだと、彼の外見に似合わぬ好みに呆れるようなことはこの二人にはなく。ついでに、ケチだとも考えなかった。花はなくても植物があるのかとか、そういうことを気にし始める。
 それが終われば、今度は各種職人達との面会だ。また後で四人揃ってから、相談を詰めるとしても、先にこちらの希望のだいたいのところは伝えておかねばならない。その上で、誰に何を協力してもらえるのか、先方でも考えてもらう必要があるだろう。
「会場にはお花の飾りが、造花にお菓子に他のものでも色々と欲しいのです。お菓子は後で配るから、日持ちがしないといけません。ええと、十日くらい?」
「そのくらいでいいと思いますよ。それとチョコレートを湯煎しなおして、大きさを揃えたいのですが‥‥適した可愛らしい型などあるでしょうか?」
 随分派手な祭りになるようだと、集まった職人達は驚いて、次にチョコレートの現物をみて感心したり、観察に勤しんだりし始めた。もちろん領主の跡取りからの依頼になるから、誰も否やはない。
 ありがたい事に、領主屋敷の人々と違って、甘い匂いに食傷していないこちらの人々は大量の雑多な細工菓子の作成も、会場の設営、運営も、その後のチョコレートの加工の手伝いも、専門外の事柄でも協力してくれることになり、仄もユエンもほっと一安心である。
 どんどん規模が大きくなっていることには、楽しいので気付かないでいる。

 会場で一番広い区画には、見事な植物園が出来上がった。本物とチョコレートが交互に並んで、それはもう華やかかつ甘い光景だ。
 でももっとも豪華なのは、ほとんどが領主屋敷から借り出した家具で作られた室内風景で、佇んでいるのは皇帝陛下のチョコレート像。
 その隣には、大小さまざまな龍の細工を集めた龍舎があって、建物はクッキーを重ねて造られている。窓は飴細工、外に積もる雪は白いケーキ生地。
 そうかと思えば、本物の植物の中に森の動物達が隠れていて、訪れる人を見上げていた。
 別の場所には、これまた贅沢な家財が並び、しかも異国情緒が満載だ。でも手前の盆に載っている簪や開いた扇、根付などはチョコレート。しかも一見しただけではそうとは分からない。
 チョコレートの時計細工には、手を伸ばして触ろうとする子供が続々、大人も相当な人数で、巡回の見回りを変更して張り付いてもらう羽目に。
 チョコレート楽団の横では、フェンリエッタとユエンが楽器を鳴らし、歌を添えていた。あんまり人だかりがすごいのと、街の吟遊詩人達も宣伝をかねての協力を申し出てきたから、いつの間にやら会場はあちこちで賑やかだ。
 その間、仄と咲夜は、お披露目後のチョコレート加工に備えていたが、問題点が一つ。
「大帝の像を砕くって、後味が悪いですよね」
「フェンリエッタさんも、覚悟を決めなきゃ無理ってここにしわを寄せてたわね」
 ここと額を指した咲夜に、仄も納得の頷きを返したのが、お披露目最終日の閉場直後だった。来場者を見送りに出ていたユエンとフェンリエッタに、協力者達も集まって、誰が手を下すのかとしばし気配だけで牽制しあっていたが‥‥この場の責任者は開拓者である。
「うぅ‥‥ソーン様がやるべきじゃないかしら」
「さっき、誰かに呼ばれてすごい顔で向こうに行ったのです」
 周囲の無言の圧力に促されて、四人がチョコレートを割るための木槌を手にした時だ。
「まあまあまあっ、本当に陛下にそっくりだわ。誰が作ったのかしら、とっても美味しそう。いただくなら、どこがいいかしら」
 声は年配の女性、見た目も美しいとはいえ四十代だろう、その年代らしいふっくらした体型の女性が、たいそう可愛らしい趣味のドレスでちょこちょこと走ってきた。表情と行動は少女染みているが、発言は帝国貴族基準でかなり不穏当かつ不敬である。
 入場は締め切ったのに、この人はどこから入ってきたのだろう?
 四人が同じ疑問を持っていると、周囲がソーンの母親だと教えてくれた。でも外見では共通点が見出せない。態度でも、同じく。
「あのチョコレートは、食べさせていただけないの?」
「え、あの‥‥加工し直してから、街の皆さんに配るんですの」
「あぁ、それで木槌を持っているのね。でもこんなに大きいのに、女の子が割るなんて大変だわ。どうにかしてくださいな」
 たまたま尋ねられたユエンが、慌てて返事をすると、ソーンの母親は自分が来た方向を振り返ってねだり始めた。
「お付きの方‥‥の訳、ありませんね」
「あらぁ、ソーン様ってお父様にそっくり」
 びっくりしすぎて声が平坦になった仄と咲夜が、近付いてきた人物は父親の方だろうなと考えながら、どうしたものかと態度を決めかねていた。大帝と称される人物のチョコレート像を砕こうとしていて、当人が出てくるとは思わない。周囲の人々も慌てふためいて、ちゃんとした挨拶など誰も出来ていなかった。
 最初に立ち直ったのは、貴族身分にあるフェンリエッタで、綺麗な礼をとって頭を垂れたものの、手に木槌では立ち姿は今ひとつ。
 これに対して、皇帝はすいと手を差し出した。
「貸せ。妻に後で叱られるからな」
 それからしばらく、居合わせた人々は皇帝陛下が御自ら、自身のチョコレート像を壊されるという、多分二度とはなさそうな出来事の目撃者になったが‥‥
「もう見たくない、見たくない、見なかったことにしたい」
 フェンリエッタがうなされたように繰り返したのに、ほとんどの者が同感だった。意外すぎて、なんだか怖い。後から駆け付けたソーンなど、ずっと背中を向けていたくらいだ。
「あのチョコレートは、とっても美味しかったのです」
 そんな中で、うっとりとチョコレートの味を思い返しているユエンの頭を、咲夜と仄はついつい撫でている。
 彼女にチョコレートを手ずから食べさせた皇帝陛下も撫でた頭だから、もしかしたら何かご利益があるかもしれない。
 あるとしても、これから始まる大量のチョコレート加工には、無関係だろうけれども。