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■オープニング本文 バレンタイン、というものがある。 由来を紐解くと、ジルベリア帝国では禁じられている神教会の聖職者に辿り着くというものだが、今となっては親しい相手とカードや贈り物を交換し合ったりする、楽しい日となっていた。 また、これと思いを寄せる相手に贈り物で気持ちを伝える切っ掛けにしてはどうかと提案するところあり、ぜひとも近付きになりたい有力者に堂々と金品を届ける理由に使われたり、何かと忙しい日でもある。 元が神教会の関連とはいえ、長年貴族、庶民に浸透した行事であるから、帝国中枢部もとやかく取り締まったりすることはない。それどころか、ここぞとばかりに届く付け届けの対処に、皇族や有力貴族達が頭を悩ませる日だとも言われていた。 とまあ、そんな日が近いので、街の中では色々な商店がここぞとばかりに贈り物に適した素敵で、見栄えが良く、お値段もちょっとお高めの品物を取り揃えて、商売に余念がない。 飲食店も、これまたお洒落で美味しい料理や飲物を準備して、お客を待っていた。 もちろん、そんなにお金をかけなくても平気な、でもこの時期だけに出てくる色々な品物や飾りつけもたくさんだ。 そうでなくても、大切な人と一緒なら、ただ街の中をそぞろ歩くだけでも楽しいだろう。 さあ、あなたも誰かと出かけてみては? |
■参加者一覧 / 礼野 真夢紀(ia1144) / リューリャ・ドラッケン(ia8037) / 尾花 紫乃(ia9951) / レイラン(ia9966) / ユリア・ソル(ia9996) / フェンリエッタ(ib0018) / ヘスティア・V・D(ib0161) / ニクス・ソル(ib0444) / 尾花 朔(ib1268) / 言ノ葉 薺(ib3225) / 東鬼 護刃(ib3264) / エルレーン(ib7455) / ラグナ・グラウシード(ib8459) / 神室 巳夜子(ib9980) / ドロシー(ic0013) / 帚木 黒初(ic0064) / 神室 時人(ic0256) |
■リプレイ本文 二月の行事といえば、天儀なら節分だろうか。 しかし、ジルベリアならバレンタインの方が、当たり前だが賑やかだ。 まあ、中にはその賑わいがどうしようもなく気に入らない人も存在する。 「つまり、こんなに人が恋愛沙汰でも浮かれ騒ぐ日を前に、昨日ふられた訳ですね」 「あ、あなたの心には、思いやりってものはありませんのーっ!」 「事実を指摘することと思いやりは別物です」 寒さ厳しい気候とあり、また今日はお祭り気分でもあるから、食堂などでも朝から酒を出すところは多い。その中の日中は食堂で夜は酒場という一軒で、午前中からドロシー(ic0013)が絡み酒を展開中だった。相手は腐れ縁で、腹の立つことに観光気分でバレンタインの賑わいを楽しんでいた帚木 黒初(ic0064)である。 もちろん帚木にしたら、大迷惑この上ない。バレンタインなんてものの存在も良く知らず、華やかな街並みを楽しんで歩いていただけなのに、いきなり愚痴の聞き役だ。そりゃあ、楽しいはずなどないのである。 挙げ句に。 「だいたいですね、話を聞くだにあなたの趣味も相当ですよ」 「相当いいって?」 「ダメ男好きも大概にしろと言っているのです。この酔っ払い」 昨日別れた男も、話のついでに出てきたその前も、更にその前だかなんだか分からない男も、全部世間一般ではろくでなしというのだと、ドロシーの趣味を一刀両断にした帚木は、彼女がやけ食いの勘定を自分に回してこようとするのを押し返すのにも忙しかった。 二人とも、店員の視線が生温かい事にはまだ気付いていない。 食堂などは、午前中はまだごく一部の例外を除けば、普段と変わりない営業をしているが、お菓子や小物を商う店は早朝から臨戦態勢だ。これは、客の側にも多少は通じている。 つまり、人気がある店には行列も存在した。 「あそこ、あそこがきになるよ〜」 「そうなのよね。でも、並んでいたら他が見られないし‥‥」 まだまだお土産も買い足りないし、自分の分はその後で、更に食べ物以外も買いたいし‥‥と、悩みどころがいっぱいの礼野 真夢紀(ia1144)は、からくり・しらさぎが先程から指差して『きになる』を連発するお菓子処に断腸の思いで背を向けた。 やはりバレンタイン発祥のジルベリアには、天儀では見たこともないようなお菓子だけでもいっぱいあって、片端から見て研究したい、味見もしたいが、時間と懐の余裕が今ひとつ。特に後者は、余程のお金持ちでなければ、まず破産しそうな商品数なのだ。 「にんきのおかし〜」 「後で、後で来るんだから! うん、来るからねっ」 真夢紀が小柄な体に似合わぬ大きな荷物を抱え、更にしらさぎの手を引いて、すごい勢いで歩いていく姿は周囲の目を集めたが‥‥当人達はそれどころではない。 街の中には、菓子の甘い匂いがそこかしこに漂っていて、多くの人々もそこはかとなく浮かれた様子でいるというのに、妙な緊張感を漂わせている二人連れもいた。一見すれば恋人同士、しかも仮装パーティーにでも行くのか、男性が真っ白、女性は黒中心の華やかな服装で腕まで組んで歩いているのに、なぜだか二人の間は緊張している。 「これは‥‥いつまで続くんだ?」 「去年の暮れから今日までって、何日あったかしらね。その日数分、うんと可愛いのを買ってあげるから」 二ヶ月近く前になる年末、何が原因なのか大喧嘩をしたユリア・ヴァル(ia9996)とニクス(ib0444)の二人は、本日仲直りのデート中だ。ただし、恋人同士にあるまじき日数をほったらかしにされたと主張するユリアは、その埋め合わせにあれこれと悪戯めいたものを考えてきていた。一つは、只今実行中の仮装である。 そしてもう一つは、寒さに負けずに並ぶ露店の数々から、ハート型の飾りを見繕っては買い求めること。どちらのお財布からお金が出ているかはさておき、買い求められた飾りは片っ端からニクスの服に付けられて‥‥たいそうめでたい風情になっている。 喧嘩のお詫びに、ユリアに似合いそうな薔薇をあしらった装飾品でもあればと考えていたニクスだが、ゆっくり品定めするなど無理な相談だ。最初はユリアの気が済むならいいかと思っていたけれど、ハートが十を超えたあたりからいつまで続くのかと少しばかり不安になり‥‥ 「十二月二十六日からだから」 「もちろん当日も数えるのよ」 五十を超えるのかと思い知らされ、ユリアに気付かれないように溜息をついた。 途中で何回か気合を入れ直さないと気持ち的に厳しそうだが、しっかりと腕を絡めてくるユリアが楽しそうなので、異議申し立てはしない。ハートの飾りまみれの自分は想像したくないが、どうせ自分では見えないのだと開き直るのも大事だろう。 幼馴染みが、なんだか妙にいそいそと出掛けた後で、レイラン(ia9966)の元に届いたのは行方不明になって久しい兄を見掛けたという情報だった。その街の名前は、つい最近聞いた気もするが、とにかく取るものもとりあえずという風情で家を飛び出していく。 「五年間も何をしてたんだか。見付けたら、言わなきゃいけない事がいっぱいだよっ」 兄の側にも事情はあるかもしれないが、それはもちろんこちらの用件が済んでからだ。 ともかくも、今日こそは絶対に見付けてやると息巻いて辿り着いた町では‥‥ 「今日って、何かのお祭りだったっけ?」 この寒いのに露店が出て、しかも人もたくさん歩いている。人探しに向いているようないないような状態に、レイランはどの方向に向かうのがいいかとしばらく悩んでしまった。 街の大通りに漂う甘い香りは、尾花朔(ib1268)にはここ最近馴染みになっていたものだ。しかし、それは隣を歩く泉宮 紫乃(ia9951)には内緒である。 本日の二人は、お散歩と称した街歩きデータの真っ最中。紫乃は桜と散々悩んだ末に、梅柄の着物に簪でおめかしをしていた。天儀ならともかく、まだまだ雪深いジルベリアでは桜は気が早すぎる。 眺めて回る店でも、花を象る装飾品や菓子類、模様にあしらう衣類は多々見られたが、花そのものは見付からない。 「天儀では梅が咲いているところもあるのに、こちらはまだ真冬のようですね」 「ええ、まったく。風邪を引いたら大変なので、寒くなったら言って下さい」 なんともほのぼのとした会話と、無闇とくっつきすぎることなく、でも手は繋いで歩いている姿に、立ち寄る店の人々も愛想ばかりではない笑顔を二人に向けてくる。紫乃が相手の視線に気付くと少し照れた様子を見せるので、初々しいと思われたかもしれない。 そんな二人が立ち寄り、特に尾花が熱心に品定めするのは装飾品だ。大抵の店では女性用が多いが、もちろん男性用もあって、その両方を眺め、時に手にとっている。紫乃は女性用に気を惹かれつつ、でも見るのは男性用が多い。 「おっと。私が見たいところばかりになってしまいましたね。紫乃さんが見たいところはありませんか?」 甘いものもお好きでしたよねと話しかけられた紫乃が、慌てたように首を振った。何事かと首を傾げる尾花に対して、しどろもどろで今日は食べ物は見なくてもいいのだと訴えている。 実は、紫乃はこの一月近く、バレンタインデーに尾花に贈る為の菓子作りに精を出していた。普段は扱わない材料で、より美味しいものを作ろうと苦心惨憺した成果は出たのだが、代償にあんなに好きな甘いものがしばらくは見たくもない状態に‥‥ 「え、えぇと‥‥あ、薬草やハーブのお茶などを見てみたいです」 慌てふためく紫乃の様子に何か思い至ったのか、尾花は彼女の主張にすぐさま頷いて、目的に叶う店を探し始めてくれた。 祭り気分となれば、大事なのは食べ歩き。 さっき、お互いの関係を恋人に間違いないよなと、常にない気弱な感じを漂わせて尋ねてきたと見えたヘスティア・ヴォルフ(ib0161)がいつもの調子に戻ってしまい、竜哉(ia8037)は安心すべきか、落胆すべきか、考え込みそうになった。そうならなかったのは、ヘスティアに引き摺られて歩き始めたからだ。 「祭りの時って、普段は見ない食い物も色々出るからな。やっぱり一通りは味見しないと」 「一通り、なのか? 別に、全部食べなくてもいいだろうに」 美味しそうなものにだけ手を出せばいいと主張した竜哉に、ヘスティアが向けたのは可哀想な人を見る目付きだった。美味しいかどうかは、食べてみなければ分かるまいと表情だけで雄弁に語っている。 もちろん、食べ物以外も見て楽しい事は間違いない。寒い中でも、巧みな芸を見せる大道芸人もいるから、時折足も止まる。じっとしていると足元から冷気が上がってくるので、ゆっくりと眺めるのはなかなか難しいが。 「おー、この辺は飾り物中心だな。なんかいいものあるかな?」 歩き回って、露店を冷やかしていたヘスティアが一軒の装飾品露店の前で足を止めた。竜哉も一緒になって覗いてみると、並んでいる装飾品のどれかがお気に召したらしい。残念ながら、竜哉の位置からだとどれが一番いいのか、ちょっと分からない。 「たつにー、これも半分こにしよう」 「ピアスは普通に着けたらいいだろうに」 買い食いしていた分は、大半を半分ずつだと押し付けられたり、奪われたりしていたが、まさかピアスまで片方ずつ持とうと言うとは思わず、竜哉は咄嗟に女心を汲めずに返してしまったが、ヘスティアがそれに不満を表明する機会はなかった。 なんとなれば。 「やっとみつけたんだよっ!」 二人にとって馴染みのある声が、竜哉の背後からものすごい勢いで掛けられたからだ。 祭りの喧騒を耳にしながら、フェンリエッタ(ib0018)はそぞろ歩きを楽しんでいた。 『この木の実のは、ちょっと硬いかな。さっきの桜のチョコが美味しかったよ』 見栄えもいいし、桜とチョコレートの取り合わせも少し珍しいし、また買って。上着のポケットからぴょこんと顔を出した人妖のウィナが主張している。 「ポケットの中は汚してないでしょうね? まずは帽子屋さんに行くんだから、おとなしくしていてよ」 念のため注意すると、ウィナは全然問題ないと胸を張った。が、良く見ればその襟に木の実の欠片がくっついていたりする。 問題ないなんて、どの口が言ったのかしらと睨むフェンリエッタに笑顔を振りまいて、ウィナは通り掛かった露店の焼き菓子も美味しそうだと言い始めた。 『好きな人にチョコレートとかお菓子をあげる日なんでしょ? リエッタはどうするの?』 「内緒」 じゃあ、誰かにはあげるんだねと鋭く指摘したウィナは、ポケットの中に逆戻り。それも少々力を入れて、えいとばかりに押し込まれた。 お店の中で騒いだら、もうお菓子は買ってあげない。目指す帽子屋に到着したフェンリエッタに釘を指されて、ポケットの中は静かになっている。 街の中は、確かに様々な飾り付けが綺麗だった。行き交う人々も、その様子を連れと一緒に楽しんで、話題にしている。 だが、しかし。 「はぁ‥‥きれいだな、うさみたん」 成人男性、しかも体格が良くて、服装や荷物から武人と推測される者が、背負ったうさぎのぬいぐるみに話し掛けているのは珍しい。話しかけなくても、ぬいぐるみを背負っているだけで人目を引くのだが、寂しそうに話しかけたりすると‥‥ 彼の歩く道では、自然と前から人が避けていく。ラグナ・グラウシード(ib8459)は気付いていないが、彼の行く先には違う道が開けていた。正確には、周りの皆さんから避けられている。 それだけなら、通り過ぎれば忘れられていく出来事だろうが、ラグナの『怪しい人』印象には別の人物も関わっていた。 「恋人もいないくせに‥‥なんでこんなところに?」 彼の妹弟子にあたるエルレーン(ib7455)が、いかにも挙動不審な状態で後ろからこそこそと付けまわしているのだ。これでは、どちらも怪しい、変な人扱いは免れない。 飾り立てられた街並みを見て、ぬいぐるみに話しかける男。人目を避けるような節はあり、少々おどおどしていたりもするが、それをせっせと追いかける女。 どちらかだけでもアレだが、揃うと今夜の酒場の話題にされるだろう二人は、それぞれ自分の世界に入り込んで、街の中を歩いていた。 「‥‥さみしいお」 とうとうラグナはそんなことを口走ったが、周りから人が引いているので誰の耳にも届いていなかった。 しかし、兄妹弟子の絆か、実は読唇術の使い手か、エルレーンは彼が言っていることが分かってしまったらしい。 「何してるんだかなぁ。もう、しかたないんだからっ」 誰かもう一人いれば、『二人ともね』と指摘してくれたろうが、そんな人は二人にとって幸いな事にいなかった。 そして、エルレーンは自分を不思議そうに眺めていた露店の店主から、熱々のスープを買い求めている。 バレンタインデーは、何も恋人同士だけのものではない。親しい間柄、また家族などの間でもカードや品物、菓子などを贈りあうこともある。要するに大切な人との絆を確かめ合う日ということだろう。 そう、本来は『お互いに』だ。 「兄様、私は寒くなどありませんよ」 「いいや、女の子は体を冷やしちゃいけないんだ。だから着ておきなさい」 お洒落と共に防寒もしっかり考えた服装で、言葉通りに寒さなど感じていない神室 巳夜子(ib9980)に対して、兄の神室 時人(ic0256)は自分の上着を着せ掛けていた。その姿ではせっかくの着物が見えないとか、暖房を効かせた店に入ると暑くて汗をかいてしまうとか、そういうことには思い至らないらしい。 とにかく『妹可愛い、大事』と思っているのは、誰が見ても明らかなのだが、ちょっと勢いが付きすぎている。まあ巳夜子にしたら、いつもの兄の姿ではあった。自分の方が上着を脱いだら寒くなるとは考えないのが、時人のいいところで、困ったところなのだ。 妹に『相変わらず後先を考えない人だ』なんて思われているとは知らず、時人はすっかりと巳夜子の買い物に付き合う態勢万全で、それはもう張り切っていた。 「さあ、何を買いたいのかな?」 「ええ、この先に着物や帯を扱うお店があるそうなので、まずはそちらに」 「着物? ジルベリアのかい?」 「天儀からの輸入物だそうです。でも天儀にはない柄がたくさんあるとかで」 天儀では一般的ではない動植物の柄をあしらったり、色合いが珍しい着物があると聞き及んでの、本日のお出掛けだ。巳夜子も兄とは別の意味で、気合を入れてやってきている。店の下調べも万全で、もちろんお金もしっかりと準備してきた。 問題は、『じゃあ、お金も私が出すから』と言うのが明白な時人と、どう折り合いをつけるかだが‥‥普段はなかなか構えない妹に何かしたくてたまらない兄の様子を見ると、巳夜子も強く出るのは難しいようだ。 目的の物を一通り買い揃え、真夢紀は最後にしらさぎを上品な衣料店につれて入った。 「バレンタインはね、食べ物以外の贈り物もするんですって」 髪が白くてふわふわのしらさぎには、きっとジルベリアの服が似合うに違いない。きょとんとしている白鷺を横目に、真夢紀は一生懸命いい服がないかと探し始めていた。 『それなら、まゆきのふくもさがしてあげる〜』 しらさぎは最初は事情が分かっていなかったが、そのうちに『そうか、服を買うのか』と納得したらしい。真夢紀にしたら自分の好きな服を選んで欲しいのだが、それはさておき真夢紀に似合うと考えたものを次々と棚から持ち出してくる。 その大半が大人用で、真夢紀の体格にはあまり合っていないのだが‥‥そういうのが好みなのだろうと気付いた真夢紀は、どうやってしらさぎに試着させようかと狙っている。 喧嘩してからの日数に揃えるまであと一つ。 そこでハート型の飾りを探し当てられなくなったユリアは、ほとほと弱り果てていた。散々数を宣言し、ついでに一つの店から買うのは一点と制限したのも自分だが、まさか足りないとは予想もしていなかったのだ。 しかし、見付からないからと諦めるのも嫌。でも、これ以上ニクスを引き回すのも気が引ける。なにしろ、日が翳ってくると昼間とは段違いに冷えてきた。 「もう、仕方ないわね。こっちこっち」 「こちらの方に店はないだろう?」 いいから来なさいと、人気がないほうにニクスを引っ張っていったユリアは、飾り以外にも色々買い込んだ荷物の中からビターチョコを取り出した。これは本日の買い物ではなく、ちゃんと事前に用意してきたものだ。ビターなのにハート型はどうなのと思っていたが、まあ今回は良かったと言える。 仕方がないから、最後はこれでとチョコを示して、自分が半分齧ったら‥‥ニクスにはちゃんと意図が伝わったようで、残りの半分を受け取りに近付いてきた。 流石に歩き続けは足が疲れて、お茶を商う店に併設された喫茶店に席を取った尾花と紫乃は、果敢に初体験のお茶に挑んでいた。美味しいものがあれば、買い足して持って帰るのもいいと、感想を述べ合う会話も弾んでいる。 その会話がふと途切れた時に、最初に包みを取り出したのは尾花の方だ。 「これは‥‥さっき、朔さんが買っていた飾りですよね?」 「それはこちらです。お揃いで持つのも悪くないと思いまして」 まずは一つ。また別の機会に一つずつ増やしてみませんかと微笑みかけられて、紫乃も頬を染めつつ笑顔を返した。同時に、彼女も緑のリボンが掛かった包みを出している。 中身は、香りだけなら尾花も一月ばかりお付き合いしたチョコレートだ。もちろん、試作を繰り返していたのを知っているとは、言わないのが礼儀。 それを食べさせてくれと言い出した尾花と、店の中でと恥らう紫乃の甘い攻防は、もう少しだけ続きそうである。 事情はさておき、五年も行方をくらませていた挙げ句、妹が捜していることを知りつつ、その幼馴染みに身を隠す手伝いを願っていたのだ。竜哉としては、ここで捕まってしまった以上、もう逃げ隠れすべきではないと言うことくらいは分かっている。 ヘスティアも、自分が責められても仕方がないところで、レイランがとやかく言わずに済ませたので同行を拒むものではない。でも、全力といった感じで竜哉にしがみ付いていたレイランの姿に、途中で引っぺがしたら駄目だろうかとは考えたのだが。 そしてレイランも、まあ竜哉の顔色が呼吸困難で青くなるくらいの全力抱擁で気が済んだ‥‥訳ではないものの、恨み言は口にしても仕方ない。ここは一緒に行動できればいいではないかと、二人に引っ付く事にした。 そんな訳で、三人はレイランを真ん中にして散策を再開したのだが‥‥竜哉は先程の露店でねだられた装飾品を買いそびれたのが気になっていた。レイランは、兄が時折咳をするのが心配だ。原因が自分だとは気付いていないが。 「ふむ。そっか、レイランが両手に花になってるんだな」 「花?」 「ほら、普通は竜哉が両手に花って言われる立場になるもんだろ」 でも三人の真ん中にいるのは、残る二人のどちらにも色々話し掛けたいレイランで、ヘスティアはそのちょっとの距離が気になって仕方がない。あんまり気になるので、 「レイラン、わりぃ、またなー」 竜哉を両腕に抱えあげて、レイランにウインク一つ残して走り去ってしまった。体格のいい成人男性の連れ去り劇はもちろん周囲の視線を集めたが、 「また追いかけろって言うのーっ!」 レイランの叫び声の方が、より目立っていただろう。 竜哉も何か言いたかったろうが、それは誰も気にしていない。 帽子そのものは、被り心地や大きさを着用者の好みに他人が合わせるのは難しい。だから、フェンリエッタは馴染みの店が取り揃えている帽子飾りをじっくりと選んでいた。贈る相手は異性だが、親友。すでに似合う帽子は持っているから、それに合う飾りを探している。 「この星は貝? 焼き物かしら?」 独特の艶がある焼き物の星に、白い羽をあしらった飾りが彗星か流れ星のようだと気に入って、フェンリエッタはウィナにも見せてやろうと思ったのだが、ポケットの中から聞こえるのは寝息だった。 飾り選びに時間が掛かってしまい、菓子店の閉店も近そうだが、これでは走れないなと彼女は苦笑している。 いつかは自分も、愛する人と一緒にこんな日の街を歩きたいものだ。 口に出したら周りから更に人がいなくなりそうだが、ラグナは心底そう感じていた。何が原因で、自分のどこがよくないのか、幾ら考えてもさっぱり分からないのだが、彼はとてつもなく女性と縁がない。一緒に行動することがあるとすれば、開拓者として依頼を受けたときの仲間くらい。例外が一人いるのだが、あれは宿敵ゆえに女性に数えるのは他の女性に対して失礼だ。 と、その当人に対してとてつもなく無礼なことまで思いを巡らせていたラグナは、 「ラグナっ、こんなとこで一人でぼーっとしてたら、ただの変な人だよぅ」 突然背後から出現した宿敵に、素早く振り向きはしたものの、返す言葉を見付けられなかった。そう宿敵、エルレーンがいて、どういう風の吹き回しか彼にスープをくれたのである。 「ふふん、寂しそうね?」 あまりの背中の丸まりぶりに哀れを感じたとは言わず、エルレーンが尊大な態度で『一緒に歩いてあげようか』と口にしようとした瞬間のこと。 「こっ、このスープ、まさか毒でも仕込んだのかっ!」 最初の衝撃からようやく立ち直ったラグナが、失礼なことを叫んでくれた。 スープの器を片手に、器用に人を避けて、ものすごい速度で追いかけあう男女の姿が街の噂になるのは、それからもう少し後のことだった。 目当ての店で、巳夜子が気にいる品物が色々見付かって、時人はとても満足していた。店員にくすくす笑われつつも、兄妹間の支払い争いにも勝利して、バレンタインらしい贈り物が出来たから、自分は何も買っていなくても気にならない。 今、気になることといえば。 「巳夜子ちゃん、どこまで行ったのかな?」 荷物を持っているから、ここで待っていてくれればいいといきなり言い置いて、巳夜子はどこかに行ってしまった。買い忘れた品物があると話していたが、それも買ってあげるのにと兄馬鹿全開の時人は心配やら後悔やらで忙しい。 ついでに、戻ってきた時に探させては大変と別れた場所の道の端に立ち尽くしていると、やはり寒さが身に染みた。でも上着がないからだとは、まったく思わない。妹が風邪を引くかもと心配するよりは、自分が寒い方が何倍かましと、溺愛に満ち満ちた考えである。 「兄様はお体が強くないのですから、もう少し気を付けていただきませんと」 そんな彼の後ろから、いつの間にか戻っていた巳夜子が、兄に似合いそうだと思って買い求めたマフラーを身長差の都合でよいしょと背伸びしながら巻いてくれた。 ちょっと遅くなったのは、美味しそうなお菓子があったのも買ってきたからだと差し出されて、時人は涙腺が壊れそうな気分になっている。 何時間続いたのだか、愚痴が途切れた時にはもう日が暮れていた。 その頃には、ドロシーが今日のために作ってあったチョコレートの包装も、弄り回されてくしゃくしゃになっている。 「なるほど。その菓子はジルベリアの儀式に関係する、敗戦物品なのですね。そんなゲンの悪いもの、私が処理しますから寄越しなさい」 帚木が溜息混じりにそれを取り上げたら、なにやらたいそう恩着せがましいことを言われた挙げ句に、 「どうせ貴方、誰からも貰えないでしょうしね。味わってお食べなさい」 偉そうに胸を張られて、帚木は思った。 自分も独り身だが、きっとこの人よりはマシなのだろう、と。 ちなみにドロシーはドロシーで、心中で『ぼっちでないだけまし』と似たようなことを考えている。 「あ、バレンタインのお返しは三倍返しですのよ」 「処分してもらえるだけ感謝しなさい」 良く似た態度の二人は、相手の態度がよろしくないと言いながらも、まだ並んで飲み続ける様だ。 久し振りに訪れたジルベリアは、やはり寒かった。何かの祭りか特別な市が立つ日らしく、街の中は賑やかだ。 「やれやれ、人出が多くて歩きにくいし、人は妙に浮ついておるし」 一体今日は何の祭りだろうかと、暗くなってきた道を辿りながら東鬼 護刃(ib3264)は首を傾げているが、言ノ葉 薺(ib3225)もさあと知らない風だ。 なにはともあれ、今日は珍しい建物が見られるのだと、寒い中での二人の散歩に誘い出したのは言ノ葉の方。彼はバレンタインのいわれも風習も大体知っていたが、護刃が耳にしていないならわざわざ教えない。贈り物をせねばなどと、護刃を煩わせたくないからだ。 だから、何の祭りかとちょっと気にしている護刃と、その彼女が寒くないかが一番気になる言ノ葉とは、二人並んで街の中心から少し外れた建物に向かっていた。普段は街の人しか入れないのが開放されているから、わざわざ遠出して来たのだ。ちゃんと寒くないように着込んでいるが、更に護刃は言ノ葉の尻尾が風を防いでくれている。 そうして辿り着いたのは、 「随分と古い建物じゃなぁ。他とは趣きが違うが、何か特別なものなのか?」 「今は集会所になっているようですが‥‥」 古いが丈夫そうで、扉などは重厚かつ華やかな装飾で飾られた建物に入った護刃は、一番奥の天窓を見上げて感嘆の溜息をついた。 「精霊の伝承でも表わしておるのだろうか。あれは色硝子か、それとも水晶じゃろうか。綺麗な絵になっておるのう」 ステンドグラスからは、夕日の最後の光だろう明かりが差し込み、きらきらと窓を輝かせていた。実はこの建物はその昔の教会で、ステンドグラスも神教会にいわれがあるものらしい。けれども単なる集会所として残され、内部のあれこれも単なる実用品か芸術としてそのままにされている。 結構無用心な事に、パイプオルガンも誰でも演奏できるままになっているのだが、どちらもそれを演奏したいとは言い出さなかった。蝋燭も言ノ葉が持参しているから、しばらく中にいることは出来るが、たいした心得もない自分達の腕でこの場を満たす音を作る気にはならなかったのだ。 それよりは、二人であるだけの蝋燭を灯して、綺麗な硝子や彫刻を眺めるほうが楽しいに決まっている。ただ並んで座っているだけでも、嬉しいのだし。 「そうだ、お菓子がありますよ。これ、恋の味がするそうですから」 言ノ葉が懐から小さな箱を取り出して、中からチョコレートを摘み出した。それを受け取ろうと差し出された護刃の手はそっと下ろさせて、直接口元に運んでいく。 「恋の味、のう。小さいのに色々入っておるのか、難しい味がするぞ?」 一言では感想が言えないとしばらく悩んでいた護刃だが、どうしていきなりチョコレートが出てきたのかは問わなかった。代わりに、なにやらごそごそと荷物をかき回し始め、 「菓子の礼ではないが、ちょうと贈りたいものがあったのじゃ。ふふ、薺の尾は暖かいがな、これなら二人一緒に暖まれるじゃろう?」 「これはまた、随分と長いですね」 結構な身長差がある二人でもぐるぐると巻けるマフラーを出された言ノ葉は、苦労して護刃と自分に巻き付けた。 でも手袋は持ってこなかったと、今更のように気付いた二人は、しっかりと手を繋いで、気の済むまでまた並んで座っていた。どんな会話をしていたのか、聞いている人は誰もいない。 |