俺は、人間を止めるぞ!
マスター名:龍河流
シナリオ形態: イベント
危険
難易度: 易しい
参加人数: 15人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2012/11/09 00:02



■オープニング本文

 アル=カマルの首都ステラ・ノヴァ。
 その一角、開拓者ギルドにほど近いある酒場が賑わっていた。

「今夜は開拓者のお客さんが多いですねぇ」
「店長、厨房に入り込んでいる人がいますー」
「あぁ、その人は臨時雇いの料理人ですよ」

 酒場の中には、お客にも働く側にも開拓者が珍しくない。短期で雇われる料理人や給仕の開拓者達は、新たな味や流行を店にもたらしてくれるありがたい人々だ。
 もちろんお客は、もっとありがたい。
 とはいえ。

「店長、また喧嘩があったので、外につまみ出しておきました」
「そうですか。怪我させていませんよね?」
「あっはっはー。怪我させるようなへまはしませんよ」

 たまには困ったお客さんがいるのも事実。まあ、酒場には酔っ払いがつきものなので仕方がない。
 ぜひともお客には、楽しいお酒を飲んで欲しいと思っている店長の耳に、今度はこんな声が聞こえてきた。

「俺は、人間を止めるぞー!!」

 今夜も、お店は忙しそうだ。



■参加者一覧
/ 柚乃(ia0638) / 礼野 真夢紀(ia1144) / 瀬崎 静乃(ia4468) / からす(ia6525) / 和奏(ia8807) / リエット・ネーヴ(ia8814) / 村雨 紫狼(ia9073) / フェンリエッタ(ib0018) / エルディン・バウアー(ib0066) / 門・銀姫(ib0465) / 長谷部 円秀 (ib4529) / ウルシュテッド(ib5445) / アムルタート(ib6632) / ラグナ・グラウシード(ib8459) / ルース・エリコット(ic0005


■リプレイ本文

●我々は、生真面目に働いている
「ていっ!」
 可愛らしい掛け声と共に、掲げた凶器を威勢良く振り下ろしたのは礼野 真夢紀(ia1144)だった。
「う〜ん、使えば使うほど、欲しくなる素敵な刺し味ですの」
 うっとりと微笑む彼女の手にあるのは、鋭い錐。傍らには、見ただけで切れ味が窺える多種多様な包丁の数々。更には、その刃物類を熱心に見詰める青年までついている。
「準備は出来たか? まったく客でも迷惑が過ぎる輩には困ったものだ」
 えいやっと、もう一度凶器を振り下ろした真夢紀の後ろから、からす(ia6525)が手元を覗き込んだ。準備万端と差し出されたものを容器に入れて、それを見詰めるからすの表情は笑顔と言っても『にんまり』という感じである。
 そして、からすと真夢紀、加えて数名の女性陣が、砕いた氷を詰めた容器の中になみなみと注がれた色合いは素敵な液体を見て、今度は『にっこり』と笑顔を交わした。
「では、当店特製、最上級の酔い覚ましを提供に行ってくる。請求は、よろしくしてくれ」
 色合いは素敵、香りはまあまあ、味は極悪、効果は覿面の薬草茶を運んでいくからすを、たちの悪い酔客に絡まれまくって怒り心頭の女性陣が拳を振り上げて応援したそうに見送っていた。
 酒場の料理人の一人、真夢紀の包丁を珍しいと観察していた料理人の青年は、あのお茶にはきっと目玉が飛び出るような値段が付けられて、皆が寄ってたかって取り立てるのだろうなと思い‥‥本日限定の店員達に教えてくれと頼まれていた料理の材料を倉庫に取りに行く事にした。
 幾ら酒場でも、理性がなくなるほど飲んだら、よくないのである。

●私達は、楽しく働くのだ
 店員や店内で仕事をしている踊り子、吟遊詩人の女性達に、片端からいらぬちょっかいをかけて睨まれていた酔漢が、何を飲まされたものだか突如撃沈した。
「あのくらいされても、自業自得かな」
 流石にものすごい倒れっぷりにはちょっと驚いたものの、余りに迷惑な泥酔ぶりを止めに行かねばと腰を浮かしていたウルシュテッド(ib5445)は自分の席に座り直した。席と言っても客席ではない。彼は短期契約の占い師として、お客相手に商売をしている最中だ。
 ついでに、もしもの時は用心棒もと言われていたが、給仕の女性陣は摘み出すより仕返しする方を選んだようだ。
「あ〜、困ったのがいなくなってよかったね〜」
「酒は飲むもの〜♪ 飲まれちゃいかんよ〜♪」
「でも、すっかり場がしらけちゃったわね」
 あんまり酔漢が目立ちすぎて、歌や踊りが一時的に止まっている店内で、いつから出ようかと様子を窺っているのも女性陣。こちらは、酒場で働いている踊り子や吟遊詩人である。
 つまりは出番待ちのはずだが、その中の一人は空き時間を幸いとばかりに肉料理と果実酒を飲み食いしている。
「やっぱり地元の料理は美味しいねっ。空気も質が違うって感じ!」
「確かに暖かくて、本当に十一月だったかしらと思うわね」
「夏に魔の森で戦った時は〜♪ 暑くて溶けるかと思ったよね〜♪」
 歌や踊りでは分からなかったが、会話からするといずれも開拓者らしい。一人がアル=カマル出身で、二人は違うのだろう。
 などと思ったウルシュテッドが、なんとはなしに彼女達の方向を見て‥‥慌てて目をそむけた。あからさまな態度になったので、三人とも不自然さに気付いたろうが、口を開いたのは一人。
「あら、叔父様。占いの方って、叔父様だったのね?」
 おや身内だったんだと、他の二人、アムルタート(ib6632)と門・銀姫(ib0465)は素直に納得していたが、ウルシュテッド当人はまったく納得出来ていない。どうして姪のフェンリエッタ(ib0018)がここにいるのか、しかも髪の色が普段と違うから変装までしているのかと思っている間に、その当人は占いを求める客が座る椅子に移動してきている。
「身内は占わないから、避けなさい」
「そうなの? じゃあじゃあ、私ならいいよね」
 どういう理由かとか、そういうことはまったく気にしない勢いで、アムルタートがフェンリエッタを体で押すようにして、椅子を半分ずつ分け合って座りこんだ。フェンリエッタも嫌がらずに、二人できゅうきゅうと座りながら、『自分の叔父が甘い物好きで、自分の分まで時々食べてしまう理由を訊いて』などと言っている。
「もうちょっと注文が回らないと〜♪ お客も動かないからね〜♪ 賑やかしにいいんじゃない〜?♪」
 仕事中なんだからと自分が言ったところで止まらない気配の二人をなんとかくれと、視線で訴えたが、銀姫はにこにこしながら独特の節回しで『無理』と返してくれた。しかもその理由がもっともなものだから、更に訴えるのには無理がある。
 確かに酒場の中はそこそこの客がいるのに、酔漢が騒ぎすぎたおかげで妙に静かになっている。それでも銀姫が琵琶を奏でて、アル=カマルから天儀、泰国、ジルベリアの音楽を取り混ぜて提供しているが、三人ともが活躍するにはもう少し時間が必要そうだ。占いでもなんでも、場が明るくなるなら協力すべきだが‥‥
 おやつは横取りしたわけではなく、余っていると思ったから食べたと何度目かの説明をしたところで、どうせまたそのうちに言われるのだと思えば、アムルタートが別の話題を出してくれるのを切に望んでも罰は当たるまい。
「じゃあ、何を占ってもらおうかなぁ?」
 アムルタートが真剣な顔で悩み始めたところに、ちょうど団体客がやってきた。女性が大半の団体のおかげで、酒場の中も一気に賑やかになったようだ。

●楽しく飲みたい、えぇ本当に
 酒の場では、酒を楽しむ。飲み方の好みは人により色々あれど、酒場に来るのに小難しい理屈はいらないはずだ。
 そういう単純にして基本的な思考のもと、アル=カマルで酒を飲むのは初めてだからと楽しい気分でカウンターに席を占めた長谷部 円秀 (ib4529)は、あいにくと両隣の客には恵まれなかった。
「‥‥‥‥‥‥」
 片方は、何があったのか暗ぁく沈み切った様子で俯いている男性。地元の出身らしく、長い布を頭から垂らしているが、たぶん人間だろう。
「はあ‥‥寂しいお、うさみたん」
 もう片方は、ずっと一人で呟き続けている男性だ。こちらはアヌビスか修羅か、服装からして開拓者だろう。一人なのだが、兎のぬいぐるみを抱え、時にカウンターに座らせて、延々と語りかけているのである。
 カウンターの中の店主はこの程度のことには動じないようで、控えめな態度でそちらの二人にも長谷部にも分け隔てなく接してくれている。途中、目顔で席を移るかと尋ねられたが、店主との酒の話をのんびり楽しむ事にした。どちらも絡み酒ではないし、気にしなければいいのである。
「‥‥‥‥‥‥」
「一緒に酒をたしなんでくれる私の恋人は、この世界の何処にいるのかなあ‥‥」
 そう、気にしなければいい。片方は、ちょっとばかり騒がしいが。
「こちらは椰子の果汁から作ったものになります」
「香りだけでも、けっこうきつそうですね」
 アル=カマル産の酒を知らないと話した長谷部に、店主は色々な酒を少量ずつ試させてくれるので、十分に楽しい。

 カウンターは男性の一人客ばかりで、いかにも自分とは縁遠い。それに丸椅子では長時間座りにくいし、ゆったりとお酒を嗜んでみたい柚乃(ia0638)は五人掛けらしい丸テーブル席を一人で占領していた。店員が案内してくれたのがそこだからだが、流石に一人ではちょっと寂しい。
 かと言って、相席相手が誰でもいいとは思わない。やっぱり女性と一緒がいいなと思っていたら、店員も心得ているのだろう。別の女性客が、やはり一人で案内されてきた。
「あら、随分と可愛らしい‥‥って、どうしたの、こんなところで」
「わぁ、お久し振りです、メリトさん!」
 メリト・ネイト(iz0201)が、柚乃の満面の笑みに最初の愛想良い顔付きから楽しげな笑顔になった。人と待ち合わせで来たと言うが、あまりこうした酒場に慣れている様子はなく、柚乃と相席でちょっと気が楽になったという感じか。柚乃も知らない人より知っている人の方が安心だし嬉しいものだ。
 柚乃が怪我の療養がてら、こちらの大きな公衆浴場を楽しんだり、お土産に土地の銘酒を探しに来たのだと聞いて、メリトは今の時期に手に入りやすい酒の銘柄を幾つか挙げてくれた。
 どうせメリトの用事もすぐ終わるから、まだ近くの酒屋が開いていたら一緒に行こうかと話がまとまったところで、ちょうどメリトの待ち合わせ相手もやってきた。
 ただし。
「随分と人数が多いんですね」
 そちらは柚乃が見たところ、アル=カマルの聖典主義神殿の巫女達と天儀神教会の神父二人という、一風変わった集団だった。
 でも、もっと変わっていたのは。
「俺は、人間を止めるぞーっ!」
 この叫び声だろう。

 エルディン・バウアー(ib0066)は、ジルベリア生まれだが天儀に渡って天儀神教会で魔術と神父の修行をした。その甲斐あって、先だっての魔の森での戦いでは、神の巫女にも正式な理由があれば面会が叶うという褒章を得たのだが、流石にセベクネフェルを飲み会に誘うのは無理。
 だからと言うわけではないが、今まで何度か関わりがあった神殿の巫女さん達が、その褒章品のカメオを見たいと言い、人に会う用事があるという宗派は違うが同輩の神父シンにも連絡が取れたのを幸い、皆で出掛けてきたのだ。
「どうぞ、手にとってご覧になってください。その方が、神の巫女様のお顔が良く分かりますよ」
 差し出されたカメオを、遠慮がちにテーブルの上に置いて眺めている巫女さん達に勧めるエルディンの笑顔は爽やかだったが、隣に座ったシンは少しばかり不機嫌そう。なにしろ用事があって王都に出てきた彼を捕まえて、『こういうときはイケメンが来るか来ないかが重要なのですよ!』と力説したのである。そんな様子は、綺麗さっぱり隠し切っているが。
「シン殿のお待ち合わせ相手も女性でしたよね? いらしたら、ご一緒しましょうよ」
 挙げ句に、にこやかにそう提案してくるのだから、シンが呆れても仕方ないところもありそうだが‥‥文句を言うより先に、例の叫び声が上がったのだった。

 あまりに大きな声だったので、皆が思わず振り向いてしまったが、叫んだのは人間の青年だった。カウンターに突っ伏すようにして、二度三度と同じことを叫んでいる。
 と、それに刺激されたのか、かなり可愛らしい声まで上がった。
「うじぇ! 私も、人間を止めるじぇえぇえ♪」
「‥‥うりぃ〜」
 両手を振り上げて、楽しそうに宣言したのはリエット・ネーヴ(ia8814)だ。傍らでは、なんだか冷静な雰囲気を残した瀬崎 静乃(ia4468)が、形だけは同じく両手を挙げている。二人の周囲では、成人したかしないかのこの二人客に酒を出したかどうか、店員達が素早く視線を巡らせてお互いに確かめ合っていたが、二人とも飲んではいないはず。
「あっ、ジュースもう一杯!」
 世の中には、酒の匂いや酒場の雰囲気だけでも酔っ払える人もいるから、リエットはまさにそういう性質なのかもしれない。静乃も同じか、付き合いがいいか。
「うしっ、私は虎になるじぇっ」
 すちゃっとどこからか虎耳カチューシャを取り出したリエットが、それを着けてご機嫌に立ち上がった。歩き回るかと思いきや、その場でステップを踏んでいる。
「‥‥リエット、ずれてる」
 静乃の指摘はステップではなく、虎耳カチューシャについて。耳に入った様子がなく踊っているから、わざわざ立ち上がって直してやっている。
 この二人はそこそこ楽しそうだが、最初に叫んだ当人はまだなにやらぶつぶつ言っているらしい。
 だが、流石にもう一人ではない。

 大抵の人には迷惑な叫び声は、ごく少数にとっては助けの声、または純然たる興味の対象になっていた。
「‥‥‥‥良かっ、た」
 ほっと安堵の息を吐いたのは、ルース・エリコット(ic0005)。酒場には不似合いな年齢の女の子だが、吟遊詩人ゆえに出入りしていておかしいわけではない。しかし、彼女は仕事をしに来たわけではなく、単に喉を潤すのにミルクを一杯飲ませてもらおうと思っただけのお客だった。
 それが、華やかな服装で察したらしい別の客に、吟遊詩人と尋ねられたから頷いたのが良くなかった。たまたま酒場と契約している面々が、場の空気を見計らって出る機会を窺っているなど知らない客に、景気付けに何かと言われて弱り果てていたところだ。
 許可も取らずに舞台に上がったら怒られそうというより、ルースはあがり症なので突然の仕事には向いていない。さあさあと強引に促されて、店の小さな舞台に上げられて、奥から本職らしい女性達がやってきたのを見ただけで倒れそうだったところにあの叫びで、挨拶も始めないうちに降りることが出来たのだ。
 しかし、一体どういうことであんなことを叫んだのかと、不思議に思って眺めたルースは、件の青年が開拓者らしい数人に囲まれているのを見て取った。

 人間を止める宣言など、『酔っ払うにも程がある』とか『変な薬でもやっているんじゃないか』と多くの人は思うところだろう。けれども和奏(ia8807)はちょっと違っていた。
「人間を止めるなんて、そんなことが出来るとは知りませんでした。これからどうやって、何になるのでしょう? 後学のためにぜひ、ここで見学させてください」
 せっかく美味しいものを食べていたのにと膨れた連れの人妖が更にむっとした事に、和奏は期待に満ちた目で件の青年の傍らに椅子を運んで座り直していた。酔っ払いの戯言と思わず、本気でこれから起きることを期待している顔付きだ。
 けれど、ふと思いついたような表情になって、今度は。
「あ、そういえば、依頼でアヤカシになってしまった人にお会いしたことが‥‥それでは大変ですし、その時には一思いにばっさりやったほうがいいでしょうか?」
 カウンターの並びでは、我関せずでぶつくさ言っている一人以外の客、元から座っていた者や騒ぎに近付いてきた者が、堪えきれずに吹き出している。
 酒場の中には、人間を止めてどうするのだろうとか、何にやるのだかと割と冷ややかな見方も多かったが、流石に和奏の域に達していた者は他にいない。『アヤカシになるなら一思いにばっさり』発言が徐々に広がって、笑いも一緒に増えて行ったから、発言者は著しく傷付いたらしい。
「お、俺はっ、アヌビスになりたいんだーっ!」
「いやぁ、人間だって悪くはねえぜー。まー兄弟、荒れてねえで一杯やんなよ。酒は心の安定剤さ」
 アヤカシでないなら、どう変化するのかなと腰を据え直した和奏はさておいた様子で、アヌビスになりたい発言の青年の隣に座ったのは村雨 紫狼(ia9073)だ。こちらは酒場でよく見る、嘆く酔っ払いを他の客が慰める構図を作っている。
「悩みはなんだ、金か、女か、仕事か?」
 この流れは、ごく普通。突拍子もない現実逃避を言い出す理由としては、真ん中あたりがありそうたが、他の理由もありそうだ。
「安心しろ、金も貸さんし女も仕事も紹介しねーからな俺」
 でも、これはちょっと珍しい。
「俺も開拓者なんて半分人間辞めてるイキモノだぜ?」
 更にこれには、酒場内にけっこうな人数がいた開拓者の大半が『一緒にされたくない』と考えた。
「人間辞めたところで、面倒事に巻き込まれるばっかりさ。それで損するくらいなら、ここは穏便に酒を飲んで憂さ晴らししようぜ〜、な?」
「え‥‥人間は辞められないので?」
 最終的には、割と普通のところに落ち着いた村雨の背後から、和奏がそれはもう残念そうな声を出した。まだ種族変化の見学が諦めきれないらしい。
 と、その肩にぽんと手を置いた者がいる。
「仕事や家はもちろん、信仰とて望めば変えることは出来ます。けれども生まれ持った種族を変えてしまうのは、人の為しえる領域ではないのですよ」
 にこにこと話し掛けてきたのは、エルディンだった。その笑顔は『でも変えられるなら、自分も試してみたい』と語りそうだが、話し振りは聖職者らしい流暢で優雅なもの。
「そちらの方は、何かお悩みがあるのでしょうか? それでしたら、聞く耳は多い方がお気持ちの整理も付けやすいのでは?」
 にこにこ、にこにこ。
 よく見れば、エルディンの背後にはあからさまに宗派が違う巫女さん達がいて、村雨にも声を掛けていた。こちらは人数が多くて、うっかりすると教義を延々と聞かされそう‥‥なんて心配をする者もいそうだったが、実は村雨と彼女達には面識がある。
 合わせて、カウンターに肩を震わせてそっと笑っていた長谷部も、地元の住人ではないと見た巫女さんから、彼女達の席に誘われていた。
「旅の方には親切にせよと言うのも、私どもの教典にありますの」
 ちょっと押し付けがましいところもなくはないが、アル=カマルは旅人をもてなすことに力を入れている地方や部族はたくさんあるという。この人もそういう一人かと思って、長谷部もお誘いを受ける事にした。酒は店主に色々手解きしてもらったが、肴は説明されても一人では頼みきれないので、ほとんど未開拓。そういう点でも、人数が多いところで色々話を聞きながら食事をするのは悪くない。
 人間を辞めたい青年は、まだあれこれ言いたいようだが、周囲から宥められてとりあえず大声は出していない。ぶつぶつとどうにもならないことを口にはしているようだが、聖職者達の笑顔が揺るぎもしないことに、和奏はまた素直に感心している。
 ところで、ぶつぶつ言っている男性は、カウンターにもう一人いた。
「きれいでやさしくて賢くて胸の大きい、私の天使に会いたいよぉ」
 いやもう、大抵の人が係わり合いになるのを避けそうな発言が滔々と流れ出ているラグナ・グラウシード(ib8459)の傍らにも、巫女さんが二人ついていた。こちらは相席しても大変だと思ったのか、巫女さん達がカウンターに移っている。
 おかげで聞いてくれる人が出来たラグナは、相手が自分より年上、それもかなりの年齢差だというのをどう思っているかは分からないが、本人なりの苦労話を延々と語り始めていた。
 耳にした者の多くは、『そういうこと言っているうちは、幸せは遠いよ』と思っても、流石に直接は言わない。年上の女性達から有用な助言を貰って、冷静に実行できれば道も拓けるだろう。実行出来るかは、誰にも予測できないが。

 そんな妙な騒ぎをぽかんと見ていた柚乃は、メリトがいつの間にか天儀神教会の神父の一人と話しているのに気付いた。待ち合わせ相手というのはこの神父のようで、なにやら古びた箱を一つと、分厚い手紙に布包みを受け取っている。
「その包みは酒。出所はあれだけど、味は良かったんで」
「出所が、アレ‥‥か」
 きょとんとしている柚乃に気付いて、メリトは苦笑しながら布包みを彼女の方に寄越してきた。前の持ち主に問題はあるが、酒が悪いわけではない。でも当人は絶対に口を付ける気にならないので、土産の末席にでも加えてやってと言う口振りから、柚乃もなんとなく出所は察したのだが‥‥どうして神父がジャウアドから酒を貰ってくるのかが、さっぱり分からない。その人物が、メリトと会う用事もだ。
「あの男が海難事故で亡くなった、うちと親しい部族の長の縁者の遺品を運んで来てくれたのよ」
 ただその部族がジャウアドともめているので届けに行けず、メリトが近くに来ていたのを知って連絡してきたらしい。ついでに最近までのジャウアドの影響下にある魔の森とその周辺の状況もまとめて寄越す条件だったので、メリトも仕方なく出てきている。
「魔の森は、早くなくなるといいですね」
 何かお手伝いすることがあればいつでも呼んでくださいと、その柚乃の申し出は社交辞令でもなんでもない。

●楽しいのが一番だ
 なにやら妙な騒ぎが続いたが、店は満員で注文もたくさん。
「うーん、これがワインに合うって本当でしょうか?」
 食べ物に対して舌が肥えているが、酒はまだこの先の課題の真夢紀は、自分が作った肉じゃがと熟成したワインの組み合わせが好評だと聞いて、不思議に思っていた。ヴォトカの方が合いそうに思うが、知識としては大事に蓄えておかねばなるまい。
 肉じゃがと赤ワインなら、芋やかぼちゃ、豆類で作った「にょっき」ときのこのクリームソース煮や生鱈子を炙って、ふかしたジャガイモを添えて醤油と海苔で味付けとした一品はどうだろうかと、次の反応を楽しみにしている。
 そんな彼女の荷物には、あんまり使いやすいと連呼したので報酬の地元料理伝授に加えて貰い受けたアイスピックが収まっている。
 真夢紀が作った料理が、店員達に厨房から運び出された頃。店内の吟遊詩人や踊り子達も、ようやく本領発揮の機会を得ていた。今日はなんとも騒がしかったが、どうせなら楽しく賑わっている方がいい。
「む、無理、む‥‥り」
「大丈夫さ〜♪、どうせお客は飲み食いに夢中だよ〜♪」
「そうよ。それに一緒にお菓子を食べたんだから、その分は歌わなきゃ」
 舞台に上がっても、真っ赤な顔でぷるぷると震えているルースの前で、慣れた様子の銀姫とジゼルだかフェンだか名前が分からない女性とが、椅子の位置を直している。先程、客に無理やり舞台に上げられていたのを助けた方がと思った二人だが、同業者なら経験は必要だと一緒に引っ張ってきたのだ。
 ちなみに、ルースが勧められたお菓子は、占い師の男性がどういう理由でだかこの三人にアムルタートを加えた四人にご馳走してくれたものである。遠慮なくどうぞと言われたが、こんな事になると分かっていたなら、ルースは必死に固辞しただろう。
 まあ、今更言っても仕方がないことだが。
「いえ〜い、盛り上がっていくよ〜」
 アムルタートはお客の間を一巡り、歌や踊りの再開を知らせて、舞台に戻ってきた。一緒にあがってきたのは、先程まで給仕をしていたからすだが、こちらはバイオリンを手にしている。
「おや、私より若い人がいたね」
 お手本になれるほどではないが、頑張らないと。にこりと笑いかけられたルースが、また緊張してあたふたしている間に演奏が始まって、ジゼルが竪琴を、からすがバイオリンを、銀姫が琵琶の旋律と伸びやかな歌声を響かせ始める。アムルタートも、旋律に合わせて足を慣らしつつ、軽やかに踊りだした。途中からルースの声もおずおずと、小さくだが加わっていく。
 人間を辞めたかった青年は、この頃には酔いが回って寝込んでいて、同じテーブルに着いた者達はのんびりとした会話を楽しんでいる。
「あぁ、歌のうまい天使でもいいなぁ」
 そしてカウンターでは、ラグナが懲りずに夢を語っていた。
「次は猫になるじぇ〜!」
「こら、そこ。触るんじゃない」
 音楽に合わせて本格的に、でも気分次第の踊りを始めたリエットは、あちこちぶつかりかけたり、酔客に触られそうになるのを静乃が止めて歩いているのを気付かず、ご機嫌に人間以外になりきって踊るのを楽しんでいる。