名探偵、求む!
マスター名:tama
シナリオ形態: ショート
危険
難易度: やや易
参加人数: 8人
サポート: 0人
リプレイ完成日時: 2009/09/30 19:15



■オープニング本文

●それは蒸し暑い日のこと
 その日はとても蒸し暑い日だった。じっとりと汗が浮かぶ、大多数の人間にとっては不快な日。
 刀剣工の刃風錬太郎もその例外ではなかった。しかしながら、彼のまとう汗の不快さは単純に湿度と気温からくるものではない。これから自分に待ち受けるであろう苦難を予期して流れる、いわゆるところの冷や汗というやつである。
「まずいまずいまずい。師匠、相当怒ってるだろうなあ‥‥‥」
 重苦しい調子で廊下を歩いていれば、兄弟子の吉岡忠治が珍しく庭の水遣りなどをやっている。いや水遣りと言うには勢いが強い。しかしのんきな事だ。一応声をかけるが、忠治は片手を挙げて応えるのみだ。顔もこちらに向けない。
 しかしそんなことよりも、錬太郎の心中では既に角を生やしている師匠、刃風玄丞が彼を金槌で平坦に伸ばしているところだ。炎を吐きながら、いつものしかめっ面で錬太郎を絞り上げている。恐ろしい。
 身震いをしながら、改めてなんと言い訳をしたものか思い悩む。といっても、彼には思い当たる節が多すぎて“どれに対しての言い訳を考えておけばいいのか”で悩んでいるという、まったく不敬な姿勢である。
 先日吉岡兄弟子に「お前は考えなしすぎる」と叱られたばかりだというのに、この上師匠にも拳骨をいただくとは……なんとも暗い未来である。
「ああ。拾ってくれたのには感謝するけど、こんなに不肖の弟子なら取らなければ良かったんだよ」
 昨日の夜に明日の朝一番で部屋に来るようにと言い付かった。あの厳しい顔に震えながら師匠の部屋へ謝ろうと来たはいいが、既に何分も踏ん切りがつかずブツブツと独り言をつぶやき続けている状態であった。とはいえ、堅気の師匠の事だ、こういったことは早いに限ると十分近くも悩んだ末に結論付けた彼は、大きく息を吸い込んで、覚悟を決める。
 障子に手をかけ、土下座の姿勢で勢いだけはあたかも今駆けつけてきたとばかりに。
「師匠っ!申し訳ありません、先日師匠の大事な玄翁を自分の物と間違えて持って帰ってしまいました!」
 気力を絞った誠意の見せ方で師匠の怒りをわずかでも緩和しようという作戦だったが、続く「お怒りはごもっとも」から始まる口上は中止せざるを得なかった。いきおい上げた半泣き顔が見たものが、その原因である。
 うずくまるように寝転ぶ老体。藍色の甚平はいつもの部屋着で、しかしその手に握っている抜き身の匕首が酷く火急の様相を呈していた。いつもは大きく頼もしい背中が小さく見えたのは、混乱の故か、はたまた師の白髪を染め尚流れ止まぬ鮮血のせいか。
「師匠っ!」
 駆け寄り呼吸を急ぎ確かめる。息はある。意識はないようだが、生きている。
 急ぎ医者を呼ばねばと転ぶように部屋を飛び出せば、そこに兄弟子を認めた。
「久義さんっ! あの、その師匠が! 怪我を!」
 上手く動かぬ舌を懸命に回して伝えれば、血相を変えた兄弟子、鳥口久義が部屋を覗き見る。どたどたと駆け寄り、錬太郎と同じく師の口元に耳を当てると、その途中ではたと気付いたように師の握る匕首に目をやる。師の物とも思えぬずさんな代物で、その切っ先には刃切れと呼ばれる未熟の疵が走っている。それを師の手から取り、脇に落ちていた鞘に収めると、ぎりりと歯軋りをして久義は言った。
「錬太郎、貴様師を手にかけるとは‥‥‥!」
「は?」
「とぼけるな! そこに落ちている血のついた玄翁は、正に貴様のものだろうが!」
 久義の指差す部屋の隅に眼をやれば、そこには確かに錬太郎が師から譲り受けた玄翁があった。また、その玄翁は兄弟子の言うとおり、見まごうはずも無く真っ赤な血がついていた。
「誰か! 誰かおらぬか! 至急医者を呼べ! それと身を縛る縄もな!」
 廊下のすぐ先から鎌尾伊六の姿が見えた。鍛鉄場の用意をしようとしていたのかガシャガシャと獲物を持って急いで駆けつけてくる。岩のような顔で錬太郎を取り押さえると、表紙に散らばった工具に面倒そうな顔をする。
 久義の声が遠い。酩酊したがごとく意識が朦朧となり、違うと叫んで殴られたのも、もはや誰だかわからなかった。


●名探偵、求む!
 一人の少女が息せき切って武天の開拓者ギルドまで走りこんできた。切羽詰った様子が見て取れる。息も整えぬうちに受付を探して首を巡らせ、見つけたときにはまた駆け出す。
「あ、あのっ! 依頼をお願いしたいんです」
 疲労からか憔悴からか、覚束ない足元の少女が見せる真剣な眼差しに、手の空いてる係員が水を持って応対に向かう。その水も一息に飲みきった少女の話を聞くと、それは少々突飛な話であった。
「錬太郎が犯人なわけないでしょ! 誰か別の犯人がいるのよ!」
 彼女の名は伊織。錬太郎の幼馴染で、恋人だそうだ。掴みかからんばかりの気迫で係員に訴える彼女の依頼は、わずかな手がかりから真犯人を探し出してくれということであった。
 錬太郎は殺人の容疑で拘束され、事情聴取の真っ最中。しかし、凶器の金槌は彼のもので、現場を目撃しているなどという証言もあり、このままでは本当に彼が犯人にされてしまいそうだ。
「絶対! 絶対真犯人を捕まえて、錬太郎の無実を証明するのよ!」
 そう叫ぶ彼女は、更に轟々と続けた。


「育ての親を怒られたからなんて理由で金槌で殴るわけ無いじゃない! そんな度胸もないしね!」
「あの日お屋敷にいたのは錬太郎だけじゃないのよ! 鳥口だって鎌尾だって吉岡だっていたんだから、犯行は可能でしょ!」
「だいたい血が乾いてないうちに見つけた最初の人間が錬太郎で、金槌が錬太郎のだったってだけよ捕まった理由! 信じられない!」
「鳥口は普段しない挨拶に行こうとして錬太郎を見つけたとか言ってて怪しいし! 鎌尾は寝坊助の癖に何時になく早く起きて工具なんか持ってて怪しいし! 媚虫の吉岡が師匠のトコにいなかったのも逆に怪しいわ!」



 しばらく怒鳴り続けて疲れたのか、伊織は今までの勢いはどこに行ったか霞むような泣き声で言う。
「助けてください‥‥‥」


■参加者一覧
巳斗(ia0966
14歳・男・志
ロウザ(ia1065
16歳・女・サ
向井・智(ia1140
16歳・女・サ
喪越(ia1670
33歳・男・陰
四方山 連徳(ia1719
17歳・女・陰
雷華 愛弓(ia1901
20歳・女・巫
北風 冬子(ia5371
18歳・女・シ
深凪 悠里(ia5376
19歳・男・シ


■リプレイ本文

●捜査編
 太陽は中天にさしかかり、蒸し暑さもより厳しくなった。天儀ごと釜で茹でられているのではないかと思いながら顎を伝う汗をぬぐうのは、四方山 連徳(ia1719)である。今も元気に部屋中の臭いを嗅いでいられる人物に、感嘆の念を禁じえない。
 彼女達は事件現場となった玄丞の私室を見て回っているのだが、暑さに集中力が削がれているということでもなく何ら手がかりを得られていないというのが正直なところであった。
「争った痕跡はなし、血痕の様子から見ても倒れてからお師匠さんを動かしてはいないでようでござるな」
「ししょー たたかう してない! どして ぶき つかむ?」
「それもそうなんですよね。匕首が部屋にあった理由なんかは判明したのですが」
 連徳の独白に追随するするように声がかかる。美しい薔薇色の髪を揺らしながら一生懸命に考え込んでいるのはロウザ(ia1065)だ。先程から玄丞の倒れていた箇所に寝転んでみたり、部屋中の臭いを嗅ぎ回ってみたりと暑さをものともせず捜査している。
 がらりと奥の襖を開けながら、雷華 愛弓(ia1901)も続く。彼女はそもそも匕首がなぜ玄丞の部屋にあったのかと考え動いてみたが、その答えはすぐ見つかった。それが即ちこの光景である。
「良き師匠なのでござろうな」
 そこには弟子達の習作である刀剣等が大事に保管されていた。一見するに、それぞれ何かの節目に当たる時分の物なのであろう。出来の違いはあれどどれも同じ代物だ。弟子達の成長の過程を記録したいと思ったのであろうか。彼が当日握っていたという匕首も、この中から取り出されたのであろう。
 もはや滑って転んで自分で打ったのではないかという当初の愛弓の案を採択しかけた刹那。
「みんな! しらべる あきらめない これ だいじ!」
「……ええ、そうです。ふふ、ロウザさんは元気の達人ですね」
「愛弓さん、それちょと意味がわからないでござるよ」
 訊きこみに行った面子との集合時間までまだ少々ある。他の場所にも手がかりがないか、探してみるとしよう。先頭を張って駆け出したロウザに続く二人。愛弓は思う。インドア派には少しばかりきつい日差しだと。

●推理編
「それでは、各自訊きこみで得た情報を披露しましょう」
 向井・智(ia1140)の一言で、揃った面子はメモ帳を取り出す。
 事情聴取は厳密には行えなかった。開拓者は官憲と違い、正式な拘束権を持ち得ない。決定的な拒否行動を取られれば、あくまで民間人からの依頼で真実究明という今回に限っては無理強いできないのだ。
 そういった事情から、何度も同じ質問をぶつけないようあらかじめ全員分の質問を携えた担当の人間を行かせるという方法を採る事となったのである。
「それではまず、鳥口さんに関して」
「んっふっふ〜。どうもみなさん、ふる」
「先生どうしたんですか。そのしわがれた声」
 智が議題を進行させようとした矢先、鳥口を担当した喪越(ia1670)が、なにやら挙動不審な言動をとり始めた。彼を先生と呼ぶ巳斗(ia0966)が特殊な意味も込めた心配そうな目で見つめるが、眉間をもみながら動じた風もなく続ける。
「え〜、当日の鳥口さんの行動ですか。これがまた実に興味深いのですよ。まずはそう、どうして一目で金槌を錬太郎のだと判別できたかですが、これが」
「喪越、真面目にお願いします」
 深凪 悠里(ia5376)の鋭い突込みが入る。有無を言わさぬ怜悧な調子に、喪越が反論する。
「なんだよ、つれねーぞアミーゴ。それにお前がそれ言うのかよ」
 堪えきれないように大笑する喪越が指差す先には、愛弓のたっての希望で結成された少年少女探偵団の団員となった巳斗と悠里の、女も裸足で逃げる女っぷりである。男と言われて疑う脳も働かない女装を、しかし悠里は任務のためと疑わない。巳斗が恥じているのが見えないのだろうか。
「ともかく、金槌はそれぞれ弟子入りの際に銘を入れた各自の物を持つしきたりだそうで、血まみれだろうが一目で見ればわかるそうです」
 同じく鳥口に訊きこみに行った智が業を煮やしたか割り入った。
「それに関しては間違いないわ。部外者の私でも皆の持つ金槌の違いはわかる」
 北風 冬子(ia5371)に肩を支えられた依頼人、南伊織が、気丈に頷く。一同に会した際に皆に励まされたのが効いたか、平生の力が戻ったかのようだ。
「それと、なぜ匕首をしまったか。これに関しちゃ、反撃を恐れての事、だそうだ」
「玄翁を取り違えた事は知らなかったらしく、これは錬太郎の言い訳ではないかとのことでした。また、あの匕首は誰も誰の手によるものかわからないとのことです」
 朝錬太郎と玄丞が会うって話も聞いてなかったそうだ、と言った喪越は、結局確かめようがないからどうだかわからねえがな、と続けた。
「では次、鎌尾のことについてだ」
 悠里が手を挙げる。
「当日の久義と錬太郎が何時ごろ部屋に行ったのかとか、二人を見ながら呼ばれるまで動かなかった理由だが‥‥‥ぼうとしていて気づかなかった、だそうだ。つまり、いたのには気づいたが時間や間隔はわからないし、二人がいても声もかけなかったのは特に理由がないと言う事らしい」
 つまらなそうにそこまで言ってから、
「俺はあれが今回のうっかり犯人だと睨んでいたが、アレはないな。直接対話してみてわかる。そんな脳味噌もなさそうだ、とな」
 肩をすくませながら盛大に溜息をつく姿も女性な悠里を見ながら、巳斗が次は自分だと深呼吸をした。翡翠の瞳に緊張を滲ませながら始める。
「次に吉岡さんですが、彼は非協力的で、ほとんど情報を得られませんでした。何故当日の朝来るな、などと言われたのかについては、毎朝挨拶に行ってるから用事がある日はそう言われるのだそうです」
 それ以上は口説かれてしまって逃げ帰ってきたそうだ。この場合果たして哀れなのはどちらか。
「こ、これも特におかしなところはないです。あいつが毎日玄丞さんの部屋にご機嫌伺いに行くのは皆知ってましたから」
 そこで身を乗り出す伊織。
「それで、真犯人はわかったんでしょうか? 錬太郎は、大丈夫なんでしょうか?」
「わわっ、落ち着いて落ち着いて! どうどう」
 皆が推理に窮しているのを感じたのか、焦燥をあらわにした伊織を冬子が止める。あやすように背を擦りながら、自身も考えるのをやめない。
 智が冬子のとったメモを睨みながら唸る。せめて錬太郎の話は聞きたかった。まさかに彼と面会できないとは。錯乱して暴れたのが仇となり、少々きつい説教を喰らっているらしく、沙汰あるまで面会謝絶とのことだった。また、このまま半端に証拠のある彼が犯人でないと証明できなければ、その沙汰は決して好ましいものとはいえないだろう。
「う〜ん‥‥‥でも、いやいや、しかし‥‥‥ッ」
「きゃあ! 冬子?」
 知恵熱か、湯気を上げて倒れた冬子を、伊織が支える。今度は先と逆の役割になったが、冬子はすぐに正気を取り戻して、また考えにふけり始めた。
 それに触発されたか、場がにわかに喧々諤々としてきた。
「やはり、」「しかし」「でも」
 そんな中、ぼそりと混じる声。
「なあシニョール冬子。あの刃切れ、鳥口って言うんだろ? 巳斗が言ってたんだけどよ」
「トリグチじゃなくてカラスグチですよ。切っ先に出来た疵を特にそう呼ぶ、と以前鳥口が」
「案外匕首をしまったのそれを勘違いしてだったりしてねー」
 ぴたり、と喧騒が止む。
 と、そこで、我勝ちたりと言わんばかりの顔で現場検証組が合流した。

●真犯人は
 日が落ちかけて、辺りは紅に沈んでいる。障子越しにそれを見て、決心したかのように目の前の玄翁を見つめる。伸ばしかけた手を、しかし声が遮る。
「鳥口久義さん、先程お世話になりました。向井・智と申します」
「ああ、君か」
 障子越しの奇妙な会話。しかし、どちらもそれを気に留めず、続く。
「いきなりで興が殺がれるかもしれませんが、先日の事件の犯人、あなたじゃないですか?」
「‥‥‥なぜそう思うのですか」
「一つ目はですね、あなたの証言です」
 鳥口は知らないが、巳斗の声だ。凛と響く声が灯のない鳥口の部屋に響く。
「朝早く起きて玄丞さんのところに向かったというのにもかかわらず、十分近く部屋の前で悩みこんでいた錬太郎さんより遅く到着するのって、不自然ですよね。昼に来いというのをわざわざ行ったのですから」
「もちろん、鎌尾さんが準備しているのですから仕事はあったわけですよね。つまり、玄丞さんのお部屋に行ってからでも準備には影響のない時間帯という事です」
 これもどこからか聞こえるのは、愛弓の声だ。
 段々と暗くなっていく室内に、尚影を落とす鳥口の表情はもう読めない。
「鳥口さん、カラスグチを勘違いしましたね? 深読みしすぎて隠したこの匕首、仲間が見つけてきてくれました。あなたの部屋からです」
 ふふっ。かすれて消えそうな笑いがこぼれる。ゆっくりと障子が開き、布にくるまれた件の匕首が差し出された。先端から覗く刃切れが嫌味に光る。
 落日を望む事のないこの部屋は、既にとっぷりと闇に浸かってしまっている。ぐったりと疲れた弱々しい風が開いた隙間から忍び込む。しばしの静寂があった。
「‥‥‥伊織、いるんだろう」
 応えはない。しかし、たとえそこにおらずとも、告白は述べられたろう。
「あの日、早起きしたから偶然に師の部屋に行ったというのは嘘ではない。だがその偶然がいけなかった。師はね、錬太郎を自らの後継に、と考えておいでだった。そしてその後見役に私を、と言ったのだ」
 ぽたりと何かが畳を打った。震える声が怒りによるのか悲しみによるのか、それは闇に閉ざされてしまっている。
「それを聞いて、またその事実を知って、平静を保っていられようか。問うたさ。問うたとも。錬太郎は若い。まだ未熟だ。伊六にすらその腕は劣る。だのに身内の情で‥‥‥。そんなことが許されるだろうか? しかしどう訊いても、師はお顔を厳しくなさるばかりだった。
 見境がなくなりカッとなって師を打ち倒したこの私を、またも偶然の悪意が見舞った。師を打ったその手にあったのが、いやさ渦中の錬太郎のものであったのだ」
「もうやめて、それ以上聞きたくない!」
 伊織が廊下で声を上げた。冬子と愛弓がきつく抱きしめる。
「よぉ、あんた。全部偶然とかのせいにしたら、いいとでも思ってんのかよ」
「もこす やめて! あいつ そんなこと おもってない」
「チッ」
 普段の冗談を潜めさせて、怒りを覗かせる喪越。
 さあ、一緒に来てください。そう言った巳斗に、頷きを返す鳥口。虫の輪唱が聞こえてきた。身じろぎする気配とともに、小さな呟きがしっかりと開拓者達の耳朶を打った。
「その前に、せめてこの手を償いに‥‥‥!」
 振り上げられた玄翁が、鳥口の右手を砕く事はなかった。掲げられた左腕をしっかりと掴む悠里があったからである。厳しい目で、堪えきれぬとばかりに悠里は漏らす。
「こんなくだらないことで償えると思うなよ。こんなのは、かっこつけだ。ただの」
 もう一度、何かが畳を打った。

●終劇
 後悔に塗れた顔を照らす月光を、せめてもの慈悲か雲が隠す。開拓者達に呼ばれた官憲が無実の錬太郎を開放するとともに、自供した鳥口を拘束した。
 開放された喜びを微塵も表すことなく、錬太郎の表情は沈痛だ。伊織は錬太郎に抱きつきながら、幼年から親しんだ背が侘しく遠のいていくのを見守った。
「久義!」
 夜陰を切り裂く声は、瞬く間に鳥口の耳にも届いた。
 振り向いた先には、痛々しく包帯を頭部に巻きつけた、刃風玄丞その人である。
「久義」
 途端、こすり付けるが如く地に伏し土下座する鳥口。警官が立たせようとしてもその体勢を崩そうとしない。
 そんな鳥口を見てか、玄丞はふらふらする体を錬太郎に支えてもらいながら、搾り出すように言った。
「あの匕首はな、お前のものよ。お前の匕首よ。これがな、俺にも錬太郎にも、最初の匕首に同じ疵がある。伊六にも忠治にもだ。
 お前を後見としたかったのは、錬太郎を後継にしたかったのはな、色々あるが一番は、お前を息子のように、錬太郎を孫のように思っとったからだ。息子の中で出来のいいお前に、俺の孫の面倒見てもらいたかったんだが。ちょっとばかし早かったみたいだな」
 こいつばかりは、馬鹿親がいけなかった。そう言って、玄丞は気を失った。
 引き摺られるように起き上がらされた鳥口は、申し訳ありませんとしきりに叫びながら、涙声で言った。そのせいか、とても聞き取り辛い声だった。
 錬太郎、すまなかった。先生を、頼んだ。
 そう聞こえた気がした。
 連徳がもやを抱えた複雑な顔で呟く。
「結局、親心に気づけなかった馬鹿息子の暴走ってことでござるか」
「あのなあのな ろうざ あいくち みつけた えらいか!?」
「ま、まだ言ってるのでござるか? 何度偉いと言わせれば」
「連徳さん、今回もまあその類の事件だったわけですよ」
「‥‥‥愛弓さん、やっぱり意味がわからないでござる」
 雲から月が出てきた。虫の輪唱は止まず、星の回天は慎ましやかに。
 振り返る先に互いを抱く錬太郎達を見ながら、開拓者達は今日という長い一日に終わりを告げ、家路についた。故郷への思いを新たにした者も、いたかもしれない。