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■オープニング本文 ●攫われた少女● 川沿いの町であり、港町との交易の要衝として栄えている五行の首都『結陣(ケツジン)』。 この都には国王である架茂(カモ)王も居を構えており、国王自らも陰陽師である。 国内には陰陽師達の鍛錬や教育に力を入れた国営施設もあり、陰陽師の都として賑わいを見せている。 しかし、アヤカシによる被害は少ないものの氏族間の統率はとれておらず、国家としての体裁を保つまでにはなかなか到っていないという。 街並みは川沿いと言う事もあり、拠点となる要所は川沿いにある。 四辻を多く抱えた碁盤の目状の整った通りもあれば、まだ未整備の場所もあった。 拓けているのは国内全てというわけではなく、首都以外の土地もまだ未開拓の場所も多かった。 都を一歩出ると、華やかな風景からは一変しのどかで緑豊かな大地が広がっている。 整備された道沿いには、ぽつりぽつりと集落があり、大小含め様々な街や村がある。 川により水の恵み豊かな国内は、憂慮すべきアヤカシの問題を除けばごく普通の穏やかな人々の暮らしがあった。 しとしとと長雨の続くこの時期、河川は少々水嵩が増していた。 この日、親の名代で都の外へと使いに出ていた少女が、小雨降りしきる中親族を伴ってその道を通過していた。 一向は、川沿いの道をゆっくりと進んでいる。雨で視界が悪い為、馬は使わず引き連れ、徒歩で移動していた。 「桔梗、寒くはないか?」 旅装束に蓑傘の男が少女に尋ねた。俯き加減で歩いていた少女の顔がそっと上がる。 「わたくしは大事ございません。それより、皆は大丈夫です?」 ちらりと背後を振り返る。桜色の旅装束が少し雨を含んで濡れていた。 少女の名は桔梗、歳は19歳。都で商いをしている一家の娘である。後ろを歩くのは、同行している親族達であった。 「困りましたわね爺様‥‥この雨にも」 御簾の外の雨模様に、桔梗はため息を吐く。 「不便だろうがもうまもなく都へ戻る故、辛抱じゃ」 「構いませぬ、物見遊山はまたいずれ出来ましょう」 そう言って、並んで歩く祖父に笑顔を見せた時だった。 「う、うわああ! アヤカシだ!」 後ろを歩く親族達が悲鳴を上げた。 後方で、けたたましい水しぶきが上がる。 「な、何事!?」 桔梗は背後の悲鳴に驚き慌てて振り返った。雨を含んだ笠の飾り布が前後に揺れる。 「下がりなさい桔梗! これは‥‥アヤカシじゃ!」 「爺様!」 桔梗は縋る様に祖父の腕にしがみついた。 「逃げるぞ! 皆、走るのじゃ!」 祖父は声を張り上げたが、遅かった。 その声も空しく、丁度後方の親族達がひとりふたりと宙へ舞うところだった。 「きゃああああ!」 「見てはならぬ!」 親族達の悲鳴と倒れ付す惨状に桔梗は目を見開いた。 長雨で増水した幅の広い川には、どす黒い瘴気の塊が浮遊している。 その瘴気を撒き散らし、従者を川へ引き込んでいる巨大なもの。 川の水面から首を擡げ、尾を親族達に巻きつけ絞め殺さんとしているのは、白い大蛇の姿をしたアヤカシだった。 「なんて‥‥なんて大きな‥‥」 高さ水面から突き出る部分だけで2Mはあろうかという大きさである。 「桔梗! 早う!!」 降りしきる雨にずぶ濡れになった装束は重く、腕を引かれた反動で桔梗は思わずつまづいた。濡れた腕は滑るように祖父の手を離れた。 桜色の着物。旅の為結い上げていた帯が外れ、雨を吸い込んだ地面に広がる。 白い大蛇は、その赤い瞳を桔梗に向けると、するりと尾を伸ばした。 「いやあああああああっ!」 桔梗を捉えた尾はそのまま宙を舞い、もろともゆらりゆらりと揺れている。 「桔梗っ!」 祖父は声を張り上げるが、それをあざ笑うかのように大蛇はくるりと身を反転させた。 そしてそれは、桔梗を捉えたまま増水した川の水面を滑る様に北上していくのだった。 親族達は誰一人生きてはいなかった。夥しい血があたり一面に広がっている。 「なんということだ‥っ!」 雨の向こうに消え行く桔梗の悲鳴を聞きながら、祖父は急いで無事だった馬の手綱を取った。 ●消えた白大蛇● 祖父は馬を飛ばし、1時間足らずで都へと戻っていた。真っ先に開拓者ギルドへと向かい、事情を話す。 「お頼み申します! 我が孫は、生きたまま攫われ申した! まだ生きているやもしれませぬ!」 ギルドの室内に、祖父の悲痛な叫びが響いた。 白い大蛇のアヤカシは、親族6人を喰い散らかした。しかし知能はあるのだろう、桔梗を喰らわず連れ去ったのは、さしあたって喰らう気はないが餌として巣に持ち帰ったからに違いない。 ならば、急げばまだ桔梗は助け出せるかもしれないと祖父は主張した。 しかしそれも、可能性としてはかなり低い。 祖父はそれでもと、強く主張した。 「孫が無事戻ればそれが一番望ましゅうございます‥‥しかし、万が一アヤカシに喰われておった場合は、その仇を討って頂きとうございます‥‥」 握り締めた拳から、血が滲んでいた。あの時桔梗の腕を離したがばかりにと、悔やんでも悔やみきれない。 ギルドの職員は「承知しました」と祖父の肩を叩き、手ぬぐいを差し出した。 雨に濡れた祖父の全身はびしょ濡れであったが、職員には老いたその顔に流れるものは涙であろうと思ったからである。 そっと手ぬぐいを受け取ると、桔梗の名を呟きながら祖父は膝を折り、その場に崩れ落ちたのだった。 |
■参加者一覧
月夜魅(ia0030)
20歳・女・陰
羅喉丸(ia0347)
22歳・男・泰
月城 紗夜(ia0740)
18歳・女・陰
風 皇天(ia0801)
20歳・男・泰
遠呼(ia1120)
16歳・女・サ
鳴海 風斎(ia1166)
24歳・男・サ
鬼灯 仄(ia1257)
35歳・男・サ
露草(ia1350)
17歳・女・陰 |
■リプレイ本文 ●白大蛇を追う者達● 「急ぎの依頼だ。馬を借りるぞ」 鬼灯 仄(ia1257)はギルドのカウンター越しに職員の男に声をかけていた。 桔梗が白大蛇攫われて、すでに数時間が経過しているという。もはや一刻の猶予もない。 時間が経過する毎に、桔梗の命はどんどん生存の可能性を薄くなってゆくのだ。 「お‥‥お願いします、お願いします」 桔梗の祖父は憔悴しきった表情で何度も彼らに頭を下げた。 その姿を、心を締め付けられるような想いで露草(ia1350)は眺めている。 (「なんとしても、救出を‥‥」) 胸に刻み付けるように思いながら、足元の滑り止めにとギルドで借り受けた荒縄を草鞋に巻きつけていた。 「桔梗さんは‥‥絶対に、助けてみせる!」 小さく丸めた祖父の背中にそっと手を置き、力強くそう言ったのはサムライの遠呼(ia1120)だった。 (「こうして私が居るのは助け出してくれたお養父さんが居たからだもん。今度は私が助けてあげる番、だよ」) 攫われた桔梗を案じながら、遠呼は強く思っていた。 陰陽師の月夜魅(ia0030)は、自前のブーツに皆と同じように滑り止め防止の荒縄を巻く。 「あら、この時期にサーコートを持って行くのね」 月夜魅にふと声をかけたのは、同じく皮足袋に荒縄を巻きつけていた月城 紗夜(ia0740)だった。月夜魅が荷物の中にサーコートを携帯しているのを見つけ、それをどうするのだろうと疑問に思う。 「はい、雨が続いていますから‥‥桔梗さんを保護した際に体温の回復にと持っていく事にしたんです」 荷物にそっと手をやりながら答えた月夜魅に、紗夜は「そう‥‥」と呟いて微笑んだ。 仲間達を遠巻きに眺めていた風 皇天(ia0801)は、短いため息を吐いて腕を組んだ。 「蛇も中々厄介なことをしてくれたものだね。可能性は残っているが‥‥」 しかし数時間という時間経過の中で、桔梗を取り巻く状況がどうなっているかは検討もつかなかった。 皇天は、上背のある細身の身体を凭れていた壁から引き剥がすと、桔梗の祖父の下へと向かった。 「旅の途中で使用した物で構わないのだが‥‥火種をお借り出来るだろうか」 「火種‥‥でございまするか」 「道中が暗闇では危険もある。持っているならお借りしたい」 皇天の言葉に、祖父はぶんぶんと頭を縦に振る。 「お、お役に立てるなら持って行って下され!」 荷物の中から火打石と油と提灯、馬に積んでいたおかげで無事だった親族達の提灯も取り出し、皇天に差し出した。しかし人数分には少し数が足りない為、足りない分をギルドで借り受ける事にした。 鳴海 風斎(ia1166)は、すっかり荷を積み終わった馬の前で仲間達を待っていた。その隣には、やはり草鞋に荒縄を巻く羅喉丸(ia0347)の姿がある。 「明かりを借りてきた。これは鳴海氏の分、こっちが羅喉丸氏の分だ」 提灯を持って現れた皇天から、羅喉丸と風斎は明かりの点いたそれを受け取る。 「僕の為に‥‥風君、感謝します」 と、風斎は言った。 「お、風さんありがとう。俺達は準備万端だ、急いで向かおう」 「そうだな、早いとこ出発しよう。一刻を争うから、な」 そう言って皇天は、仲間達を呼びに行く為にギルドの中へ戻って行った。 ●滝に出現した白大蛇● 一行は、馬を走らせ桔梗の祖父から聞き出したルートを辿った。 幸い、雨はやや小降りになっている。馬で走るには少し煩わしいが、それでも走れないという降りではなかった為、一行は速度を上げて現地を目指した。 馬上の仄は、空を見上げて「ちっ」と舌打ちをする。 「こうも雨が降ってちゃ煙も出やしねえ」 そう言って煙管咥えたまま、悪態を吐いた。 馬を駆る事、およそ50分。 一行は、突如道の真ん中に荷の散乱した現場へと行き当たった。 「ここか‥‥桔梗さんの攫われた場所は」 羅喉丸は馬から下りると、散乱した荷の周囲を探った。 衣類や道具の類が散乱している。そのいくつかには、真新しい血液の痕跡がいくつか見受けられた。残念ながら襲われた桔梗の親族達は、無残な血の跡を残して皆綺麗に喰われていた。 「雨で流されてはいるが‥‥これを見てくれ」 何かを発見したらしい羅喉丸が、道の真ん中で声を上げる。 「引き摺った痕、か」 険しい顔で仄は地面に視線を落とした。 道の真ん中から川へ向かって、雨に薄れた血の痕が残されていた。恐らくそれは、桔梗の祖父が語った襲われた親族達のものだろうと察せられる。水中へ引き摺り込んだ時のものだろう。 「こうしてはいられません‥‥早く行かないと!」 馬上の露草は青い瞳を不安に歪めながら、白大蛇が向かった方向へと馬首を向けるのだった。 一行は更に川を遡る。 途中、アヤカシが陸へ上がっていないかどうかを慎重に確かめながら、急ぎ足で馬を走らせる。 皇天は何度か馬から下りて、川へ拳大の石を川へ投げ込み、白大蛇が潜んでいないか確認していた。 「奇襲されては、たまらないので‥‥ね」 しばらくの後、一行は大きな物音を聞きつけて馬を下りた。それが滝の音だと察し、手前で馬を降りて徒歩で滝へ向かう。 大きな木々が立ち並ぶ林を抜けると、静かな清流と轟々と威厳ある音を立てる滝があった。滝の周囲は滝壺と川。 「さ〜て、どこに潜んでやがるかね、っと」 仄は立ち止まり、呟いた。 「川はこの1本‥‥途中で逸れた様子も、なかったわね‥‥」 滝の周囲へと視線を送る紗夜は、注意深く辺りを警戒する。 「あっ‥‥あれを!」 少し滝寄りに近づいた遠呼は、滝の方を指差した。 「‥‥滝の裏側が少し空間になっておりますね」 ふむ、と風斎は前屈みになって木から身を乗り出した。 彼らが発見したのは、丁度滝の裏側に当たる。硬そうな岩盤の絶壁が奥へ窪んで見える。 「鬼灯さん、探れますか?」 羅喉丸は、隣で難しい顔をしていた仄を振り返る。 「よし。いっちょやってみるか」 敵の襲撃がないか注意を払いながら、仄は滝へ向かって心眼を発動する。 「‥‥滝の裏側に反応ありだ。大当たりだぜ、2つだ」 「と、いうことは‥‥」 露草が仄の元へ駆け寄る。ニヤリと笑って振り返った仄は頷いた。 「たぶん、ひとつは桔梗だ」 早速、一行は川縁へと降りる。 雨は小降りになってはいるものの、川は水量が増し流れも速い。川の中から突き出る岩場を流れの盾にするように、彼らは位置取る。 「では鳴海氏、頼む」 皇天の声に風斎はひとつ頷き口元に手を当て、思いっきり息を吸い込んだ。 「お〜い、アヤカシさん。出てきてくださ〜い」 よく通る声を張り上げると、挑発するように咆哮を発動した。 「おおっと、奴さん動いたぜ」 心眼を再び使用した仄は、動く気配を感じ取りそれを伝えた。 「頼みます! 羅喉丸さんっ!」 月夜魅は符を構えながら、桔梗救出へ向かう羅喉丸に声をかけた。 「おう!」 そう言って駆け出した羅喉丸に続いて、皇天、遠呼、仄を前衛に、露草、紗夜、月夜魅が続いて飛び出した。風斎は最後に駆け出し、殿を努めた。 ●水面に翻る桜衣● 「出てくるよっ!」 先頭を走る遠呼が、滝の中から鎌首をぬっと出した白大蛇に気付いた。 滝壺を離れ、充分な距離を引き離せたところで、 「少しじっとしててっ!」 と、符に念を込めた月夜魅が白大蛇へ向かって呪縛符を放った。式は白大蛇の巨体を取り囲み、そのまま締め上げるように絡みついた。 「‥‥今が好機‥‥参ります!」 月夜魅の呪縛符により動きを制限された白大蛇の様子に、紗夜は符を構える。念を込め神経を研ぎ澄まし、式を放った。 式は黒羽の蝶の姿に転じ真っ直ぐに白大蛇へ向かうと、暴れる白大蛇の尾を切り裂いた。 「‥‥暫し、止まってもらうよ」 白大蛇がおかしな術の類を使用していないか確認すると、皇天は空気撃を放った。 転倒には至らなかったものの、白大蛇は大きくバランスを崩し前のめりに川の中へと突っ伏した。 その隙を逃さず、一行はじりじりと滝を背にするように周り込み、桔梗と白大蛇の間に割り込むように位置取った。 その頃、羅喉丸はようやく滝の裏側へと辿り着いた。 女性が仰向けに倒れている。情報通りそれは桔梗だった。 「大丈夫か!?」 胸元が浅く上下を繰り返しているので生きてはいるようだ。しかし意識はない。 抱き上げた桔梗の身体を、水面から水のない場所へと移す。 「!?」 羅喉丸は抱え上げた桔梗の身体が、異様に冷えている事に気づいた。よく見れば、唇の色が紫色に変わってしまっている。 しかも、水滴音と共に羅喉丸の足元に滴るのは、血だった。 「‥‥マズイな」 どこか負傷しているのだろう。羅喉丸は迷った。 さらしを外し、負傷箇所を応急処置することは出来るが、命に関わる大怪我の場合はそれでは間に合わない。 だが‥‥ 「無闇に動かすのも、危険か‥‥」 体温を奪われ続ける水面から彼女の身体を移動し、ひとまず羅喉丸は仲間の元へ戻る事を決めた。治癒符を使える仲間の元へ連れて行ってやりたいが、戦闘の只中に連れて行くのも、どこを負傷しているか判らぬまま動かすことも、躊躇われた。 「すぐに‥‥すぐに戻る!」 青白い顔で昏睡している桔梗に、羅喉丸は一声かけてその場を飛び出していった。 「羅喉丸さん!」 滝裏から戻ってきた羅喉丸の姿に、遠呼は声を上げた。 「桔梗は? どうだったんだ」 駆け寄ってきた仄は、厳しい表情の羅喉丸に問う。 発見した場所の状況と、現在の桔梗の様子を話した羅喉丸は、呪縛が解け頭を擡げた白大蛇を睨みつけた。 「次は私が‥‥っ!」 符を眼前で構えた露草は、再度白大蛇の呪縛を試みる為に式を打った。呪縛符はまたも白大蛇を捕らえる。 「まったく、とんだ厄日だ」 仄は目を細めてため息を吐いた。 滝の水しぶきで視界が悪い為、よく狙いを定め、炎魂縛武を発動しロングボウで頭を狙って狙撃した。炎を纏った矢は、偶然顎を下げた白大蛇の瞳を射抜いた。 ギイィィィィ‥‥―― 白大蛇の射抜かれた瞳が、瘴気の塊となり煙るように霧散した。 「天才也!!」 その様子を見ていた風斎は、白大蛇の元へ走りながら賛辞の声を張り上げると、刀を上段に構えてまた叫んだ。 「鈍才也!!」 上段からの一刀両断。尾は白大蛇の身体から離れ、岩場の上へと落下した。地面に接したとほぼ同時に、尾は瘴気の塊となって霧散していく。 「好き勝手にするのも此処までだよっ」 白大蛇が衰弱してきたのを見て取った遠呼は、大きく槍を振り上げると力を溜め、強打を発動し渾身の一撃を放った。 全長2Mを超える体はぐらりと揺らいだかと思うと‥‥ゆっくりと水の中へと倒れ込み、そして大気に溶ける様に霧散して消えていったのだった。 ●せめて、人として● 白大蛇を討伐した一行は、羅喉丸の先導で桔梗の元へと向かう。 桔梗の姿を目の当たりにした女性陣は、まず体温の回復と傷の手当ての為、着物を脱がせる。 準備していたサーコートを取り出した月夜魅は、襦袢一枚にした桔梗の身体をそれでしっかりと包んだ。 「桔梗さん、もう大丈夫ですよ‥‥!」 必死の思いでコートに包みながら声をかける。 「‥‥‥‥」 「あ‥‥き、桔梗さんが‥‥」 桔梗が薄っすらと目を開けた事に気付いた露草は、白い手を握り締め顔を覗きこんだ。 「助けに参りました‥‥もう大丈夫ですよ」 優しく声をかけ、傷だらけの顔を布で拭いて清めてやった。 「怖い思いをさせてごめんね。お爺さんが待ってるから、早く帰ろう。ね?」 そう言って、紗夜と共に手当てをしていた遠呼は、励ますように声をかける。 「かい‥‥しゃさ‥‥ま」 何か話そうとする桔梗に、月夜魅が「喋ってはダメですよ‥‥」と言った。 桔梗の手当ての様子を見ていた仄が、女性陣の背後へと近づく。 「艶やかな美女なら金以外の礼も期待できたんだがなあ。‥‥ま、5年後に期待ってとこか」 冗談混じりの台詞を言う仄。これで怒るなり顔を赤らめるなりすれば、都まで持つだろうと思っていたものの、桔梗の瞳はうつろだった。 「月城氏‥‥どうした?」 少し後ろで様子を見守っていた皇天が、ぴたりと処置をする手を止めた紗夜に気付いた。 紗夜は、そっと静かに目を伏せると、コートの下で襦袢を脱がせていたその手を止めた。 「‥‥なんて、こと」 閉じた目をそっと開くと、コートを少し持ち上げる。 女性陣だけに視認させ、再び紗夜はコートで桔梗を包み込んだ。 誰も処置できない程に桔梗の身体は尾で身体を締め上げられた事によるものと、噛まれた事によるもので傷んでいた。 体の各所がうっ血している事から全身への圧迫が酷く、内臓や骨を傷めているだろう事は見た目に容易い上、また腹部からも出血していれば表に確認できる傷跡だけでも酷い有様だった。 辛うじて生きていたのは、体温低下により出血が少なかったからだろう。 「かい‥‥たくしゃ‥‥さま‥‥」 桔梗はうつろな瞳のまま、自分を覗き込む一行に話しかけた。 「あ‥‥りが‥‥とう‥‥」 掠れた声が、必死の思いで紡がれる。 苦しげな声とは裏腹に、桔梗は何故か穏やかに笑っていた。 悲しみが一行の頭上を覆う。命の炎が、最後の煌きを放つように、桔梗は美しい顔を笑顔で満たして一行を‥‥見た。 「せめ‥‥て、人と‥‥して‥‥人の‥‥すがたで‥‥最後を‥‥むかえ、られま、した」 ゴフッと、桔梗の喉元でくぐもった音が聞こえた。鮮血が桔梗の口元から零れ落ちる。 「だい、じな‥‥さくら‥‥じじさま‥‥に‥‥」 桜色の衣。桔梗はそれに手を伸ばし‥‥―― ついと、紗夜は面を上げる。息絶えた桔梗の手を握り締めて呟いた。 「‥‥凍蝶の、己が魂、追うて飛ぶ―――せめて桔梗殿の魂が、二度と世のしがらみに捕らわれないよう‥‥」 ●愛孫娘の形見● 一行は、桔梗を祖父の元へ帰してやる為、乗ってきた馬に乗せて彼女の亡骸と共に帰還した。 五行のギルドで待ち構えていた祖父は、桔梗の亡骸に覆いかぶさると、声を上げて泣き叫んだ。 仄は祖父の隣にしゃがみ込み、そっと肩を叩く。 「‥‥桔梗が、あんたに渡してくれとさ」 仄が手渡した、桜色の衣を抱きしめると、祖父は彼らに深く深く頭を下げた。 「ありがとうございます‥‥孫娘は‥‥あなた方のおかげで、綺麗な姿で戻り申した‥‥ありがとうございまする‥‥っ」 涙を流しながら何度も頭を下げる祖父と、その傍らで短い生を終えた少女の亡骸を前に、彼らは忸怩たる思いで心に刻んだ。 これが、この世界の現実。 せめて、人の姿で―― 命の炎が尽きる時、そんな風に誰もが言わずに死を迎えられる。 そんな日を手に入れる為に、彼らは戦い続けるのだった―― |