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■オープニング本文 ●ある陰陽師の兄妹● 五行、首都・結陣の都。 都を川沿いに遡ると、緑に囲まれた美しい森林があった。首都を一望できる見晴らしのよい丘もある。 行楽などで訪れる者も多く、季節となると花見や雪見、紅葉狩りなどで賑わう場所だった。 丘の麓には、小さな池があった。紫陽花が所狭しと咲き乱れるその淵に、単衣重(ひとえがさね)に小袿(こうちぎ)の装束を着た少女が立っていた。 時節柄だろうか、小袿の地色は水色で美しい花柄の模様。涼しげな色使いである。 長い髪は鮮やかな紅色、透けるような白い肌だ。 少女は近づく足音に気づき、振り返った。 「兄上」 紅の髪がさらりと流れた。 「こんなところにいましたか流花」 兄と呼ばれた青年は、花の盛りを迎えた妹の可憐な横顔に微笑んだ。 二人は、この五行の都に住んでいる。 兄は名を秋斗(しゅうと)、妹は流花(るか)と言う。 共に陰陽師、中乃森(なかのもり)家の直系一族である。 中乃森一族は古くから一子相伝で秘術を継いでおり、次兄がすでに後継者として立っている。本来は長兄が継ぐところであるが、長兄には生誕の時より「志体」が認められていた。慣わしに従い家は継がず、開拓者としてギルドに属し、第一線で戦っていた。 開拓者となるには、その資質を持っていなければならない。「仙人骨」や「志体」と呼ばれるものである。 「なにをしておった?」 秋斗は装束の裾を気にしながら歩み寄った。 この日は、雨の時期の晴れ間を狙って、二人で紫陽花を愛でに訪れていた。二人は兄妹の中でも気が合う為、よく行動を共にしている。 「さすがに雨の後はぬかるんでおるな、裾に気をつけなさい」 流花はふふっと笑う。 「大丈夫でございます、乳母さまが歩き良い様に藁を」 「ほう」 流花の後ろに控えていた彼女の乳母が、ゆっくりと頭を垂れた。なるほど、確かに彼女の周りには汚れぬよう藁が敷いてある。 男ばかりの兄弟の中にあって、紅一点の末娘、流花。その明るさ、可憐さで一族の中で最も愛される存在だった。 「兄上は何を?」 「あちらで和歌を詠んでいました」 「まあ、私を呼んでくだされば良いのに」 秋斗の和歌は優美で大変な腕前である。流花もその和歌を詠んで貰うのが好きだった。 ふっと端整な顔に微笑を浮かべ、秋斗は流花の頭を優しく撫でた。 それは普段と変わらない、兄妹の語らいであった。 ――が。 ●紫陽花を染める紅● 「兄上はお戻りを。私も後で参ります」 「そうか。では先に戻るとしますよ」 池の淵に妹を残し、秋斗は家族の元戻って行った。 さくさくと草を踏む音が遠のくのを聞きながら、流花はふと近くに咲く紫陽花に手を伸ばす。 「流花様、お手が汚れてしまいます」 乳母が咄嗟に手を伸ばす。それを微笑みで制し、流花は紫陽花の葉に触れた。 その時‥‥。 「ぐああっ!」 篭ったような、不気味な声が耳に届いた。 「秋斗様!」 乳母の叫びに、流花は弾かれた様に振り返った。 「なんてこと‥‥!」 流花の目に飛び込んできたのは、秋斗の身体に襲い掛かる化け蜘蛛のおぞましい姿だった。凄まじい瘴気を撒き散らしながら、鋭利なトゲのついた硬い足を振り下ろしている。 片膝をつき抗おうともがく秋斗は、薄れゆく意識で言った。 「に‥‥逃げ‥‥流‥‥がっ‥あああああっ」 「兄上! そんな‥‥兄上ぇっ!」 乳母は飛び出そうとする流花の腕を掴んで引き寄せ、背後に隠す。 「何をするの! 兄上がっ!」 「間に合いませぬ! 耳を塞ぎ目を閉じておりなされ!」 流花を伏せさせ、乳母は秋斗の姿を見せぬよう覆いかぶさった。 アヤカシは神出鬼没である。昼であろうが夜であろうが、お構いなしに出没しては人を襲う。どんなに修練を積んでいても、その出現を正確に予測することは難しい。 秋斗の身体は、乳母の身体でよく見えなかった。ただ、塞いだ耳の向こうで肉を食む音が聞こえる気がする。 直系一族に仕える者ももちろん陰陽師である。乳母は瞬時に状況を把握し、アヤカシに関しては的確な判断を下す。 「私めが時間を稼ぐ間に、流花様は馬で都へお戻り下さい」 「何を‥‥」 「誰かがギルドに助けを呼ばねばなりませぬ! 秋斗様は‥‥もう手遅れでございまする!」 「そんな‥‥っ」 流花の言葉に、乳母はすっと腕を上げた。その指の先には、化け蜘蛛がいる。 「‥‥もう、秋斗様は‥‥」 流花は身を震わせながら、恐る恐る顔を上げた。 瘴気の中心に化け蜘蛛の姿があった。立ち上る瘴気が渦を巻いている。足元には無残な姿と成り果てた秋斗の身体。流れ出た体液が血溜りを作っていた。 誰よりも優しかった流花の一番の理解者の姿は、すでにない。醜く歪ん化け蜘蛛の口元には血が滴っている。 たまたまどこに出現するか判らないアヤカシが、たまたまその場に沸いた。運が悪いと言い切るには、あまりに理不尽な‥‥と流花は唇を噛む。 「兄上‥‥」 「お行き下さい‥‥これ以上被害を広げてはなりませぬ! どれほど時間が稼げるかわかりませぬゆえ、お早く!」 懐より式符を取り出す乳母の後姿に、流花は無言で頷き踵を返した。 走り去る足音を聞きながら、乳母は式符を握る指に力を込めた。 「さあ‥‥秋斗様の尊い御身、喰ろうてただで済むと思うでないぞアヤカシ!」 化け蜘蛛はギチギチと足の節を鳴らしながら、血にまみれるその一本を横殴りに振るう。 流花が愛で、秋斗が和歌に詠んだ美しい紫陽花の群れに‥‥紅い鮮血が帯を引いた。 足元がぬかるむ坂道を、装束の裾をはためかせて走った。 馬の姿が見えた時、坂道の上から悲鳴が響いてきた。 「‥‥‥っ」 おそらく、乳母の声。流花は零れ落ちる涙を拭いながら、馬に跨った。 兄の無念を晴らさねばならない。 あのアヤカシを人里に近づけてはいけない。 馬を飛ばせば道沿いに20分足らずで都に着く、そうすればギルドで助けを呼べる。 手綱を握り締めながら、流花は涙を堪えて馬首を都へと向け駆けて行くのだった。 |
■参加者一覧
崔(ia0015)
24歳・男・泰
小野 咬竜(ia0038)
24歳・男・サ
高遠・竣嶽(ia0295)
26歳・女・志
龍牙・流陰(ia0556)
19歳・男・サ
那木 照日(ia0623)
16歳・男・サ
木立 瑠璃(ia0630)
14歳・女・巫
葛切 カズラ(ia0725)
26歳・女・陰
風・小燕(ia0988)
17歳・女・泰 |
■リプレイ本文 ●水色の衣、佇む● 神楽の都で一旦集結した開拓者達は、精霊門の開門時刻を今か今かと待ち侘びた。 開門刻限と同時に彼らは駆け込むと、足を踏み出した場所は五行ギルド内部だった。 「お待ち‥‥しておりました」 待合室に現れた一行の姿に、近くの椅子に腰掛けていた少女が音も立てずに立ち上がる。 作法どおりの美しい一礼をした少女の目元は、泣き腫らしたらしく赤く染まっていた。 「兄君のことは残念じゃったのう‥‥」 少女・流花の細い肩に、そっと手を置いた小野 咬竜(ia0038)は、哀れな娘の心情を汲んで柔らかく言葉をかけた。 咬竜は剣術「小野派一刀流」を門下に伝える氏族の出自。風流と負け戦を好む傾奇者だが、豪胆で皆に慕われている。 (「叶うかは知れぬが‥‥出来れば埋葬するために、亡骸位は持って帰ってやりたいものじゃ」) 泣き崩れれば楽なものを、毅然として凛とする流花の様子に、咬竜はせめて被害者である身内の亡骸を帰してやらねばと決心した。 「‥‥つぅか、同業者かよ。他人事じゃないってのもあるが、何より、女泣かす奴を逃がす訳にゃいかね」 咬竜の隣にやってきた崔(ia0015)は、被害に遭った流花の兄も陰陽師一族の者と知り、大いに困惑していた。いかに一族と言えども、やはりアヤカシは志体を持つ者にしか対抗する事が叶わぬということだろう。 「大切な者を失うという痛みは判るつもりです」 アヤカシの襲撃によって一族を失い、その被害を無くす事を宿願とし開拓者となった高遠・竣嶽(ia0295)。彼女には、流花の気持ちが痛い程判る。 年若い少女の心は、如何ほどに傷つき血を流していることか。 「‥‥流花様にはこれからの道を違えて欲しくはない。それが為にも、まずは元となったアヤカシを滅します。それが我ら開拓者の務めです」 絶望に襲われ、心を黒く染めてしまわぬよう‥‥流花を案じて竣嶽は強く言った。 そこへやってきたのは龍牙・流陰(ia0556)である。 「流花さん‥‥よく知らせてくれました。辛かったでしょう‥‥この知らせは無駄にはしません。必ず‥‥仇は討ちます!」 無くした過去の記憶を取り戻すために開拓者の道を選んだ彼は、困っている人を放っておけない性分である。今回の件も、殊更に意気込み強く、流花が気の毒でならなかった。 「犠牲者が出てしまったことは残念ですー‥‥お兄さんの犠牲は無駄にはしないですよー!」 巫女の木立 瑠璃(ia0630)は、元気にそう言うと隣に待機していた葛切 カズラ(ia0725)に声を掛けた。 「なるべく早く現場に向かうです!」 妖艶な瞳をちらりと瑠璃へ向けたカズラは、ふうっと吹かしていた煙管の煙を吐き出した。 「突発的災害による被害ってやるせないわね‥‥間に合えば重畳って所かしら?」 視線をそっと流花の方へ移す。 「かわいらしいお嬢さんだこと‥‥急いであげた方がいいわねぇ」 気だるげに凭れていた椅子の背から身を起こすと、ギルドのカウンターへと歩いていく。 「どうするですか? 葛切さん」 艶やかな着物を揺らし振り返ると、カズラは答えた。 「馬を手配しましょ♪ 急ぎの依頼なら貸し出してくれる‥‥わよねぇ?」 語尾はカウンターにいた男性職員に向けられた。 天真爛漫な笑顔でひょいと椅子から降りた瑠璃も、カズラの隣に駆けて来てカウンターに身を乗り出す。 「急ぐんですっ! 馬を貸してくださいっ!」 一方、出口には。 「あわ‥‥今回は大きな蜘蛛のようです‥‥」 そう言って着物の袖で口元を覆い、不安に顔を曇らせる那木 照日(ia0623)が準備を終えて仲間達を待っていた。 その傍らで自分の拳をぎゅっと握り締めながら、泰拳士の風・小燕(ia0988)は呟く。 「初めてのアヤカシとの戦い‥‥迷っていても仕方ないわ。自分の拳を信じるだけよ」 「う‥‥うまく、いくでしょうか‥‥私は、なかなか慣れ、なくて」 橙色の瞳が、不安に揺れる。 「大丈夫、頑張ろう那木さん!」 明るく力強い笑顔で小燕は照日の肩を叩く。その仕草に、照日は思わず袖で顔を隠すように覆った。 (「そう‥‥頑張ら、なければ‥‥」) 励ますように肩に置かれた手に勇気付けられ、照日は小燕にこくりと頷いたのだった。 ギルドの中から仲間達がどやどやと出てくる。馬の準備は出来ていた。 「いざ征かん。弔い合戦じゃ!」 緋色の猛々しい髪を振り乱し、咬竜は腰の太刀を豪快にひと叩きした。 いよいよ出立である。 流花はギルドを出発する一行の後姿に、願いを込めるように深い一礼を捧げた。 ●蜘蛛の糸● 一行は結陣を出発。街道を北上し、流花に聞いた現地へと向かう。 「あわあわあわあわあわ‥‥っ」 馬上では照日が大きく揺れる馬の背中にしがみついていた。 「急ぎましょう、これ以上被害が出る前に何とかしなくては!」 馬に手綱を振るい、流陰は皆に声を掛けた。 川沿いに北上した所にある森林。首都を一望できる見晴らしのよい丘があり、普段は風光明媚な場所が件の現地である。 丘の麓には小さな池があり、紫陽花が所狭しと咲き乱れる美しい場所だったのだと流花は話した。 「‥‥ここか」 丸眼鏡を押し上げながら、崔は坂を見上げる。馬から皆降りると、手近な場所に馬を待たせた。 「途中の都周辺の人家には被害は無かったようだな」 馬を駆りながらの道中、道沿いの人家に特に変わった様子が無かったことは確認済みだった。 坂の両側の茂みを、携帯品の白鞘を用いて払っていた竣嶽は、振り返って頷く。 「この辺りに形跡はないようですね‥‥坂を下りてはいないのかもしれません」 咬竜は「ふむ‥‥」と坂の上を凝視しながら、腰の太刀を早々に抜いた。 「どこから現れるやも判らん‥‥警戒を怠らないよう気をつけませい!」 「承知!」 流陰がそう答えると、隊列を組むように皆固まって移動を開始した。 咬竜、流陰、照日の3人は仲間達の隊列を囲むようにそれぞれ左右と殿を固める。流陰が右、照日が左、咬竜が列の殿といった具合だ。 隊列の先頭は志士の竣嶽、その後ろに泰拳士の小燕と崔が2列に並び、更にその後ろに巫女の瑠璃と陰陽師のカズラが並んだ。 一行は200M程の上り坂を慎重に歩く。左右の茂みはもちろん、前方に潜んでいるアヤカシに細心の注意を払った。 幸いにして、坂の道は頭上に木々もなく視界が開けている。一歩一歩慎重に歩を進めながら、足元や茂みに変わったことがないか確認しながら進んでいた。 坂を登るごとに、あからさまに瘴気の気配が濃くなってくる。 「‥‥あら、ちょっと待ちなさいな」 カズラは小声で皆を止めた。 「那木さん‥‥あれを」 大きく開いた胸元を押さえながら、すいっと指で左側の茂みを指差す。坂の前方の茂みである。 「あれ‥‥は‥‥糸、ですね‥‥」 しっかりと目を凝らして茂みを見つめ、照日は答えた。カズラは「そうでしょうねぇ」と呟いた。 「相手の頭の出来がどの程度かは知らないけど‥‥何処に糸が張られていても可笑しくは無いわ」 胸元からするりと陰陽符を取り出し、カズラは前方を見据えた。 こくりと竣嶽は頷くと、自らの刀を抜く。 「‥‥位置は私が探りましょう」 そう言って、竣嶽は心眼を使用した。 しかし―― 「‥‥おかしい」 「どうした?」 竣嶽の様子に崔が問いかける。 「反応が1つしかありません‥‥動いているものが1つだけ」 「なんと!? ではもしや、乳母殿は‥‥」 咬竜の驚きの声に、竣嶽は振り返って頭を横に振った。 「判りません‥‥乳母の方が察知範囲にいないだけかもしれません」 「ともかく行きましょう! 位置は知れました、あとは叩くのみ!」 流陰の言葉に、皆一様に頷いた。 ●紫陽花を染める紅● 「くそっ‥‥忌々しい糸じゃのう!」 あちらこちらに張られた糸を切りながら、咬竜は大振りに太刀を振り回している。 竣嶽の心眼発動後に坂を駆け上がった一行は、中央で待ち構える体長約2Mの化け蜘蛛と対峙した。 「あわ‥‥く、蜘蛛‥‥」 蜘蛛が苦手な照日は、初めて全貌を見た時に怖がり、声を上げた。 しかし、それはアヤカシであり、普通ではありえない規格外の大きさの為、逆に平常心を取り戻す。 「流花さんの‥‥兄上の仇‥‥討ちます‥‥!」 己の愛刀を抜き、怯えを打ち払い照日は身構えた。 「皆、気をつけませい! 糸に絡んだら、すぐ皆に知らせて切ってもらうんじゃ!」 「了解! ほんじゃぁ、いっちょ行くぜぇ!」 身のこなしの素早い崔は、両手に七節棍を構えて走り込む。化け蜘蛛の巨体の足元を薙ぎ払うように振るう。 「私が倒そうとする必要は無い、動きさえ止められれば!」 崔と共に遊撃に赴いた小燕は、俊敏な足を生かして崔の逆方向に回り込んだ。 「はあああああっ!」 両手の飛手に力を込めると、化け蜘蛛の足めがけて空気撃を放った。 化け蜘蛛は大きくバランスを崩されると、ギチギチと不快な音を立てながら足をばたつかせる。 「危ない!」 「「!!」」 暴れ狂う化け蜘蛛の足が、崔と小燕を掠める。 その様子に、流陰が振り返る。 「させません! こちらだっ化け蜘蛛!」 流陰は咆哮を発動し、化け蜘蛛の意識を自分へ向けさせる。 「ちっ!」 咆哮の隙に、化け蜘蛛から距離を取る様に離れると、崔は舌打ちしながら腕を見た。 「ご無事ですねっ! 腕を見せてくださいっ」 瑠璃が慌てて駆け寄ってくる。腕の傷跡を検分し、毒などの異常がないか確かめる。 「風さんは肩ね‥‥布で応急処置しておきましょう。木立さん、崔さんにこれを」 カズラが駆け寄り、瑠璃に布を手渡した。 「掠り傷だ、生命波動で凌げるだろうが‥‥手当て、感謝するぜ」 生命波動を発動し、負傷した腕を癒した崔は瑠璃とカズラに不敵に笑った。 「お2人とも、お待ち下さいね‥‥今、舞を!」 手当ての済んだ崔と小燕に、瑠璃は神楽舞・攻を舞う。 「ありがとう、行ってくるわ!」 小燕は感謝を伝えると、笑顔で颯爽と戦線に向かった。 一方、大きく転倒した化け蜘蛛は、前線で戦う仲間達に攻撃を受ける。 「静まるの‥‥です!」 照日は化け蜘蛛から少し距離を取ると、化け蜘蛛の前足を狙って地断撃で遠距離攻撃を仕掛ける。 大地を割くほどの衝撃波が化け蜘蛛目掛けて一直線に走り、前足を両断する。 その隙にと、竣嶽は素早く懐へ走り込んで行く。 「これ以上の悲劇は起こさせません!」 暴れる足を受け流しでかわし、返す刀で打ち払う。足は身体から切り離され、地面に落ちると瞬く間に瘴気の煙となって霧散した。 「もう一息じゃぁ! 皆、畳み掛けようぞ!」 叫んだ咬竜は強力を発動し、筋力を増加させた。 「るぅぅあああああッッ!!!」 両手に構えた太刀を、大きく振りかぶって振り下ろす。 切っ先は、身体の中心を狙う。硬く細い体毛に覆われたそこは、一撃では両断できない硬度のようだった。 「ならば!」 咬竜の太刀が切り裂いた部分を狙い、流陰が走る。その気配に、咬竜は地を蹴って後ろへ飛んだ。 「お前は‥‥人の命を奪いこの場所を汚した! 絶対に‥‥許さない!」 抜いた刀がカチリと返る。流陰は叫びながら突進する。 「いやぁね‥‥まだ動くのかしら?」 カズラは、残る足をもって抵抗する化け蜘蛛に向かって、符を構えた。 「私に糸を見せるなんて‥‥誘っているとしか思えないわ」 そう言うと符に念を込め、式を打ち出した。 「ひぎぃと啼きながら逝きなさい!」 カズラが放った式は、化け蜘蛛の身体を覆う。蔓の様な触手の姿をした式が、まさしく緊縛する。 動きを封じられた化け蜘蛛に、成す術はない。 「とどめと、いくかぁ!」 「この拳、受けてみよ!」 崔と小燕が、動かない化け蜘蛛の足を足場に駆け上がる。同時に、流陰が刀を高く振り上げた。 身体を両断され、頭を強打された化け蜘蛛は、断末魔の咆哮を上げ、大気に溶けるように霧散していった。 ●遺された者の涙● 化け蜘蛛を無事討伐した一行は、心眼で反応がなかった流花の乳母を捜索した。 張った糸が最も濃い辺りを見つけると、そこで一行は乳母を発見する。そこは化け蜘蛛の巣であったらしく、白い糸にぐるぐる巻きにされた乳母がいた。しかし、残念ながら息を引き取った後のようで、下半身を失くした哀れな姿だった。 最後まで戦ったらしい乳母は、手にしっかりと符を握り締めていた。 「乳母殿よ‥‥忠道見事なり!」 乳母の亡骸を前に、咬竜は己の太刀を掲げ乳母を称えた。一行は、乳母の亡骸を静かに運び出す。 「兄上殿は‥‥おられないの、でしょうか」 照日は乳母の身体にそっと紫陽花の花を捧げながら、顔を袖でそっと覆い呟いた。 その時―― 「おい、こっちだ!」 崔の声に、皆が集まる。 彼が指を指した所には、もうひとつ――白い糸にぐるぐる巻きにされた物があった。 糸を剥ぎ取ると、中からは流花の兄と思われる束帯姿の青年が発見された。残念ながらやはり、亡骸であった。 しかし、やはり下半身を失ってはいるが、腰から上は無傷に近い。最期に、流花に顔を見せてやることができるだろう。 黙って池で布を浸し、それを持って崔は戻ってくる。清水に濡れた布で、2人の顔を綺麗にぬぐってやる。 「‥‥現実でそれと解っちゃいてもさ? 割り切れないもんってあるだろ、やっぱ」 ぼそりと呟いた崔は、2人の遺品を手に握り締めると、乾いた布に包んだ。 秋斗の使い込んだ扇と、乳母が大事に帯に入れていた‥‥流花の命名時の札だった。 彼らが愛して止まなかった流花の元に返してやる為、一行は2人の亡骸と共に都への帰路に着いた。 ギルドに戻った一行は、流花を連れ小部屋で2人の亡骸と対面させた。 「ああ‥‥兄上‥‥乳母様‥‥!」 流花は2人を包んだ布の上に覆いかぶさる。堪えていたものが堰をきってあふれ出す。 「わたくしも‥‥わたくしも戦っておれば‥‥!」 その様子に、咬竜は言った。 「辛いであろう、悲しいであろうよ。だが、そうしておぬしが己を責めるのであれば、2人は真に無駄死にをしたことになるのう。それで、おぬしは良いのか?」 「流花様‥‥辛いでしょうが、こういう時だからこそ確りと己を律して生きていって欲しいのです」 同じく家族をアヤカシの被害で亡くした竣嶽も、そっと声をかける。 2人の言葉に、流花は顔を上げた。 流陰は傍らにしゃがみこみ、そっと紫陽花の花を差し出した。 「綺麗だったのでしょうね、あの場所は‥‥本当ならもっと‥‥」 「紫陽花‥‥」 「‥‥僕はもう一度行きたいと思います。できれば今度は、純粋にあの景色と花たちを楽しむために」 流花は、迎えの者達と共に2人を弔う為生家へと戻って行った。 悲しみの涙は心の傷を膿ませる。暗い闇に、あの娘が囚われずしっかりと生きていければ良いのだが‥‥と、一行は願わずにはいられなかった。 |